「ミハエル、モンツァ・ラストランも圧勝」で一句

<F1・第15戦 イタリアGP>M・シューマッハ 今季6勝目を飾りアロンソとの差を2ポイントまで詰める - イタリア

【モンツァ/イタリア 10日 AFP】F1・第15戦・イタリアGP(Italian Grand Prix)、決勝。2番グリッドからスタートしたフェラーリ(Ferrari)のミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)は、2位に8秒差以上つけての優勝、今季6勝目を飾りドライバーズポイント・ランキングでトップを走るルノー(Renault)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)との差を2ポイントまで詰めた。(c)AFP/PATRICK HERTZOG

AFPBB News


ティフォシ沸く モンツァの玉座 夢の日々

[解説]
フェラーリ帝国の王城、モンツァ。
必勝の誓いを胸に秘め、威風堂々、
ティフォシたちの期待に応えてみせたミハエル・シューマッハ。

最終周、皇帝の駆る紅いマシンの切り裂く風が、
パラボリカを抜け、ホームストレートを吹き抜けた時、
グランドスタンドの紅き民たちは見ただろうか。
蜃気楼に揺れながら消えた、最後の凱旋の紙吹雪のきらめきを

ポディウムでいつもより名残惜しげな王の謁見が終わった後、
詰めかけた紅き民たちは気づいただろうか。
ドイツから来た専制君主による平和な統治時代が今日、終わった事を。

そして、皇帝退位の知らせを耳にした紅き民たちは嘆き悲しんだろうか。
夢のような日々が、もう思いして語るしかなくなった現実を。

[雑感]
ライコネンの勢いも、アロンソの粘りも何のその。
やはり、モンツァはミハエルが強かった。
フェラーリ在籍中のミハエルがこだわり続けた(と私が勝手に決めつけている)「モンツァ」での勝利。
その目的は…ティフォシたちの人気を維持するためのパフォーマンス?
フィアット上層部に対する発言権を確保するための示威行為?
フェラーリのNo.1たる自分へ自ら課した責務?…
いろいろ事情はあると思いますが、ミハエルがモンツァで勝利するたびに「やるべき時にやるべき仕事をやり、きっちり結果を出す」彼らしい律儀さと真面目さを特に感じます。

◆サーキット対抗ミハエル勝率ランキングTOP10
第1位/0.714(5勝/7戦)インディアナポリス(アメリカGP)
(※絶対去年のインディをレースと認めないとしても勝率0.667でやっぱり1位)
第2位/0.571(8勝/14戦)マニ・クール(フランスGP)
第3位/0.467(7勝/15戦)イモラ(サン・マリノGP)
第3位/0.467(7勝/15戦)モントリオール(カナダGP)
第5位/0.462(6勝/13戦)スパ・フランコルシャン(ベルギーGP)
第6位/0.454(5勝/11戦)ニュルブルクリンク(ヨーロッパGP)
第7位/0.375(6勝/16戦)鈴鹿(日本GP)
第7位/0.375(6勝/16戦)カタロニア(スペインGP)
第9位/0.364(4勝/11戦)メルボルン(オーストラリアGP)
第10位/0.3575勝/14戦)モンツァ(イタリアGP)
・・・・・・・・・
第11位/0.333(5/15戦)モンテカルロ(モナコGP)
(怪我による欠場、制裁による出場停止したレースは含みません)
コレが、全90勝中の64勝の内訳です。
その堂々たる戦績。今更のようにビックリします。

◆モンスターたちの記録
ここでプロストやセナが得意としたサーキットでの勝率と比べてみましょう。

アラン・プロスト(生涯優勝回数51回/歴代2位)
5勝/9戦(勝率0.556)シルバーストーン
5勝/9戦(勝率0.556)リオ・デ・ジャネイロ
4勝/9戦(勝率0.444)ポールリカール
4勝/13戦(勝率0.308)モンテカルロ

アイルトン・セナ(生涯優勝回数41回/歴代3位)
6勝/10戦(勝率0.600)モンテカルロ
3勝/5戦(勝率0.600)デトロイト
5勝/10戦(勝率0.500)スパ・フランコルシャン

どれも素晴らしい記録です。こうして見るとミハエルは、「モナコマイスター」としてのセナの記録に数でも勝率でも上回れませんでしたし、勝つ事が難しいシルバーストーンを5勝(ミハエルは3勝)したプロストにも敵いませんでした。
しかし、どんなに優れたドライバーでも同じサーキットでマルチ優勝をするのは至難の技。それを10箇所ものサーキットで軒並み5勝以上しているミハエル。
この圧倒的な数字の前には語るべき言葉を失います。

◆モンツァの勝率
さて、モンツァでのミハエルの勝率は0.357で10番目です。
あまり高い数字ではない(あくまでもミハエル基準で。一般的に見れば十分高い)ですね。しかし、フェラーリ時代だけに注目してみるとどうでしょう?
これがいきなり5勝/10戦となり勝率が5割まで跳ね上がります。
つまり、ベネトン時代に1勝もできなかった場所で2回に1回勝てるようになったワケで、何が何でも勝ちたいミハエルの気力が「魔物が住む」と言われるモンツァの森まで味方につけたのでしょうか。
それと好対照なのが、モナコGPのモンテカルロ。あのセナの記録は何としても破りたかったはずですが、フェラーリ時代は3勝/11戦(0.272)と逆に勝率を落としています。

◆歴史あるモンツァ
グランプリの起源はフランス。近代F1の歴史はシルバーストーンから。
しかし、F1が始まって57年間、1年も欠かさずレースが行われてきたサーキットはモンツァだけです。つまり、モンツァの歴史はF1の歴史と言えます。
しかも、フェラーリドライバーとしてモンツァ覇者に名を連ねる事は、あのアルベルト・アスカリやフィル・ヒル、ジョン・サーティースなどと肩を並べ、末代まで伝説として語られる名誉に浴する事でもあります。セナはもとより、プロストもアレジもついにその恩賜を受ける事はありませんでした。ミハエル以前にそれを成し遂げられたのはゲルハルト・ベルガーだけでした。

◆1988年 9月11日 モンツァの奇跡
セナとプロストの黄金タッグが無敵のホンダターボを搭載した名車MP4/4で全レースを制覇しつつあった年の夏。8月14日、フェラーリの総帥エンツォ・フェラーリは、その栄光と波乱に満ちた人生を静かに終えました。
その1ヶ月後に開催されたイタリアGP。一部熱狂的ティフォシからは亡きエンツォの弔い合戦を望む声も上がっていましたが、当事者であるベルガーを含め誰もそれが現実になるとは思っていませんでした。
34周目にプロストがリタイアしても、トップを快走するセナはもう誰にも止められない…そう思われた残り2周前、その奇跡は起こりました。
プロストとレース中盤まで競ったタイムトライアルでかなりシビアになっていた燃費。終盤になりペースを上げ、ぐんぐん差を縮めてきた2位ベルガー。その状況に焦ったセナは、自ら墓穴を掘ってしまいます。
前を行く周回遅れのウィリアムズのマシンを第1シケインで強引に抜こうとした時、セナのリアタイヤがウィリアムズのフロントタイヤにヒットし、弾かれたようにスピンします。縁石の上にひっかかる形でエンジンストール。万事休す、泣く泣くリタイアとなってしまいます。消えたマクラーレンホンダの全勝優勝。
突然の出来事に目を疑うティフォシたち。そして、夢が現実となった事を知るや喜びを通り越して狂乱の渦に沸き立つグランドスタンド。
それは79年のジョディ・シェクター&ジル・ヴィルヌーブ以来、見る事のかなわなかった跳ね馬のエンブレムを飾る赤いマシンによるワンツー・フィニッシュ。
誰もが天に召された「コメンダトーレ」からの贈り物と信じて疑いませんでした。
それから8年。ティフォシたちは夢のような2ラップ伝説を何度も何度も回想して長い「冬」を過ごします。

◆1996年 9月8日 皇帝ミケーレの戴冠
前戦ベルギーGP優勝で一気にティフォシたちの期待が高まった第14戦イタリアGP。
予選で好調だったデイモン・ヒルが序盤早々に消え、観衆の注目は、期待通りミハエルと彼と入れ替わりにベネトンへと移籍した元フェラーリのアイドル、ジャン・アレジの一騎打ちに集まります。
燃料を多めに搭載したミハエルは、いかなる事態にも対応できるよう万全の体制でアレジの背後につけ、虎視眈々とチャンスを伺います。やがて、31周目。アレジがピットインするやファーステストラップを更新し続け、3周後、アレジとの間に30秒近いマージンを稼いでピットイン。首位を明け渡す事なくコース復帰。あとはただひたすらチェッカーまで走り続けるだけでした。
ティフォシたちの熱狂を煽るようなファンタジーもピンチも起きぬまま優勝。メインスタンド前を埋め尽くす勝利を待ちわびたティフォシを慰撫するようにイタリア国歌が高らかに鳴り響きました。
ミハエルは移籍時の公約「年間3勝」を地元モツァで見事に達成し、これ以上何を望むかと睥睨するようにポディウムの頂点に立って見せました。
そんな彼をティフォシたちは熱狂的な歓声で讃えます。絶対君主「皇帝ミケーレ」の施政方針を受け入れ、終世の従属を誓うかのように…。

◆その3ヶ月前 悪夢の日々
しかし、そのたった3ヶ月前。フェラーリを取り巻く環境は最悪でした。
ミハエル移籍後7戦目のスペインGP。雨のカタロニアを圧倒的な走りで制し、1勝を上げたミハエル。
しかし、その後はリタイアの連続で成績は伸び悩み、ジャック・ヴィルヌーブとデイモン・ヒルによるウィリアムズ独走を許してしまいます。チャンピオン争いに早くもイエローランプが点滅し始めたフェラーリ。
イタリア国内でも不満が噴出。矢面に立たされたルカ・ディ・モンテゼモーロ社長は、全責任をF310を設計したジョン・バーナードへ向けようと、彼のコストパフォーマンスの悪さを公然と批難します。
しかし、世論はそれで満足せず、監督のジャン・トッドやミハエルへも批難の矛先は向けられます。一方のミハエルもフランスGPではフォーメーションラップ中に突然のエンジンブロウ。0周リタイアという惨憺たる結果に危機意識の薄いチーム体質への不信感を一層強めます。
そんな最悪の状態で迎えた第13戦ベルギーGP。幸いにもウィリアムズの拙い戦術ミスに助けられる形で貴重な勝ち星を拾います。そして、続くイタリアGP。
ミハエルは、何が何でも負けるワケにはいかなかったのです。

◆まだまだ続く幻滅
そんなこんなで何とかフェラーリ1年目の危機を何とか乗り切ったかに見えたミハエル。しかし、翌1997年シーズンは、彼にもっと過酷な試練を用意していました。
へレスで行われた最終戦スペインGP。事実上のチャンピオン決定戦でミハエルはあろう事か、公衆の面前で競争相手のジャック・ヴィルヌーブを押し出そうとハンドルを切ってしまいます。これによって元チャンピオンは、自ら看板にドロを塗ったばかりでなく「インチキ・シューミー」の仇名を決定的なものとしてしまいます。
1998年には宿敵ミカ・ハッキネンと名車MP4/13の前に敗れ、1999年には右足骨折による途中欠場でシーズンをまるまる棒に振ってしまいます。
いつしかフェラーリ新車発表会で毎年繰り返されるモンテゼモーロ社長の「今年こそチャンピオン」という宣言が会場に空しくこだまする度、押し殺した溜息と意味深な目配せが交わされるようになっていました。

◆スパの屈辱
そして、不退転の決意を胸に挑んだ2000年シーズン。
序盤こそミハエルの3連勝で好調を匂わせましたが、夏のヨーロッパラウンドに入るやフェラーリはまたも失速してしまいます。
フランス、オーストリア、地元ドイツと3連続リタイア。ハンガリーでも2位。
そして続くベルギーGP。大好きなスパ=フランコルシャンで巻き返しを図りましたが、思いがけない敗退。あの宿敵ハッキネンに、自分が得意とするケメルストレートエンドで周回遅れと一緒にオーバーテイク。意地もプライドも完膚無きまでに叩きのめされ屈辱の表彰台2段目。

◆モンツァの涙
「また、勝てないのか?チャンピオンになれないのか?」そんなプレッシャーの中、フェラーリの地元モンツァ。そこで得た値千金の1位10ポイント。
しかも、それはアイルトン・セナの記録に並ぶ41勝目でした。
優勝会見の席上でその感想を求められた瞬間、ミハエルの心の中で必死に支えていた何かが弾け飛んだのでしょう。いきなり、人目もはばからず「あの」ミハエルが激しく泣き出してしまいます。
その場にいた誰もが我が目を疑い、戸惑いました。「アイス・クール」「精密機械」「シューミネーター」と一部皮肉っぽく呼ばれてきた彼が衆人環視の中で人間らしい一面をさらけ出したからです。
「表彰台での大騒ぎ、尊敬するアイルトンへの思い、1994年の彼の死、それらがいっぺんにどっとやってきた。係員の負傷もあった。まだ彼が亡くなったことを知らされていなかった。そして何よりも、その同じ午後にぼくの旧友のひとりが心臓発作で倒れたんだ。こみ上げてくるものが奇妙に入り混じっていた。それがあんな形で出てしまったんだ」
(「シューマッハ」ザビーネ・ケーム:著/東本貢司:訳/PHP出版)
くちさがない人々は「ただの臭い芝居」と認めようとしませんが、その真意はともかくミハエルの中で明らかに何かが変わった事を示す興味深いエピソードです。
その後、アメリカ、日本と連勝してミハエルは、あのアラン・プロストさえ成し得なかった「フェラーリでのワールド・チャンピオン」を獲得します。

◆シャンパンとバラ色の日々
それからの5年間。フェラーリとティフォシたちには、シャンパンシャワーの金色の飛沫とバラ色に縁取られた夢のような日々を謳歌します。
かつてミハエルが「昔のゴーカート仲間みたいだ」と皮肉を言った、テストの集合時間にもミハエルより遅れて平気だったスタッフは一人もいなくなり、全員が勝利という目的に一丸となる体制が出来上がりました。
それはすべてジャン・トッド監督とミハエルの献身的な努力による賜物です。
はたして、ミハエル達が築いた勝利へ導く「規律と伝統」を来年のライコネンとマッサは守る事ができるでしょうか?一番興味を引く部分です。

◆モンツァの呪文
「ミハエル、引退!」のニュースを聞いた時、あなたは
「最後の年、ミハエルにチャンピオンになって欲しい」と考えませんでしたか?

世の中とは不思議なもので、大衆が思った方へ思った方へと事物もまた流れていくものです。みんなが気持ちいいと思う方向へ行きたがる…まるで、8時45分過ぎに水戸黄門の印籠が出るように。ロープに飛ばされたレスラーが自ら敵の待ちかまえる方向へ走って行くように。水が高いところから低いところへ流れるように。
そうなる事が望ましい、そうあれば喜ばしい、誰もが望む結末へ自然と向かって突き進んでいくものです。
この引退宣言もまた、そんな「みんなが望む結末」としてミハエルが最後に仕掛けたアラン・プロスト直伝の心理作戦なのかもしれません。
今やアロンソに求められるのは、恐ろしい自己暗示と集団無意識が働く「大団円アリ地獄」からはい出すためのより一層強力な集中力と冷静な判断力です。
アロンソがそれをあきらめた瞬間、ミハエルは「天上天下唯我独尊」8度目の栄冠を手にまさに「神(仏?)の領域」の彼方へと去っていくのです。

◆最後にもう一度、勝率比べ
残りあと3戦。
ちなみにフェラーリでのミハエルの勝率は
0勝3戦(0.000)上海
5勝10戦(0.500)鈴鹿
2勝10戦(0.200)インテルラゴス

一方、ルノーでのアロンソの勝率は
1勝3戦(0.333)上海
0勝3戦(0.000)鈴鹿
0勝3戦(0.000)インテルラゴス



orz………………アロンソ、頑張れ。

カテゴリー[ F1・ミハエル・シューマッハ ], コメント[2], トラックバック[1]
登録日:2006年 09月 15日 19:31:25

コメント

Mシューに関しては昔見た雑誌によると
確か他の歴代チャンピオンより
優勝回数に比べてPP(割合として)が少ないドライバーです、予選が弱いといえますし、本戦に強いともいえます、またマシンに必ずしも恵まれていないともいえます。

こーいう意味では確かセナやプロストよりも数字は上だったと思います。

およよ @ 2007年 10月 12日 13:36:14

コメントありがとうございます。
毎日、チェックしないので返事遅れて申し訳ありません。
およよさんは、多分、ミハエルファン(?)ですよね。

セナ、プロスト、ミハエル。さて、誰が一番強いか?
アレコレ考えるのは実に楽しいですよね。
《タラレバ》は私も大好物です。

予選方法やマシンの善し悪し、ライバルの数など
条件や環境の違いでリザルトも違ってきますし、
ドライバー自身の哲学によっても違ってきます。
それをアレコレ加味しながら優劣を考えるのは実に楽しい。

セナはあれだけ、ポールポジションにはコダワリまくったくせに
ファステストラップには、まるで興味がありませんでした。
理由は「ポールポジションは勝つためのアドバンテージになるが、
ファステトラップは単なる自己満足でしかない」(←うろ覚えです)
逆にジル・ヴィルヌーブなどはポールには、まるで頓着なし。
後ろからガンガン抜ければハッピーみたいな人もいます。

個人的には、セナとミハエルがもっとガチンコで
できればフェラーリ同士で競い合う姿…なんかが見たかったです。

モ吉 @ 2007年 10月 17日 19:32:01

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プロフィール
斎藤モ吉
(男)
福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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