2006年 07月 27日

「ルノー100周年記念レースに負ける」で一句

<F1・第11戦 フランスGP>フェラーリ フロントローを独占 - フランス

【マニクール/フランス 15日 AFP】F1第11戦・フランスGP(France Grand Prix)、公式予選。
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(c)AFP/MARTIN BUREAU

AFPBB News


フィアットの 百年目の意趣 ルノー完敗

[解説]
100年前、第1回グランプリを制したルノー&ミシュランの純仏タッグ。5月から続いてきた百周年記念キャンペーンの締めくくりを飾る大事な地元グランプリ。しかし、必勝の願いも空しく宿敵フェラーリ/ブリヂストン/ミハエルの日独伊三国同盟の前にもろくも敗れ去りました。奇しくもそれは100年前に敗れ去ったフィアット(=親)の雪辱を子(=フェラーリ)が果たしたカタチ。文字通り「ここで会ったが百年目ぇ〜」の意趣返し/見事な仇討ち劇となったわけです。フランス国民は「ベルリンの悲劇」の傷も癒えない1週間後、また苦汁を舐め、イタリア国歌を聴かされるハメとなりました。

[雑感]
GRAND-PRIX「グランプリ」─現代の私たちが何気なく耳にし、クチにする言葉ですが直訳は「大賞」。この言葉を冠した自動車レースが初めて開催されたのが100年前の1906年6月26〜27日のフランス・ルマンでの大会でした。日本では、南満州鉄道が設立され、夏目漱石が『坊ちゃん』を発表した年。その頃のレースとは、どのようなものだったのでしょう?現代フランスを代表する国営企業にまでなったルノーの若く猛々しきその黎明期を調べてみました。

◆創設者ルイ・ルノー
裕福な家庭の落ちこぼれだったルイ・ルノーは、小さな小屋の中にこもって当時一般的だったベルトやチェーン駆動ではない、静かで信頼性の高いシャフトドライブ式の車を作りました。その車をレースで走らせ優勝した事が彼のサクセスストーリーの始まりです。レース結果を広告媒体として利用し販路を広げる手法は、事業を確実に拡大させました。しかし、その陰で一緒にレースに出て喜びを分かち合っていた一番仲の良かった兄マルセルをレース事故で失うという悲劇も経験します。ルイはこの事故以降、ドライバーとしてレースに出場しなくなりました。

◆第1回グランプリ
ACF(フランス自動車クラブ)主催による第1回グランプリレースは、ルマンの東にある3つの町を結ぶ公道をつないだ1周約103km(現代のサーキットは1周4〜5km前後)のコースを使って、6周618kmを2日間、つまり全12周/全走行距離1,236km(現代F1のレース距離は300km前後)を戦うという決勝レースの内容でした。

◆真っ赤なルノー
ワークス・ルノーがレースに持ち込んだ車は、3台でした。車両重量1トン弱(現代F1は約500kg)、エンジンは排気量12,900cc(現代F1は2,400cc)。ドライバーは、フランス・シス、ピエール・リシェズ、エドモンの3人。この頃のルノーの車体は、まだフランスのナショナルカラー黄色ではなく、赤でした。

◆ミシュランの秘密兵器
予選までは自転車のようなワイヤ・スポークタイヤを使用していたルノーは、決勝に向けてミシュランが持ち込んだ最新のリム脱着式タイヤに切り替えます。当時のタイヤ交換は、よく切れるナイフで破れたタイヤを切り取り、硬ゴムタイヤとチューブをリムに組み付けて、ホイールにボトで固定するという工程が必要でした。その面倒な作業をホイール固定用の8本のボルトを外すだけでリムごとタイヤが交換できたのです。数時間かかっていたタイヤ交換がたった数分から10数分で完了できるという優れものでした。

◆過酷なレース
当時の道路は、埃っぽい砂利の転がる未舗装路。または砂利道にタールを撒いて固めただけの舗装路でした。夏の暑さと猛スピードで駆け抜けるタイヤによって、ドロドロに溶けたタールは泥よけのない車輪に跳ね上げられ、ドライバーの皮膚にひどいヤケドを負わせました。また先の尖った砂利石は弾丸のようにドライバーの顔面を襲いました。ルノードライバーのエドモンは、ゴーグルに石が当たり、砕けたガラスで目を負傷しました。痛み止めのコカイン注射を打ちフラフラになりながら5周目も走りましたが、あと1周を残して痛みに耐えきれず惜しくもリタイヤとなってしまいました。

◆現代F1と現代ラリーに似た風景
2位に26分差をつけ1位で1日目を終えたルノーの車両は、現代F1の予選後のように整備のに触れられぬままパルクフェルメで保管され夜を過ごします。2日目の決勝は、まるで現代のラリー選手権のように前日の順位順にタイム差を測りながら1台ずつスタートしました。

◆薄氷を踏むような大勝利
1位のルノーは、スタートしてすぐタイヤ交換に入り、燃料、オイル、水を補給し、万全の態勢を整えて再スタートを切ります。それでも2位とは14分半も差がありました。楽勝ペースで始まったレースでした。しかし、4位を走っていたリシェズが3周目でリタイヤ。1位のシスも4周目にリアのスプリングを痛めてしまいます。ピットで点検した後は安全走行に切り替えて見事に逃げ切り、追い上げてきたフィアットに32分という圧倒的な差をつけて優勝します。平均時速は101.34km/h、最高時速は160.93km/hでした。
(参考文献:ダグ・ナイ著「歴史に残るレーシングカー」グランプリ出版より)

◆ワークス・ルノーの終焉、復活そして挫折
1908年のレースを最後にワークス・ルノーのレース活動は長い休眠期間に入ります。それから69年後の1977年。ルノーは、ターボ・エンジンという最先端技術への挑戦もかねてサーキットへ戻ってきます。足には、ターボパワーを路面に確実に伝えるミシュラン製ラジアルタイヤを履いて…。この第2期ルノーは、ワークスとして1985年まで、ロータス、リジェなど他チームへのエンジンサプライヤーとして1986年まで活動しましたが、超絶パワーを誇るホンダターボにあっさりお株を奪われるカタチとなり、念願のチャンピオンマシンとなる夢も叶わないままグランプリから撤退します。

◆臥薪嘗胆
打倒ホンダに燃えたルノーが、雌伏の時を経てグランプリに戻ってきたのは3年後の1989年。同じくホンダへの復讐心に燃えるウィリアムズへのエンジンサプライヤーとしての復帰でした。時はまさにマクラーレン・ホンダ全盛期、フェラーリV12とのパワー競争の影に隠れながら、密かに開発が進められてきた軽量・低重心・高信頼性のルノーV10エンジンがついに真価を発揮する時が来ます。

◆ルノー全盛期
1991年、ウィリアムズの技術開発チームによって熟成された魔法の足「リアクティブ・サスペンション」と天才アドリアン・ニューウィーがデザインした空力パッケージを得たFW14シリーズがサーキットを蹂躙。ナイジェル・マンセルの激しい闘争心にも、リカルド・パトレーゼの静かなる安定走行にも的確に応え、「アナザープラネット」と呼ばれるほどの無敵ぶりを他のチームに見せつけます。そして、翌1992年ルノーは悲願だったチャンピオンマシンとしての栄冠を手にします。

◆ルノーの「明日はどっちだ!」
2005年、7度目の栄冠を奪取したルノーは、今年も開幕スタートから圧倒的な勝ち星を重ねてきました。しかし、ここ2戦。フェラーリ、ブリヂストンとミハエルの不気味な復調を感じさせるレースが続いています。果たして残り7戦、アロンソ&フィジケラのコンビがミハエル&マッサの連携を突き崩す事ができるのか?この調子でいけば雌雄を決する戦いは、フェラーリの地元モンツァまで続きそうな予感。マニ・クールの雪辱をルノーは果たせるのか否か。さあ、どっち!?次はミハエルの地元ホッケンハイム・リンク!!

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登録日:2006年 07月 27日 03:17:05

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プロフィール
斎藤モ吉
(男)
福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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