イラクの隣の国:ヨルダン・ハシミテ王国・・・「インディ・ジョーンズが冒険した場所」

夫妻で訪日中のヨルダン王妃、着物の装い - 東京

【東京 22日 AFP】ヨルダンのアブドラ・ビン・フセイン(Abdullah Bin Hussein)国王とともに3日間の日程で来日しているラニア王妃(Queen Rania)は22日、東京の「装道礼法きもの学院」で着物の装いを楽しんだ。安倍晋三首相の昭恵夫人も同伴した。写真は同日、「装道礼法きもの学院」で昭恵夫人(右)から贈り物を受け取る、着物姿のラニア王妃。(c)AFP/Tatsuyuki Tayama

AFPBB News


2日前に、シリアから国際電話がかかってきました。
やっぱり、ダマスカスは平穏なようです。

さて今回は、シリア共和国は本当に知られていないけど、そのお隣のヨルダン。シリアよりは、もう少しだけ知名度が高いかな?でも、アラブのどっかの国でしょう?っていうくらいのイメージかも。
つい最近、国王夫妻が訪日していたのをニュースで見た人もいるかな?

スライドショー【世界で最も美しい王妃~ラニア王妃~】

□身近なヨルダンのモノって・・・

みんなが知っていることを挙げるとしたら、「死海」。そう、あの、プカプカ浮かぶ、塩分の多い湖はヨルダンなの。イスラエルとの境目にあるんだけど、リゾート地としてはヨルダン側の方が圧倒的に開発が進んでいるんです。周辺のショップでは、女性たちが競ってお土産に死海の泥や塩を使った製品を買っています。もちろん私も、結構買って帰りました。そして本物の死海そのものは・・・うん、確かに、本当に、死海の泥を塗った後はお肌ツルツル!

もう一つ有名なのが、映画インディ・ジョーンズ最後の聖戦で使われたぺトラ遺跡。ヨルダンを訪問した小泉首相も、ここで写真を撮ったりしていますね(スライド・ショー参照)。世界遺産にも登録されている、この薔薇色のマーブル模様がついた岸壁をくりぬいて作った遺跡は、2千数百年の歴史を持つ。細い細いシクと呼ばれる路地のような岸壁に囲まれた道を通りぬけると、そこにはインディ・ジョーンズの世界が待ってるの!!

岩礁地帯で、雨が降ると鉄砲水が出るとは聞いていたけど、なんと私が訪れたときにも・・・そう、轟音とともに鉄砲水がぺトラを襲いました。現地の方が何人か水に流され、全員避難するという、とんでもない経験になりました。アラブ人が巻いている例のスカーフを頭に巻いてもらい、ジープの後に乗せてもらい、どんどん水浸しになっていく道を通って町まで逃げたのでした。

ウィキペディアよりぺトラ

~スカーフ~
TVや新聞でもよく見かける、アラブ人の男性が頭にのせて黒い輪(イカール)で留めているスカーフ、カフィーヤといわれるもの。地域ごとに色や模様が違うそうです。ヨルダンの人は、赤×白の格子模様。アブドゥラ国王もつけていたりしますね。イカールは絹だと高いけど、ポリエステルだと数百円くらい。最近では観光客向けに、オリジナルのピンクやグリーンのカワイイのも売っていて可愛いですよ。



□世界でもっとも美しい人:ラニア王妃

歴史の中では「運命の美女」というような人が出てきます。もしかしたら、ヨルダン王妃のラニアは21世紀の運命の美女じゃないかと感じられてなりません(スライドショー参照)。米国ピープル誌が選ぶ「世界でもっとも美しい人」にも当然選ばれるほど、女優さんかな?と思うほどの綺麗な人です。

彼女はパレスチナの名門、英雄ヤシン家の出身。国民のほとんどがパレスチナ人であるヨルダンでは、ものすごいカリスマ的存在です。実際、彼女はロイヤル・ファミリーのセレブとしては世界的にも人気が高い。彼女がカルティエのダイヤたっぷりな時計をしているのを見たとき、あぁ、やっぱり生まれが高貴で美しい人は、ダイヤに負けないなぁって思ったものです。

しかし、ヨルダンという国の政治的な難しい立場を考えると、余計に名門パレスチナ人家庭出身である彼女が、国王に見初められて王妃になったというのは、やはり運命的に感じられます。では、そんなヨルダンのギリギリな政治的状況をかいつまんで見てみましょう。

□石油が出ない!

ヨルダンは、石油が出ないんです。収入源なんて、死海の観光収入や、リン鉱石などくらい・・・アメリカの援助にとても助けられているところがあります。

アメリカはイスラエルと仲がいい。だから、アメリカと仲良くしていくためには、イスラエルとも友好関係を保たないといけない。実際、今の国王アブドゥラのお父さんなんて、アメリカ人のお嫁さん(ヌール王妃)をもらってたこともあります(フセイン前国王は奥さんが亡くなるなど、計4回結婚していて、アブドラ国王は2番目の奥さんの子供です)。私の師匠も、アメリカの国のプロジェクトでヨルダンの首都アンマンの研究所にいました。そんなこんなでアラブ諸国の中でも、とっても新米国です。

ちょっと待ってよ、でも石油が出ないなら、どうしていたの?ヨルダンは石油面では、実はイラクに頼りっぱなしだったんです。そう、あのアメリカと仲が悪いイラクですよ。

そしてね、忘れちゃいけない。パレスチナ人とイスラエル人は仲が悪い!殺し合いをずっと続けてる!!ね?ほら、超微妙な状況でしょう?

ヨルダンの国王っていうのは、ものすごい政治バランスをとらないと、いつ何が起こるか分からない場所ってこと・・・

きついですよね。

パレスチナの名門の出身でしかも美しくて、慈善事業にも力を注ぐ王妃は人気者。だけど、そういうパレスチナ魂が強くなりすぎるのも、イスラエルとの関係悪化を呼び・・・アメリカとの関係にもヒビが入る。私だったら、絶対こんな難しい立場で王様なんてなりたくなーい!

□“西洋的”なヨルダン

前回お話したシリアに比べると、良い悪いは別として、ヨルダンは“西洋的”。町並みも、ローマ時代の円形劇場の近くに、ケンタッキーフライドチキンの看板があったりする。街そのものも、もっと都市っぽい。観光客の目からすると、どこにでもあるヨーロッパの町みたいで、面白くないんだけど、でも生活する人たちにとっては、便利なんじゃないかな?

それだけ、ヨルダンは西洋諸国とも「共有」している部分があるし、シリアよりは西洋人との「付き合い方」を知っているのかもしれない。でもその分だけ、アラブ的なものや、ヨルダン的なものを失っていくのかもしれない。日本なんかも同じような問題を抱えているでしょう?西洋化するのが、絶対にいいことなのか、日本的なものを残すとしたら、何が日本的で、どういう形で残していくのがベストなのか・・・非西洋諸国すべてが模索していく道なんでしょうね。

ヨルダン人で、アメリカのフロリダ大学修士をとっている人と現地で話し込む機会がありました。それは、アメリカ人たちと一緒に行ったペルシャ絨緞の店でのこと。私はミントティを飲みながら眺めていたわけ。

私「アメリカ人がペルシャ絨緞を選ぶとき、あれ?趣味悪~いって思うことない?」
エリアス「そりゃあ、思うよ。われわれとは違う観点で・・・つまり我々にとっては趣味が悪い品を喜んでいるように思う」
私「ああ!やっぱり!日本でも同じことよ、アメリカ人観光客が喜びそうなもの、というのは日本人にとっては、ちょっと悪趣味なもの、美意識の違いを感じるね」
エリアス「そういう意味で、僕たちアラブ人は日本人の美意識とか、考え方のほうがシンパシーを持てるね」

私たち日本人は、アラブ人とも案外共有できるものをたくさん持っているのに、機会を持たないだけかもしれない、と思ったエピソードでした。


ちなみに、余談ですが、エリアスとはこの後、美意識についての話になりました。どういうのを綺麗と思うかというと、やっぱり「ほかの人種の女性も綺麗だと思うんだけどね、自分の相手となるとやっぱり、パレスチナ人かエジプト人」なるほど、私たちには似たように見えるアラブ系だけど、違いがあるんだなと思ったのでした!


スライドショー【世界で最も美しい王妃~ラニア王妃~】

カテゴリー[ 歴史・考古学 ], コメント[2], トラックバック[0]
登録日:2006年 12月 29日 13:07:29

コメント

伴侶の場合と「美しい人」の基準て違いますよね。
ある意味で、距離の離れた国際結婚できるというのは、スゴイ美意識の相違がない人なのかもしれません。

小一郎 @ 2007年 01月 08日 01:11:53

>小一郎さん

そうですよね~
ワタシも、ブラッド・ピットはカッコいいと思うし、そりゃ何人でもキレイ・美しいとは思うけど、自分の対象となると・・・一重のすっきり顔しか受け付けなかったり。うん、国際結婚できる人って、すっごいストライクゾーンが広くて、シアワセ見つけるチャンス多いと思う!

masako @ 2007年 01月 08日 05:17:30

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プロフィール
秋田麻早子
秋田麻早子
■プロフィール:
Art Historian たぶん美術史学者、ときどき考古学。
アメリカの僻地の大学・大学院では西洋美術史を専攻。
でも論文を書いたのはアケメネス朝ペルシャ。
・・・美術史という素材の調理方法の可能性を模索しすぎで
エントロピーの法則な日々。

美術史・考古学を軸に、幅広く文化史的なモノゴトとか
特に、アートや学問の世界の面白いとこをご紹介しちゃいましょう。

MA in Art History 2002, University of Texas at Austin
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