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記録技術の先祖がえり:iPhoneは古代メソポタミアの粘土版みたいなもんか?


記録技術の変遷が、表現に影響を与えるか?というのが、認知科学の授業でちらと話題に出た。それ以前に、記録技術はどう変遷したんだろう?

それがなんでiPhoneの話になるんだっていうのは、少しおつきあいください。

鉛筆から、ワードへ。フロッピーからUSBへ。手紙からメールへ。
そりゃ表現に影響を与えるだろう、という気はうすうすするけど、どのように?
最近、昔とった杵柄の石版画(リトグラフ)を制作している。石に絵を描いて、あれこれ処理して、版画を摺るという技法。これをアーティストの方に描いてもらって、私が処理して摺るという流れで行っているのです。これは19世紀に発明された技法だ。版画という技法そのものは、当然もっと古い。

そこで気づいた。私たちはペン書きとキーボード入力の違いには目を向けている。
でも、紙に書くのと、石に書くのとの違いに目を向けているか?あまり向けない。
今でも、どっか開発途上の国の学校なんかがうつったとき、石にチョークみたいなのでノートをとっているのを見たりする。

ペンを手で握って、ペンの先端を平面にこすって記録することから、10本の指でぽこぽこしたキーボードを叩いて画面に文字を登場させる記録方法への変遷はドラマティック。
だから、これは内容にも影響を与えうるな、って想像できると思う。例えば、漢字を最近忘れがちだな、手で書かないからだな、とか。

小さい違いかもしれないけど、石に書くのと紙に書くのはやっぱり手ごたえが違う。
そもそも筆圧が違うのだ。紙はスムーズで、ペンを軽くあてたら、その後は自由に走らせたらいい。でも、石の場合は、もっと強くあてないといけない。ちょうど、ピアノとエレクトーンの関係にも似ている。同じようなスタイルだし、同じような技量が必要だと思っていたら、どっこい。鍵盤の重さが全然違う。馴れたら平気でしょう?と思うかもしれないけど、馴れるって、それなりに時間と労力を必要とする。

ペンになれた人には、石の上に描くのは違和感を覚えるものだ。それに気をとられて、書くほうに集中できないかもしれない。

それに、紙は軽いけど、石は重い。びっくりするほど重い。Ipadが重いとかいうけど、そんな比じゃない。石版はノート大であれば、片手ではもう持ち上がらない。持ち上がるとしたら、相当に手首が強くなってるって事だ。持ち運びは、あまり考えたくなくなる。石板しかもってなかったら、引きこもりになりそうだ。

それに、石だと間違えたときに消すのが大変。チョークみたいなので書いてたらまぁ、手ではらえばいいかもしれないけど、ちょっと油分がある道具(石版画では脂性の道具で描きます)なら、なかなか落ちない。物理的にガリガリと削るしかない。実際、石版画の場合、磨石棒ってのでガリガリと削り落とす。

消しゴムって便利だ。

DELETEキーはもっと便利だ。消しゴムのカス出ないし。

簡単に消せない、と思うと人は相当に覚悟して書く。一体どれくらい、キーボードだと打ち易い消し易いから、無闇に長い文章をダラダラと書いてしまってるだろう?ノートは軽いし、ペンはスムーズだしで、思いついたままを力も使わずにスラスラと書き留めることが出来るようになっただろう。

授業を受けるにも、ノートがなければ、石を持っていくのは重くて諦めて、忘れまいと記憶に刻みながら聴いた可能性はあるだろうか?何かが可能になったせいで、便利になること、研ぎ澄まさなくてもよくなったこと、両方ある。物事は諸刃の剣なんだけど、便利さに走ったり、体勢にあわせていく。

■石とか木とかから、紙みたいなものから、パソコンみたいなものへ

紙の大量生産が可能になったノートを運んでいた頃は軽かったのに、パソコンの発明で、また石みたいに重いものをバッグに入れて運んだりするようになった現代は、なんか先祖帰りしている気がする。

研究室で、古代メソポタミアの粘土版の多くが手の平サイズで、左手にもって、右手に葦の先をとがらせたので突いて記録していた、という話をしていたら「iPhoneって粘土版に先祖帰りしてるのかな」という。たしかに、iPhoneも手のひらサイズの粘土版くらいの厚さ大きさ、それに指とか、楊枝みたいので突いたりすることもあるとかいう。間違えたら、粘土なら指でチョイチョイすれば消えるし・・・落としたらクラッシュしそうなのも似てるな・・・。

多分、同じとこに戻っていくのね、というような単純に円状に繰り返しているのではないと思う。むしろ、ラセンを描くように、人間はもとのところと似てるけど、少し位相が違うところを経由しながら、ぐるぐると回っていっているのかもなぁ・・・

こんな事に気づいたのが今回の石版画制作の成果の一つだった。もっと成果らしいのは、刷り上った版画のほうです、勿論。それについては、また。

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登録日:2010年 06月 18日 16:34:13

三位一体:父と子と聖霊・・・聖霊って?!



三位一体の聖霊ってなんだろうって思いませんか?

私はなんじゃろか、と思っていたんです。なんなんだろう。。。父が神様で、子がキリストだとしても・・・聖霊・・・ハト?上飛んでるハト?
疑問が解消されたのは、私の師匠の長年の友人であり
某旧約聖書の研究の池田先生のご本を拝読し
さらにお会いしてお話していたときでした。

旧約聖書で重要なキーワードの一つとしてルーアッハを上げられています。
ルーアッハ、息、空気などと訳されるヘブライ語。

父なる神が人間をお作りになったとき、息を吹き込み、人間が誕生した。
この息と訳される言葉が、ルーアッハであると。
命を吹き込む神の息。

このルーアッハは聖霊とも訳される。
かくして私の頭の中で聖霊という微妙に理解できない言葉の代わりに
三位一体は父と子とルーアッハになりました。

また、鈴木康広さんの『まばたきの葉』を見てきました。
手の平より少し小さいくらいの葉っぱの形の白い紙の裏表に、開いた目と閉じた目を描いて、ヒラヒラと落とすとまばたきをしているように見える。それを大量に上から飛ばす装置として、細長い筒状の装置が作られた。筒のスリットに葉っぱを入れると、筒の上側から噴出されて、ひらひらと散って落ちるという仕掛けの作品。

いくらか前に羽田空港で展示されたときに、
まばたきとヘブライ語のマバトのお話をしました。

人は動くものを見るのが好き。
動物園のトラが動かないとあまり嬉しくない。
でもトラが歩き回ってくれると嬉しい。咆えてくれたりしたらもっと嬉しい。
昔、動物園で目の前でトラさんが排泄なすったとき、妙に得した気分を味わったけど
やはり、剥製ではここまで嬉しくない。動く、というだけでなんだか嬉しくなるものだ。

鈴木康広さんのこの『まばたきの葉』という作品は
人が葉っぱを拾って、筒のスリットに入れないと動き始めない。
筒の横のスリットに入れると、葉っぱが噴出される。
それがひらひらと散って落ちるのを見て「あ、楽しい」と思う作品なんですね。

それだけといえば、それだけなんだけど、沢山の人が集まる。
理由が分からなくても、楽しくて人がいっぱい集まる。
それを見ていると、人は動くものを見るのが好きだけど、
自分がそれを動かすとなると尚更好きなんだと気づかされる。

ふと、葉っぱを飛ばすこの筒はルーアッハを出す装置じゃないかと。
人はここに入れることで、葉っぱにルーアッハを吹き込んでいる。
地面に落ちている死んでいる葉っぱを、あなたが拾って筒のスリットに入れれば
空気を吹き込んで空から散らすことができる。
動かない紙のかけらに、命を吹き込む。

自分が何かを動かす、自分が動かしている、ということを目の前で知るとき
人は嬉しくなる。

そして、それを見ている人は、あぁやって楽しむものなんだ、と言葉で言わなくても、気づく。

自分がどれだけ他に影響を与えられたか。
“他を動かす”とかまで行くとおこがましいし、なんか権力志向で感じ悪い気がしてくるけれど、自分がいる事に何かしら意義なり意味なり、居ていいんだと思う理由を見つけられたり、ほっとしたりするのは、他とのかかわりにあるんだと思うのですが、そういう関わりを感じさせてくれる。それを最小限で気づかせてくれるこの作品が、イスラエルに招待されるのは当然の流れなのかもしれないと、世の中の大きな流れの妙を感じたのでした。

毎日私達は呼吸をして、いつも何かに息を吹きかけている。気づかないけど、何かをいつも動かしているんでしょうね。当たり前すぎて、それに気づかないで日々を過ごしているのかもしれません。

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登録日:2010年 06月 16日 17:04:38

コロッサル コロッセオ



修復より愛。

私がお邪魔もんさせてもらっている研究室では、みんなドリップでコーヒーを入れます。
同じ手順でも、違う味になるんです。
ある日、私が淹れたコーヒーが、マズイ。すごくまずい。
おっしょさん曰く「愛が足りない」と。
確かにですね、愛があれば、「こうやったら、もっと美味しくなるかな?どうやったら美味しく飲んでもらえるかな?」などと、いろんなことを思ったり、想像したり、シミュレーションしたり、工夫したりする原動力になります。

たとえば、プレゼントなんかを選ぶのでも、愛が多いほど、慎重に、一生懸命相手が喜びそうなものを選びませんか?なんか渡さないとまずいから、というような義務で選んだときよりも、沢山努力したり、工夫したりすると思います。

こういう現場の人が、注ぐべきもの、として愛というのも、私のまずいコーヒー体験からも納得がいきます。

そう。豆をひいて、フィルタを用意して、お湯を沸かして・・・・いくつものインプットの中に、ちょっとずづ手抜きが含まれれば、アウトプット(=コーヒー)の味も違ってくるでしょう。

まぁ、つまり、美味しいコーヒー飲んでもらおうという意識もなく、適当に入れたからマズイ、というのを美しく表現したのが「愛が足りない」なわけです。

歴史的な建造物も、それを取り囲む人たちの思いやりとか、愛だとか、思い入れ・・・もちろん、バランスのとれた・・・が重要なファクターになるという主張も、そういう流れで考えると頷けます。偏愛しろ、という意味ではないと思われます。


ところで、コロシアムが建っているいた場所には、その前のJulio-Claudian王朝時代の最後の皇帝ネロの屋敷とか巨大像コロッサル(collosal)が建っていたそうです。そこを続くFlavian王朝の創始者ヴェスパシウス帝、続く息子のティトゥス帝ががとっぱらって、みんなが楽しめるコロシアムcolloseumと呼ばれる円形闘技場を建てた、ということだそうです。

コロシアムはローマ建築の本などでは、Falvian(フラヴィアヌス朝の) Amphitheater(円形劇場)、一般にはコロシアム、という風に記述されたりしています。

手元の美術史の教科書によると、50000人も収容できたそうです!すごいですねぇ。

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登録日:2010年 05月 28日 13:56:18

文化財は誰のもの?



本の中でも、このテーマは取り上げたのですが、悩ましい問題です。

古代の美術品の話はロマンだけではないようです。
むしろ、そういうロマンではない部分が、私には面白いように思えます。

おそらく、この記事を読んだ人はほとんど
「返してあげようよ・・・」と思うことだと思います。
私も、大体は・・・返還したほうがスジじゃないかなぁ・・って思ったりします。

あ、でも鋭い方々や、この問題をご存じの方のブログなどでは「そんな事いっても、保存・保管の問題もあるから、単順に返せって話でもないんじゃないか?」という論調もあるようですね。

何が問題あるんだよ!!って思いますよね。
私は「返してあげよーよー」って思ったりする心情がなきにしもあらず・・・
結論から言うと、白黒がつかない問題。どこで白黒つけても、絶対にどこかに抵触する、そういう問題だけど、白黒問題として語られる議題だ、ということです。

日本にはそこまであまりない問題かもしれませんが
国の国境って、歴史の上で伸び縮みするんですよね。

日本の場合は、北方領土なんかが問題になります。
本土は日本以外の国になったことはないですよね。
でも、地域によっては、侵略されたり、したり、などで
「ギリシャ」っていっても、時代によって、「あ、そこもギリシャ?」
なんてなことになるし、パレスチナに至っては、誰のもんかで
世界を巻き込んですったもんだです。

この記事にもありますが
ギリシャはパルテノンのレリーフ(エルギン・マーブル)を返還要求してますが・・・・
ミロのヴィーナスとか、そういうのはいいの?って聞くと・・・

いいよ・・・

だそうです・・・
理由もなんかよくわからないけど、独立してるから。
まぁ、そうなんだ・・・いいなら、いいけど・・・

基本的には、出土した場所に保管するのがいいよなぁって思うのですが
必ずしも、出土した場所に所属していたとは限らない場合もあります。
有名なハムラビ法典は、現在のペルシャで出土しました。
古代のペルシャの王様(大体今のイラン、だけど時代によって国境は伸び縮み!!)が、バビロンからかっぱらってきたと言われています。では、これは、出土した場所に戻すべき?それともさらにオリジナルの場所に戻すべき?でも、ペルシャとバビロニア(今のイラクを中心とした古代の王国)って侵略したりされたりで、どの時代を基準にすべき?でも、どこで決めたとしても、現代の問題と通じています。

アメリカの場合は1974年を境に、それ以前のことは不問でひとつよろしく!ということなんですが、納得しないむきがあるのは当然かもしれません・・・

ほかにも、保存・保管の問題もあります。
日本の保管保存技術は高いので、イラクなんかに技術援助したりしているようです。
そういう貢献もしてたりするんですよね。

古代の文明が栄えた地域は、えてしてよく、紛争地域だったりします。
バグダッッドに残っていたら、えらいことになってたかもしれない
というのは欧米のカッパライの言い訳には都合いいかもしれません。
でも、一理あるのも事実・・・

本にも書いたのですが、ではアボリジニと今住んでるオーストラリア人の問題。
ネイティブアメリカンと、今のアメリカ人の問題。
同じ場所を共有しています。でも文化は別です。
文化財を扱うメンタリティも違います。
現地に返還すればいいというものでもない・・・
その先にもめごとがあるかもしれない。

思うよりも簡単ではない問題なんですよね。
わりと、根深い問題だな、解決する立場になりたくないな
でも誰かが決めて、責任とらなきゃいけない問題なんだな
と思いますよね。
何を決めても、どこかから、そこはそれなりに正当な理由をもって
文句が言えるようなことに陥るという、そういう問題に関するニュースだったんですね。

それでも、どちらかに決着がついて、忘れ去られるのではなく
たとえ全員が納得できなくても、活発で健全な議論を進めながら
常に最善?最適化が行われていくのがいいのかなぁと思います。
とにかく、決定権がある人たちにとっては、苦渋の選択かもしれません。

すごいなぁ、決定権がある人たち!

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登録日:2010年 05月 10日 16:22:06

フセイン亡き後

イラクのバビロン遺跡が米軍駐留で損壊、ユネスコが指摘

【7月13日 AFP】イラク中部にある古代遺跡バビロン(Babylon)が、イラク戦争後の米軍駐留の影響で損壊していることが明らかになった。
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(c)AFP

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イラク戦争の影響の一つに、かつてのメソポタミア文明の中心部分を擁しているイラクという国の文化財・遺跡の破壊が挙げられている。

そりゃぁ、戦争をしたんだから・・・無傷ってわけにはいかないのは、誰にも(納得いかなくても)当然の帰結だろうと思うと思います。

もう一つには、亡きフセイン元大統領がこのネブカドネザル(紀元前600年頃の王様)と自分を重ねたメディア戦略を行っていたという事があるでしょう。ネブカドネザルがつまり、この偉大な古代な王を、うまく利用して自分のイメージも偉大に見せようとしていたわけです。ネブカドネザルにまつわる遺跡を派手に修復したり宣伝したり、自分のポスターにも描いてみたり。ネブカドネザルにしてみれば、寝耳に水でしょうし、当時想像したかどうかも分かりませんが、利用されたのは事実。

よくも悪くも、ある意味フセインは保護者であったのは事実なので、そういう人物がいなくなれば、廃れてしまうのも時の流れなのかもしれません。

よくも悪くも、独裁者というのは、過去の英雄と自分を意図的に重ねてメディア戦略をします。ナポレオンも自分の肖像画にハンニバルだとかアレキサンダーだとか(確かこういう人だったと思う)の名前を並べて描かせています。ムッソリーニも初代ローマ皇帝アウグストゥスの墓の整備をやっているところを写真に撮らせたりしています。

しかし、そうすると、その独裁者がいなくなったとき、勝手に利用された元の過去の英雄も、多少とばっちりを食うのかもしれません。

ただ、とばっちりが、過剰になりすぎないことを祈ります。

また、遺跡としての価値に相当したはからいと処置が取られることを願うばかりです。

そこでさらに。そこに今、現在、暮らす人々の利益・公共の福祉との兼ね合いの中でバランスが取られるのが理想的だといえるのではないでしょうか?ただ、このバランスは、なかなか取りにくいもののようです。しがらみと、兼ね合いと、過去の記憶と、これからと、すべてをバランスを取っていくのは、簡単ではないかもしれません。冷静な状況判断と、理性に基づいた決断がもっとも必要なのではないでしょうか。

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登録日:2009年 08月 09日 19:49:48

同名異人はどれくらいいるんだろう?

デザイナーと監督、才能溢れる2人のフォンテーヌ

【10月22日 MODE PRESS】アン・フォンテーヌ(Anne Fontaine)は、クラシックな白いシャツを得意とするフランス人デザイナー。
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欧米人の場合、名前が同じケースってわりと多いみたいですね。ファーストネームのバリエーションが、日本ほど多くないものですし。

さて同名の異人か?!それとも同人か?!というのが、歴史上の人物を資料の上で特定する場合にも問題になるのです。なんせ当人が生きていないから、当人に確認できないのが痛いところです。

早雲が井原出身であるという、最近出てきた根拠とは。

早雲は、出家前の名前が伊勢新九郎。出身地については5つの説が。山城宇治説、山城荏原説、伊勢素浪人説、京都伊勢氏説、備中伊勢氏説。

備中伊勢氏は京都の伊勢氏とは親戚。備中には「伊勢新九郎盛時」という人が現在の井原市にある高越城主伊勢盛定の息子であったそう。さらに、この新九郎が後に京都に出て、申次衆というのに抜擢されたとも分かっているとか。

しかし、早雲が盛時(備中の伊勢新九郎の名)と名乗った証拠がなかった。関東で出てくる資料では、早雲は伊勢新九郎“長氏”または“氏茂”だったらしい。だから、その備中出身の新九郎さんは、同名の違う人だろうという風に言われていました。

そこへ。静岡で、早雲が“盛時”と名乗った資料が出てきたというのです。それを静岡大学の元教授大和田先生が発見されたところから、俄然、備中伊勢氏説が活気付いてきたわけです。こういう事は、日本史に疎い私には、どの程度の信憑性なのか、他の説との兼ね合いがどうなのか、全く分かりません。私の一個人の意見ですが、早雲みたいな人は、出自が分からないほどなんだか有り難い気がします。

さて、そろそろ法然上人800年祭?!岡山出身なので、岡山も便乗して何か活気付くと良いのですが・・

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登録日:2009年 06月 03日 21:31:27

荏原庄を行く~北条早雲(伊勢新九郎)はどこの馬の骨だったんだろう?

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実家がある岡山(政令指定都市になって、田んぼのど真ん中の我が家も"中区”に・・・)に帰省していたある朝。
相変わらず私は「そういえば、旅っていったら昔は徒歩だなぁ。馬に乗って移動っていつ頃からだろう」などと考えながらトーストを齧っていた。
すると父上が闇雲に「そういえば、北条早雲が備中岡山井原市出身説を押してる静岡大学の何やらいう先生がおるの知っとるか?」と始める。
これは聞き捨てならぬ。「なに?!」
父によると、早雲の出身地はいくつか説があるけど、その先生には信じるに足る根拠があるらしく、井原市の法泉寺からも資料が出ているらしいとのこと。その元静岡大学教授の大和田先生は、今のNHK大河の時代考証もやってる間違いない先生であって、そういう先生が、そうだろうというのだから、きっとそうなのだろう(笑)詳しいことは、後日また(早雲が名乗っていた名前の資料で裏づけするのが最近、駿河で出てきたのがきっかけなのです)。

ここで、井原市とはなんぞや?と思われる方が99%だと思う。井原市とは、かつての備中荏原庄。これでもピンと来る方はお目が高い!平家物語で大活躍した弓の名人、那須与一が功績を認められて拝領した土地の一つ。彼の菩提寺もここ井原市にある(墓を訪ねたときのナイスエピソードはまたいつか)。また、100歳すぎても大活躍した彫刻家平櫛田中(たなか、じゃないよ、でんちゅう、だよ)の出身地でもある。更に言ったら、江戸時代に庶民教育の場として水戸と萩のアレと並んで日本三大館の一つである興譲館があった地でもある(今は興譲館高校があるよ!)。

そんな、ちょっとした歴史ファンにとってグっと来る地、井原。そこが早雲の出身地だって?!それは、居ても立ってもいられない。
トーストも消化しきらぬうち、私は父上と母上とともに、井原に向かった。付け足せば、美味しい卵で知られる地でもある。

早雲が教育を受けたという法泉寺は、ナビにものっていない・・・微妙に道に迷いながら、すれ違う車もない山道をくねくねとのぼり、ついに法泉寺に!
この訪問は、まるで「街道を行く」のエピソードになりそうなもので、司馬さんだったらさぞかし面白い読み物にしてくださるだろうに、私の筆力ではこの日の不思議な魅力がどれほど伝わるか心配。
この法泉寺、鄙には稀な、とでも言うのでしょうか、とても立派な山門、石畳、本堂(っていうの?)。よっとこらしょとたどり着くと、堂内は広く、畳敷きでフスマというフスマが極彩色の花鳥風月に彩られている。なんてことだ、すごい豪勢なお寺さんじゃないか!そりゃ、早雲だっていたかもしれん!!そこで、人あたりがとっても良い住職が登場、まだお若い。一通り案内をしてくださったところ、フスマの絵はさる有名な画伯のものとのこと。こちらには無償で描かれたというが、相場はかなりの方で、あまり言うとアレだけど、相当お値のはるフスマ。一通り説明していただいたところ、これが旅(ショート・トリップ)の妙というものか、早雲ネタよりもむしろ、戦時中の兵庫県の摩耶小学校の疎開先としての法泉寺のエピソードの方が心惹かれるものだった。当時、すりこぎ棒を削る係りだった少年が、なんと大人になって名の知られた彫刻家になり、クラスメートが資金を提供し、当時の住職(29代)を彫って奉納しているという。住職によると、当時は畳ではなくムシロ。虫などで悩まされて、大変だったということだが、大人になってそうやって像を刻んで奉納しようと思うほどだから、よほど心に残る思い出もともにあったんだろうと思われた。それにしても、何がきっかけで才能が開花するか分からない。スリコギ棒も作らせてみるもんだ。それとも、才能がある人は、どんなキッカケでも昇華させるのだろうか?

ちょっと恥ずかしかったのが、住職に「ここに、トラの絵がありますね。裏に何が描かれているかご存知ですか?」

この手のことは、心得ているつもりだったが、何も浮かばなかった。住職が「一休さんに出てくるトラの絵の裏にも描かれているんですよ。」

それは、龍。竜虎というくらいで、龍とトラは対の生き物なのだ。だけど、龍は想像上の生き物なので、普段は見せないように、トラの面だけを表に出しているというわけ。あぁ、恥ずかしい。

住職がお勤めを始めるということで、お礼を述べ、ふらふらと歩き回り始めたところに、住職の母上とおぼしき女性が手招きくださる。父に聞くと「ダイコクサン」と呼ぶらしい。こちらのダイコクサンのお招きのまま、卓につくと、とても珍しそうな白黒写真を見せてくださった。「私もねぇ、先先代のお顔は拝見したことなかったんで、お持ちいただいたので初めてのことで」なんと大正時代のこの辺りの葬式の写真!住職がお勤めをしている、その檀家さんがその日、持っていらしたものだった。とんでもないお金持ちらしく、写真には立派なお屋敷、身なりの良い洋装の方々、その他大勢と28代のお姿。当時は住職は駕籠で移動していたらしく、それが映っている大変貴重なものなのでした。不思議なのが、女性たちが皆、まるでイスラム教徒のように顔まで白い装束で覆っていることだったが、その時はあまりそれが話題に上らなかった。写真の駕籠は現在、本堂の上に引っ掛けるように展示?!というか、無造作においてある。駕籠での移動は昭和の初期まで続いていたらしい。そのため、駕籠を置く石が堂内に配置されているのも確認できる。

「今日は少し暑いんで、ヨモギ茶をご用意しました」と冷たくて香りの良いお茶をついでくださり、非売品のレアな瓦センベイ(法泉寺と北条の紋である三つのウロコ模様のしるしあり!)をすすめていただいた。ありがたくポリポリと頂きながら、ちょっとハイカラな空気を漂わせるダイコクサンのよどみのないトークを拝聴。なんと、長崎のご出身で、寺とは全く関係ないお育ちとのこと!どうりで、ただようハイカラ感!

法泉寺のおせんべい、お土産にたんまり頂いた。「どうぞ、どうぞ、お持ちください!」。お暇をつげて離れていく私たちに、話はとまらず、それでも遠ざかる中もずっと朗らかに話しかけてくださって、本当にこういう鄙には稀なお寺さんには、鄙には稀な女性がいるものだ、と思ったものでした。

転がるようになめらかにお話になる女性で、娘さんたちの嫁ぎ先であるとか、お付き合いのもろもろなど、いつまでも聞いていたいお話の数々。あとで、私は失念したけれど、彼女の出身地は、わが母上によると「キリシタンで有名な町よ!」。さて、キリシタンの町で生まれ育ったモダンガールが、どのように荏原庄の古刹に嫁ぐことになったのだろう?!と経緯が知りたくなった。もう少し滞在していたら、きっと伺えたことだろうと思う。

早雲とその父の墓?!と言われるお墓を参ってかえる途上、住職が寺にまつわる資料を手渡してくださった。

帰途は興譲館跡に寄り、矢掛(大名行列が通った旧山陽道にある宿場町)を軽く歩いた。つくづく、この日あったことは、なんだかどこかで異次元に迷いこんだような気がした。あぁ、これって街道を行く、に出てくる人物に生で出遭ったらこんな感じなのかしらねぇ?って思うような体験だったんじゃないか?とその晩は家族で話したのでした。頂いたおせんべいが手元にあるので、あぁ、これは現実だったんだね、と思える、そんな体験だったのでした。

あ、写真は・・・携帯で撮ったので・・・ピンボケだけど許して・・・デジカメ・・・持ってないの・・・

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登録日:2009年 05月 24日 21:42:04

知覧にて

ニューヨークのイントレピッド博物館、改修工事のため休館 - 米国

【ニューヨーク/米国 7日 AFP】ジョージ・パタキ(George Pataki)ニューヨーク州知事は6日、同市にある米海軍空母イントレピッド(Intrepid)を利用した海上航空宇宙博物館が、今秋に一時閉館すると発表した。大規模な改修を行うためで、閉館機関は1年半~2年を予定している。空母イントレピッドは太平洋戦争で活躍し、日本の神風特攻隊の攻撃も受けている。写真は、空母イントレピッド。(c)AFP/ Timothy A. CLARY

AFPBB News


知覧に行った、と話すと、思いのほか多くの人が「特攻隊」を思い浮かべるようだ。実は私には何の先入観もなかった。むしろ、お目当てはエキゾチックな石垣で有名な武家屋敷街のほうだった。私の祖父は海軍に所属していて、つまり、特攻隊に出撃するギリギリに生き残った人であり、開聞岳を目印に飛行訓練も受けていたという話は馴染みのものだった筈だから、私の知覧へのピンボケ感覚は不思議に思われるかもしれない。しかし、陸軍にとっては最後に見るものであったが、祖父の場合は知覧のあとに台湾、そして山形などで訓練を受けたりして、祖父の話しを聞いていると、知覧が最後の地、というイメージが薄かったのだ。言い訳がましいけれど、特攻隊の関連の何がしかが鹿児島にあるとは、何百回も聞いていたが、それが知覧だとは特に覚えていなかったという体たらくだったのだ。もちろん、祖父は頻繁に訓練をともに受けた人たちと訪れている。私がぼんやり聞いていただけだと気づいたのは、かえってきてからのこと。それくらい、身近な人間にとっても、話の印象というのは滲んでいくものかもしれない。

ふと、この自分の無意識の無感覚に対して、違和感を覚えた。しかし同時に考えたのは、一体こういう無感覚に対して単純に自責の念に駆られるのは、妥当であろうか?という点だ。つまり、これらは安易な自責だの良心の呵責とも言える。そんなものは、所詮甘えた現代に生きる人間の、綺麗ごとを隠そうとする意識の働きではなかろうか?と。さらに言えば、この二、三行ほどそのものが、つまり屁理屈をこねている暇がある暇な現代人か?という堂々巡りのような思いが巡った。こういったことは、祖父の前では話題にすら出来ないでいるところからして、私自身、つまり、暇なんだな、という答えを導いた。思ったありのままが、すなわち、私の程度であると受け止める意外にない。要するに、私にはもう太平洋戦争は本当に遠いことで、想像もできず、不意に感傷的になるのは身内の話だから、ということだ。どこかで、理不尽な出来事への理想的な心構えなどというものが、それが何であるか検討も付かないのに、あると思っていると、このように屁理屈で自分の自然な反応を手なずけようとしてみたくなる。自分を「私は良識のある人間でございます」と無意識に証明しようとするような(誰に対してだ?!)心の働きだ。しかし、そんなものは、どこにもないと思えてくる。理想的な何かなどないとしたら、ではガイドラインをどこに引いていくか?その答えの一つは、戦争を超えて、それでも清く正しく美しく生きてきた人たちの心持にあるのかもしれない。何事が起きても、いわゆるブレない軸の強さを感じる。時に人によっては、それが戦争のおかげだと早合点する。そうだろうか?戦争がふるいにかけて落ちてきたものの素晴らしさが、戦争に原因を求められるだろうか?他のふるいでも良いのではないだろうか?結果だけを見ていると、安易に原因を求めたくなる衝動に駆られてしまうものだ。そして最もドラマチックなところに原因を求めてしまいがちだ。でも、原因も結果も、へったくれもない世界もそこらじゅうにあるってことを、忘れてはいけない気がする。説明がつかないことだらけでも、ダダをこねるわけにはいかない状況だらけで、それを踏ん張るのが大人ってものだと私は思っている。

さて知覧での話に戻る。
情けない話だが、記念館には入る勇気がなかった。私は長らく、あらゆる古物の類が収まっている施設という施設で気分が悪くなるという、非科学的な素質に悩まされている。博物館や美術館も、正直、一人ではいけない。古代美術専攻としては、致命的かもしれないと思いながら、今日に至っている。さて、少し話がそれました。私は外の供養等で手を合わせた。当時10代であった祖父が、生まれ育った地から遠くはなれ、厳しい訓練、先など待っていない訓練を、どのような気持ちで受けていたろうかと想像してみる。想像が出来ない。全速力で走る航空母艦の上に滑り込んでいく飛行機を操縦する気持ちはどうだろうか、と想像してみる。少し想像が出来る。歴史に興味を持っていると普段の私は言っている。多少なりとも持っていると思ってきた。年配の人の話を好んで聞く。実際、聞いてはいるだろう。だけど、想像もできない。消化もできていない。分かったふりもできない。分かったようなこともいえない。

思うに、うまく言えないけれど、理不尽なことだっただろう。価値観の転換が、いやおうなしに起きた。昨日までの本当が、今日から「はい、それは嘘でした」を、こちらの都合などお構いなしに変わっている。文句も言えない。見渡せば、皆がその理不尽に面している。自分だけではない、というのが慰めになどなるだろうか?

現代に生きる我々が、戦争のことを想像しろといっても、困難なのはしかたないはずだ。そんなもの、携帯電話がない時代の人に、携帯電話を使った生活を想像するのが難しいのと同じだ。出来るというのは、少なくとも私にはちょっと傲慢な気すらする。強いて言うなら、現代の日本人は理不尽に耐える力が弱まったとはいえないだろうか?戦争だけが理不尽ではないけれど、戦争ほど否応なしに迫ってくる、しかものべつまくなしに、人を選ばず迫ってくる理不尽はないかもしれない。他には、パンデミックや大規模な天災が挙げられるかもしれない。いずれにせよ、諦めなければならない事を諦め、諦めてはならないことを諦めずに生きることが求められる。

私たち都会の現代人は、諦めなければならないことを諦めず、諦めてはならないことを、簡単に諦めていないだろうか?それが甘えだといわれると、逆ギレしていないだろうか?そしてそれは非常に幼いと非難されてもしかたないのではないだろうか?

と、こんな事を思った知覧の旅。
忘れないで、知覧のお茶はバツグンに美味い!そして武家屋敷の生垣はワンダフル!さらに二つ家?!だったかな、非常に珍しい建築様式なんですよ。剪定の技術の独特な魅力も、お忘れなく~!といって今回は〆ます。

次は、北条早雲の生まれ育った地、という5つある伝説のうちの1つを辿った記録をお伝えいたします。

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登録日:2009年 05月 15日 15:22:36

ロムルスとレムス2

古代ローマ建国2762年祝う市民の仮装パレード

【4月20日 AFP】イタリア、ローマ(Roma)で19日、古代ローマの建国から2762年を祝う記念パレードやライトアップが行われた。伝説によると古代ローマは、ロムルス(Romulus)とレムス(Remus)という双子の兄弟によって紀元前753年4月21日に建国された。(c)AFP

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画像

下の記事の補足です。
これが、その牝狼。

さてさて、パロディはオリジナルをどの程度いじってると思いますか?

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登録日:2009年 04月 20日 22:30:49

ロムルスとレムス

ドイツ各地でクライマックスを迎えるカーニバル、経済危機を風刺する山車が続々

【2月24日 AFP】カーニバルシーズン中のドイツ各地では23日、クライマックスとなる「バラの月曜日」を迎え、百万人の観客が経済危機という暗雲を振り払うかのように熱狂した。
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(c)AFP

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女性首相を狼に仕立てて、その彼女が四つんばいで子供たちに乳をやる姿。このイメージの元ネタを知らなければ、何のことか分からない。ただ闇雲に下品な作品に映るかもしれない(元ネタに関係なく、その可能性も、あるにはある。)

◆メルケル首相のパロディの元ネタ~ローマ建国の英雄~

元ネタは、古代ローマのブロンズ像。それは古代ローマを建国したとされる英雄、双子のロムルスとレムスが、メスの狼に育てられたという伝説に基づいている。エトルリア時代と思われる古い狼の青銅像に、後から赤ちゃん姿のロムルスとレムスの像を付け足したもの。赤ちゃん二人に乳をやる狼の像として有名(世界史の教科書にも載っていた)。このメルケルの像は、それのパロディというわけ。

こういう元ネタというのは、知っている人にはすぐに分かるものだろうけど、知らない場合には、てんでよく分からないものになってしまう。

◆パロディが成立する条件~共通の予備知識~

知識がどこまで共有されているかと確かめるには、パロディを見せて意味が分かるかどうかみてみるといいかもしれない。分かる人は、自分と同じ前提の知識をもっているわけだ。ただし、どこでどのようにその知識を得たかまでは分からない。更にこれを広げると、同じ感覚かどうかは、同じお笑いを見て同じポイントで笑うかどうか、ということにも通じているといえるだろう。

「共通理解」とは共通の前提条件とでも言ったらいいか、共通の基盤と言ってもいいかもしれない。この言葉を使うのは簡単だけど、実際に共通の基盤を得るのは難しいとされる。例えば、「お笑い」というのは、大抵、何かの前提知識を必要としている。下ネタがおかしいのは、そういうことは口にするのが恥ずかしい、というのを皆が前提として持っているからだ。普段の生活で多用すると、顰蹙を買うという前提を共有しているから成り立つのだ。

だから、多くの人が笑う「笑い」というのは、多くの人が前提として共有する知識をアテにしないといけない。社会の階層が広がるほどに、多様性が広がるごとに、大勢で共有できるものが少なくなってくる。だから、多様性のある社会で、笑いというのが「下ネタ」に走ってしまうか「単純な動作」に走ってしまうのは、仕方ないのだ。そうでなければ、内輪ネタとか、身内ウケとか、そういうものになってしまうのだ。つい、笑いがとりたいあまり、苦し紛れに下ネタに走る人が多いのも、こういう理屈から理解できる。

写真のように、メルケル首相がローマ建国の英雄を育てたメス狼になぞらえられている、と分かるとそれなりに下ネタよりも少しは洗練された解釈もできてくる。しかし、分からなければ、なんだかとても下品な印象ばかり感じる。実際、造った人の意図も下品なだけかもしれないけれど。ドイツの人にとっては、この元ネタは一般的なものだろうか?日本人にとっては、そこまで一般的な素材ではないと思われる。

◆「お笑い」の好みを通して知る共通の知識の基盤

共通の基盤だと思っているものが、どこまで普遍的なのか?どこまで通じるものなのか?笑いとかパロディを軸にしてみてみると、割りと見えやすくなる。

どこまで人と共有できているか、確かめるには、まず自分が好きなお笑い芸人を述べてみるといい。おそらく、全部私も好きですわ!という方とは、共有するところが、いくらかあるのだと思われる。ただし、考え方が同じか、というのはまた別だ。あくまでも、前提として共有するものがある、というだけ。ついつい、共通の基盤があると、考えまで同じだと早合点してしまう。では同じ考え方かどうか知るには・・・この場合だと、○○だけは苦手、というのも共有しているか確認が必要なのだろう、きっと。まぁ、あまり批判的な話を話題に載せたくない人の場合は、この方法は得策じゃないかも。

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登録日:2009年 04月 20日 22:17:09

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プロフィール
秋田麻早子
■プロフィール:
アメリカはテキサスで西洋美術史を専攻。現在、博士課程で美術史・考古学なんかを面白がるコミュニケーションを鋭意研究中。
著書に『掘れ掘れ読本』(バジリコ 2007)。笑いのとれる考古学入門書を目指したもの。
連絡先:
mana_mana_chan@hotmail.com
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