言葉にすると
【10月15日 AFP】ノルウェー南部ドランメン(Drammen)近郊を流れるドランメンセルバ(Drammenselva)川の水面(みなも)を鮮やかに彩る紅葉した木々。(c)AFP
宇多田ヒカルのファーストアルバムのB&Cという曲に
「言葉にすると魔法とけちゃう」というフレーズがあるんですが
とても感動したり、ものすごく深く思ったりするようなとき
それを言葉にしたら、白々しい気がしたり、思いが狭められる気がするようなときがあります。みんな、これだけ言葉に頼る生活をしながら、どこか言葉をバカにしていたり、軽んじたり、言葉を疑ったり、責めたり。まるで恋人の気持ちを試すような、そういう意地悪なスタンスで言葉と付き合っているように見えてきたりしています。
なるほど、言葉の限界を感じる、それは感動するようなときには、いつもあります。
言葉に頼ってコミュニケーションをとっている毎日、それでも言葉以外の情報だってとても多いのに、だけど言葉はその中で「優位」な立場であることにかわりないんです。
目は口ほどにモノを言う、というけれど、それは口があった上での目、ということが多いんじゃないかと、なんとなく思えます。言葉のチカラを過信しすぎた時代を過ぎて、言葉のチカラを軽んじすぎる時代になっているような気すらする。
今、お手伝いというか、なんとなく居座らせてもらっている研究室の先生が
「例えば海に落ちる夕日の綺麗さ。そういうのを、全盲の人にどうやって伝えるか。そのとき、ただ夕日が海に落ちていて、すごく綺麗で、と言っても伝わらないんだよ」
そんな話になりました。
例えば、この湖にうつる紅葉した木の綺麗さなんて、言葉を尽くしても伝わらないと思ってしまったら、そこで終わり。綺麗だと思う、どうして思う、なぜそう感じる、どうしてほかの木と違う、緑のときと何が違う、それ、言葉以外で伝える方法、何があるんだろう。沢山あると思う。ある、だけど言葉はそんなに無力じゃない、と思ったりするんです。
最近、全盲の方と楽しく話す機会に恵まれているのですが、その中でも鉄道の大ファン!という方と井の頭線の話になりました。果たして、見た目の話をするのは、どうだろうと思ったけれど、きっとそんな事に気を使うほうが失礼だと思えるくらいの人だったので、思いきって「井の頭線の車両は、七色七種類あるんですよね!」と話すと
「そうなんです!!!でも七色といっても、細い帯状のシールみたいなのが貼ってあるんですけどね!!」と大喜びで、そのあと、話も弾む、弾む・・・取り越し苦労するより、どんどん交換しなければと思いました。同じことを、全盲かつ全聾の方とお話しているときに思いました。
「情報が多すぎて大変な人に比べると、少なくて楽かもしれませんねー」とユーモアたっぷりに会話(発話が可能な方)していると、コミュニケーションの可能性と限界と、両方について、今ここで、とりとめのない形でしか書けないけれど、どうしても考えて、不思議な気持ちになっているといわざるを得ません。
例えば、赤い色。何を感じるのか?
温かいような、闘争心が湧くような、元気が出てくるような、だけど、何か過剰な気持ちにもなる、情熱だけが先走っていて人を傷つけてしまうような気持ちになる、威圧感を与えたり、血の色を想像して生きている実感を表現しやすいような、赤の中にもいろんなバリエーションがある中で、いろんな気持ちを伝えられる。
色って、目だけで見ているのかしら?
じゃぁ、どうして赤い下着が縁起がいいと言われるのか。
最近なかよくなった、とても感性豊かで知的な風俗勤務の女性が言っていました。「赤いボールと白いボールを箱に入れて、見ないで触る。そうするとね、赤いボールの方があったかいから、何度連続でも赤い方を選ぶことが出来るの」
目が見えない人にいろを伝えるのに、温度を使ったりすると聞いたことがあります。
形を見て数字が浮かぶ人と話したり、私のように数字に色がついている人間がいたり、味で音を感じる人もいる。誰しもが五感はある程度の互換性を持っていて、それを第六感と呼んでいるのかもしれないと感じる日々です。
どうやったら、言語至上主義の社会の中で言語そのものがさげすまれたりする中で、五感のほかの能力に長けた人を評価する「客観的な物差し」を作り出すことが出来るのか、そういうお題を先生から貰いましたが、それは素晴らしい能力を持ちながら不遇であったり「生き難い」「困難」を抱えている人との共同作業になりそうだなぁと感じています。
賛否両論、とっても危険な思想を言葉にしましたが、きっと伝わるかどうか微妙なテーマだと分かりつつも、書かないでいられないような、そんなもどかしい、どうしようもない、そんなテーマなんですね。
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登録日:2008年 10月 16日 05:48:03
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- 秋田麻早子
- ■プロフィール:
Art Historian たぶん美術史学者、ときどき考古学。
アメリカの僻地の大学・大学院では西洋美術史を専攻。
でも論文を書いたのはアケメネス朝ペルシャ。
・・・美術史という素材の調理方法の可能性を模索しすぎで
エントロピーの法則な日々。
美術史・考古学を軸に、幅広く文化史的なモノゴトとか
特に、アートや学問の世界の面白いとこをご紹介しちゃいましょう。
MA in Art History 2002, University of Texas at Austin
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