2008年 03月 04日

大国中国は環境にやさしい、安全安心の国です?

五輪開催中に大気汚染の問題なし、北京市当局が発表

【2月29日 AFP】世界で最も大気汚染が深刻な都市の1つ、北京市では五輪開催中の大気汚染について懸念されているが、同市環境保護局の杜少中(Du Shaozhong)副局長は27日の記者会見で、大気汚染は五輪の国際基準に見合うまでに改善されてきていると述べた。
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(c)AFP

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 中国北京オリンピックまで約5ヶ月、2008年の8月8日から8月24日までの期間に開催されます。

 招致運動から決定後の運営のための準備には国を挙げて取り組んでいる姿勢はよく理解できます。オリンピック開催の本来の趣旨からすれば、日本の国体のように持ち回りで開催する方が趣旨としてはよいのでしょうが、選手が安全に安心して、ベストを尽くせる環境という前提に立てば、残念ながら限られれてくることでしょう。そのような環境の中で選考地として名乗りを挙げることは国家の威信がなくてはできないことでもあります。中国も威信を賭けて開催までの準備をすすめていますが、事は施設や受入態勢だけでなく、環境面まで問われています。

 近年、中国では70年代末以降、年平均10%近い成長率を遂げ続けていることは、国内各地において大きな開発がされていることが一因であることは間違いないようです。しかし、開発よる弊害はあまりに大きく、北京近郊からも含めて渤海までに流れ出る汚染は顕著な例でもあります。日本も例はありますが、「垂れ流し」によるものです。衛星写真でみる渤海湾は大きな範囲で黄色く染まっています。おそらく国としても規制は行っているものの、開発による利益を考えれば国益の点で緩みもあるのかもしれません。しかし、このツケは大きな犠牲となって返っていくのかもしれません。

 先般の餃子事件にしても、日本の検査を受け入れない姿勢、五輪でも他機関の大気汚染調査資料を受け入れないなど、独自の見解だけを主張する姿勢は中国の政治体制や威信をかけたオリンピックを前にした現在の状況からは選択の余地がないのかもしれません。ただ、グローバル社会のなかでは自国の論理だけをを主張しても受入れられなくなっていくのではないでしょうか。

 中国全体が環境対策への取組みや生活ヘの安全安心のための取り組が出来たときが本当の意味での大国中国と世界から認められることになるものと確信します。

 北京五輪組織委員会は大会のスローガンとして、「One World, One Dream」を掲げています。

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登録日:2008年 03月 04日 19:29:45

ロシアの行く先は?・・・プーチン氏とメドベージェフ氏の二人の経歴・係わりから

露大統領選、メドべージェフ氏が圧勝、野党は不正を提訴へ

【3月3日 AFP】(一部更新、写真追加)ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領の任期満了に伴うロシア大統領選は2日、投開票が行われ、プーチン氏から後継指名されたドミトリー・メドベージェフ(Dmitry Medvedev)第1副首相(42)が圧勝した。
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(c)AFP/Nick Coleman

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 プーチン氏とメドベージェフ氏の二人の経歴・係わりからロシアの行く先がどのように向かっていくのか、出身地・経歴からの雑談・余談です。

 年齢が55歳と42歳で日本の政治家からすれば二人とも本当に若い。安倍 前首相が53歳で、首相当時若いと言われながらプーチン氏とは2つ違い、メドベージェフ氏はまだ42歳という若さです。
 二人の共通点は、出世地・出身地が同じレニングラード(現サンクトペテルブルグ)だということです。

 サンクトペテルブルグは運河と王朝・宮廷のあった美しい都で、北に位置していることもあり、夏は白夜もあり、白夜につつまれた古都サンクトペテルブルグは夜が更けるのを忘れさせてくれます。

 モスクワの街は何となく厳しい、重々しい雰囲気のイメージが感じられるのですが、サンクトペテルブルグは運河のはりめぐらされた瀟洒な雰囲気を漂わせています。世界の三大美術館の一つ、エルミタージュ美術館もあり、世界中から観光客が訪れます。

 ソ連邦の共産政権時代にこの美しいレニングラードで二人は生まれ、育っています。履歴からはプーチン氏はKGB、メドベージェフ氏は法律家ですが二人とも出生から始めに勤務するまでこのレニングラードをホームベースにしています。

 ソ連時代のKGBといえば、欧米との冷戦のなかの共産圏社会の時代でもあり、秘密主義など特務機関としての怖い存在のイメージがあります。最近では元ロシアスパイのリトビネンコ氏の毒殺事件があり、英露間のことなど昔を彷彿させるものがあります。事件としては解明されることを望みます。

 スパイもの娯楽映画や小説では、なんといってもショーン・コネリーの007「ボンド、ジェイムス・ボンド」が上げられます。2006年の「カジノ・ロワイヤル」では新しいジェームズ・ボンドをダニエル・クレイグが演じ、リアル感のある人間臭いボンドで好評を博しました。2008年は原作者イアン・フレミングの生誕100年となり、2008年に公開される最新作「007」はシリーズ22作目となり、タイトルは『007/クォンタム・オブ・ソラス』と発表されました。南米ペルーの「空中都市」マチュピチュ遺跡が舞台の一つになっています。

 娯楽映画の影響か、英国のM16や米国のCIAは明るい感じがし、ソ連時代のKGBは暗いイメージがあります。それぞれの実体は知ることなく、娯楽映画に映し出されるイメージが先行していることは否めません。
 小説ではジンメルの「白い国籍のスパイ」がありますが、主人公が料理に詳しいことはジェイムス・ボンドでも同様、スパイは料理に精通していなければ務まらないようです。

 1990年代に入ると二人の接点が始まり、年齢は違うもののプーチン氏のメドベージェフ氏への肩入れが急速に進展しています。現在の時代はスピードといわれますが、コンピューターのスピードまではいきませんが、二人の政治家コンビとしてのスピード出世は超音速航空機並です。

 二人の経歴・係わりが今後のロシアをどのように左右するか、二人の政治家コンビの動向を注視してみたいと思います。

 プーチン氏を帝政ロシアと関連付ける記事を多く目にしますが、近年までのサンクトペテルブルクの王朝の歴史を振り返ってみれば、意外と近い存在にあるのかもしれません。

 美しいサンクトペテルブルクは四季を通して味わいのある街です。


以下、二人の経歴を参照ください。                                  

ウラジーミル・プーチン氏の経歴(55歳・KGB出身)                        1952年 レニングラード(サンクトペテルブルク)に生まれる。
1975年 KGBに勤務。KGBレニングラード局第1課(人事課)に配属。
1984年 KGB赤旗大学に入校。
1985年 東ドイツに派遣。ドレスデンのソ独友好会館館長(ソ連人学生を監督)。
1990年 国際問題担当レニングラード大学学長補佐官。
1991年12月 サンクトペテルブルグ市対外関係委員会議長。
1992年 中佐の階級で予備役編入。サンクトペテルブルク市副市長。
1994年3月 サンクトペテルブルク市第一副市長。
1996年6月 ロシア連邦大統領府総務局次長に就任。
1997年3月 ロシア連邦大統領府監督総局長。
1998年5月 ロシア連邦大統領府第一副長官。                           1998年7月 ロシア連邦保安庁(FSB)長官。
1999年3月 ロシア連邦保安庁(FSB)長官とロシア連邦安全保障会議書記を兼任。
1999年8月9日 エリツィン大統領により第一副首相に指名。                   1999年8月9日 同日、ステパーシン首相退陣で首相代行。                   1999年8月16日 首相に就任。
1999年12月31日 引退を宣言したエリツィンにより大統領代行に指名。
2000年3月26日 大統領に当選。
2004年2月末-3月初 内閣を総辞職。ミハイル・フラトコフを新首相に指名。
2004年3月14日 大統領に再選。
2005年12月 ヨーロッパ柔道連盟名誉会長に就任。
2007年9月12日 内閣を総辞職。ヴィクトル・ズブコフを新首相に指名。
2007年12月10日 ロシア大統領選挙で後継者としてメドヴェージェフ第1副首相を指名。
2007年12月17日 2008年3月の大統領選でメドベージェフ第1副首相が当選すれば、首相就任を表明。                                                                                         
ドミトリー・メドベージェフ氏の経歴(42歳・法律家出身)
1965年9月14日 レニングラード(サンクトペテルブルク)に生まれる。
1987年 レニングラード大学法学部を卒業し、同大学院へ。
1990年 レニングラード市ソビエト人民代議員機関に勤務。
1991年から1999年 サンクトペテルブルク大学で非常勤講師。
1991年から1990年代半ば サンクトペテルブルク市対外関係機関に勤務、プーチンが議長を務めた対外経済関係委員会の法律専門家。    
1994年プーチン議長の顧問に就任。
1999年11月ロシア連邦政府に官房次長として勤務。                       
1999年12月大統領府第一副長官に任命。
2000年ロシア大統領選挙で選挙対策本部責任者としてプーチンの大統領当選に貢献。
2000年から2001年ガス企業・ガスプロムの取締役会議長(会長)               
2001年から2002年ガスプロム副会長                                
2002年6月30日ガスプロム会長再任
2003年10月大統領府長官に就任する                                
2005年11月14日第一副首相に任命
2007年12月10日ウラジーミル・プーチン大統領は2008年3月2日のロシア大統領選挙で自身の後継者としてメドヴェージェフを指名。                             
2008年3月2日ロシア大統領当選                                 

*経歴はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参考にしました。
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登録日:2008年 03月 04日 17:48:56