で、結局ジーコは日本のことを分かっていたのか?

えーと、ここ1週間ちょいは出張やら急な仕事やらで全く身動きがとれず、帰国だオシムだ中田だといった目まぐるしく変化する世相をただ傍観していただけでした。

で、まあそれなりに頭の中で考えをまとめることが出来たという利点もありつつ、あまり時間を空けすぎるのもなんなので、昼休みついでに一発。まずは、完全に時機を逸した(笑)ジーコジャパンの解雇回顧から。

ジーコという人は、確か「日本サッカーをよく知る人」という触れ込みで選ばれたと記憶しているのですが、結果論だけで行くとこの人全然日本サッカーを分かってなかったんじゃないか?という感じがしますよね。こうした点は既に2002年の時点で指摘されていたわけです。Googleで当時のネットニュースなぞを見てみると、手放しで礼賛する意見もある一方、予言じゃないかと思えるくらい4年後の姿を不安視した意見も散見されるわけです。まあ実際問題、ジーコという色眼鏡を外して「プロの監督経験が無い」ブラジル人を代表監督に据えたらどうなるか、というのを客観的に考えれば、当然出てくるであろう予想だとは思いますが。

で、これはジーコが日本を分かっていなかったせいなのか、分かっていたけど(監督としては素人なので)克服の仕方がわからなかったのか。

たぶん、両方あるのでしょうね。Jリーグ初期の成功例とされる鹿島アントラーズは、実際のところ半分は故宮本征勝監督に負うところがあるでしょうが(特に守備や全体のバランス)、ジーコは攻撃の部分だけ見て「これでうまく行く」と思っちゃったんじゃないでしょうか。なおかつ、鹿島という小さく強固なファミリーの中では相互理解も出来ていたけど、より広範なJリーグ全体への理解がなかったのではないかとも思います。実際、自分の家に近い試合以外は全然視察に行かないという批判が聞かれましたし。

で、名選手は、えてしてこういう誤解に陥りがちな気がします。自分という最も身近な成功体験は、それだけ強烈な記憶として残るのでしょう。もちろん、名選手の全てがそうだというわけではなく、クライフやライカールトのように選手・監督の双方で栄冠を手にした人間もいるわけで、そこはやはり監督としての視線を「育てる」努力がどうしても必要だということになるのでしょう。ジーコに欠けていたのはその点でもあると思います。いや、欠けていたというか、本人はそういう仕事をやるつもりが無かったけどどっかの協会が引きずり出したというべきか……

選手の未熟を批判する向きもあるとは思いますが、4年間でたった数十日かの合宿と試合で、選手の「ゲーム運び」が世界レベルになるなら苦労はないでしょう。こうしたことは、長い国内リーグや国際試合の歴史の積み重ねで、ようやく肩を並べることができるものだと思います。日本の持つベースを甘受し、緩やかに伸ばす努力を継続しつつ、より良い体験を得られるようなチーム作りや戦術・戦略を考えるのが監督の務めというものでしょう。

ジーコジャパンの全ての結果は、筋論で行けば監督であるジーコと、監督を選んだサッカー協会にあります。しかし、ジーコは自分自身で大した責任を感じることなく、敗退の理由を選手の体格さなどと言って(そんなもんベルリンの時代からわかっとるわい!)、「あまり良い体験とは言えない4年間」を残して去ってしまいました。こういう去り方を見ると、ジーコは実は日本のことをよく分かっていたのかも知れません。自分は日本では神様であり、たとえ負けても給料泥棒などと呼ばれることは絶対に無い、ということを。

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登録日:2006年 07月 04日 13:42:03

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