ラドクリフ2連覇3度目の優勝ニューヨークシティマラソン2008

ラドクリフ ニューヨークシティマラソン連覇

【11月3日 AFP】ニューヨークシティマラソン2008(New York City Marathon 2008)女子の部。
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(c)AFP

AFPBB News


ニューヨークシティマラソン2008(New York City Marathon 2008)女子の部。前回大会を制したポーラ・ラドクリフ(Paula Radcliffe)は、2時間23分56秒を記録し同大会で3度目の優勝を果たした。同大会女子の部で3度優勝を果たしたのは史上2人目。

 2位には2時間25分43秒を記録したロシアのルドミラ・ペトロワ(Ludmila Petrova)が入り、3位には2時間25分53秒を記録したカーラ・グシャー(Kara Goucher)が入り米国選手としては14年ぶりに表彰台入りを果たした。

 2004年と2007年の同大会を制したラドクリフは、気温が低く強い風が吹く中行われたレースを終始先行し、同大会で9度の優勝を誇るグレテ・ワイツ(Grete Waitz)さんと共に同大会を3回以上優勝したランナーとなった。

 第1子出産後10か月で臨んだ2007年大会を制していたラドクリフは、左足の疲労骨折のため北京五輪では23位と不本意な結果に終わっていた。(c)AFP

ラドクリフ、3度目の優勝 NYシティー・マラソン

 【ニューヨーク2日共同】ニューヨークシティー・マラソンは2日、市民ランナーなど3万人以上の選手が参加してニューヨークの市街地コースで行われ、女子はポーラ・ラドクリフ(英国)が2時間23分56秒で優勝した。2年連続3度目の制覇。男子はマリウソン・ゴメス・ドスサントス(ブラジル)が、2年ぶり2度目の優勝を果たした。

The 42.195km race was won by Great Britain's Paula Radcliffe in 2 hours 23 minutes 56 seconds. 英国のポーララドクリフが2時間23分56秒で42.195kmのレースを制した。

“I am really looking forward to returning to the ING New York City Marathon,” said Radcliffe. 「私は、本当にINGニューヨークシティーマラソンを心待ちにしています。」と、ラドクリフが言いました。

“New York has always been very special to me and every time I return it becomes more special. 「ニューヨークは私にとって常に非常に特別でした、そして、私が帰るたびに、それはより特別になります。


☆彡ポーラ・ラドクリフ(Paula Radcliffe、1973年12月17日 - )は、イギリスのチェシャー州ノースウィッチで生まれの長距離走選手。現在の女子マラソン世界記録保持者。10kmのロード世界最高記録保持者。ラフボロー大学で近現代語を学んだ。現在1児の母でもある。喘息の持病がある。


身長 173cm
体重 54kg
「走るセリーヌ・ディオン」と呼ばれている。
マラソンの世界記録保持者(2時間15分25)。世界記録歴代3位までを彼女が独占している。シドニー、アテネ五輪と出場しているが意外にもメダル獲得はない。06年には妊娠を発表、以後は「ママさんランナー」として各地のマラソンに出場していたが、今年、左足大腿骨の疲労骨折がみつかる。

来歴
初マラソンとなった2002年4月14日のロンドンマラソンでは、2時間18分56秒のゴールタイムでいきなりマラソン初優勝、世界歴代2位(当時)の記録を出した。同年10月13日のシカゴマラソンでは、当時の世界記録保持者だったキャサリン・ヌデレバ(ケニア)の記録を1分以上更新する、2時間17分台の世界最高記録をマークしてマラソン2連覇を果たす。そして翌2003年4月13日のロンドンマラソンでは、自身の記録を2分以上も更新する2時間15分台の驚異的な世界最高記録を打ち立て、初マラソンからのマラソン3連勝を達成した。

1999年の世界陸上セビリア大会の女子10000mでは2位に入り、世界大会で初めてのメダル(銀)を獲得した。
2000年のシドニーオリンピックの女子10000mでは、序盤から積極的に先頭集団のトップに立ち、ハイペースでレースを引っ張った。レース終盤の残り1周まで先頭にいながらも、ゴール直前のスプリント勝負に屈して4位入賞に留まり、惜しくも五輪のメダル獲得はならなかった。
翌2001年の世界陸上エドモントン大会女子10000mでは、昨年と全く逆にスローペースの集団にもまれながらレースを進め、ゴール直前でスパートをかけたが、またもスプリント勝負に敗れて結局4位に終わる。 
2001年、2002年の世界クロスカントリー選手権を2連覇。
2002年の英連邦競技大会、5000mで、世界記録にあと3秒と迫る、14分31秒42で優勝した。
2002年ヨーロッパ選手権の10000mで優勝。2003年世界陸上選手権パリ大会は故障により棄権したため、この優勝がトラック競技における頂点となった。

2002年7月にはナイトの称号(MBE)を受け、同年BBCが選出する年間最優秀スポーツ選手に選ばれた。
2003年12月に欧州クロスカントリー選手権で2度目の優勝。これはこの大会の10年間の歴史で初となった。

2004年アテネオリンピックでは、マラソンと10000mとの2種目で金メダル獲得を目指す事となった(2種目出場は周囲から反対の意見も有り、ラドクリフ自身も当初はどちらか1種目に絞る予定だった)。しかし、女子マラソンでは優勝した野口みずきの25Km過ぎのスパートについていけず、優勝争いから脱落。それから4位に落ちた後36km地点で立ち止まり、悔し泣きしながら途中棄権した。さらに5日後、女子10000mにも強行出場したが、マラソンでの疲労の影響もあって精彩を欠き、ライバルたちに置いていかれた後、8周を残して途中棄権した。結局、2種目ともメダル獲得や入賞はおろか、完走も出来ないまま終わってしまった。気温30度を超える猛暑の影響と、脚の故障による消炎剤の過剰な服用により、内臓に悪影響を及ぼしたことが敗因と言われる[1]。
2005年のロンドンマラソンで2時間17分42秒のタイムで2年ぶり3度目の優勝を果たした。途中23マイル地点で腹痛のため15秒ほどロスしたが、2位に5分以上の大差をつける快走で復調を示した。

同年8月の世界陸上ヘルシンキ大会女子マラソンでは、気温15度を下回る好条件もあって、レース序盤から自らハイペースで飛ばしていった。その後もペースが落ちることなく終盤は独走となり、2時間20分57秒の大会新記録で優勝、初の世界のタイトルを手にした。
2006年7月に妊娠を発表。


2007年1月17日に出産、母子共に元気であると公式HP上にて告知された。同年6月頃より練習を再開させるが、同年9月開催の世界陸上大阪大会女子マラソンは欠場した。

2007年11月4日に行われたニューヨークシティーマラソンに2年3か月ぶりにフルマラソン出場、復帰戦を2時間23分9秒のタイムで優勝した。
2008年4月13日に行われたロンドンマラソンに出走予定だったが、右足の爪先のケガにより欠場した。その後左臀部に故障を発生し、診断の結果左大腿骨の疲労骨折を起こしている事が判明する。

2008年8月17日に開催された、北京オリンピック女子マラソンにはマーラ・ヤマウチらと共に出場したが、レース中に足の故障が再発。38Km付近で前回アテネ五輪同様立ち止まってしまったが、その後は足を引きずりながら走り続け、なんとか完走こそしたものの2時間32分38秒で23位という、平凡な結果に終わった。

ラドクリフのマラソン世界最高記録
2時間17分18秒:2002年10月13日、シカゴマラソン
2時間15分25秒:2003年4月13日、ロンドンマラソン

脚注
^ スコアカード-Olympic Road マラソンの女王、復活。そのたくましさと潔さ。

外部リンク
●PaulaRadcliffe.com - 公式HP(英語)

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登録日:2008年 11月 03日 17:46:14

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