カテゴリー [エッセイ]

1年ぶりのアップ

画像

今年はしょっぱなから出鼻をくじかれた。
元旦午前3時ごろは晴れていたが、6時にいざ出かけようと起きると、ぼた雪がこれでもかと降り出していた。道路は大丈夫だったが、雪に向って走り出すと、カーテンのように視界がふさがれ、途中でヤバいと引き返してしまった。
2日にはすっかり積もり、道も凍結している。だが雪は止み、温度も上がってきたので、昼にはジャリ雪になった。当日は長男が迎えに来て、義姉宅で新年の集まりという恒例の行事があるが、支障はないようだ。近くだが、わたしは飲むので毎年送迎してもらうのだ。
飲み食いしながら勤め先の電力会社の話になった。今は研修所の指導員をしているらしい。新人は10か月の間、理論と実習の両面から教育を受けるが、その過程で今様の若者の傾向がいろいろ見られるらしい。趣味の剣道では、そろそろ5段を狙う準備にかかるという。昇段は勝てば上がるのではなく、心技体の面で数年の間隔が設けられている。従って高段者であるほど年齢が高くなるわけだ。強ければ位が上がるプロ、特に相撲の盲点はここにある。どうしても奢りが生まれ、態度に出る関取がいる。いくら星を取ったとはいへ、そんなシーンを見ると相撲道も落ちたものだなとがっかりする。残念ながら外国力士を指導しきれない親方自身が再教育を受ける必要がある。
ここんところ、息子から盆暮れに小遣いを貰うようになった。みんなカミさんにいってしまうから得することはないが、そのたびに年を取ったなと思ってしまう。カミさんは「次は車を買って」と、とんでもないおねだりをする。わたしがあわてて「いまので充分」となだめるが、母としては息子が頼もしいと、つい甘えてしまうのだろう。流れとして、亭主が年金男ではそうそうデカイ買い物が出来ないことにある。小遣いさへこの頃はあまり稼げなくなり、今年はもっと頑張らなくっちゃと、ごく卑近な年頭の覚悟となった。トホホ…。

クリスマスから今日にかけて、中東情勢が緊迫している。
中東の相関絵図は単にイスラエルとパレスチナの問題に収まらない。いよいよ地上戦になってきたが、アメリカをバックに圧倒的な優位を持つ軍事力を持つイスラエルは、ロケット弾以外は有効手段は無きに等しいハマスをやっつけることを口実に、一般人をも差別なく殺すに違いない。アメリカが過去繰り返してきたヴェトナムやイラク、アフガンでの感覚と同じである。弱者の戦法であるテロはさらに増えるだろう。長期戦は必須だ。
宗教が絡むのは無論だが、それよりも取り巻く環境が複雑で、中でもアメリカとイスラエル、アメリカとエジプトの関係がややこしい。アメリカのネオコンやイスラエルの主戦主義である国防大臣らは、一説によればイスラエルをつぶすのが目的といわれ、闇の底で蠢く権力亡者どもの画策は計り知れない。考えたくもないおぞましい輩によって戦争はつくられていると思うと、手のつけようのない人間の業を感じる。
例えばこの局地戦がイランやシリアを巻き込むとなると、必ず原油高騰があるが、これで得をするのはロシアである。今の低価格で推移すると、豊富なエネルギー財産で威張り散らすことが出来なくなり、プーチンや大統領は困った立場になる。当然なんらかの謀略をめぐらすだろう。グルジアでの強硬態度を見れば充分あり得る。国内がガタガタすれば政権が危なくなり、こんな時の常とう手段である「外に目を向ける、向けさせる」ことに心血を注ぐだろう。
アメリカも同じで、民主党が政権を取ったオバマとそのまわりが今のままで国内を安定させられるか。ブッシュが世界にばらまいた害毒(戦争と不況)を引きずったままの継承を見ていないと、イランと戦争したがっている
勢力が何をしでかすか分からない。

それにしても、日本の現実は情けないの一言に尽きる。「みんなで頑張ろう!」という気概が大企業の姿勢に見られない。膨大な内部留保をもちながら、共に働いてきた人たちを容赦なく切り捨てている。その言い訳は必ず「グローバル化」である。人をまともに扱おうとしない企業が生き残って、社会的にどんな存在理由があるというのだ。経団連のトップはその典型で、口では「人は大切」といいながら、自企業であるキャノンの非正規社員をスパッと切り捨てている。
クビになった人たちは闘ってほしい。特に契約期間以内にもかかわらず切られた人は、全国で裁判を起こすべきだ。なによりも自暴自棄にならず、もっと怒ってほしい。
政府はおたおたするばかりである。100年に一度の不況と言いながら、対策は遅々として進まない。党派や省を超えた特別チームもつくらない。建てた政策も大不況対策とはいえない。給付金を配るというが、たかだか12000-20000円である。財政出動というならこの際1世帯10万円以上は配れといいたい。チョコチョコと細切れな施策を重ねても、砂に巻く水のようなもので、効果のほどは知れている。道路特定財源にしてもほとんどは今まで通りの道路利権に回ってしまい、一般財源化はされなかった。行革は更にごまかしの連続で、これでは渡辺喜美さんが頭に来るのは当たり前だ。現在の甘利行革担当相はへたれもいいところで、枡添氏ももはや役人の言いなりになっている。まだまだ数兆円の無駄が続くということだ。

ちょうど一年ぶりのアップである。出来るだけ日々の変わり具合を綴っていきたい。
今朝も冷え込んだ。
この寒空に、どれだけ多くの人が不安と寒さで震えているか、都心の格安官舎でのうのうとしている役人たちは、ボランティアに駆りだして、食や住を失った人の世話をさせるべきだ。政治家も同様である。民間団体や自治体にだけ任せた結果となった年末年始をどう見ているのか。正月だからといって空が晴れ渡るわけではない。大企業や行政の日本人としてのモラル下落は重い雪雲になって、いよいよ道を凍らせている。
阿吽の獅子は居るが、「阿」が伝えようにも「吽」が応えない事柄が増えてきたようだ。

*写真は一応自写像。自分を見つめ直す?

カテゴリー[ エッセイ ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2009年 01月 13日 12:50:10

夫唱するから婦随?

〈日々是休日〉のダラダラした時間を過ごしている。ダラダラをどう解釈するかは中身に関わってくる。
日に一度も外出しないと、わたしの中では無為の一つの条件になる。外に出たからどうというわけではないが、体質として家にこもることに罪悪感を感じてしまう。ただの出たがりなのかもしれない。一日家で過ごして小難しい本を読み、なにかを会得すれば満ち足りたことになるのだろうが、30分でも外出して田んぼの脇で冬眠前の蛙をほじくる方が、わたしには面白い。動きが鈍くなったツチガエルをひっくり返して、「おまえはいつ見てもきたねぇなぁ」といちゃもんをつけると、ヌターと起きあがりながら、「てめぇの面も似たようなもんだぜぃ」と、蛙が言い返してくる。
ひと冬を同じ土色の中で過ごし、春を待ってまたケロケロキャッキャッと♂♀たわむれて寒天みたいな卵をつくるわけだ。ずっとそうしてきた。飽きるということがない。今の時期は背中の白一本ストライプは何故か切ない。
しかし外出が、ここ2,3日ままならない。カミさんがあまり動かなくなったのだ。先日までわたしが食欲不振でデレーとしていたが、その後、真似するかのような状態である。
布団に入って2時間ほど経った頃だから午前0時から始まった。
ドタンとベッドから足を下ろす音、あわててトイレへ向かうドタドタドタ・・・、ドアを開け閉めバタン。「ウッ!げーげーげー、カッカッ」と吐く音。これが1時間おきに朝まで続いた。
最近はビールも飲まず、特におかしなものを食べてもいないので、ふたりで「どうしたんだろう、どうしてだろう」を繰り返すばかりだった。
嘔吐と寝不足で動ける状態ではなく、落ち着いたら病院へ行くと決めた後は、コタツに入ってぐったりしていたが、やはりトイレ行きは続いた。ほんの少し治ったと思ったら今度は下痢だと言いだした。これはちょっとヤバイと病院を勧めたが、今のままではきつくて駄目というので、とにかく小康を待つことにした。
二人とも食べる気がしない。
食欲が無くなるという現象は面白い。本当に喰いたくなくなる。空腹感がないから喰いたくない簡単な図式だが、これが理解できない。あたり前だが分からない。具合が悪くなるとはそういうことなのかなと、互いの青ビョウタンみたいな顔を合わせて、午後を過ごした。
わたしは今日はかなり快復し朝飯を摂ったが、嘔吐下痢は止まったものの、カミさんは粥を少し口にしただけで、げんなりしている。昨夜はよく寝たようなので心配なかろうと、様子を見ることにした。

フランス人は「食べるほど食欲がでる」と言ったそうで、馬鹿なわたしは、食べることに精通している国民だから間違いなかろうと、あれやこれや買い込んで食べさそうとした。やわらかで甘味があれば良いかなと、よもぎ皮のアンパン、カステラ、プリンにうどん。カミさんは見ただけで“マァー!”と呆れていた。少しでも食べれば喰えるようになるんだからと勧めて、やっとゼリーを食べた。しかしフランスの言葉はどうも引っかかる。理屈に合っているようでおかしい。
彼らは「よい夕食は必ず空腹によって始まる」とも言っているからだ。空腹は最上の調味料か。調べてみると前言は「手に入れると、もっと欲しくなる」の例えらしい。腹の調子が悪いときの話ではなかった。
夕方になって、少しずつ日常の家事をするようになったので安心はしたが、以前にも似たことがあった。
わたしが風邪を引くと、その後すぐゴホンゴホンし出すし、転けると転ぶ。腹を痛くすると「あら、あたしも」と言う。あんまり真似て欲しくない。おれはもう治ったから明日にはメシつくってくれよてな心境だ。

カテゴリー[ エッセイ ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 12月 12日 18:56:21

格付け=権威か?

画像

銀杏が本当に散り始めた。
街中にいると、人々の装い、店頭の野菜などで秋を知るのだが、秋から冬への着替えという点では銀杏の色づきを見るのが手っ取り早い。風が一吹きするたびにヤケになって散っていく。黄金色の魅了を知っているように、これみよがしに三角形の出来損ないの葉っぱが一旦高く舞い上がり、ヒラホラ足元を敷き詰めていく。空気はやっぱり冷たくなった。

ミシュランというタイヤ会社が世界のあっちこっちの食い物屋のランク付けをしている。
星印3個が最高で、2個1個もそれぞれ意味があるとか。数ではパリ、ニューヨークを抜いて東京が1番になった。何ごとも1番は良いのだが、思った通り東京に住む一部の方々は大騒ぎだ。多分、この道では権威があるのだろう。
今日、詳しい内容の本が発売になった。料理はもちろん、品格や清潔さ、もてなしなどが記してあるらしい。格付けの結果と理由が分かる。
こういうとき、必ずわたしのようなひねくれ者がいる。ミシュランが格付けした。ミシュランの基準である。そんならその格付け内容を格付けするのは誰なんだ。
確か、アメリカあたりで企業のランク付けをしているところがある。金融業、製造業などのジャンルに分けて、「これは伸びる、これはヤバイ」と、世界中の会社を舐め回して評価する。評価する側のチェックはだれがするんだろう。
今や少なくとも日本で大企業といわれるところ、老舗といわれるところの一部は、自ら信用を失墜させている。あんな大きな会社がインチキしたりごまかしたりするはずがないーそれが「する」のであり「してきた」のであり、他も「するであろう」と思われ始めた。権威や信用で培われてきた“名前”がドロドロ溶け始めている。残念ながら教師、医師、警察という、我々の世代では三大権威といわれてきたところも、時には「スケベ、ゴマカシ、ウソ」3要素が当たり前になり、公務員の公務員たる姿勢はいうに及ばずだ。厚顔無恥は何世紀経とうが死語にならず、歯ぎしりしすぎて臼歯が馬並にすり減るのも当分続くようだ。
正義=権威を謳ってきた国アメリカになぞらえば、正義などない。あるのは武力の強弱による恫喝の仕方がうまいか下手かだ。中国、ロシアも同じで、日本政府はあっち見てウロウロ、こっち見てソワソワの部類にはいる。弱いなら弱いで、泳ぎ方ぐらいズルするならまだしも、その勇気さへない。そのくせ、政治家さんの中では「大物」と自他共に格付けされたとされる人もいる。

こんな風に、誰がなんのために「格付け」して喜ぶのか、わたしには分からない。そうです、わたしは貧乏人です。だから三ツ星の2万3万する食い物は、わたしにとってはもはや食い物ではないのです。喰えないものは食い物ではないからです。

せっかく物静かに語りだしたのだが、やはり日頃溜まっているウップンがどうしても洩れてくる。お屁だったらバッ!!の一発で済むが、世の出来事への不満は五臓六腑にしみ込み加齢臭になって、カミさんあたりから文句を言われる。これはいくらゴシゴシ洗おうとコロンをぶっかけようと決して無くならない。新聞テレビネットから遠ざかれば自然消滅して、本来の得も言われぬ芳しい香りを発するというわけだ。分かってくれないだろうな。
星は星でも、わたしは七つ星テントウ虫を見ていたほうがいい。食べはしませんよ。

カテゴリー[ エッセイ ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 11月 22日 17:44:56

喰うこと

自慢じゃないが、67年生きてきて朝飯を欠かしたことはない。少なくとも食べなかった記憶はない。
朝飯は良いものだ。一日の始まりとして、これほどふさわしい行事はない。
昨夜いやいや食べたものでも、朝になると「旨い旨い」になる。元々朝型人間なので、夜が近づくにつれて凋んでいくせいもあるが、
朝飯となると、何故こうも浮き浮きするのだろう。我ながら時々おかしいと思う。
朝食担当としては、目が覚めると先ず味噌汁の具を考える。昨日は豆腐に若布だったから、玉ねぎと油揚げにしよう。メカブはあったかな?あとは納豆に海苔でよかろう。
今は夫婦二人だからこんなところだが、食べ盛りの息子二人が居た頃は大変だった。共に働きながら家事分担でなんとか凌いできたが、その頃から我が家には朝食の場が欠かせなかった。なにがあろうと家族全員しっかりと食べ、話をし、連絡し、確認し合って、一日を始めていたからだ。

国立教育政策研究所の2005年度調査によると、朝食を1人でとる孤食は、小学生で20・1%、中学生では41・6%にもなる。いくら生活の形が変わったといっても、あまりにも家族の原則を無視している。餌ではないのだから食べればいいというものではない。
当然テレビを見ながら食べ物を口に運ぶ「作業」になり、まともに箸を持てず、食事のマナーも学べない。こういうことは親が小うるさく言うものだ。もっとも親が出来ない傾向もあり、いずれはフォークを使うか、2本揃えて逆手に持って使うことになるかも知れない。ちょっとした知日派の外国人に教えてもらうことになるかも・・・。
何故かメシの話になると、自分でもおかしいほど生き生きしてくる。現在飢えているわけではないが、戦後の飢餓を経験しているからか、喰うこと自体に喜ぶ気持が根付いている。生存の基本はいつも魅力に満ちているものだ。

「吉兆」や「赤福、御福」など経営世代が代わるにつれて、老舗という謳い文句は単なる金儲けの道具になり、初代の志からどんどん遠のいていくようだ。わたしはそもそも、ブランドを信用しないタチだ。値段が高くて旨いを喰わせるー当たり前ではないか。金をかければいい食材が手に入り、腕のいい板前も雇える。それを適当に「もったいぶり」で飾り、仰々しく仕立てる。“一見(いちげん)さんお断り”なんていう看板を麗々しく掛けているところに、わたしはまったく興味を持たない。行けないから僻んでいるのではない。見たり聞いたりするだけで、先ず嫌悪感が生じる。
「安くて美味しく」みんなが食べに来る努力こそが、本当の経営である。看板にすがって、中身に見合わない料金を設定する奇しさに、店も客も気付くべきである。とはいえ、それをステータスとしている人は「ご勝手に」だが・・・。

そんなことより、食品がどんどん値上がりしている。3束100円だったエノキが1束80円になったのには驚いた。ほとんどが原油高騰でハウスものや運送に金がかかるのだろうが、野菜全般でも1,2割高が実感だ。原産地が不明だったり偽装したり、加工品の中身が表示と違っていたり、賞味も消費も知らないデパ地下だったりしているうえに、エンゲル係数が毎月上がっていく。これから本物を当たり前の値段で買える時が来るとも思えないが、嘆いても始まらない。さあ、朝飯でもつくるか。

カテゴリー[ エッセイ ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 11月 11日 06:18:41

炭坑節まつり

画像

炭鉱の歴史と文化を全国に発信する
『第2回TAGAWAコールマイン・フェスティバル ~炭坑節まつり~』 

去年に続いて撮りに行った。
この前は肝心なところで電池が切れてしまい、歯ぎしりしながら引き上げ、炭坑節の総踊りが撮れなかった経験を踏まえて、今年は電池もメモリーも用意して、シャトルバスが出る美術館前に出かけた。
着いて駐車した途端バスが来たので、「ラッキー!」と乗り込んで数十メートル動いたところでカメラを忘れたことに気付き、あわてて運転手さんに停めてもらった。結局はそれから30分待つことになり、年々ドジが多くなる加齢を恨みながら、隣の図書館で時間を潰した。

今年は会場が市営球場隣の広場に変わったので、先ずは撮影場所を確認した。高台が少なく、最も良いところでもテントの屋根が邪魔する。総踊りが始まるまで時間があるので、ぶらつくことにした。周囲は出店で埋められている。焼きイカ、焼き鳥、麺類、様々な飲み物、それに衣類や雑貨など多種で、中には「自衛隊員募集」のコーナーもあり、カッコいい戦闘機や戦車などのパネル写真を貼り付け、3,4人の係りの人が人待ち顔に座っていた。ただ会場には中高生は殆ど見当たらず、あまり勧誘は期待できないようだ。若者ばかりではなく、時には経験豊かな老兵を募ってみたらどうか進言しようとしたが、そういう発想が持てない組織に言っても無駄と思い止めた。

舞台では、民謡炭坑節、田川市民の歌、田川小唄の披露、Reikaシスターズ、美川憲一そっくりさん、味噌麹きくまろなどのステージショー が演じられていた。芸能人のそっくりさんは昔も居た。一種、もの悲しさがただよっていたが、今は「美しき天然」の時代ではない。アッケラカーンである。

4時近くなって、やっと始まった。市長の「炭坑節発祥の地宣言」とともに、公表2000人の炭坑節総踊りである。
15分ほどは高台からテントのV字形の隙間になんとか絵を収め、あとは1メートルのところで邪魔にならないように撮りまくった。
一段落したところで、今度は三味線と生歌による炭坑節(歌:金丸和代さん、木乃村有希さん) である。
企業や団体の参加が殆どだが、それに一般参加が入り、賑やかこの上ない。よく見ていると、若い人は適当にふざけて笑ったりしていたが、お年寄りはやたら真剣にニコリともせず、「掘って掘ってまた掘って、かついでかついで・・・」という振り付け通りに、手先もピンと伸ばして踊っている。これが当たり前なのかも知れない。昔日の想いと今の押し寄せる苦労が重なり合い、生きてきた証の皺が深々と魅力をたたえていた。
簡単には入り込めない時代への怨念やら栄光やらがひしひしと感じられる。
約30分ぐらいだったろうか。何重もの輪が夕暮れの中でひたすら行ったり来たり、ヒヤリとしだした秋の風が、もの哀しかった。

カテゴリー[ エッセイ ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 11月 06日 12:33:59

小郡を後に

画像

会場の裏側に、家周りが旧家といえる建物があった。手入れを怠っているか一時中断している庭があり、柿が鈴なりに実っている。脇に切り取った竹が20本ほど立てかけてあり、草も味のある生え方で、年を取った夫婦が息子の帰りを待っているような風情である。勝手な想像を巡らしながら、下り坂になった帰路を歩いていった。
わたしの田舎道は、中学の登校道だ。静岡駅を境に、南側は幅広ながら未舗装道路で、表駅と違って‘駅南’と呼ばれ、少々田舎ッぺのエリアだった。駿河湾に面した大浜海岸までは、殆どが田畑で、発掘されて騒がれた登呂遺跡も田んぼの真ん中。町名も中田というところの国鉄宿舎が住み家だった。昭和30年前後の話である。
そこから安倍川畔にある大里中学までは約4キロ。道幅が2メートルほどの、田んぼを貫く田舎道そのものである。雨が降ると穴凹だらけで、まだゴム長など買ってもらえず、下駄と重い番傘である。晴れると土埃が舞い上がり、芳しい匂いもそちこちから香ったが、それが当たり前の時代だ。小川でエビガニやら小魚で遊んだことも当然である。
2年前に訪れたときは、滅茶苦茶開発が進んで、面影のオの字もない。味気ないアスファルトとコンクリートと住宅が覆い尽くしている。日本全国、同じ流れに乗っていたので、大げさに言うことではないが、松崎の道は、それに比べたら雰囲気がかなり残っていると思った。進歩が変化とは限らない。変わらない逞しさが良いというと、ジジィになったなと言われる。しかしよく晴れたものだ。あまりにもカラリとしていて、これ以上思うこともないくらいだ。

基山を経て、また久留米で時間調整だ。小1時間ある。蕎麦には懲りたから他のものをと駅前を見渡したが、これといった喰い物屋が見当たらない。やっと見つけた。普段はカミさんが食べないので口にしないラーメンと餃子である。それもここ発祥の久留米ラーメンだ。早速セットで630円(ラーメンだけでは450円)を頼んだ。
ウーン、久しぶりの禁断のラーメンであったが、それなりのブランド名であったが、特製麺と自慢げだが、不味い!まずい!マズイ!ここでもモサモサの口当たりだった。ケチつけるつもりはないが、残念。

というわけで、さてどうしようかと所在なく駅前の石ベンチに座っていると、近くの木からカチカチッという音がする。見上げると、大きめの鳥が橙色の木の実をついばんでいた。
佐賀周辺にはカチカラスと呼ばれるカササギが居る。鴉とは姿も鳴き声も違う優雅とさへいえる鳥で、呼称の所以は「豊臣秀吉の朝鮮出兵をしていた時、佐賀藩祖の鍋島直茂という人が、鳴き声であるカッチという発音が〈勝ち〉に通じるので持ち帰ったそう」で、そもそもは韓国では国鳥・吉鳥といわれる。観光でここいらを通るたびにガイドは必ず同じ話をするので憶えていた。

なんやかや言う割には大した行動をしたわけでもないのに、やはり年を取った証拠なのかも知れない。ウム、自戒せねば。
というわけで、久大線、日田彦山線とのぼって帰宅した。
途中、豆畑で老夫婦がのんびりと収穫していた。

約12時間の行程ながら、わたしには久しぶりの遠出で、ヒィハァしながら歩いた成果があったかどうか。というより、成果を期待するものではないと結論づけたい。

カテゴリー[ エッセイ ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 11月 01日 16:59:17

小郡を訪ねて 3

画像

右側に、臨時の駐車場になっている三井高校のグラウンドを見ながら更に進むと、一部通行止めの札があった。
大きめのテントが5張りほど張られ、2,30人の係りの人が忙しく準備に取りかかっていた。
こちとら、やっと着いたことと歩き疲れからどこか坐れるところはないか探したが見当たらない。
天気はほどよく晴れ、近くの旧い住宅は静かに佇んでいる。普段は人の行き来も少ない落ち着いた場所という感じだ。
そんな中の小郡市松崎・桜馬場に、野田宇太郎の“水鳥”詩碑があった。
---------------------------------------
   水 鳥
みづうみ

たったひとつのやさしい部分

みづうみ 

声のない微笑の輪

はねをつけてとび立つ

ひそやかな愛


それを撃つな
         『旅愁』より
----------------------------------------
横幅は21メートルぐらいだろうか。さほど大きくもなく、水鳥にちなんで床面にはサラサラと水が流れており、碑としては演出されていた。

10時40分頃から受賞などのリハーサル?があり、一般を除いた小中学生らがおねえさんの「あっち向け、こっち見ろ」の指示に、
こわばった表情で従っていた。
わたしは周りをウロウロして所在なく写真を撮っていたが、だんだん人が増えてきて、テント内やその周辺は動きづらくなってきた。こういう場では必ず胸にリボンを付けるよう言われる。主宰者側は目印になって分かりやすいだろうが、どうも落ち着かない。典型的な自意識過剰で、それがわかるから余計に落ち着かず、ぎりぎりまでポケットにしまっておく。いっそのこと帽子をかぶらせて、その形や色で判別すれば面白かろうが、偉い人にトンガリ帽子なぞをあてがったら「クリスマスじゃない!」と、怒って帰ってしまうかも知れない。
わたしは一番後に座った。ここからは椅子のうしろの貼り紙がよく見える。市長席、議長席、議員席、文化協会会長席、国会議員席などと、こういう自治体主催の催しに必ず見られる議会、役所関係者が半分以上を占めている。これは退屈になりそうだと覚悟した。
あとは来賓、報道、受賞者及び選者、野田氏ゆかりの人といった具合である。そのテントをぐるりと一般参加者が取りまき、およそ150人ほどが揃った11時に式が始められた。

献花や献詩朗読、入賞者表彰とすすみ、式次第は「合唱」となった。
最初に、おそろいの緑のユニフォームをまとったおじさんおばさんグループが「松崎の道」を唱った。共に、作曲者である山田レイ(日へんに令)子さんも着物姿で合唱された。

  ‘松崎の道’
ははありき
ちちありき
われは をさなく

ちちははの
はかにこけむし
われもはや おい

かえりきぬ
をさなごころに
おもいでのみち

ののはなの
さきみだれたる
松崎のみち

         野田宇太郎 詩
         山田 レイ子 作曲

今でも「ののはなの さきみだれたる」面影が確かにあった。来る道すがら、昔はきれいだったであろう小川が流れていた。日本のどこにも見られた風景だが、両親共々古里としてあった松崎は、野田氏にとって歌い上げるほどの“道すがら”だったに違いない。歩く人によって、単なる田舎道にも数々の想いが散りばめられている。そんな道を、人それぞれ持っているに違いない。歩いているに違いない。


校歌にも似たものを感じる。
学び育った学校の歌ーわたしの時代はなにかにつけて唱わされ、その時は仏頂面だっただろうが、50年以上経ってもちょっと出だし
を教えてもらえば、すらすら出てくる。
小学校時は転校だらけで、一つも憶えていないが、中高は出来る。
子供たちの出番で最初に唱われたのは、野田氏作詞(森脇憲三・作曲)の「立石小学校校歌」だ。
一番だけ記してみた。

“光と風の 空はるか
 今日もそびゆる 城山は
 明朗の性 育みて
 学ぶわれらの 希望を燃やす
 学ぶわれらの 希望を燃やす
 立石 立石 立石小学校”

地名と名所を適度に織り交ぜ、心得やスローガンをやさしい言葉でくるんで唄えるという、力まない元気さが良い。
20人ほどの生徒は「つばさ」と銘打ったお揃いで、緊張もあったが口をいっぱいに開けて、唱って聴かせてくれた。
このあと、松崎に伝わるわらべ歌の「お城のサー」も唱ってくれた。

“おしろのサー おんさむらいしゅが
おかごで いっちょうけ いっちょさまドン
ドンとのさまは どのかみさまよ
こうこうしながの さやかのドン
おんよしわらの よねぞうさー こめぞうさー
ほうきではわくが おとひめさん
ほら ひーに ふーに 
やーに ここのとうかえして おしろのサー”
どこの童歌も、意味は完全には掴めないが、なんとなく調子に乗せられて口ずさむ楽しさがある。ボイス・レコーダーを持ってこなかったのが残念だった。

野田氏の次男ご夫婦が横浜から駆けつけ、謝辞を述べた。あまりこういう場になれていないようで、時々言葉に詰まりながらも訥々と話す姿勢に親しみを感じた。

この後、事務局から「野田宇太郎・文学資料館」や「筑後松崎宿」の説明、公民館での昼食を兼ねた露店のお知らせなどがあって、約1時間で終わった。
また駅までえっちらおっちら歩かなければならない憂鬱が先に立って、食事を摂る気も起こらず帰ることにした。

【野田宇太郎生誕祭 市民ら150人が参加 小郡の偉人しのぶ
小郡市出身の詩人、野田宇太郎(1909‐84)の生誕祭(西日本新聞社など後援)が28日、同市松崎の詩碑前で開かれた。市民ら約150人が参加し、郷土の偉人をしのんだ。
野田が愛したコーヒーを遺影にささげる恒例の儀式に続き、献詩コンクールの入賞者らによる受賞作の朗読が行われた。野田が校歌を作詞した地元・立石小学校の児童による校歌斉唱もあり、子どもたちの元気な声が秋晴れの空に響いた。
野田の三男、野田龍彦さん(63)=横浜市在住=も訪れ「多くの方に集まっていただき、感無量です」とあいさつした。】
=2007/10/29付 西日本新聞朝刊


サイト名は「歴史と文学の散歩道(松崎宿) 」となっており、
http://matuzaki.orz.ne.jp/NODA.htm 

カテゴリー[ エッセイ ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 10月 31日 17:20:17

小郡をたずねて 2

画像

夜明駅までが69分。乗り換えて、久留米までが49分となっている。
久留米着が8時近くながら時間が余っているので、時間つぶしに途中下車した。それにしても、おのれの体力のなさには愕然とする。階段を上がるたびにハアハア息切れ、50歩歩いてヒィヒィひと休み。なんとまあ情けない体たらくだ。循環器の衰えがいよいよ誤魔化せなくなった。しかしこんなになっても、早々簡単に認めたがらないのが質の悪いジジィたる所以で、歯を食いしばっても「まだまだ」はなかろうとは思うのだが・・・。
駅前は元気がない。ちょっとした広場にデカイ時計があり、8時になって鳩時計形式で人形がゾロゾロ出てきて地酒の宣伝を始めた。曇り空にカラ元気だ。心情として合っている。
駅を出て左側に「うどん そば」の看板があったので喰うことにした。わたしには家の外に出ると食欲が倍増する体質がある。博多ー東京間の新幹線で、駅弁3食をたいらげた実績からすれば3時間前のドンブリ飯はとっくに消化されており、食欲も正当なものだ。誰も訊いていないのにどこか後ろめたい。誰に言い訳しているんだろう。
カウンターが6席の小さな店で、中年夫婦が迎えてくれたが、清潔感があった。そしてここは旨くないとピンときたが、今更出るわけにもいかずゴボ天そばを頼んだ。東京からこちらに来たとき、蕎麦と言っていてもほとんどウドンに近いと感じた。細いウドンに蕎麦色を付けたようで、この時点で蕎麦への期待を捨て去った。出てきたモノはやはりモサモサとねちっこい口当たりで、これだったらよほどカップ蕎麦の方が喰えると思ったが、390円も取られるので我慢して流し込んだ。
駅に戻って、鹿児島本線の基山(きやま)まで15分ほどで着いた。ここから松崎までは私鉄の甘木鉄道になる。これも15分くらいだ。
着いてなお早すぎる時間が気になって、喫茶店で過ごそうと探したが、全くない。駅前には飲食店は一つもなく、タクシーもない。久留米駅前でさへ喫茶店はなかった。ラーメン屋とミスタードーナッツである。松崎駅の写真を見ればどんなところか予想がつくだろう。
会場は国道を渡って一直線の先だった。「近くて遠いは田舎の道」と昔は言ったものだが、久しぶりにそれを実感した。両脇は住宅と畑が混在しており、これといった被写体もない。道に沿って「小郡市 松崎」と看板を付けた街灯が点々とある。その下には企業名や学校名があり、多分道案内の役を果たしているのだろう。これは三井(みい)高校のそれで、確かに近くにその学校が見え、今日文化祭が開かれると案内書にあった。
あとは唯一、花畑らしいもので、葉が落ちた桜木がアクセントになってまあまあの姿になっている。

カテゴリー[ エッセイ ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 10月 30日 04:36:15

小郡をたずねて 1

画像

この日は朝5時に起きた。
面倒なので卵かけご飯にしたが、一工夫してみた。ドンブリ飯の上に割った卵を乗せ、小間切れにしたトマトを置き、醤油ではなくウスターソースをかける。あとはガーッとかき回して「ガッガッ」と得意の3分喰いである。メタボ体に良いわけないが、時々無性にしたくなる。
駅から少し離れた駐車場に着いて、まだ暗いなか、日田彦山線下りの始発5時49分を待った。
こんな時間に駅ホームで電車(気動車)を待つなんて久しぶりだ。小郡市松崎の催し物は11時からだが、これに乗らないと間に合わない不便さである。なにしろ3回は乗り換えなくてはならない。それだけでもうんざりするが、これも最近ない乗り方である。
見方によっては奈落の底のような階段を上って降りて、朝露にけぶる中、10分ほど待った。半袖のTシャツにジャケットはちょっと寒い。所在なくカメラをいじくるうち、大分行きの2両編成が着いた。わたしと、登山に行く格好のおばさんの二人だ。
ディーゼルエンジンのタンタンタン・・・とうるさい音は、結構淋しさを紛らわせてくれる。なんとはない寒々しさが懐かしい。
汽車ポッポの時代、車内は薄暗かった。人々の多くの顔も思いつめたように暗く、独特の哀愁がふと蘇って来る。加えて石炭の匂い、汽笛、夜汽車の車窓からポツンと見える農家の灯り・・・。そんな想いに耽っている間に、東の空が白々と明けてきた。窓外が明るくなると気持も楽しくなってくる。
そんなとき、途中の大行事(だいぎょうじ)駅で面白いものを見つけた。黄色ならぬ橙色のハンカチである。黄色のつもりだろうが手許になかったのだろう。単に話題づくりなのかもしれない。どうせなら「ピンクの猿股で世界平和」や「地球を愛してグリーン・バンダナ」と、この地域の独自性を打ち出せば本当の話題になったんじゃないかなと思った。
1回目の乗り換えは「夜明(よあけ)」駅である。左は日田方面で、右が久留米に向かう。久大(きゅうだい)線(久留米の久と大分の大)を走るのが今回の楽しみでもあった。
7,8年ほど前の記憶では、かなり旧い客車が使われ、背もたれは布のクッションがあるとはいえほぼ直角で、路線そのものがのんびりしていた。今はごく普通の気動車(キハ)で、車内も小ぎれいにまとめられ、快適ではあるが味気ないものだった。

カテゴリー[ エッセイ ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 10月 29日 17:23:48

Da Capoの休刊など

画像

雑誌出版の栄枯盛衰は当たり前である。
ジャンルが同じながら種類が多すぎる。読む方は選択肢が増えて、見出しや目次で自分に合ったものが買えるのだが、綺羅星のようにずらりと並んだ同種類を見ると迷うばかりで、つい面倒になって買わず終いも多い。時代からずれたコンセプトを持つもので、意識してそうである場合は面白さがあるが、そうでないものは簡単に消えてしまう。

そんな中、迷わず買っていた「ダ・カーポ」が12月で休刊するという。紙質は良くないが、構成やまとめ方がコンパクトで、コラムの内容も充実していた。値段も大きさも手頃で親しみやすい。インターネットの普及で、情報収集の仕方が変わり、20万部から約8万部まで部数が落ち込んだのが原因と言われる。新聞も同様の競合状態に置かれて、ニュースの伝達そのものを変えざるを得ないらしい。ダ・カーポとは音楽用語で“最初に戻る”という意味らしいが、“初心にかえれ”ということで、いつも新鮮でいたかった想いを含んでいた気がする。

「話の特集」は、いまではもう伝説的な雑誌といってよく、65年から95年の30年間発刊されていた。読者ではあるが、特にオタクでもないし、休刊のニュースを知ったとき、それほど名残惜しいとは思わなかった。
いま思い返せば、青春から壮年期に入る時期、その都度面白い感覚を味わったのは確かだ。ちょうど小劇場が盛んになり、いつもは脇っちょに居たカルチャー達がざわめき始めた頃である。ぴったりの、生まれてしかるべき時に、望んでいた形で目の前に出現した。
編集長の矢崎泰久氏そのものがこの雑誌だが、和田誠氏も当時の新しいスタイルに欠かせない参加者だった。
いつもはポンポン捨てていくわたしだが、これに限って十数冊段ボール箱で保管している。

最近読み出して面白い雑誌に、講談社の「クーリエ・ジャポン」がある。最初は月2回だったが、今は月刊誌になり、落ち着いてきた感じだ。海外メディアと特約を結んで、その時の話題性も含めて各国・地域を動きをうまくまとめている。
以前上京の折、編集長の古賀義章氏と少々立ち話をしたこともあり、その顔がダブって浮かぶこともあることから、愛読している。

時々「文藝春秋」を読むが、これほどスタンスの変わらない月刊誌も珍しい。そこが長寿の秘訣といえようが、あまり面白くないので、買うのは年に数回だ。出だしのコラム欄の筆頭がいつも阿川弘之氏なのも影響している。10月号は、佐藤優氏(起訴休職外務事務官・作家)の「インテリジェンス交渉術4」のサブ『酒は人間の本性を暴く』に惹かれて読んだ。ソ連からロシアに移る際のエリツィンとハズブラートフの確執など、なかなか中身の濃い一種の暴露内容だ。こんなものを見つけて、図書カードがあるときはいろいろ取り混ぜて買っている。

読み物は読む人間があって存在価値がある。価値も時代によって、どんどん変わっていく。「古い」と言われて、捨てられ忘れられていく。人間も同じ。それが歴史なのだろう、か?

カテゴリー[ エッセイ ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 10月 13日 08:07:54

1   |   2   |   3   |   4   |   5      »      

カレンダー
< 2012年 02月 >



1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29


プロフィール
anraku.k
(男)
最近のエントリー
[05/11] おかしな判決
[01/15]  自由律
[01/13] 1年ぶりのアップ
[12/17] “未"
[12/12] 夫唱するから婦随?
[12/10] 食欲がない
[12/05] 古神
[12/01] さかなになったぼく
[11/27] ふと昔に
[11/24] うん
最近のコメント
[06/06] 野田宇太郎 M.ken
[08/21] 右足ブラり散歩ー夜行バスelegy 夜行バス
[08/07] 清貧とは? バッテリー
[09/19] チョン靴 T.Y
[07/13] ウツな日 anraku
[07/08] ウツな日 かたちんば
[03/06]  菜の花 anraku
[03/06]  菜の花 サトウカツキ
[01/01] 大晦日 anraku
[12/31] 大晦日 コロスケ
最近のトラックバック
お気に入りリンク
検索