知覧にて

ニューヨークのイントレピッド博物館、改修工事のため休館 - 米国

【ニューヨーク/米国 7日 AFP】ジョージ・パタキ(George Pataki)ニューヨーク州知事は6日、同市にある米海軍空母イントレピッド(Intrepid)を利用した海上航空宇宙博物館が、今秋に一時閉館すると発表した。大規模な改修を行うためで、閉館機関は1年半~2年を予定している。空母イントレピッドは太平洋戦争で活躍し、日本の神風特攻隊の攻撃も受けている。写真は、空母イントレピッド。(c)AFP/ Timothy A. CLARY

AFPBB News


知覧に行った、と話すと、思いのほか多くの人が「特攻隊」を思い浮かべるようだ。実は私には何の先入観もなかった。むしろ、お目当てはエキゾチックな石垣で有名な武家屋敷街のほうだった。私の祖父は海軍に所属していて、つまり、特攻隊に出撃するギリギリに生き残った人であり、開聞岳を目印に飛行訓練も受けていたという話は馴染みのものだった筈だから、私の知覧へのピンボケ感覚は不思議に思われるかもしれない。しかし、陸軍にとっては最後に見るものであったが、祖父の場合は知覧のあとに台湾、そして山形などで訓練を受けたりして、祖父の話しを聞いていると、知覧が最後の地、というイメージが薄かったのだ。言い訳がましいけれど、特攻隊の関連の何がしかが鹿児島にあるとは、何百回も聞いていたが、それが知覧だとは特に覚えていなかったという体たらくだったのだ。もちろん、祖父は頻繁に訓練をともに受けた人たちと訪れている。私がぼんやり聞いていただけだと気づいたのは、かえってきてからのこと。それくらい、身近な人間にとっても、話の印象というのは滲んでいくものかもしれない。

ふと、この自分の無意識の無感覚に対して、違和感を覚えた。しかし同時に考えたのは、一体こういう無感覚に対して単純に自責の念に駆られるのは、妥当であろうか?という点だ。つまり、これらは安易な自責だの良心の呵責とも言える。そんなものは、所詮甘えた現代に生きる人間の、綺麗ごとを隠そうとする意識の働きではなかろうか?と。さらに言えば、この二、三行ほどそのものが、つまり屁理屈をこねている暇がある暇な現代人か?という堂々巡りのような思いが巡った。こういったことは、祖父の前では話題にすら出来ないでいるところからして、私自身、つまり、暇なんだな、という答えを導いた。思ったありのままが、すなわち、私の程度であると受け止める意外にない。要するに、私にはもう太平洋戦争は本当に遠いことで、想像もできず、不意に感傷的になるのは身内の話だから、ということだ。どこかで、理不尽な出来事への理想的な心構えなどというものが、それが何であるか検討も付かないのに、あると思っていると、このように屁理屈で自分の自然な反応を手なずけようとしてみたくなる。自分を「私は良識のある人間でございます」と無意識に証明しようとするような(誰に対してだ?!)心の働きだ。しかし、そんなものは、どこにもないと思えてくる。理想的な何かなどないとしたら、ではガイドラインをどこに引いていくか?その答えの一つは、戦争を超えて、それでも清く正しく美しく生きてきた人たちの心持にあるのかもしれない。何事が起きても、いわゆるブレない軸の強さを感じる。時に人によっては、それが戦争のおかげだと早合点する。そうだろうか?戦争がふるいにかけて落ちてきたものの素晴らしさが、戦争に原因を求められるだろうか?他のふるいでも良いのではないだろうか?結果だけを見ていると、安易に原因を求めたくなる衝動に駆られてしまうものだ。そして最もドラマチックなところに原因を求めてしまいがちだ。でも、原因も結果も、へったくれもない世界もそこらじゅうにあるってことを、忘れてはいけない気がする。説明がつかないことだらけでも、ダダをこねるわけにはいかない状況だらけで、それを踏ん張るのが大人ってものだと私は思っている。

さて知覧での話に戻る。
情けない話だが、記念館には入る勇気がなかった。私は長らく、あらゆる古物の類が収まっている施設という施設で気分が悪くなるという、非科学的な素質に悩まされている。博物館や美術館も、正直、一人ではいけない。古代美術専攻としては、致命的かもしれないと思いながら、今日に至っている。さて、少し話がそれました。私は外の供養等で手を合わせた。当時10代であった祖父が、生まれ育った地から遠くはなれ、厳しい訓練、先など待っていない訓練を、どのような気持ちで受けていたろうかと想像してみる。想像が出来ない。全速力で走る航空母艦の上に滑り込んでいく飛行機を操縦する気持ちはどうだろうか、と想像してみる。少し想像が出来る。歴史に興味を持っていると普段の私は言っている。多少なりとも持っていると思ってきた。年配の人の話を好んで聞く。実際、聞いてはいるだろう。だけど、想像もできない。消化もできていない。分かったふりもできない。分かったようなこともいえない。

思うに、うまく言えないけれど、理不尽なことだっただろう。価値観の転換が、いやおうなしに起きた。昨日までの本当が、今日から「はい、それは嘘でした」を、こちらの都合などお構いなしに変わっている。文句も言えない。見渡せば、皆がその理不尽に面している。自分だけではない、というのが慰めになどなるだろうか?

現代に生きる我々が、戦争のことを想像しろといっても、困難なのはしかたないはずだ。そんなもの、携帯電話がない時代の人に、携帯電話を使った生活を想像するのが難しいのと同じだ。出来るというのは、少なくとも私にはちょっと傲慢な気すらする。強いて言うなら、現代の日本人は理不尽に耐える力が弱まったとはいえないだろうか?戦争だけが理不尽ではないけれど、戦争ほど否応なしに迫ってくる、しかものべつまくなしに、人を選ばず迫ってくる理不尽はないかもしれない。他には、パンデミックや大規模な天災が挙げられるかもしれない。いずれにせよ、諦めなければならない事を諦め、諦めてはならないことを諦めずに生きることが求められる。

私たち都会の現代人は、諦めなければならないことを諦めず、諦めてはならないことを、簡単に諦めていないだろうか?それが甘えだといわれると、逆ギレしていないだろうか?そしてそれは非常に幼いと非難されてもしかたないのではないだろうか?

と、こんな事を思った知覧の旅。
忘れないで、知覧のお茶はバツグンに美味い!そして武家屋敷の生垣はワンダフル!さらに二つ家?!だったかな、非常に珍しい建築様式なんですよ。剪定の技術の独特な魅力も、お忘れなく~!といって今回は〆ます。

次は、北条早雲の生まれ育った地、という5つある伝説のうちの1つを辿った記録をお伝えいたします。

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登録日:2009年 05月 15日 15:22:36

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プロフィール
秋田麻早子
■プロフィール:
アメリカはテキサスで西洋美術史を専攻。現在、博士課程で美術史・考古学なんかを面白がるコミュニケーションを鋭意研究中。
著書に『掘れ掘れ読本』(バジリコ 2007)。笑いのとれる考古学入門書を目指したもの。
連絡先:
mana_mana_chan@hotmail.com
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