Who is in charge?

<レバノン情勢>空域封鎖解除、中東航空機が到着 - レバノン

【ベイルート/レバノン 8日 AFP】イスラエルが8週間におよぶ封鎖の解除開始を発表した7日の15時00分(GMT)、パリを出発したレバノンの航空会社中東航空(Middle East Airlines、MEA)の航空機がベイルート(Beirut)国際空港に到着した。
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(c)AFP/ANWAR AMRO

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イスラエルの封鎖が解けたことを歓迎する。しかし、逆説的にこのことはどれだけレバノンがイスラエルのコントロールの下にいることを露呈する結果になった。(現実であるが…)このことは、イスラエルがレバノンへ通じる「水道の蛇口」を自分の都合のよいように開いたり、閉めたりできることを示したに過ぎない。レバノンが主権国家であることに対して、イスラエルのみならず、国際社会が強い認識をしていないのではないか。

もうひとつは、レバノンの国内政治がある。キリスト教マロン派を大統領とし、イスラム教スンニ派を首相、シーア派を議会議長とする政治的取り決めは、人口の比率の観点から時代遅れとなっている。しかし、この政治権力の配分はレバノンの国政を1940年代から定義してきた。

これがパレスチナ難民の流入により崩れ、1972年からおよそ20年間に及びレバノンの内戦が続いた。正直言って、今回の紛争は1970年代のPLOがヒズボラに変わったに過ぎない。これは、レバノンの恒久的な平和は、パレスチナ問題の解決のみならず、イランの「民主化」にも関連することを語っている。前途多難である。

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登録日:2006年 09月 08日 22:48:54

4000億円っていくら

<イスラエル軍進攻>戦闘による物的被害は4000億円を上回る - レバノン

【ナバティエ/レバノン 16日 AFP】政府の国家再建担当者は16日、1か月におよぶイスラエル軍の空爆により、国内で生じた物的被害は、35億ドル(約4054億円)を上回ると語った。写真は同日、停戦から2日が経過したナバティエ(Nabatiyeh)で、イスラエル軍に空爆された商業地区の建物の破損状況を調べる市民。(c)AFP/ANWAR AMRO

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レバノンの物的被害が4000億円を上回るというが、あまりピンと来ない人が多いかもしれない。

たまたま、今日、東京23区の一年間の予算を調べていた。世田谷区の一年間の
予算が約2000億円。一ヶ月の紛争で、世田谷区の予算二年間分の被害を
レバノンだけで与えたことになる。当然これにイスラエルでの物的被害、
双方(特にイスラエル)の使った軍事費などを加えると相当な額になるに違いない。

ちなみに、国連最大の人道援助機関である国連世界食糧計画の昨年一年の
予算が約3500億円。世界で飢餓に苦しむ人一億人弱に食糧を送った。

日本の岐阜県あまりの面積しか持たないレバノン。そんな小さな国での
たった一ヶ月間の紛争は、世界で1億人の人を一年間食べさせられるに必要なお金、
それ以上の被害をもたらしたことになる。

単純計算で行くとどちらが愚行かすぐにわかる。

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登録日:2006年 08月 17日 21:32:42

この記事は訂正が必要です。

<イスラエル軍進攻>日本政府、200万ドルのレバノン援助金供出へ - 東京

【東京 8日 AFP】日本政府は8日、国連(UN)の支援要請に応じ、イスラエル軍の攻撃により難民状態となっているレバノン人に対する援助金として、200万ドル(約2億3000万円)を提供する方針を明らかにした。
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(c)AFP/Nicolas ASFOURI

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どうもこの記事は数字が間違っているようです。7月24日から国連から出された緊急援助要請の総額は、「150万ドル」ではなく「1億5千万ドル」です。アピールの総額が150万ドルで、日本がそれに対して200万ドルを払うということは計算上ありえません.... つまり今回の日本の拠出は、1億5千万ドルのうちの200万ドルということです。

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登録日:2006年 08月 09日 21:35:33

どうして今台湾から中国へ?

中国と国交を樹立したチャドとの外交関係を断裂 - 台湾

【台北/台湾】外交部は、アフリカのチャド(Chad)が中国政府に対する認識を改め、同国との公式に国交を樹立した事を受け、台湾はチャドとの外交関係を断絶。写真は台北で6日、記者会見に臨むアフリカ外交の責任者Lee Chen-hsiung氏(右)とMichel Lu広報担当官。(c)AFP/Sam YEH

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チャドが台湾との「国交」を絶ち、中国との正式な外交関係を結ぶ背景にはチャドの置かれている複雑な地政学上の立場が見え隠れする。

■石油■

世界銀行の融資を受け、チャドは2003年から原油を生産しカメルーン経由のパイプラインで輸出をしている。ここでユニークな点は、チャド政府は融資を受ける換わりに原油輸出の収入の10%をロンドンのシティーバンクに将来の世代のために貯蓄するという世界銀行との取り決めだ。

今年の初めに国内での情勢が不安定になり、ダルフールの紛争もチャドに飛び火するような状況下で、デビー大統領はこの取り決めを一方的に破棄した。その後、世界銀行の再交渉である程度の収拾はついたが、チャドにとって軍事費などキャッシュが必要なときに世界銀行との10%の取り決めは、目の上のこぶであった。隣のスーダンのように、もし中国が入ってきて資本とともに油田の開発に着手できれば、わざわざ世界銀行の融資に頼る必要もなく、自由に石油収入が使えるわけである。

■ダルフール■

ダルフールの紛争はチャド国内にも飛び火し、チャドの反政府勢力がダルフール内にスーダン政府の支援を受けながらチャドへ越境の攻撃を仕掛けたりしている。中国はスーダンにおいて石油資源開発など大きな投資があり、スーダン政府に大きな政治的影響を持っている。

その反面、台湾と国交を持つチャドは、中国にとっては自らの国益に反する外交政策をとる国であるとみられていた。したがって、スーダン政府が反チャド勢力へ支援をすることも容認、少なくとも黙視していたに違いない。

チャドは中国と国交を樹立することにより、中国のチャドへの経済的投資を可能とし、チャドの不安定化は中国の利権も脅かすという構図をつくりたいのであろう。中国政府がチャド、スーダンの両国とのパイプを持つことにより、スーダン政府のチャドの反政府勢力の支援を断ち切る目的があるのではないか。

■国連安保理■

また、チャドはダルフール安定化のために国連軍配備が必要だと考えている。これは、ダルフールからの反政府勢力のチャド国内への越境攻撃を抑止する役割も果たす。これに対して、中国はスーダン政府の意向を反映する形で国連軍の配置に難色を示してきた。しかし、チャドの石油資源を狙う中国の経済投資を可能にしたことにより、中国の頑なな態度を多少軟化させる働きもあるかもしれない。中国が国連安保理で拒否権を持つ常任理事国であることをチャドは忘れてはいない。

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登録日:2006年 08月 07日 20:59:48

レバノン攻撃と人道的被害

<イスラエル軍進攻>国連監視所、21回の猛爆の後、爆弾命中 - レバノン

【ヒアム/レバノン 28日 AFP】レバノン南部ヒアムの国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の監視所が、25日にイスラエル軍に攻撃され、非武装の国連停戦監視要員4人が死亡したことを調査しているUNIFILは、同監視所がたびたび至近弾を受け、300メートル以内に21回の着弾を記録していたとする報告書を公表した。写真は、イスラエル軍により破壊された同監視所。(c)AFP/HO

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レバノンの人口は約380万。
その面積は岐阜県よりもやや大きいぐらいだ。

■□モザイクのような価値観のバランス■□
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登録日:2006年 07月 28日 23:35:20

成果の期待できない会談

<ダルフール和平交渉>大統領、平和維持活動強化を要請 - 米国

【ワシントンD.C./米国 21日 AFP】ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)大統領は20日、スーダンのサルバ・キール・マヤルディ(Salva Kiir Mayardit)第一副大統領と会談し、同国ダルフール(Darfur)における平和維持活動を強化するよう求めた。写真は20日、ホワイトハウス(White House)の大統領執務室でマヤルディ第一副大統領との記者会見に臨むブッシュ大統領(右)。(c)AFP/Jim WATSON

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この写真に出ているサルバ・キール・マヤルディ副大統領は、スーダン中央政府と20年以上戦闘を続けてきたSPLA(Sudan People's Liberation Army)の参謀であった人だ。2005年1月にSPLAとハルツーム中央政権が和平に合意し、南北スーダンの内戦は一応収束した。これにより南北統一政府ができ、大統領は今までスーダンを統治してきた北部から、第一副大統領は南部を代表するSPLAから指名されることになっている。第一副大統領のポストは当初、SPLAを長年指導してきたジョン・ギャランがついたが、ヘリコプター事故で就任数ヵ月後に死亡してしまった。その後任者としてサルバ・キールが第一副大統領の地位に就いた。

一応南北統一政府の第一副大統領であるが、サルバ・キールをはじめとするSPLAのダルフールを含めたスーダン北部での影響力はほとんどない。最初は、SPLAの影響により、今まで強行であったイスラム原理主義者を中心とする北部政権がダルフールに対する態度を軟化させるかもしれないという期待はあった。しかし、現実には公安、諜報機関を牛耳る北部側が今までどおりにダルフールにおけるアフリカ系住民に対する弾圧を続けている。

このような背景があるので、今回のサルバ・キールとブッシュ大統領との会談の結果はあまり期待しないほうがよい。、特にダルフールの情勢については進展が見られなくてむしろ当然であろう。

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登録日:2006年 07月 21日 21:30:26

独立国より人の交流

モンテネグロ独立を祝う式典に旧ユーゴ諸国首脳出席 - モンテネグロ

【ポドゴリツァ/モンテネグロ 13日 AFP】世界で最も新しい国、モンテネグロで独立記念日となった12日、旧ユーゴスラビア諸国の首脳らを招き、正式な独立と完全なユーゴスラビア解体を記念して祝賀式典が開かれた。
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(c)AFP/DIMITAR DILKOFF

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モンテネグロとは「黒い山」を意味する。国名が示すように、世界で一番若い独立国は高い山々をかかえ、そこに住む人々も背が高いことで知られている。旧ユーゴスラビアで、日本人だというといつも冗談が飛んでくる。「お前はモンテネグロに行くと戦争犯罪人になるぞ」、と。モンテネグロは日露戦争の時に、ロシア側に付き日本に宣戦を布告しそれ以来和平条約が結ばれていないという。変な意味でモンテネグロ人にとって日本は身近な国なのかもしれない。

民主的に「勝ち取った」独立であるが、モンテネグロの独立が国際的に認められることは、いまだ90年代の戦争の傷跡を追う旧ユーゴスラビアにとって重要な意味を持つ。92年から95年の終わりにかけてのボスニアでの戦争においては、デイトン合意により和平がもたらされた。しかし、この和平文書はボスニアという国を「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦(Federation of Bosnia-Hercegovina)」と「セルビア人共和国(Republika Srpska)」の二つの地域(Entities)に分けた。それぞれの地域は、高度の自治権を与えられ、実質上イスラム教徒とクロアチア人の連邦と、セルビア人共和国という民族のラインで分断された国家を作る結果となった。モンテネグロの独立は、特に独立への意識が高いセルビア人が多数を占めるセルビア人共和国のボスニアからの独立への動きを活発にする危険がある。

もうひとつの懸念はコソボの将来だ。コソボは1999年のNATOの空爆によりベオグラードの首都とするセルビア共和国の中にとどまりながら、国連の暫定統治の下コソバー(コソボ・アルバニア人=イスラム教徒)が大多数を占める政権を維持し続けてきた。国連はコソボはセルビア共和国の一部であり、その将来は民意を反映するかたちで将来決めると言って来たが、実際はコソボの独立に対してあまりいい態度を示していない。そんな中、モンテネグロのセルビア共和国の独立は、コソボ・アルバニア人に独立の「言い訳」のひとつを与えることになる。

私がボスニアにいた頃、クロアチアからのセルビア人の難民が私に言った。「コソボ・アルバニア人は信用できる。(ボスニアの戦争中)俺が、トラックいっぱいの荷物を積んでギリシャに行く途中、コソボで一泊せざろうえなかった。カフェでアルバニア人に会って、彼は自分の家に泊まるように誘ってくれた。彼の家の庭にトラックを止めて、その中で寝ようとしていたたら、彼は真顔で怒って俺に言った。- お前は、俺を信用していない。だから、トラックに寝て荷物を取られないようにしているのだ。俺が大丈夫だといえば、大丈夫なんだ。」

旧ユーゴスラビアを我々は民族ごとの色眼鏡で見ている。幾多もの戦争は、バルカンに住む人々をもそのようにしている。そんな中でも、人間同士の小さな交流は続いている。それを育むことがバルカンの恒久的な和平に繋がるのではないだろうか。

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登録日:2006年 07月 13日 21:20:07

ダルフールの現実

<ダルフール和平交渉>和平プロセスの開始協議へ - スーダン

【ハルツーム/スーダン 27日 AFP】スーダン解放運動(Sudan Liberation Movement、SLM)のMinni Minawi派代表Abdul Karim al-Sheikh氏らが26日、国連機で首都ハルツーム(Khartoum)に到着した。5月にナイジェリアでスーダン政府との和平合意に調印した同派は、すでにスーダン入りしている先遣団と合流し、和平プロセスの具体的実施案について政府と協議する。写真は、ハルツームに到着したSheikh氏。(c)AFP/ISAM AL-HAG

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ダルフールはフランスの国土に匹敵する面積を持ち、多くの部族が混在する。スーダン政府は、ダルフール紛争を民族・部族間の争いから生じたものと位置づけている。他方、反政府勢力は長年の中央政府のネグレクト、非アラブ系民族に対する弾圧のため武装蜂起をせざろうえなかったと語っている。

私が最初にダルフールを訪れたのは2004年の3月であった。西ダルフールの小さな村にはもうすでに8万人の人たちが国内避難民として逃れてきていた。多くの人々は、寝るところもなく、単に茣蓙を引いて星空の元に寝ていた。村の周りに政府の息のかかった民兵(ジャンジャウィード)がいるので、一歩も外に出られないという。水も汲みに行けない。真茶色の泥水を飲んでいた。村を出ると、男性はジャンジャウィードに殺され、女性はレープされるという。少ない援助が届いても、すぐにジャンジャウィードに奪われ怖い思いをするので、援助はいらないという人たちもいた。こんなことは自分の10年の人道援助の経験で初めてだった。

もうひとつの村を訪れたとき、一人の老人が三歳ぐらいの男の子を両手に抱えながら私の目の前に差し出した。その男の子は、腰の所から血が出ていた。撃たれたのか切られたのかわからないが、足はだらんとしていた。老人は、孤立無援で毎日ジャンジャウィードの攻撃に脅かされている中で、外から来た者である私がすべてを解決してくれる神であると思ったのであろうか。私は医者ではない。しかし、この男の子が一生歩けないことは直感的にわかった。自分の息子も3歳だった。現場で初めて涙を流した。

ダルフールの人々のトラウマは深い。和平に対する希望はあるものの、皆疑いを持っている。今回の合意も、ダルフールの主要な部族のひとつに過ぎないザガワ族の影響の強い反政府勢力の一部が署名したに過ぎない。スーダン中央政府得意の分割し統治するという作戦のようにしか思えない。ちなみに、「ダルフール」とはアラビア語で「フール人(族)の家」という意味だ。今回の「和平」でフール族派はいまだに署名をしていない。

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登録日:2006年 06月 27日 22:36:01

どうして今リベリアなのか

国連「世界難民の日」を記念して、高等弁務官らが行進 - リベリア

【モンロビア/リベリア 21日 AFP】国連(UN)のアントニオ・グテレス(Antonio Guterres)高等弁務官が20日、国連「世界難民の日(World Refugee Day)」を記念して、難民と一緒に、シエラレオネとの国境の町Bo Watersideからモンロビア(Monrovia)まで行進した。リベリアの内戦は14年間続き、2003年7月に終結したが、約17万人の難民がいまだに西アフリカ数か国の難民キャンプで暮らしている。写真はBo Watersideで20日、2人の難民の子供の手を引いて歩くグテレス高等弁務官。(c)AFP/DOSSO ZOOM

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難民の帰還は簡単ではない。戦争が終わったからといって、難民は自分の家にすぐには帰らない。まず家がない。飲む水がない。帰ってもどうやって食べていくのか。子供が通う学校があるのか。自分の家族を殺した者たちがまだ村にいるかもしれない。難民が、安全に人間としての尊厳を持って帰れるような環境を作るのが新政権の課題だ。

小生もリベリアを訪れたことがある。Bo Watersideは、小さな国境の町だ。ちょっとした橋を渡るとそこは、すぐ隣国シエラレオーネだ。国境のすぐ近くのNGOの運営する幼児の栄養強化を目的とするセンターには、十数キロ徒歩で子供たちをつれてくる母親たちがいた。南国のこの国にも、食べ物に欠く人たちがいる。10センチはあるカタツムリを栄養源として食べることをこのセンターは勧めていた。国境から首都モンロビアへ向かうと、タイヤ会社Firestoneのゴムのプランテーションがある。そこにはまだ武装勢力が隠れているという。Firestoneの資本は、100%日本のブリジストンが持ているということを知る人は少ない。

リベリアでは昨年に民主選挙が行われ、アフリカ初の女性大統領が誕生し、十数年の内戦に終止符を打った。しかし、戦争の傷は深い。新しい政府イコール難民の帰還という方程式は通用しない。しかし、国際社会は和平条約、戦争終結がもたらされるとリベリアのような小さな国をすぐに忘れてしまう。じつは、紛争終結後のこのような国にこそ、今まで以上の援助が必要なのだ。今回の国連難民高等弁務官の訪問は、こんな忘れられかけている「平和途上国」に光を当てるのを目的にしているのに違いない。

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登録日:2006年 06月 24日 00:22:30

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プロフィール
蟻須賀 正
東京生まれ。大学入学以来約20年の海外生活。内、13年は国際機関で、アジア、アフリカ、バルカン、旧ソ連において人道援助活動、人権保護活動に従事。現在、日本在住。
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