2006年 10月 30日

「インテルラゴスで魅せたミハエルの残照」で一句

<F1・第18戦 ブラジルGP>M・シューマッハ 年間総合2位で現役生活に幕 - ブラジル

【サンパウロ/ブラジル 22日 AFP】F1・第18戦(最終戦)・ブラジルGP(Brazilian Grand Prix)決勝。
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(c)AFP/ORLANDO KISSNER

AFPBB News


セナの業 封印し夢 新世代へ

[解説]
最終予選中の思わぬマシントラブルで10位スタート。そして、1コーナーの飛び込み(エス・ド・セナの1つ目)では、まるでマンガ《頭文字D》の「溝走り」のような裏技「壁際&縁石走り」を見せる。ミハエルがガムシャラだった若い頃を彷彿とさせるリスキーな走り。前を行くアロンソをとらえようとなりふりかまわない必死の力走。ところが突然のタイヤバーストで最下位転落…。
それでも最後まで勝利を諦めない意地をセナの聖地で見せたミハエル。
そんな奮闘も空しく結果は表彰台に届かず終いの4位でした。

しかし、優勝したマッサよりチャンピオンを獲得したアロンソより、週末、いや今シーズン中、最も観衆を魅了したのはレース人生最後に露わにして見せたミハエルのむき出しの熱いレーサー魂ではなかったでしょうか。

ミハエルはそのひたむきな走りで、セナ・プロ時代から受け継いできた黒歴史を、自らの引退とともに「封印」し、そして、アロンソ、ライコネン、バトン、マッサら新世代によるF1新時代の幕開けを「宣誓」している様な印象を受けました。
このミハエルからの最後のメッセージを彼ら新世代レーサーたちがしっかり受け止め、新たなエキサイティングな時代を築いてくれる事を望みます。

[雑感]
誰かも言っていたようにブラジル・インテルラゴスがミハエル最後のレースである事に《出来過ぎた》因縁を感じます。何故でしょう?その理由を考えるためにミハエルとインテルラゴス・サーキット(アウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェ)との歴史を振り返ってみます。

◆1992年 セナの走りを公然と批判
PP・マンセルの出遅れにひっかかる3番グリッドのセナ。その横をインサイドから一度は抜き去った5番グリッドのミハエル。しかし、エス・ド・セナ2つ目のインをセナがキープしてミハエルを抜き返します。セナは何度もミハエルにオーバーテイクされては絶妙なライン取りによって挽回しますが、これが過去に例を見ないほどの大渋滞を招きます。

やがて、13周目の最終コーナー。力尽きたようにセナが失速した横をミハエルがパス。それを皮切りに次々と後続車がセナを追い抜いていきます。そして、セナはピットイン・リタイア。しかし、ミハエルとウィリアムズ勢との間に開いたタイム差は決定的で、ミハエルは周回遅れでの3位という屈辱的な結果に甘んじなければなりませんでした。

余程それが腹に据えかねたのか、ミハエルはレース後のインタビューで「3度もチャンピオンを獲得した人間のする行為とは思えない」とセナを激しく批判します。

このレースでのセナの車載映像を見るとこのサーキットの路面の劣悪さがよく分かります。激しいバイブレーションが周回中続き、はっきり言って洗濯板の上を走っているような状態です。見ているだけで車酔いしそうです。逆にマンセルやパトレーゼたちウィリアムズマシンの映像は、そこまで揺れません。アクティブサスとパッシブサスペンションとの違い?(しかし、あまりにもヒドイ。MP4/7Aが熟成不足のためサス・セッティングが極端に固かったせいか、車載カメラの取り付けが緩かった疑いも…)バンプで背中を痛めるという話がナットクできる映像です。

◆1993年 天と運を味方につけたセナ
以前にも、紹介した「雨のセナ伝説」のひとつ。
強敵プロスト&ヒルのウィリアムズ勢にはマシンの差で勝てず、しかもイエローフラッグ無視によるペナルティストップでミハエルの後ろ4位にまで落ちたセナ。
しかし、突然降り出した雨に真っ先に反応し、レインタイヤへ交換。続いてヒルがレインタイヤへ交換しますが、これはプロスト先行を誤ったウィリアムズの苦肉の対応。

その頃、一段と激しさを増した雨のせいで片山右京と鈴木亜久里がホームストレートの真ん中で追突事故。無線の不調でピットイン仕損ねたプロストがその現場を通り過ぎた1コーナー入口。いきなりスピンした前走車クリスチャン・フィッティパルディの煽りを食ってプロストも貰いスピン&リタイアしてしまいます。
セーフティーカー初導入。
すかさずミハエルもレインタイヤに交換しますが、ジャッキトラブルでタイムロス。セナの先行を許してしまいます。

セナはヒルの背後2位へ浮上。セーフティーカーランの間にコースは乾き始め、レース再開数周後にドライタイヤへ交換するセナ。ミハエルも負けじと交換しますが、ピットクルーの対応が緩慢でまたタイムロス。次の周にタイヤ交換したヒルはセナの前でコース復帰。しかし、1周の差は大きく、暖まったタイヤのグリップ力を生かしたセナがヒルをフェヤ・ドラ手前のストレートエンドで難なくパス。その後は、2度と首位を譲る事なくセナは奇跡の逆転勝利を決めます。

必死に追い上げを図ったミハエルでしたが、今度は彼が黄旗無視でペナルティーストップ。順位を9位まで落とします。鬼神の追い上げを見せファーステストラップを連発。ラスト2周目、1コーナー飛び込みで3位のジョニー・ハーバートを捉えパス、なんとか表彰台を奪って見せます。

しかし、ミハエルはその後信じられない光景を目にします。
コース上のセナに向かって熱狂した群衆が押し寄せてきました。危うくその群衆を避け、セナの横を摺り抜けるミハエル。その後方では、みるみるセナと後のマシンが群衆の渦に巻き込まれ身動きできなくなってしまいます。そんな群衆の中心でマシンの上に乗り、高々と両腕を上げて歓喜の声に応えるセナ。やがて、駆けつけたオフィシャルカーに箱乗りしながら凱旋パレードを続けるセナ。周りを数台の護衛車に囲まれ、上空には撮影用のヘリが低空で追走する、まるで国家元首のような扱いでした。
その光景がミハエルにもたらしたものは何だったのでしょうか?

このレースでは、各ドライバーの心拍数が画面表示されていました。特に面白かったのはプロストがリタイア、セーフティーカー導入でセナがヒルの背後まで迫った時、フランク・ウィリアムズの心拍数までが表示されました。
脈拍125。百戦錬磨の闘将もやや緊張気味だったようです。


◆1994年 セナ恐るるに足らず
開幕戦。夢のウィリアムズのシートを手に入れたセナ。ブラジル国民は去年以上の期待を胸にインテルラゴスへ集まって来ました。そこに待ち受けるのは「失望」とも知らず…。

その失望感をいち早く悟っていたのはセナ自身でした。予選1位を獲得するも、それは雨に救われた薄氷のポールポジション。2位につけたミハエルとのアドバンテージはほぼゼロでした。ハイテク装備を剥がされたFW16は、挙動がナーバスな運転しづらだけのマシンだったのです。インタビューに答えるセナの焦燥しきった虚ろな目が、期待を語る言葉とはうらはらな失望の大きさを暗に物語っていました。

レースが始まった途端に、超満員の観衆もまた現実が夢を萎ませていく不安を感じ始めます。
スタートで先行した2位アレジを2周目の最終コーナーで早々とミハエルは仕留め、トップのセナをぐんぐん追い上げます。セナとミハエルとのタイム差は、21周目の最初の給油ストップまで常に1秒以下。ところが、ピットアウトでミハエルがセナを先行した途端、その差はみるみる4秒まで広がっていきます。

2回目の給油ピットストップを済ませた時の2人のタイム差は8秒にまで広がっていました。しかし、終盤セナは気難しいマシンへムチを当て、ミハエル追撃へ死力を振り絞ります。1周ごとに0.5秒ずつ刻む走りでミハエルを猛追。

しかし、そんな55周目。最終コーナー手前の上り坂途中で横を向いたセナのFW16が画面に映し出されます。前年の勇姿からは想像もできない無様な単独スピンでした。
その途端に満員のスタンドからゾロゾロと大観衆がサーキットを後にします。それはまるで葬列を思わせる陰鬱な光景でした。

ミハエルは、その後誰ひとり寄せ付ける事なく1位チェッカー。幸先の良い開幕戦優勝を果たします。レース前に風邪気味であると伝えられたミハエル。しかし、ヘルメットを脱いだ途端に見せたのは会心の笑顔でした。多くのドライバーがタフなコースと答えるインテルラゴスで疲れひとつ見せないミハエルに多くのレースファンが末恐ろしさを感じた瞬間でした。

レース後のインタビューにセナはこう答えています。
「ついてなかったけど、別にこれで地球が破滅するわけじゃない。チャンピオンシップはまだ始まったばかりだからね」…orz(号泣)

◆1995年 奪われた開幕戦勝利
前年のセナを思わせる憂鬱そうなミハエル。
その原因は、この年のマシンB195が抱えるシャシーバランスにありました。初日フリー走行からウィリアムズ勢をタイムで上回る事が出来ず、しかも公式予選中ステアリングトラブルによるクラッシュに見舞われます。2日目、夜に降った雨で悪化した路面状況にフリー走行中コースオフを喫しながらも午後の予選ではやっと1分20秒台でトップタイムを叩き出します。しかし、前日のヒルの記録には届かず2位確定。

そんなミハエルにとどめを刺す知らせがスタート前にもたらされます。
事前の燃料検査の結果「ベネトンとウィリアムズは燃料規定違反により失格」の通達がレース直前に発表されます。両チームは、裁定を不服とするアピールをし、処分保留という暫定的立場のままレースに参加します。

ミハエルは、3回ピットインによる軽めの燃料でスタート。いきなりヒルを1コーナーのインを刺し攻略します。その後はトップを快走。1回目のピットストップでは、ヒルの先行を許してしまいますが、その10周後の31周目。ヒルは、1コーナーでイン側の縁石に左タイヤを当てラインを外し、エス・ド・セナの出口でスピン。そのままコースオフしてリタイアします。

2度目のピットインでは、今度はウィリアムズのクルサードに先行を許します。
しかし、クルサードが2度目のピットインでコースに戻った時にはミハエルは3.5秒先を走っていました。それからはミハエルは1周につき0.5秒ずつマージンを稼ぐ形でクルサードとの差を広げます。そして、今年もまた幸先の良いミハエルのブラジル2連勝。しかし、表彰台に立つミハエルとクルサードの表情は微妙でした。

それから5時間後。予想通り休暇先のミハエルの元へ正式な失格裁定が言い渡されます。また去年から尾を引くミハエル&ベネトン(というよりフラビオ・ブリアトーレ)とFIAとの新たな抗争パート2か、と思われましたが、実はこれは、ミハエルとブリアトーレとの破局に向けた序章でした。

この時のエピソード。ミハエルとクルサードの失格で棚ぼた優勝が転がり込んだベルガーは、仲間とシャンパンファイト。その話をあるドイツ人ジャーナリストがミハエルへご注進。「1周遅れの立場でシャンパンファイトなんて、自分には理解できない」というミハエルのコメントを今度はイタリア人ジャーナリストがベルガーにご注進。そこでベルガーは「セナが死んだ表彰台でシャンパンファイトする方がよっぽど無神経」と事実誤認の反論。それにミハエルが「シャンパンファイトなんかしていないし、セナの死を知ったのはレース後」と再反論。そこへミハエルの体重偽装疑惑の話まで持ち込まれる始末。ドイツとイタリアのメディアにまんまと踊らされた2人は、サンマリノGPで直接会い、誤解を解いて握手。目出度く手打ちとなりました。ちゃんちゃん。

この年、不安を抱えたマシンで9勝を上げ、ベネトン念願のダブルタイトルを実現してみせたミハエル。しかし、商売気が多く強引なブリアトーレのやり口に不満を抱いていたミハエルは、より自分のキャリアを高めるチームへの移籍を決意。
万年Bチームをトップチームへと創り変えた自信は、ミハエルをプロストさえ叶えられなかった大事業《フェラーリ再生》という夢へと駆り立てます。

世界中にいるフェラーリファン&ティフォシたちの長年の夢を叶え、彼らの崇拝を一身に集めるという野望。
その「きっかけ」こそ、脳裏に焼き付いている93年のインテルラゴスで見たブラジル国民のセナへの熱狂だったのではないかと思います。

(後編に続く)

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登録日:2006年 10月 30日 04:03:09

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プロフィール
斎藤モ吉
(男)
福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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