2007年 11月

ふと昔に

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今朝早く、高台にある市営の競技場へ行ってみた。ここには初めてで、散歩やジョギングの人がポツポツと居る以外は静かなものだ。昨日は少年サッカーの試合があったと聞いていたが、その賑わいは畳まれていないテントに残っているだけで、すっきりというより淋しい空間になっている。

この頃、昔をふと思い出すことがある。
普段は半分呆(ほう)けていて、頭の中は固有名詞がどんどん消えていき、「あれ、それ」が巾を効かしている。カミさんも同じで、そのうえ年寄りの特徴の一つである「自分の言いたいことばかりしゃべって、相手の言っていることには生返事」傾向がともに強く、その結果を想像すれば下手な漫才よりトンチンカンでは引けを取るまい。
加えて、「言った言わない」の争いだ。「ここにあると言っただろ」「そんなこと、聞いてないわよ」の繰り返しだ。その都度、次から録音しなきゃあねと言いつつも、5分後には繰り返している。

こんな中、何とはなしにRという人物の名前をフルネームで憶い出した。芝居の本を読んでいて(そういえば)と、1960年後半に
時間が戻り、ついでに「劇団カッパ」のこととなる。素人の集まりだったが、年2回の公演や巡業?のために、幼稚園を借りて週2-3回稽古をした。その仲間のひとりがRである。
そこで早速検索をかけると、なんと今でも「しずおか演劇祭実験劇場」に所属して頑張っていた。今見つけたばかりなので、直接連絡していないが間違いない。わたしより年上だから70才になんなんとしていて、役者として頑張っている。書き込みしてきたのでなんらかの反応があるだろう。楽しみだ。
青春を過ごした静岡の断片が未練たらしく貼りついていたが、とにかく嬉しい。

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登録日:2007年 11月 27日 05:07:43

うん

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うん
ぼくは沈んでるんだ
狭くなって窮屈になって
ぶっ壊していいのならそうしたいけど
出来ないから沈んでしまうんだ

うん
どうなんだろう
わからなくなって沈んじゃうのかな
空は晴れてるよ
きれいな色がいっぱいあるよ
でも沈んじゃう

うん
おいしい朝ご飯食べたよ
新しい新聞読んだよ
連ドラも観たよ
それでも沈んで
昨日と変わりないから沈んで

うん
鉄の塊じゃないんだから
いつかは浮くよ
明日になったら
大きな川の真ん中で
浮き輪もなしで
ドンブラドンブラ浮いちゃって
どこへ行くのか
わからないけど浮いて

うん
今度はどこへ行くんだろう
沈んで浮いて
どこへ行くんだろう

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登録日:2007年 11月 24日 05:46:58

格付け=権威か?

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銀杏が本当に散り始めた。
街中にいると、人々の装い、店頭の野菜などで秋を知るのだが、秋から冬への着替えという点では銀杏の色づきを見るのが手っ取り早い。風が一吹きするたびにヤケになって散っていく。黄金色の魅了を知っているように、これみよがしに三角形の出来損ないの葉っぱが一旦高く舞い上がり、ヒラホラ足元を敷き詰めていく。空気はやっぱり冷たくなった。

ミシュランというタイヤ会社が世界のあっちこっちの食い物屋のランク付けをしている。
星印3個が最高で、2個1個もそれぞれ意味があるとか。数ではパリ、ニューヨークを抜いて東京が1番になった。何ごとも1番は良いのだが、思った通り東京に住む一部の方々は大騒ぎだ。多分、この道では権威があるのだろう。
今日、詳しい内容の本が発売になった。料理はもちろん、品格や清潔さ、もてなしなどが記してあるらしい。格付けの結果と理由が分かる。
こういうとき、必ずわたしのようなひねくれ者がいる。ミシュランが格付けした。ミシュランの基準である。そんならその格付け内容を格付けするのは誰なんだ。
確か、アメリカあたりで企業のランク付けをしているところがある。金融業、製造業などのジャンルに分けて、「これは伸びる、これはヤバイ」と、世界中の会社を舐め回して評価する。評価する側のチェックはだれがするんだろう。
今や少なくとも日本で大企業といわれるところ、老舗といわれるところの一部は、自ら信用を失墜させている。あんな大きな会社がインチキしたりごまかしたりするはずがないーそれが「する」のであり「してきた」のであり、他も「するであろう」と思われ始めた。権威や信用で培われてきた“名前”がドロドロ溶け始めている。残念ながら教師、医師、警察という、我々の世代では三大権威といわれてきたところも、時には「スケベ、ゴマカシ、ウソ」3要素が当たり前になり、公務員の公務員たる姿勢はいうに及ばずだ。厚顔無恥は何世紀経とうが死語にならず、歯ぎしりしすぎて臼歯が馬並にすり減るのも当分続くようだ。
正義=権威を謳ってきた国アメリカになぞらえば、正義などない。あるのは武力の強弱による恫喝の仕方がうまいか下手かだ。中国、ロシアも同じで、日本政府はあっち見てウロウロ、こっち見てソワソワの部類にはいる。弱いなら弱いで、泳ぎ方ぐらいズルするならまだしも、その勇気さへない。そのくせ、政治家さんの中では「大物」と自他共に格付けされたとされる人もいる。

こんな風に、誰がなんのために「格付け」して喜ぶのか、わたしには分からない。そうです、わたしは貧乏人です。だから三ツ星の2万3万する食い物は、わたしにとってはもはや食い物ではないのです。喰えないものは食い物ではないからです。

せっかく物静かに語りだしたのだが、やはり日頃溜まっているウップンがどうしても洩れてくる。お屁だったらバッ!!の一発で済むが、世の出来事への不満は五臓六腑にしみ込み加齢臭になって、カミさんあたりから文句を言われる。これはいくらゴシゴシ洗おうとコロンをぶっかけようと決して無くならない。新聞テレビネットから遠ざかれば自然消滅して、本来の得も言われぬ芳しい香りを発するというわけだ。分かってくれないだろうな。
星は星でも、わたしは七つ星テントウ虫を見ていたほうがいい。食べはしませんよ。

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登録日:2007年 11月 22日 17:44:56

せせらぎよ戻れ

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メダカがかわいい。
買ってきた9尾のうち、不注意で1尾排水溝に流してしまい8尾となったが、♂2尾♀6尾は元気な姿を見せてくれる。
今もほぼ毎日産卵しており、1次稚魚が20尾、2次稚魚は30尾、3次は20尾と、三世代に渡ってそれぞれ成長している。子供たちの世話と採卵はカミさんがせっせせっせと取り組んでいて、それも嬉しそうに励んでいる。
昼は陽が出ている限り日光浴させ、グリーンウォーターといわれる藻を水槽内に発生させて、メダカたちの自然食にしている。
わたしは泳ぐ遊ぶ姿を楽しんでいるが、カミさんはそれにはあまり関心がない。繁殖の喜びだけで満ち足りているようだ。
上から覗くとサッと水草の陰に身を潜めるが、透明の横からでは逃げるどころか寄ってくる。こっちが口をパクパクして音を出すとみんな珍しそうに顔をこちらに向ける。
エサをやる前に水槽の横を軽く指でトントンと叩くと、スーッと水面に上がってきて催促する。かわいい。

そもそもメダカは大した奴ではない。
すくいあげるとピンヒョコ跳ねるフナと違って、多くはシナッとして動かない張り合いのない奴だ。棲んでいるところは大方澱んだ水たまりで、ほんの少し流れはあるものの、増水して急流になると流れに逆らうどころか、サッサと身を任せてしまう。無理もない。大きくても4センチぐらいで、こんな奴が目の色変えてサケに倣って溯る姿は気味悪くなる。田んぼや小川が汚れてしまい、なにか言う暇もなく、当たり前の‘そちこち’からどんどん消えてしまって、蟻やバッタのような存在が稀少になってしまった。誰のせいだ、人間のせいだ。

そのメダカを品種改良と称して、青だの赤だの色づけしたり、体を短小にしたり透明にしたりしている。それを売る人間がおり買う人間が居る。その上、飽きたとか自然に棲んでいる数が少なくなったからと、地域の個体性も考えず放流する人間がいる。
飼育と称して、水槽に入れて楽しむわたしも同類かも知れない。どうせ自然の中でも小さな世界しか持たないと、勝手に自分に都合よく解釈して正当化している。でも、君たちをいつも身近に見ていたいんだ。ごめんなさい。

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登録日:2007年 11月 18日 18:12:52

自由律

世を去る決意だが 縄目に弛み

隠れ逝く犬猫は 本当に迷わないのか

山車のバレンは少年の憂鬱 夏が来る

向日葵は 夏の目ン玉 山雀とまる

食後三十分 狭心症の薬 日だまりに待つ

写真の猫 アイラインの媚びが妖しげ

逝く人の 潤う目玉は 悲しゅうございます

流れは堰で止まるくせに 自分の堰は壊れた

田んぼの闇に月 お母さま見て下さい

めだか小さく稚魚小さく卵なお小さく生きる

湧き流れる朝霧に 陽の亡霊

会って涙する人 去って涙する人

知らなければ傷つかず 狡猾に生きる

冬の田枯れ 図々しく薄穂 月を観る

山が沈み 海が昇り 人はなお喰らうばかり

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登録日:2007年 11月 17日 07:56:37

まとまらないメディペチャ結果 

 
福岡医師会主催による3回目のメデイペチャが飯塚のコスモスコモンで開かれた。
各地から10名のモニターが集まり、医師会理事や医師が出席して、約3時間、意見交換が行われた。

前回の女性Bさんの経験談が、小泉医療改革のひとつの例である。
末期癌で点滴のみの患者(父親)が、2ヶ月経つと転院を半ば強制されている。これは治療より療養ということで、3ヶ月過ぎると病院の収入が下がる制度があるかららしい。やたら複雑で、役人がこねくり回した保険制度は、とにかく医療費を抑えることが主眼で、それに患者、病院・医師が巻き込まれている構図だ。要するに日本国は貧乏だから、厚生が成り立たなくなりつつある、甘ったれるな!と言いたいらしい。
また、医局制度の功罪をしっかり総括しないまま廃止したことが、医師確保の上で格差がどんどん拡がり、加えて、リスクが高く労働条件が厳しく訴訟率が他科に比べてダントツの小児科産科の医師が逃げ出している。
小児科は夜間診察が多いが、その多くが軽度患者で、本来重い患者に割く時間が無くなる状態になるらしい。地元のI病院では電話で適切な助言をしたり、来院患者を程度で分けて対処するようになってから、医師の負担がかなり軽くなったと聞いた。
男性Cさんの父親は80才を越え、入院治療中だったが去年亡くなった。その前に手術をする際、医者から「年取っているから」と、もしもの時の言い訳のように言われていた。結果として手術痕が化膿して死に至り、Cさんは未だに医師に対して不信感を持っている。

日本の平均寿命は、先進国30カ国中1位。乳児死亡率の低さは4位。医療費は一人あたり19位で、GDPに対する総医療費の比率は22位だ。医師の数は1000人当たりで27位と低い。結果として、WHOも指摘しているように、コスト、質で日本の医療制度は世界一なのだ、今までは。

ダカーポ11/21付けの記事から拾い読みをしてみた。
小泉改革で、我々が「純チャーン」などと言いだした頃から、窓口負担はどんどん増え、ベッドが減らされ、75歳以上の新医療制度では新しい保険料が取られることになった。それも年金から天引きというあくどさだ。
いつもも思ってきたことだが、介護保険料は勝手に決められ、徴収方法や日付まで勝手に決めて、結果だけをポンと送ってくる。一度忘れると、「手数料100円プラス」やら「強制徴収」と、まるでヤミ金である。そのくせ事業は民間に丸投げして、介護が受けられない人、安い賃金でハードな仕事に我慢している介護スタッフだ。

そもそも少ない年金から健康保険料と介護保険料を差し引いたらいくら残るのか、政治家や役人はどれくらい理解しているのやら。彼らは何かというと「金がない、財源は?」と言うばかり。金がないから増税という、言ってみれば誰でも出来る施策である。ク○役人の厚顔無恥な税金大食いと、それを制止できないか便乗している政治屋である。目で見、身で感じる無駄遣い禁止や省すべて業界向けの体質改良が果たして為されているだろうか。
テロ特措法で油云々もいいが、それよりも生きるか死ぬかに置かれた人間の叫びを心から受け入れなければ、馬鹿げたアメリカ追従など真摯に考えられるかってんだ。
このまま時に任せ、いい加減な政策を放っておくと、尊敬するマイケル・ムーアの『シッコ』以上に、貧乏人は無慈悲な医療制度に更に泣かされることになる。いや、今も療養ベッドから「出ていけ」と追いだされている人がいる。
OECD統計では、総医療費の対GDP国際比較はアメリカの15.3%が一位で、先進7カ国中日本はどん尻の8%。窓口負担も、イギリスの2.4%に比べて世界的にも飛び出た18%である。消費税や国民性、諸事情を含めて考えても、予算に占める割合は教育予算同様、年々減っている。
ベッド数に至っては、2006年6月で33万床(医療・介護)が、2012年には15万床になる。長期になる療養は自宅でやれと言うことだ。

“ピンピンコロリ”という名言?が流行っている。役人も医者も患者も望むところだろう。語感の通り普段はピンピン元気でいながら、ある日コロッと逝ってしまいたい気持は昔からある。そんな願掛けの寺も確かあった。
だが、普段こう言っていてもイザ病気に罹ってしまうと、多くの人は『生』への執着が芽生えるという。いっそのこと、今の診療科目に「安楽死促進科」を設けた方が親切である。人道上などとカッコつけても、やっていることはジワリジワリで、この方がよっぽどタチが悪い。厚生の意味を理解していないか、ものすごい勘違い感覚を持つ典型の役所・厚労省は、HIVやC型肝炎、遡ればイタイイタイ病等々に対処するどころか、不作為は当たり前で、動いたかと思えば製薬会社の手足になり、被害が広がると分かっていながら情報を隠すということを、散々見せられ経験している。なんのことはない。厚生とは治すより病気になれという意味だと、広辞苑あたりを改訂してもらいたい気持だ。こういう役所は言えば言うほど腹が立つが、

最近の来診者にもひどい奴が居ると聞く。
サービスという言葉を「金を払えばなんでも言うことをきく」と、トンチンカンな解釈をしているようだ。コンビニ診療とも言われるらしい。自分の都合になんでもあわせたがる人種が増殖しているが、例のモンスターペアレンツ(横文字ではなく、わがままでひとりよがりで、おまけに馬鹿な親というべき)の存在と似ている。大した症状でもないのに喚き立てて無理を通そうとする。中には医師や看護士に暴力を振るう。治療費や入院費を払わない。クレーマーも居る。暇つぶしか喫茶店感覚で来る人もいる。
医師も万全ではない。先ずは本人の責任とは言えないが、絶対的な時間が足りない。自分を過信し納得する説明をしない。セカンドオピニオンを暗に否定する。過誤を隠そうとする。
いうなれば、教育現場とそっくりだ。ひどいことばかり並べるなら、資質のない教師、子を躾けられずそれを他人(教師など)に頼るばかりか気に食わないと怒鳴り込む親、触れられるだけで親に訴える子ども等々ーそっくりだ。

わたしがこの会合で提案した事がある。
病院の多くの待合室にはテレビが設置してある。ここで医療に関する問題点をビデオやDVDを使って放映するべきだ。ある時は医師の立場、次は患者、そして国や製薬業と、立場を変えてアピールもしくは啓蒙するべきだ。気長に続けて定着すれば、少しは何かが変わっていくに違いない。なにかをしなければ老人は殺され、病院はつぶれ、年金共々、先を保障できない国は壊れる。決して大げさではないとわたしは思う。

あっち飛びこっち飛びになってしまった。言いだすと切りがない。
今回で一応終わりと言うことで、コーヒーとケーキを前に茶話会(なつかしー!)になった。何故かそれぞれに感謝状が贈られ、おまけに記念撮影とはナンジャラホイと思いながら、司会を務めた隣の女性とおしゃべりした。彼女は医師会ではなく、まとめや分析を委託されたマーケットリサーチの人だった。そういえば、柔らかい言葉と笑顔で本音をしゃべらせようとしていた。その罠にはまって、どこに住んでいてどんなことをしてきて、何に興味があるかなど、こちらの情報ばかりをしゃべってしまった。40代だろうか。人なつっこい丸顔には気をつけなくっちゃ。
ウム、プロは違うなぁ。

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登録日:2007年 11月 13日 17:14:12

加齢

年令は毎年増えていくものだ。どんなにあがこうが、時間は針を止めない。これは物理的事実なので文句の言いようがないが、もうひとつの「年をとる」には同調やら異論やらがある。
藤沢周平の「残日録」で、三屋清左右衛門が、“日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ(ひのこりて くるるに いまだとおし)」と言う下りがある。好きな文節だ。
つまり、確かにジジィになった。それで隠居だの大人しくだのとまわりは言うが、まだまだそんな‘年’ではないわ、とほざいている状態とでも言おうか。いや、そんな気張りさへない。年を取ろうが、自分は自分だからだ。
こんなことをこの頃よく書くようになった。自分でも、いつの間にまた言ってるよと思う。単に負け惜しみかも知れない。
青春時代は「何故生きているのか、生きるとは?」を、無垢の気持で誰でも考えるものだが、ジジィになると、垢をいっぱい身に付けて「どう死ぬか、死ぬこととは?」に変わってきた。
生きる←→死ぬを同列に置いて、「生きるとは如何に死ぬことか」とか「死に至るまでの時間が生きること」と、哲学のような悟ったようなことを多くの人が書いている。これに宗教色が絡むと、いよいよ混乱し、これらを遠ざけたくなる。
淡々と構えて自然に任せることが出来れば、なんてことはないが、結構いろいろ考え出すものだ。こんな日々が“昏ルルニ”達しない状態なのかも知れない。良いのか悪いのかメンドクサイものである。

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登録日:2007年 11月 12日 06:59:55

喰うこと

自慢じゃないが、67年生きてきて朝飯を欠かしたことはない。少なくとも食べなかった記憶はない。
朝飯は良いものだ。一日の始まりとして、これほどふさわしい行事はない。
昨夜いやいや食べたものでも、朝になると「旨い旨い」になる。元々朝型人間なので、夜が近づくにつれて凋んでいくせいもあるが、
朝飯となると、何故こうも浮き浮きするのだろう。我ながら時々おかしいと思う。
朝食担当としては、目が覚めると先ず味噌汁の具を考える。昨日は豆腐に若布だったから、玉ねぎと油揚げにしよう。メカブはあったかな?あとは納豆に海苔でよかろう。
今は夫婦二人だからこんなところだが、食べ盛りの息子二人が居た頃は大変だった。共に働きながら家事分担でなんとか凌いできたが、その頃から我が家には朝食の場が欠かせなかった。なにがあろうと家族全員しっかりと食べ、話をし、連絡し、確認し合って、一日を始めていたからだ。

国立教育政策研究所の2005年度調査によると、朝食を1人でとる孤食は、小学生で20・1%、中学生では41・6%にもなる。いくら生活の形が変わったといっても、あまりにも家族の原則を無視している。餌ではないのだから食べればいいというものではない。
当然テレビを見ながら食べ物を口に運ぶ「作業」になり、まともに箸を持てず、食事のマナーも学べない。こういうことは親が小うるさく言うものだ。もっとも親が出来ない傾向もあり、いずれはフォークを使うか、2本揃えて逆手に持って使うことになるかも知れない。ちょっとした知日派の外国人に教えてもらうことになるかも・・・。
何故かメシの話になると、自分でもおかしいほど生き生きしてくる。現在飢えているわけではないが、戦後の飢餓を経験しているからか、喰うこと自体に喜ぶ気持が根付いている。生存の基本はいつも魅力に満ちているものだ。

「吉兆」や「赤福、御福」など経営世代が代わるにつれて、老舗という謳い文句は単なる金儲けの道具になり、初代の志からどんどん遠のいていくようだ。わたしはそもそも、ブランドを信用しないタチだ。値段が高くて旨いを喰わせるー当たり前ではないか。金をかければいい食材が手に入り、腕のいい板前も雇える。それを適当に「もったいぶり」で飾り、仰々しく仕立てる。“一見(いちげん)さんお断り”なんていう看板を麗々しく掛けているところに、わたしはまったく興味を持たない。行けないから僻んでいるのではない。見たり聞いたりするだけで、先ず嫌悪感が生じる。
「安くて美味しく」みんなが食べに来る努力こそが、本当の経営である。看板にすがって、中身に見合わない料金を設定する奇しさに、店も客も気付くべきである。とはいえ、それをステータスとしている人は「ご勝手に」だが・・・。

そんなことより、食品がどんどん値上がりしている。3束100円だったエノキが1束80円になったのには驚いた。ほとんどが原油高騰でハウスものや運送に金がかかるのだろうが、野菜全般でも1,2割高が実感だ。原産地が不明だったり偽装したり、加工品の中身が表示と違っていたり、賞味も消費も知らないデパ地下だったりしているうえに、エンゲル係数が毎月上がっていく。これから本物を当たり前の値段で買える時が来るとも思えないが、嘆いても始まらない。さあ、朝飯でもつくるか。

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登録日:2007年 11月 11日 06:18:41

猫の場合


どうでもいい電話をしていると 
塀越しに猫が通って
カーテンがひらりと風になびいて
午後二時は退屈の時間になり
寝転がって
‘日本の放浪藝’を読んでいると
陽射しが足にあたって
足だけが暖かくなって
げっぷをしたら
コーヒーの匂いが戻ってきて
肘を突いて扉まで腹這いで行き
そっと開けて覗くと
また猫が通った

二階の物干場は古くて
高いところだけど
板が毛羽だって古いので
木の温もりがあって
好きな場所なので
屋根だらけの景色も気にならず
‘北の宿’を口ずさむと
猫が下の屋根を歩いていた

相変わらず痛い脇腹で
永いので慣れてしまって
良いわけはないが
懐かしい友と居るようで
治まると会いたくなり
そんなものが多くなり
肩胛骨の下の痛みも増えて
少し気にしていると
猫がすり寄ってきた

おまえは誰だと訊いてみたが
目を細め尻尾を立てて
やけに細い声で
‘にゃー’しか言わず
かすれて
‘にゃににゃ・・・’
そうか
おまえは猫か
三毛の衣裳を着て
本能の甘えで生きてきて
今さら名前なんて訊くな、か
おれとおんなじだと
失礼ながら思ってしまったよ

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登録日:2007年 11月 08日 17:15:54

炭坑節まつり

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炭鉱の歴史と文化を全国に発信する
『第2回TAGAWAコールマイン・フェスティバル ~炭坑節まつり~』 

去年に続いて撮りに行った。
この前は肝心なところで電池が切れてしまい、歯ぎしりしながら引き上げ、炭坑節の総踊りが撮れなかった経験を踏まえて、今年は電池もメモリーも用意して、シャトルバスが出る美術館前に出かけた。
着いて駐車した途端バスが来たので、「ラッキー!」と乗り込んで数十メートル動いたところでカメラを忘れたことに気付き、あわてて運転手さんに停めてもらった。結局はそれから30分待つことになり、年々ドジが多くなる加齢を恨みながら、隣の図書館で時間を潰した。

今年は会場が市営球場隣の広場に変わったので、先ずは撮影場所を確認した。高台が少なく、最も良いところでもテントの屋根が邪魔する。総踊りが始まるまで時間があるので、ぶらつくことにした。周囲は出店で埋められている。焼きイカ、焼き鳥、麺類、様々な飲み物、それに衣類や雑貨など多種で、中には「自衛隊員募集」のコーナーもあり、カッコいい戦闘機や戦車などのパネル写真を貼り付け、3,4人の係りの人が人待ち顔に座っていた。ただ会場には中高生は殆ど見当たらず、あまり勧誘は期待できないようだ。若者ばかりではなく、時には経験豊かな老兵を募ってみたらどうか進言しようとしたが、そういう発想が持てない組織に言っても無駄と思い止めた。

舞台では、民謡炭坑節、田川市民の歌、田川小唄の披露、Reikaシスターズ、美川憲一そっくりさん、味噌麹きくまろなどのステージショー が演じられていた。芸能人のそっくりさんは昔も居た。一種、もの悲しさがただよっていたが、今は「美しき天然」の時代ではない。アッケラカーンである。

4時近くなって、やっと始まった。市長の「炭坑節発祥の地宣言」とともに、公表2000人の炭坑節総踊りである。
15分ほどは高台からテントのV字形の隙間になんとか絵を収め、あとは1メートルのところで邪魔にならないように撮りまくった。
一段落したところで、今度は三味線と生歌による炭坑節(歌:金丸和代さん、木乃村有希さん) である。
企業や団体の参加が殆どだが、それに一般参加が入り、賑やかこの上ない。よく見ていると、若い人は適当にふざけて笑ったりしていたが、お年寄りはやたら真剣にニコリともせず、「掘って掘ってまた掘って、かついでかついで・・・」という振り付け通りに、手先もピンと伸ばして踊っている。これが当たり前なのかも知れない。昔日の想いと今の押し寄せる苦労が重なり合い、生きてきた証の皺が深々と魅力をたたえていた。
簡単には入り込めない時代への怨念やら栄光やらがひしひしと感じられる。
約30分ぐらいだったろうか。何重もの輪が夕暮れの中でひたすら行ったり来たり、ヒヤリとしだした秋の風が、もの哀しかった。

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登録日:2007年 11月 06日 12:33:59

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