カテゴリー [『建築の世紀』]
『建築の世紀』帝国の光芒 東京国立博物館(本館、表慶館)
とりあえず、“帝冠式”という言葉にどうにも馴染みがなく、西洋風建築の屋根に瓦屋根を乗せる、という確かに調和が難しそうなシロモノで、そこに篭めた意味がまた「日本が西洋に冠する存在になる」という、言っちゃなんですがせせこましい、セコい。
とはいえ、実際の建築段階になるとそんな意図はなかった、という説明がされていたりもするようなんですけどね、和洋折衷ってかアレンジもともと好きだよね、日本。うん。
けどさすがに、無理な建築が多い、と研究者の方は言っているわけですが。
この東京国立博物館(公式Web)、本館に限ってはそんなこともなく。
実際遠目から見ても結構格好いいとは思うんですが、高すぎて瓦屋根だかなんだかよくわからないところが勝因なような気もしないでもなく。
そして意識したのが“ジャワ島の民家”という。
内部はステンドグラスに石造り、あー、いいとこ取りか、その意気や良し。
で、上記が昭和18年(1938年)の建築で、もう一つ、明治から残っているというのが“表慶館”、慶びを表す館、という意味らしく。当時はどうも博物館というのは皇族に捧げる、という名目になっていたためにその名前。
(別にそっちは引っ掛からない、近代以降の天皇さんってなんか国民に必要なものを欲しがってくれそうな気がするんだもの、信用の問題だよね、こういうのって。)
イタリア・ルネサンスのバロック様式を模していて、丹精な造りではあると思います、耐久度なんか本気で褒めるしかないし、壁なんか特に素晴らしい(材質が)。
ただ、なんでそう感じるのか疑問なんですが、一通り揃ってるけど、なんか小振り。。。
まあ、彫像に見せ掛けた騙し絵といい、管理のことを考えたのかなぁ。
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登録日:2007年 08月 19日 04:55:06
『建築の世紀』真夏日でも、最高気温25度 新宿御苑(旧洋館御休所、旧御涼亭)
都民にとってはなんとも羨ましい回タイトルですが(真面目に蒸し風呂になります、ここ数年)、まあ、ここのおかげでビル街の放射熱が少しは緩和されているのかなぁ、と考えていたら「このくらいの広さじゃ焼け石に水ね」と母上が。そうなのか(公式Web)。
あと、身近というか、広域災害時の避難場所でもあるのですが、個人的には幼少時の、カラスの大群がいた時期の記憶が強いのでどうも薄暗いイメージが...orz
今は都ぐるみのカラス対策も進み、違うって頭ではわかってるんですけどね。
もともとは新宿の土地一体を持っていた内藤氏(内藤新宿、というと花街だったとたまに聞きますが、歌舞伎町はその名残かしら)の江戸屋敷。その後農業試験所を経て、皇室の庭園して献上され、内装を整えたらしいんですが戦争によって今回紹介された二つの建物を残してほぼ全焼、戦後に大学の研究所が作られたこともあったそうですが長続きはせず。
現在は公園として一般公開されているのだ、というのが大雑把な流れ。
“旧洋館御休所”というアメリカのスイックスタイルという様式の皇族の元・休憩所と(御休所=ごきゅうじょ、って読みはちょっと独特なのかな?)。
“旧御涼亭”というのは池の中に作られた喫茶処。
その建物の建築から台湾閣、とも呼ばれるそうなのですが、ここは確か一応喫茶スペースとして使われることもあるのかな(母が行ったこともあるそうな)。
けれどまあ、建物が燃えてしまっても木々は残り。
広々とした芝生にプラタナスやポプラ並木が大抵印象に残るんじゃないでしょうか。
あ、でも植物御苑はもったいなかったなぁ。。。
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登録日:2007年 08月 08日 16:22:02
『建築の世紀』美は機能に従う(国立天文台、旧高等商船学校)
国立天文台の“第一赤道儀室”と“アインシュタイン館”。
旧高等商船学校の“第一観測所”(こちらも赤道儀室)(天体の日周運動に合わせて望遠鏡を動かせるように設置された架台だとか)、どれも国の有形文化財に登録されているようなのですが、建築としては「機能に従う」もなにも、建物全てが一つの目的のためだけに造られているわけだしなぁ? とちょっとピンとこなかったんですが。
アーチを描く屋根とレンガ造りの壁が可愛いと言われたらそう見えないでもなく。
しかし、やっぱり必要であるものを美に分類する気持ちがわからないw
とはいえ、解説者の人と違うことを言っているというわけではないんですよ、むしろ全く同じことを考えていると言ってもいいのですが、その結論として「美」を感じるかどうかで別れてしまうという。
天井が球体を半分に割ったような形であるのは赤道に沿っての自然なもので。
そこを分けて望遠鏡が顔を出し、商船学校にあったのは要するに、航海術と深い関係があるからなので(星が唯一の道しるべです)、外側のレンガだって当時は壁の緩いカーブ考えるとごく当然な選択で(建物も円形をしているのが当然好ましい)。
建築様式がどうの、装飾がどうの、と言い出したら作った人たちに頭ぽかん、と叩かれてしまうかと思われるんですが、出来上がったそれを必要がなくなっても保存し、眺める分にはもちろん構わないんじゃないでしょうか。
ル・コルビジェも言ってたそうですよ、必要な物以外建築にはいらん、と。
必ずしもそれに賛同するわけではないんですが、それが一致する例ではあるのかな。
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登録日:2007年 07月 31日 23:41:03
『建築の世紀』男は銀座で飲む ボルドー(主人編、常連編)
これ、いや別にいいんですけど、建築分類でいいのかな? と思ったらチェーダー様式(最近だんだんわかるようになった)、中世イギリスの建築様式を思わせる、というような紹介をしているから別に構わないのか。
昭和2年(1927年)に建てられたという銀座最古のバーだそうで。
なんというか、新橋の芸者さんに「店を持たせてやる」(と言うのが当時の男の甲斐性だったそうな、て今もそんなに変わってないというか、まあ、そこまで出来る人は減ったわけですが、男って変わらんね)と言って実際に造ったのがこのお店。
その、どこぞのどら息子が自分でヨーロッパで探して来た家具だから店内ばらばら。
チェーダー様式、っぽい建築。
しかしなんというか、遊び心が意外といい方向に作用したのか、その緩い雰囲気が寛ぐ場としてよろしかったのか、なんだかんだと銀座で一番古いバーとして、今も淡々と生きているという。実際のバーテンの方が出てきて喋っておられたんですが(人間は出てくるのはこの番組では珍しい)(多分付属品の一部としてきちんと機能しているかどうかかなと)。
結構今でも偉い人来てるんじゃないでしょうかね。
その割りに、“皆の憧れの場所”がカウンターの立ち飲みという。
「ああ、イギリスでは立って飲むわね」と母上が言いました、何者か知りませんがヨーロッパに関しては一国数週という滞在をしてたとかで変に詳しいです、この人。
うーん、イギリスっぽいといったらイギリスっぽいのかなぁ。
淡々としていて、出来た時点ではなく、客や時間が作り上げたのでしょうかね。
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登録日:2007年 07月 30日 22:25:26
『建築の世紀』1932年 都市生活のはじまり(旧服部時計店、旧銀座アパートメント)
どちらも銀座という街が今これから発展しようとする時期に出来て、持ち主名前用途などは変わってしまったものの、今もなお生き続けている建物ですが(まあ、この番組の場合もともと使用率半々ってところだけどね)。
“旧服部時計店”は丸いカーブに添った建物の形。銀座で一番目立つとされ。
夜間はライトアップされ白く輝き、建築当時からの文字盤を使った時計(中身は変わっちゃったわけですが)がでーんとてっぺんにそびえているわけですよ。
「近くで見ると格好よくないのよね」と母上はいつも余計なことを言うわけですが、確かに遠くから全貌を眺めるというタイプの建物だという気はします。現在は和光、和光ってデパートだったっけ? 和物中心の売り場を展開されているっぽいですが。
“旧銀座アパートメント”は現在奥野ビルと呼ばれ。
なんというか、使いにくいだろうに塗装や内装も剥げてるってのに現代芸術家などと言われる人たちが安くもない家賃を払ってアトリエにしているらしく。でも正直、こっちのセンスは(服部時計店はいいと思うんだけど)、なんかこう、一回り廻ってさらに古いというか私の世代にはピンと来ないんじゃないかなぁ。
一言で言うとあの辺、洋物への憧れを持ってるんだけどバッタ物で代用、みたいな。
いやなんか、言い方キツいですかね。でもモルタル打ちっ放しとか、乾いた土地でならまだなんとかなるのであって日本でやると間抜けな結果になると思うんですよ! とはいえな古いから年季入っちゃった、剥がれるまんまに任せるよ、という意気はまた別の話。
ま、また30年後にでも、この時期の建築なら長持ちするでしょう。
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登録日:2007年 07月 29日 22:49:45
『建築の世紀』「記憶」を、未来の子どもたちへ 国際子ども図書館(建築家編、職人編)
近代、初の国立図書館として作られた帝国図書館の建物を踏襲し(公式Web)。
古い部分もあるけど新しい部分もあるよ、というような再生建築の一形態なのだそーですよ、とはいえまあ、母上は見ながらずっと「このくぼみが汚れると」などということばかり気にしていたわけなのですが。
もともと建物の老朽化が問題になって永田町の国会図書館に機能が移転されることによって、一度建物の存在ごと忘れ去られ。
1980年代に本館の蔵書量が多い時に別館としての構想がぶち上げられ。
そしてその後「子ども図書館」という役割が決まり。
そのことを踏まえての再建計画がされましたよと。
当時のスタイルでもってほとんどのものは自然物で作られているため、「建築は触って感じるもの」という建築家さんの意図のもと、ガラスの覆いの内側に外壁の一部が置かれ。
部屋の中のルネサンス風の装飾の漆喰も全て海産物などの自然物。
いつくかの部屋はなるべく完全な復元をする、というコンセプトのもと。
自分たちで型を起こし道具を作るところから始められたとのことなのですが、昔はこんなに簡単に道具が手に入らなかったろうに、どうしたのかなぁ、と感慨深げに職人の方が言っておられましたよ。
現代建築のシンプルなアーチ状の閲覧室に。
今の技術があるからこそ容易に作れるようになったローマ風の柱に入り口、ガラス戸をアクセントにした新旧入り混じる建物なのだそうですよ。
しっかし、実際、奇麗な建物だったなぁ、掃除どうしてるんだろう。
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登録日:2007年 07月 27日 22:23:04
『建築の世紀』昭和の「教室」「教科書」の昭和(中央区立泰明小学校、東京書籍印刷)
復興小学校というのはどうも、関東大震災ののち(1923年ね)、1928年くらいまでに震災前からあった小学校を再建したものを特別にそう呼んでいるそうなのですが、そのうちの代表格が“泰明小学校”。建物が全壊している中、フランスから来たのだという鉄製の門だけが残っていたというのが想像してみるとちょっと壮絶だなぁ。
ほとんどが規格内で建てられた復興小学校の中でも少しだけ壁を厚くした、という特徴があったそうですよ、見た目は変わらないけど手間は違いそうだなぁ。
というか復興小学校という分類がまたちょっと変わっていて。
震災後に小学校そのものが作られた、というものが含まれないのはなんとなくわかるんですが、一部を修復するだけで使用可能だった学校や、もとが小学校ではなかった建物を小学校にされたもの、というものまで厳密に分類されていたので。
どうも単に呼ばれた、というよりも建築の段階で必要だったのかもしれませんね。
画一規格とはいえ、最新の技術はともかく、流行のデザインを取り入れたちょっとだけお洒落な雰囲気で、今に至るまでその呼び名が残っている理由もわからないでもないです。なんていうんだろう震災後「だからこそ」ということなのかなぁ。
もう一つ、“東京書籍印刷”の旧工場は現在は稼動はしていないものの見学可の建物として残っていて中で教科書の展示をしてる、のかな? 柱を使わないガラスを多用する(天井近くまであります)、という震災後の建物としては今となると不思議に感じますが。
これが当時最先端の耐震構造っていうんだから恐れいります(大胆な)。
鉄筋コンクリートの走りの時期、結構お洒落な建物ですよ。
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登録日:2007年 06月 30日 14:26:11
『建築の世紀』キャンパスという名の「理想都市」立教大学(本館・第一食堂、礼拝堂・図書館旧館)
母上が「立教大学って使いにくいのよねー」と番組を見て言い、解説の人は「便利な郊外型キャンパスもいいけどよぅ」と言い返してました(会話してません、てかこんな乱暴な喋り方するわけあるか)、まあ若ければ慣れるって。てか、ある程度難有りってくらいのほうが愛着湧くよーな気もします。
(人格だか精神だかの育成って言ってましたけど、をい。)
便利なのは通りすがりだと確かにいいけど、どこにでもある建物とか飽きるよな。
明治7年(1874年)、アメリカの宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が国で寄付を募って建てたっちゅー私立大学です。主にこの回で取り上げられていたのはもっとも所期に建てられたチューダー・ゴシック様式(イギリス伝来でアメリカでは20世紀に流行ったそうな)の建物群。
中央の八角形の塔には現在では唯一、分銅で動いてる現役の時計があるのだとか。
設計はマーフィ・アンド・ダナ建築事務所で、施工は清水組(現清水建築)。
本館、食堂、礼拝堂に元図書館。
今ではすっかりツタも絡まっている東京駅と並ぶ代表的な赤レンガ作り。
1918年に建てられたチャペルはなんでも聖公会、という流れを組む人らが造ったため、装飾を廃するプロテスタント寄りの派であるのにカソリックのような装飾があるのだとか(と言われても全体的に知らないんだけどw むしろ勉強になりました)。
聖公会-Wikipedia
そーいや、最新の耐震加工を施されたのだそうで(そっか古いからなぁ)。
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登録日:2007年 03月 27日 17:44:19
『建築の世紀』作家のユートピア(旧山本有三邸、旧徳富蘆花邸)
イギリスのチューダー様式(というかむしろイギリスの伝統建築が漠然とチューダー様式と呼ばれてるというのが実情らしい)と日本の建築の折衷である“旧山本有三邸”。
もともとの建築様式では客間に相当する入り口の側暖炉を持つ空間を家族のために改装し、戦時中は近所の子どもたちのために図書館として解放し。
進駐軍の接収にあって去ることになったのだそーですよ。
大正15(1926)年に建てられた、むしろ都市部に人が集中していた時代に郊外に安らぎを求めて逃げ出したのだという人らの一人。このあとに紹介された人とともにかなり有名な作家さんだったそーなんですが、「路傍の石」って知らないっす。
なんでも一部屋だけを和室に改装し、そこをもっとも愛用していた節があるとのことで「まだ洋式って生活からちょっと遠かったんじゃねぇのかなぁ」と解説の方が。
んで、「ほととぎす」という大ヒット作品を書き。
さんざん歩き廻って見つけた家に住んだというのはまあ朴訥と言ってもいいけどよ。
そのあと飽きるたんびに増設してったのは質素とは言い難い気がするぞ、という感じの“旧徳富蘆花邸”。でも造り自体は手が込んでますけどシンプルですね。
木目の美しい純和風の造りに、でも執筆自体は椅子です、膝かw
押入れを改装した小さな椅子とテーブルのみの執筆スペースの傍ら。
己の手でぶち抜いて内側にガラス窓、外側に開き扉っていう窓が面白かったです。なんであんな造りだったんだろう? 風でも吹き込んだのかしら。
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登録日:2007年 03月 23日 00:50:42
『建築の世紀』実業家と書物とバンガロー(晩香盧、青淵文庫)
渋沢栄一-Wikipedia
故渋沢栄一氏の縁のものを集めた≪渋沢史料館≫の中の一画。
彼の私邸周辺が空襲にあった時、残ったのがこの二つの建物なのだそうです。
“晩香盧”は客を迎え入れるための場所で。
“青淵文庫”は彼の膨大な書籍を入れるための書庫だったそーで。なんというか渋沢栄一って人は日本の名だたる実業家というか、「日本資本主義の父」とゆーか、なんていうのか金持ちですね。書庫いいなー(そこかよ)。
晩香盧はバンガローの音から取ったとも言われているお茶目さん、大正6年(1917年)に喜寿の祝いとして清水建築(当時は清水組)(いい仕事してますなー)から贈られたのだという和洋折衷の建物なのですが、火鉢がありましたよ、寒いからね! 見た目も六角で椅子の肘宛ての高さに合わせてばっちりなのだそうです。
なんか愛されてますね、ちゃんと贈り物だなぁ。
あとになり、ここに各国の賓客を迎えることもあったようですよ。
つーか、清水組って結構いい建物造ってるなぁぽちぽち。
青淵文庫は大正14年(1925年)に今度は傘寿の祝いとして竜門社から贈られたのだとか、竜門社ってなんぞや? と思ったんですがもともと渋沢氏の縁の人らが作った結社→財団法人みたいですね。なにやってたんだろ。
「青淵」というのは渋沢栄一氏自身の号から来てるそうです。
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登録日:2007年 03月 21日 15:43:11
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- 紅夜
- (女)
- 世界が平和じゃないとご飯の味が落ちてしまいます!!
(という感じのネタっぽいのに変えてみました。)
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