荏原庄を行く~北条早雲(伊勢新九郎)はどこの馬の骨だったんだろう?

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実家がある岡山(政令指定都市になって、田んぼのど真ん中の我が家も"中区”に・・・)に帰省していたある朝。
相変わらず私は「そういえば、旅っていったら昔は徒歩だなぁ。馬に乗って移動っていつ頃からだろう」などと考えながらトーストを齧っていた。
すると父上が闇雲に「そういえば、北条早雲が備中岡山井原市出身説を押してる静岡大学の何やらいう先生がおるの知っとるか?」と始める。
これは聞き捨てならぬ。「なに?!」
父によると、早雲の出身地はいくつか説があるけど、その先生には信じるに足る根拠があるらしく、井原市の法泉寺からも資料が出ているらしいとのこと。その元静岡大学教授の大和田先生は、今のNHK大河の時代考証もやってる間違いない先生であって、そういう先生が、そうだろうというのだから、きっとそうなのだろう(笑)詳しいことは、後日また(早雲が名乗っていた名前の資料で裏づけするのが最近、駿河で出てきたのがきっかけなのです)。

ここで、井原市とはなんぞや?と思われる方が99%だと思う。井原市とは、かつての備中荏原庄。これでもピンと来る方はお目が高い!平家物語で大活躍した弓の名人、那須与一が功績を認められて拝領した土地の一つ。彼の菩提寺もここ井原市にある(墓を訪ねたときのナイスエピソードはまたいつか)。また、100歳すぎても大活躍した彫刻家平櫛田中(たなか、じゃないよ、でんちゅう、だよ)の出身地でもある。更に言ったら、江戸時代に庶民教育の場として水戸と萩のアレと並んで日本三大館の一つである興譲館があった地でもある(今は興譲館高校があるよ!)。

そんな、ちょっとした歴史ファンにとってグっと来る地、井原。そこが早雲の出身地だって?!それは、居ても立ってもいられない。
トーストも消化しきらぬうち、私は父上と母上とともに、井原に向かった。付け足せば、美味しい卵で知られる地でもある。

早雲が教育を受けたという法泉寺は、ナビにものっていない・・・微妙に道に迷いながら、すれ違う車もない山道をくねくねとのぼり、ついに法泉寺に!
この訪問は、まるで「街道を行く」のエピソードになりそうなもので、司馬さんだったらさぞかし面白い読み物にしてくださるだろうに、私の筆力ではこの日の不思議な魅力がどれほど伝わるか心配。
この法泉寺、鄙には稀な、とでも言うのでしょうか、とても立派な山門、石畳、本堂(っていうの?)。よっとこらしょとたどり着くと、堂内は広く、畳敷きでフスマというフスマが極彩色の花鳥風月に彩られている。なんてことだ、すごい豪勢なお寺さんじゃないか!そりゃ、早雲だっていたかもしれん!!そこで、人あたりがとっても良い住職が登場、まだお若い。一通り案内をしてくださったところ、フスマの絵はさる有名な画伯のものとのこと。こちらには無償で描かれたというが、相場はかなりの方で、あまり言うとアレだけど、相当お値のはるフスマ。一通り説明していただいたところ、これが旅(ショート・トリップ)の妙というものか、早雲ネタよりもむしろ、戦時中の兵庫県の摩耶小学校の疎開先としての法泉寺のエピソードの方が心惹かれるものだった。当時、すりこぎ棒を削る係りだった少年が、なんと大人になって名の知られた彫刻家になり、クラスメートが資金を提供し、当時の住職(29代)を彫って奉納しているという。住職によると、当時は畳ではなくムシロ。虫などで悩まされて、大変だったということだが、大人になってそうやって像を刻んで奉納しようと思うほどだから、よほど心に残る思い出もともにあったんだろうと思われた。それにしても、何がきっかけで才能が開花するか分からない。スリコギ棒も作らせてみるもんだ。それとも、才能がある人は、どんなキッカケでも昇華させるのだろうか?

ちょっと恥ずかしかったのが、住職に「ここに、トラの絵がありますね。裏に何が描かれているかご存知ですか?」

この手のことは、心得ているつもりだったが、何も浮かばなかった。住職が「一休さんに出てくるトラの絵の裏にも描かれているんですよ。」

それは、龍。竜虎というくらいで、龍とトラは対の生き物なのだ。だけど、龍は想像上の生き物なので、普段は見せないように、トラの面だけを表に出しているというわけ。あぁ、恥ずかしい。

住職がお勤めを始めるということで、お礼を述べ、ふらふらと歩き回り始めたところに、住職の母上とおぼしき女性が手招きくださる。父に聞くと「ダイコクサン」と呼ぶらしい。こちらのダイコクサンのお招きのまま、卓につくと、とても珍しそうな白黒写真を見せてくださった。「私もねぇ、先先代のお顔は拝見したことなかったんで、お持ちいただいたので初めてのことで」なんと大正時代のこの辺りの葬式の写真!住職がお勤めをしている、その檀家さんがその日、持っていらしたものだった。とんでもないお金持ちらしく、写真には立派なお屋敷、身なりの良い洋装の方々、その他大勢と28代のお姿。当時は住職は駕籠で移動していたらしく、それが映っている大変貴重なものなのでした。不思議なのが、女性たちが皆、まるでイスラム教徒のように顔まで白い装束で覆っていることだったが、その時はあまりそれが話題に上らなかった。写真の駕籠は現在、本堂の上に引っ掛けるように展示?!というか、無造作においてある。駕籠での移動は昭和の初期まで続いていたらしい。そのため、駕籠を置く石が堂内に配置されているのも確認できる。

「今日は少し暑いんで、ヨモギ茶をご用意しました」と冷たくて香りの良いお茶をついでくださり、非売品のレアな瓦センベイ(法泉寺と北条の紋である三つのウロコ模様のしるしあり!)をすすめていただいた。ありがたくポリポリと頂きながら、ちょっとハイカラな空気を漂わせるダイコクサンのよどみのないトークを拝聴。なんと、長崎のご出身で、寺とは全く関係ないお育ちとのこと!どうりで、ただようハイカラ感!

法泉寺のおせんべい、お土産にたんまり頂いた。「どうぞ、どうぞ、お持ちください!」。お暇をつげて離れていく私たちに、話はとまらず、それでも遠ざかる中もずっと朗らかに話しかけてくださって、本当にこういう鄙には稀なお寺さんには、鄙には稀な女性がいるものだ、と思ったものでした。

転がるようになめらかにお話になる女性で、娘さんたちの嫁ぎ先であるとか、お付き合いのもろもろなど、いつまでも聞いていたいお話の数々。あとで、私は失念したけれど、彼女の出身地は、わが母上によると「キリシタンで有名な町よ!」。さて、キリシタンの町で生まれ育ったモダンガールが、どのように荏原庄の古刹に嫁ぐことになったのだろう?!と経緯が知りたくなった。もう少し滞在していたら、きっと伺えたことだろうと思う。

早雲とその父の墓?!と言われるお墓を参ってかえる途上、住職が寺にまつわる資料を手渡してくださった。

帰途は興譲館跡に寄り、矢掛(大名行列が通った旧山陽道にある宿場町)を軽く歩いた。つくづく、この日あったことは、なんだかどこかで異次元に迷いこんだような気がした。あぁ、これって街道を行く、に出てくる人物に生で出遭ったらこんな感じなのかしらねぇ?って思うような体験だったんじゃないか?とその晩は家族で話したのでした。頂いたおせんべいが手元にあるので、あぁ、これは現実だったんだね、と思える、そんな体験だったのでした。

あ、写真は・・・携帯で撮ったので・・・ピンボケだけど許して・・・デジカメ・・・持ってないの・・・

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登録日:2009年 05月 24日 21:42:04

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プロフィール
秋田麻早子
■プロフィール:
アメリカはテキサスで西洋美術史を専攻。現在、博士課程で美術史・考古学なんかを面白がるコミュニケーションを鋭意研究中。
著書に『掘れ掘れ読本』(バジリコ 2007)。笑いのとれる考古学入門書を目指したもの。
連絡先:
mana_mana_chan@hotmail.com
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