おかしな判決

フリージャーナリストの敗訴確定:産経関西(産経新聞大阪本社公式ニュースサイト)
DATE:2009/05/10 05:08
URL:http://www.sankei-kansai.com/2009/05/09/20090509-009565.php
【記者クラブ所属でないことを理由に、大阪市議会の委員会が傍聴を不許可としたのは違憲として、フリージャーナリスト、今井一さんが市に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(甲斐中辰夫裁判長)は8日、今井さんの上告を退ける決定をし、今井さんの敗訴が確定した。(2009年5月 9日 07:01)】
ハンケツと聞いて「半ケツ」(ズボンをおろして、おケツを半分出す)と見まごうような内容の判決がまた出た。
これは3大全国紙のwebには載っていない記事で、サンケイだけが小さいながらも扱っていた。
つまりは、今でも一部で使われる「お上=行政」が認めた瓦版屋しか市議会の取材は認めないことを、国自体がお墨付きを与えたということだ。
そもそも記者クラブなる仲良しクラブが存在すること自体がおかしい。他を退けてニュースを独占する形は、先ず報道(言論)の自由という憲法に保障された権利に著しく反するのに、司法のトップが国におもんばかって無視するなど、まさに報道をコントロールしてしまおうという姿勢が見え見えである。
記者クラブとは【記者クラブとは、首相官邸、省庁、地方自治体、地方公共団体、警察、業界団体などに設置された記者室を取材拠点にしている、特定の報道機関の記者が集まった取材組織のこと。
各団体から独占的に情報提供を受けることで知られる。記者室の空間及び運営費用は、原則として各団体が負担・提供し、記者クラブが排他的に運営を行う。同種の組織は国外では一般的でないため、たとえば英語ではkisha clubと表記する。日本における報道の閉鎖性の象徴として、内外から批判されている。
日本特有の制度で、日本とガボンにしか無いとされる。かつて日本に併合されていた韓国にも存在したが、既に廃止されているhttp://www.kisha-club.jp/】
世界でも希有な談合組織と言える。同じ声明を同じような人間が聞きまとめ、時には渡されたプリントの通りになぞって記事にするわけだ。また特落ち(自社だけが情報を知らなかった)を防止出来る。これはジャーナリストと言うより御用聞きに過ぎない。ほかの人間にメシの種を渡すまいという理念?に基づいた集団だ。
フリーという縛られない視点を、体制側はことのほか恐がるが、大なたを振るって変えた人が居た。長野県の田中元知事である。記者クラブを廃止して、記者会見を週刊誌の記者やフリーの記者にも解放した。それまではクラブの家賃や備品、水光熱費なども県庁側から提供されていたが、これでは本当に県政をチェックできるはずがない。残念ながら長野県民の英断?!で、自民党の村井氏が知事になったが、結果、すべて後戻りしてしまった。土建行政の再開に異議を唱えたメディアはいたのだろうか。出来っこないよね。
今回の大阪は市議会の判断だが、まだまだ日本の村社会はそちこちにあって、突出したり人と変わった行動を見張っている。周囲に合わせることは、「流される」と同義語だと知るべきだ。これこそジャーナリズムがもっとも忌み嫌う姿勢のはずだったが・・・。
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登録日:2009年 05月 11日 10:58:35
自由律

今日も黒便とは 木枯らしのやけに寒し
子等死に 中東の神々は案山子なり
握り飯懐かしく いつまでも古さとのようだ
冬日が浅く藁照らし湯気が立つ 好き日
烏賊げそ噛み 硬く憐れに吸盤暴れる
商店街を行き交う人の 黒い帽子が深い
献体を決め 行く末の春を待つ
こけまいと転び 忘れまいと老い人居り
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登録日:2009年 01月 15日 13:18:50
1年ぶりのアップ

今年はしょっぱなから出鼻をくじかれた。
元旦午前3時ごろは晴れていたが、6時にいざ出かけようと起きると、ぼた雪がこれでもかと降り出していた。道路は大丈夫だったが、雪に向って走り出すと、カーテンのように視界がふさがれ、途中でヤバいと引き返してしまった。
2日にはすっかり積もり、道も凍結している。だが雪は止み、温度も上がってきたので、昼にはジャリ雪になった。当日は長男が迎えに来て、義姉宅で新年の集まりという恒例の行事があるが、支障はないようだ。近くだが、わたしは飲むので毎年送迎してもらうのだ。
飲み食いしながら勤め先の電力会社の話になった。今は研修所の指導員をしているらしい。新人は10か月の間、理論と実習の両面から教育を受けるが、その過程で今様の若者の傾向がいろいろ見られるらしい。趣味の剣道では、そろそろ5段を狙う準備にかかるという。昇段は勝てば上がるのではなく、心技体の面で数年の間隔が設けられている。従って高段者であるほど年齢が高くなるわけだ。強ければ位が上がるプロ、特に相撲の盲点はここにある。どうしても奢りが生まれ、態度に出る関取がいる。いくら星を取ったとはいへ、そんなシーンを見ると相撲道も落ちたものだなとがっかりする。残念ながら外国力士を指導しきれない親方自身が再教育を受ける必要がある。
ここんところ、息子から盆暮れに小遣いを貰うようになった。みんなカミさんにいってしまうから得することはないが、そのたびに年を取ったなと思ってしまう。カミさんは「次は車を買って」と、とんでもないおねだりをする。わたしがあわてて「いまので充分」となだめるが、母としては息子が頼もしいと、つい甘えてしまうのだろう。流れとして、亭主が年金男ではそうそうデカイ買い物が出来ないことにある。小遣いさへこの頃はあまり稼げなくなり、今年はもっと頑張らなくっちゃと、ごく卑近な年頭の覚悟となった。トホホ…。
クリスマスから今日にかけて、中東情勢が緊迫している。
中東の相関絵図は単にイスラエルとパレスチナの問題に収まらない。いよいよ地上戦になってきたが、アメリカをバックに圧倒的な優位を持つ軍事力を持つイスラエルは、ロケット弾以外は有効手段は無きに等しいハマスをやっつけることを口実に、一般人をも差別なく殺すに違いない。アメリカが過去繰り返してきたヴェトナムやイラク、アフガンでの感覚と同じである。弱者の戦法であるテロはさらに増えるだろう。長期戦は必須だ。
宗教が絡むのは無論だが、それよりも取り巻く環境が複雑で、中でもアメリカとイスラエル、アメリカとエジプトの関係がややこしい。アメリカのネオコンやイスラエルの主戦主義である国防大臣らは、一説によればイスラエルをつぶすのが目的といわれ、闇の底で蠢く権力亡者どもの画策は計り知れない。考えたくもないおぞましい輩によって戦争はつくられていると思うと、手のつけようのない人間の業を感じる。
例えばこの局地戦がイランやシリアを巻き込むとなると、必ず原油高騰があるが、これで得をするのはロシアである。今の低価格で推移すると、豊富なエネルギー財産で威張り散らすことが出来なくなり、プーチンや大統領は困った立場になる。当然なんらかの謀略をめぐらすだろう。グルジアでの強硬態度を見れば充分あり得る。国内がガタガタすれば政権が危なくなり、こんな時の常とう手段である「外に目を向ける、向けさせる」ことに心血を注ぐだろう。
アメリカも同じで、民主党が政権を取ったオバマとそのまわりが今のままで国内を安定させられるか。ブッシュが世界にばらまいた害毒(戦争と不況)を引きずったままの継承を見ていないと、イランと戦争したがっている
勢力が何をしでかすか分からない。
それにしても、日本の現実は情けないの一言に尽きる。「みんなで頑張ろう!」という気概が大企業の姿勢に見られない。膨大な内部留保をもちながら、共に働いてきた人たちを容赦なく切り捨てている。その言い訳は必ず「グローバル化」である。人をまともに扱おうとしない企業が生き残って、社会的にどんな存在理由があるというのだ。経団連のトップはその典型で、口では「人は大切」といいながら、自企業であるキャノンの非正規社員をスパッと切り捨てている。
クビになった人たちは闘ってほしい。特に契約期間以内にもかかわらず切られた人は、全国で裁判を起こすべきだ。なによりも自暴自棄にならず、もっと怒ってほしい。
政府はおたおたするばかりである。100年に一度の不況と言いながら、対策は遅々として進まない。党派や省を超えた特別チームもつくらない。建てた政策も大不況対策とはいえない。給付金を配るというが、たかだか12000-20000円である。財政出動というならこの際1世帯10万円以上は配れといいたい。チョコチョコと細切れな施策を重ねても、砂に巻く水のようなもので、効果のほどは知れている。道路特定財源にしてもほとんどは今まで通りの道路利権に回ってしまい、一般財源化はされなかった。行革は更にごまかしの連続で、これでは渡辺喜美さんが頭に来るのは当たり前だ。現在の甘利行革担当相はへたれもいいところで、枡添氏ももはや役人の言いなりになっている。まだまだ数兆円の無駄が続くということだ。
ちょうど一年ぶりのアップである。出来るだけ日々の変わり具合を綴っていきたい。
今朝も冷え込んだ。
この寒空に、どれだけ多くの人が不安と寒さで震えているか、都心の格安官舎でのうのうとしている役人たちは、ボランティアに駆りだして、食や住を失った人の世話をさせるべきだ。政治家も同様である。民間団体や自治体にだけ任せた結果となった年末年始をどう見ているのか。正月だからといって空が晴れ渡るわけではない。大企業や行政の日本人としてのモラル下落は重い雪雲になって、いよいよ道を凍らせている。
阿吽の獅子は居るが、「阿」が伝えようにも「吽」が応えない事柄が増えてきたようだ。
*写真は一応自写像。自分を見つめ直す?
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登録日:2009年 01月 13日 12:50:10
“未"
今年をあらわす一文字が流行っている。
どこかのお寺では「偽」と表現した。毎度のことだが、特に今年は目立ったということか。それも、分かりやすい食品関係に続出した。
赤福、御福などは古くからのお伊勢詣りという信心の場を汚した偽装とも言え、他にない神の領域を商売の場としている土産物屋は、それを決して忘れてはならない。船場吉兆は看板の老舗を悪用した商法で金儲けに走った。専務の母親は腰が折れるほどお辞儀をしていたが、詫び言葉を息子に小声で教えている姿は、謝るにほど遠い心根がのぞいて、哀れでさへあった。先代の思いを伝えるプロンプトだったらば救いはあったものの、ゴマカシ、言い逃れの伝授とは呆れたものである。
政治や行政の「偽」は言うまでもないので省くとして、我々人間の地球への偽は、そのまま自分たちの破滅をあらわしており、地球儀が“地球を偽る”地球偽になっている。洒落にもなんねーな。
今までも「今年の一文字」は毎年あったことで、これからもあり得るものだ。そこで敢えてわたしが一文字で言うなら「未」だと思う。
『事のいまだ終了しないことを表わす語(広辞苑)』というように、すべてが未熟だった。政治のトップは未熟な二世議員の未熟な首相の未熟な目。公僕としてよりも、働く人間として未熟な犯罪者といえる年金横領、不作為、ゴマカシ役人がいる社保庁は未官僚のトップ。どちらも未詳だらけだ。
世界を俯瞰するとなると、多分「未」の雲に覆われて、地上が見えない事になっているのではないかと思う。「未」は永遠のテーマかも知れない。
わたし個人としては、さほどの病いもなく収入もなく、賞金稼ぎは最低で小遣いに四苦八苦したことからの反省として、来年こそはと67才にして決意している。
しかし今聞いたことも忘れてしまったり、覚えていた顔の名前がどんどん消えたり、なにしに来たのか覚えていなかったりと、記憶との戦いが次第に熾烈になってきている。少なくとも湧いてきたイメージだけはメモして守らないと、存在価値さへ危ういというのが実感だ。
なんとしてでも、自分の“未”来は自分で創らなければと、自戒を込めて来年に向き合おう。
などと、らしくない。やっぱ、もっとフザケなくっちゃと、傍らでは悪魔がささやいている年末なのだ。
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登録日:2007年 12月 17日 17:12:42
夫唱するから婦随?
〈日々是休日〉のダラダラした時間を過ごしている。ダラダラをどう解釈するかは中身に関わってくる。
日に一度も外出しないと、わたしの中では無為の一つの条件になる。外に出たからどうというわけではないが、体質として家にこもることに罪悪感を感じてしまう。ただの出たがりなのかもしれない。一日家で過ごして小難しい本を読み、なにかを会得すれば満ち足りたことになるのだろうが、30分でも外出して田んぼの脇で冬眠前の蛙をほじくる方が、わたしには面白い。動きが鈍くなったツチガエルをひっくり返して、「おまえはいつ見てもきたねぇなぁ」といちゃもんをつけると、ヌターと起きあがりながら、「てめぇの面も似たようなもんだぜぃ」と、蛙が言い返してくる。
ひと冬を同じ土色の中で過ごし、春を待ってまたケロケロキャッキャッと♂♀たわむれて寒天みたいな卵をつくるわけだ。ずっとそうしてきた。飽きるということがない。今の時期は背中の白一本ストライプは何故か切ない。
しかし外出が、ここ2,3日ままならない。カミさんがあまり動かなくなったのだ。先日までわたしが食欲不振でデレーとしていたが、その後、真似するかのような状態である。
布団に入って2時間ほど経った頃だから午前0時から始まった。
ドタンとベッドから足を下ろす音、あわててトイレへ向かうドタドタドタ・・・、ドアを開け閉めバタン。「ウッ!げーげーげー、カッカッ」と吐く音。これが1時間おきに朝まで続いた。
最近はビールも飲まず、特におかしなものを食べてもいないので、ふたりで「どうしたんだろう、どうしてだろう」を繰り返すばかりだった。
嘔吐と寝不足で動ける状態ではなく、落ち着いたら病院へ行くと決めた後は、コタツに入ってぐったりしていたが、やはりトイレ行きは続いた。ほんの少し治ったと思ったら今度は下痢だと言いだした。これはちょっとヤバイと病院を勧めたが、今のままではきつくて駄目というので、とにかく小康を待つことにした。
二人とも食べる気がしない。
食欲が無くなるという現象は面白い。本当に喰いたくなくなる。空腹感がないから喰いたくない簡単な図式だが、これが理解できない。あたり前だが分からない。具合が悪くなるとはそういうことなのかなと、互いの青ビョウタンみたいな顔を合わせて、午後を過ごした。
わたしは今日はかなり快復し朝飯を摂ったが、嘔吐下痢は止まったものの、カミさんは粥を少し口にしただけで、げんなりしている。昨夜はよく寝たようなので心配なかろうと、様子を見ることにした。
フランス人は「食べるほど食欲がでる」と言ったそうで、馬鹿なわたしは、食べることに精通している国民だから間違いなかろうと、あれやこれや買い込んで食べさそうとした。やわらかで甘味があれば良いかなと、よもぎ皮のアンパン、カステラ、プリンにうどん。カミさんは見ただけで“マァー!”と呆れていた。少しでも食べれば喰えるようになるんだからと勧めて、やっとゼリーを食べた。しかしフランスの言葉はどうも引っかかる。理屈に合っているようでおかしい。
彼らは「よい夕食は必ず空腹によって始まる」とも言っているからだ。空腹は最上の調味料か。調べてみると前言は「手に入れると、もっと欲しくなる」の例えらしい。腹の調子が悪いときの話ではなかった。
夕方になって、少しずつ日常の家事をするようになったので安心はしたが、以前にも似たことがあった。
わたしが風邪を引くと、その後すぐゴホンゴホンし出すし、転けると転ぶ。腹を痛くすると「あら、あたしも」と言う。あんまり真似て欲しくない。おれはもう治ったから明日にはメシつくってくれよてな心境だ。
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登録日:2007年 12月 12日 18:56:21
食欲がない
やっと冬らしくなってきた。
今まで60数年付き合ってきた季節の替わり目に、ここ数年違和感があった。環境や時代の変化が原因だろうが、春と秋の存在があやふやで、自分の季節サイクルと微妙に食い違う。人間が壊しつつあるにもかかわらず文句を言うー申し訳ないことである。
ここ2日ばかり食欲がない。わたしには珍しいことで、食い物に〈意地汚い〉のが信条でもあるのに、目の前のウナギ(中国産だが)にも新発売のカップ麺にも食指の小指も動かない状態なのだ。
微熱と飽満感がある以外はいつもの胸痛くらいでこれといった症状もなく、メタボっ腹には都合がいいとほっといたらカミさんにばれてしまった。昨日一昨日と昼に雑炊一杯では当たり前で、早速検査に行けと言いだした。「分かった」といい返事をしたには訳がある。ちょうど今日が通院先の検査日だったことと、食欲がなくて朝飯を意識して抜かす必要がないからだ。検査でなにが嫌というと、絶食である。喰う動作を欠かすことに病的な恐怖がある。元をたどれば欠食が重なった子供の頃に起因するのではないか。
生きるに不可欠な食べる動作が呼吸と同じ次元に並んでしまって、そのまま今に至った感じがする。「なにかいま喰っておかなければ無くなってしまう」想いが、喰い意地の汚さにつながり、ちょっとしたきっかけで現世の餓鬼道に陥っても不思議ではない。
時々冬ごもりするリスを羨ましく思ったりする。越冬に備えてせっせとドングリなどの木の実を巣に蓄え、寝床のまわりを餌だらけにして、かじっては眠り、起きてはかじり、ピューピュー吹きすさぶ外もなんのそのだ。
食欲はないが、睡眠時間は増えた。
今までは5-6時間だったが、この二晩8時間を越える。それも目覚めるまで熟睡で、寝覚めも悪くない。自覚はないが、疲れているのかも知れない。意識できないストレスなど信じない。それに、確かに目は酷使しているが、運動はストレッチ以外していない。だがよく眠れる。メシも喰わないが眠れるとはちょっと不気味である。
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登録日:2007年 12月 10日 09:57:37
古神

「この世界は13バクトゥンが
完了する日に滅び去るだろう」
と予言した
1バクトゥンは14万4000日
《この世界は西暦2012年12月21日の金曜日に滅び去るだろう》
遠くを見ながら
陽を浴び雲を被り
小さな像は
『チラム・バラムの聖なる予言』に従い
白人のアメリカ大陸到来を予言した
だから
13バクトゥンを信じて
マヤは周期の意味だとするなら
冷たい風に吹かれながら
古神になぞらえた置物を
拝んでみよう
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登録日:2007年 12月 05日 04:54:44
さかなになったぼく
汗をかかないのは
寒いといって暖まろうと
泳ぎまくる魚だ
冬になって水温が落ち
体力を保つために
じっとそこに沈んで動かない魚
泳ぎまくって体を暖めようとしても
体温は上がらず消耗するばかり
陸に棲む人間は
オイチニオイチニと
冬の公園で体操すれば
白い息とともに
タオルを使うくらい汗をかいて
体が暖まって元気になって
「行くぞー」と駆けだしてしまう
いくら動いても
魚は暖まらない
今のぼくは魚になっている
体ではなく
気持が汗をかかなくなった
気持が大車輪しても
気持が全力で百メートル走っても
あったかくならないし
汗もかかないし
疲れてしょぼんとなって
気持だけ水の中に置いて
澱みを泳いでいる魚になった
汗腺はあっても
汗をかかない魚になった
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登録日:2007年 12月 01日 16:55:50
ふと昔に

今朝早く、高台にある市営の競技場へ行ってみた。ここには初めてで、散歩やジョギングの人がポツポツと居る以外は静かなものだ。昨日は少年サッカーの試合があったと聞いていたが、その賑わいは畳まれていないテントに残っているだけで、すっきりというより淋しい空間になっている。
この頃、昔をふと思い出すことがある。
普段は半分呆(ほう)けていて、頭の中は固有名詞がどんどん消えていき、「あれ、それ」が巾を効かしている。カミさんも同じで、そのうえ年寄りの特徴の一つである「自分の言いたいことばかりしゃべって、相手の言っていることには生返事」傾向がともに強く、その結果を想像すれば下手な漫才よりトンチンカンでは引けを取るまい。
加えて、「言った言わない」の争いだ。「ここにあると言っただろ」「そんなこと、聞いてないわよ」の繰り返しだ。その都度、次から録音しなきゃあねと言いつつも、5分後には繰り返している。
こんな中、何とはなしにRという人物の名前をフルネームで憶い出した。芝居の本を読んでいて(そういえば)と、1960年後半に
時間が戻り、ついでに「劇団カッパ」のこととなる。素人の集まりだったが、年2回の公演や巡業?のために、幼稚園を借りて週2-3回稽古をした。その仲間のひとりがRである。
そこで早速検索をかけると、なんと今でも「しずおか演劇祭実験劇場」に所属して頑張っていた。今見つけたばかりなので、直接連絡していないが間違いない。わたしより年上だから70才になんなんとしていて、役者として頑張っている。書き込みしてきたのでなんらかの反応があるだろう。楽しみだ。
青春を過ごした静岡の断片が未練たらしく貼りついていたが、とにかく嬉しい。
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登録日:2007年 11月 27日 05:07:43
うん

ぼくは沈んでるんだ
狭くなって窮屈になって
ぶっ壊していいのならそうしたいけど
出来ないから沈んでしまうんだ
うん
どうなんだろう
わからなくなって沈んじゃうのかな
空は晴れてるよ
きれいな色がいっぱいあるよ
でも沈んじゃう
うん
おいしい朝ご飯食べたよ
新しい新聞読んだよ
連ドラも観たよ
それでも沈んで
昨日と変わりないから沈んで
うん
鉄の塊じゃないんだから
いつかは浮くよ
明日になったら
大きな川の真ん中で
浮き輪もなしで
ドンブラドンブラ浮いちゃって
どこへ行くのか
わからないけど浮いて
うん
今度はどこへ行くんだろう
沈んで浮いて
どこへ行くんだろう
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登録日:2007年 11月 24日 05:46:58
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