2009年 04月

異議申し立ての二律背反②

ばらばらになった意見の機械的寄せ集めを脱却し、しかも集合的異議申し立ての二律背反に陥らないためにどうすればよいのか。

ブルデューの用意する答えは以下のようになるのだろうか。
「誰かが自分のために語ってくれるならば声を発しないであろう人々のために発言するということが何を意味するのかということである。投票において行われる選好の機械的な足し算から脱出する唯一の現実的方法は、意見というものを機械的かつ消極的に足し合わせやすいものとして扱うのではなく、議論や対決といった意見交換によって変更可能な記号として扱うことである。問題は最早、自由主義的伝統にみられるような選択ではなく、むしろ選択を構築する集合的な様式をどう選択するかということになる(ある集団が、どのようなものであろうと、ある意見を生み出す必要のあるとき、最初に意見を生産する方法について意見を生産する必要があるということを知るのは重要である)」(「公職という神秘」)

「選択を構築する集合的な様式をどう選択するか」、或いは「意見を生産する方法について意見を生産する必要がある」という考えは、会派、党派、議会等を含む代表制を見直せ、というところに行き着く。
すると、そこにまで至らない集合的異議申し立ては、必ず二律背反に陥るというロジックが成立する

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登録日:2009年 04月 29日 23:58:30

異議申し立ての二律背反

代理委任というものに対する最も根源的な問いは、その社会的作動の仕組みに内在する矛盾が露呈するような状況から現れてくる。実際、代理委任にもとづく集合行為には、つねに権限が簒奪され我有化されるという脅威がつきまとう。・・・・・

・・・・・代理人を頼りにするしかない人々の側の視点に立ってみると、その人々はひとりの他者という人格を通して、強力で正統な発言、権限を与えられ権威のある発言を手に入れることができるが、それはただ、一般的な発言、公式の代理人によって生み出され差し出されたような共通意見によって、自分の声を失い、自分たち独自のものであるかもしれない表現を奪われる危険を犯しているだけかもしれない。・・・・・

・・・・・自分たちが言わなければならないことと、代弁者の権限を付与された発言によって言われることの間の不一致のために、団体からの脱退か抗議かというジレンマに立たされる。・・・こうした無力な状態を逃れられるのは、多くの場合、新しい組織を設立することによってでしかない。しかし、それ自体、正当な抗議を独占的に保持するものとして、新たな異議申し立てや、新たな異端的脱会という危険に直面することになる。これこそ、宗教改革派の教会が直面した二律背反である。
同じ運命は政治の世界におけるあらゆるセクトでも生じる。(「国家の神秘」、ピエール・ブルデュー)

ブルデューと政治的な立場はかなり異なる。しかし、政治社会学者あるいは政治哲学者としての彼の言論には、聞く耳を持つ人たちには非常に有益な知見が散りばめられているだろう。

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登録日:2009年 04月 26日 23:43:21

耐えられない軽さ

クンデラの小説ではない。
首相の「成長戦略」である。
2020年までに国内総生産(GDP)を120兆円押し上げ、400万人の雇用を創出、と報じられているが、こういう高校生にでも見破られるインチキをメディアは何故批判しないのだろうか。

GDP120兆円ということは500兆円の約24%に当たる。成る程2009年から年率2%の成長が11年間続くとすれば2020年には24%になる。しかし、誰が09年度2%の成長を信じるのだろう。大阪府でも税収がマイナス7%と予測せざるを得ない経済状況である。1年目がマイナス成長になるとすれば、2年目からは2%以上の成長を見込めないことにはGDP120兆円増は不可能だ。

生産性の低い部門の構造改革をどのように進めるのか? その戦略を描けないで財政出動したところで、成長率には殆ど寄与することはないだろう。

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登録日:2009年 04月 14日 00:57:17

多数決

多数決について再考する機会を与えられ、先人の教えを確認せんと書物を紐解くところ、唸ってしまうような記述に出会う。

「多数派が正しいと一般に信じているものによってではなく、自らその結束力を維持するために必要であると判断するものによって導かれるということは正しいものとみなされるということである。多数派の同意はある措置の正義の証拠である、と依然信じられている。」(ハイエク)

「たとえば多数決の原則は、可能性としては究極的に真理を志向する討議をつうじての意思形成を、限られた時間で意思形成を行うべしとする強制力と両立させるための取り決めとして理解できる。」(ハーバーマス)

何故私が唸ってしまうかというと、ハイエクとハーバーマスは思想的にはかなり異なった人たちであるのに、(文脈を抜きにして一部だけを取り上げたからでもあるが)異なる二人の思想家と殆ど同じ考え方が一つの会派内に同時に存在してしまうからである。突き詰めると、会派とは何か、党派性(パルタイ)とは何か、というところまで行ってしまう。

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登録日:2009年 04月 09日 01:01:55

知事の破壊力

例年6月初旬に、自民党府議団として府連所属の国会議員団に予算要望を行っている。
「国直轄事業負担金の廃止」について、確認のため調べてみると、活字化したのは平成18年度が初めての年になるようだが、口頭ではそれ以前から要望し続けている。
何年要望し続けても、国会議員たちは、議論の俎上にすら乗せようとしなかった。如何なる回答もなかった。
それがどうだ。橋下知事が主張するや、同じ要求は国交省を動かしメディアを賑わすところとなる。他知事の雷同するところとなる。地元の声を国に届けることのできない国会議員の非力さよりも、橋下知事の破壊力に「何故?」と驚嘆してしまう。
これは、財政規律の回復に関して、我々府議団がいくら主張してもメディアは取り上げなかったのに、橋下知事が主張すると直ちに大見出しになったのと同様なので、別に国会議員を責めている訳ではない。
メディアの皆さんに質問すると、「発信力」の違い、という答えが返ってくる。
教えてほしいのは、その発信力とは何なのか、ということなのですが。

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登録日:2009年 04月 06日 01:29:01

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プロフィール
浅田 均
http://www.asd2a.com
大阪府議会議員。
NHK(日本放送協会)、OECD(経済協力開発機構、在パリ)を通じ「放送と通信の融合」、「情報通信」等の研究に従事。99年からは一転、府議として「行財政改革」、「地方分権」等に取組む。
京大卒。スタンフォード大院修士修了。
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