「ペドロ・デ・ラ・ロサ初表彰台」で一句
<F1・第13戦 ハンガリーGP>バトン GP参戦7年目にして初優勝を果たす - ハンガリー
【ブダペスト/ハンガリー 6日 AFP】F1第13戦・ハンガリーGP(Hungarian Grand Prix)、決勝。14番グリッドからスタートしたホンダ(Honda)のジェンソン・バトン(Jenson Button)は、1時間52分20秒941をマークし、GP参戦7年目にして初優勝を果たした。表彰台に登ったバトンは、優勝トロフィーを手に持ちガッツポーズを決めた。(c)AFP/ATTILA KISBENEDEK
優しきペドロ 初ポディウムの 眺めに泣く
[解説]
ホンダ優勝に沸いたハンガリーGP。ポディウムの頂点で喜びを爆発させるバトン。その隣で目を潤ませ、ガッツポーズをとる「もう一人の」スペイン人ドライバー、ペドロ・デ・ラ・ロサの姿にもまた感慨深いものがありました。F1デビューから8年。その間に築けたのは、信頼性の低い車によるリタイアの山と数少ないリザルト。最近では「過去のドライバー」の一人として人の記憶からも忘れられがちに…。そんな彼に巡ってきた千載一遇のチャンス。やっと見る事の出来た表彰台の上からの眺め。それは、彼の人生、もう2度と見る事ができない景色かもしれません。最年長王者37才のM.シューマッハに次ぐ35才。クルサードと同い年。そんな彼もまた、地味なりにグランプリに色を添えたひとつの花ではないでしょうか。
[雑感]
突然の「モントーヤ、マクラーレン離脱」によって空いたシートを埋めるために急遽起用されたサードドライバー。「デ・ラ・ロサ?それって誰?テストドライバー?え〜知らない」という人もいるのでは…と思います。そこでペドロ・デ・ラ・ロサの過去をちょっとお復習いしてみたいと思います。
◆日本産フォーミュラレーサー
・90年 スペイン・フォーミュラ・フォード チャンピオン
・91年 イギリス・フォーミュラ・ルノー チャンピオン
・93年 イギリス・F3選手権
・95年 全日本F3選手権 チャンピオン
・96〜97年 フォーミュラ・ニッポン参戦
F1解説でお馴染みの森脇基恭氏が技術部長(当時)を務めるノバエンジニアリングで、デ・ラ・ロサは、フォーミュラーレーサーとしての経験と実力に磨きをかけます。
◆フォーミュラ・ニッポン2代目チャンピオン
そして、フォーミュラ・ニッポン2年目を迎えた1997年。デ・ラ・ロサは、全10戦中6勝という圧倒的大差でチャンピオンの座を射止めます。また全日本GT選手権でもチャンピオンを獲得します。彼はこれらの戦績によって、チャンピオン・スパークプラグ主宰の年間優秀ドライバーランキング(審査委員長:元F1レーサー/ジョン・ワトソン)の第3位にも選出されています。(1位はミハエル・シューマッハ、2位はジャック・ヴィルヌーブ)前年度フォーミュラ・ニッポンチャンプのラルフ・シューマッハはすでにF1へ、当然、デ・ラ・ロサも翌年F1デビューするものと思われました…。
◆苦肉の選択
1998年当初、デ・ラ・ロサのデビュー先に有力視されていたのはティレルチームでした。しかし、彼はあえてジョーダンのテストドライバーという回り道を選択します。その理由は、ティレルのゴタゴタ(BARへのチーム売却)を嫌ったのか、フォーミュラ・ニッポンで「速さだけ」は認めていた虎之介(ティレルからのデビューが決定済み)の存在を嫌ったのか。あるいは無限-ホンダエンジンを積み、チャンピオン経験者のデイモン・ヒルが乗るジョーダンに明るい将来の展望を見つけたのか、それよりフォーミュラ・ニッポン初代チャンピオンのラルフ・シューマッハより自分の優秀さを証明できるチャンスを狙ったのか…その真意は分かりません。ただ、言える事は彼の選択は失敗でした。ジョーダンは彼が思ったほど安定したチームではなく、彼の存在をアピールする機会にも恵まれませんでた。
◆緊張のF1デビュー
1999年、デ・ラ・ロサは永遠の金欠チーム・アロウズからデビューします。真っ黒だったアロウズの車体前半部がデ・ラ・ロサのパーソナルスポンサー「レプソル」カラーに染まりました。そして、彼の同僚には前年度からチーム残留のミカ・サロが収まるはずでした。しかし、開幕直前に入れ替わり人事が発表され高木虎之介の加入がアナウンスされます。避けられない宿敵・虎之介との真っ向勝負。開幕戦へ向けたデ・ラ・ロサの決意の程は、虎之介が声をかけるのを躊躇してしまうほどの緊張感からも明らかでした。
◆歓喜のデビュー戦初入賞、しかし…
そして、開幕戦オーストラリア。虎之介のエンジンストール、セーフティーカー導入、完走率の低さなどに助けられる形でデ・ラ・ロサは「虎之介の後ろ」18番グリッドから「虎之介の前」6位でフィニッシュ。見事、入賞1ポイントを勝ち取ります。チームの主導権争いの第一関門を突破したデ・ラ・ロサは大喜び。しかし、まさかアロウズの年間獲得ポイントが、この時のラッキーな1ポイントだけに終わるとは、彼も予想しなかった事でしょう…。
◆アロウズ衰退を招いた2人のオーナー
アロウズは、慢性的な資金難に陥っていました。チームの資金は、ドライバーの持ち込みとFIAが各チームへ分配するテレビ放映権料のみ。本来のオーナーであるトム・ウォーキンショウはチーム売却に向けたウラ工作を進めるため表舞台からフェードアウト。代わりに傀儡オーナーとなったエチオピアから来た人なつっこいイブラヒム王子が、愛想を振りまいてパドックの人気を得ていました。しかし肝心な資金調達はまるで捗らず、責任を取らされてあっさりお役御免。アロウズのサイドポンツーン上に刻まれた謎のカウントダウンと同じくらい意味不明な存在でした。
◆失意ばかりのシーズン、しかも2年連続
逼迫した財政事情をしのぐため、チームはテスト回数を減らします。テスト不足はドライバーの経験値アップを損ない、滞った開発資金はマシンの戦闘力と信頼性を奪いました。そんな悪循環の中でデ・ラ・ロサは、予選で時に素晴らしい速さを見せ、決勝ではリタイアという悪戦苦闘を2年も繰り返しました。しかし、その努力は最後まで報われる事はありませんでした。2年目のチームメイトとなったフェルスタッペン(4位/1回、5位/1回)に獲得ポイント数で下回ったデ・ラ・ロサ(6位/2回)は、No.1の地位から転げ落ちてしまいます。
◆アロウズからスーパーアグリへ
ちょっとここで脱線話。デ・ラ・ロサを放出した2年後、ウォーキンショウの幾多の売却工作も徒労に終わり、結局、アロウズというチーム自体が消滅してしまいます。この最後の2002年、マイク・コフラン(現マクラーレン/チーフデザイナー)がアロウズで生み出した「A23」というマシンは、当時の専門家たちが口を揃えて「ちゃんとした開発と熟成の手を加えたなら、もっと良い成績を残せたはず」と惜しむほどの可能性を秘めたマシンでした。そのA23こそ、今年、スーパーアグリチームが改良を重ね、シーズン中盤まで使い倒した「SA05」でした。さすがに競争するレベルまでには至りませんでしたが、そこそこ走れた4年落ちマシン。いかに素性の良いマシンだったかの証明ではないでしょうか。
◆捨てる貧乏神
2001年もアロウズ確定と思われたデ・ラ・ロサ。しかし、1月のテストにレッドブルの支援を受けた新人エンリケ・ベルノルディが登場すると、その場で彼はデ・ラ・ロサを上回る好タイムをマーク。オーナーのウォーキンショウは、資金を出し渋るレプソルよりも潤沢な資金が望めそうなレッドブルを躊躇なく選び、デ・ラ・ロサは開幕1ヶ月前に突然解雇されてしまいます。
◆拾う貧乏神
そんなデ・ラ・ロサに救いの手が差し伸べられます。元ワールドチャンピオンのアラン・プロスト率いるプロストでした。彼らはアロウズよりも悲惨な資金不足と惨憺たるリザルトに苦しんでいました。だから、ミシュランを履くプロストは、ブリヂストン・タイヤを熟知したデ・ラ・ロサの知識とそれ以上にレプソルの資金を必要としていたのです。しかし、すでに正ドイバーにはジャン・アレジと新人マッザカーネが決定しおり、彼を控えのサード・ドライバーとして採用する事を決定します。
◆アランとんでもない話ジャガー
ところがプロストの救いの手を蹴って、デ・ラ・ロサはジャガーへの移籍を決定します。実はこの移籍を薦めたデ・ラ・ロサの個人マネージャーであるジュリアン・ジャコビーは、かつてアラン・プロストの個人マネージャーを長年勤め、あろう事かアイルトン・セナの個人マネージャーとなるためにアランの元を離れたという、かなり根深い因縁のある人物でした。プロストにとっては2重の意味で踏んだり蹴ったりな展開となり、怒りから法的措置も辞さずというのっぴきならない事態へと発展します。
◆仇を恩で返す…電撃トレード劇
デ・ラ・ロサ強奪劇で一触即発となったプロストとジャガー。ところが思いも寄らぬ大ドンデン返しで双方めでたく手打ちとなります。
実は、新人マッザカーネがまったくの役立たずで、その代役捜しに血眼になっていたプロストへジャガーが救いの手を差し伸べたのです。
デ・ラ・ロサの件に関する告訴をり下げてもらう代わりにNo.2ドライバーのルキアーノ・ブルティを4億円の持参金付きで譲渡するというおいしい話です。当然、プロストは二つ返事で快諾。双方丸く収まったというお話でした。ちゃんちゃん。
ただ可愛そうなのはマッザカーネ君。母国アルゼンチンの有料テレビ局PSNの後ろ盾でデビュー出来たと思ったら、視聴者契約激増でスポンサーマネー分を回収できた途端、PSNはとっとと彼を見捨てました…とさ。
◆母国復帰、しかし注目は…
まるで狙ったかのように母国スペインで復帰したデ・ラ・ロサ。しかし、20位スタートの決勝は、わずか5周でリタイア。原因は古巣ジョーダンのフレンツェンとの接触でした。母国ファンの期待に応えられなかったデ・ラ・ロサ。しかし、詰めかけた観衆たちの熱い視線は、彼のリタイア後もコース上に注がれ続けました。視線の先を走るのはミナルディからデビューした新進気鋭の若きスペイン人レーサー。その名もフェルナンド・アロンソ。彼は見事13位で完走を果たします。
◆2年目のリストラ Part2
すったもんだでジャガーにヘッドハントされたデ・ラ・ロサでしたが、成績の方はチームの想定外に伸び悩みます。2001年は5位/1回、6位/1回の3ポイント。2002年はなんとノーポイントに終わります。すっかり肩すかしを食ったジャガーは、今チームに必要なのはベテランの経験よりも情熱に満ちた若い血であると判断。新人のマーク・ウェバー、アントニオ・ピッツォニアと契約を交わし、口うさいアーバインとともにデ・ラ・ロサに解雇通知を突きつけます。
◆マクラーレンの門を叩く
2003年。完全に行き場を失ったデ・ラ・ロサは、なんとかテスト・ドライバーに起用してもらうためマクラーレンを訪ねますが無情にも門前払い。ところがその後、デビッド・クルサードやテストドライバーのアレクサンダー・ブルツからの進言を受け入れたロン・デニスから臨時採用の通知を受けます。首の皮一枚で繋がった希望。彼は全力でテストに打ち込みます。それが、シーズン序盤のライコネン&クルサードの好結果となって表れます。影の功労者としてチーム全体が認めるところとなり、やがて正式なテストドライバーとして採用されます。
◆新星誕生
ちょうどその頃、母国スペインGPでは、スペイン中の熱狂的な声援を背に受けながらアロンソがトップを走るミハエル・シューマッハの背後を快走、惜しくも2位表彰台に甘んじます。その3ヶ月と20日後、場所はハンガロリンク。アロンソは史上最年少優勝記録を達成します。スペイン人初のグランプリ優勝者、まさにスター誕生の瞬間。しかもワークス・ルノー20年ぶりの勝利、後世まで語り継がれる歴史的快挙でした。そんな後輩の華々しい姿を横目で見ながら、デ・ラ・ロサは、黙々とテストスケジュールをこなす日々を過ごします。
◆モントーヤの代走で大活躍
2005年のある週末、思いがけずデ・ラ・ロサに大役が回ってきます。テニスの練習中に怪我をした(モトクロスバイク事故という噂も)モントーヤの代わりにバーレーンGPに出走するというものでした。
デ・ラ・ロサは、このミッションを完璧にやり遂げます。予選順位でライコネンを上回り、決勝ではライコネンに順位を譲り、ファーステストラップを記録し、5位入賞。必要十分な結果を上げ、出産を終えたばかりの奥さんと満足げに喜ぶデ・ラ・ロサ。しかし、彼が見上げる表彰台の頂点には、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの後輩アロンソが立ち、新世代チャンピオン候補として世界中から注目を集め、万雷の喝采を一身に浴びていました。
◆お人好しのペドロ
デ・ラ・ロサに「グランプリ・レーサー」としての資質で欠けている部分があるとすれば、それは彼のあまりにも「お人好し」過ぎた人柄だと思います。
デビューした年のインタビューで語られた彼の言葉です。
「デビュー戦で一番素晴らしかった事、それはミハエル・シューマッハにパスさせるよう連絡が入った時。(中略)僕は道を空けて、パスするようにサインを送ったんだ。するとミハエルが礼を返してくれたんだ。思ってもいなかったよ。ミハエルにパスされたけど、レースはすべてが素晴らしかったよ」
(取材/フランコ・パナリッティー氏 F1グランプリ特集 Vol.119より)
…………彼にもう少し他人を押しける図々しさとワガママさがあれば、もっと成功できたはず。でも、そうじゃないところがデ・ラ・ロサの良さなのでしょう。
本人より周りの人間が焦れ、腹を立てたくなるほど…。
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登録日:2006年 08月 24日 05:05:25
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Douglas, Zeta-Jones privacy case could set legal precedent (AFP)
super-couple Michael Douglas and Catherine Zeta-Jones went to Britain's House
date:2007年 03月 19日 21:04:26
] You buy them in mutual funds and the funds you are buying do not have any commission charge at all. You may want to open an account
date:2007年 03月 16日 09:39:23
- プロフィール
- 斎藤モ吉
- (男)
- 福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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