2006年 07月
レバノン攻撃と人道的被害
<イスラエル軍進攻>国連監視所、21回の猛爆の後、爆弾命中 - レバノン
【ヒアム/レバノン 28日 AFP】レバノン南部ヒアムの国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の監視所が、25日にイスラエル軍に攻撃され、非武装の国連停戦監視要員4人が死亡したことを調査しているUNIFILは、同監視所がたびたび至近弾を受け、300メートル以内に21回の着弾を記録していたとする報告書を公表した。写真は、イスラエル軍により破壊された同監視所。(c)AFP/HO
レバノンの人口は約380万。
その面積は岐阜県よりもやや大きいぐらいだ。
■□モザイクのような価値観のバランス■□
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登録日:2006年 07月 28日 23:35:20
成果の期待できない会談
<ダルフール和平交渉>大統領、平和維持活動強化を要請 - 米国
【ワシントンD.C./米国 21日 AFP】ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)大統領は20日、スーダンのサルバ・キール・マヤルディ(Salva Kiir Mayardit)第一副大統領と会談し、同国ダルフール(Darfur)における平和維持活動を強化するよう求めた。写真は20日、ホワイトハウス(White House)の大統領執務室でマヤルディ第一副大統領との記者会見に臨むブッシュ大統領(右)。(c)AFP/Jim WATSON
この写真に出ているサルバ・キール・マヤルディ副大統領は、スーダン中央政府と20年以上戦闘を続けてきたSPLA(Sudan People's Liberation Army)の参謀であった人だ。2005年1月にSPLAとハルツーム中央政権が和平に合意し、南北スーダンの内戦は一応収束した。これにより南北統一政府ができ、大統領は今までスーダンを統治してきた北部から、第一副大統領は南部を代表するSPLAから指名されることになっている。第一副大統領のポストは当初、SPLAを長年指導してきたジョン・ギャランがついたが、ヘリコプター事故で就任数ヵ月後に死亡してしまった。その後任者としてサルバ・キールが第一副大統領の地位に就いた。
一応南北統一政府の第一副大統領であるが、サルバ・キールをはじめとするSPLAのダルフールを含めたスーダン北部での影響力はほとんどない。最初は、SPLAの影響により、今まで強行であったイスラム原理主義者を中心とする北部政権がダルフールに対する態度を軟化させるかもしれないという期待はあった。しかし、現実には公安、諜報機関を牛耳る北部側が今までどおりにダルフールにおけるアフリカ系住民に対する弾圧を続けている。
このような背景があるので、今回のサルバ・キールとブッシュ大統領との会談の結果はあまり期待しないほうがよい。、特にダルフールの情勢については進展が見られなくてむしろ当然であろう。
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登録日:2006年 07月 21日 21:30:26
独立国より人の交流
モンテネグロ独立を祝う式典に旧ユーゴ諸国首脳出席 - モンテネグロ
【ポドゴリツァ/モンテネグロ 13日 AFP】世界で最も新しい国、モンテネグロで独立記念日となった12日、旧ユーゴスラビア諸国の首脳らを招き、正式な独立と完全なユーゴスラビア解体を記念して祝賀式典が開かれた。
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(c)AFP/DIMITAR DILKOFF
モンテネグロとは「黒い山」を意味する。国名が示すように、世界で一番若い独立国は高い山々をかかえ、そこに住む人々も背が高いことで知られている。旧ユーゴスラビアで、日本人だというといつも冗談が飛んでくる。「お前はモンテネグロに行くと戦争犯罪人になるぞ」、と。モンテネグロは日露戦争の時に、ロシア側に付き日本に宣戦を布告しそれ以来和平条約が結ばれていないという。変な意味でモンテネグロ人にとって日本は身近な国なのかもしれない。
民主的に「勝ち取った」独立であるが、モンテネグロの独立が国際的に認められることは、いまだ90年代の戦争の傷跡を追う旧ユーゴスラビアにとって重要な意味を持つ。92年から95年の終わりにかけてのボスニアでの戦争においては、デイトン合意により和平がもたらされた。しかし、この和平文書はボスニアという国を「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦(Federation of Bosnia-Hercegovina)」と「セルビア人共和国(Republika Srpska)」の二つの地域(Entities)に分けた。それぞれの地域は、高度の自治権を与えられ、実質上イスラム教徒とクロアチア人の連邦と、セルビア人共和国という民族のラインで分断された国家を作る結果となった。モンテネグロの独立は、特に独立への意識が高いセルビア人が多数を占めるセルビア人共和国のボスニアからの独立への動きを活発にする危険がある。
もうひとつの懸念はコソボの将来だ。コソボは1999年のNATOの空爆によりベオグラードの首都とするセルビア共和国の中にとどまりながら、国連の暫定統治の下コソバー(コソボ・アルバニア人=イスラム教徒)が大多数を占める政権を維持し続けてきた。国連はコソボはセルビア共和国の一部であり、その将来は民意を反映するかたちで将来決めると言って来たが、実際はコソボの独立に対してあまりいい態度を示していない。そんな中、モンテネグロのセルビア共和国の独立は、コソボ・アルバニア人に独立の「言い訳」のひとつを与えることになる。
私がボスニアにいた頃、クロアチアからのセルビア人の難民が私に言った。「コソボ・アルバニア人は信用できる。(ボスニアの戦争中)俺が、トラックいっぱいの荷物を積んでギリシャに行く途中、コソボで一泊せざろうえなかった。カフェでアルバニア人に会って、彼は自分の家に泊まるように誘ってくれた。彼の家の庭にトラックを止めて、その中で寝ようとしていたたら、彼は真顔で怒って俺に言った。- お前は、俺を信用していない。だから、トラックに寝て荷物を取られないようにしているのだ。俺が大丈夫だといえば、大丈夫なんだ。」
旧ユーゴスラビアを我々は民族ごとの色眼鏡で見ている。幾多もの戦争は、バルカンに住む人々をもそのようにしている。そんな中でも、人間同士の小さな交流は続いている。それを育むことがバルカンの恒久的な和平に繋がるのではないだろうか。
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登録日:2006年 07月 13日 21:20:07
- プロフィール
- 蟻須賀 正
- 東京生まれ。大学入学以来約20年の海外生活。内、13年は国際機関で、アジア、アフリカ、バルカン、旧ソ連において人道援助活動、人権保護活動に従事。現在、日本在住。
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