2006年 11月

「ビートルズの新譜『LOVE』発売記念」で替え歌

<F1・第18戦 ブラジルGP>アロンソ 2年連続でドライバーズタイトルを獲得 - ブラジル

【サンパウロ/ブラジル 22日 AFP】F1・第18戦(最終戦)・ブラジルGP(Brazilian Grand Prix)、決勝。
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(c)AFP/VANDERLEI ALMEIDA

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信愛なるルーベンスへ

親愛なるルーベンス 気晴らしに出て来ない?
親愛なるルーベンス 真っさらな日にコンニチワしに
お天道様は高く お空も青い
キレイなもんさ そう君みたいに
親愛なるルーベンス 気晴らしに出て来ない?

親愛なるルーベンス 大きく目を見開いて
親愛なるルーベンス うららかな空を見て
そよぐ風も さえずる鳥だって
みんな繋がってる そう君もね
親愛なるルーベンス 大きく目を見開いてみて

まわりを見渡してご覧
まわりを見回してご覧
まわりをご覧

親愛なるルーベンス 君の笑顔を見たいな
親なるルーベンス ちっちゃな子供みたいな
雲も デイジーの首飾りになるような
そんな笑顔をもう一度 お願いさ
親愛なるルーベンス 君の笑顔が見たいんだ

[解説]
ビートルズの名盤「THE BEATLES=通称:ホワイトアルバム」のA面2曲目に「Dear Prudence」という地味だけどちょっと素敵な曲があります。
内容は、“深窓の令嬢”をなんとかデートに誘い出そうとする歌。
その女の子の名前「プルーデンス」をシャレで「ルーベンス」に入れ替えただけの全く芸のない替え歌ですが、「無邪気に笑うルーベンスを来年こそ見てみたいなあ」という気持ちを込めて訳しました。

注意)ちなみに新譜「LOVE」にこの歌は入っていません。

[雑感]
よくF1レーサーは、「才能」の有無が問われます。ルーベンス・バリチェロの才能についての判断は誰かにお任せしますが、彼の「運」に関しては、私にも「絶対に無い!」と断言できます。
「憧れだったフェラーリ・ドライバーになれただけでも十分運がいいんじゃない?」とおっしゃる方もいるでしょうが、本当にそうでしょうか?
彼自身、もっとも自分の運の無さを何度も何度も何度も何度も何度も…思い知らされた場所、「インテルラゴス」での「ルーベンス不運の歴史」をたどってみます。

◆1993.3.28 ジョーダン193 予選14位→決勝リタイア
「雨に強いセナ」伝説のひとつ「インテルラゴスの奇跡」として語られる有名なレース。スタート直後の多重クラッシュでいきなりセーフティーカー導入。ルーベンスはロータス/ザナルディにパスされます。そのまま12位で周回中、14周目にギアボックストラブルでリタイアします。
しかし、ルーベンスの不運は同僚イヴァン・カペリに比べればまだマシでした。GP週末中、マシントラブルでまるでセッティングを決められなかったカペリはタイムを出せず26台中ただ1人予選不通過。そのグランプリウィーク後、エディ・ジョーダンに支払う約束だった持参金100万ドル(マーチ・チームが「レイトンハウス」だった当時、カペリが立て替えていたお金。水面下で進んでいたオイルダラーへのチム売却が成功した暁には返済される予定でしたが、交渉決裂で御破算)のメドが立たなくなっためにブラジルGPを最後に解雇されてしまったのです。

◆1994.3.27 ジョーダン194 予選14位→決勝4位
セナ最悪のスピンリタイアに失望した観衆がゾロゾロ帰ってしまった母国グランプリ。ルーベンスへの期待度はまだ低く、母国ですらその他大勢の1人に過ぎませんでした。燃料補給解禁による不慣れなピット作業で順位変動が激しい中、バリチェロとジョーダンは素早い作業と手堅い走りで着実に順位を上げ、見事入賞をモノにします。しかし、このレース以降、9年間も母国で完走できなくなるとは夢にも思わなかったでしょう。

◆1995.3.26 ジョーダン195 予選16位→決勝リタイア
自分のヘルメットデザインに亡きセナのカラーリングを取り入れて挑んだ開幕戦。そんなルーベンスの意気込みをあざ笑うかのように次々と不運が襲います。
金曜の予選中にエンジンがブロウし、仕方なくアーバイン用のTカーでアタック。11位がやっとだったルーベンス。なんとか前日8位だった同僚を上回りたい気持ちが空回り。土曜日の予選では、焦って単独スピン。逆に順位を16位に下げてしまいます。
それでも日曜朝のウォームアップでは8番手タイムを記録。スタートも成功。一気に12位までジャンプアップします。ところが17周目に油圧系統のオイル漏れによるクラッチトラブルでリタイア。アーバインも全く同じ症状でリタイアでした。

◆1996.3.31 ジョーダン196 予選2位→決勝リタイア
知名度と自信がついてきたルーベンス。なんと母国であのミハエルを上回り、最速ウィリアムズの間にまで割って入る2位フロントロウスタート。久々のブラジリアンレーサーの活躍に地元の期待も高まります。
スタートで4位まで下がってしまいますが、ベネトン/アレジとウェット路面で白熱したバトルを展開。ヴィルヌーブがリタイアした後は表彰台圏内を快走し観衆の熱狂させます。しかし、2度目のピットストップでミハエルに先行。ウェット設定だったブレーキダクトのせいでブレーキが異常加熱。制動力が急激に低下します。そして、ゴールまであと11周だった60周目。1コーナー先でコースアウト、リタイアします。

◆1997.3.30 スチュワートSF-1 予選11位→決勝リタイア
1回目スタートで、ルーベンスは電気系統の故障でグリッド上にスタック、赤旗が出てレースはやり直しとなります。すぐスペアカー(優先権はルーベンス。そのためにスタートでクラッシュしていたマグヌッセンは乗るマシンがなく出走を断念)に乗り換え、2度目のスタートに臨みますが、オープニングラップでザウバー/ハーバートとマクラーレン/クルサードに抜かれ13位へと後退。そして、17周目。排気熱でリアサスペンションが変形(前戦オーストラリアではマグヌッセンが同じ症状でリタイア)するトラブルでリタイアとなります。

◆1998.3.29 スチュワートSF-2 予選14位→決勝リタイア
スタートでパニス、ヒル、トゥルーリを抜き10位、2周目にはアレジもパスして序盤は9位、他チームのピットインによる変動で一時は7位まで上りつめますが、最終的には11位へ後退。そして残り16周となった56周目にギヤボックスのオーバーヒートでリタイアします。一方、同僚のマグヌッセンは10位完走を果たしますが、この5戦後のカナダで成績不振を理由に解雇されてしまいます。

◆1999.4.11 スチュワートSF-3 予選3位→決勝リタイア
「ルーベンス・カムバック!」ブラジル国民は、3年ぶりにミハエルの前に立ったルーベンスのセカンドロウスタートに期待を膨らませます。スタート早々、強敵マクラーレンの2台は揃ってマシントラブルで後退。ルーベンスは労することなく、首位に立ちました。93年のセナ以来、ブラジル中に大歓声が沸き上がります。2位フェラーリのミハエルに3秒差。そして、迎えた27周目のピットイン。フェラーリやマクラーレンがセオリー通りの1回ピット作戦なのに対し、あえてルーベンスは軽いタンクでスピード勝負を挑む、リスクの高い2回ピット作戦を選びます。入れ替わりに復調したマクラーレン/ハッキネンが首位に返り咲き。それでもまだルーベンスには表彰台の望みが残っていました。それにハッキネンがクルサードのようにリタイアする可能性も…ブラジル中が期待の眼差しを送っていた43周目。ブラジル中が大きな溜息に包まれます。白煙を上げコースサイドに止まったのは、ルーベンスが乗る白いマシンの方でした。

◆2000.3.26 フェラーリF1-2000 予選4位→決勝リタイア
前戦オーストラリアで1-2フィニッシュを飾ったフェラーリコンビ。ミハエルに劣らない走りでファーステスト・ラップまで記録したルーベンス。「今年こそは絶対」と期待が集まります。しかし、予選はマクラーレン2人とミハエルの後ろ。
抜群のスタートを決めたマクラーレン勢はたった1周で不調に陥り、ミハエルは2周目にはトップへ。バリチェロも15周目にはハッキネンをパスし、2戦連続の1-2フィニッシュかと思われました。2回ピット作戦の1回目をミハエルに続いてクリアした5周後、27周目。またもルーベンスの車体から白い煙が上がり、ブラジル国民の口からは溜息が漏れました。原因は油圧系の破損でした。

◆2001.4.1 フェラーリF2001 予選6位→決勝リタイア
前戦マレーシアのセーフティーカーパレード終了直後、ミハエルの強引な追い抜きで優勝を「奪われた」事に端を発し、前年から溜りに溜まっていたルーベンスの不満が一気に爆発します。契約内容に反して待遇が「イコール」ではないと公式の場でチーム批判したのです。しかし、フェラーリ内部では逆に「ミハエルの新しい相棒捜し」を進めようとする意見が上がります。
そんな嫌な空気の中で迎えたブラジルGP。連続ポールポジションを決めたミハエル。一方、セッティングの決まらないルーベンスはサードロウ。しかもスタート直前にトラブル発生でマシン交換(これがミハエル専用車だったためにミハエルが機嫌を損ね、スタッフを怒鳴り突き飛ばすというシーンがテレビで放映されます)というドタバタぶり。しかも、たった3周目でウィリアムズ/ラルフに追突(ラルフとルーベンスは2戦連続の接触)してコースアウト。左フロントタイヤを失いルーベンスの散々な週末が終わりました。

◆2002.3.31 フェラーリF2002 予選8位→決勝リタイア
フリー走行でピット出口の赤ランプを見落としたために予選のベストタイムが剥奪。予選中にギアトラブルまで抱え、13秒台にひしめく8台の最後、4列目スタートとなります。しかもミハエルに用意されたのは新機能搭載の最新マシン。自分は1年落ちマシンのまま。またチームへの不満が高まります。
それでもレースでは、並々ならぬ集中を見せます。1ピット作戦を選択する上チムの中で唯一2ピット作戦を選んだルーベンスは、軽いマシンで前を行くライバルを次々と攻略。特に5周目の最終コーナー、因縁のあるウィリアムズ/ラルフを射程圏にとらえ、ホムストレートをテールツーノーズ状態で追いつめ、1コーナーの飛び込みで豪快にパス。しかも14周目にはミハエルまでもあっさりとパスしてトップに立ちます。総立ちになる大観衆。しかし、これは1ストップ作戦のミハエルにはシナリオ通りの展開。そのたった2周後に油圧系のトラブルでルーベンスがコース脇に止まった事の方が計算外でした。

◆2003.4.6 フェラーリF2002 予選PP→決勝リタイア
夢にまで見た母国でのポールポジション。しかし、決勝レースは近年まれに見る超フルウェット・コンディション。しかも、この年施行されたレギュレーションのため使用タイヤは小雨用タイヤ1種類のみ。スタートもセーフティーカー先導という超変則方式でした。その9周にも及ぶスロー走行がタイヤの空気圧に悪影響を及ぼしたのか、ルーベンスはレース開始直後から加速が伸びずズルズル順位を落とします。
19周目のタイヤ交換後、安定したマシンで猛反撃開始。25周目の1コーナーでクルサードをパスして首位奪還。すでにミハエルもリタイアしていたので心おきなく優勝を狙えました。そんな歓喜もたった2周で絶望へと変わります。燃料供給系トラブルでスローダウン。画面にはコース脇で無念さをかみしめるルーベンスが映されていました。

◆2004.10.24 フェラーリF2004 予選PP→決勝3位
第13戦ハンガリーでコンストラクターズタイトル、第14戦ベルギーでドライバーズタイトルを決めたミハエルは、残りのレースを全てルーベンスに譲るつもりだったのではないでしょうか?そう思えるほどシーズン終盤のミハエルの走りにはキレが見られませんでした。
そうして迎えた最終ブラジル戦。ミハエルがフリー走行でクラッシュする一方、ルーベンスは2年連続のポールポジションを獲得。決勝レースは雨模様。同じウェットコンディションだったモンツァでルーベンスが魅せたポールトゥーウィン・ドラマの再現を誰もが望んでいました。
しかし、たった1周遅れたドライタイヤへの交換。それが全てを決めてしまいました。モントーヤ、ライコネンに遅れること24〜3秒での3位。インテルラゴスの女神は、またルーベンスに微笑みませんでした。

◆2005.9.25 フェラーリF2005 予選9位→決勝6位
一年前の王者の風格をすっかり失ったフェラーリにインテルラゴスで勝つチャンスはありませんでした。優勝したモントーヤから1分9秒遅れの6位。それよりも来季のチームメイトになるかもしれないバトンの前でフィニッシュできた事を喜んだかもしれません。

◆2006.10.22 ホンダRA106 予選5位→決勝7位
予選では五分五分。しかし、決勝ではほとんどバトンに負け続けのルーベンス。デビュー当時の自分に次々と打ち負かされ消えていった古株の同僚たちを思い出したのでしょうか?特にハンガリーでバトンにチーム初優勝をさらわれてガックリ落ち込んだルーベンスの勢い。迎えた最終戦ブラジル。今年一度も上がれなかった表彰台上で、これからブラジル国民の期待を担うマッサとともにシャンパンを浴びるバトンの姿を見ながら、ルーベンスはキャリアの終焉をひしひしと感じ始めているのではないでしょうか?

◆「ルーベンスの笑顔」が見たい
せめてもう一度だけでいいんです。来年のインテルラゴス、あの表彰台の上で、陽気におどけてみせるルーベンスの明るい笑顔が見たいのです。そのためにも来年こそは、ホンダの本格的な躍進に期待します。

そう思わないかい?パトラッシュ。

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登録日:2006年 11月 29日 03:00:34

「やっぱりバリチェロって不運?」で一句

<F1・第18戦 ブラジルGP>アロンソ 2年連続でドライバーズタイトルを獲得 - ブラジル

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ブラジリアン 勝てぬバリチェロ 勝つマッサ

[解説]
それにしても、ルーベンス・バリチェロ。
彼は、何故ブラジルで勝てないのでしょう。あの無敵フェラーリ時代、「勝っていいよ」とチームからお許しが出た時さえ勝てませんでした…。なのに、ルーベンスがずっと欲しがっていた「セナ以来の母国優勝者」の栄冠を後輩フェリペ・マッサはあっさりとゲット。
同じブラジリアンでありながら、この差は何なのでしょう?

[雑感]
ルーベンスが1993年にF1へ参戦して14年。13回のポールポジションに15回のファーステストラップ。そして、5回のポール・トゥー・ウィンを含む9回の優勝。ミハエル支配下におけるキャリアら考えれば、同世代のクルサードあたりと比べてもなんら遜色のない立派な成績の持ち主です。
それなのに何故か、ブラジルでは勝てない。いや、それどころか1995年から2004年までインテルラゴスで不名誉な9年連続リタイア記録を持っています。
そんなルーベンスの経歴をざっくりお復習いします。

◆F1デビュー以前
9才からカート経験(ブラジルチャンピオン5回、南アフリカチャンピオン1回)を8年間積み、89年に17歳でブラジル・フォーミュラー・フォードで4位。

90年に英国でGMロータス・ユーロシリーズでチャンピオン。
91年には、かつてセナが所属した名門ウエスト・サリー・レーシングから英国F3参戦、シーズン4勝を上げデビューイヤーチャンプを獲得します。

しかし、翌92年に参戦した国際F3000では、チーム体制の不備で足を引っ張られ、ルカ・バドエル、アンドレア・モンテルミーニに次ぐランキング3位。F1関係者たちの間でも評価が分かれます。

しかし、20才という若さに似合わない確実性と安心できるスポンサーの存在が評価され、ベネトンとジョーダンからオファーを受けます。そしてルーベンスは、ジョーダンからデビューする事を選びます。

◆ジョーダン時代 1993年-1996年
同僚は、落ち目のフェラーリで致命的なほど評価を下げてしまった不運なイヴァン・カペリ。新興チーム、ジョーダンで再起を図ろうとしましたが、ブラジルGPでなんと予選不通過。80年代後半に光り輝いたキャリアを開幕後たった2戦で終えます。

次の同僚は、ティエリー・プーツェン。彼もまた予選で新人ルーベンスを1度も上回る事ができずにシーズン半ばで引退してしまいます。デビューイヤーのバリチェロは、人懐っこい人柄に似合わぬ「ロートル・キラー」でした。

その後は、93年鈴鹿でセナと一悶着、94年開幕戦で多重クラッシュを招きライセンス剥奪されるなど何かと「お騒がせ」なエディー・アーバインが、95年までの同僚として定着します。性格や資質はまるで正反対(実はかなり険悪な関係にまで発展)ですが、力量的にはイーブン。この時の評価が後のフェラーリ起用へと繋がります。

アーバインがフェラーリへ移籍した後もバリチェロはジョーダンに在籍、憧れのセナF3000時代のライバル、マーティン・ブランドルとチームメイトになります。しかしブランドルもまた、バリチェロの成績を上回る事ができず引退を決意します。

◆スチュワート時代 1997年-1999年
かつての名レーサー、ジャッキー・スチュワートが息子ポールと立ち上げたスチュワート・グランプリが、1997年ついにF1参戦。その1年目の栄誉あるファースト・ドライバーに抜擢されたのがルーベンスでした。

同僚は、英国F3で94年にセナの勝利数記録を破る18戦14勝を上げ驚異の新人として注目を集めていたポール・スチュワート・レーシングの秘蔵っ子ヤン・マグヌッセン。しかし、新興チームの悲哀。マシンの信頼性に乏しく全17戦中2人で26リタイア。唯一、モナコでルーベンスが上げた2位表彰台での6ポイントが年間獲得得点でした。

翌98年は、シーズン途中であまりにも期待はずれのマグヌッセンが解雇され、フェルスタッペンに交代。しかし、マシンの信頼性不足は相変わらず、それでもルーベンスはしぶとく5位2回を上げ、チームに貴重なポイントをもたらします。

99年は、相性のいいジョニー・ハーバートとのタッグ。シーズン当初はテクニカルディレクターの離脱などでゴタつきますが、ジョーダンからゲーリー・アンダーソンが移籍して一気に体制が落ち着きます。バリチェロもコンスタントに3回の3位表彰台を含む7回の入賞。そして、ハーバートがなんと値千金の優勝をニュルブルクリンクで上げ、コンストラクターズ・ランキングも4位。チームの士気も一気に盛り上がります。しかし、チームは権利をフォードへ移譲。翌2000年からジャガー・レーシングとなります。

バリチェロは、アーバインの後釜としてフェラーリへ移籍。
「チームとの契約は複数年でいかなる時もチームオーダーがあればそれに従う(中略)僕がチームメイトよりも速ければ、シーズン終盤になってもスローダウンを命じられる事はないと思う」(F1グランプリ特集 Vol.128 フランコ・パナリッティー取材記事より)
彼と入れ違いにフェラーリを離脱するアーバインはこう忠告します
「彼は自分がどんな世界に飛び込もうとしているかを知らないと思うから、心配しているんだ。シューマッハのプレッシャーに彼は押しつぶされるか、耐えていけるかわからないが、苦労することだけは間違いないからね」(同上 ケビン・イーソン取材記事より)

◆フェラーリ時代 2000年-2005年
前年の「アーバインが優勝しちゃったらどうしよう」騒動でかなりチームがゴタついたフェラーリ。モンテゼモロは「アーバインがチーム離脱を望んだ」と発言していましたが、正直な話、何を言い出すかわからないアーバインにうんざりしたチーム首脳がアーバインのやる気に水を差すためにシーズン途中にすでに「放出予告」をしたというのが実情でした。

2年連続(実質3年連続)ワールド・チャンピオンまで後一歩だった経緯から2000年シーズンは、是が非でも必勝態勢を取りたいフェラーリ&ミハエル。
セカンド・ドライバーに関してはあらゆるドライバーに声をかけたと言われますが、「チーム指示に従順でしかも常に上位入賞が狙える確実性を備えた」という条件に見合うドライバーといえばクルサードかバリチェロぐらい。
しかし、クルサードの線はミハエルとの確執で論外。当然、残るバリチェロしか選択肢はなかったと思われます。

そして、この体制はジャン・トッド&ミハエルの思惑以上に大成功を収めます。
5年連続ダブルタイトル獲得。その成功は、2002年のチームオーダー事件が代表するようなルーベンスの自己犠牲の上に築かれた金字塔でもありました。

「勝つためなら手段を選ばない」。「お人好し」バリチェロもミハエルのナンバー2である事の意味と現実を理解し、かつてのアーバインの忠告が正しく、チームへの信頼が自分の思い違いである事を認識します。しかし、ルーベンスの真面目さとナイーブさも手伝って、この常勝体制は機能し続けました。

それでも、ルーベンスの心からチームへの疑念が晴れる事はなく、自分のあまりにも不平等過ぎる境遇に対する不満は溜まる一方でした。

5年間で表彰台に上がった回数を比較すると
ミハエルは(1位49回:2位17回:3位5回)に対して、
ルーベンス(1位9回:2位29回:3位22回)

5年間でのリタイア原因の比較は、
ミハエル(アクシデント&スピン9回:マシントラブル5回)に対して
ルーベンス(アクシデント&スピン8回:マシントラブル13回)

運・不運の差があるとはいえ、あまりにバリチェロにだけマシントラブルが偏り過ぎていました。特に2002年のスペインとフランスの決勝直前に起きた「スタート不可」な事態などは、絶対ミハエルには起こりえないものでした。

チームによる意図的、人為的な操作と捉える関係者も多く「フェラリには遠隔操作できるキルスイッチがついているに違いない。それもカーナンバー2にだけ」と噂されました。

バリチェロは、自分のプライドを取り戻すため、そして、亡きセナへのリスペクトの想いを胸にホンダへの移籍を決意します。

◆ホンダ時代 2006年-?
しかし、その移籍先ホンダの1年目にルーベンスを待ち受けていたのは成長目覚ましい若き同僚バトンによるチーム初優勝。そして、去ったフェラーリを継いだ若き後輩マッサによる「セナ以来の母国優勝」でした。

やはり、ルーベンスは「不運なレーサー」なのでしょうか?

(次回「ルーベンスの勝てないインテルラゴス編」に続く)

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登録日:2006年 11月 27日 01:19:08

「フェアウェル ミハエル サンキュー」で一句

<F1 フェラーリ・ワールド・ファイナルズ>M・シューマッハがエキシビジョン走行を行う - イタリア

【モンツァ/イタリア 29日 AFP】フェラーリ(Ferrari)がシーズン終了後に毎年行っている展示会、フェラーリ・ワールド・ファイナルズ(Ferrari World Finals)が最終日を迎え、22日に行われたF1最終第18戦のブラジルGP(Brazilian Grand Prix)で16年に渡る現役生活にピリオドを打ったミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)がエキシビジョン走行を行った。(c)AFP/VINCENZO PINTO

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面白く なくもなき代に ダンケ・シューミー

[解説]
本国ドイツでは、やはりミハエル引退を総括する番組とかあったのでしょうか?
ダークなイメージ抜きでミハエルの歴史は語れないし、かと言って、それでご破算にできるほど彼の残した記録は半端じゃない。でも、一生懸命思いだそうとしてもパッと記憶に浮かぶような伝説的な勝ちレースもない。
偉大さと凶悪さ、非凡さと面白みの無さ、優しさと冷徹さを併せ持つ、評価に困るアンビバレンツレーサー・ミハエル。
でも、あれこれ振り返って見ると、そんなに悪くない、なかなか面白い時代だったのかも?と思えなくもない。(微妙だ…)とりあえず、ミハエルには長い間ご苦労様。何よりフェラーリを強いチームにしてくれた事に対して、心からダンケ(ありがとう)と言いたい気分です。

[雑感]
えーっと、間が開きすぎてもう忘れられてるかもですが…まだ前回からの続き「ミハエルとインテルラゴス」です。常勝フェラーリ時代なので、読んでもあんまり面白くないかもしれませんが、とりあえずアップしときます。

◆2000年 グランプリ席捲の予感
予選3位。でも、少燃料&ローダウンフォース設定で序盤にマージンを稼ぐ戦略のミハエルは、1ストップの重いタンクを抱えたハッキネンを2周目早々、ストレート加速で楽々とパス。その後はグングン差を開いて開幕2連勝。

ハッキネンのリタイアという好運がなくとも、十分に勝てる速さがミハエル&フェラーリにはありました。一方、2位フィニッシュしたクルサードは、レース後車検でリアウィング高が規定違反とされ失格。すでに開幕2戦目でマクラーレン&ハッキネンの不調の兆しが現れ、逆にフェラーリ&ミハエルの圧勝ムードが漂い始めます。

シーズン中盤、ハッキネンに首位を一時奪われたりするものの最終的にはミハエルがダブルタイトルを決め、念願だったフェラーリ・ドライバーとしてのタイトル獲得を在籍5年目にやっと実現します。

◆2001年 転んでもタダで起きない
前年から続く連続ポールポジション記録を7に伸ばしたミハエル。しかし、好スタートもグリッド上でエンスト&リタイアしたハッキネンのMP4/16撤去のためにセーフティーカー導入による仕切り直しでフイとなります。

そして、再スタート直後の1コーナー。ウィリアムズ「驚異の新人」モントーヤが「CART仕込み」の腕前を披露してミハエルのインにノーズをねじ込み、続くエス・ド・セナの出口でホイールを接触させながら強引にパスしていきました。誰彼かまわずガチンコ勝負を挑むファイター型レーサーの登場でした。
そのまま初完走ウィンと思われたモントーヤ。しかし、レース中盤にアロウズ/フェルスタッペンに追突され、不運な3戦連続リタイアで終わります。

前年と同じ2ストップを選んだミハエルと1ストップ選択のクルサードによるピット対決は今年はクルサードに有利かと思われました。しかし、突然のインテルラゴス名物スコールが事態を一変。

いち早いタイミングでタイヤ交換したミハエルが1周遅れでピットインしたマクラーレン/クルサードからトップを奪います。しかし、その直後ミハエルがエス・ド・セナの下り白線に右リアをとられてハーフスピン。一気にクルサードが真後ろにつけ3周後の50周目、1コーナーで周回遅れに前を塞がれる形となり首位を奪われ、そのままゴール。前年から続くミハエルの連勝記録がストップします。

パルクフェルメでマスクを外しながら険しい表情でクルサードのタイヤ状態やウィング角をしっかりチェックするミハエル。負けてもタダでは終わらない。些細なミスやバグをひとつひとつ潰していく。そんな努力の積み重ねが、第13戦ハンガリーで早くもタイトル決定という無敵振りを確立させました。

◆2002年 負ける気がしないシーズン
ミハエル専用にニューマシンF2002を投入。バリチェロ用F2001と合わせて4台のマシンにスペアモノコックシャシー1台まで用意する物量戦で必勝に備えるフェラーリ。しかし、PPはコンマ1秒の差でウィリアムズ/モントーヤに奪われます。

決勝スタート。ロウンチ・コントロール・システムの威力を発揮して1コーナーを制するミハエル。それを抜き返そうとするモントーヤはもつれ合うようにエス・ド・セナ、クルバ・ド・ゾルの連続コーナーで接戦を演じます。そしてレタ・オポスタの直線で仕掛けたモントーヤの鼻先をミハエルがシャットアウト。F2002の左リアホイールがFW24のフロントウィング右翼端板にヒットして粉砕。モントーヤは緊急ピットインで後退します。

初めてブラジルで1ストップ作戦を取るミハエルは、2ストップ作戦のバリチェロを途中で先行させます。しかし、またもバリチェロはマシントラブルでリタイア。ウィリアムズのラルフが、追いついてくる終盤までミハエルは安全圏をクルージング走行。そのラルフも結局ミハエルの首位を脅かすまでには到りませんでした。

最終ラップ。チェッカーフラッグを任された「サッカーの神様」ペレは、肝心のミハエルがゴールする瞬間によそ見。3位のクルサードにやっと振る始末。しかも、両手でブ〜ラブ〜ラ。カッコ悪い事この上なし。ボール扱いは得意な神様も旗振りはとてつもなく下手だったのでした。

このシーズンは、第2戦マレーシアでラルフ、第7戦モナコでクルサードが勝った以外は全てミハエルとバリチェロのフェラーリ・コンビが席捲。しかもかつてのセナプロ時代のマクラーレンとは違って、第6戦オーストリアのチームオーダー事件でも明らかなように、バリチェロが優勝するにはチームの許可が必要でした。

◆2003年 若きライバルたちの台頭
この年に変更された「ウェットタイヤは1種類のみ」というレギュレーションがいかに現実的でないかをインテルラゴスに降る激しい雨が証明します。ブリヂストン、ミシュラン両陣営とも用意したタイヤは「小雨用タイヤ」しかし、天候は明らかに「ヘビーウェット(大雨用)タイヤ」が必要でした。

決勝は遅れに遅れ、セーフティーカー先導によるスタートという変則的な形で始まります。スロー走行しながら小降りになるか、路面が少しでも乾くのが目的でした。しかし、天候も路面も好転する兆しもないまま見切り発車」的に9周目にセーフティーカーがピットイン。やっと「本当のレース」がスタートしました。

PPのバリチェロがクルサード、ライコネン、ウェバーなど雨に強いミシュラン勢に追い抜かれる中、不利なブリヂストンで3位までポジションアップしていたミハエル。

18周目にラルフ・ファーマンとオリビエ・パニスが1コーナーでクラッシュ。破片がコース上に散らばり2度目のセーフティーカー導入。これで前を行くマクラーレン勢とミハエルの差が詰まります。

そして、レース再開。しかし、今はクルバ・ド・ゾル手前に出来ていたコース上の「川」でモントーヤとピッツォニアが相次いでスピン&クラッシュ。そして、その直後には同じ場所でミハエルも…。

結局、降り止まない雨と相次ぐクラッシュリタイアにより56周目に赤旗中断のままレース終了。ライコネンの2勝目が、フィジケラの初優勝へ変わるなどレース終了後も混乱が続きました。

このシーズンは、まさに群雄割拠の兆しが見え始めた年。マクラーレンのライコネン。ウィリアムズのモントーヤ。ルノーのアロンソ。BARのバトン。彼ら若手の台頭でフェラーリもなかなか楽勝とは言えないレースが続きます。ミハエルも表彰台に届かないレースがいくつもありました。そんな混沌と苦戦のシーズンを象徴していたのが、2001年ドイツGPからの連続完走記録が途絶えたこのブラジルGPでした。

◆2004年 衰退の兆し
この年からブラジルGPがシーズン序盤から最終戦へと変更されました。前年のに懲りて、なるべく雨の降りにくい時期を選んだのか?それともブラジルGP優勝者のタイトル獲得率が高い事にやっと気づいたブックメーカー(賭け屋)の差し金か?

集中力の欠如か?予選でミハエルが大クラッシュ。マシン交換で10グリッド降格、18番グリッドからのスタートとなります。一方の同僚バリチェロは前年に続きPP獲得、今年こそは優勝という本人の意気込みと彼のジンクスが破れる歴史的瞬間を見るためにブラジル国内から大観衆が集まります。

決勝はまたも雨。しかし、この年の雨は小降りで路面はどんどんドライへ。タイヤ交換のタイミングを誤ったバリチェロはモントーヤやライコネンにパスされ、どんどん順位を下げてしまいます。結局、前半のレース運びが最後まで影響し、3位フィニッシュ。「母国で勝てない」ジンクスをさらに更新してしまいます。
一方のミハエルもさえないレースに終始し、琢磨さえ抜けず7位でレースを終えます。

この年、フェラーリは2002年を上回る勝ちっぷり(ミハエルのポールトゥーウィン8回を含む年間13勝、バリチェロとの1-2フィニッシュ8回)でシーズンを圧倒しました。しかし、最終戦のブラジルGPで見せたこの不甲斐ないレースは、2005年の絶不調を予見させていたのかもしれません。

◆2005年 勝てないフェラーリの復活?
「勝って兜の緒を絞めよ」そんな諺がドイツにあるかどうか分かりませんが、ミハエルとフェラーリが2000年以降、5年もの間、常にトップの座を守り続けて来られた理由はチーム全体が常に勝利に慢心しないよう心掛けてきたからです。

しかし、トップ維持には必ず限界があるもの。徐々に溜まってきたマイナス要素が一気に噴出したように常勝フェラーリは、ルノーやマクラーレンにマシン性能でもレース戦略でも後れを取るチームとなっていました。残り3戦を残して、もうチャンピオン獲得の可能性は潰えていたインテルラゴスでのミハエルは、まるでイイとこ無しの4位フィニッシュに終わります。

このシーズン唯一の優勝は、「あの」ミシュラン勢撤収事件のインディアナポリスのみ。
そんな価値のない1勝しか上げられなくなっていた「へたれ」チームをたった1年で、また優勝争いできるチームにまで甦らせられたのは在る意味、奇跡に近いものだったのかもしれません。しかし、奮闘空しくタイトルは2年連続ルノーの手に奪われてしまいました。

◆2006年 今年の結果から来年を占う?
さて、2006年の最終戦ブラジル優勝者はフェラーリのマッサ。そして、フェラーリに移籍するライコネンはミハエルの後ろ7位フィニッシュ。
これは来季のフェラーリの行く末をどう象徴しているのでしょうか?

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登録日:2006年 11月 21日 19:39:47

「ミハエルの栄光の影にも歴史あり」で一句

<F1 フェラーリ・ワールド・ファイナルズ>M・シューマッハがエキシビジョン走行を行う - イタリア

【モンツァ/イタリア 29日 AFP】フェラーリ(Ferrari)がシーズン終了後に毎年行っている展示会、フェラーリ・ワールド・ファイナルズ(Ferrari World Finals)が最終日を迎え、22日に行われたF1最終第18戦のブラジルGP(Brazilian Grand Prix)で16年に渡る現役生活にピリオドを打ったミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)がエキシビジョン走行を行った。(c)AFP/VINCENZO PINTO

AFPBB News


ミハエルも 石の上に 苦節4年

[雑感]
すでにシーズンも終了。さて、これから何を頼りにブログを上げればいいのやら?そんな事をぼんやり悩みながら、過去のビデオを見返してまた勝手な想像をふくらましてます。

でも、このフェラーリ移籍後4年間のミハエルって、「天中殺?(古っ!)」と思うほど挫折を味わい、人生一番ツライ時期を過します。F1ファンにとっても、見ていて実につまらない時期。特に97年なんて、録ったビデオを消しちゃうぐらい画面上は何も起きてない部分のレースがダラダラ流される(おそらくFOCAによる「国際映像88%ルール」のせい)悲惨な時代。
最終戦、必死のカミカゼアタックも空しく栄冠をジャックに明け渡したミハエルは、自らの掘った深〜〜〜〜い穴の中ハマってしまいます。
ミカ・ハッキネン全盛期には、完全に敵キャラ的存在。足ぐらい折らなきゃ、誰も同情してくれない。それでも、ミカがコース脇で「クスン」と泣いた方がずっと同情を集めてたりして…なんて、ミハエル暗黒時代の始まり、はじまり〜。

◆1996年 不振の予感
開幕戦オーストラリアで…、いや、それ以前にミハエルには分かっていたはず。かつて天才と謳われたジョン・バーナードの才能はもう「枯れちゃってる」事を。
ミハエルの乗るニューマシンF310は、見るからに失敗作っぽい車でした。

アドリアン・ニューウィーがフィン一枚でレギュレーションの穴をくぐり、空力バランスを追求したマシンを用意してきたのに対し、古株のイギリス人デザイナーが引いたデザインは、ドライバー保護を生真面目に受け止め過ぎ、コクピット周りをダムのように囲い込んでいました。そのためにドライバーのヘルメットが乱流を起こし、エンジン吸気の妨げとなったのです。ミハエルやアーバインは、少しでもインダクションポッドに空気を流すために首をかしげて走るという苦労まで強いられたのです。それでもトップスピードではウィリアムズどころか古巣ベネトンやジョーダンのマシンにすら劣る状況でした。

激しい雨に見舞われたインテルラゴス。3番グリッドスタートのミハエルは、序盤からウィリアムズのヒルにカンタンに置いていかれます。しかも、母国で意気上がるバリチェロや前年のフェラーリドライバー・ベネトンのアレジにまでパスされ、その戦いを後ろから指をくわえて見ているしかない状態。それでも不運なバリチェロのリタイアに救われる形で表彰台の隅をやっとゲットできました。それは、マシンポテンシャルからすれば上出来な結果でした。あとで判明するのですが、その空力の悪さゆえにダウンフォースが効き過ぎ気味なF310は、雨天レースだけは強かったのです。

このレースは、ミハエルのシーズンを象徴していました。
チャンピオンシップはヒルとヴィルヌーブ2人の間だけで争われ、ミハエルは蚊帳の外。公約通りに意地で勝ち取った3勝も運の良さに救われた部分が「大」。年間ランキングも3位どまりでした。

◆1997年 ままならない焦り
この年も、バーナードがデザインしたF310Bが投入。前年より多少向上した部分があるとはいえ、ウィリアムズのマシンに比べてメカニカルグリップが不足していました。
しかし、同じ轍は踏まないミハエル。ジャン・トッドと共謀して、シーズン早々バーナードをフェラーリから追い出し、代わりにベネトンで成功を共にして信頼関係を築いたローリー・バーンとロス・ブラウンを招き入れる事に成功します。

しかし、シーズン当初はまだマシンの素性の悪さに足を引っ張られます。
インテルラゴスでは、ウィリアムズのジャック・ヴィルヌーブについて行く事すらできませんでした。ピットストップの度に順位を落とし、ベネトンのベルガー、プロストのパニス、マクラーレンのハッキネンに続く5位がやっとでした。

このレースでフェラーリは、始めて電子制御式ブレーキバランスシステムを投入しています。しかし翌年には、より完成された類似システムを使うマクラーレンを「違反だ」と訴えます。…悔しかったのでしょう。

第7戦カナダ、第8戦フランスの2連戦でポールトゥーウィンを上げ、無敵ウィリアムズに必死に追いすがるミハエル。しかし、終盤のモンツァ、A1、ニュルブルクリンクで失速。
そして、最終戦・ヘレス…前代未聞の失望感を多くのF1ファンへ与え自爆。

◆1998年 届かない首位の座
開幕戦、たった5周でフェラーリエンジンがブロウ。悔しさと同時に、マクラーレンの驚異的な速さを思い知らされたミハエル。続くインテルラゴス。予選ではまたフロントロウをハッキネン&クルサードのマクラーレンコンビに奪われ、3位。シーズン終盤になるまで、ミハエルはほぼセカンドロウスタートが指定席となります。
決勝では、2回目のピットインでエンジンストールさせてしまうなど「らしくないミス」が見られるも3位表彰台。しかし、マクラーレンとの差は圧倒的に思えましたが、ミハエルはチャンピオン争いへの意欲十分でした。

100%信頼するローリー・バーンの手によるフェラーリマシンF300。自信満々で迎えた98年シーズン。しかし、シーズンが進むにつれてミハエルとフェラーリマシンとのちぐはぐさが如実となってきます。その主な原因は、グッドイヤーの用意したグルーブドタイヤ。マクラーレンが履くブリヂストンの方が明らかに優れていたのです。
ミハエルの次のターゲットが決まりました。「ブリヂストンが欲しい」でした。

雨のスパでのクルサードへの追突、最終戦、鈴鹿のスタートでのエンスト。この二つの「らしくないミス」でミハエルはチャンピオンをまた逃してしまいます。

◆1999年 勝負できない辛さ
無敵神話に影?開幕戦オーストラリアで2台ともメカニカルトラブルでレースを失ったマクラーレン。アルゼンチンGPのキャンセルで1ヶ月後に開催されたブラジルでも問題は未解決のままでした。予選でフロントロウを獲得したハッキネン&クルサードでしたが、決勝スタートでクルサードはグリッド上にスタック。ハッキネンも首位を快走中に突然スローダウンするトラブルに見舞われます。

クルサードは結局リタイアとなりますが、ハッキネンの方はなんとか持ち直し、ミハエルと2位争いを続けます。しかし、1回きりのピットインで首位をハッキネンに明け渡したミハエルは、ゴールまでタイム差は縮める事ができないまま2位フィニッシュ。

一見ハッキネンとレースをしたように見えましたが、実質的には、不安を抱えたMP4/14をハッキネンがセーブしながら走ったに過ぎません。速さでフェラーリはマクラーレンの敵ではありませんでした。

このGPでは、地元レースで頑張ったバリチェロがエンジンブロウで42周でリタイアするまでスチュアート・フォードで素晴らしい走りを見せました。彼は、翌年ミハエルの同僚として迎えられ、長いフェラーリ安定政権の地盤を支え続ける事になります。

このレースでは、もう1人のブラジル人ドライバーが不運に見舞われます。B.A.Rのジャック・ヴィルヌーブの同僚リカルド・ゾンタです。土曜日のフリー走行中に大クラッシュ。当初は軽い怪我と思われていましたが、左足を骨折し3戦欠場する事になります。
ミハエルの全治3ヶ月6戦欠場に比べれば、まだ軽かったと言えますが…。

しかし、この年の骨折による戦線離脱が、ミハエルにこれまでのレース人生を振り返る猶予を与え、そこで学んだ様々な事が後の常勝フェラーリの体制作りに役立ったのだから、まさに「怪我の功名」といえるでしょう。

(まだ続く?)

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登録日:2006年 11月 11日 19:59:32

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プロフィール
斎藤モ吉
(男)
福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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