2006年 12月
大晦日
12月31日は大つごもり。この1年を振り返ってナンタラカンタラ言うべきなんだが、まったく思い浮かばない。時系列に事を並べ立てても意味がないし、反省することも自慢することもない。喰って飲んで時折キーを叩いてホケーとして、運動せず、良いことも悪いこともせず、内臓脂肪蓄積症候群に達し・・・。あ、強いて言えば二つぐらいあった。
ひとつは「私のマザーフード」に入選して、1月大雨の日に渋谷シダックスで会食したこと。もうひとつは講談社の「良い夫婦の日」に入選して、4月に品川で会食したことである。おかげでタダで2回も上京できた。あるサイトのオフ会も企画実行したし、級友にも会えた。新宿ではひさしぶりに飲んだし、カミさんも満足していたようだ。
そんなことより最近、納豆のトッピングに悩んでいる。小泉武夫博士を尊敬する私としては不甲斐ないばかりだ。
ありきたりだが、タマネギを工夫してみる。
細切れにしてひとつまみほど加える。辛味が結構あって匂いも強い。血がサラサラになるらしい。納豆の効能は「血栓が溶け血流がよくなるーだから夕食に食べたほうがいいといわれる。骨を丈夫にする。大豆タンパク質。大豆レシチン。大豆ケポニン。」などとありがたい栄養素が並ぶが、わたしは好きなだけで、美肌、老化防止、スタミナなどが勝手に付いてくるのが現状だ。やはり意識しなくても年代で健康への配慮が働くらしい。その割には運動しなくなった。元々体を動かすのは好きだったが、朝ストレッチするくらいで、運動量の激しいバドミントンも相手が居ないのでやめたし、木刀やバットの素振りもしない。先日カミさんにウォーキングとやらに付き合わされ、悪い右足を引きずりながら歩いたが、収穫は川柳一句だけだった。
先歩く 妻の尻見て 冬元気
まだまだ衰えないスケベ心が芽生えるのも納豆の所為だと信じて、来年も納豆をズルズルネチネチと食すると致すか、ふわっふわっふわっふわっ!(時代劇を見ながら書くとこうなる)
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登録日:2006年 12月 31日 15:38:46
ノリミツ・オオニシさんの不思議
ニュースメディアはなによりも事実に基づいた偏向のない記事を伝えることが当然と思ってきたが、最近は「主張」という形で偏りを正当化する傾向がある。そのいい例が下記の記事に登場するノリミツ・オオニシ氏の話だ。
NYタイムズ 拉致問題「右翼扇動」記事 政治的偏見による日本批判|米国|国際|Sankei WEB
DATE:2006/12/29 05:48
URL:http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/061228/usa061228001.htm
このニューヨーク・タイムズのノリミツ・オオニシ東京支局長は、北朝鮮の広報係なのだろうか。まるで同国の主張そのままを転記しているようだ。ごく当たり前な批判はトーマス・スニッチ氏にまかせるとして、NYT紙という世界的な新聞が恥もなく支局長としてこういう人物をよく雇っているものだ。
いくら朝日新聞社内に支局があるとしても同じ様な感覚になる必要はなかろう。NYT紙は結構名前は知られているが、こんなものを載せているとはその姿勢は推して知るべしである。欧米紙にはまだ見かける「メガネ、デッパ、カメラ、フジヤマ、ゲイシャガール」という日本感から抜け切れていない。理由のない優越感を基に「天下のNYTが書いているのだから正しい」という馬鹿げた結果を世界に晒している。羞恥心があるのだろうか。
ノリミツ・オオニシ東京支局長は帰化コリアンで、日本とカナダの国籍を持つという。調べるほどにかなりの反日嫌日感情を持っている。それは構わない。私とて中韓露は大嫌いだ。しかし私はジャーナリストではない。第三者の目は持つが、嫌いなことは嫌いと常識の範囲内で言える一般人だ。凡人としては飽き足りない感情の発露を、読まれるかどうか分からないこうした場を借りて書きなぐっている。
最も疑問に思うのは、彼のような強烈な反日思想を基に記事を書く人物を東京支局長にしているNYTの姿勢だ。へえ、ジャーナリズムとはこんなものかと、残念ながら権威を疑ってしまう。読むほどに私の首はうなだれていった。読むに堪えず目が寄ってしまった。もしこれが、NYTの肩書きなしに書かれていて、人々の共感や好奇心を得るならば、私は心から脱帽するだろう。
最近のアメリカの理屈に合わない正義や、そこから発する武力行使という虎の威を借りて「正論」と言われても、メッキの剥げた金時計のようにみすぼらしい。北朝鮮の立場をとってもいい。ならば最も敵対するアメリカにも堂々とモノを言っているのだろうか。さして興味も語学力もないので確認できないが、非常に疑問である。記事の基本に弁証法があって当然だが、あまりにも一方的でバランスが取れていない。
以前、知人で○○トリビューン記者がいたが、先ず多くの普通の日本人との会話から意を汲み取り、それに政界や社会の動きを重ね合わせて書いていた。とにかくよく討論した。言い争いもあったが、理解の前提としてだ。蛇の道は蛇といった専門的な知識はないが、おかしいモノはおかしいという判断力はあるつもりだ。
右翼に対してよく左翼と言うが、これを果たして「リベラル」というのだろうか。私には右翼席でも左翼席でもない、とんでもないファール席が最も当てはまると思うのだが。バックネット裏に打ち込んでもそれを「ホームラン!」と、NYTは評価しているとしか見られない。やはり巷で言われるようにランクがかなり下がった新聞なのかも知れない。
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登録日:2006年 12月 29日 11:45:27
パロデイにもならない哀しさ
ー原作ー
〔雨ニモマケズ〕 宮澤賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
〈原作の詩の意を汲むのなら下記のような内容になると思うが、それもかなり俗物のなれの果てで、とても宮澤氏の心境に達するものではない)
增税にも負けず 減給にも負けず
無駄遣ひや汚職にも負けず 市民の義務と權利を忘れず
儉約して 決して媚びず いつも靑い空を仰いでゐる
日に納豆と味噌汁と少しの標準米を炊き
その他は 慾をかゝないで
精確な情報と判斷を 心掛け
驛から遠い築四十年の カビだらけの公營住宅に住んで
日曜日には公園で ボランティアの草取りに參加し
月火水は夕刊配達で カンボジア孤兒に送金し
木金は 外出できない老人の話し相手になり
土曜日には 妻と喧嘩せず靜かに過ごし
赤字の時は公園で日向ぼつこをし 持病が出たらあわてゝ病院に行き
まわりからは要領が惡いと云はれ 無視されても なんとも思はない
そんな人に 私はなれるだらうか
〈それどころか、現実に則してあからさまにしてしまうと次のようになるのではないかと恐れている〉
年にも負けず 病氣にも負けないで
注射や藥に賴つて なんとか健康を保ち
食材はなく 決して満腹せず いつも腹をすかせてゐる
日にカップラーメン三個とパン二個と焦げ飯を少し食べ
どんなことでも 先づ自分のために
得することをしつかり頭に入れて メモしておく
ボロアパートの北向きの カビの生えた部屋で我慢して
東にバイトがあれば なんでもやつて稼ぎ
西にボンヤリした奴がゐれば 押しのけて仕事を奪ひ
南にパートを辭めさうな人がゐれば さつさと辭めろと云ひ
北に爭ひがあれば どんどん毆り合へとけしかけ
喰へなくなつたら他人にたかり 貧乏には慣れてゐると強がり
まわりにエゴイストと言はれながら それがどうしたと平氣になり
さういふ人間に わたしはなつていく
〈まったく、デブの体と反対に日々心がやせ細り、脳細胞の死滅が増えるに従って守備範囲がどんどん狭まって、自分のことに精一杯で、主張だけで対話が無くなっていく年寄りにだけはなりたくないものだ〉
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登録日:2006年 12月 28日 04:25:14
「ドキュメンタリー作家の仕事」という本
先日お話しした本が昨日届き、早速読んでみました。
勿論わたしは映像作家でもテレビ局勤めでもありません。あまりテレビも見ない方で、例外としては、これぞと思うドキュメンタリー番組を録画し、暇なときにビデオ鑑賞しますが、とにかくいい加減というか我慢が足りないと言うか、面白くないと思ったらドンドン早送りしてしまいます。
そんな人間が、友人が書いた本とはいえ2300円+消費税を出して、何故amazonに注文したのでしょうか。
本の帯なんです。ここには「NYの犯罪地帯」とか「カンボジアの難民区」などと書かれており、大きく「実践的撮影術!」とも記されています。一見センセイショナルな見出しですが、机上ではなく、あくまでも現場で実際にドキュメントを創り上げていった男の思いがこもっています。
面白かった理由のいくつかをあげてみます。
1,60近いエピソードが紹介されている。単に書き連ねているだけではなく、一本一本のつくる過程、姿勢、試行錯誤などが具体的に記されている。
タイトルのいくつかを列挙しました。
ポーランド人アレック NYゲットーの星ビンボウ 刑事キャラハン 阿武隈の琵琶法師 闘牛士ゾロ 石原カンボジア難民取材でのトラブル 慎太郎氏の思い入れ 老人駆け込み寺の別れ アボリジニーと夕日 長峯ヤス子の場合 女優左幸子の思い入れ 飛べ!愛しの大五郎ー奇形猿の突然死 etcetc
よくもまあ、あっちへいったりこっちへ来たり、身の危険や喧嘩もかなりあったようで、それだけでも結構面白いですね。
2,「ですます」言葉で、とても分かりやすい文章。
3,より鮮烈な映像を撮るテクニカルな手法も理解できる。(素人のビデオ撮影にも利用できる)
4,ドキュメンタリー映像作品をつくる上での心構えやノウハウが具体的に書かれている。
本来映像を語る場合は映像を観なくてはなかなか分からないものですが、ていねいで適切な文章が充分役目を果たしていると思います。著作権の問題もあるので実際の映像を使えなかったこともあるでしょうが、写真による比較が為されていたらもっと面白かったろうなと思いました。
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登録日:2006年 12月 27日 09:23:16
貧乏ーつくられる格差
貧乏人の一人として「貧乏」という言葉に興味を持つようになった。というより、持たざるを得ない状況に置いていると言った方がいいのかも知れない。
どうもしみったれた人生観から離れることが出来ず、1流より2流、それより3流に興味を持ち、向上心のないこと甚だしい。昔から強いやつカッコいいやつに反感ばかりで、「あいつみたいになりたいなー」がない。ひっくり返せば妬みなのかも知れない。社会生活からすれば損な性格である。
それなりの収入を得ても管理する気がないから金が貯まらず、湯水のように使った憶えもない。なんとなく無くなってしまうのだ。そして年老い、気が付けば金がない。奮起してなにかすればいいのだろうけれど、メシだけはそこそこ喰えるのでだらけてしまう。
貧乏ービンボー。ん、やはり良い響きではない。しかし金持ちーカネモチもあまり良いサウンドとは思えない。
貧しさに
飲みつ喰らいつ 過ごす糧
空の碧さと 風のやさしさ
これでイイと思ってしまう。
わたし一人だったら時には米櫃が空になっても即席ラーメンで平気だが、連れ合いがいるとそうもいかない。ここが貧乏に徹しきれない切なさである。風呂も三日に一度でいいが、カミさんは毎日入らないと気が済まないし、10年越しの衣類でも構わないが、これも適度に新しいものを着させられる。いくら亭主が「貧乏貧乏」と目指しても女房が邪魔する。金銭やモノが「無い」次元が昔と違うらしい。そう言われたらそうだわな。スッカラカンという原則が通じない。適度にあって適度にないのが今風の貧乏定義かもしれない。だから世界からみれば日本は裕福な国になり、東アジアからあの手この手で潜り込んでくるのだ。アメリカなんざ、これでもかと次々にむしり取っていく。だから超大国を保てる。国の役人や役人もどきも同様、税金をむさぼり食うことをおのれの生業にしている。それを推し進めているのが政府の予算に対する姿勢だ。代官とその手下が百姓から共に絞り上げている。手下の抵抗に手も出ないのは当然だ。そうだろう。百姓は困っても、自分が出す金ではないから、仲良く手を結んでいるわけだ。心の貧乏なやつほど金に執着する図式がはっきり見える。
喰えるから言うのだが、昔の貧乏は味があった気がする。本当は厳しい生活なのだが、今の中途半端なぬるま湯の様な、どこか甘えた「おれは貧乏じゃない」感覚ではないのだ。
飢えに怯えながら、継ぎを当てた服を着ながらも貧乏を主張しながらも、一種の「凛」があった。江戸っ子の開き直りの気持ちよさがあった。わたしはそれに憧れているのかもしれない。
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登録日:2006年 12月 25日 05:06:45
ネチネチ男が増えた
ネチネチ男が増えた
「去る者は追わず」は生きる上でのスタンスの一つになっている。悪く言えば、粘りがないということだ。事実、執着心がもう少しあれば好転したであろう事柄も思い当たる。言い訳をいうなら、仕事は別である。簡単に妥協しなかった。上司から言われたから、矛盾を感じても指示に従うという「長いものに巻かれろ」はなかった。おかしいと思ったら結構粘っこく食い下がったものだ。
それに反比例して、私生活はあっさりしている。特にカミさんへの対応は、先ずオソレがあり、加えてメンドクサイので、唯々諾々と認めることにしている。少なくともここには暴力はない。カミさんの多少居丈高な物言いはあるが、それなりの理由があるから仕方なかろう。
もしカミさんが「別れたい」と言いだしたら、一応理由は聞くが、互いに新しい展開が可能とあれば四の五の言わず認めると思う。60才も半ばになれば、燃え盛るような恋愛感情から馴れ合いの楽しさを味わう心境になっている。枯れるというのかな。互いにしがみつく理由がない。経済的には年金を半分コするので苦しくなるだろうが、それよりも残り少ない時間の方が大切なのだ。そんな中でたまにはメシでも喰う間柄が良いのではないか。
年代は違うにしても、近年ねちっこい男が増えてきたようだ。
ストーカーという範疇は難しい。高校時代、他クラスの女の子を好きになった。この年頃、想いは募るがどう相手に伝えたらいいのか分からない。付け文も悪くはないが、果たして自分の気持ちが表現できるか。口で告白なぞよけいに難しい。しかし気持ちはいよいよ溢れるばかりである。私も彼女の家の近くまで押しかけ、垣根越しに2,3回様子を伺ったものだ。気持ちの発露が理性より大きくなるのがこの年代の特徴でもある。これはストークしたことにならないと思う。行動もここまでで、ピークは過ぎ去り、後日彼女から声をかけられてもなんの感傷も沸かなかった。これも不思議である。諦めの早い性格なのか、偽装恋愛なのか判断は付かない。しかしまとわりつかなかったのは事実で、振られても別れてもグズラグズラはしないようだ。
元彼や元亭主と、セパレートしたはずの人間関係にある男が、未練の塊になって様々な暴力行為を起こしている。障害はもとより殺人となるとなにをか況わんやだ。
「おまえ、ふられたんだろ?あきらめろよ」と言いつつ、そんな記事を見るたびに(男も廃れたもんだ)と思う。今では男も女もなかろうが、少なくとも男は潔さを持って良しとしたい。何故こうもネチネチした粘質タイプが増加したのだろう。教育と世の風潮なのだろうか。
DV防止法適用の夫、別居中の妻刺殺…徳島で緊急逮捕 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
DATE:2006/12/23 05:24
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061222i515.htm
年代も少しは関係しているのかも知れない。私たち夫婦は互いに60才代半ばだ。熟年離婚とメディアあたりが騒ぎ立て、それに乗っかる人も出てきている。年金折半など行政も動き出している。子供は独立し、これといった目的もないまま日常生活が流れていく。安穏な日々も悪くはないが、少しでもなにかを「求める」気持ちのある人は物足りないに違いない。少なくとも私には、そんなことに向けるエネルギーはない。他のことにネチッこさを発揮しているので、痴情のもつれ(いやな言葉だね)も毛糸のもつれもありゃしない。スパッと生きたいね。
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登録日:2006年 12月 23日 11:37:29
はみ出し
世にいうメンクイが居る。イケ面を好むことではない。
この年になるとメンにうるさくなる。。どんなメンになにが合うのかにもうるさい。。
ソバに始まりウドンキシメンヒヤムギソーメン、キシメンタンメン、スパゲッチィ。この麺喰い。今まではソバは盛り蕎麦に限っていた。余計なものは要らない。単純でこそ味が分かるものだと、変に通ぶってしたり顔をしていたが、最近は結構オカメだ鴨だと言うようになった。
だがひとつ納得しないことは、麺の上にやたらと豪華なトッピングをする傾向だ。
北海道あたりじゃラーメンの上にカニやホタテ、エビ、魚介をはみ出すほどに入れて出すところがある。ラーメンの本体を覆い隠して邪魔ッ気なやつを乗っけているやつ。海鮮ラーメンだっけ。
あれ、上から順番に片付けていたら肝心の麺が伸びっちゃう。見た目すごいけど、どう考えてもおかしい。最初から別々にすればいいといつも思うのだ。
麺じゃないけど、浅草大黒屋のエビ天丼もドンブリからかなりはみ出している。ふたも閉まらない。
「こんだけサービスしてんだ、どうだ!大きいだろ」とアピールする気持ち、分からなくもないけど、喰う方はかなり苦労する。
だったら最初から収まるくらいの大きなドンブリ鉢を使えばいい。
「ご飯の量が増えるからやらないわよ」とカミさんは云う。「家であんなの、出来ないかな」とたずねると「文句云うわりには食べたがるのね。いいわよ、簡単よ」ときた。
1時間ばかりすると「出来たわよ」と呼ぶ。「ヘヘヘ、はみ出しエビ天丼。早いね」と見ると、確かにはみ出している。
メシは湯飲み茶碗に盛られ、アジ天が乗っかっている。うーん・・・。(うそ)
先日福岡市へ行った。
野暮用が終わり、昼飯を喰おうと見渡すと、一軒のうどん屋があった。正直うどんは好きではないが、ほかに店がない。
入ると、あった。はみ出しメニューがあった。うどんの上にアナゴがドーンというかベロッというか長々と横たわっている。澄んだスープの上に金色に輝くアナゴの天ぷら。
隙間から先ずは汁を一口。うどんを数本頂いたのち、端からバリバリとアナゴに取りかかる。揚げ方がいい。衣のとんがり具合もいい。ウナギよりあっさりしているとは聞いていたが、そうでもない。素うどんに合う適度なしつこさがある。この組み合わせは悪くない。ソバよりうどんと相性がいいようだ。
それでも、はみ出しは賛成できない。
先日テレビで、江戸時代のにぎり寿司は今のおにぎり位の大きさだったと言っていた。それでは女性の小さな口に合わないと一口大になったらしい。海老などは握りこぶしから頭と尾が出るくらいのものが基準で、シャリよりネタが大きいと「お引き摺り」と馬鹿にしたと聞く。見た目よりも味と食べやすさで勝負して欲しいものだ。
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登録日:2006年 12月 21日 08:27:57
水
水
「もし日本で水資源事業が民営化されたら?」
【切羽詰っていないようでそこまで来ているコトがある。地球船で最も危機的状況にある水資源だ。
水なしではいかなる生物も生存できない。こんな当たり前のことが現時点の日本ではあまり認識されていない。河川や水道など日本の淡水は公益として扱われている、今のところ・・・。
水は生活に最も基本的な条件だが、もし今後、水資源開発公団が構造改革の中に組み込まれ、民営化などと政府が言い出したら大変なことになる。
2000年に南米ボリビアで起きた「水資源の民営化」が問題になった。アメリカ水道企業大手がコチャバンバ市と民営化契約をした。その前提には国の負債600万ドルを免除し、世界銀行やIMFが何らかの援助をするという約束があった。
だが彼らはすぐ正体を表した。料金を40%から300%引き上げ、他都市の小規模な水道の所有権を取り上げようとしたのだ。
その企業と密接だった時の政府はこれらに関する法案をごく短期間に成立させた。しかし住民たちは立ち上がり結果として国はそれを破棄したが、そのツケはいまだに重くのしかかっている。
世銀、IMFなどは現在欧米企業とともに、負債に苦しむ12カ国で同じような行動を進めている。その大半がアンゴラやガーナ、ホンジュラスなど小さな国々だ。負債を減らすために民営化し、効率を上げて収益を増やす目的の一環だが、貧しい人たちは生きる最低条件の水を得るためにとてつもない苦労を強いられているという。
現在の60億人から、2025年には80億人と世界人口の増加が予想されている。半面、淡水の絶対量は決して増えることはない。当然、食糧供給率は減ることになるだろう。
今のところ日本は備蓄も含めて米不足になることはない。水が絶えない田んぼは、いい加減な農政にしても秋には豊かな実りをもたらす。だが熱量換算の自給率が40%の日本はいつまで「瑞穂の国」でいられるだろうか。
人体は約60%が水分で、12%の水分が失われると死に至り、2%でのどが渇く。水資源はどの国も決して民営化してはならない。水で人々が管理されてはならない。地球上の生物すべての共有財産を、企業の利益対象として扱ってはならない。今の地球の乾きは既に5%以上になっているのではあるまいか。
水資源は最大の公益として、民営化は絶対避けなければならない。】
以上は、私があるサイトで書いた2003/11/17 の内容だ。
人間は水なしでは生きられない動物だが、それを忘れたかのような行動をなお続けている。
【「砂漠と砂漠化に関する国際年」、具体的な方策打ち出せぬまま幕を閉じる - アルジェリア
国連(UN)が「砂漠と砂漠化に関する国際年(International Year of Deserts and Desertification)」と定めた2006年も終わろうとしている。地球上の居住不能地域の拡大と、気候変動による移住の増加への新たな警告の中で、「砂漠と砂漠化に関する国際年」が終わりを迎える。
アルジェ(Alger)ではこのほど、砂漠化に関する国際会議が開催され、25か国から200人の専門家が出席した。国連大学(UN University)のハンス・ファン・ヒンケル(Hans Van Ginkel)学長は、人口の増加と気候の変動に起因した砂漠化は、地球規模の問題になりつつあると指摘する。
■ 砂漠化は世界平和の脅威
同会議を主宰したアルジェリアのアブデルアジズ・ブーテフリカ(Abdelaziz Bouteflika)大統領も、「今や砂漠化は中国、カナダ、ブラジルを合わせた面積よりも大きい、地表面の3分の1にも及んでおり、世界平和の脅威にもなっている」とし、1992年のリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)地球サミット(Earth Summit)における「砂漠化防止条約」にもとづき、世界各国の一層の協調と努力の呼びかけた。
砂漠化に瀕している地域には、現在、約20億人が居住している。国連大学によると、気候変動による移住者の数は、今や、政治難民の数を上回っているという。
砂漠化は50年前から世界的な問題となっているが、資金不足のため対策は進まず、事態は年々悪くなるというのが現状である。砂漠化の速度を正確に予測する体制も整っていない。
■ 肥えた土地を作るのが重要
オハイオ州立大学のRattan Lal教授は、砂漠化の防止策のひとつとして、「植物や、動物の糞を燃料にしている発展途上国の貧困家庭では、クリーンな燃料に変える必要がある」と提案した。土壌に必要な腐葉土、栄養を使ってしまっていると同氏は指摘する。
また、開発途上国における土壌の質の向上に年間20億ドル(約2360億円)を費やした場合、年間2000万から3000万トンの食料増産が可能になるという。これは、年間の人口自然増加分の食料をまかなえる量だという。
国連大学のアフリカ天然資源研究所(Institute for Natural Resources in Africa、本部:ガーナ)のKarl Harmsen所長は、アフリカ大陸全体で土壌の劣化が進行した場合、2025年までにアフリカの全人口の25%しか食料が行き渡らない状態に陥ると警告している。】(アルジェ/アルジェリア 18日 AFP)
更に、【2050年にアジアの10億人以上が水不足|話題|社会|Sankei WEB
DATE:2006/12/18 18:23
URL:http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/061218/wdi061218000.htm】と続く。
加えて核保有に目を血走らせ、核大国と威張り、先進国、発展途上国などと線引きしているが、同じ地球船に乗り合わせていることを忘れて、自分の船室面積を脅したり乗っ取ったりして無理矢理広げたり、他より便利で贅沢な造りにしたりしているだけである。ほんの50年先には沈没するかも知れない船体に、なお穴を開け続けている。人間のせいで他の生物がどれくらい迷惑しているのか、その警告さへ、特に「権力」という小さなことにこだわる指導者は無視し続けている。
人口の増加、温暖化、気象の変化、砂漠化、水の枯渇、水をめぐる戦争、原爆使用、放射能汚染、死滅という筋書きの台本は、いよいよ現実味を持ち、いつの間にか”死神”が得意気に鎌を振り上げながら演出しているようだ。
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登録日:2006年 12月 19日 05:27:41
サハリン2で1兆円要求
そもそもヤクザはそれなりの道義を心得ていた。それを無くしたカスが暴力団と呼ばれるようになり、格好付かないから都合のいい「仁義」と称して、上下関係を作りあげていった。シノギー飯の種のためには麻薬、売春、恐喝を繰り返し、徹底した弱い者いじめがその根底にある。社会に利する事柄はすべてマイナスで、存在自体忌まわしい集団である。
北朝鮮は国家として、暴力団の体質である。非常に分かりやすい。だが、その上をいくのが昨今のロシアだ。
ロシア国家自体がマフィア体質なのか、どうしょうもない恐喝恫喝が実体なのか分からないが、胡散臭さはいよいよという感じだ。
ロシアにとっては外国資本が、サハリンに眠るエネルギーの開発を進めてきたわけだが、不思議なことに80%終わった段階で、環境破壊を理由に事業を取り上げた。更に賠償金として使われてきた総事業費に当たる1兆円が請求されている。
何故今まで見過ごしておいて80%でこうした行為に出たのか推して知るべしである。
また、ポロニウムといわれる放射能物質が何者かの手で撒き散らしている。連邦崩壊後の核物質及び技術者の流失は世界の認めるところで、日本も原潜の放射物処理にかなりの援助をしている。チェルノブイリ事件もあった。つまり、非常にルーズな管理体制が明らかだ。なんと言おうと「信用」からかけ離れた政府である。
こんな記事もある。
【噴火】毒殺事件…書くたびに記者も襲われた国-世界からニュース:イザ!
DATE:2006/12/13 19:43
URL:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/31172/
約1日という私の乏しい経験(トランジット)は、ソ連邦時代である。アエロフロートでモスクワ経由パリ行き便の時、一晩泊まることになった。名前がややこしく、たしかシェレメチェボ国際空港だったと思う。空港の兵士に預り証と引き換えにパスポートを取り上げられ、乗客は列をなして数名の兵士に囲まれて外に出た。季節は真冬で、ダイアモンドダストが照明に浮かび上がり、心身共に凍えた感覚がよみがえる。
意味もなく背中を押して急がせる兵士を睨みつけながらバスに乗り、おんぼろホテルに着いたはいいが、食堂の場所も分からず、バーのようなところでワインで腹をごまかし、ペンキの剥げた部屋で一夜を過ごした。
翌日、出発間際にパスポートを返すよう伝えた。国籍を聞かれて答えると、しばらくゴソゴソしていたが「見当たらない」という。冗談じゃないとばかりに預り証を振りかざして強く求めると、他の場所から持ってきた。その間30分。ロシアに対する胡散臭い感覚が芽生えたのはこの時だった。条件が悪すぎた。寒いし訳の分からないシステムはおかしい。おまけに国際空港とは思えないほど薄暗い。お土産屋も小さく、例のマトリョーシカとティカップを買っただけだった。本物のウオッカは手に入れ損ねた。つまり、いい印象はほとんど無い。こういう人間は、先ずは文学で下地を作る。人間の苦悩を楽しんでいるかのようなドストエフスキー、トルストイなどは、青春時代には結構マッチした読み物と思う。悩める者はその中に自分を具現出来るからだ。しかし暗い。一時芝居に凝って、アマチュアで「桜の園」「ワーニャ伯父さん」「かもめ」などチェーホフの作品に魅了されたが、ロシア人の長ったらしい名前を得意がって憶えたぐらいで、どうってことはなかった。このように分厚い先入観を育て、今回のような様々な出来事が重なると「やっぱりね」と納得してしまうところが恐い。
しかし、やっぱり、どうしてもウサンクサイな。
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登録日:2006年 12月 15日 03:40:58
男性像
なになに?
「ユーバーセクシャル」?
もてる男の新しい定義だって。ユーバーはドイツ語で‘頂点’という意味で、繊細かつハンサムで気が利き、信頼も厚い男だそうだ。アメリカ俳優のジョージ・クルーニーみたいなやつだってさ。そういえば2000年代に「メトロ・セクシャル」が流行ったな。ベッカム様がそうだとか。ヨン様もこの類じゃないかな。
そもそも寅さんを信奉するわたしとしてはどれも「てやんでぃ」である。こういう流れは当然世の女性たちの変化と相対的なんだけど、わたしにはさっぱり分からない。女性の活躍は社会現象を見ていれば納得だが、人間の基本は男女関係なく「信頼できるか否か」だったら、後は見た目で反応するんだろうな。それをベースに、逞しそう、優しそう、繊細そう、金持っていそう、がプラスされるわけだ。わたしなんか「・・・そう」はそうでも「かわいそう」の部類になってしまいそう。
時代はころころ変わり、なかなか恒久的な定義はできないことだ。
「もてる」という価値もよく分からない。1950年代のアメリカではがっしりした貫禄のある頼れる男、例えばジョン・ウェインのようなタイプがもてたという。しかし60年代にはいるとジョン・F・ケネディにみられる進歩的で人より先行する「トラッド」、70年になると日本でも見られた自由信奉のヒッピーとなれば、今はさしずめIT起業や金融で儲けている人たちなのだろうか。これはなんと名付ければいいのかな。
でんぐり返ったカミさんがやっと復調しつつある。やはり尾てい骨とその回りを痛めたらしい。最近は洗濯だけは出来るようになった。というより、わたしが干す様子に見るに見かねてのことだ。「乾けばいい」という干し方にどうにも我慢できないのだ。下着でもハンガーに掛け、等間隔に並べ、数時間後には裏返し、雨や雪が少しでも降れば室内に取り込み、乾いたときは儀式のようにピシッとたたみ・・・。やっていられない。垢が落ちればいいのだし乾くまで放って置けばいいのだし、この文化の違いでいつも戦争になる。
掃除にしても、わたしとしては誠心誠意やっているつもりが「あそこがキタナイ、ここがドロドロだ」という。しかし体を思うように動かせず、それがストレスになるようだ。
料理の方は、わたしが昔のカンを取り戻しつつあるので少しずつまともになっているが、食べ方を見ているとあまりお気に入りではない。おまけに便秘気味になり、腰の痛みで踏ん張ることも侭ならずイライラしている。そのせいでアイスクリームや饅頭など甘いものを食べる。血圧、花粉アレルギー、肝臓、時折痛み止めと増えていく服用薬にも不安を持っている。
でも毎朝の通院時、車に乗る様子等から見て快復は間違いない。しかし元に戻るにはまだ時間がかかりそうだ。こたつに鎮座する様子に、「早く暖かくなればいいな」と思いつつ、当分は出来る限り家事をこなすつもりである。これは「皿洗いセクシャル」なのかな。
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登録日:2006年 12月 11日 15:05:15
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