2007年 03月

『世界遺産』#544 ピコ島のブドウ園文化の景観(ポルトガル)

ピコ島-Wikipedia

土は火山灰土、つーかぶっちゃけて溶岩。井戸には海水が混じるので干潮を狙って水を汲まなければならず、降水量も多いとは言い難いよーですね(いいブドウが出来るらしーんだけどね)(収穫前後は雨ないほうがいいんだって)。
なんというのかマジ、ブドウを作りに来たのかな? うーん。
ブドウ畑が衰退してから1980年までは捕鯨基地になっていたというのは立地的にわかるんだけどね、それ以外の利点とかあんまりなさそうな感じだよね。

ブドウか、ブドウつーかワインのためか。
“ヴェルデーリョ・ワイン”というロシア皇帝も飲んだのだというかなり質の良いワインがここで作られていたのだと言いますが「ワインの質ばっかりはブドウの質で決まる!」というような合言葉でこの島に来たんですかね。修道士が初期絡んでたようなことを言ってましたが、ああ、彼らもなんか好きだよね。
あっちこっちの堅牢な土地で作ってますブドウ(ワインというか)。

一旦ブドウ畑が後継者不足ですっかり廃れちまって、捕鯨に励もうとしたら捕鯨禁止の通達が出て(世界一斉だったしねぇ)、老人たちが諦めかけたところーで世界遺産登録。おかげでぽちぽちと畑に若い人が戻ってきてくれるそーなのですよ、遺産は大抵いろいろ有利なんだけどこんな露骨な盛り返しは初めて聞いたw
2004年にブドウ作りの文化として文化遺産登録されました、おめでとww

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登録日:2007年 03月 31日 13:54:11

『美の巨人たち』安井曾太郎「婦人像」

安井曾太郎-Wikipedia
(1888.05/17-1955.12/14)

商家の息子に生まれて商業高校に行ったものの、中途退学で聖護院洋画研究所(のち関西美術院)とゆーところに入学。“デッサンの天才”と呼ばれフランスに留学、今までの写実主義を捨てるほどの感銘をセザンヌから受けたんだそうですよ。
なんかうにょん、とした線の人ですねぇ、すみません、、、後期印象派の方です。
7年ほど滞在していたのち、第一次世界大戦をと体調の契機に帰国。

しかし日本に帰って来ますと、ヨーロッパのからっと乾いた気候に油絵と、強烈な色彩はよく合っているものの。日本の湿度の強い風土では色はぼやけ、留学中に確立したはずの手法で描く物がなかったというジレンマに陥ったらしーです。
なんか15年ほど。
その苦悩中に描いた絵も拝見しましたが、なんつーか、中華?
赤いラインの入る白磁の壷に、色とりどりの鮮やかな菊ってな感じだったなー。

そして彼が苦悩の末到達したというのが和洋折衷。
得意のデッサンで緻密な下絵を描き、デフォルメを施すというセザンヌな手法に、使う色は原色に白を混ぜた中間色。そうして作られた淡い色のモデルを浮き立たせるために背景には白と黒のモノトーン。
和洋折衷の全く新しい肖像絵を完成させたのだと絶賛されたのだそうです。

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登録日:2007年 03月 30日 18:23:31

『美の巨人たち』ウジェーヌ・アッジェ/巴里の街角(フランス)

ウジェーヌ・アッジェ-Wikipedia
(1857.02/12-1927.08/04)

5歳だか6歳で孤児になって叔父に引き取られ、役者を目指すようになりますが泣かず飛ばず、じきに子持ちの売れっ子女優と結婚、その後役者を辞め画家を志し絵を描き始め。ぱっとせず諦め(そんなんばっかだなー)。
パリの街を写真に収めていく仕事を思いついたのだとか。
自分の画家仲間に安い値段で売り。
すでに街並みを華やかに変貌させ掛けていたパリで路地裏ばかりを撮っていたのだと言います、「絵を描く資料だ」といい、それ自体に価値があるとは考えず、自分のことを記録屋なのだと自称していたのだと。

初期の頃はよく写していたのだという物売りの姿なども、じきに姿を消し。
早朝から街に飛び出し、本当に純粋な街のみを撮っていたのだと言います。

正直、俳優だった奥さんの子どもと家を守れば良かったんだろうし、食べることだけ考えていれば良かったのかなー、と思わないでもないんですが、そこまで細かくは語られてませんでした、どうなのだろう。
“近代写真の父”と呼ばれ都市風景の撮影の手本として評価されているそうです。
消え行く時代を写し取ろうとしたようなのですが、何故か彼の愛した風景は百年を経ても姿を変えず。「パリは彼に魅入られた」とまで言われるのだとか。

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登録日:2007年 03月 29日 14:57:29

『食彩の王国』#182 ニジマス

ニジマス-Wikipedia

サケ科の淡水魚で北米からの外来種。
全身に黒い斑点があり、繁殖期のオスが光沢を帯びると虹色に輝く、ということで“ニジマス”。太平洋東岸(アラスカ、カナダ、アメリカ)とカムチャツカ半島を原産国とする魚で、日本には昭和10年(1877年)アメリカから関澤明清氏が卵の形で持ち込みふ化に成功。以来日本でも盛んに養殖されているのだとか。

冷水を好み、赤い餌を与え続けることで赤い身になるのだとか。
皮が特に美味でほとんど全身が食べられるのだといいます(なんでも中国の偉いさんが来てヒレとか皮ばかり食べていたから気付いたそーですよ)(エラを捨てるのは川魚だからだろうね、やっぱり)(寄生虫がいるとされてます)。
(でも日本にはサケに適合する寄生虫実はいないらしいって、へー?)
釣りの対象にもなり、アメリカの文豪ヘミングウェイなんてニジマス釣りの文章まで残していたりしますよ。さすが作家。

日本の津軽海峡では生食を目的とした海水での養殖も行われており。
サケは結構川登りして産卵する種類があるしね、基本的にはエラの機能の違いなのでゆっくりと塩分濃度変えていくことで海水中でも生息可能なのだとか。
蒸しても焼いても、煮ても油で揚げても、条件さえ整えば生でも炙ってもイケるのだという食べやすい美味しい魚なのだそうですね。

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登録日:2007年 03月 28日 17:30:17

『建築の世紀』キャンパスという名の「理想都市」立教大学(本館・第一食堂、礼拝堂・図書館旧館)

母上が「立教大学って使いにくいのよねー」と番組を見て言い、解説の人は「便利な郊外型キャンパスもいいけどよぅ」と言い返してました(会話してません、てかこんな乱暴な喋り方するわけあるか)、まあ若ければ慣れるって。てか、ある程度難有りってくらいのほうが愛着湧くよーな気もします。
(人格だか精神だかの育成って言ってましたけど、をい。)
便利なのは通りすがりだと確かにいいけど、どこにでもある建物とか飽きるよな。

明治7年(1874年)、アメリカの宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が国で寄付を募って建てたっちゅー私立大学です。主にこの回で取り上げられていたのはもっとも所期に建てられたチューダー・ゴシック様式(イギリス伝来でアメリカでは20世紀に流行ったそうな)の建物群。
中央の八角形の塔には現在では唯一、分銅で動いてる現役の時計があるのだとか。
設計はマーフィ・アンド・ダナ建築事務所で、施工は清水組(現清水建築)。

本館、食堂、礼拝堂に元図書館。
今ではすっかりツタも絡まっている東京駅と並ぶ代表的な赤レンガ作り。
1918年に建てられたチャペルはなんでも聖公会、という流れを組む人らが造ったため、装飾を廃するプロテスタント寄りの派であるのにカソリックのような装飾があるのだとか(と言われても全体的に知らないんだけどw むしろ勉強になりました)。
聖公会-Wikipedia
そーいや、最新の耐震加工を施されたのだそうで(そっか古いからなぁ)。

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登録日:2007年 03月 27日 17:44:19

『世界遺産』#543 ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々(イタリア)

ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々-Wikipedia

1693年1月9日及び11日に発生した地震により、シチリア島東南部の街が壊滅し。
約9万人の犠牲を出し。「復興を!」と言って造ったのがシチリア・バロック様式の街並みっつーのはイタリア人てのは頭の捩子でも外れてるんですか一体。
ねぇ、なんで柱の先に顔とか人魚とか、神話のモチーフとかあるの。
イタリア全土から陶器作りの職人が集められ、階段一枚一枚に貼り付けるためのタイルに絵ぇ描いてたらしいですよ。復興支援は素晴らしいと思いますが集めるべきは彼らだったんでしょうか、本当にそうなんですか。

そして、なんか書いてるうちにそれで正しいような気がしてくるから困ります...orz
イタリアってどーにも全体的にそういうところあるよね;
ただし、荘厳で見上げるような教会と見せ掛けて、実はそれは正面だけ! というような小細工はないでもなかったです。実は二階建て。まあ確かに建築費用がその高さで建てるよりはあれですね、安上がりですね。でもそれが復興とし(ry

番組の後半熱烈に崇められていた聖女アガタは、美貌に目ぇ付けられて強引に迫ってきた権力者を振っちゃったら娼館に売り払われ、しまいにゃ拷問され、乳房を抉られて、それでも誇りを失わず、火に放り込まれ殉教したのだという方です(つーか権力者しつけぇ)。
大変立派な方と思いますが、、、何故に盛大に祭るのですかシチリア島。ねぇ?!
毎年一度しか会えないので、すごく楽しみにしているのだそうです。

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登録日:2007年 03月 26日 17:41:58

『世界遺産』#542 万里の長城(II)(中国)

明-Wikipedia

明というのは中国の王朝の一つでこの前が元王朝、元はいわゆるモンゴル族が中国で作った政権で、そもそも実は中国ではそんなに珍しくないんですが、異民族政権。
ぶっちゃけて統治に飽きたから自分たちの土地に戻ったとも言われてます。

まあなんというか、漢民族は農耕民でモンゴル族は遊牧民。友好を保つのはそんなに難しくはないでしょうが、どっちがどっちを征服しようとしても苦労しそうですよねぇ。それでも遊牧民の大雑把さがある程度は息抜きになっていたようですが。
支配してても旨み少ないワ、ってとこでしょうかね。
そして明代に北に去った遊牧民たちは、馬に乗って略奪に。
大丈夫です、偏見じゃない。農耕民→遊牧民にしでかしたことも歴史上あったりしますけどここでは省略。つーか農耕民はその性質上弱いっす! しょうがないよ!!

兵士の村作って追い払ってたんですがよく突破され(機動力違います)、作ったのがむかーし作られてその後忘れ去られていた万里の長城、復活大作戦。
壁は大変有効だったもののその脇から侵入されているので張り合ってたら昔より伸びた。超伸びた、しまいにゃ唯一宇宙から視認出来る人工物になるまで伸びました。
そして張り合い続けてるうちに疲れたらしく。
略奪できないよーなら貿易しよっか、ということになったようです、とことんあっさりしてるな遊牧民! つーか最初からそうしろよ!!

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登録日:2007年 03月 25日 01:12:31

『食彩の王国』#181 ケチャップ

ケチャップ-Wikipedia

日本にはケチャップは“文明開化”の後に伝わってきたのかな?
トマトケチャップ=ケチャップというのは、日本に伝えたアメリカも今はほとんどその認識のようなんですが、どうもこれ18世紀にイギリスから伝わってきた時にはそうでもなかったらしく、実際今でもイギリスではキノコのケチャップなんてのが一般的に使われているようです(美味しそうには、見えないかもしれない;)。
そもそもトマトのケチャップも今のようにそのまま食べるようなものでもなく、なんか日本でいうダシみたいなものだったみたいです。
酢と砂糖を加えることによって初めて今の状態になったのだとか。

そしてイギリスにそのケチャップを伝えたのはどこか、というと。
なんか文献を辿るとインドや中国、マレーシアの名前が、そして現地でケチャップと言われるものの原材料を見ると大豆、、、醤油っすか(実際塩辛い醤油にそっくりなのと、甘いのと辛いのと数種類あります)、あと最近ちょっと有名になった魚醤というのもケチャップの分類になるようで。
これが伝わったのは要するに交易してた時代になるわけだから、あー、アメリカに伝わった時期とそんなに開いてないのかな。

醤油がイギリス→アメリカを経由してトマトケチャップになったとは。
日本に伝わってきたところで地球一周してますよ、すげーワールドワイズだよなーww

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登録日:2007年 03月 24日 19:10:57

『建築の世紀』作家のユートピア(旧山本有三邸、旧徳富蘆花邸)

イギリスのチューダー様式(というかむしろイギリスの伝統建築が漠然とチューダー様式と呼ばれてるというのが実情らしい)と日本の建築の折衷である“旧山本有三邸”。
もともとの建築様式では客間に相当する入り口の側暖炉を持つ空間を家族のために改装し、戦時中は近所の子どもたちのために図書館として解放し。
進駐軍の接収にあって去ることになったのだそーですよ。
大正15(1926)年に建てられた、むしろ都市部に人が集中していた時代に郊外に安らぎを求めて逃げ出したのだという人らの一人。このあとに紹介された人とともにかなり有名な作家さんだったそーなんですが、「路傍の石」って知らないっす。

なんでも一部屋だけを和室に改装し、そこをもっとも愛用していた節があるとのことで「まだ洋式って生活からちょっと遠かったんじゃねぇのかなぁ」と解説の方が。

んで、「ほととぎす」という大ヒット作品を書き。
さんざん歩き廻って見つけた家に住んだというのはまあ朴訥と言ってもいいけどよ。
そのあと飽きるたんびに増設してったのは質素とは言い難い気がするぞ、という感じの“旧徳富蘆花邸”。でも造り自体は手が込んでますけどシンプルですね。
木目の美しい純和風の造りに、でも執筆自体は椅子です、膝かw

押入れを改装した小さな椅子とテーブルのみの執筆スペースの傍ら。
己の手でぶち抜いて内側にガラス窓、外側に開き扉っていう窓が面白かったです。なんであんな造りだったんだろう? 風でも吹き込んだのかしら。

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登録日:2007年 03月 23日 00:50:42

『世界遺産』#540 エオリエ諸島(イタリア)

エオリア諸島-Wikipadia

Wiki君の記述に合わせまして表記はエオリア諸島としますが。
シチリア島より北方、ティレニア海南方の島々に付けられた名前だそーです。
正直、聞いてて珍しい気はしないんだけど、世界遺産ってどうしても欧州寄りの価値観だからしゃあないですね。イタリアがやたら多いのもそれっぽいし、ヨーロッパってちょっと、イタリアに対してコンプレックスみたいなとこあるよね。
(日本の欧米コンプレックスみたいな感じのそれ。)

イタリア唯一の自然遺産で、その内訳っつーか主な内容がストロンボリと島の一つと同名のヴルカーノ火山。前者は「ストロンボリ式噴火」という火山の様式の名前を、後者はそのまま英語の火山という単語を生み出したのだそーですよ(もともとはローマ神話の関係らしいっす)。
ストロンボリ式噴火というのは粘度が少ない溶岩(量も少なめ)を天高く吹き上げるのだそーで、粘度が高いと粘っちゃってなかなか噴火しないようですよ。その分量が多くて被害が大きい火山になってしまうそうな。つまり粘着質なわけか。
なんかストロンボリってからっとしたイタリア気質みたいな火山っすねw

もう一つのヴルカーノは1980年に噴火を止めたものの、後になんと活火山だったことが判明。今でも水蒸気を吹いたり硫黄分を含んだ泥を流したり。つまり粘着質ですね。
2000年に自然遺産に登録されました。国内唯一(しつこい)。

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登録日:2007年 03月 22日 00:31:55

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プロフィール
紅夜
(女)
世界が平和じゃないとご飯の味が落ちてしまいます!!
(という感じのネタっぽいのに変えてみました。)
今年の目標は目指せ食料自給率あっぷでお願いします(とりあえず自分のこと棚上げるし)。
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