2006年 06月
アロンソ、イギリスGP/グランドスラム達成で一句
<F1 第8戦・イギリスGP>アロンソ 今シーズン5勝目 - 英国
【シルバーストーン/英国 11日 AFP】F1第8戦・イギリスGP(British grand prix)、決勝。ポールポジションからスタートしたルノー(Renault)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)は、1時間25分51秒927のタイムで3連勝を飾り、今シーズン5勝目を挙げた。(c)AFP/PIERRE ANDRIEU
アロ〜ンソォ〜 ジンクス知らずの 天然ボ〜イ
[解説]
なんかもう圧倒的過ぎ。まるで勝つのが当たり前みたいなアロンソの勝ちっぷり。ジンクスなんか屁のカッパ。気負いもプレッシャーも関係ナシ。平常心でノープロブレム。21世紀の今、私たちがアロンソの走りを見ながら呆然とするように、40数年前、シルバーストーンに詰めかけた観衆も《ナチュラル・レーサー》ジム・クラークのアンタッチャブルな走りをただ呆然と見ていたのでしょうか。
[雑感]
◆シルバーストーンのジンクス
「ポールシッターは勝てない」というシルバーストーンのジンクス。死んだ空軍パイロットたちの呪いなどと言われたりもしますが、さて、事実はどうなのでしょう。
ここ5年間のP.P.&優勝結果を見ると、01年ハッキネン→M.シューマッハ/02年M.シューマッハ→モントーヤ/03年バリチェロ→バリチェロ/04年M.シューマッハ→ライコネン/05年アロンソ→モントーヤと03年と今年を除けば、ジンクス健在と言えなくもありません。
◆イギリスGPのサーキット
歴史を振り返ると、3つのサーキットでイギリスGPが開催されていた事が分かります。シルバーストーンとエイントリーとブランズハッチ。例外的には、93年、セナが「奇跡のオープニングラップ」を見せたヨーロッパGPのドニントンパーク・サーキットがあります。
◆代わりばんこ時代
イギリスGPは、50年代後半から60年代初頭まではシルバーストーンとエイントリー、次いで60年代初期から1986年まではシルバーストーンとブランズハッチで1年ごとに交代で開催されていました。ですから、「ポールシッターが勝てない」というジンクスは、「シルバーストーンで」ではなく、「イギリスGPで」と言う方が無難です。
◆ジンクスに泣いたドライバー・その1
そんなジンクスに泣いたドライバーの一人にトム・プライスがいます。シャドウというマイナーチームに在籍した彼が、人生でたった一度のポールポジションを1975年のシルバーストーンで獲得しますが、決勝はリタイヤ。同じ年、モナコGPの予選でもラウダに次ぐ2位を獲得したプライスは、一躍注目を集めます。しかし、その後は目立った成績を上げる事もなく、77年の南アフリカGPで非業の死を遂げてしまいます。
◆ジンクスに泣いたドライバー・その2
ダイナミックな走りで観衆を魅了したロニー・ピーターソン。無敵のベンチュリーカー・ロータス79フォードを駆り、マリオ・アンドレッティと破竹の勢いを見せていた1978年。ロニーが、この年初めてポールを獲ったのがブランズハッチでした。ところがたった6周でリタイヤ。その2戦後のオーストリアGPで、ポールトゥーウィン&ファステストラップのグランドスラム(完全優勝)を成し遂げるのですが、その2戦後のモンツァで不運にも多重クラッシュに巻き込まれ、命を落とします。
◆ジンクスに泣いたドライバー・その3
エルフの支援を受け、ティレルからデビューした期待の新人、ディディエ・ピローニ。GPキャリア3年目の1980年。有力チーム・リジェへ移籍した彼は、早々に母国の先輩ジャック・ラフィーを凌駕する才能を見せます。第5戦目ベルギーGPゾルダーで初優勝を遂げ、続くモナコGPでは初ポールポジションを獲得。次戦フランスでも3位表彰台とまさに上り調子で迎えたイギリスGP。ブランズハッチで、先輩ラフィーとフロントローに並ぶポールスタート。しかし、結果は18周までトップ快走も空しく63周リタイヤしてしまいます。
幸か不幸か、この年の目覚ましい活躍が、翌年、彼をフェラーリ・ドライバーへの道へと誘います。1年間の雌伏の時を経て、ついに栄冠を掴むと思われた82年。ジル・ヴィルヌーブとの確執からゾルダーの悲劇、ジル所縁のカナダGPでは、エンストした彼に追突したリカルド・パレッティが炎上死、そして、運命のホッケンハイムリンクでの雨の予選。まるでジルの悲劇を繰り返すかのような因縁めいた事故により両足を複雑骨折、彼のドライバー生命は永遠に絶たれます。『裏切り者』の汚名をそそぐ機会もなく5年後、モーターボートレース事故でこの世を去ります。
◆ジンクスに泣いたドライバー・その4
主要ドライバーを相次ぐ事故で失ったフェラーリは、1983年シーズンに向けてフランス人レーサー、ルネ・アルヌーに白羽の矢を立てます。英雄ジル・ヴィルヌーブと繰り広げた79年フランスGPでの激闘のおかげかも知れません。何はともあれ、古巣ルノーで新人アラン・プロストにナンバーワンの座を奪われた彼には、「渡りに船」の話でした。
シーズン序盤こそ調子が出なかったアルヌーも第8戦カナダGPでやっとポールトゥーウィンを成し遂げ、その勢いを持続したまま次戦シルバーストーンでもポールを獲得します。ところが、決勝は5位という平凡な結果。優勝したのは、憎きアラン・プロストでした。
この年アルヌーは、3勝を上げますがランキング3位止まり。翌年は、イタリア人のミケーレ・アルボレートが御大エンツォ・フェラーリの肝いりで加入。やがて失意のうちにフェラーリも追われたアルヌーは、ただ居場所を求め、恥と不名誉を塗り重ねていくだけの転落人生へ堕ちていきます。
◆セナと相性の悪いシルバーストーン
意外な事実があります。あの天才と呼ばれたアイルトン・セナがイギリスGPでは、1度しかポールを獲得できず、優勝もたった1回きりなのです。あの無敵を誇るMP4/4を駆った1988年のマクラーレンホンダチームが唯一ポールを獲れなかったのがシルバーストーンだったのです。予選でセナは、派手な360度スピンでタイムを失い、フェラーリ2台に及びませんでした。それでも雨の決勝レースは見事優勝し、勝利者インタビューで「初めて勝てた」と素直に喜びを表します。まさかこれがイギリスでの最初で最後の優勝になるとは夢にも思わなかったでしょう。そんなセナの成績を考えれば、シルバーストーンでポールを3回も獲ったデイモン・ヒルや2回も優勝したクルサードのファンは、もっと堂々と胸を張って「結構スゴイ!」と言っちゃってもいいのかもしれません。
シルバーストーンでの優勝回数トップは、アラン・プロストの5回。次いでジム・クラーク、マンセル、M.シューマッハの3回。ポール獲得トップは、クラーク、マンセル、D.ヒルの3回です。
◆なぜポールシッターが勝てないのか?
記録を見ていて一番目につくのが完走率の低さです。エンジンに厳しいと言われた旧ホッケンハイムリンクやドライバーズサーキットと呼ばれるスパ・フランコルシャンと比べても、圧倒的に数字が低いのがイギリスGPのサーキットです。軒並み50%前後の数字が並んでいて30%台も少なくありません。エンジン、タイヤ、ドライバー、天候すべての条件に対して難しいレース。それがイギリスGPです。しかし、近年のGP全体に言える事ですがコース改修や給油レギュレーションの影響もあり、シルバーストーンでも完走率が70〜80%台まで上昇しています。それにも関わらずポールシッターが勝てない。もっと他に何か原因があるのかもしれません。
◆ジンクスも勝てないシーズン到来
では、イギリスGPでポールシッターは絶対勝てないのか?と言えば、そうとも言えません。《元祖天然児》ジム・クラークとロータスの無敵コンビは、ポールトゥーウィンで4連覇+1勝が達成されていますし、ウィリアムズルノーの全盛期には、マンセル、プロスト、D.ヒル、J.ヴィルヌーブが全員ポールトゥーウィンを記録しています。もう圧倒的に強い車とレーサーが揃った時には、ジンクスもまったく役に立たないという事です。
つまり、今回のイギリスGPの結果によって《新天然児》アロンソと《信頼度ナンバーワン》R26のパッケージは、完全無欠を証明しちゃったのかもしれません。もし、そうであるなら今シーズンは、まだまだ退屈なレースが何度か続く事を覚悟した方がいいでしょう。
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登録日:2006年 06月 22日 15:22:05
ミハエルやっちゃった事件で一句
<F1 第7戦・モナコGP>アロンソ フリー走行1回目でトップに立つ - モナコ
【モナコ/モナコ 25日 AFP】F1第7戦・モナコ・グランプリ(Monaco Grand Prix)、フリー走行1回目。ルノー(Renault)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)は、コースを13周走り1分16秒712のトップタイムで1回目のフリー走行を終えた。(c)AFP/DAMIEN MEYER
走馬燈 駆けめぐる記憶 黒シューミー
[解説]
栄光のモナコGP。序盤の若手二人、アロンソとライコネンによる熾烈な激走は、見応えがあり実に素晴らしかった。しかし、何と言っても今回一番、盛り上がりを見せたのは予選最終周回での「ミハエル通せんぼ事件」でしょう。
パドックにいたほとんど全ての人間が、見た瞬間に「また、やった!」と思ったところがミハエルの凄い(?)ところ。歴代1位のチャンピオン獲得数を誇る現役トップレーサーなのに、この信用性の無さはなかなか笑える。
今回の事件の真相は、神様とミハエル本人とフェラーリの一部スタッフだけにしか分からない事だけど、誰もが分かっている事実がひとつある。それは、みんなミハエルの過去を忘れていないって事。
[雑感]
◆シューミーのぶつかり癖
チャンピオン獲得数1位、ポールポジション獲得数1位、GP優勝回数1位など記録だけを眺めれば文句なく歴代最高のドライバーであるはずのミハエル・シューマッハが、今ひとつ、絶大な評価を得られない理由。それは、彼がここ一番という場面で必ず、相手にぶつける事で勝利や栄冠を奪い取ってきたという過去があるからだ。
◆突撃シューミー
1990年、F3マカオGPでのミカ・ハッキネン。1994年、オーストラリアGPのデイモン・ヒル。特に最悪だったのが1997年のジャック・ヴィルヌーブ。明らかにジャックの横っ腹目がけてハンドルを切る姿が、バッチリ車載カメラに映されてしまった。自分はリタイアになるわ、チャンピオンはジャックにさらわれるわ、その年の全ポイント剥奪されるわ。しかし、何より痛かったのは、過去の分まで全て、「わざとやったに違いない」と人々の記憶に強く印象づけてしまった事。それが今回の「通せんぼ」も故意にやったと判断された理由だ。
◆なぜ、ぶつかるのか?
育った時期が悪かったのでは?と思う。彼がF1に旅立とうとしていた1990年前後は、アラン・プロストとアイルトン・セナが「憎悪」に近い感情をコース上でぶつけあっていた時代。前年、鈴鹿の最終シケインでアラン・プロストがインを刺したセナの鼻先でドアを閉じ接触。プロストがチャンピオンを勝ち取った。しかし、翌年、同じ鈴鹿でセナは、スタート直後の第1コーナーでプロストを背後からまっすぐ追突し、両者リタイアに引きずり込み、セナが強引にチャンピオンを決めた。
「勝つためなら仁義はいらない」
そんな殺伐とした空気を吸いながら、ミハエルは1991年デビューした。
◆アイドルから敵へ
ミハエルのデビュー前のアイドルは、セナだった。しかし、そのセナからいきなりキツイ洗礼を受ける。1992年、フランスGPのオープニングラップ。アデレードヘアピンでセナのインを突いて接触、セナをリタイヤさせてしまう。その後、天候悪化でレースが中断している間にセナによって衆人環視の中で厳しく行動を非難される。
モナコで思わぬ優勝が転がり込んだもののあまり思うようなレースが出来ないセナが、成長著しい新人叩きで鬱憤を晴らそうとした。ミハエル自身、そう受け取ったかどうかは分からないが、これを境にミハエルにとってセナはアイドルでなくなり、打ち倒すべき敵となったのではないだろうか。その年、3勝を上げたセナより3点多くポイントを稼いだミハエルは、アナザープラネット状態のウィリアムズに次ぐ、シーズン3位の成績を上げる。ミハエルにとって、セナは脅威の存在ですらなくなりつつあった。
◆デイモン・ヒルという存在
ところが1993年には、アラン・プロストの復帰によって、セナの眼中からミハエルの存在は消える。セナの闘争心に火がつき、おのずとGP全体もセナ・プロ対決へ焦点が絞られ、ミハエルは蚊帳の外へ。しかもあろうことかミハエルの対抗馬としてあてがわれたのは、デイモン・ヒルである。前年ブラバムで不遇なキャリアをスタートし、誰もその存在を気にかけたとのない男。恵まれているのは「ウィリアムズのシートを手に入れた幸運とヒルという姓だけ」で自分の敵ではない。ところが、そんな取るに足らない男が、シーズンが終わってみれば、自分よりも上位の成績を上げている。ミハエルのプライドは、いたく傷つけられたに違いない。
◆ライバルの消失
1994年、プロストがいなくなり、ウィリアムズへ移籍したセナ。いよいよ、自分がセナとの雌雄を決する時が来た。ところがフタを開けてみれば、セナは、ポールポジションを取るけれど、レースではリタイヤばかり。ミハエルにとっても、たとえ連続優勝しても十分満足のいく結果ではなかった。やがて、迎えたサンマリノGP。セナは、ミハエルの眼前から永遠に消えて去ってしまう。そして、残されたのはまたもやデイモン・ヒルであった。
◆不毛な争い
その年のミハエルの強さは、圧倒的だった。セナがいない今、誰もその勢いを止める事ができないと思われたが、なんとFIAが強権を発動し、無理矢理ミハエルの首根っこを押さえる行動に出る。些細な事まで執拗にいいがかりをつけ続け、結局、ミハエルへ2戦の出場停止処分を言い渡す。その努力が功を奏して、ミハエルとデイモンとのポイント差は1ポイントに肉薄。不条理なまでの理不尽さと傷つけられたプライドを抱えたままミハエルは、アデレードで最終戦を迎える羽目になった。
◆幕切れ
ミハエルは、首位を走りながらもハンドル操作をミスり、ウォールにヒット。すぐコースに復帰しようとするミハエル、挙動を乱したミハエルのインを性急にすり抜けようとするデイモン。二人は直角コーナーで激しく絡み、大きく弾かれたミハエルのB194はタイヤバリアへ突っ込んでリタイヤとなる。これでデイモンのチャンピオン獲得?と思われたが、彼のFW16Bも左フロントサスに酷いダメージを負っておりリタイヤとなる。デイモン棄権の報が届くまで、ミハエルは金網越しにジッとコースを見つめ続けた。
◆モンスター誕生
結局、1994年のチャンピオンはミハエル・シューマッハと決定した。それは順当の結果と言えた。あのまま自然の流れに任せていれば、ずっと早いうちに決まったはずだ。だから、最終戦の接触に疑惑の声が上がったものの、おおむね同情的な意見の方が多かった。
しかし、この時の王者決定劇とFIAによる強引な横槍がミハエルを後の怪物へと仕立て上げたとも言える。1989年の鈴鹿で、プロストとジャン-マリー・バレストルの結託により王座を不当に奪われたという思いに囚われすぎたあまり、90年、同じ鈴鹿で独善的な報復的行動を取らざるを得なくなるほど、精神的に追い込まれたセナのように。
「勝つためなら、手段を選ばない」
セナへの果たせなかった思いが、負の遺産を受け継ぐ事につながってしまったとすれば、こんな不幸な事はないと思う。
カテゴリー[ F1・ミハエル・シューマッハ ], コメント[4], トラックバック[636]
登録日:2006年 06月 11日 05:18:38
- プロフィール
- 斎藤モ吉
- (男)
- 福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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