「セコリョ新聞とウリマル放送」 上
筆者がサハリンへ取材に出かけてから早や7年になる。何回目かの訪問で、過去の資料を手に入れるために、セコリョ新聞社へ行った。セコリョ新聞は共産党政権下のソ連で1949年6月1日から「朝鮮労働者」新聞(ソ連共産党機関紙)」として、韓国語新聞を出していた。61年に「レーニンへの道」と改称、その後、ソ連邦崩壊を受けて現在のセコリョ新聞となった。セコリョとは韓国語で新高麗という意味だそうだ。
一方、ウリマル放送というラジオ放送局もある。ウリマル(直訳すれば我々の言葉)というからには当然韓国語放送である。この放送は毎週1時間程度の時間をサハリンテレ・ラジオ公社から買って放送を続けている。3年程前からテレビ放送も開始した。
いずれも乏しい人材と機材で細々と経営を続けている。最近は世界に散らばる韓国人の間から支援の輪が広がって、デジタル機材もコンピューターも揃ってきた。
筆者が最初に訪れた頃の新聞社の暗室には度肝を抜かれた。印刷所がある。韓国の新聞社から寄贈を受けた印刷機が調子の悪い音を出しながら、タブロイド版8ページを印刷していた。その隣のトイレが写真暗室なのだ。2月の厳寒期には、暖房器具のない暗室の室温は氷点下20度になっていた。投げ込み式の電気ヒーターでお湯を沸かしてフィルム現像をしている姿に度肝を抜かれたのだった。
その暗室の主が、ジャーナリスト・ネットでも時々ニュース写真を提供してくれる筆者のサハリンでの朋友で残留朝鮮人2世の写真記者、李イエシク氏である。
その頃のセコリョ新聞はいささか官僚的な新聞社だった。まだソ連邦崩壊後のダメージから脱しきれなかった様に思う。それまでは資金的なことを心配する必要がなかった。機関紙だから党からの資金で潤沢に運営していた。それが一夜にして民営化なのだ。新聞に広告を掲載して資金を得るなんて発想は全くなかった。そもそも発行部数も3000部程度では広告も付かない。
そこで筆者はインターネットで新聞を発信するという発案をした。行きがかり上、筆者が引き受ける羽目になった。それがもう300回を数える。広告もネットで読めるということを売り出して何とか韓国企業からの支援も得た。うまい具合に自由化の波がサハリンにも押し寄せ、ソウルや釜山とユジノサハリンスク間の人々の行き来も多くなってきた。残留朝鮮人の永住帰国も始まり、家族の通行も増えてきた。そうなるとセコリョ新聞にアシアナ航空やサハリン航空の広告が載るようになり、広告欄だけを見ると航空会社2社の広告でまるで一流紙のようである。
セコリョ新聞はいまやデジタルカメラで撮影し、コンピューターで編集している。(続く)
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登録日:2007年 05月 22日 14:35:53
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