2006年 09月

「超新星クビサに大注目!」で一句

<F1・第15戦 イタリアGP>M・シューマッハ 今季6勝目を飾りアロンソとの差を2ポイントまで詰める - イタリア

【モンツァ/イタリア 10日 AFP】F1・第15戦・イタリアGP(Italian Grand Prix)、決勝。2番グリッドからスタートしたフェラーリ(Ferrari)のミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)は、2位に8秒差以上つけての優勝、今季6勝目を飾りドライバーズポイント・ランキングでトップを走るルノー(Renault)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)との差を2ポイントまで詰めた。(c)AFP/PATRICK HERTZOG

AFPBB News


走りはGood! ポーランドの星 顔は××

[解説]
今年のイタリアGPは、ミハエル「衝撃の引退宣言」に全部持って行かれた感がありますが、アレさえなければもっと話題になっていたはずのロバート・クビサの走り。
ジャック・ヴィルヌーブを追い出して獲得したレギュラーの座。それも走りを見れば一目瞭然。レーサーとしての勢いの差は歴然。しかも弱冠21才という若さですでに実力十分。久々の期待度200%の大型新人です。
あともう少し顔が××(チョメチョメ)でなければ、女の子たちからもキャーキャー言われたでしょうに…残念。

[雑感]
昨年のワールドシリーズ・バイ・ルノー初代チャンピオン(4勝)。今年からBMWザウバーのサードドライバーに起用され、金曜日に見せるタダ者でない走りが情報通の間で密かに噂になっていたロバート・クビサ。
デビュー3戦目の3位表彰台という結果で、実力が噂以上であることを証明して見せたクビサ。その第15戦イタリアGPでの走りをプレイバックします。

◆見所 その1
絶妙なスタートを切ったクビサは、出遅れたバトンを抜き、けん制するフェラーリのマッサに対してピットアウトレーンの外まではみ出しながら反撃。第1シケインの飛び込みでまるまる1車身先行、ブレーキング競争で白煙を上げつつイン側をキープして競り勝ちます。その直後、シケイン通過中に同僚ハイドフェルドと並び、立ち上がり加速で一気に抜き去り、6位から3位へジャンプアップします。
トレビアン!目に焼き付くような鮮烈なオーバーテイク。
このモンツァの第1シケインは、レースアクシンデントが多い事で有名なのですクビサのライン取りは実にクリーンで、文句のつけようのないまさにお手本と言えるパッシングシーンでした。

◆見所 その2
1周目からクビサを執拗に追い上げるマッサ。しかし、クビサは地力で劣るF1.06を巧みに操り、マッサにまったく付け入るスキを与えません。ついにシビレを切らしたマッサがピットインしてしまう19周もの間、新人とは思えない落ち着いた走りで「トルコGP優勝者」を抑えきります。

◆見所 その3
ミハエル、ライコネンが次々とピットインし、クビサは5周だけ暫定トップを走ります。その21周目に彼は「1' 23'' 111」の自己ベストを出します。このタイムを上回ったのはミハエル、ライコネン、マッサの3人のみ。リタイアしたアロンソのベストより1/100秒上回っていました。

◆見所 その4
予選中のペナルティを受け10位スタートだったアロンソはじわじわと順位を上げ、終盤39周目には、ついにクビカの背後まで迫ってきます。毎周0.5秒ずつ差を縮められたクビサは背中にアロンソを貼り付けたまま同時ピットイン。そして同時ピットアウト。ピットレーンでアロンソと横並びになったままコース復帰します。しかし、ここで一瞬出遅れたためにアロンソの先行を許し、アウトラップで2.189秒差をつけられ置いていかれます。

◆見所 その5
その3周前にすでに2回目のピットインを済ませていたマッサが「1' 23'' 003」の自己ベストを更新しながらクビサの背後へ再度迫ってきます。マッサVSクビサのリターンマッチ再開!と思われた矢先、クビカの前を行くアロンソがメインストレートエンドでいきなりエンジンブロウ。派手にオイルと煙を吐き出しながらリタイアします。

◆明暗
ここでクビサとマッサに決定的瞬間が訪れます。クビサは、アロンソの真後ろにいたにも関わらず、落ち着いてマシンを半分イン側に避けて走らせ、オイルの被害から身を守ります。ところが、マッサはまともに煙の中へ突っ込み、パニックブレーキでタイヤをロックさせ、右フロントタイヤに激しい偏摩耗(フラット・スポット)を作ってしまいます。やむなくピットインして順位を落としたマッサは、そのままポイント圏外でチェッカー。一方のクビサは、敵のいなくなったコースを危なげなく走り見事3位をゲットします。

◆「デビュー3戦目で表彰台」の価値
かなり凄いと思います。過去のデータでもマイク・ホーソン(3位)やブルース・マクラーレン(3位)、W. フォン・トリップス(3位)、ラルフ・シューマッハ(3位)と肩を並べる記録で、あのジム・クラークでさえ5戦目(3位)、セナは6戦目(伝説の1984年/雨のモンテカルロ 2位)、マンセルが7戦目(3位)、ミハエル・シューマッハは8戦目(3位)ですから、クビサの将来性はなかなか有望ではないでしょうか。

◆フランスGPで魅せた走り
私がクビサに注目したのは、フランスGPでのフリー走行2回目のタイムでした。

ロバート・クビサ 1' 16'' 902(金曜フリー走行2回目)

この頃はまだクビサはサードドライバーなのでジャックやニック・ハイドフェルドの露払い的役割でした。しかし、金曜日のフリー走行で出すタイムで常にクビサは注目を集め、その評価がチーム内外でぐんぐん上昇して行きます。それがレギュラー2人へ多大なプレッシャーを与え続けていました。それがピークに達したのがフランスGPでした。

ニック・ハイドフェルド 1' 16'' 686(予選1回目)1' 16'' 294(予選2回目)
ジャック・ヴィルヌーブ 1' 17'' 304(予選1回目)

コースにラバーが十分乗っていない状態でクビサの出したタイムは、本予選でも14番グリッドにつける位置。レッドブルのクリエンの後ろ、ホンダのバリチェロの前となり、16位のジャック・ヴィルヌーブよりも前でした。

◆ドイツGPの波乱
続くドイツGPでも、クビサは金曜日トップの好タイムを記録。
それがジャックの焦りを招いたのでしょうか…。ホッケンハイムの決勝スタート直後、ジャックは同僚ハイドフェルドと接触。この時のダメージが結果的に両者リタイアというサイアクな結果を招いてしまいます。BMWの地元ドイツで犯した「あってはならない失態」。やがてBMWザウバー首脳陣はある決断を迫られます。
「ジャック・ヴィルヌーブ放出」その口実を与えてしまったのは、誰でもないジャック自身でした。

◆デビュー戦
「ジャック・ヴィルヌーブ欠場の代理」という名目でF1デビューを果たしたクビサ。いきなり予選で先輩ハイドフェルドより速いタイムを叩き出し、予選1回目でマッサ、ライコネン、バトンに続く4番手タイム。昼の予選2回目では、さすがに順位を落としますが、それでもハイドフェルドより1つ前の9番グリッドを獲得しました。順調のデビュー戦と思われましたが…。

◆不運
雨で荒れた決勝レースは、ハイドフェルドが3位表彰台を獲得したのに対して、クビサは雨に弱いミシュランタイヤに足をすくわれつつポイント圏内を走行。しかし、タイヤ交換をキャンセルして乾いた路面を走り続けた事が災いし、すり減り過ぎたタイヤ分だけレース後車検で最低重量を2kg下回ってしまい、失格裁定を受けてしまいます。せっかく獲得した2ポイントが剥奪され、何より貴重なデビュー戦初入賞記録まで抹消されるという不運に見舞われます。

◆危うしハイドフェルド
ハンガリーGPで表彰台を獲得し、一安心と思っていたハイドフェルドですが、これでまたNo.1の地位が危うくなりました。しかも、現在サードドライバーを勤めるのは、同じドイツ出身のセバスチャン・ベッテル。これがまたクビカに勝るとも劣らぬ速さを見せつける驚異の新人でBMWのお気に入りです。ハイドフェルドの眠れない夜はまだまだ続きそうです。ただし、ベッテルにはレッドブルがすでに目をつけているという話もあり、来季の去就もまた微妙なのですが…

◆最後にスーパーアグリのお話
さて、前回のトルコGPからスーパーアグリのサードドライバーにフランク・モンタニーが復帰しました。
山本左近は、日本GPまでにせめて完走という「最低限の結果」を出さないと、ホンダのサードドライバー、アンソニー・デビッドソンとの交代が噂される来季どころか、最終戦ブラジルを待たずにモンタニーと交代という事態もありうる、まさに崖っぷち状態です。
ドライバーの腕だけでマシンは、見違えるほど速くなるという良い見本をクビサに見せられた亜久里代表がいつ決断を下すか、それが問題…。

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登録日:2006年 09月 28日 15:10:35

「ミハエルは『天使』じゃない」で引用文

<F1・第15戦 イタリアGP>M・シューマッハ 今季6勝目を飾りアロンソとの差を2ポイントまで詰める - イタリア

【モンツァ/イタリア 10日 AFP】F1・第15戦・イタリアGP(Italian Grand Prix)、決勝。2番グリッドからスタートしたフェラーリ(Ferrari)のミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)は、2位に8秒差以上つけての優勝、今季6勝目を飾りドライバーズポイント・ランキングでトップを走るルノー(Renault)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)との差を2ポイントまで詰めた。(c)AFP/PATRICK HERTZOG

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わたしは知る
わたしをあがなう者は生きておられる
後の日に彼は必ず地の上に立たれる

わたしの皮がこのように滅ぼされたのち
わたしは肉を離れて神を見るであろう

しかもわたしの味方として見るであろう
わたしの見る者はこれ以外のものではない
わたしの心はこれを望んでこがれる

(日本聖書協会『口語訳 旧約聖書』ヨブ記 第19章/25節ー27節より)

[解説]
「不幸になれば人は神さえも呪う」
悪魔サタンの言葉を聞いた神様によって、謂われのない試練を受けるヨブ。
子供を失い、家財を失い、病を患い、不幸のどん底に叩き落とされ、
友人たちから「お前の信仰心が足りないせい」と責められる日々。
それでも神へ信仰を捨てないヨブが決意表明する場面が上記の部分。
たとえ理不尽で報われる事がなくても試練に耐えるのは
「たとえこの身が滅びても、いつか必ず自分を認めてくれる存在がいるはず」という確信のみ。

かつてのセナも、そしてミハエルも同じように幾多の試練や
謂われのない(?)誹謗中傷に耐えなければならない場面で、
同じような言葉を心の中で呟いていたのかもしれません。

しかし、時に神に見えたり、悪魔に見えたりしても
セナやミハエルの事を信じ続けた彼らの熱烈なファンたちの方が
よほど、ヨブの気持ちに近いのでは?…と思います。

[雑感]
雌雄を決する3連戦前の小休止。中国GPまでまだ1週間以上。
そこで前回、引用したミハエルのドキュメント本「シューマッハ」(ザビーネ・ケーム編著/東本貢司訳/PHP研究所発行)の内容を一部紹介しながらつれづれ思った事などを。

◆ミハエルの証言(抜粋)
ーー自分がやったことに気づくのにかなりの時間がかかった。
たぶん、それを認めたくなかったんだね

ーー折りに触れてドライバーたちは王様気取りで強引に追い抜こうとしたが、
それは公式には禁じられていた。でも誰も気にしなかった。やってよかったんだ

ーーファンジオが当時のフォーミュラワンで達成したことは
別格なんだから、比較にならない。
きょう日は何もかもが違うんだ。安全面ひとつ取ってもね。
今の変化がどんなに速いか考えてみたことないんだろ?

ーーぼくはさらなる成功に飢えている。できるだけ多くいいレースをしたい。
ただただ、ドライビングからぼくが得られるよろこびのために

ーーぼくはベッドルームに偉大なドライバーのポスターを飾ったことがない。
アイドルを崇めるタイプの子供じゃなかったんだ

ーーいつも思ってたよ。次のステップが巡ってきたら
それでよし、いいぞ、チャンスをものにするんだ、って。
同時にぼくの姿勢はどこまでも現実的だった。
現実に起こりそうにないことを望んだりはしなかった

ーー何かに興味を覚えたら、ぼくはそれにわき目もふらず関心を寄せて、
他をすべて押しのけてでも全力を傾ける。(中略)
何かにとらわれていると、完全に自分を遮断してしまう

この本には他にも彼や関係者たちの様々な証言が収録されていますが、どれも脚色のない本音に近い言葉のように思えます。虚栄や自尊心などからヘンに自分を飾ろうとしない、できるだけ等身大の自分を知ってほしいというミハエル側の意図がよく分かる内容です。

◆2002年 鈴鹿でのエピソード
歴史的な圧勝でシーズンを終えたフェラーリ陣営。夜どおし行われるパーティーへ向けて、最後の梱包作業に追われていたスタッフの一人がフォークリフトに足を踏まれて怪我をします。そこへたまたま顔を出したミハエルは、オロオロするスタッフたちへ素早くテキパキ指示を与えて、その場で考え得る最良の準備を整えて救急車へ怪我人を任せるまでのエピソードが紹介されています。
ミハエルがフェラーリをいかに成功へ導いたかの方法を知る「手がかり」として、また彼がいかにスタッフを大事に思い、親身に接したかを知る好例としても読めます。

◆ミハエルの「普通」
レーサーとして常に完璧さを求める事は、ミハエルにとってごく自然で当たり前な事。それを象徴する言葉をひとつ紹介しましょう。

「ラジエーターのダクトがテープで巻かれるとき、空気の泡がひとつあるのが目に止まったとしたら、ぼくは自分の親指でそれをならさなければいけない。それは、大衆が思い浮かべるところのマシンとの接触という意味とはまったく違って、ぼくに関する限り、これは単に技術的なポイントであり、ものごとに対する極めて普通の興味からきているだけさ」

かつてアイルトン・セナもよく現場でマシンに手が加えられるのをじっと見ていました。彼はそうする事でチームスタッフの、特にホンダのスタッフたちの心を掴んでいきました。ミハエルも同様にそうやってチームの意識をどんどんプロフェッショナルに相応しいものへ変革させました。「昔は、マシンは建築中といったところだったけど、最近はすべてがよりスムーズに機能している」というミハエルの言葉にも、成し遂げてきた事への自負心と満足感が垣間見えます。

◆ジャン・トッドのミハエル評
「彼はドライビングへの愛情に心を奪われている。レースをするために生き、コックピットの中の彼は自己を超越しているんだ。トラックは彼のドラッグであり、彼は決して満たされることはない。」

「Track」と「Drug」の語呂合わせを織り混ぜて、ミハエルをレース中毒者と語るトッド監督。それは批難ではなく、コース上で発揮されるミハエルの底知れない潜在能力や成功してもなお衰えない勝利への欲求などに対する手放しの讃辞です。

◆「シューマッハ」の読み応え
あえてここで紹介はしませんが、妻コリーナから見た夫であり、偉大なレーサーであるミハエルの実像を伝える章が一番好きです。いかに彼が家庭人として家族を大切に思っているかが分かる普段の生活風景が実にさりげなく微笑ましく描かれています。アメリカの片田舎で休日を過ごしながら掲載用スナップを撮影した時の裏話など、妻を愛するただの男ミハエルの実像もリアルに伝わってきます。
訳者もあとがきで「アンチ・シューミー」から「熱烈なシューミーファン」に転向したと述べられていますが、お世辞抜きで、さもありなんと思える内容です。この「仕事ぶり」が評価されジャーナリズム賞を受けたのみならず、著者自身がミハエルのメディアコンサルタントを勤めるようになったというのも頷けます。

◆想像できない状況
F1レーサーという人種は、平凡な人間とはまったく別の次元を生きている…などとお決まりの言葉で何となく分かった気になっています。でも、その実情は私たちの想像など足元にもおよばない、スピードと情報量の中で、瞬時に「判断と決断と行動」を同時に求められる、世界一過酷な職場です。しかも命すら落としかねません。そんな正気さえ保つ事の難しいギリギリの環境でつねに「勝利」を求められ続けるミハエル。彼が晒されているプレッシャーの巨大さなんて、常人には一生経験できず、できたとしても到底耐えられないでしょう。

◆想像できる事態
それでもミハエルも人間ですから一瞬の判断ミスはありえます。
一連の「決して褒められない過去」も、意識的というより、限りなく無意識に近い部分で、反射的に「それ」がもっとも合理的で確実な「勝利の近道」だと心と身体が(理性や倫理観の判断より)速く反応してしまった「誤作動」のようなものと考えられないでしょうか。
招いてしまった結果への罪は負うべきです。しかし、それが誰の目から見ても意図的な「悪意ある行動」に見えたからと言って、それを招いたのは「悪意」だと単純に言い切れるでしょうか?
あらゆる角度から考えてリスクが大きすぎる行為、それはミハエルの理想とするレース哲学に最もそぐわない、排除すべき要素だと思うのですが…。

◆読後感
この「シューマッハ」を読むと、なんとなくミハエルをそんな風に理解してあげたくなりました。まさに出版サイドの思うツボ。でも、ファンだけでなく、なるべくアンチ・シューミー派にも、この本は読んでほしいなと思いました。

あと、今更ですが、抜粋部分は本文内容とまったく違う印象を与ているおそれがあります。興味を持たれた方は是非、本書をきちんと読まれる事をオススメします。

カテゴリー[ F1・ミハエル・シューマッハ ], コメント[0], トラックバック[171]
登録日:2006年 09月 21日 17:34:26

「ミハエル、モンツァ・ラストランも圧勝」で一句

<F1・第15戦 イタリアGP>M・シューマッハ 今季6勝目を飾りアロンソとの差を2ポイントまで詰める - イタリア

【モンツァ/イタリア 10日 AFP】F1・第15戦・イタリアGP(Italian Grand Prix)、決勝。2番グリッドからスタートしたフェラーリ(Ferrari)のミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)は、2位に8秒差以上つけての優勝、今季6勝目を飾りドライバーズポイント・ランキングでトップを走るルノー(Renault)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)との差を2ポイントまで詰めた。(c)AFP/PATRICK HERTZOG

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ティフォシ沸く モンツァの玉座 夢の日々

[解説]
フェラーリ帝国の王城、モンツァ。
必勝の誓いを胸に秘め、威風堂々、
ティフォシたちの期待に応えてみせたミハエル・シューマッハ。

最終周、皇帝の駆る紅いマシンの切り裂く風が、
パラボリカを抜け、ホームストレートを吹き抜けた時、
グランドスタンドの紅き民たちは見ただろうか。
蜃気楼に揺れながら消えた、最後の凱旋の紙吹雪のきらめきを

ポディウムでいつもより名残惜しげな王の謁見が終わった後、
詰めかけた紅き民たちは気づいただろうか。
ドイツから来た専制君主による平和な統治時代が今日、終わった事を。

そして、皇帝退位の知らせを耳にした紅き民たちは嘆き悲しんだろうか。
夢のような日々が、もう思いして語るしかなくなった現実を。

[雑感]
ライコネンの勢いも、アロンソの粘りも何のその。
やはり、モンツァはミハエルが強かった。
フェラーリ在籍中のミハエルがこだわり続けた(と私が勝手に決めつけている)「モンツァ」での勝利。
その目的は…ティフォシたちの人気を維持するためのパフォーマンス?
フィアット上層部に対する発言権を確保するための示威行為?
フェラーリのNo.1たる自分へ自ら課した責務?…
いろいろ事情はあると思いますが、ミハエルがモンツァで勝利するたびに「やるべき時にやるべき仕事をやり、きっちり結果を出す」彼らしい律儀さと真面目さを特に感じます。

◆サーキット対抗ミハエル勝率ランキングTOP10
第1位/0.714(5勝/7戦)インディアナポリス(アメリカGP)
(※絶対去年のインディをレースと認めないとしても勝率0.667でやっぱり1位)
第2位/0.571(8勝/14戦)マニ・クール(フランスGP)
第3位/0.467(7勝/15戦)イモラ(サン・マリノGP)
第3位/0.467(7勝/15戦)モントリオール(カナダGP)
第5位/0.462(6勝/13戦)スパ・フランコルシャン(ベルギーGP)
第6位/0.454(5勝/11戦)ニュルブルクリンク(ヨーロッパGP)
第7位/0.375(6勝/16戦)鈴鹿(日本GP)
第7位/0.375(6勝/16戦)カタロニア(スペインGP)
第9位/0.364(4勝/11戦)メルボルン(オーストラリアGP)
第10位/0.3575勝/14戦)モンツァ(イタリアGP)
・・・・・・・・・
第11位/0.333(5/15戦)モンテカルロ(モナコGP)
(怪我による欠場、制裁による出場停止したレースは含みません)
コレが、全90勝中の64勝の内訳です。
その堂々たる戦績。今更のようにビックリします。

◆モンスターたちの記録
ここでプロストやセナが得意としたサーキットでの勝率と比べてみましょう。

アラン・プロスト(生涯優勝回数51回/歴代2位)
5勝/9戦(勝率0.556)シルバーストーン
5勝/9戦(勝率0.556)リオ・デ・ジャネイロ
4勝/9戦(勝率0.444)ポールリカール
4勝/13戦(勝率0.308)モンテカルロ

アイルトン・セナ(生涯優勝回数41回/歴代3位)
6勝/10戦(勝率0.600)モンテカルロ
3勝/5戦(勝率0.600)デトロイト
5勝/10戦(勝率0.500)スパ・フランコルシャン

どれも素晴らしい記録です。こうして見るとミハエルは、「モナコマイスター」としてのセナの記録に数でも勝率でも上回れませんでしたし、勝つ事が難しいシルバーストーンを5勝(ミハエルは3勝)したプロストにも敵いませんでした。
しかし、どんなに優れたドライバーでも同じサーキットでマルチ優勝をするのは至難の技。それを10箇所ものサーキットで軒並み5勝以上しているミハエル。
この圧倒的な数字の前には語るべき言葉を失います。

◆モンツァの勝率
さて、モンツァでのミハエルの勝率は0.357で10番目です。
あまり高い数字ではない(あくまでもミハエル基準で。一般的に見れば十分高い)ですね。しかし、フェラーリ時代だけに注目してみるとどうでしょう?
これがいきなり5勝/10戦となり勝率が5割まで跳ね上がります。
つまり、ベネトン時代に1勝もできなかった場所で2回に1回勝てるようになったワケで、何が何でも勝ちたいミハエルの気力が「魔物が住む」と言われるモンツァの森まで味方につけたのでしょうか。
それと好対照なのが、モナコGPのモンテカルロ。あのセナの記録は何としても破りたかったはずですが、フェラーリ時代は3勝/11戦(0.272)と逆に勝率を落としています。

◆歴史あるモンツァ
グランプリの起源はフランス。近代F1の歴史はシルバーストーンから。
しかし、F1が始まって57年間、1年も欠かさずレースが行われてきたサーキットはモンツァだけです。つまり、モンツァの歴史はF1の歴史と言えます。
しかも、フェラーリドライバーとしてモンツァ覇者に名を連ねる事は、あのアルベルト・アスカリやフィル・ヒル、ジョン・サーティースなどと肩を並べ、末代まで伝説として語られる名誉に浴する事でもあります。セナはもとより、プロストもアレジもついにその恩賜を受ける事はありませんでした。ミハエル以前にそれを成し遂げられたのはゲルハルト・ベルガーだけでした。

◆1988年 9月11日 モンツァの奇跡
セナとプロストの黄金タッグが無敵のホンダターボを搭載した名車MP4/4で全レースを制覇しつつあった年の夏。8月14日、フェラーリの総帥エンツォ・フェラーリは、その栄光と波乱に満ちた人生を静かに終えました。
その1ヶ月後に開催されたイタリアGP。一部熱狂的ティフォシからは亡きエンツォの弔い合戦を望む声も上がっていましたが、当事者であるベルガーを含め誰もそれが現実になるとは思っていませんでした。
34周目にプロストがリタイアしても、トップを快走するセナはもう誰にも止められない…そう思われた残り2周前、その奇跡は起こりました。
プロストとレース中盤まで競ったタイムトライアルでかなりシビアになっていた燃費。終盤になりペースを上げ、ぐんぐん差を縮めてきた2位ベルガー。その状況に焦ったセナは、自ら墓穴を掘ってしまいます。
前を行く周回遅れのウィリアムズのマシンを第1シケインで強引に抜こうとした時、セナのリアタイヤがウィリアムズのフロントタイヤにヒットし、弾かれたようにスピンします。縁石の上にひっかかる形でエンジンストール。万事休す、泣く泣くリタイアとなってしまいます。消えたマクラーレンホンダの全勝優勝。
突然の出来事に目を疑うティフォシたち。そして、夢が現実となった事を知るや喜びを通り越して狂乱の渦に沸き立つグランドスタンド。
それは79年のジョディ・シェクター&ジル・ヴィルヌーブ以来、見る事のかなわなかった跳ね馬のエンブレムを飾る赤いマシンによるワンツー・フィニッシュ。
誰もが天に召された「コメンダトーレ」からの贈り物と信じて疑いませんでした。
それから8年。ティフォシたちは夢のような2ラップ伝説を何度も何度も回想して長い「冬」を過ごします。

◆1996年 9月8日 皇帝ミケーレの戴冠
前戦ベルギーGP優勝で一気にティフォシたちの期待が高まった第14戦イタリアGP。
予選で好調だったデイモン・ヒルが序盤早々に消え、観衆の注目は、期待通りミハエルと彼と入れ替わりにベネトンへと移籍した元フェラーリのアイドル、ジャン・アレジの一騎打ちに集まります。
燃料を多めに搭載したミハエルは、いかなる事態にも対応できるよう万全の体制でアレジの背後につけ、虎視眈々とチャンスを伺います。やがて、31周目。アレジがピットインするやファーステストラップを更新し続け、3周後、アレジとの間に30秒近いマージンを稼いでピットイン。首位を明け渡す事なくコース復帰。あとはただひたすらチェッカーまで走り続けるだけでした。
ティフォシたちの熱狂を煽るようなファンタジーもピンチも起きぬまま優勝。メインスタンド前を埋め尽くす勝利を待ちわびたティフォシを慰撫するようにイタリア国歌が高らかに鳴り響きました。
ミハエルは移籍時の公約「年間3勝」を地元モツァで見事に達成し、これ以上何を望むかと睥睨するようにポディウムの頂点に立って見せました。
そんな彼をティフォシたちは熱狂的な歓声で讃えます。絶対君主「皇帝ミケーレ」の施政方針を受け入れ、終世の従属を誓うかのように…。

◆その3ヶ月前 悪夢の日々
しかし、そのたった3ヶ月前。フェラーリを取り巻く環境は最悪でした。
ミハエル移籍後7戦目のスペインGP。雨のカタロニアを圧倒的な走りで制し、1勝を上げたミハエル。
しかし、その後はリタイアの連続で成績は伸び悩み、ジャック・ヴィルヌーブとデイモン・ヒルによるウィリアムズ独走を許してしまいます。チャンピオン争いに早くもイエローランプが点滅し始めたフェラーリ。
イタリア国内でも不満が噴出。矢面に立たされたルカ・ディ・モンテゼモーロ社長は、全責任をF310を設計したジョン・バーナードへ向けようと、彼のコストパフォーマンスの悪さを公然と批難します。
しかし、世論はそれで満足せず、監督のジャン・トッドやミハエルへも批難の矛先は向けられます。一方のミハエルもフランスGPではフォーメーションラップ中に突然のエンジンブロウ。0周リタイアという惨憺たる結果に危機意識の薄いチーム体質への不信感を一層強めます。
そんな最悪の状態で迎えた第13戦ベルギーGP。幸いにもウィリアムズの拙い戦術ミスに助けられる形で貴重な勝ち星を拾います。そして、続くイタリアGP。
ミハエルは、何が何でも負けるワケにはいかなかったのです。

◆まだまだ続く幻滅
そんなこんなで何とかフェラーリ1年目の危機を何とか乗り切ったかに見えたミハエル。しかし、翌1997年シーズンは、彼にもっと過酷な試練を用意していました。
へレスで行われた最終戦スペインGP。事実上のチャンピオン決定戦でミハエルはあろう事か、公衆の面前で競争相手のジャック・ヴィルヌーブを押し出そうとハンドルを切ってしまいます。これによって元チャンピオンは、自ら看板にドロを塗ったばかりでなく「インチキ・シューミー」の仇名を決定的なものとしてしまいます。
1998年には宿敵ミカ・ハッキネンと名車MP4/13の前に敗れ、1999年には右足骨折による途中欠場でシーズンをまるまる棒に振ってしまいます。
いつしかフェラーリ新車発表会で毎年繰り返されるモンテゼモーロ社長の「今年こそチャンピオン」という宣言が会場に空しくこだまする度、押し殺した溜息と意味深な目配せが交わされるようになっていました。

◆スパの屈辱
そして、不退転の決意を胸に挑んだ2000年シーズン。
序盤こそミハエルの3連勝で好調を匂わせましたが、夏のヨーロッパラウンドに入るやフェラーリはまたも失速してしまいます。
フランス、オーストリア、地元ドイツと3連続リタイア。ハンガリーでも2位。
そして続くベルギーGP。大好きなスパ=フランコルシャンで巻き返しを図りましたが、思いがけない敗退。あの宿敵ハッキネンに、自分が得意とするケメルストレートエンドで周回遅れと一緒にオーバーテイク。意地もプライドも完膚無きまでに叩きのめされ屈辱の表彰台2段目。

◆モンツァの涙
「また、勝てないのか?チャンピオンになれないのか?」そんなプレッシャーの中、フェラーリの地元モンツァ。そこで得た値千金の1位10ポイント。
しかも、それはアイルトン・セナの記録に並ぶ41勝目でした。
優勝会見の席上でその感想を求められた瞬間、ミハエルの心の中で必死に支えていた何かが弾け飛んだのでしょう。いきなり、人目もはばからず「あの」ミハエルが激しく泣き出してしまいます。
その場にいた誰もが我が目を疑い、戸惑いました。「アイス・クール」「精密機械」「シューミネーター」と一部皮肉っぽく呼ばれてきた彼が衆人環視の中で人間らしい一面をさらけ出したからです。
「表彰台での大騒ぎ、尊敬するアイルトンへの思い、1994年の彼の死、それらがいっぺんにどっとやってきた。係員の負傷もあった。まだ彼が亡くなったことを知らされていなかった。そして何よりも、その同じ午後にぼくの旧友のひとりが心臓発作で倒れたんだ。こみ上げてくるものが奇妙に入り混じっていた。それがあんな形で出てしまったんだ」
(「シューマッハ」ザビーネ・ケーム:著/東本貢司:訳/PHP出版)
くちさがない人々は「ただの臭い芝居」と認めようとしませんが、その真意はともかくミハエルの中で明らかに何かが変わった事を示す興味深いエピソードです。
その後、アメリカ、日本と連勝してミハエルは、あのアラン・プロストさえ成し得なかった「フェラーリでのワールド・チャンピオン」を獲得します。

◆シャンパンとバラ色の日々
それからの5年間。フェラーリとティフォシたちには、シャンパンシャワーの金色の飛沫とバラ色に縁取られた夢のような日々を謳歌します。
かつてミハエルが「昔のゴーカート仲間みたいだ」と皮肉を言った、テストの集合時間にもミハエルより遅れて平気だったスタッフは一人もいなくなり、全員が勝利という目的に一丸となる体制が出来上がりました。
それはすべてジャン・トッド監督とミハエルの献身的な努力による賜物です。
はたして、ミハエル達が築いた勝利へ導く「規律と伝統」を来年のライコネンとマッサは守る事ができるでしょうか?一番興味を引く部分です。

◆モンツァの呪文
「ミハエル、引退!」のニュースを聞いた時、あなたは
「最後の年、ミハエルにチャンピオンになって欲しい」と考えませんでしたか?

世の中とは不思議なもので、大衆が思った方へ思った方へと事物もまた流れていくものです。みんなが気持ちいいと思う方向へ行きたがる…まるで、8時45分過ぎに水戸黄門の印籠が出るように。ロープに飛ばされたレスラーが自ら敵の待ちかまえる方向へ走って行くように。水が高いところから低いところへ流れるように。
そうなる事が望ましい、そうあれば喜ばしい、誰もが望む結末へ自然と向かって突き進んでいくものです。
この引退宣言もまた、そんな「みんなが望む結末」としてミハエルが最後に仕掛けたアラン・プロスト直伝の心理作戦なのかもしれません。
今やアロンソに求められるのは、恐ろしい自己暗示と集団無意識が働く「大団円アリ地獄」からはい出すためのより一層強力な集中力と冷静な判断力です。
アロンソがそれをあきらめた瞬間、ミハエルは「天上天下唯我独尊」8度目の栄冠を手にまさに「神(仏?)の領域」の彼方へと去っていくのです。

◆最後にもう一度、勝率比べ
残りあと3戦。
ちなみにフェラーリでのミハエルの勝率は
0勝3戦(0.000)上海
5勝10戦(0.500)鈴鹿
2勝10戦(0.200)インテルラゴス

一方、ルノーでのアロンソの勝率は
1勝3戦(0.333)上海
0勝3戦(0.000)鈴鹿
0勝3戦(0.000)インテルラゴス



orz………………アロンソ、頑張れ。

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登録日:2006年 09月 15日 19:31:25

「ミハエル、ついに引退?」で一句

<F1・第15戦 イタリアGP>フリー走行2回目、M・シューマッハ 2番手タイムをマークする - イタリア

【モンツァ/イタリア 8日 AFP】F1・第15戦・イタリアGP(Italian Grand Prix)、フリー走行2回目。フェラーリ(Ferrari)のミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)は11周を走行し、2番手となるタイム1分23秒138をマークした。(c)AFP/GIUSEPPE CACACE

AFPBB News


フィナーレに モンツァ染まるは 紅き陽か

[解説]
いよいよ、発表されるミハエルの去就。
明日の決勝。チェッカーが振られた瞬間、ミハエルの最後のウィニングランを見送る泣きはらしたティフォシたちの真っ赤な顔のせいで、いつもよりモンツァのスタンドが紅く染まらぬ事を祈って…。

[雑感]
フェラーリ総本山のモンツァ・サーキットまで発表を引き延ばした事。フェラーリへのライコネン移籍決定。ロス・ブラウンの休養宣言などから「ほぼ間違いなし」とまで言われる「ミハエル引退」。ここに至って、アロンソやGPDAで敵対関係にあった連中からまでミハエルの留意を望む声が上がっています。はたしてミハエルが本当に、皆から惜しまれながら、美しい引き際を見せてしまうのでしょうか?
そんな彼の姿に1993年に引退したアラン・プロストの姿が重なります。

◆1993年のアラン・プロスト
アラン・プロストは、フェラーリ在籍2年目、デキの悪いマシンのせいで貶められたプライドといわれのない誹謗中傷から身を守るため、1年間の休養期間を置きます。そして、レーサーとしての実力がいまだ健在である事を世間に、何より自分自身に証明するためにチャンピオンチーム、ウィリアムズでF1復帰を果たします。

◆浦島太郎の戸惑い
ところがたった1年のブランクがとんでもない落とし穴を用意していました。F1の開発スピードの速さは、アランの予想をはるかに上回っていたのです。F1中継のコメンタリーボックスで見て分かっていたつもりのアクティブサスペンション、ABS、トラクションコントロールなどのハイテク装備のマシンをいざ自分の手で走らせるとなると、自分の長年培ってきた常識や経験がまるで役に立たない事を思い知らされたのです。

◆トラクションコントロール
特にレースの主導権を握るか否かを分ける最終兵器がトラクションコントロールでした。現代では、常識となった装備ですが、当時はまだ技術革新の黎明期。その最先端を行くのがウィリアムズが載せるルノーエンジンでした。しかし、アランはこのトラクションコントロールの扱いに手こずります。スタートで目一杯ふかしたところでクラッチをつなぐという稚拙な「新しい常識」がアランにはまったく理解できなかったのです。そのためにシーズン序盤、アランはことごとくスタートを失敗してしまいます。

◆潮時を知ったアラン
当時のインタビューにアランはこう答えています。「僕は運転するのが好きで、さらにマシンに改良を加えるのに生き甲斐を感じる方。(中略)僕のモチベーションはクルマが好きな事なんだ。だからクルマを嫌いになったらカンタンに引退できるんだ」と。
しかし、自分の手に余りがちな最速マシンを若き同僚デイモン・ヒルは適当に操り、自分と肩を並べるようなタイムを上げていました。アランは、すでに自分たちの時代が終わりに近づいている事を感じとったのです。

◆アランが認めたミハエル
そんなアラン・プロストが当時のF1ドライバーの中で実力と将来を認めた若手レーサー。それがミハエル・シューマッハでした。当時のミハエルはデビュー3年目。まだまだ荒削りで接触リタイヤもよく起こしていました。それでも初優勝を遂げ、貫禄をつけ始めた走りには誰もが注目していました。けれど、アランが注目していたのはもっと別の点でした。
周囲の騒音にまったく動じない事。純粋にドライビングを楽しんでいる事。2位や3位でもうれしそうにしている事。自分の成功をチームと共に喜び合う姿勢が見ていて気持ちがいいと褒めています。在る意味、アイルトン・セナへの当てつけと言えなくもないのですが…。

◆ミハエルのアラン評
そのミハエルもまたアラン・プロストに対しては、敬意を払っていました。アランの隠し事をしないオープンでフレンドリーな態度が好きだと。また、コース上でのアランをいつも余力をたくさん残して走っている姿が「ミステリアス」だとも言っています。

◆ミハエルのセナ評
ところが一転、アイルトン・セナに関しては、「すでにセナを抜く事を難しいとは思わない」などと敵意むき出しな言葉が返ってきます。しかも自分のマシンに不具合があるのに後続に対して意地の悪いブロックを続けるセナの態度を「とてもワールドチャンピオンを獲得した人間のする行動とは思えない」「彼は自分がものすごく成功した人間だから、周りとは別のルールを持っていると勘違いしている」とまで批難しています。…現在の彼が批難されている言葉と寸分違わないところが実に面白いですね。

◆受け継いだもの
セナとプロスト。ミハエルが良きにつけ悪しきにつけ、レース人生の手本として見習ってきたのは、この2人のレーススタイルです。トップレーサーとして走るために必要な長所も短所も彼が受け継ぎました。セナとプロストが編み出した人心掌握術をより洗練させた、チームを自分のために集中させるノウハウ。コース上で常に敵よりも優位にレースを進めるための駆け引きは、セナの優れた部分を昇華させたもの。観衆の好感を得るためのポディウム上でのパフォーマンスは、セナの行動を反面教師としたもの。いかにドライバーたちのボス的立ち位置に居続けるかの優等生的ふるまいはプロストの行動をより先鋭化させたものではないかと思っています。ただ、時にコース上でやらかす独善的行動は、セナの悪い部分そのままを受け継いでいるようです。

◆16年間で築いたもの
ミハエルは1991年のデビューから常に上を目指し、昇り続けてきたレーサーでした。エンジンもチーム体制も貧弱だったベネトンを常勝チームへと変え、勝つ事を忘れた名ばかりの名門フェラーリにかつての栄光とプライドを取り戻させたミハエル。その功績は、それまでのコースを速く走ればいいだけだったレーサーの価値観を180度転換させるものでした。それは、チャンピオン獲得7回。優勝回数89回。ポールポジション獲得68回。ファーステストラップ獲得75回。などという記録以上に、彼にしか成し得ない偉業なのかもしれません。

◆残したもの、残していないもの
ミハエルが残した偉大な記録の数々は、恐らくこれから10年以上破るものは現れないはずです。しかし、彼にも、唯一先人を越えられていない部分があります。それは伝説に残る名レースの記憶を残せていない事です。

◆追想
1993年。スパ・フランコルシャン。オー・ルージュを駆け上がるダウンフォースで激しい火花を散らしながら、続くケメル・ストレートで次々と前のクルマをオーバーテイクしていく黄色いベネトン・フォードB193。あの頃のミハエルには、野獣のような激しい闘争本能が満ちあふれ、走りにも危険な陶酔感がありました。今、アロンソやライコネンの背中を追う紅いフェラーリを駆るミハエルには、何が見えているのでしょう。
あと24時間後に、結論が出ます。

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登録日:2006年 09月 10日 02:58:25

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プロフィール
斎藤モ吉
(男)
福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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