2009年 05月

荏原庄を行く~北条早雲(伊勢新九郎)はどこの馬の骨だったんだろう?

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実家がある岡山(政令指定都市になって、田んぼのど真ん中の我が家も"中区”に・・・)に帰省していたある朝。
相変わらず私は「そういえば、旅っていったら昔は徒歩だなぁ。馬に乗って移動っていつ頃からだろう」などと考えながらトーストを齧っていた。
すると父上が闇雲に「そういえば、北条早雲が備中岡山井原市出身説を押してる静岡大学の何やらいう先生がおるの知っとるか?」と始める。
これは聞き捨てならぬ。「なに?!」
父によると、早雲の出身地はいくつか説があるけど、その先生には信じるに足る根拠があるらしく、井原市の法泉寺からも資料が出ているらしいとのこと。その元静岡大学教授の大和田先生は、今のNHK大河の時代考証もやってる間違いない先生であって、そういう先生が、そうだろうというのだから、きっとそうなのだろう(笑)詳しいことは、後日また(早雲が名乗っていた名前の資料で裏づけするのが最近、駿河で出てきたのがきっかけなのです)。

ここで、井原市とはなんぞや?と思われる方が99%だと思う。井原市とは、かつての備中荏原庄。これでもピンと来る方はお目が高い!平家物語で大活躍した弓の名人、那須与一が功績を認められて拝領した土地の一つ。彼の菩提寺もここ井原市にある(墓を訪ねたときのナイスエピソードはまたいつか)。また、100歳すぎても大活躍した彫刻家平櫛田中(たなか、じゃないよ、でんちゅう、だよ)の出身地でもある。更に言ったら、江戸時代に庶民教育の場として水戸と萩のアレと並んで日本三大館の一つである興譲館があった地でもある(今は興譲館高校があるよ!)。

そんな、ちょっとした歴史ファンにとってグっと来る地、井原。そこが早雲の出身地だって?!それは、居ても立ってもいられない。
トーストも消化しきらぬうち、私は父上と母上とともに、井原に向かった。付け足せば、美味しい卵で知られる地でもある。

早雲が教育を受けたという法泉寺は、ナビにものっていない・・・微妙に道に迷いながら、すれ違う車もない山道をくねくねとのぼり、ついに法泉寺に!
この訪問は、まるで「街道を行く」のエピソードになりそうなもので、司馬さんだったらさぞかし面白い読み物にしてくださるだろうに、私の筆力ではこの日の不思議な魅力がどれほど伝わるか心配。
この法泉寺、鄙には稀な、とでも言うのでしょうか、とても立派な山門、石畳、本堂(っていうの?)。よっとこらしょとたどり着くと、堂内は広く、畳敷きでフスマというフスマが極彩色の花鳥風月に彩られている。なんてことだ、すごい豪勢なお寺さんじゃないか!そりゃ、早雲だっていたかもしれん!!そこで、人あたりがとっても良い住職が登場、まだお若い。一通り案内をしてくださったところ、フスマの絵はさる有名な画伯のものとのこと。こちらには無償で描かれたというが、相場はかなりの方で、あまり言うとアレだけど、相当お値のはるフスマ。一通り説明していただいたところ、これが旅(ショート・トリップ)の妙というものか、早雲ネタよりもむしろ、戦時中の兵庫県の摩耶小学校の疎開先としての法泉寺のエピソードの方が心惹かれるものだった。当時、すりこぎ棒を削る係りだった少年が、なんと大人になって名の知られた彫刻家になり、クラスメートが資金を提供し、当時の住職(29代)を彫って奉納しているという。住職によると、当時は畳ではなくムシロ。虫などで悩まされて、大変だったということだが、大人になってそうやって像を刻んで奉納しようと思うほどだから、よほど心に残る思い出もともにあったんだろうと思われた。それにしても、何がきっかけで才能が開花するか分からない。スリコギ棒も作らせてみるもんだ。それとも、才能がある人は、どんなキッカケでも昇華させるのだろうか?

ちょっと恥ずかしかったのが、住職に「ここに、トラの絵がありますね。裏に何が描かれているかご存知ですか?」

この手のことは、心得ているつもりだったが、何も浮かばなかった。住職が「一休さんに出てくるトラの絵の裏にも描かれているんですよ。」

それは、龍。竜虎というくらいで、龍とトラは対の生き物なのだ。だけど、龍は想像上の生き物なので、普段は見せないように、トラの面だけを表に出しているというわけ。あぁ、恥ずかしい。

住職がお勤めを始めるということで、お礼を述べ、ふらふらと歩き回り始めたところに、住職の母上とおぼしき女性が手招きくださる。父に聞くと「ダイコクサン」と呼ぶらしい。こちらのダイコクサンのお招きのまま、卓につくと、とても珍しそうな白黒写真を見せてくださった。「私もねぇ、先先代のお顔は拝見したことなかったんで、お持ちいただいたので初めてのことで」なんと大正時代のこの辺りの葬式の写真!住職がお勤めをしている、その檀家さんがその日、持っていらしたものだった。とんでもないお金持ちらしく、写真には立派なお屋敷、身なりの良い洋装の方々、その他大勢と28代のお姿。当時は住職は駕籠で移動していたらしく、それが映っている大変貴重なものなのでした。不思議なのが、女性たちが皆、まるでイスラム教徒のように顔まで白い装束で覆っていることだったが、その時はあまりそれが話題に上らなかった。写真の駕籠は現在、本堂の上に引っ掛けるように展示?!というか、無造作においてある。駕籠での移動は昭和の初期まで続いていたらしい。そのため、駕籠を置く石が堂内に配置されているのも確認できる。

「今日は少し暑いんで、ヨモギ茶をご用意しました」と冷たくて香りの良いお茶をついでくださり、非売品のレアな瓦センベイ(法泉寺と北条の紋である三つのウロコ模様のしるしあり!)をすすめていただいた。ありがたくポリポリと頂きながら、ちょっとハイカラな空気を漂わせるダイコクサンのよどみのないトークを拝聴。なんと、長崎のご出身で、寺とは全く関係ないお育ちとのこと!どうりで、ただようハイカラ感!

法泉寺のおせんべい、お土産にたんまり頂いた。「どうぞ、どうぞ、お持ちください!」。お暇をつげて離れていく私たちに、話はとまらず、それでも遠ざかる中もずっと朗らかに話しかけてくださって、本当にこういう鄙には稀なお寺さんには、鄙には稀な女性がいるものだ、と思ったものでした。

転がるようになめらかにお話になる女性で、娘さんたちの嫁ぎ先であるとか、お付き合いのもろもろなど、いつまでも聞いていたいお話の数々。あとで、私は失念したけれど、彼女の出身地は、わが母上によると「キリシタンで有名な町よ!」。さて、キリシタンの町で生まれ育ったモダンガールが、どのように荏原庄の古刹に嫁ぐことになったのだろう?!と経緯が知りたくなった。もう少し滞在していたら、きっと伺えたことだろうと思う。

早雲とその父の墓?!と言われるお墓を参ってかえる途上、住職が寺にまつわる資料を手渡してくださった。

帰途は興譲館跡に寄り、矢掛(大名行列が通った旧山陽道にある宿場町)を軽く歩いた。つくづく、この日あったことは、なんだかどこかで異次元に迷いこんだような気がした。あぁ、これって街道を行く、に出てくる人物に生で出遭ったらこんな感じなのかしらねぇ?って思うような体験だったんじゃないか?とその晩は家族で話したのでした。頂いたおせんべいが手元にあるので、あぁ、これは現実だったんだね、と思える、そんな体験だったのでした。

あ、写真は・・・携帯で撮ったので・・・ピンボケだけど許して・・・デジカメ・・・持ってないの・・・

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登録日:2009年 05月 24日 21:42:04

知覧にて

ニューヨークのイントレピッド博物館、改修工事のため休館 - 米国

【ニューヨーク/米国 7日 AFP】ジョージ・パタキ(George Pataki)ニューヨーク州知事は6日、同市にある米海軍空母イントレピッド(Intrepid)を利用した海上航空宇宙博物館が、今秋に一時閉館すると発表した。大規模な改修を行うためで、閉館機関は1年半~2年を予定している。空母イントレピッドは太平洋戦争で活躍し、日本の神風特攻隊の攻撃も受けている。写真は、空母イントレピッド。(c)AFP/ Timothy A. CLARY

AFPBB News


知覧に行った、と話すと、思いのほか多くの人が「特攻隊」を思い浮かべるようだ。実は私には何の先入観もなかった。むしろ、お目当てはエキゾチックな石垣で有名な武家屋敷街のほうだった。私の祖父は海軍に所属していて、つまり、特攻隊に出撃するギリギリに生き残った人であり、開聞岳を目印に飛行訓練も受けていたという話は馴染みのものだった筈だから、私の知覧へのピンボケ感覚は不思議に思われるかもしれない。しかし、陸軍にとっては最後に見るものであったが、祖父の場合は知覧のあとに台湾、そして山形などで訓練を受けたりして、祖父の話しを聞いていると、知覧が最後の地、というイメージが薄かったのだ。言い訳がましいけれど、特攻隊の関連の何がしかが鹿児島にあるとは、何百回も聞いていたが、それが知覧だとは特に覚えていなかったという体たらくだったのだ。もちろん、祖父は頻繁に訓練をともに受けた人たちと訪れている。私がぼんやり聞いていただけだと気づいたのは、かえってきてからのこと。それくらい、身近な人間にとっても、話の印象というのは滲んでいくものかもしれない。

ふと、この自分の無意識の無感覚に対して、違和感を覚えた。しかし同時に考えたのは、一体こういう無感覚に対して単純に自責の念に駆られるのは、妥当であろうか?という点だ。つまり、これらは安易な自責だの良心の呵責とも言える。そんなものは、所詮甘えた現代に生きる人間の、綺麗ごとを隠そうとする意識の働きではなかろうか?と。さらに言えば、この二、三行ほどそのものが、つまり屁理屈をこねている暇がある暇な現代人か?という堂々巡りのような思いが巡った。こういったことは、祖父の前では話題にすら出来ないでいるところからして、私自身、つまり、暇なんだな、という答えを導いた。思ったありのままが、すなわち、私の程度であると受け止める意外にない。要するに、私にはもう太平洋戦争は本当に遠いことで、想像もできず、不意に感傷的になるのは身内の話だから、ということだ。どこかで、理不尽な出来事への理想的な心構えなどというものが、それが何であるか検討も付かないのに、あると思っていると、このように屁理屈で自分の自然な反応を手なずけようとしてみたくなる。自分を「私は良識のある人間でございます」と無意識に証明しようとするような(誰に対してだ?!)心の働きだ。しかし、そんなものは、どこにもないと思えてくる。理想的な何かなどないとしたら、ではガイドラインをどこに引いていくか?その答えの一つは、戦争を超えて、それでも清く正しく美しく生きてきた人たちの心持にあるのかもしれない。何事が起きても、いわゆるブレない軸の強さを感じる。時に人によっては、それが戦争のおかげだと早合点する。そうだろうか?戦争がふるいにかけて落ちてきたものの素晴らしさが、戦争に原因を求められるだろうか?他のふるいでも良いのではないだろうか?結果だけを見ていると、安易に原因を求めたくなる衝動に駆られてしまうものだ。そして最もドラマチックなところに原因を求めてしまいがちだ。でも、原因も結果も、へったくれもない世界もそこらじゅうにあるってことを、忘れてはいけない気がする。説明がつかないことだらけでも、ダダをこねるわけにはいかない状況だらけで、それを踏ん張るのが大人ってものだと私は思っている。

さて知覧での話に戻る。
情けない話だが、記念館には入る勇気がなかった。私は長らく、あらゆる古物の類が収まっている施設という施設で気分が悪くなるという、非科学的な素質に悩まされている。博物館や美術館も、正直、一人ではいけない。古代美術専攻としては、致命的かもしれないと思いながら、今日に至っている。さて、少し話がそれました。私は外の供養等で手を合わせた。当時10代であった祖父が、生まれ育った地から遠くはなれ、厳しい訓練、先など待っていない訓練を、どのような気持ちで受けていたろうかと想像してみる。想像が出来ない。全速力で走る航空母艦の上に滑り込んでいく飛行機を操縦する気持ちはどうだろうか、と想像してみる。少し想像が出来る。歴史に興味を持っていると普段の私は言っている。多少なりとも持っていると思ってきた。年配の人の話を好んで聞く。実際、聞いてはいるだろう。だけど、想像もできない。消化もできていない。分かったふりもできない。分かったようなこともいえない。

思うに、うまく言えないけれど、理不尽なことだっただろう。価値観の転換が、いやおうなしに起きた。昨日までの本当が、今日から「はい、それは嘘でした」を、こちらの都合などお構いなしに変わっている。文句も言えない。見渡せば、皆がその理不尽に面している。自分だけではない、というのが慰めになどなるだろうか?

現代に生きる我々が、戦争のことを想像しろといっても、困難なのはしかたないはずだ。そんなもの、携帯電話がない時代の人に、携帯電話を使った生活を想像するのが難しいのと同じだ。出来るというのは、少なくとも私にはちょっと傲慢な気すらする。強いて言うなら、現代の日本人は理不尽に耐える力が弱まったとはいえないだろうか?戦争だけが理不尽ではないけれど、戦争ほど否応なしに迫ってくる、しかものべつまくなしに、人を選ばず迫ってくる理不尽はないかもしれない。他には、パンデミックや大規模な天災が挙げられるかもしれない。いずれにせよ、諦めなければならない事を諦め、諦めてはならないことを諦めずに生きることが求められる。

私たち都会の現代人は、諦めなければならないことを諦めず、諦めてはならないことを、簡単に諦めていないだろうか?それが甘えだといわれると、逆ギレしていないだろうか?そしてそれは非常に幼いと非難されてもしかたないのではないだろうか?

と、こんな事を思った知覧の旅。
忘れないで、知覧のお茶はバツグンに美味い!そして武家屋敷の生垣はワンダフル!さらに二つ家?!だったかな、非常に珍しい建築様式なんですよ。剪定の技術の独特な魅力も、お忘れなく~!といって今回は〆ます。

次は、北条早雲の生まれ育った地、という5つある伝説のうちの1つを辿った記録をお伝えいたします。

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登録日:2009年 05月 15日 15:22:36

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プロフィール
秋田麻早子
■プロフィール:
アメリカはテキサスで西洋美術史を専攻。現在、博士課程で美術史・考古学なんかを面白がるコミュニケーションを鋭意研究中。
著書に『掘れ掘れ読本』(バジリコ 2007)。笑いのとれる考古学入門書を目指したもの。
連絡先:
mana_mana_chan@hotmail.com
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