2008年 11月 10日

「信」の構造をお互いにリスベクトする

エルサレムの教会で聖職者同士が殴り合いの乱闘

【11月10日 AFP】イスラエル・エルサレム(Jerusalem)旧市街の聖墳墓教会(Holy Sepulcher)で9日、ギリシャ正教とアルメニア正教の聖職者同士が殴り合う乱闘騒ぎがあった。
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(c)AFP

AFPBB News


 信仰はもっていない。それでもたまに教会には行く。何か洗い流される気持ちになるからだ。生きていれば懺悔したいこともある。それを告白して、代わりに、その罪とやらを背負ってくれるイエスに帰依する。そこまでまだ弱っていないのかもしれない。「信」という境界の向こうに自らを投げ出してしまう。少しは楽になるのだろうか。でも、とてもそうは考えられない。

 といって「信」を持つ人をないがしろにする気持ちはない。この国にある選挙の時に活躍し、現世利益的な追求をしている「信」には近づきたくはないが...。

 そんなことで、何となく「信」の構造は理解できる。沢山の宗教があり、このニュースにあるようにキリスト教でも多くの分派がある。ニュース報道で、殴り合いをみた。とても悲しく、暗然とした。

 「信」の構造は、それでも行く道だ。行く道を歩く人たちが教団を作る。そして「信」の構造は個人的なものから、教団の中へと閉じていく。そして、自らだけが正しいのだと閉じていく。

 そこから帰り道を辿り、離脱し、「信」を個人的なものとしなければいけない。そうすれば、個々の「信」の構造は同じであり、たとえ信じる神が異なろうとも、お互いにリスベクトできる。イエスも、そして親鸞も、壮大な伽藍を必要としなかった。壮大な伽藍と教団組織は必ず現世的な権力にすり寄っていく。その末路がイスラエル、パレスチナ、イラクであり、この殴り合いだ。

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登録日:2008年 11月 10日 19:57:05

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樋口一希(Kazuki Higuchi)
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