2006年 06月 11日

ミハエルやっちゃった事件で一句

<F1 第7戦・モナコGP>アロンソ フリー走行1回目でトップに立つ - モナコ

【モナコ/モナコ 25日 AFP】F1第7戦・モナコ・グランプリ(Monaco Grand Prix)、フリー走行1回目。ルノー(Renault)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)は、コースを13周走り1分16秒712のトップタイムで1回目のフリー走行を終えた。(c)AFP/DAMIEN MEYER

AFPBB News


走馬燈 駆けめぐる記憶 黒シューミー

[解説]
栄光のモナコGP。序盤の若手二人、アロンソとライコネンによる熾烈な激走は、見応えがあり実に素晴らしかった。しかし、何と言っても今回一番、盛り上がりを見せたのは予選最終周回での「ミハエル通せんぼ事件」でしょう。
パドックにいたほとんど全ての人間が、見た瞬間に「また、やった!」と思ったところがミハエルの凄い(?)ところ。歴代1位のチャンピオン獲得数を誇る現役トップレーサーなのに、この信用性の無さはなかなか笑える。
今回の事件の真相は、神様とミハエル本人とフェラーリの一部スタッフだけにしか分からない事だけど、誰もが分かっている事実がひとつある。それは、みんなミハエルの過去を忘れていないって事。

[雑感]
◆シューミーのぶつかり癖
チャンピオン獲得数1位、ポールポジション獲得数1位、GP優勝回数1位など記録だけを眺めれば文句なく歴代最高のドライバーであるはずのミハエル・シューマッハが、今ひとつ、絶大な評価を得られない理由。それは、彼がここ一番という場面で必ず、相手にぶつける事で勝利や栄冠を奪い取ってきたという過去があるからだ。

◆突撃シューミー
1990年、F3マカオGPでのミカ・ハッキネン。1994年、オーストラリアGPのデイモン・ヒル。特に最悪だったのが1997年のジャック・ヴィルヌーブ。明らかにジャックの横っ腹目がけてハンドルを切る姿が、バッチリ車載カメラに映されてしまった。自分はリタイアになるわ、チャンピオンはジャックにさらわれるわ、その年の全ポイント剥奪されるわ。しかし、何より痛かったのは、過去の分まで全て、「わざとやったに違いない」と人々の記憶に強く印象づけてしまった事。それが今回の「通せんぼ」も故意にやったと判断された理由だ。

◆なぜ、ぶつかるのか?
育った時期が悪かったのでは?と思う。彼がF1に旅立とうとしていた1990年前後は、アラン・プロストとアイルトン・セナが「憎悪」に近い感情をコース上でぶつけあっていた時代。前年、鈴鹿の最終シケインでアラン・プロストがインを刺したセナの鼻先でドアを閉じ接触。プロストがチャンピオンを勝ち取った。しかし、翌年、同じ鈴鹿でセナは、スタート直後の第1コーナーでプロストを背後からまっすぐ追突し、両者リタイアに引きずり込み、セナが強引にチャンピオンを決めた。
「勝つためなら仁義はいらない」
そんな殺伐とした空気を吸いながら、ミハエルは1991年デビューした。

◆アイドルから敵へ
ミハエルのデビュー前のアイドルは、セナだった。しかし、そのセナからいきなりキツイ洗礼を受ける。1992年、フランスGPのオープニングラップ。アデレードヘアピンでセナのインを突いて接触、セナをリタイヤさせてしまう。その後、天候悪化でレースが中断している間にセナによって衆人環視の中で厳しく行動を非難される。
モナコで思わぬ優勝が転がり込んだもののあまり思うようなレースが出来ないセナが、成長著しい新人叩きで鬱憤を晴らそうとした。ミハエル自身、そう受け取ったかどうかは分からないが、これを境にミハエルにとってセナはアイドルでなくなり、打ち倒すべき敵となったのではないだろうか。その年、3勝を上げたセナより3点多くポイントを稼いだミハエルは、アナザープラネット状態のウィリアムズに次ぐ、シーズン3位の成績を上げる。ミハエルにとって、セナは脅威の存在ですらなくなりつつあった。

◆デイモン・ヒルという存在
ところが1993年には、アラン・プロストの復帰によって、セナの眼中からミハエルの存在は消える。セナの闘争心に火がつき、おのずとGP全体もセナ・プロ対決へ焦点が絞られ、ミハエルは蚊帳の外へ。しかもあろうことかミハエルの対抗馬としてあてがわれたのは、デイモン・ヒルである。前年ブラバムで不遇なキャリアをスタートし、誰もその存在を気にかけたとのない男。恵まれているのは「ウィリアムズのシートを手に入れた幸運とヒルという姓だけ」で自分の敵ではない。ところが、そんな取るに足らない男が、シーズンが終わってみれば、自分よりも上位の成績を上げている。ミハエルのプライドは、いたく傷つけられたに違いない。

◆ライバルの消失
1994年、プロストがいなくなり、ウィリアムズへ移籍したセナ。いよいよ、自分がセナとの雌雄を決する時が来た。ところがフタを開けてみれば、セナは、ポールポジションを取るけれど、レースではリタイヤばかり。ミハエルにとっても、たとえ連続優勝しても十分満足のいく結果ではなかった。やがて、迎えたサンマリノGP。セナは、ミハエルの眼前から永遠に消えて去ってしまう。そして、残されたのはまたもやデイモン・ヒルであった。

◆不毛な争い
その年のミハエルの強さは、圧倒的だった。セナがいない今、誰もその勢いを止める事ができないと思われたが、なんとFIAが強権を発動し、無理矢理ミハエルの首根っこを押さえる行動に出る。些細な事まで執拗にいいがかりをつけ続け、結局、ミハエルへ2戦の出場停止処分を言い渡す。その努力が功を奏して、ミハエルとデイモンとのポイント差は1ポイントに肉薄。不条理なまでの理不尽さと傷つけられたプライドを抱えたままミハエルは、アデレードで最終戦を迎える羽目になった。

◆幕切れ
ミハエルは、首位を走りながらもハンドル操作をミスり、ウォールにヒット。すぐコースに復帰しようとするミハエル、挙動を乱したミハエルのインを性急にすり抜けようとするデイモン。二人は直角コーナーで激しく絡み、大きく弾かれたミハエルのB194はタイヤバリアへ突っ込んでリタイヤとなる。これでデイモンのチャンピオン獲得?と思われたが、彼のFW16Bも左フロントサスに酷いダメージを負っておりリタイヤとなる。デイモン棄権の報が届くまで、ミハエルは金網越しにジッとコースを見つめ続けた。

◆モンスター誕生
結局、1994年のチャンピオンはミハエル・シューマッハと決定した。それは順当の結果と言えた。あのまま自然の流れに任せていれば、ずっと早いうちに決まったはずだ。だから、最終戦の接触に疑惑の声が上がったものの、おおむね同情的な意見の方が多かった。
しかし、この時の王者決定劇とFIAによる強引な横槍がミハエルを後の怪物へと仕立て上げたとも言える。1989年の鈴鹿で、プロストとジャン-マリー・バレストルの結託により王座を不当に奪われたという思いに囚われすぎたあまり、90年、同じ鈴鹿で独善的な報復的行動を取らざるを得なくなるほど、精神的に追い込まれたセナのように。
「勝つためなら、手段を選ばない」
セナへの果たせなかった思いが、負の遺産を受け継ぐ事につながってしまったとすれば、こんな不幸な事はないと思う。

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登録日:2006年 06月 11日 05:18:38

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プロフィール
斎藤モ吉
(男)
福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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