2006年 08月 31日
「フェリペ・マッサ初優勝」で一句
【イスタンブール/トルコ 27日 AFP】F1第14戦・トルコGP(Turkish Grand Prix)、決勝。ポールポジションからスタートしたフェラーリ(Ferrari)のフェリペ・マッサ(Felipe Massa)は、合計タイム1時間28分51秒082をマークし、F1デビュー5年目、F1参戦67戦目での初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾った。(c)AFP/MUSTAFA OZER
トッドのつまり マッサに勝利 息子にハク?
[解説]
慢心、あるいは過信から生まれた醜態。これがウィリアムズ(←失礼?)なら、凡ミスと笑って済まされたでしょう。しかし、今回のフェラーリによる2車同時ピットインは「自分たちならやれる」という確信的な行動でした。結局、あのタイムロスが響いて、せっかく削ってきたアロンソとのポイント差を逆に広げてしまいました。ミハエルの逆転チャンプか。マッサの初優勝か。どちらが重要?なんて論じるまでもないはず。この切迫した状況下での2ポイントの重み。何故、安全策を取らなかったのでしょうか?首をひねりたくなります。あまりひねりすぎて、トッド監督もとどのつまり「息子が可愛い」だけの親バカさん?なんて邪推もチラホラ…そう思うちょっとだけ親近感も湧くのですが…。
[雑感]
過去、アーバインやバリチェロには決して認められなかった「ミハエルを差し置いて優勝」が、フェリペ・マッサにはあっさりと許されました。ジャン・トッド監督は、自分たちがかつて「チームオーダーによって酷く叩かれたトラウマ」を理由に今回の結果を仕方のない事態と釈明していますが、フェラーリって、そんな殊勝なチームだったでしょうか?
今回、あの場面でミハエルを先にピットインさせたとして「マッサの関係者以外」誰が文句を言うのでしょう?ミハエルのファンからすれば「何よ?マッサって!ムカつく〜何様のつもり!」と怒髪天だった事かと思います。そんな腹のムシがおさまらない皆様へ、今回の不届きな(?)優勝者フェリペ・マッサに関するアレコレをざっくりご紹介しましょう。
(※注 今回の内容は、ほとんど「独断と偏見の塊」。フィクションと呼ぶべきものです。話半分どころか話1.5%ぐらいのノリでお読み下さい)
僕は第2のセナ」なんかじゃない
将来有望そうな若手ドライバーに必ず被せられるキャッチコピー。これまで一体、何人の「第2のセナ」が現れ、消えていった事でしょう。
ブラジル国内のカート選手権を勝ち抜き、1999年にフォーミュラ・シボレーの国内1位となり、2000年に渡欧。フォーミュラ・ルノーのイタリアシリーズとヨーロッパシリーズで1位。2001年にユーロF3000シリーズチャンピオンとなった頃には、マッサもやはり「第2のセナ」と呼ばれていました。
しかし、1981年生まれの彼にとってのヒーローは、「なんたってミハエル」だったのですが…。
◆F1の風
彼は、地元ブラジルGPがある週末に、当時のチームオーナーが経営するレストランのケータリングサービスを手伝い、お弁当をベネトンチームへ届けたり(1997年)、メディカルカーの運転手をしたり(2001年)しました。そうした中から少しずつF1の風を感じていました。
◆最初のステップ
ヨーロッパへ活動拠点を移した頃、マッサ自身、有力なスポンサーを持たなかったため、フォーミュラ・ルノー選手権全10戦のうち6戦までしか走れないという状況でした。
しかし、初参加レースで優勝した彼は、元F1ドライバーのペドロ・ディニースの目に止まります。ディニースの紹介によりレッドブルの支援を受ける事ができ、その期待に応えてマッサも前述のような素晴らしい成績を収めて見せます。
◆ザウバーからデビュー
2002年、そんな苦労人だったマッサが、いきなりF1デビューします。
契約チームはザウバー。せっかく見つけた金の卵、キミ・ライコネンをマクラーレンにさらわれた(でも違約金はしっかりせしめた)ばかりのペーター・ザウバーが新たに発見した「シンデレラ・ボーイ」と世間で騒がれました。ペーターは、インタビューに答えて、マッサに目をつけたのは「2001年の8月頃」と答えています。しかし…。
◆フェラーリの影
デビュー当初からマッサには、ある噂がつきまとっていました。「マッサの本当の契約相手はフェラーリ。しかも、かなり長期的な契約」だと。
しかし、当時の彼は、この噂をきっぱりと否定しています。「ザウバー関係者より前にフェラーリ関係者と話した事はない」と。しかし、そんな話をまともに信じる人間はいませんでした。その真実や如何に…フェラーリへの移籍が発表された2005年、トルコGPでの記者会見の席上で、彼はあっさり「2001年からフェラーリとの超長期契約を結んでいた」と答えています。
◆フェラーリとザウバーの力関係
当時から「フェラーリの契約アリ」とすれば、ザウバーからのマッサのデビューにフェラーリの意向がなかったとは考えられません。フェラーリからエンジン供給(ペトロナス・エンジン=1年落ちのフェラーリエンジン)を受けるザウバーにとって、マッサのデビューは「背にハラ」な交換条件、もしくは断る事のできない絶対条件だったと考える方が妥当ではないでしょうか。
◆ペーターの胸の内
ペーター本人が、マッサの実力を認めたにせよ、フェラーリから渡された資料を安心材料として引き受けたにせよ──何度もスピンばかり繰り返す経験不足のヒヨっ子を「役に立たないからどーにかしてほしい」とテストチームから何度抗議されようと──何が何でも使うしかない…ウラ事情があったのでは?と思うのです。
◆マッサ、ザウバー離脱
ところが、そんな「圧力」がまるで存在しなかったかのように、2003年に向けたザウバーは、一転してマッサをドライバーラインナップからハズします。
発表された布陣は、ニック・ハイドフェルドとハインツ・ハラルド・フレンツェン。世間は実力のないマッサにさすがのザウバーも堪忍袋の緒を切ったと噂しました。でも2004年には、また何事もなかったかのように再起用されていますから、この噂には疑問を感じます。
フェラーリ移籍決定前には、ジョーダン移籍の噂も流れますが…どうでしょう?ちょっとフェイクの香りがします。
結論として、関係者一同、納得ずくによるフェラーリへの一時的な出向。というのが本当のトコロだったのではないでしょうか。
では、それは一体何のためでしょう?
◆出向の本当の理由?
フェラーリのテストドライバーには、すでに経験豊富なルカ・バドエルがいました。ですからテストにおけるマッサの必要性は全くありません。
経験を積ませるため?それなら実戦に勝るものはありません。
では、マッサに一体どんな役回りが与えられたのでしょうか?
…当時のフェラーリには、一線で活躍するもう一人の有能なブラジル人ドライバーがいました。名前はルーベンス・バリチェロ。フェラーリチームとミハエルにとって、良くも悪くも優秀過ぎたNo.2ドライバーでした。
◆2002年 A1リンクの茶番
マッサがフェラーリへ出向される前年のオーストリアGP。
最終ラップまでトップを走っていたルーベンス・バリチェロがゴール手前でいきなりスピードダウン。No.1ドライバーのミハエル・シューマッハに勝ちを譲ります。
いままで従順だったはずのバリチェロが、世界の中心で「オレは犬じゃねえ」と叫んだ瞬間でした。ひょっとすると本人いたって無邪気に1991年/鈴鹿のセナ(チャンピオン決定のお礼として同僚ベルガーにゴール直前にトップを譲る)を真似たつもり…だったかもしれません。
しかし、あのゴールシーンを見たほとんどの人々は「長距離ランナーの孤独」の主人公のような「無言の抗議」と理解しました。F1のイノセンスを信じる世界中の人々から「悪質なチームオーダーを発令した」と、フェラーリは激しい批難を受けたのです。
◆もうひとつの小さなチームオーダー事件
実は、この大事件の後、小さな事件がザウバーで起きました。舞台は、ヨーロッパGPとドイツGP。どちらもハイドフェルドの地元ドイツです。
先のヨーロッパGPでペーター・ザウバーは、先行するマッサに対してハイドフェルドへ順位を譲り入賞させるよう指示します。しかし、マッサは指示に従わず、6位入賞をちゃっかりゲットします。ところが怒ったペーターからレース後に大目玉。そして、次に迎えたドイツGP。反省したマッサは、キチンと指示に従いハイドフェルドに6位入賞を譲ります。
しかし、世間はこれを一種のパロディーと受け止めたか、あるいは全く気づかなかったか、ペーターによる一連の行為を咎める者は誰一人いませんでした。…いや、一人だけ、マッサが少しだけむくれました。
◆裁かれなかったフェラーリ
1998年開幕戦オーストラリアGP。決勝終盤に行われたマクラーレンのハッキネン/クルサード間での順位入れ替わり行為を問題とした件について、世界モータースポーツ評議会が協議し「チームオーダー」に関する決議を採択しました。
その条文には「レースの誠実さに欠けるアンフアな行すべてを禁ずる」として「罰則の対象になる」とまで明文化されていました。しかし、同じ文面の中に「チームがチャンピオンシップを戦うために2人のドライバーのうち1人を選出し、もう1人のドライバーがそれを援護する行為については、完全な正当性が認められる」としている事から「2002年、A1リンクにおけるフェラーリのチームオーダー行為」の是非は不問とされました。
言い渡されたのは、ポディウムの立ち位置を正しく守らなかったミハエル、バリチェロ、フェラーリチームへの罰金各100万ドルだけでした。
◆裁かれたルーベン
ところが、たとえFIAがフェラーリを罰さなくても、世論はこれを許しませんでした。それと同じようにフェラーリ上層部の怒りは、この憂慮すべき事態を引き起こしたバリチェロの行動を許しませんでした。
彼に対する、無言の有罪判決文「お前の代わりはいくらでもいる」。
それがフェリペ・マッサのテスト・ドライバー起用だった…とは考えられないでしょうか?
その後3年。フェラーリ在籍中のルーベンスは、キバを抜かれたようにミハエルとチームに対して忠義を尽くし、2度と反旗を翻す事はありませんでした。
◆青いフェラーリ
2004年、出向期間が解けたマッサはザウバーに復帰します。ザウバーが用意したマシンは、前年のフェラーリF2003-GAを完全コピーしたC23でした。しかし、ミハエル好みに開発されたピーキーなマシンを「パワステ」なしで乗りこなすのは、ベテランのフィジケラにも至難の技でした。
たぶんマッサにはもっと難しかった事でしょう。開幕前テストで派手なクラッシュを起こし、予選では相変わらず同僚からコンマ数秒遅れでした。それでも前年のフェラーリテストで乗り慣れたマシンのせいか、決勝ではフィジケラと対等に近い成績を残せるようになります。
◆ペーターとフィジケラの甘い夢
ペーター・ザウバーのこの年の目論みは、フェラーリの完全セカンドチームとなってブリヂストンのタイヤテストを肩代わりし、その情報をフィードバック。その一環として、サードカーにフェラーリのサード・ドライバー、ルカ・バドエルを乗せて走らせ、ついでにフェラーリから活動資金を捻出してもらう事でした。
また、移籍してきたフィジケラは、ひょっとしたらこのチャンスにフェラーリのテストに参加できるかも…なーんて甘い夢を見ていました。
◆獲らぬタヌキの皮
ところがシーズンが始まってみれば、フェラーリとブリヂストンは完璧なマッチングを見せ、連戦連勝の快進撃。そんなイケイケ状態のフェラーリからすれば、ザウバーからもたらされる情報などレース後のタイヤより価値のないものでした。
フェラーリから放置されたザウバーは、シーズン当初、激しい不振にあえぎます。しかし、念願の風洞実験設備が稼働し始めた中盤以降、独自のモディファイが加えられるようになり、おのずと成績も上向いていきました。
◆最終試験
デビュー2年目のフェリペ・マッサを評して「F1にふさわしくない愚か者」と切り捨てた人物がいました。ジャック・ヴィルヌーブです。2004年の終盤3戦、マッサは性能の劣るザウバーでその張本人が乗るルノーに勝って見せます。
そして、翌2005年。元ワールド・チャンピオンをチームメイトとして迎えたマッサは、随所で落ち着いたレース運びを見せます。ジャックと同等、あるいはそれ以上の成績を挙げる事で、どんどん評価を高めていったマッサ。それと反比例する形でジャックは、いよいよ評判を落としていきました。
◆フェラーリとともに去りぬ
そして、2006年。マッサは、ザウバーとフェラーリのエンジン契約が切れると同時にチームを去ります。託卵されて大きく育ったカッコウの雛がヨシキリの小さな巣を飛び立つように…。
◆フェラーリ移籍、そして14戦目の優勝
デビュー当初からの契約通り(?)晴れてフェラーリの正ドライバーとなったマッサ。憧れのミハエルと肩を並べる幸福に浸る間もなく、No.1ドライバーを援護し続ける日々が続きます。やがて、開幕当初にささやかれた周囲の不安を打ち消すのに十分過ぎる結果を積み上げていきます。そんな彼を映すモニターをフェラーリピットの片隅で静かに見つめるクリクリ髪の男がいます。名前はニコラス・トッド。(写真/マッサの左隣に立つ白服。親父そっくり)フェリペ・マッサのマネージャーで、ジャン・トッドの息子。そのニコラスがマッサとマネージャー契約を結んだのは、例のフェラーリ出向の2003年でした。
◆意味のない質問
さて、ここで世間でよく言われる質問をひとつしましょう。
「卵」が先か、「親鳥」が先か。
あなたはどちらが先だと思いますか?
◆マッサを巡る3人の男
もう一人。フェリペ・マッサを「ザウバーに紹介した」人物としてリチャード・ティディッチという名前が見られますが、彼の正体は不明です。
彼とペドロ・ディニース、そしてニコラス・トッド。この3人がマッサの「シンデレラ・ストーリー」に重要な役割を果たした3人の「魔女」です。
そして、フェラーリという成功を手に入れるため、彼が階段に落とした「ガラスの靴」とは何だったのか?解けない謎がいくつかあります。
◆F1での常識
よく言われます。「F1の世界に“絶対”なんて言葉はない」と。
あと「F1の世界に“本当の事”など存在しない」とも言われます。
早い話が「ナンデモあり」って事なのです。
◆最後にもう一度、お断り
ここに書かれた内容は、決して「事実ではありません」。伝えられるエピソードからかなり乱暴に細かい枝葉を切り落とし、好き勝手にトリミングし、仕上げにフィクション的妄想を多めにふりかけ脚色してあります。
ですから、この内容をそのまま他人に吹聴して、重大な問題が起きたとしても、一切責任は負いかねますので、悪しからずご了承下さい。
カテゴリー[ F1・ドライバー物語 ], コメント[0], トラックバック[2]
登録日:2006年 08月 31日 01:15:23
- プロフィール
- 斎藤モ吉
- (男)
- 福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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