2006年 10月

「インテルラゴスで魅せたミハエルの残照」で一句

<F1・第18戦 ブラジルGP>M・シューマッハ 年間総合2位で現役生活に幕 - ブラジル

【サンパウロ/ブラジル 22日 AFP】F1・第18戦(最終戦)・ブラジルGP(Brazilian Grand Prix)決勝。
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(c)AFP/ORLANDO KISSNER

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セナの業 封印し夢 新世代へ

[解説]
最終予選中の思わぬマシントラブルで10位スタート。そして、1コーナーの飛び込み(エス・ド・セナの1つ目)では、まるでマンガ《頭文字D》の「溝走り」のような裏技「壁際&縁石走り」を見せる。ミハエルがガムシャラだった若い頃を彷彿とさせるリスキーな走り。前を行くアロンソをとらえようとなりふりかまわない必死の力走。ところが突然のタイヤバーストで最下位転落…。
それでも最後まで勝利を諦めない意地をセナの聖地で見せたミハエル。
そんな奮闘も空しく結果は表彰台に届かず終いの4位でした。

しかし、優勝したマッサよりチャンピオンを獲得したアロンソより、週末、いや今シーズン中、最も観衆を魅了したのはレース人生最後に露わにして見せたミハエルのむき出しの熱いレーサー魂ではなかったでしょうか。

ミハエルはそのひたむきな走りで、セナ・プロ時代から受け継いできた黒歴史を、自らの引退とともに「封印」し、そして、アロンソ、ライコネン、バトン、マッサら新世代によるF1新時代の幕開けを「宣誓」している様な印象を受けました。
このミハエルからの最後のメッセージを彼ら新世代レーサーたちがしっかり受け止め、新たなエキサイティングな時代を築いてくれる事を望みます。

[雑感]
誰かも言っていたようにブラジル・インテルラゴスがミハエル最後のレースである事に《出来過ぎた》因縁を感じます。何故でしょう?その理由を考えるためにミハエルとインテルラゴス・サーキット(アウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェ)との歴史を振り返ってみます。

◆1992年 セナの走りを公然と批判
PP・マンセルの出遅れにひっかかる3番グリッドのセナ。その横をインサイドから一度は抜き去った5番グリッドのミハエル。しかし、エス・ド・セナ2つ目のインをセナがキープしてミハエルを抜き返します。セナは何度もミハエルにオーバーテイクされては絶妙なライン取りによって挽回しますが、これが過去に例を見ないほどの大渋滞を招きます。

やがて、13周目の最終コーナー。力尽きたようにセナが失速した横をミハエルがパス。それを皮切りに次々と後続車がセナを追い抜いていきます。そして、セナはピットイン・リタイア。しかし、ミハエルとウィリアムズ勢との間に開いたタイム差は決定的で、ミハエルは周回遅れでの3位という屈辱的な結果に甘んじなければなりませんでした。

余程それが腹に据えかねたのか、ミハエルはレース後のインタビューで「3度もチャンピオンを獲得した人間のする行為とは思えない」とセナを激しく批判します。

このレースでのセナの車載映像を見るとこのサーキットの路面の劣悪さがよく分かります。激しいバイブレーションが周回中続き、はっきり言って洗濯板の上を走っているような状態です。見ているだけで車酔いしそうです。逆にマンセルやパトレーゼたちウィリアムズマシンの映像は、そこまで揺れません。アクティブサスとパッシブサスペンションとの違い?(しかし、あまりにもヒドイ。MP4/7Aが熟成不足のためサス・セッティングが極端に固かったせいか、車載カメラの取り付けが緩かった疑いも…)バンプで背中を痛めるという話がナットクできる映像です。

◆1993年 天と運を味方につけたセナ
以前にも、紹介した「雨のセナ伝説」のひとつ。
強敵プロスト&ヒルのウィリアムズ勢にはマシンの差で勝てず、しかもイエローフラッグ無視によるペナルティストップでミハエルの後ろ4位にまで落ちたセナ。
しかし、突然降り出した雨に真っ先に反応し、レインタイヤへ交換。続いてヒルがレインタイヤへ交換しますが、これはプロスト先行を誤ったウィリアムズの苦肉の対応。

その頃、一段と激しさを増した雨のせいで片山右京と鈴木亜久里がホームストレートの真ん中で追突事故。無線の不調でピットイン仕損ねたプロストがその現場を通り過ぎた1コーナー入口。いきなりスピンした前走車クリスチャン・フィッティパルディの煽りを食ってプロストも貰いスピン&リタイアしてしまいます。
セーフティーカー初導入。
すかさずミハエルもレインタイヤに交換しますが、ジャッキトラブルでタイムロス。セナの先行を許してしまいます。

セナはヒルの背後2位へ浮上。セーフティーカーランの間にコースは乾き始め、レース再開数周後にドライタイヤへ交換するセナ。ミハエルも負けじと交換しますが、ピットクルーの対応が緩慢でまたタイムロス。次の周にタイヤ交換したヒルはセナの前でコース復帰。しかし、1周の差は大きく、暖まったタイヤのグリップ力を生かしたセナがヒルをフェヤ・ドラ手前のストレートエンドで難なくパス。その後は、2度と首位を譲る事なくセナは奇跡の逆転勝利を決めます。

必死に追い上げを図ったミハエルでしたが、今度は彼が黄旗無視でペナルティーストップ。順位を9位まで落とします。鬼神の追い上げを見せファーステストラップを連発。ラスト2周目、1コーナー飛び込みで3位のジョニー・ハーバートを捉えパス、なんとか表彰台を奪って見せます。

しかし、ミハエルはその後信じられない光景を目にします。
コース上のセナに向かって熱狂した群衆が押し寄せてきました。危うくその群衆を避け、セナの横を摺り抜けるミハエル。その後方では、みるみるセナと後のマシンが群衆の渦に巻き込まれ身動きできなくなってしまいます。そんな群衆の中心でマシンの上に乗り、高々と両腕を上げて歓喜の声に応えるセナ。やがて、駆けつけたオフィシャルカーに箱乗りしながら凱旋パレードを続けるセナ。周りを数台の護衛車に囲まれ、上空には撮影用のヘリが低空で追走する、まるで国家元首のような扱いでした。
その光景がミハエルにもたらしたものは何だったのでしょうか?

このレースでは、各ドライバーの心拍数が画面表示されていました。特に面白かったのはプロストがリタイア、セーフティーカー導入でセナがヒルの背後まで迫った時、フランク・ウィリアムズの心拍数までが表示されました。
脈拍125。百戦錬磨の闘将もやや緊張気味だったようです。


◆1994年 セナ恐るるに足らず
開幕戦。夢のウィリアムズのシートを手に入れたセナ。ブラジル国民は去年以上の期待を胸にインテルラゴスへ集まって来ました。そこに待ち受けるのは「失望」とも知らず…。

その失望感をいち早く悟っていたのはセナ自身でした。予選1位を獲得するも、それは雨に救われた薄氷のポールポジション。2位につけたミハエルとのアドバンテージはほぼゼロでした。ハイテク装備を剥がされたFW16は、挙動がナーバスな運転しづらだけのマシンだったのです。インタビューに答えるセナの焦燥しきった虚ろな目が、期待を語る言葉とはうらはらな失望の大きさを暗に物語っていました。

レースが始まった途端に、超満員の観衆もまた現実が夢を萎ませていく不安を感じ始めます。
スタートで先行した2位アレジを2周目の最終コーナーで早々とミハエルは仕留め、トップのセナをぐんぐん追い上げます。セナとミハエルとのタイム差は、21周目の最初の給油ストップまで常に1秒以下。ところが、ピットアウトでミハエルがセナを先行した途端、その差はみるみる4秒まで広がっていきます。

2回目の給油ピットストップを済ませた時の2人のタイム差は8秒にまで広がっていました。しかし、終盤セナは気難しいマシンへムチを当て、ミハエル追撃へ死力を振り絞ります。1周ごとに0.5秒ずつ刻む走りでミハエルを猛追。

しかし、そんな55周目。最終コーナー手前の上り坂途中で横を向いたセナのFW16が画面に映し出されます。前年の勇姿からは想像もできない無様な単独スピンでした。
その途端に満員のスタンドからゾロゾロと大観衆がサーキットを後にします。それはまるで葬列を思わせる陰鬱な光景でした。

ミハエルは、その後誰ひとり寄せ付ける事なく1位チェッカー。幸先の良い開幕戦優勝を果たします。レース前に風邪気味であると伝えられたミハエル。しかし、ヘルメットを脱いだ途端に見せたのは会心の笑顔でした。多くのドライバーがタフなコースと答えるインテルラゴスで疲れひとつ見せないミハエルに多くのレースファンが末恐ろしさを感じた瞬間でした。

レース後のインタビューにセナはこう答えています。
「ついてなかったけど、別にこれで地球が破滅するわけじゃない。チャンピオンシップはまだ始まったばかりだからね」…orz(号泣)

◆1995年 奪われた開幕戦勝利
前年のセナを思わせる憂鬱そうなミハエル。
その原因は、この年のマシンB195が抱えるシャシーバランスにありました。初日フリー走行からウィリアムズ勢をタイムで上回る事が出来ず、しかも公式予選中ステアリングトラブルによるクラッシュに見舞われます。2日目、夜に降った雨で悪化した路面状況にフリー走行中コースオフを喫しながらも午後の予選ではやっと1分20秒台でトップタイムを叩き出します。しかし、前日のヒルの記録には届かず2位確定。

そんなミハエルにとどめを刺す知らせがスタート前にもたらされます。
事前の燃料検査の結果「ベネトンとウィリアムズは燃料規定違反により失格」の通達がレース直前に発表されます。両チームは、裁定を不服とするアピールをし、処分保留という暫定的立場のままレースに参加します。

ミハエルは、3回ピットインによる軽めの燃料でスタート。いきなりヒルを1コーナーのインを刺し攻略します。その後はトップを快走。1回目のピットストップでは、ヒルの先行を許してしまいますが、その10周後の31周目。ヒルは、1コーナーでイン側の縁石に左タイヤを当てラインを外し、エス・ド・セナの出口でスピン。そのままコースオフしてリタイアします。

2度目のピットインでは、今度はウィリアムズのクルサードに先行を許します。
しかし、クルサードが2度目のピットインでコースに戻った時にはミハエルは3.5秒先を走っていました。それからはミハエルは1周につき0.5秒ずつマージンを稼ぐ形でクルサードとの差を広げます。そして、今年もまた幸先の良いミハエルのブラジル2連勝。しかし、表彰台に立つミハエルとクルサードの表情は微妙でした。

それから5時間後。予想通り休暇先のミハエルの元へ正式な失格裁定が言い渡されます。また去年から尾を引くミハエル&ベネトン(というよりフラビオ・ブリアトーレ)とFIAとの新たな抗争パート2か、と思われましたが、実はこれは、ミハエルとブリアトーレとの破局に向けた序章でした。

この時のエピソード。ミハエルとクルサードの失格で棚ぼた優勝が転がり込んだベルガーは、仲間とシャンパンファイト。その話をあるドイツ人ジャーナリストがミハエルへご注進。「1周遅れの立場でシャンパンファイトなんて、自分には理解できない」というミハエルのコメントを今度はイタリア人ジャーナリストがベルガーにご注進。そこでベルガーは「セナが死んだ表彰台でシャンパンファイトする方がよっぽど無神経」と事実誤認の反論。それにミハエルが「シャンパンファイトなんかしていないし、セナの死を知ったのはレース後」と再反論。そこへミハエルの体重偽装疑惑の話まで持ち込まれる始末。ドイツとイタリアのメディアにまんまと踊らされた2人は、サンマリノGPで直接会い、誤解を解いて握手。目出度く手打ちとなりました。ちゃんちゃん。

この年、不安を抱えたマシンで9勝を上げ、ベネトン念願のダブルタイトルを実現してみせたミハエル。しかし、商売気が多く強引なブリアトーレのやり口に不満を抱いていたミハエルは、より自分のキャリアを高めるチームへの移籍を決意。
万年Bチームをトップチームへと創り変えた自信は、ミハエルをプロストさえ叶えられなかった大事業《フェラーリ再生》という夢へと駆り立てます。

世界中にいるフェラーリファン&ティフォシたちの長年の夢を叶え、彼らの崇拝を一身に集めるという野望。
その「きっかけ」こそ、脳裏に焼き付いている93年のインテルラゴスで見たブラジル国民のセナへの熱狂だったのではないかと思います。

(後編に続く)

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登録日:2006年 10月 30日 04:03:09

「ミハエルついにラストラン」で一句

<F1・第18戦 ブラジルGP>マッサ 地元GPで今季3度目のポールポジションを獲得 - ブラジル

【サンパウロ/ブラジル 21日 AFP】F1・第18戦(最終戦)・ブラジルGP(Brazilian Grand Prix)、公式予選。フェラーリ(Ferrari)のフェリペ・マッサ(Felipe Massa)は、ベストラップ1分10秒680をマークし、鈴鹿に続いて2戦連続、今季3度目となるポールポジションを獲得した。(c)AFP/ANTONIO SCORZA

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終わる夢 残る寂寞 滲む赤

[解説]
1991年スパ・フランコルシャンでミハエル・シューマッハが衝撃デビューをして、はや16年。思えば随分長い年月が経ったように思う。しかし、まだその走りには他の追随を許さないものがあり、鉄人リカルド・パトレーゼの記録を抜いて、まだF1界に君臨し続けられる余力を残しながらの引退。
フェラーリ上層部、特にルカ・ディ・モンテゼモーロとの確執があった、などというキナ臭い噂話も漏れ聞こえるが、「楽しいから走る」という彼のレーサーである原初的動機より守るべきものが多くなってきたというのが一番の理由ではないかと思う。
とにかく、今日は私たちがミハエルの走りをリアルタイムで目にできる最後の日。チャンピオンシップの結果はどうあれ、彼の走り様をじっくり楽しもうと思う。

[雑感]
チャンピオンになれるレーサーとは?
その問いに簡単に答えるなら、他のレーサーにないものを持っているレーサーと言える。ミハエルは、デビュー当初からその点ではくっきりと他との違いが際だった存在であった。そんな彼のデビュー間もない頃の状況を振り返る。

◆生意気発言
「3度も世界チャンピオンをとった人間の行動と思えない」
明らかにトラブルを抱えたマシンで後続を執拗にブロックし続けたアイルトン・セナを激しく批難したミハエル。まだ勝った経験のない新人レーサーによるこの発言は当然、まわりの反感を買い、「生意気な新人」というレッテルが貼られた。

◆マンセルの印象
「シューマッハのせいで110%の力を出してドライブしなければならない」
最強マシンのウィリアムズルノーを駆るナイジェル・マンセルの目から見ても、気がつけば表彰台の隣に必ず立っているこの若者は驚異と映っていた。
ところが当のミハエルはマンセルの走りを「バカ」呼ばわりしていた。

◆テスト好き
いろいろ類似点のあるミハエルとセナ。そんな彼らの一番違う点は、テストへの積極性。シーズンオフは、休養にしっかり充てるセナと違って、ミハエルはマシン開発チームに協力し、テストドライブにも精力的に参加する。それはデビュー当時から一環していた。ベネトン移籍後初のシーズンオフでも、新レースエンジニアとなったパット・シモンズ(現ルノー・エグゼクティブエンジニアリングディレクター)と協力して、データに基づいたマシンと走りの開発を進めた。それが1992年シーズン開幕からの大躍進となって現れた。このチームとの密接な関わり合いは、ベネトンからフェラーリへと移籍した後もミハエル独自のスタイルとして続けられている。

◆フィットネス好き
個人マネージャーであるウィリー・ウェバー。ミハエルのフィットネスメニューに1週間つきあってのコメント。
「あれは休日なんてもんじゃなかった。ほとんど死にそうだったよ」

◆ベネトンでの給料
契約金/30万ドイツマルク(当時約2500万円)
ポイントボーナス/1ポイントごとに5000ドル(当時約65万円)
表彰台ボーナス/2〜3位獲得時1万5000ドル(当時約200万円)
優勝ボーナス/5万ドル(当時約650万円)
ちなみにこの年のミハエルの成績は、
《優勝1回》+《2〜3位7回》+《獲得ポイント53ポイント》なので42万ドル(当時約5460万円)つまり、ボーナスだけで契約金の倍以上稼いだ計算になる。
ただし、この中から年間6万ドイツマルク(当時約480万円)の保険金と20%のマネージャー料が少なくとも差し引かれる。
それでもフェラーリとの契約金だけで50億とも言われる現在とは隔世の感がある。

◆同僚マーティン・ブランドルの感想
「ミハエルは、当時のステファン・ベロフ(伝説の84年雨のモナコでセナに肉迫していたドイツの有望新人。翌年スパのレース事故で死亡)と比較してもずっとプロフェッショナルだね。当時23歳だったセナと比べてもミハエルの方がより完成されているとさえ言える」

◆デビューレース裏話
デビュー初レースは、難コースとして有名なスパ。ジョーダンのチームミーティングでベテランのアンドレア・デ・チェザリスがバスストップシケインにあるバンプでマシンが「ナーバスな動き」をする事を問題視していた。そこでミハエルにも同じ箇所の印象を尋ねたら、
「僕は最初のバンプを5速で入り、途中で6速に上げて、それから左足でブレーキングした。マシンは次のコーナーへ落ち着いた挙動を見せたよ」と事も無げに言った。
チェザリスは、そんな方法があることすら知らなかった。バンプでマシンが挙動がナーバスになるのは自然な事であり、その解決策はドライバー自身の技量でカバーする事がミハエルにとっては至極当たり前な事だったのだ。

恐らくこの辺がチャンピオンになれるレーサーとそうでないレーサーとの違い?

<参考>
F1グランプリ特集 Vol.63 マイケル・シュミット取材記事
クリストファー・ヒルトン著 だれも知らなかったアイルトン・セナ 5年目の真実

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登録日:2006年 10月 22日 11:50:43

「エンジンブロウでミハエル赤信号」で平家物語

<F1・第17戦 日本GP>アロンソ 鈴鹿初優勝で総合首位の座を奪い返す - 鈴鹿

【鈴鹿 8日 AFP】F1・第17戦・日本GP(Japanese Grand Prix)、決勝。
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(c)AFP/Yoshikazu TSUNO

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祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ

[解説]
引退まであと残り2つ。絶対に落とせない一戦をエンジンブロウで失ったミハエル。これによりミハエルの圧倒的優位が一転、最終戦ほぼ“ミッション・インポシブル”状態。逆にアロンソは、8位内でフィニッシュしさえすればチャンピオン…っていうか、もう勝ったも同然。
シナリオ通りには進まないのがレース。
白い煙を噴き上げながらコース脇に止まるマシンの姿を見る度に、レースの世界を支配する無常観を感じずにはいられません。
だから、最終戦でアロンソに同じ事が起こらない可能性もゼロではないのです…あっ。もうアロンソはモンツァでエンジンブロウしてたっけ…。

[雑感]
がっくし…orz。
きっとシューミーファンは、テレビの前で脱力感に打ちのめされた事でしょう。
何で?よりによって、ここで?
ミハエルの鈴鹿ラストランはあまりに苦い結末を用意していました。実は、ミハエルのF1初エンジントラブル・リタイヤも鈴鹿だった事をご存じでしょうか?そんなミハエルのエンジントラブルリタイヤ歴を振り返ってみました。

◆1991年 第15戦 鈴鹿サーキット
「中嶋、鈴鹿ラストラン」として記憶されるこのレース。タイヤ交換を終えピットアウトしていく中嶋。さあ追い上げだ!と思っていたら、次に映像に映し出されたのは、S字コーナーのタイヤバリアにまっすぐ突っ込んだティレル020の無惨な姿。うつむき気味に手を振りながら痛めた足でコースを横切る姿に涙したオールドファンは多い事でしょう。
このレースでミハエルは、9番グリッドから5位までポジションアップ。中嶋と同一周回にタイヤ交換を終え、前を行くミナルディのピエル-ルイジ・マルティニを追い抜こうとメインストレートを加速中にフォードV8エンジンがブロウ。S字コーナーの手前の草地にマシンを止めリタイアします。予選中、高速130Rで大クラッシュして痛めた首をプロテクターでかばいながらの力走も報われませんでした。
ちなみにこのレース、セナの後ろにつき過ぎたマンセルが1コーナーでコースアウト。グラベルスタックによるリタイア。その瞬間にアイルトン・セナが人生最後のチャンピオンシップを手にしたレースでした。

◆1993年 第11戦 ハンガロリンク
3番グリッドからスタート失敗で5位に落ちたミハエル。そんな焦りからか4周目には、何でもないコーナーでスピン、コースアウト。順位を10位まで落としてしまいます。しかし、そこから一人また一人と着実に攻略し、ついにトップを行くヒルの後ろ2位までポジションアップしたのですが、突然のエンジンブロウでスローダウン。エスケープロードに車を止めてリタイア。

◆1993年 第13戦 アウトドロモ・ナツィオナーレ・ディ・モンツァ
第1シケインでセナとヒルが接触、そのチャンスを見逃さず5位から3位にポジションアップしたミハエル。ティフォシたちの声援を受け粘るアレジを4周目には難なくパスし、ついにプロストを射程圏に捉えながら2位を快走します。ところが、22周目。画面はパラボリカ脇の草地に止まったミハエルのB193Bを映します。モンツァの森の魔物がミハエルに襲いかかり、グランデカーブの出口でエンジンブロウ。なすすべもなくミハエルはリタイアしていました。

◆1993年 最終戦 アデレード市街地サーキット
ここは市街地コースが得意なセナの独壇場。プロストもヒルもミハエルも誰もそのハイペースについていけません。このレースでセナは生涯最後の優勝を飾りますが、ミハエルは4位を走行中20周目にエンジブロウ。気がつけばコース上から消えていました。このレースでは、前戦鈴鹿からラルースチームで日本のベテランドライバー鈴木利夫さん(当時38歳)がスポット参戦しています。予選トップのセナとは7.5秒差の最後尾スタートでしたが、ねばり強い走りで19位完走(前戦鈴鹿も12位完走)という結果を残しています。

◆1994年 第9戦 ホッケンハイムリンク
セナ亡き後、向かうところ敵無し状態で迎えた母国GP。しかし、必勝を誓った意気込みも空しく…。
オープニングラップで一気に11台のマシンがリタイアする波乱の幕開け。ミハエルは序盤からフェラーリのベルガーをテールツーノーズ状態で責め立てます。ところがベネトンの同僚フェルスタッペンが給油中にノズルが外れ、吹き出したガソリンに引火。一瞬にしてピットエリア全体が火に包まれました。シーズン当初から懸念されていた給油中の火災事故がついに発生したのです。そのドタバタが終わったと思った頃にミハエルがコース上でエンジンブロウ。ゆるゆるとピットインして、そのままリタイアしてしまいます。
母国優勝目前でのリタイア。スローダウンしたコクピット内で無念さに頭を抱え、ハンドルに拳を叩きつけながら悔しがるミハエル。その姿には、今ではあまり見られない素直な感情のほとばしりを感じられました。

◆1996年 第9戦 マニクール・サーキット
移籍直後のフェラーリがまだダメダメだった事を証明したレース。なんとフォーメーションラップ中にエンジンブロウ。0周リタイア。これには、さすがのミハエルも「頭にきた」らしいのですが、それでも「誰かを責めても何の意味もない」と冷静に対処します。このミハエルの建設的ポジティブ思考が、フェラーリの悪しき因習「お家騒動」を排除し、後の常勝チームとなる足がかりを築きます。

◆1998年 開幕戦 アルバートパーク・サーキット
シーズン第1戦。それもたった5周でブロウしたフェラーリエンジン。予選ですでにマクラーレンのMP4/13に力の差を見せつけられ嫌な予感がしているところへ、さらに決勝でも信頼性に疑問符。結局、この年のチャンピオンはミカ・ハッキネンにさらわれてしまいます。

◆2000年 第9戦 マニクール・サーキット
得意のマニクールで意外な苦戦。ブリヂストンとのマッチングの悪さが走りに響き、マクラーレンの2台にいいように追い回されます。ミハエルの執拗なブロックに対してデビッド・クルサードには侮蔑の中指立て「ファッ○オフ・サイン」で抗議され、40周にはアデレードヘアピンで接触を受けながら強引にパス。ハッキネンには、59周目ヘアピンの飛び込みでふらついたところを素早くインを突かれパス。その直後にエンジンブロウでリタイア。踏んだり蹴ったりのレースでした。

◆たった9回のエンジントラブル
以上8戦と今年の鈴鹿を加えた9戦がエンジントラブルによるリタイアです。249戦中でたったの9回。ちなみにアイルトン・セナは、生涯161戦中11回のエンジントラブルに泣かされています。マシンの性質もエンジンの耐久性もレギュレーションも違う環境において一概に比べられませんが、少なくともミハエルの優位性を語る際に参考になる数字ではあると思います。
ついでにアロンソは出走85戦ですでに5回のエンジントラブルを経験しています。まあ、これは2003年のルノーエンジンの信頼性が低過ぎた(年間4回のトラブル)せいもあるのですが…。

泣いても笑ってもあと一戦。セナの故郷で正々堂々としたレースを見たいです。特にミハエルには「発つ鳥あとを濁さず」キャリアの最後をクリーンに締めくくってみせてほしいものです。

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登録日:2006年 10月 15日 06:23:27

「タイヤ交換で足をとられたアロンソ」で一句

<F1・第16戦 中国GP>アロンソ 総合ポイントでM・シューマッハに並ばれる - 中国

【上海/中国 1日 AFP】F1・第16戦・中国GP(Chinese Grand Prix)、決勝。
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(c)AFP/Peter PARKS

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泣きっ面に 割れたシャンパン 嫌な予感

[解説]
こういう時、ちょっとした出来事が気にかかるものです。
中国GPでの表彰台。ボトルに残ったシャンパンを表彰台下で待つチームスタッフへ渡そうとした場面で、ミハエルのボトルはフェラーリスタッフの腕の中へ受け止められましたが、アロンソのボトルはルノースタッフの腕をすり抜けて地面へ……関係者の笑顔が一気にひきつる不吉なシーンでした。
「前輪だけタイヤ交換」したためにマシンバランスを崩し、勝てるレースを失ったアロンソ。八つ当たり気味に「チームの中にオレの足を引っ張るヤツがいる」とコメントしたそうですが、何もかも人の責任にするのはどうかと思います。
割れたシャンパンは元に戻りません。でも、スタッフとの信頼度は取り戻せます。優勝へ向けてチーム一丸となる気持ちが、いま一番大切ではないでしょうか。

[雑感]
しかし、アロンソだけでなく、今回の中国GPでは、クビサや左近など若い選手たちは一様にタイヤ交換の難しさを学んだレースとなりました。特に前回の活躍でちょっと有頂天になったクビサ。この苦い経験をぜひ、次のレースに生かす事を期待します。怒りにまかせた荒っぽいピットインで膝をひっかけたチームスタッフに、クビサは謝ったのでしょうか?タイヤ交換が終わり、車が出て行くまで痛みをこらえたあの右フロント担当は、素晴らしいプロ根性の持ち主でした。クビサは、色々な点を猛省すべきでしょう。

◆1993年 第2戦 ブラジルGP
雨といえば、セナ。雨のレースにトラウマのあるアラン・プロストが、途端に生彩を失うのと対照的にセナは雨が降り出すとますます走りにキレを見せました。
特にこの93年のブラジルGPは、セナが物理的に圧倒的不利な立場を《ドライ>レイン》《レイン>ドライ》のタイヤ交換のタイミングだけで大逆転してみせた奇跡のレースとして記憶に残ります。

◆1993年 第3戦 ヨーロッパGP
続く第3戦、雨のドニントンパーク・サーキットを舞台にしたヨーロッパGPもまた、セナが雨の味方につけ奇跡を呼び込んだレースとして、有名です。
特に4番グリッドから出遅れ、いったん5位に落ちた後から、ベンドリンガー、シューマッハ、ヒル、プロストを見る間に抜き去り1位に躍り出た奇跡のオープニングラップばかりで語られますが、実はこの後、セナのタイヤ交換の妙があってこそ初めて成り立っているお話なのです。
実はこの後、《レイン>ドライ》へのタイヤ交換でマクラーレンはミスを犯し、セナはプロストにトップを譲ってしまいます。しかし、プロストが《ドライ>レイン》へと替える時期を焦ったばかりにせっかく築いたリードを失ってしまいます。結局、プロストはずるずる合計7回ものピットインを繰り返し、同僚ヒルにまで周回遅れにされる大失態を演じてしまいます。
このレースによって、プロストは栄誉や信頼など多くを失い、ついにシーズン終了までそれを回復できなかったように思います。ウィリアムズとの複数年契約を破棄し、引退を早めたきっかけと言われるレースです。

◆1992年 第12戦 ベルギーGP
しかし、そんなセナも完全にタイヤ交換を失敗した事もあります。それがこの92年のスパ・フランコルシャンです。
圧倒的なウィリアムズFW14B&マンセルにダブルタイトルを前戦ハンガリーで決定された直後。せめて、得意とするスパで一矢報いたいという焦りでしょうか。セナは激しい雨の中をドライタイヤで走り続ける賭けに出ますが、完全にタイミングを逸し順位を落としてしまいます。
このレースを見事に勝ち抜いたのが、若きミハエル・シューマッハ。実にデビュー一年後の初優勝でした。
ミスでコースオフし、同僚のマーティン・ブランドルを先行させます。その時にブランドルの履くレインタイヤにブリスターが出来つつあるのを目ざとく見つけ、ベストのタイミングでドライタイヤへ履き替えた事が勝機を呼び込みました。ワールド・チャンピオンを決めたウィリアムズ・ルノー&マンセル(トラブルを抱えていたとも言われますが)を相手に非力なフォードV8で勝ち取った堂々たる勝利。ミハエルの才能に疑問を持っていた多くの人々も次世代のチャンピオン候補が誰なのかを認めざるを得ない、まさに世代交代を印象づけたレースでした。

◆アロンソやライコネンが学ぶべき遺産
ミハエルは、すでに今年限りの引退を表明しています。しかし、その引退はアラン・プロストの時よりも「惜しい」余力を多く残した決断です。
アロンソやライコネンは、時に挑発的な発言でミハエルを口撃していますが、確かに純粋な速さでは彼を凌駕しつつあるかもしれません。しかし、年間を通じたレース戦略やチームを奮起させ統率するほどのカリスマ性という点ではまだまだミハエルに及びません。
実地訓練となるレースも残り2戦。アロンソもライコネンも、そして新人のクビサもミハエルの仕事ぶりから「真の帝王学」をもっと真摯に学んでほしいなあと思います。

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登録日:2006年 10月 08日 02:50:22

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プロフィール
斎藤モ吉
(男)
福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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