“未"

今年をあらわす一文字が流行っている。
どこかのお寺では「偽」と表現した。毎度のことだが、特に今年は目立ったということか。それも、分かりやすい食品関係に続出した。
赤福、御福などは古くからのお伊勢詣りという信心の場を汚した偽装とも言え、他にない神の領域を商売の場としている土産物屋は、それを決して忘れてはならない。船場吉兆は看板の老舗を悪用した商法で金儲けに走った。専務の母親は腰が折れるほどお辞儀をしていたが、詫び言葉を息子に小声で教えている姿は、謝るにほど遠い心根がのぞいて、哀れでさへあった。先代の思いを伝えるプロンプトだったらば救いはあったものの、ゴマカシ、言い逃れの伝授とは呆れたものである。
政治や行政の「偽」は言うまでもないので省くとして、我々人間の地球への偽は、そのまま自分たちの破滅をあらわしており、地球儀が“地球を偽る”地球偽になっている。洒落にもなんねーな。

今までも「今年の一文字」は毎年あったことで、これからもあり得るものだ。そこで敢えてわたしが一文字で言うなら「未」だと思う。
『事のいまだ終了しないことを表わす語(広辞苑)』というように、すべてが未熟だった。政治のトップは未熟な二世議員の未熟な首相の未熟な目。公僕としてよりも、働く人間として未熟な犯罪者といえる年金横領、不作為、ゴマカシ役人がいる社保庁は未官僚のトップ。どちらも未詳だらけだ。
世界を俯瞰するとなると、多分「未」の雲に覆われて、地上が見えない事になっているのではないかと思う。「未」は永遠のテーマかも知れない。
わたし個人としては、さほどの病いもなく収入もなく、賞金稼ぎは最低で小遣いに四苦八苦したことからの反省として、来年こそはと67才にして決意している。
しかし今聞いたことも忘れてしまったり、覚えていた顔の名前がどんどん消えたり、なにしに来たのか覚えていなかったりと、記憶との戦いが次第に熾烈になってきている。少なくとも湧いてきたイメージだけはメモして守らないと、存在価値さへ危ういというのが実感だ。
なんとしてでも、自分の“未”来は自分で創らなければと、自戒を込めて来年に向き合おう。
などと、らしくない。やっぱ、もっとフザケなくっちゃと、傍らでは悪魔がささやいている年末なのだ。

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登録日:2007年 12月 17日 17:12:42

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