2007年 10月
小郡を訪ねて 3

右側に、臨時の駐車場になっている三井高校のグラウンドを見ながら更に進むと、一部通行止めの札があった。
大きめのテントが5張りほど張られ、2,30人の係りの人が忙しく準備に取りかかっていた。
こちとら、やっと着いたことと歩き疲れからどこか坐れるところはないか探したが見当たらない。
天気はほどよく晴れ、近くの旧い住宅は静かに佇んでいる。普段は人の行き来も少ない落ち着いた場所という感じだ。
そんな中の小郡市松崎・桜馬場に、野田宇太郎の“水鳥”詩碑があった。
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水 鳥
みづうみ
たったひとつのやさしい部分
みづうみ
声のない微笑の輪
はねをつけてとび立つ
ひそやかな愛
それを撃つな
『旅愁』より
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横幅は21メートルぐらいだろうか。さほど大きくもなく、水鳥にちなんで床面にはサラサラと水が流れており、碑としては演出されていた。
10時40分頃から受賞などのリハーサル?があり、一般を除いた小中学生らがおねえさんの「あっち向け、こっち見ろ」の指示に、
こわばった表情で従っていた。
わたしは周りをウロウロして所在なく写真を撮っていたが、だんだん人が増えてきて、テント内やその周辺は動きづらくなってきた。こういう場では必ず胸にリボンを付けるよう言われる。主宰者側は目印になって分かりやすいだろうが、どうも落ち着かない。典型的な自意識過剰で、それがわかるから余計に落ち着かず、ぎりぎりまでポケットにしまっておく。いっそのこと帽子をかぶらせて、その形や色で判別すれば面白かろうが、偉い人にトンガリ帽子なぞをあてがったら「クリスマスじゃない!」と、怒って帰ってしまうかも知れない。
わたしは一番後に座った。ここからは椅子のうしろの貼り紙がよく見える。市長席、議長席、議員席、文化協会会長席、国会議員席などと、こういう自治体主催の催しに必ず見られる議会、役所関係者が半分以上を占めている。これは退屈になりそうだと覚悟した。
あとは来賓、報道、受賞者及び選者、野田氏ゆかりの人といった具合である。そのテントをぐるりと一般参加者が取りまき、およそ150人ほどが揃った11時に式が始められた。
献花や献詩朗読、入賞者表彰とすすみ、式次第は「合唱」となった。
最初に、おそろいの緑のユニフォームをまとったおじさんおばさんグループが「松崎の道」を唱った。共に、作曲者である山田レイ(日へんに令)子さんも着物姿で合唱された。
‘松崎の道’
ははありき
ちちありき
われは をさなく
ちちははの
はかにこけむし
われもはや おい
かえりきぬ
をさなごころに
おもいでのみち
ののはなの
さきみだれたる
松崎のみち
野田宇太郎 詩
山田 レイ子 作曲
今でも「ののはなの さきみだれたる」面影が確かにあった。来る道すがら、昔はきれいだったであろう小川が流れていた。日本のどこにも見られた風景だが、両親共々古里としてあった松崎は、野田氏にとって歌い上げるほどの“道すがら”だったに違いない。歩く人によって、単なる田舎道にも数々の想いが散りばめられている。そんな道を、人それぞれ持っているに違いない。歩いているに違いない。
校歌にも似たものを感じる。
学び育った学校の歌ーわたしの時代はなにかにつけて唱わされ、その時は仏頂面だっただろうが、50年以上経ってもちょっと出だし
を教えてもらえば、すらすら出てくる。
小学校時は転校だらけで、一つも憶えていないが、中高は出来る。
子供たちの出番で最初に唱われたのは、野田氏作詞(森脇憲三・作曲)の「立石小学校校歌」だ。
一番だけ記してみた。
“光と風の 空はるか
今日もそびゆる 城山は
明朗の性 育みて
学ぶわれらの 希望を燃やす
学ぶわれらの 希望を燃やす
立石 立石 立石小学校”
地名と名所を適度に織り交ぜ、心得やスローガンをやさしい言葉でくるんで唄えるという、力まない元気さが良い。
20人ほどの生徒は「つばさ」と銘打ったお揃いで、緊張もあったが口をいっぱいに開けて、唱って聴かせてくれた。
このあと、松崎に伝わるわらべ歌の「お城のサー」も唱ってくれた。
“おしろのサー おんさむらいしゅが
おかごで いっちょうけ いっちょさまドン
ドンとのさまは どのかみさまよ
こうこうしながの さやかのドン
おんよしわらの よねぞうさー こめぞうさー
ほうきではわくが おとひめさん
ほら ひーに ふーに
やーに ここのとうかえして おしろのサー”
どこの童歌も、意味は完全には掴めないが、なんとなく調子に乗せられて口ずさむ楽しさがある。ボイス・レコーダーを持ってこなかったのが残念だった。
野田氏の次男ご夫婦が横浜から駆けつけ、謝辞を述べた。あまりこういう場になれていないようで、時々言葉に詰まりながらも訥々と話す姿勢に親しみを感じた。
この後、事務局から「野田宇太郎・文学資料館」や「筑後松崎宿」の説明、公民館での昼食を兼ねた露店のお知らせなどがあって、約1時間で終わった。
また駅までえっちらおっちら歩かなければならない憂鬱が先に立って、食事を摂る気も起こらず帰ることにした。
【野田宇太郎生誕祭 市民ら150人が参加 小郡の偉人しのぶ
小郡市出身の詩人、野田宇太郎(1909‐84)の生誕祭(西日本新聞社など後援)が28日、同市松崎の詩碑前で開かれた。市民ら約150人が参加し、郷土の偉人をしのんだ。
野田が愛したコーヒーを遺影にささげる恒例の儀式に続き、献詩コンクールの入賞者らによる受賞作の朗読が行われた。野田が校歌を作詞した地元・立石小学校の児童による校歌斉唱もあり、子どもたちの元気な声が秋晴れの空に響いた。
野田の三男、野田龍彦さん(63)=横浜市在住=も訪れ「多くの方に集まっていただき、感無量です」とあいさつした。】
=2007/10/29付 西日本新聞朝刊
サイト名は「歴史と文学の散歩道(松崎宿) 」となっており、
http://matuzaki.orz.ne.jp/NODA.htm
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登録日:2007年 10月 31日 17:20:17
小郡をたずねて 2

夜明駅までが69分。乗り換えて、久留米までが49分となっている。
久留米着が8時近くながら時間が余っているので、時間つぶしに途中下車した。それにしても、おのれの体力のなさには愕然とする。階段を上がるたびにハアハア息切れ、50歩歩いてヒィヒィひと休み。なんとまあ情けない体たらくだ。循環器の衰えがいよいよ誤魔化せなくなった。しかしこんなになっても、早々簡単に認めたがらないのが質の悪いジジィたる所以で、歯を食いしばっても「まだまだ」はなかろうとは思うのだが・・・。
駅前は元気がない。ちょっとした広場にデカイ時計があり、8時になって鳩時計形式で人形がゾロゾロ出てきて地酒の宣伝を始めた。曇り空にカラ元気だ。心情として合っている。
駅を出て左側に「うどん そば」の看板があったので喰うことにした。わたしには家の外に出ると食欲が倍増する体質がある。博多ー東京間の新幹線で、駅弁3食をたいらげた実績からすれば3時間前のドンブリ飯はとっくに消化されており、食欲も正当なものだ。誰も訊いていないのにどこか後ろめたい。誰に言い訳しているんだろう。
カウンターが6席の小さな店で、中年夫婦が迎えてくれたが、清潔感があった。そしてここは旨くないとピンときたが、今更出るわけにもいかずゴボ天そばを頼んだ。東京からこちらに来たとき、蕎麦と言っていてもほとんどウドンに近いと感じた。細いウドンに蕎麦色を付けたようで、この時点で蕎麦への期待を捨て去った。出てきたモノはやはりモサモサとねちっこい口当たりで、これだったらよほどカップ蕎麦の方が喰えると思ったが、390円も取られるので我慢して流し込んだ。
駅に戻って、鹿児島本線の基山(きやま)まで15分ほどで着いた。ここから松崎までは私鉄の甘木鉄道になる。これも15分くらいだ。
着いてなお早すぎる時間が気になって、喫茶店で過ごそうと探したが、全くない。駅前には飲食店は一つもなく、タクシーもない。久留米駅前でさへ喫茶店はなかった。ラーメン屋とミスタードーナッツである。松崎駅の写真を見ればどんなところか予想がつくだろう。
会場は国道を渡って一直線の先だった。「近くて遠いは田舎の道」と昔は言ったものだが、久しぶりにそれを実感した。両脇は住宅と畑が混在しており、これといった被写体もない。道に沿って「小郡市 松崎」と看板を付けた街灯が点々とある。その下には企業名や学校名があり、多分道案内の役を果たしているのだろう。これは三井(みい)高校のそれで、確かに近くにその学校が見え、今日文化祭が開かれると案内書にあった。
あとは唯一、花畑らしいもので、葉が落ちた桜木がアクセントになってまあまあの姿になっている。
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登録日:2007年 10月 30日 04:36:15
小郡をたずねて 1

この日は朝5時に起きた。
面倒なので卵かけご飯にしたが、一工夫してみた。ドンブリ飯の上に割った卵を乗せ、小間切れにしたトマトを置き、醤油ではなくウスターソースをかける。あとはガーッとかき回して「ガッガッ」と得意の3分喰いである。メタボ体に良いわけないが、時々無性にしたくなる。
駅から少し離れた駐車場に着いて、まだ暗いなか、日田彦山線下りの始発5時49分を待った。
こんな時間に駅ホームで電車(気動車)を待つなんて久しぶりだ。小郡市松崎の催し物は11時からだが、これに乗らないと間に合わない不便さである。なにしろ3回は乗り換えなくてはならない。それだけでもうんざりするが、これも最近ない乗り方である。
見方によっては奈落の底のような階段を上って降りて、朝露にけぶる中、10分ほど待った。半袖のTシャツにジャケットはちょっと寒い。所在なくカメラをいじくるうち、大分行きの2両編成が着いた。わたしと、登山に行く格好のおばさんの二人だ。
ディーゼルエンジンのタンタンタン・・・とうるさい音は、結構淋しさを紛らわせてくれる。なんとはない寒々しさが懐かしい。
汽車ポッポの時代、車内は薄暗かった。人々の多くの顔も思いつめたように暗く、独特の哀愁がふと蘇って来る。加えて石炭の匂い、汽笛、夜汽車の車窓からポツンと見える農家の灯り・・・。そんな想いに耽っている間に、東の空が白々と明けてきた。窓外が明るくなると気持も楽しくなってくる。
そんなとき、途中の大行事(だいぎょうじ)駅で面白いものを見つけた。黄色ならぬ橙色のハンカチである。黄色のつもりだろうが手許になかったのだろう。単に話題づくりなのかもしれない。どうせなら「ピンクの猿股で世界平和」や「地球を愛してグリーン・バンダナ」と、この地域の独自性を打ち出せば本当の話題になったんじゃないかなと思った。
1回目の乗り換えは「夜明(よあけ)」駅である。左は日田方面で、右が久留米に向かう。久大(きゅうだい)線(久留米の久と大分の大)を走るのが今回の楽しみでもあった。
7,8年ほど前の記憶では、かなり旧い客車が使われ、背もたれは布のクッションがあるとはいえほぼ直角で、路線そのものがのんびりしていた。今はごく普通の気動車(キハ)で、車内も小ぎれいにまとめられ、快適ではあるが味気ないものだった。
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登録日:2007年 10月 29日 17:23:48
運動会 1

まさに秋晴れだった。
一点の曇りもないピーカンの青空。
空気は乾いていて、どこへ出かけても気分のいい一日が過ごせる。そんな中、地域の運動会に行ってみた。
ざっと見渡すと、年寄りと子供の比率が3対2ほどで、これでは地域の催事がこれからは
難しくなりそうだ。
去年より参加者は増えているようで、先ずはラジオ体操から始まった。
駆けっこは楽しい。
見ている方も走る方も楽しい。
わたしは走れないので羨ましい気持ちが強いが、子供たちの明るい頑張りについ「イケイケー!」と声を張り上げてしまう。
運動会の最大の特徴は観客がいることだ。家族であったり近所のおじさんだったり友だちだったりする。それが子供を奮い立たせ、日頃は「ダセー」と小生意気を言っても、精一杯楽しんでいる。
ともかく晴れて良かった。
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登録日:2007年 10月 22日 04:24:18
再生のシンボル

そろそろ木枯らしが吹き始めた。
空気がひんやりしてくるこの時期、人恋しくではないが、昔から人は感傷的になるらしい。先行きが見えないときは悲観し、「あーあ」と溜め息が出る。
冬になってしまえば寒さで凍るのか開き直るのか、挑みかかる気持ちになって忘れてしまうが、中途半端な今がいけない。春が再生の始まりなら、秋は代謝で剥がれた皮膚がぶら下がる汚い季節でもある。
年令と季節と状況の絡み合いを67年も繰り返していれば、こんな気持ちになっても不思議はなかろう。
だが建造物はそれらを選ぶことなく、望めば
生き返る。筑豊にそびえ立っていた炭坑遺産の二本煙突が、修復のためにツインビル状に様変わりしている。
来年3月には完成から100年経つと聞くと化粧直しも当然で、傷みだした材料の煉瓦が剥がれて落ちる危険な状態らしい。高さ45メートルは26階建てビルに等しく、それを囲う足場が組まれ、来年3月にはお披露目になるらしい。
♪月が出た出たー 月が出た・・・
はこれによって間違いなく受け継がれていく。地元出身ではないので懐古はないが、石炭と炭坑と悲惨さと、生き抜いてきた炭坑の人達のためには無くてはならないシンボルだ。
年をとってもしっかりと化粧し、乏しい生活費で小さな缶ビールを楽しみに生きている。逞しさというより体も心も「つくり」が違う。よろけていても筋が一本ピンと入っている。ちゃらちゃら飾り立てていても、それに溺れはしない。狡い目も持つが、今までを振り返れば当然ではないか。
11月にはまた「炭都祭り」がある。今度こそ“人間”を恐がらずに撮るつもりだ。
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登録日:2007年 10月 21日 05:46:50
わけ、わかんねーよ 史郎さんよ
「亀田父子謝罪会見」となっていたものを観たが、何を誰に謝っているのかさっぱり分からない。大毅選手の一見シュンとした様子は、朝翔龍タイプをけっぱってきたと、悪意で観てしまった。曲がりなりにもチャンプに挑戦した男だ。チャレンジャーは年令に関係ない。世界のボクシング界が認めたタイトルマッチだ。結果は誇りも技術もない、裏付けのない闘志だけで、負けだしたら言われるとおりの反則連発。今頃になって、18才だから可哀相の、許してやれのとの町の声もあるが、冗談ではない。親子してボクシングを冒涜した罪は年令に関係なく、責任を取るのが当たり前である。金平会長、JBCと亀田一家の構造は、朝翔龍とそっくりである。これにメディアが食らいついて、ここ数日、あーだこーだとほじくり返してネタとして繰り返し放映している。
史郎氏は過保護ママに似ている。それも出来損ないで、被害者意識を持つことで無理して
子供たちをコントロールしている。彼はよく「子供たちを守ってやらなければ」と口にするが、一体何から何を守るんだろう。大阪西成の頃、子供のくせに周りの大人を脅かし続けていたとも聞く。大人たちがビビると、史郎氏は「どうだ、分かったか」と、恫喝の使い方と威力を子供たちに植え込んだ。それが
記者会見や計量時毎に下卑た態度や罵詈雑言につながり、ビッグマウスを演出した気でいる。実績がともなわないこれらは、ひんしゅくを買うこそすれ盛り上がりなどするわけがない。この行動を批判する側から守るというのか。
羽を広げてか弱いヒヨコを外敵から守るなら分かるが、自分たちで原因をつくっておき、社会の常識に反した「見苦しい強さ」にまみれて、何を守ろうというのだ。それでも反則やそれをけしかけるボクサーとセコンドがつくりだした試合を見て、喜び認める観客が居る。
「いろいろご迷惑かけてすいませんでした」と、首だけペコリ。気持ちも心を入っていない。「なんだ、コノヤロー」が匂っている。史郎氏は変わらない。
反則は指示していないとはっきりいったが、それではJBCは何を根拠に謹慎無期限を言い渡したのか。なんの会見だったのか未だに不可解だ。みっともないふてくされだけが印象に残った。「卑怯」という意味を知るべき。
金平会長の「負けたから何を言われても仕方がない」という本音。それこそ、反則勝ちをしてチャンプという結果になっていたら、投げ飛ばし、玉打ち、サミングなどが正当化出来たと言うことなのか。
本人の「意気消沈」はなんなのか、よく分からない。なんとでも受け取れる。坊主頭は、真摯な謝罪を言葉と態度で示してこそ生きてくる所業だ。丸めればいいというものではない。
子供たちは、史郎おやじと訣別しなければ、いよいよ変なヒヨコになっていくだろう。
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登録日:2007年 10月 19日 08:22:02
アンパンマンになれない役所

この写真を同居人に見せたら、案の定「そっくり!」と感心した。こんなもので感心されても、訳を聞くと「顔がデカイから」と返ってくるのは分かっているから、バカにされていることになる。
秋の代名詞であるコスモスの、楚々ながら溢れかえる色彩の中に、ちょっと馴染まないアニメの王様がいた。
アンパンマンについては下記のアドレスに任せるとして、酷似していると言われたわたしはどう存在価値を示そうかと思い巡らした。
http://mrcn-tru.hp.infoseek.co.jp/anpan/original/index.html
それにしてもアンパンマンは偉い。聞くところでは、身をかじらせても人助けするらしい。
先日NHKの「クローズアップ現代」で、北九州市での餓死者の問題を取り上げていた。
「腹減った、オニギリ喰いたい。25日、米喰ってない」
と、メモに書いてあったそうだ。
肝臓などを患って働けず、医者の「軽作業なら可」という診断結果をもとに、受給を止めて働くように、生活保護を扱う窓口の役人は勧め、結果として「受給辞退」を書かされ打ちきられた。その後、確認などのフォローもなく、ボロ屋でやせ細り、道端で自生するニラを食べていたという。
なにかというとGNP2位という経済力があるから国際貢献と政治家は言う。明日のメシの心配などかけらもない、あるとしたら立場の保持に汲々とする議員や、首にならず上司に目線をおいている公務員が、最後に頼ってくる市民をはねのけて、申請書さへ渡さないという傲慢さ。
減り続ける予算対策も必要だろう。だが自分の仕事は何なのか、一度でもこういうヤカラは考えているだろうか。どうかしようと思っているのだろうか。時間外でもちょっと尋ねて、その困窮ぶりを確かめる気持ちがないのだろうか。実態をつかみ、必死に方策を生み出すのが仕事じゃないのか。
玄関払いを前提とする北九州方式=「申請者撃退マニュアル」は、厚労省が全国に奨励したそうである。最後の綱を断ち切る方式を「良い方法」として採り入れ、なにが厚生なのだ。この意味を少しでも考えたことがあるのか。
アンパンマンよ、恥ずかしながら日本の行政には、全体を考えもせず、窓口で傲慢な態度を取る小役人とそれを操る上司がまだまだノウノウとあちこちにいるんだよ。
年間60-90人の餓死者を出す国のどこが先進であり豊かなのだ。
ひんやりとした冷気が日々増している。私は怒りながらも無力で、明日には自分が陥るかも知れない本当に寒々しい日本の行政に、今日も喚くしかない。
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登録日:2007年 10月 17日 08:26:20
すき きらいのコスモス

となりの家の垣根に
たくさんのコスモスが咲きました
にんじんみたいな葉っぱが面白くて
根っこがぶっとくて
ぼくより高い丈でした
花びらから10センチのところで
引きちぎると
茎から青い汁がしみ出て
それでも平気で
竹とんぼをしました
回らないのでがっかりしました
ゆっくりと
秋の曇り陽のなかを
右に左にゆれながら
ゆっくりと落ちていきました
となりのおばちゃんが
「スキ、キライをやってごらん」
と、いいました
“アッちゃんが好きだ、嫌いだ、すきだ、
きらいだ・・・”と、花びらをやったら
キライになってしまいました
何回やっても‘きらい’でした
だからコスモスが嫌いになりました
かあちゃんが
「キライから始めてごらん」
と、いいました
そうしたら、何回やっても
‘好き’になりました
コスモスが好きになりました
アッちゃんは
引っ越してしまいました
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登録日:2007年 10月 15日 17:24:49
Da Capoの休刊など

雑誌出版の栄枯盛衰は当たり前である。
ジャンルが同じながら種類が多すぎる。読む方は選択肢が増えて、見出しや目次で自分に合ったものが買えるのだが、綺羅星のようにずらりと並んだ同種類を見ると迷うばかりで、つい面倒になって買わず終いも多い。時代からずれたコンセプトを持つもので、意識してそうである場合は面白さがあるが、そうでないものは簡単に消えてしまう。
そんな中、迷わず買っていた「ダ・カーポ」が12月で休刊するという。紙質は良くないが、構成やまとめ方がコンパクトで、コラムの内容も充実していた。値段も大きさも手頃で親しみやすい。インターネットの普及で、情報収集の仕方が変わり、20万部から約8万部まで部数が落ち込んだのが原因と言われる。新聞も同様の競合状態に置かれて、ニュースの伝達そのものを変えざるを得ないらしい。ダ・カーポとは音楽用語で“最初に戻る”という意味らしいが、“初心にかえれ”ということで、いつも新鮮でいたかった想いを含んでいた気がする。
「話の特集」は、いまではもう伝説的な雑誌といってよく、65年から95年の30年間発刊されていた。読者ではあるが、特にオタクでもないし、休刊のニュースを知ったとき、それほど名残惜しいとは思わなかった。
いま思い返せば、青春から壮年期に入る時期、その都度面白い感覚を味わったのは確かだ。ちょうど小劇場が盛んになり、いつもは脇っちょに居たカルチャー達がざわめき始めた頃である。ぴったりの、生まれてしかるべき時に、望んでいた形で目の前に出現した。
編集長の矢崎泰久氏そのものがこの雑誌だが、和田誠氏も当時の新しいスタイルに欠かせない参加者だった。
いつもはポンポン捨てていくわたしだが、これに限って十数冊段ボール箱で保管している。
最近読み出して面白い雑誌に、講談社の「クーリエ・ジャポン」がある。最初は月2回だったが、今は月刊誌になり、落ち着いてきた感じだ。海外メディアと特約を結んで、その時の話題性も含めて各国・地域を動きをうまくまとめている。
以前上京の折、編集長の古賀義章氏と少々立ち話をしたこともあり、その顔がダブって浮かぶこともあることから、愛読している。
時々「文藝春秋」を読むが、これほどスタンスの変わらない月刊誌も珍しい。そこが長寿の秘訣といえようが、あまり面白くないので、買うのは年に数回だ。出だしのコラム欄の筆頭がいつも阿川弘之氏なのも影響している。10月号は、佐藤優氏(起訴休職外務事務官・作家)の「インテリジェンス交渉術4」のサブ『酒は人間の本性を暴く』に惹かれて読んだ。ソ連からロシアに移る際のエリツィンとハズブラートフの確執など、なかなか中身の濃い一種の暴露内容だ。こんなものを見つけて、図書カードがあるときはいろいろ取り混ぜて買っている。
読み物は読む人間があって存在価値がある。価値も時代によって、どんどん変わっていく。「古い」と言われて、捨てられ忘れられていく。人間も同じ。それが歴史なのだろう、か?
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登録日:2007年 10月 13日 08:07:54
もっと怒れ
ITLE:全国ニュース(社会):富山冤罪、柳原さんに無罪 誤認逮捕、誤判、解明なく
DATE:2007/10/11 07:48
URL:http://www.shizushin.com/national_social/2007101001000500.htm
TITLE:富山の婦女暴行・未遂冤罪事件、柳原さんに無罪判決 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
DATE:2007/10/11 07:51
URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071010i307.htm
TITLE:再審判決:強姦逮捕から5年半ぶり無罪確定 富山 - 毎日jp(毎日新聞)
DATE:2007/10/11 07:54
URL:http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071011k0000m040072000c.html
各紙ともさほど変わりのない内容だ。
警察・検察に加えて、裁判官と国選弁護人という、司法丸抱えのスクエア犯罪である。
しかしその前提に、本人の不甲斐なさもある。まさに不条理の「審判」そのものだが、今まで知り得た限りでは、目に見えないアリ地獄にどれほど抵抗したのか分からない。驚くほど落ち着いている。
「真犯人が他にいたから、無罪だったよ」と、服役が終わってから告げられた。5年半前に説明なく引っ張られ、自白をでっち上げられ、通話記録やDNA検査結果(無罪の証拠)を隠され、あれよという間に格子の中。出獄後は家族とも疎遠になり、すべてを無くしてなお「負」を背負い込んで、「しょうがない」と、縮こまって生きるしかなかった。
一方、自分たちの成績のために脅しでっち上げ、いい加減な被害者の証言のみで一件落着させた刑事や検察官は、公務員として守られ、社会正義より愛する家族のために日々次なる獲物を狙っている、と思われても仕方がない。裁判官が真相究明に自らフタをして、司法同業者をかばったのだから。これからもこの構図は生かされ、自分たちのポジションを守るために、更なる冤罪つくりに手を染めていくだろう。
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【富山冤罪事件】 判決要旨
このニュースのトピックス:刑事訴訟
富山県氷見市の冤罪事件で、富山地裁高岡支部が10日言い渡した判決の要旨は次の通り。
【主文】
被告人は無罪。
【理由】
■第1 公訴事実
本件公訴事実は以下の通りである。
平成14年5月24日付起訴状記載の公訴事実(=本件公訴事実1)
被告人は正当な理由がないのに、平成14年1月14日午前8時30分ころ、富山県内所在の被害者A(当時18歳)方に侵入し、強いて同女を姦淫しようと企て、同女に対し所携のナイフを右ほおに突きつけ、「警察に言ったら殺す」と脅しつけるなどの暴行・脅迫を加えてその反抗を抑圧し、強いて同女を姦淫したものである。
同年6月13日付起訴状記載の公訴事実(=本件公訴事実2)
被告人は女性を強姦する目的で、平成14年3月13日午後2時40分ころ、富山県内所在の被害者B(当時16歳)方において、同女に対し果物ナイフを首に押し当て、「騒いだらこれで刺してもいいんだぞ」などと語気鋭く脅しつけるなどの暴行・脅迫を加えてその反抗を抑圧し、強いて同女を姦淫しようとしたが、抵抗されたためその目的を遂げなかったものである。
再審公判に至る経緯
本件記録によれば、次の事実を認めることができる。
被告人は平成14年5月24日に控訴事実1で、同年6月13日に控訴事実2でそれぞれ富山地裁高岡支部に起訴された。同支部は同年11月27日、下記の事実を認定して被告人に対し、懲役3年、未決拘置日数中130日算入の有罪判決を言い渡した。
被告人は
第1 平成14年1月14日午前8時30分ごろ、盗みの目的で、富山県内所在の被害者A(当時18歳)方の無施錠の玄関から屋内に土足のまま侵人し、同女を認めるや、同女を強姦しようと思い、所携のナイフ(刃体の長さ約9・5センチ)を右ほおに突きつけ、「警察には絶対言うな。言ったら殺すぞ」などと言うなどの暴行、脅迫を加えて、その反抗を抑圧した上、強いて同女を姦淫した。
第2 同年3月13日午後2時40分ごろ、富山県内所在の被害者B(当時16歳)方において、同女を強姦しようと思い、所携の前記ナイフをその首に押し当て、「騒いだらこれで刺してもいいんだぞ」などと語気鋭く言うなどの暴行、脅迫を加えてその反抗を抑圧した上、強いて同女を姦淫しようとしたが、同女に抵抗されて時間が経過したことから家人の帰宅を恐れるとともに、泣いている被害者をかわいそうに思って姦淫を断念したため、強姦の目的を遂げなかったものである。
前記判決に対する控訴はなく、同判決は確定した(以下、同判決の確定までを「確定審」といい、同判決を「確定判決」という)。その後、被告人は服役することとなり、平成17年1月13日仮出獄し、同年7月19日、刑の執行が終了した。
富山地検高岡支部検察官は平成19年2月9日、富山地裁高岡支部に対し、被告人に対して無罪を言い渡すべき明らかな証拠があらたに発見されたとして、確定判決に対する再審の請求をした。同支部は同年4月12日、前記請求には理由があると認め、確定判決に対する再審開始の決定をした。前記決定に対する即時抗告はなく、同決定は確定した。
関係証拠によれば、確定判決は、被告人が本件公訴事実1に係る犯行の犯人である点について、被告人が本件公訴事実1に係る犯行を認める供述をし、さらに、前記犯行を再現したり、その関係個所を指示説明したりしている(以下、併せて「本件自白1」という)こと、被害者が警察官に対し写真台帳から被告人の写真を選んだ上、犯人にとても良く似ていると供述していること、また、被告人を透視鏡越しに5分間見た上、声の感じもそっくりで、犯人にほぼ間違いないと供述していること、さらに検察官に対し被告人が犯人に間違いないと供述している(以下、併せて「被害者供述1」という)ことを根拠としている。
また、被告人が本件公訴事実2に係る犯行の犯人である点については、被告人が本件公訴事実2に係る犯行を認める供述をしている(以下「本件自白2」という)こと、被害者が警察官に対し写真台帳から被告人の写真を選んだ上、犯人に良く似ていると供述している(以下「被害者供述2」という)ことを根拠としていると認められる。
しかし、次の証拠によれば、本件公訴事実1、2に係る各犯行の真犯人は大津英一被告であると認められる。
すなわち、大津被告は本件公訴事実1、2に係る各犯行を自白しているが、前記各犯行の状況については具体的な記憶も一部残存しており、前記各犯行の現場や関係個所に警察官を案内するなどしていること、平成14年5月5日に石川県内で発生した強姦事件の犯行現場に遺留された足跡と本件公訴事実2に係る犯行現場に遺留された足跡は同種足跡であり、同一の運動靴によるものであると推定されること、本件公訴事実1、2に係る各犯行現場に遺留された足跡は同種足跡であり、合致足跡である可能性が認められることなどから、前記自白は十分に信用することができるといえる。
そうすると、本件自白1、2および被害者供述1、2は、いずれも信用性のないことが明らかである。
また、本件公訴事実1、2について、ほかにも被告人の犯人性を疑わせる証拠、すなわち、平成14年3月13日午後2時40分ころ、被告人が自宅で電話をかけていたことを裏付ける証拠が存在している。
なお、再審において、本件公訴事実1、2に係る各犯行を認める被告人の検察官調書などが提出されているけれども、これらについても信用性のないことは本件自白1、2および被害者供述1、2と同様である。
以上によれば、被告人が本件公訴事実1、2に係る各犯行の犯人でないことは明らかであって、本件公訴事実1、2について犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法336条により無罪の言い渡しをすることとし、主文のとおり判決する。
TITLE:【富山冤罪事件】 判決要旨 (2/2ページ) - MSN産経ニュース
DATE:2007/10/11 07:59
URL:http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071010/trl0710101844010-n2.htm
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【藤田裁判長は判決主文言い渡しの後、柳原さんに「無罪であるにもかかわらず誠に気の毒だと思っている。失われた時間は戻らないだろうが、これからの人生が充実したものとなるよう心から願っています」と語りかけた。再審で弁護側は、冤罪の真相究明のため、取調官の証人尋問を2度申請したが、藤田裁判長はいずれも却下した。】
この白々しいセリフを、どんな気持ちを持ってつくったのか。事実を解き明かす努力を抛り投げて、なにが「充実した人生」だ。検事に大して手厳しい言葉があればこそ、柳原さんの気持ちがほんの少しは和らぐというものだ。
こんな裁判官が実在するとなれば、国民は市民としての常識に従って、裁判員制度を極力活かしていくほかないだろう。
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登録日:2007年 10月 11日 14:52:10
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