酒と女と写真機と「夜の銀座で南国土佐を」

 東京の赤坂に土佐料理の店があった(今もあるかどうかは知らない)。
結構高い店なのでめったに行く事はなかった。
 たまたま某社に誘う人がいて「行こう」と言うことになった。
その時その会社の女性がこれもたまたま高知の出身とかで一緒だった。

たまたまは続くモノで誘った本人は急用とかで食事の途中なのに、あたふたと出てしまった。残った二人はまるで借りてきた猫のように静かに食事をすすめた。

 食後、このまま帰るのも癪だし、ボクは「もう少し飲みませんか」と誘ってみた。
彼女は「いいですね」と二つ返事。

ボクはその頃、何度か行ったことがある銀座Dホテルのバーに行くことにした。
「いつもは何を飲むのですか」
「何でも」

このホテルはリーズナブルな価格のバーがあり、そのくせ、酒の種類は豊富である。
なんでも飲むということは、相当飲めると読んだ。

「ここのバーは酒の種類が豊富だから良い」
「へえ、そうなんですか」

カウンターがちょうど空いていた。
「何にします」とバーテン。
「じゃ、ハプスブルグ・レッドを」
「・・・・・」
一瞬黙り込んだバーテン。
ボクは何のことだかさっぱり。

「あります?」
「ええ、一応」
「まさか、ストレートじゃないですよね」

ここで彼女はクスクスと笑う。
「ストレートじゃいけません?」
「・・・」
「冗談ですよ。ウイスキーの水割りを」
ほっとした表情で、バーテンはにっこり笑う。
「スコッチでいいですね」

ボクは相変わらず何のことだかさっぱりわからなかった。

「さっきの酒、あれ、何ナノ?」
「ブルガリアだったっけ、そこのアブサン。85度あるのよ」
「85度!?」

「アブサンにまつわる話、知っています?」
いたずらっぽい眼を輝かせて聞いてきた。
すかさずバーテンが答える。
「いろいろ物語がありますね」
(ボクはまったく知らなかった)
でもそこは大様に、
「いや」とだけ答える。
「アブサンは18世紀にフランスのお医者さんが医薬品として作ったらしいですヨ」
「薬品?」
「ええ。19世紀になってフランスで大ブームが起きたらしいです。何しろアルコール度が60度とか75度とかいって、とても強いお酒で、さまざまな、たとえばニガヨモギのような香草を加えられているらしいです」
彼女はここでバーテンを見た。
「よくご存知ですね」
「受け売りですよ。芸術家にも愛されて、ピカソやゴッホも崇拝したと言う話です。ほら、ゴッホが自分の耳を切り落としたという話があるでしょう。あれもアブサンを飲みつづけて、精神病が悪化した結果だという説もあるほどです」

 「アブサンには『禁制時代』があったの」
「禁制時代?」
「そう、アブサンを造ることを禁止した時代」
「なぜ?」
「きっとゴッホのような人が多く出てきたのでしょうね」

バーテンが後を引き取った。
「中毒患者が多く出たということらしいですよ」
「でも、お客さんはお詳しいですね」
「私、土佐の高知の出身なの」
「土佐の女は良く飲むという話だけれど、皆がそんなに酒に詳しいわけではないだろう」

女は辺りを見回した。まだ誰もいないバー。

低い声で歌いだした。
「国の父さん、室戸の沖で鯨釣ったというたより・・・」
「南国土佐を後にして」という歌だ。

「そうよ。私の父は船乗りだったの」
「へえ。ソウなんだ」
「それでね、いろんな国の話をしてくれた」

女は低い声で歌を続けた。
「私も負けずに励んだ後で歌うは土佐のよさこい節を~」

その後、ボクたちは銀座を歩いた。
彼女は低い声で歌い続ける。

「言うたちいかんちや、おらんくの池に潮吹く魚が泳ぎよる・・」

「土佐は大きいゾ!黒潮騒ぐ太平洋もおらんくの池じゃ」
女は涙を一筋流して叫んだ。

ふるさとは遠きにありて思うもの・・・。

一瞬の銀座の恋・・・?

(この稿完)

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登録日:2007年 12月 02日 13:06:35

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