ミャンマー・サイクロン被害 デルタ被災地からの報告
ミャンマー軍政、サイクロン被害の人的支援を拒否 「準備不足」と説明
【5月9日 AFP】ミャンマー外務省は9日、国営新聞に声明を発表し、外国の捜索救助隊の受け入れは「準備ができていない」と述べるとともに、援助関係者数人を国外退去処分にしたことを明らかにした。
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(c)AFP
共同通信が、サイクロン「ナルギスNargis」の最大の被災地ミャンマー・エーヤーワディ管区ボガレー郡から被災者の声を伝えている。(ミャンマー:届かぬ支援、異臭の中の避難生活…被災地ルポ)
AP通信が、サイクロンが最初に上陸したラプッタ郡で撮影されたと思われる映像を伝えている。
ミャンマー:届かぬ支援、異臭の中の避難生活…被災地ルポ
暗闇の中、突然集落を襲った高波にのみ込まれ、散り散りになった家族。「集落全体が海の中に沈められたようだった」。サイクロンの直撃で1万人以上の死者が出たとされるミャンマー南西部の最大の被災地ボガレイに8日、入った。国際社会の支援は届かず、涙ながらに惨状を訴える被災者たち。軍事政権の対応に不満の声も聞かれた。
最大都市ヤンゴンから南西へ約90キロ。寸断された道路を車で走り、約5時間でようやく現地にたどり着いた。平屋が多く、田んぼの中に散在する集落では、木造住居がほぼすべて倒壊、がれきが無残に散乱する。
「家も家族も、すべて奪われた」。9日で被災から1週間が経過。生き残った住民らは、満足な食料もなく、避難先の僧院で途方に暮れていた。
40代の農業男性によると、被災当日の2日夕から暴風雨となり午後10時ごろには浸水。瞬く間に水位は増した。波の高さは約4メートルに達したという。
家族の手を取り、屋根に上ったが、高波にのまれて流木で頭を強打。男性と子ども2人は助かったものの、妻とほかの子ども2人は遺体で見つかった。「高波が来るとは思わなかった。周囲も真っ暗で、どうすればいいか分からなかった」と恐怖を語った。
住民の大半はテレビを持たず、軍政当局は村ごとに口伝えで警戒を呼び掛けていた。しかし、「嵐が来るとは聞いたが、高波の話も避難の命令もなかった」と村人は口をそろえる。ある住民は「何百もの遺体が水に浮いていた」と証言、身元確認もままならなかったという。
複数の僧院では、猛暑と異臭の中で、それぞれ数百人の被災者が避難生活を送っていた。負傷者も目立つが、治療を受けた様子はない。被災者の多くは家族の半分以上を亡くしたと話し、不自由な避難生活と相まって表情は暗い。突然泣きだす人の姿も。
40代の男性は「持ち物は今着ている服だけだ。食べ物も、生きるのにやっとの量しかない」と重い口を開いた。僧院にある食料は、ぬれた米だけ。衣類や薬もほとんどない状態だが、供給のめどは立たない。家財道具も流され、ミルクなどの空き缶で煮炊きする。飲料水も川からくんでおり、衛生状態も悪い。
サッカー場に食料援助のヘリコプターが到着したが、近づこうとする子どもたちを軍政当局者が制止し、倉庫としている建物に物資を運び込む場面もあった。食料不足が深刻化する中、当局者が援助用の米を横流ししているとのうわさも流れ始めた。
地区長を務めるという50代の男性は憤りをあらわにした。「こんなにみじめな状況でも、誰も手を差し伸べてくれない。軍政当局者は、自分たちが潤うことしか考えていない」
(ミャンマー南西部ボガレイ・共同)2008年5月9日
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登録日:2008年 05月 09日 21:51:39
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