2012年 02月

作品を所有すること



ヒットラーが画家に憧れ、美術学校に落ちたというエピソードは、ちょっとだけ知られている。このような作品は、上手い下手の問題ではなく、ヒットラーが描いたから、値段がつく。付加価値というよりは、不可分な価値でしょう。

これが誰か別の普通の人が描いたものなら、この値段はつかない。
モノそのもにに、歴史的な価値があるというわけです。

■芸術作品=所有可能なモノ

時代によって、芸術の表現の方法が変わってくる。ちょっと前の時代まで、芸術といえば、キャンバス状のものに二次元の絵を描いたり、石などを彫って彫刻を作ることだった。はっきりと、そこにはモノとしての作品があった。その作品の意味も価値も、そのモノと不可分だった。

最近のアートは少し違ってきている・・・なんか、違うな?と思っている人も多いと思う。実際、もう、モノを扱う手法では扱いきれない作品・作家が多くなってきているのじゃないだろうか。だから知的財産に関する事柄が、問題になってくるのだと思う。

オークション会社主導で芸術作品が取引されるようになったのは、1980年代といえる。それまでは、画商が中心だったといってもいいと思う。もちろん、今も画商がいるのだけど、オークションでの取引がよく話題になる。

■芸術作品=体験、アイディアの場合は?

考えてみたら、芸術作品が「取引」されるというのは、つまり金銭を対価として作品の「所有」が可能だということだ。つまり、芸術作品も煎じ詰めればモノであるということだ。しかし、最近の芸術作品は「モノ」ではなくなってきている。パフォーマンスアートだとか、インスタレーションだとか、コンセプトアートなど、モノそのものに価値があるというより、その体験・鑑賞そのものを味わうというスタイルの芸術作品が主流になってきているのだ。

例えば、オルデンバーグのように、日常にあるもの(洗濯ばさみとか、バドミントンのロケットとか)を巨大化させて公共の空間に置くような作品。これは、人が見て驚いている景観込みの作品だ。自分のビルを作って、その中に置いて一人でこっそり見ても正直楽しくないと思う。サイズのギャップを味わうものだ。こういう作品を仮にオークションに出すとして、誰かが買うとして、一体何をどう買うのか?場所まで買うのか?買ったことで、どういう所有感を感じたらいいのか?ぶっちゃけると、転売可能なのか?資産としての価値になるのか?

例えば、自分が整形手術をして変化するさまを見せたりする作家もいる。一体彼女の作品は、どうやって売り買いできるのか?人が驚いたりするサマが作品の一部なのに、それが売れるのか?そのように、20世紀後半の芸術は、より観念的、体験的、時間的なものになっていっている。そんな場合、モノそのものを買っても、とりたてて面白くなかったりする。作品の価値や意味が、モノから敷衍して、体験や他の人のリアクションまで広がっていっている。美術館なら美術館という空間で存在し、驚いている回りの観客ごと全部が作品の一部だったりする。だから完全に「所有」することが難しい。そもそも、技術的に難しいとは限らないことがあるので、レプリカを作ったとしてもそれなりに同じような感慨はもてそうなくらいだ。そういう名人芸的・職人的な作品が減ったのも20世紀後半の特徴だ。

■所有権から使用権へ

コンセプトを体現する作品が主流になるなら、そのコンセプトという無形のものを売り買いすることになる。つまり、二次使用料みたいなものだ。アイディア料だ。

また、今、ますます主流になりつつあるデジタルの作品の場合は、そもそも一点ものという感覚がない。版画なら、刷る枚数が決められる、元の版を壊すことで限定品になる。しかし、デジタルの場合は無限に複製可能だ。所有権ではなく、使用権になる。

そうなると、どうやって取引するのか?ほとんど、モノの価値よりアイディアやコンセプトの価値が主体なのだ。モノとしての作品はそれを伝えるための、土台に過ぎないという作品が増えているのだ。お金でモノとしての芸術作品をやりとりすることが、作品の性質上不可能な状況だ。

既存のオークション会社が、印象派の画家の作品を売るように、クリストの作品を売れるのか?クリストとは、なんでも包んでしまう作家だ。島をまるごと包んだりする。もちろん、一発終了の作品で、彼の作品を買うとしたら、つまり彼がアイディアをまとめた絵コンテを買うということになる(彼の資金源だ)。彼の「包んじゃう」というパフォーマンスそのものを所有することも、転売することも出来ない。また同じ手を使う、というアイディア使用料なら出来るかもしれない。TVでの放映権とか、DVD化の権利なら価値があるかもしれない。

しかし、それは既存の画商やオークション会社の仕事だろうか?

そこで、知的財産という無形の何か、コンセプトやアイディアを保護したり売り買いしたりするということになる。なんだか、弁理士や弁護士の仕事みたいになってきてる。


繰り返すが、現代美術はコンセプトという無形なものにこそ価値があることが多い。もう、モノを扱う手法では扱いきれない作品・作家が多くなってきている。パフォーマンスアートなど、どうやって売り買いするのか?パフォーマンスをする作家の時間でも買うのか?そのパフォーマンスをする権利を買うのか?このような性質のアートを、画商やオークション会社は今後どのように扱っていくのだろうか、そう思う。

これからは、名人的・職人的な技術を示したモノとしての価値があるようなものを(段ボールをたくみに使った作品だの、漆塗りだの、オートクチュールのドレスや、そういう一点ものだ)画商やオークション会社が扱い、コンセプトを売りにする複製可能な作品たちは別の市場で取引されるようになるだろうと思う。後者は、工業・広告・エンターテイメントさまざまな分野に広がっていくと思う。そして、実際にはもうすでに広がっていると思う。

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登録日:2012年 02月 13日 20:49:04

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プロフィール
秋田麻早子
■プロフィール:
アメリカはテキサスで西洋美術史を専攻。現在、博士課程で美術史・考古学なんかを面白がるコミュニケーションを鋭意研究中。
著書に『掘れ掘れ読本』(バジリコ 2007)。笑いのとれる考古学入門書を目指したもの。
連絡先:
mana_mana_chan@hotmail.com
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