2006年 11月 27日
「やっぱりバリチェロって不運?」で一句
<F1・第18戦 ブラジルGP>アロンソ 2年連続でドライバーズタイトルを獲得 - ブラジル
【サンパウロ/ブラジル 22日 AFP】F1・第18戦(最終戦)・ブラジルGP(Brazilian Grand Prix)、決勝。
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(c)AFP/VANDERLEI ALMEIDA
ブラジリアン 勝てぬバリチェロ 勝つマッサ
[解説]
それにしても、ルーベンス・バリチェロ。
彼は、何故ブラジルで勝てないのでしょう。あの無敵フェラーリ時代、「勝っていいよ」とチームからお許しが出た時さえ勝てませんでした…。なのに、ルーベンスがずっと欲しがっていた「セナ以来の母国優勝者」の栄冠を後輩フェリペ・マッサはあっさりとゲット。
同じブラジリアンでありながら、この差は何なのでしょう?
[雑感]
ルーベンスが1993年にF1へ参戦して14年。13回のポールポジションに15回のファーステストラップ。そして、5回のポール・トゥー・ウィンを含む9回の優勝。ミハエル支配下におけるキャリアら考えれば、同世代のクルサードあたりと比べてもなんら遜色のない立派な成績の持ち主です。
それなのに何故か、ブラジルでは勝てない。いや、それどころか1995年から2004年までインテルラゴスで不名誉な9年連続リタイア記録を持っています。
そんなルーベンスの経歴をざっくりお復習いします。
◆F1デビュー以前
9才からカート経験(ブラジルチャンピオン5回、南アフリカチャンピオン1回)を8年間積み、89年に17歳でブラジル・フォーミュラー・フォードで4位。
90年に英国でGMロータス・ユーロシリーズでチャンピオン。
91年には、かつてセナが所属した名門ウエスト・サリー・レーシングから英国F3参戦、シーズン4勝を上げデビューイヤーチャンプを獲得します。
しかし、翌92年に参戦した国際F3000では、チーム体制の不備で足を引っ張られ、ルカ・バドエル、アンドレア・モンテルミーニに次ぐランキング3位。F1関係者たちの間でも評価が分かれます。
しかし、20才という若さに似合わない確実性と安心できるスポンサーの存在が評価され、ベネトンとジョーダンからオファーを受けます。そしてルーベンスは、ジョーダンからデビューする事を選びます。
◆ジョーダン時代 1993年-1996年
同僚は、落ち目のフェラーリで致命的なほど評価を下げてしまった不運なイヴァン・カペリ。新興チーム、ジョーダンで再起を図ろうとしましたが、ブラジルGPでなんと予選不通過。80年代後半に光り輝いたキャリアを開幕後たった2戦で終えます。
次の同僚は、ティエリー・プーツェン。彼もまた予選で新人ルーベンスを1度も上回る事ができずにシーズン半ばで引退してしまいます。デビューイヤーのバリチェロは、人懐っこい人柄に似合わぬ「ロートル・キラー」でした。
その後は、93年鈴鹿でセナと一悶着、94年開幕戦で多重クラッシュを招きライセンス剥奪されるなど何かと「お騒がせ」なエディー・アーバインが、95年までの同僚として定着します。性格や資質はまるで正反対(実はかなり険悪な関係にまで発展)ですが、力量的にはイーブン。この時の評価が後のフェラーリ起用へと繋がります。
アーバインがフェラーリへ移籍した後もバリチェロはジョーダンに在籍、憧れのセナF3000時代のライバル、マーティン・ブランドルとチームメイトになります。しかしブランドルもまた、バリチェロの成績を上回る事ができず引退を決意します。
◆スチュワート時代 1997年-1999年
かつての名レーサー、ジャッキー・スチュワートが息子ポールと立ち上げたスチュワート・グランプリが、1997年ついにF1参戦。その1年目の栄誉あるファースト・ドライバーに抜擢されたのがルーベンスでした。
同僚は、英国F3で94年にセナの勝利数記録を破る18戦14勝を上げ驚異の新人として注目を集めていたポール・スチュワート・レーシングの秘蔵っ子ヤン・マグヌッセン。しかし、新興チームの悲哀。マシンの信頼性に乏しく全17戦中2人で26リタイア。唯一、モナコでルーベンスが上げた2位表彰台での6ポイントが年間獲得得点でした。
翌98年は、シーズン途中であまりにも期待はずれのマグヌッセンが解雇され、フェルスタッペンに交代。しかし、マシンの信頼性不足は相変わらず、それでもルーベンスはしぶとく5位2回を上げ、チームに貴重なポイントをもたらします。
99年は、相性のいいジョニー・ハーバートとのタッグ。シーズン当初はテクニカルディレクターの離脱などでゴタつきますが、ジョーダンからゲーリー・アンダーソンが移籍して一気に体制が落ち着きます。バリチェロもコンスタントに3回の3位表彰台を含む7回の入賞。そして、ハーバートがなんと値千金の優勝をニュルブルクリンクで上げ、コンストラクターズ・ランキングも4位。チームの士気も一気に盛り上がります。しかし、チームは権利をフォードへ移譲。翌2000年からジャガー・レーシングとなります。
バリチェロは、アーバインの後釜としてフェラーリへ移籍。
「チームとの契約は複数年でいかなる時もチームオーダーがあればそれに従う(中略)僕がチームメイトよりも速ければ、シーズン終盤になってもスローダウンを命じられる事はないと思う」(F1グランプリ特集 Vol.128 フランコ・パナリッティー取材記事より)
彼と入れ違いにフェラーリを離脱するアーバインはこう忠告します
「彼は自分がどんな世界に飛び込もうとしているかを知らないと思うから、心配しているんだ。シューマッハのプレッシャーに彼は押しつぶされるか、耐えていけるかわからないが、苦労することだけは間違いないからね」(同上 ケビン・イーソン取材記事より)
◆フェラーリ時代 2000年-2005年
前年の「アーバインが優勝しちゃったらどうしよう」騒動でかなりチームがゴタついたフェラーリ。モンテゼモロは「アーバインがチーム離脱を望んだ」と発言していましたが、正直な話、何を言い出すかわからないアーバインにうんざりしたチーム首脳がアーバインのやる気に水を差すためにシーズン途中にすでに「放出予告」をしたというのが実情でした。
2年連続(実質3年連続)ワールド・チャンピオンまで後一歩だった経緯から2000年シーズンは、是が非でも必勝態勢を取りたいフェラーリ&ミハエル。
セカンド・ドライバーに関してはあらゆるドライバーに声をかけたと言われますが、「チーム指示に従順でしかも常に上位入賞が狙える確実性を備えた」という条件に見合うドライバーといえばクルサードかバリチェロぐらい。
しかし、クルサードの線はミハエルとの確執で論外。当然、残るバリチェロしか選択肢はなかったと思われます。
そして、この体制はジャン・トッド&ミハエルの思惑以上に大成功を収めます。
5年連続ダブルタイトル獲得。その成功は、2002年のチームオーダー事件が代表するようなルーベンスの自己犠牲の上に築かれた金字塔でもありました。
「勝つためなら手段を選ばない」。「お人好し」バリチェロもミハエルのナンバー2である事の意味と現実を理解し、かつてのアーバインの忠告が正しく、チームへの信頼が自分の思い違いである事を認識します。しかし、ルーベンスの真面目さとナイーブさも手伝って、この常勝体制は機能し続けました。
それでも、ルーベンスの心からチームへの疑念が晴れる事はなく、自分のあまりにも不平等過ぎる境遇に対する不満は溜まる一方でした。
5年間で表彰台に上がった回数を比較すると
ミハエルは(1位49回:2位17回:3位5回)に対して、
ルーベンス(1位9回:2位29回:3位22回)
5年間でのリタイア原因の比較は、
ミハエル(アクシデント&スピン9回:マシントラブル5回)に対して
ルーベンス(アクシデント&スピン8回:マシントラブル13回)
運・不運の差があるとはいえ、あまりにバリチェロにだけマシントラブルが偏り過ぎていました。特に2002年のスペインとフランスの決勝直前に起きた「スタート不可」な事態などは、絶対ミハエルには起こりえないものでした。
チームによる意図的、人為的な操作と捉える関係者も多く「フェラリには遠隔操作できるキルスイッチがついているに違いない。それもカーナンバー2にだけ」と噂されました。
バリチェロは、自分のプライドを取り戻すため、そして、亡きセナへのリスペクトの想いを胸にホンダへの移籍を決意します。
◆ホンダ時代 2006年-?
しかし、その移籍先ホンダの1年目にルーベンスを待ち受けていたのは成長目覚ましい若き同僚バトンによるチーム初優勝。そして、去ったフェラーリを継いだ若き後輩マッサによる「セナ以来の母国優勝」でした。
やはり、ルーベンスは「不運なレーサー」なのでしょうか?
(次回「ルーベンスの勝てないインテルラゴス編」に続く)
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登録日:2006年 11月 27日 01:19:08
- プロフィール
- 斎藤モ吉
- (男)
- 福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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