2006年 11月

チョン靴

「チョン靴」とはスリッパと普通の靴の間ぐらいに在る。安くて手軽な引っかけ靴とでもいおうか。私はほとんどこれを履く。軽いし着脱は楽だし、底が薄いので車の運転もしやすい。但しフォーマルな場所には合わない。痛んだらすぐ捨てて新しいものを使う。大事にしようとも思わず、いわば使い捨てである。
こう云っちゃあなんだが、当たり前の靴も5足ほどある。だがどうも馴染まない。特にピカピカの黒靴などは、もう10年以上は履いていない。そのくせモヒカン仕様のぺったら靴は気に入っていて、底に穴が開いているが雨以外にはよそ行きに未だに使っている。チョン靴との差別は歴然である。
着る物にも同様のことがいえる。セーターはここ5,6年新品は買っていない。カミさんがなにかというと「買え買え」とうるさいが、その都度「いらないいらない」を繰り返している。毛玉があろうが袖口が広がっていようが5着を回し着し、そのほころびを楽しむ気持ちさへある。
愛着とは違う。よく分からないが、メンドクサイのだ。たかが身にまとう布ではないか。それで人格を判断したければすればいい。無頓着も人には迷惑なときもあり、たまに反省
するが、やはり基本は変わらない。
そんな中で唯一、チョン靴だけは惜しげもなく履き替えている。どうしてだろう。
気楽なのだ。田んぼの畦道でも石ころだらけの川原でも、熱したアスファルト道でも早朝の凍りついたところでも、平気で踏みしだいて痛みつけて底を減らしている。雨の日靴下まで水がしみ通っても平気だ。限界が来たら
ポイと捨てる。
自分を写しだしているようで愛しい。今日もペッタラペッタラ歩く。敬意を表してかかとだけは踏まない。

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登録日:2006年 11月 30日 18:11:27

なんという悪法

世の中は様々な「決まり」で成り立っている。家訓などと大げさでなくても、各家庭にもあるだろう。
「ひとに迷惑をかけない」
「物を大事にする」
「あいさつをする」
が、大方の家でいつも親が子供たちに言っている代表だと思う。今どきもうひとつ「関係ねーだろ」が加わるところも増えている。
国も法律に基づいて社会生活が保たれている。今どき、法律を作る人間や施行する人間が平気で破っているのも不思議ではない。
更に、国境に関係のない地域では、主に宗教と民族で繋がりが持たれている。主なものは、キリスト教徒 32.8% 、カトリック 18.5%、プロテスタント 6.4%、ギリシャ(東方)正教 2.8%、その他諸派 5.1% 、イスラム教徒 16.5%、ヒンズー教徒 13.3% 、仏教徒  6.3%、ユダヤ教徒  0.4% 、儒教徒  0.1% [宗教年鑑]となっている。

私は基本的に宗教を信じない。信じたくない。社会以外に、更に自分を縛り、神という観念的な人間関係を想うだけでうんざりする。当然、信じる人をとやかく言うつもりは全くなく、私に対しても言って欲しくない。つまり、どうでもいいことなのだ。
だが、こんな私でも下記の法は放っておけない。アフガニスタンにおけるタリバン政権の女性蔑視をなお上回る事である。

レイプ被害の女性を罪に問う「悪法」改正へ パキスタン - 国際
DATE:2006/11/22 21:20
URL:http://mfeed.asahi.com/international/update/1121/014.html

【ハッド法令:イスラム教の聖典コーランや、預言者ムハマンド(マホメット)の言行伝承で定められた罪とその罰則(ハッド刑)を明記したパキスタンの国内法で、
1,姦通(むちうち刑、または投石による死刑)
2,姦通の中傷(むちうち刑)
3,飲酒(むちうち刑)
4,窃盗(手足の切断)
5,追いはぎ(死刑など)
という5つの刑が、4つの法令に定められている。
罰則は人間の意志で変更することはできないとされる。
ハッド刑はイスラム法が定める刑罰の中で最もイスラム的なもので、それを導入することは、イスラムの教えを順守していることを明白に示す指標になることから、1977(昭和52)年に無血クーデターで権力を握った故ジアウル・ハク大統領が権力維持のため、
イスラム保守派の意向に沿って政策を推し進めた。その一環がハッド法であり、1979(昭和54)年に施行された。施行時の時点で拘留・服役中の女性は全国で70人だったが、施行後は約6000人に急増した。その多くは、レイプの被害を立証できなかった女性だという。
男にレイプされたことを女性が訴えただけで、逆に姦通罪になるような不正義を許す「悪法」とされる「ハッド法令」に対する批判が強まり、マスコミなどを通じて改正を求める声が多く聞かれることになったことから、パキスタン政府もようやく重い腰を上げたそうだが、3人もの男にレイプされたのに、それを立証するには被告が犯行を自白するか、少なくとも4人の成人男性ムスリム(イスラム教徒)の目撃者が証言することを必要とする。ハッド法令は女性蔑視のなにものでもない。死刑になるかもしれない犯人が自白するわけがなく、レイプするような場所に4人もの目撃者がいるはずもない】

特に注視すべきは「パキスタンの国内法」であることだ。宗教及び宗教心を使って権力を維持または拡大するという古来からの手法である。宗教は人心をまとめやすい。方向性をつくりやすい。はみ出す者、反抗する者、不熱心な者はどうにでも処理できる。また信じる者は競走馬の目隠しを付けているようなもので、前一直線しか視野がない。為政者や長老と称する人間にとって、これほど都合のいい状態はない。
女性蔑視というより、人間を馬鹿にした法令である。なんとか女性を目覚めさせまいとする男たちは、きっと恐ろしくすべてに自信のない人間なのだろう。
宗教は律するより前に「愛」を説くものと思っている。そうでなければならないと思う。

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登録日:2006年 11月 25日 06:19:10

身障者の武士

テレビの時代劇を観ていてフト思うことがある。
主人公のおおよそは二本差しの侍役が多く、そのどれもが颯爽としている。肩を怒らさなくても、とにかく「侍はこうあるべきだ」という役を、演出共々心得ている。ひいては視聴者の欲求に見事に応えている。西部劇のガンマンでも同様で、五体満足が当たり前だ。

何故身障者のそれがないんだろう。
現代劇でもそうだが身障者の役割は、主人公ならそれを克服して自分の夢を果たし、脇役なら状況をあらわす存在でしかない。つまりは一般健常者のキャラやシチュエイションとは絶対に並び得ない。

身障者は、昔はかなり存在していたと考えるのが妥当だ。小児麻痺ひとつをとってもワクチンもない時代、その後遺症で悩む人たちが現代より数10倍の比率で生活していたはずだ。

歴史上、ポリオと考えられる最初の記録は「紀元前1580~1350年頃、エジプト第18王朝の時代の石碑に右脚が委縮し、つま先のみをつけた尖足位の若い僧の像が刻まれていて、これがポリオによる麻痺例」と言われている。
ただし、日本ではウィルスが存在したのかどうか、それに関した記述にはあっていない。
そもそも異質を嫌い、因果関係にすぐ結びつける村社会の日本で、障害者はかなりの苦労を強いられたと想像できる。

では、武士に限って思い巡らしてみよう。そのサムライの歩く姿は非常に不恰好だったろう。

武士としての精神構造もさることながら、表現方法としてそれなりの演技は欠かせない。文武両道を備えた凛々しさ、潔さには姿勢の良さが必要である。正座一つをとってみても泰然とした左右対称を長時間続ける時もある。というより、もしデスクワークなら勤務時間中は膝を崩せなかったのではなかろうか。当時を想像するなら、主君の前で胡座をかいたり屁をこいたりしていたのでは即「不忠義者」としてお手討ちもあっただろう。

参勤交代に参加できただろうか。多分なかったに違いない。本人の熱意があっても家老あたりが認めまい。
そりゃそうだろう。外見の姿見が乱れること、すなわちその藩の格式に直結するからだ。良くも悪くも様式美が生活感覚を占めていた。「シタにー、シタに」と整然と宿場入りする供揃えの中に、列を乱す者がひとりでもいたら駄目なのだ。
横並びの風習が、個人の能力を認めるより優先されたのだが、現代でも日本的な根源に残っている。

もし右足が不自由だったらどうなるか。
ヤットウ(剣術)の場合、右足の踏み込みが出来ない。正眼に構え左足で思い切り蹴って飛び込もうとしても支える右足がぐらつき、少し後ずさりする相手には刃先は届かないだろう。ばかりか、前のめりになったところを肩口に叩き込まれる。相手を待つしかない。相手が出たところを左に飛んで逆胴を入れるか、撥ね返して突きを試みる。どちらにせよまともな立ち合いは無理だ。
なんらかの利点を使うしかない。生まれつきの障害なら2,30年経てばおのれの体になりきり、充分コントロールできる。弱者を装い、計算した隙をものにすれば、それなりの剣法が出来よう。特に上半身を意識して鍛え抜き、人一倍に剣のスピードを会得する。剛剣を用いて射程内に入る武器をすべて払いのける。左足を中心にした「遠心力流」を打ち立てる。
加えて居合い抜きを徹底して自分の型に取り入れるべきだ。
更に大切なのは「心構え」である。
約400年前、現在の山形県村山市林嵜に林嵜甚助源重信という人が開眼したといわれ、自ら居合抜刀術をあみ出し、神明夢想流、林嵜流、重信流と名付け、これらが居合技刀術となった。古武術なので、以来かなり全国的な広がりを見せたと想像できる。

  抜かば斬れ、抜かずば斬るな、この刀
      ただ斬ることに、大事こそあれ
                   (居合道の精神)

居合の極みは「待つ」にあると思う。
相手が切りかかった瞬間にのみ、その価値が問われる。

中でも、田宮流の「三本目回り掛け」は、『数歩前へ進み出て、左足の出たとき、その足を軸に左に向きを変え、右足を左足の後ろに開きながら、敵の胴を切りつける。右足を左足に退き寄せながら、右から振りかぶり右足を踏み込み真向うから切り下ろす』とある。
身障武士は必然的にこの流れになっていったのではないか。

最も思い浮かばないのが「普段の生活」だ。

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登録日:2006年 11月 14日 03:16:06

「たかり」は犯罪

TITLE:たかり、別の女児にも…北九州のいじめ隠し : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
DATE:2006/11/13 07:59
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061111it13.htm

金銭のたかりはイジメではない。犯罪である。子供だから、同じクラスだからといって、断じてイジメでも金銭トラブルでもない。立派な恐喝であり、もし暴力が加わるなら強盗事件である。社会も学校も先ずこれをしっかり認識すべきで、被害者の親は警察に訴えて立件に値する事柄だ。シカトや意地悪では済まない犯罪ととらえなければならない。

「ちび、デブ」と罵られ、教師がその訴えを切実に聞くならば、罵った子供を徹底して矯正するべきだ。
今の教育界は、ダメ教師、バカ親、役立たずの教育委員会という三すくみ状態だが、その頂点に立つ文科省の具体案がほとんど出てこない。コメントのためのコメントといって悪ければ、保身のための訳の分からないムニャムニャである。基本は、先ず加害者の根を絶たねばならない。そこから出直してみてはどうだろう。加えて、税金食いで意味のない教委のシステムを人事の中身から換え、実効性を持たせなさいよ。バカ親とその子供の「教委に訴えてやる」ではない保護者によるチェック機能を持たせないと、地方の役人の居心地のいいクラブは無くならない。

「いじめられる方も悪い」
冗談言うなと言いたい。この理屈でいくなら、「殴られる方も悪い」「盗られる方も悪い」「殺される方も悪い」も正当化しようという今様の変な理屈を認めることになる。何事もどんなことも加害者の行為は卑怯であり残虐である。交通事故で、保険会社が責任分担を7:3などと決めることと次元が違うのだ。加害者側の、イジメに至るまでの心理的葛藤や家庭の事情は、被害者にはなんの関係もない。「いじめやすかったから」「からかいやすかったから」の先が「脅かしやすかったから」「殺しやすかったから」にならないと誰が言えるだろう。

以前「何故人を殺したら悪いのか」という質問に答えられない教師が居たと聞く。これは禅問答でもなんでもない。私ならこの質問者に「では、君は殺されたいのか」と訊くだろう。「殺すことは悪い」に理屈はないのだ。自分の身に置き換えれば答は簡単だ。同様に「何故人をいじめたら悪いのか」には「それじゃあ、君を徹底的にいじめてやろうか」と答えるべきだ。いじめられている側の苦悩など分かりはしない想像力欠如をなくすには、何らかの疑似体験が必要だろう。子供の人権は大人と同じように、仲間の痛みを知ることから始まる。弱い子をいじめておいて、ビンタを喰らって、そんなときだけ「人権」だの「訴える」だのと言わせているのが現状のようだ。

保護者または第3者の授業参観も常態化するべきである。行事のような父兄参観は、多分学校の義務として決められているのだろう。しっかりした人選の元に、退職者でも主婦でもいい。特に、崩壊と言われているクラスを重点において、教師共々知恵と愛情を出し合い、「授業中はなにがあっても席に着いている」からはじめて、バカ親のしつけも兼ねてやり直してみてはどうか。
公立の学校を指導運営する文科省の役人の子供は私立に入れない位の通達を出して、公立学校に真面目に取り組む姿勢をつくるーという、本当に成熟した大人の頭を持った役人つくり教育?もしていかなければならない。なんともお粗末な国になったものだ。

TITLE:校長が自殺、児童のたかり行為を正確報告せず…北九州 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
DATE:2006/11/13 07:57
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061112i112.htm

逝去には哀悼の意を表するが、自殺に対しては教育者というより情けない大人という感覚しか持てない。
子供たちのために「ぶつかっていこう!」という気迫より、「ああ、どうしよう。教委や父兄になんと言おう。おれはどうしたらいいんだ」心理になってしまったのか。支え合う家族が居なかったんだろうか。聞いてくれる仲間はいなかったのか。教師、教委、地域はなにをしていたんだろうか。一体「たかり」をしていた子供の親はなにをしていたんだろう。昔の校長先生はどこへ行ったんだろう。

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登録日:2006年 11月 13日 17:28:10

「厳」がない日本

株式会社ってのは、出資金の多い人ほど発言権がある。
年に1回、株主総会が開かれ、儲かっていたら良いが、損をして配当が少ないと会社は文句を言われる。社長以下取締役の責任追及で紛糾する。そこに現れるのが総会屋である。近年かなり薄れてきているが、国際的に見るとそれどころか、いよいよ存在感を増してきている。中国とロシアである。
国連という世界の株主総会で、ろくに投資もしないクセにやたら大きな顔をして、「社長退陣!」とか「断固拒否!」あるいはごり押しと、やりたい放題である。最たるものはアメリカだが、分担金の率に関してはまあまあだ。

アメリカ22.0%、日本19.5%、ドイツ8.7%、フランス6.0%、中国2.1%、ロシア1.1%
これが分担金の支払い率だ。
デカイ面をしている中ローなんだ、この異常な低さは。文句を言う割には合わせて3.2%とはどういうことなんだ。ガッポガッポと環境も考えないで金儲けに専念するだけで、「町内会費なんて馬鹿らしくて、こんなもんでいいんじゃない。日本の馬鹿みたいに、払いたいやつが払えばいいんだよ」と、何故ふんぞり返って居るんだよ。常任理事国はアメリカ並に20%ずつ負担、とまでは言わない。どうせ狡っ辛い中ロのことだ。余計に手が着けられなくなるに違いない。ならば、常任と非常任を一緒くたにして、持ち回り当番制にし、5%負担の20カ国委員会を作ればいい。日本国は未だに戦敗国として登録されている。それが何故19%の分担なんだ。政権及び外務省は「日本は金だけ出させておけばいいという国際世論」を自ら作りあげ、継続させているきらいがある。日本国民の多くが貧乏になった今でも、むしり取った税金を惜しげもなくばらまいている。冗談じゃない!所得は減る一方なのに、何故他国や国連の面倒を見なくちゃいけないんだよ。役人たちがまともならまだ我慢できる。国・地方問わず、ク○役人のやりたい放題はなんだ。なんでこいつらの面倒まで、乏しい収入から見なくちゃならないんだ。「やることはやらない、やらなくてもいいことをやって赤字にする、ろくな考えもなしに計画を立ててひたすら予算の消化に日々専念する」連中の存在さへイライラするのに、出来上がり寸前のサハリン2をかっさらうプーチンに、結局はなにも言えない。イランの経済制裁だと、アメリカの言いなりになって80%の権利を10%にしてしまったプロジェクトに文句を言わない。中国の尖閣あたりの行動にも、小声でこちょこちょ「抗議します・・・」を繰り返すばかり。つまり、いわゆる国益に全部反する行動しか私は見ることが出来ない。ひとつくらいまともにぶっつかって、いい加減に気概を示して欲しい。結果はどうあれ、厳たる行動を見せて欲しい。

TITLE:中露反発で…日本政府、国連分担金算定見直し案を提出 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
DATE:2006/11/09 05:58
URL:http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061108ia23.htm

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登録日:2006年 11月 09日 08:58:05

単に「核」と呼ぶな

北朝鮮の原爆実験以来、政府自民党内で麻生外相や自民党の中川昭一政調会長から「原爆を持つか持たないかの議論はするべき」という発言があり、政府内でも二階国対委員長あたりから「閣僚は原爆について発言するべきではない」などと揉めている。
私は敢えて、核を原爆と表現している。いつの間にかAtomic bombがNuclear bombと言い表すことが多い。確かにNuclearは原子核の意味があるらしいが、やはり今まで通りに「原子爆弾」と、より分かりやすくごまかしの利かない言葉が適切と思う。核というと私なんざ単なるコアとしか受け止められない。「爆弾」というおどろおどろしい呼び名を付けてこそ、慎重な言い回しになると思う。簡単に核核とあっちでもこっちでも言っているが、そのせいか説明するのに「カクカクしかじか」なんていうおやじギャグにしかならない。原爆の話なのだ。中心部は一瞬にして消え去り、周辺は皮まで剥ける重い火傷、加えて永い間水や土壌が放射能に汚染され、子々孫々後遺症に苦しむ、あの原子爆弾なのだ。

この原子爆弾について、先ず論議するべきは国連常任理事国=原爆を持つ国のいい加減な態度だ。自分たちの都合で「こいつは持つな、おまえは持っていい」と決めている。テメェたちがたんまり原爆を溜め込んでいることを棚に上げて、テメェたちの都合でルールを決めたり破ったり、やっていることは北朝鮮と変わりない条約破りだ。守りもしないで取りあえず批准してその場をごまかす。国内外を問わず、世界中がモラルハザードに陥っており、テロの原爆使用危機状態をも生み出しているのだ。

私は原爆で脅かされたくない。原爆は抑止力
などと建て前で治まるはずがない。最大の脅しの武器が原爆である。使うか使わないかはその国の最大決定機関が持っているが、私には甚だ心もとないあやふやな状態に見える。ソ連崩壊後の無責任国家ロシアからの原爆製造情報及び技術者の流失ひとつを見ても、人間がいかにだらしなく、目先だけの金で動くかが証明されている。またモラルより主義で動く団体に至ってはもっと始末が悪い。恐ろしく狭い視野で物事を判断したがる狂信的な宗教になるともっと恐い。
国対国のやりとりなら、「敵」という定義が明らかなので当事者同士の報復戦ー和解という形が成り立つが、テロリストは単なる集団
だ。テロ国に居るのではない。あらゆる国に身を隠して、無差別に自分の欲求のみで行動するヤカラである。この点では”不拡散”に賛成だ。

【潘次期国連総長、日本の核保有論議に憂慮 - DATE:2006/11/07 05:18
URL:http://www.asahi.com/politics/update/1106/009.html】

国連はこんな憂慮より、もっと有効かつ現実的な手段を推し進めるべきである。格好付けて「平和の希求」ばかり並べ立てても、結局は常任理事国連中のごり押しには勝てない前例ばかりではないか。
日本に関しては、日米安全保障条約に基づく「核の傘」有効論を世界に広めればいい。日本自体は原爆を持たなくても、アメリカ製が国内に現存していることを大いにアピールするべきだ。
また中国は北朝鮮と「中朝友好協力相互援助条約」を結んでおり(45周年)、その第二条に『両締約は,共同ですべての措置を執りいずれの一方の締約国に対するいかなる国の侵略をも防止する。いずれか一方の締約国がいずれかの国又は同盟国家群から武力攻撃を受けて,それによって戦争状態に陥つたときは他方の締約国は,直ちに全力をあげて軍事上その他の援助を与える』とある。どこかの国が北朝鮮に攻撃を加えれば、中国は自動的に北朝鮮を軍事的に助けるということだ。例えばそれが原子爆弾使用ならば、中国は発射国に報復原爆ミサイルを撃ち込むことになる。日米安保条約と同様の内容を持つわけで、これならば北朝鮮は自ら原爆を持たなくてもいいことになる。中国の反対にもかかわらず何故北は持ちたがるのか。それは抑止ではなく、攻撃的恫喝が目的と考えるのが自然である。北が中国にお願いして「日本が気に食わないのでちょっと原爆で脅かしてくれ」といっても、反日標榜の中国とはいえ、さすがに「分かった」とは言わないだろう、今のところは。

日米安保と中朝条約を推し進めていけば、取りあえずは原爆保持や製造の大義がなくなる。国連はただ「憂慮する」などという意味のないセリフはやめて、以上のような現実路線を推し進めるべきである。アメリカ、中国は保有国としてこれらを含めた国際的な責任を担う責任が充分ある。

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登録日:2006年 11月 09日 05:17:13

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