新高麗(セコリョ)新聞物語

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「新高麗(せこりょ)新聞物語」

サハリンに新高麗という名称の新聞がある。韓国語で毎週金曜日に発行されている。サハリンに住む朝鮮人たちの動向を知る上で重要な位置にあるといえる。(写真はその編集室)

  セコリョ新聞の歴史は古い。戦争が終わった1949年にはソ連共産党機関紙「朝鮮労働者」として創刊された。その後1961年に同じく党機関紙「レーニンの道へ」と改称し、ソ連邦崩壊後に現在の名称「新高麗新聞」となった。

 ソ連邦崩壊までは、党機関紙として、潤沢な資金で運営も楽だった。しかし民営化後は、運営資金の調達に苦労するようになる。筆者などは党の干渉が無くなって自由に書けるようになってよかったと思うのだが、なかなかそのようには考えられないようだ。

 しかし良くしたもので、ソ連邦が崩壊してから、韓国との交流が飛躍的に増加し、いや、ソ連邦時代には全くなかった両国の交流が増えて、セコリョ新聞も様々な支援を本国の支援団体や企業から受けられるようになった。

 そして全くのアナログだった編集作業もいまや数台のコンピューターやインターネットを駆使しての作業になった。最も年配の編集者には頭の痛い作業であるようだが。
 アナログで思い出したことがある。筆者がサハリンへ通いだした頃に仲良くなった、写真記者に暗室を見せてもらったことがある。当時はソウルにある韓国日報から印刷機をもらい受けて、その印刷機で自社印刷していた。その印刷室のトイレが暗室だった。何しろ、週一回の発行だから部屋に暖房は入っていない。そのトイレは水が凍るほどの寒さである。
 「いったいどうするの?」と聞く筆者に「これ」と記者は投げ込み式の電気ヒーターを指差した。つまりこれをバケツに投げ込んでひたすら湯の沸くのを待つ。そしてようやく沸いた湯で現像液を温めるという寸法である。さすがの筆者もこれには驚いた。寒いサハリンで防寒コートや手袋、マフラーをしてじっと湯の沸くのを待つ姿は想像できなかった。

 現在は、デジタルカメラで撮影してコンピューター処理をする。時代は急速に変化した。(続く)

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登録日:2008年 02月 26日 14:22:34

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