清貧とは?

「清貧が好きだ」と、以前書いた記憶がある。それを一部訂正したい気分に最近なってきた。特に「清」だ。本来貧乏に「清」などあるわけがない。こんなことを云っている間は真の貧乏ではなく、いってみりゃあ余裕があるから少しは貧乏の真似をしてやれと思うだけで、まやかしもいいところだと気づいた。
貧乏の基本は「金がない」から始まる。従って物がない。いま、一世帯の物品数はおよそ一万点以上らしいが、今の時代、なんたらかんたらノミのくしゃみからわたしの愛車ベンツ(本当は10年以上経つ軽自動車の中古で、カミさんはベンチと言っている)まで入れるとそれに達するだろうか。他の家庭も似たり寄ったりだと思う。いわゆる不要品があっちこっちに眠っている。本来、貧乏の本家は日々のメシも喰えないのがベースになっているはずだが、意識的に拒食してる人を除けばそういるはずがない。働きのない「パラサイト云々」は親が喰わせ、ホームレスは残飯とはいえ結構カロリーを摂取できる。ましてや衣服なんぞはみんな持て余し状態だ。ただ住むところはちょっと厳しいだろう。マンションなどと未だにボロアパートを呼ばせている大家は店賃をまけはしないし、都会になるほどシビアになる。
わたしが問題視しているのは、ダンボールを住まいとしながらも高邁な理想を持てないことだ。ヒトは簡単に状況判断で納得する、または「したい」人種が増えている。これは残念ながら年代を問わない傾向で、理解を前提にしないで判断したがる。企業が年令で人事を動かすバカさと同じで、クソガキなんぞは集団で襲ったり火を付けたりする。そういう人間こそ居なくていい存在なのだが、行政も楽をしたいのかほぼ同じ感覚なのだ。これでは清貧なぞ育つわけがない。
中学時代、わたしは「われわれは人間である」というテーマで弁論大会に参加した。人間は社会の一員でなければその存在が問われる、また社会は個を尊重してこそその意義があるなどといった憶えがある。それが損なわれつつあるとき、再度人間たちに問いたい気持ちでいっぱいだ
貧しさを侮って自分が豊かになれるはずがない。

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登録日:2007年 01月 18日 05:33:49

コメント

車マニアとしては色々と調べたいものです。
こうやってこのブログにたどり着いたのも
毎日車関連で調べまくってるからかも。

これからも遊びにきます!ブックマークにいれさせてもらいました!

バッテリー @ 2009年 08月 07日 00:41:19

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