2006年 10月 26日

花の都と巨人

フィレンツェから寧波へダビデ像が寄贈される - 中国

【寧波/中国 23日 AFP】ミケランジェロ(Michelangelo)のダビデ像の複製が、フィレンツェから浙江省寧波(Ningpo)に寄贈され、21日に除幕式が行なわれた。この複製は5メートル以上にもなる巨大な青銅像で、当日は多くの見物人が一目見ようと集まった。ダビデ像は1500年から1504年の間に制作されたもので、ルネッサンス期の最高傑作と評され、ピエタ(Pieta)と並びミケランジェロの2大彫刻の一つとされる。今年はイタリアの「中国友好年」であり、フィレンツェの姉妹都市である寧波市に友好の証としてこの像が贈呈された。写真は21日、一般に公開されたダビデ像。(c)AFP

AFPBB News


ダヴィデ像の姿は、誰でも美術の教科書だけでなく、イタリアの観光案内、それ以外にもあちこちで見かけたことがあるでしょう。

でも、ダヴィデって誰?

■聖書の登場人物、ダヴィデ

旧約聖書(『列王記』『サムエル記』)に登場する、古代イスラエルの王様です。
紀元前1000年頃に実在したことになっています。
あぁ、でもダヴィデがこのように彫刻で表現されるのは、王のときではなく、若い頃の姿なんです。この彫刻は、ちょうど敵のゴリアテをやっつける場面なんですよ。

でも、どういう戦いだったのか?ダヴィデが若い頃、イスラエルの王はサウルでした。サウルはどうも、心を病んでいたようなんです。そして、人気者のダヴィデを妬みはじめました。ちょうどその頃ぺリシテ人というのがイスラエルを悩ますグループで、ダヴィデを片付けるのにちょうどいいので「お前、ぺリシテ人をやっつけてこい」と言いつけるのですが、思いのほかダヴィデが強く、敵をどんどんやっつけて、元気に戻ってきた、その上、余計に皆の人気者になった。

結局、精神をおかされたサウルからダヴィデを守ったのは、サウルの息子ヨナタンでした。サウルはぺリシテ人との戦いで死に、ダヴィデが王となったわけ。その息子がソロモン王ですが、その後イスラエル王国はボロボロになります。

■ミケランジェロのダヴィデ像

とにかく有名なのは、このルネッサンスの巨匠、ミケランジェロ作のダヴィデ。
花の都フィレンツェにあります。

どうしてフィレンツェにダヴィデ像なんでしょう?

15世紀当時のフィレンツェは共和国で、大国ミラノにいつも脅かされていました。若いダヴィデが大きなぺリシテ人のゴリアテを倒す、という物語が、フィレンツェ人に自己投影させたんですね。ミケランジェロ以外にも、ドナッテロのダヴィデなどもフィレンツェ大聖堂を飾っていました。

このように、美術のモチーフが時代を通じて、好まれて使われることがあるのですね。
はてさて、今回の場合は、ダヴィデそのものはあまり関係なく、「フィレンツェの偉大な芸術家ミケランジェロの有名な作品」という観点の方に力点があるようですが。

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登録日:2006年 10月 26日 23:27:38

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プロフィール
秋田麻早子
秋田麻早子
■プロフィール:
Art Historian たぶん美術史学者、ときどき考古学。
アメリカの僻地の大学・大学院では西洋美術史を専攻。
でも論文を書いたのはアケメネス朝ペルシャ。
・・・美術史という素材の調理方法の可能性を模索しすぎで
エントロピーの法則な日々。

美術史・考古学を軸に、幅広く文化史的なモノゴトとか
特に、アートや学問の世界の面白いとこをご紹介しちゃいましょう。

MA in Art History 2002, University of Texas at Austin
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