2007年 01月 30日
「ザナルディは変わらない」で一句
<F1>両足切断の元F1ドライバー ザナルディがBMWのテスト走行に参加 - スペイン
【チェステ/スペイン 25日 AFP】元F1ドライバーのアレッサンドロ・ザナルディ(Alessandro Zanardi)は、リカルド・トルモ(Ricardo Tormo)で行われたBMWのテスト走行に参加し、1999年シーズン以来7年振りにF1マシンを操縦した。
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(c)AFP/JOSE JORDAN
運命も 追い越す強気 不変なり
[解説]
CARTの世界で人生最良の日々を過ごしたザナルディでしたが、1999年にF1の世界に戻ってきた途端、まるで運を全て使い果たしたかのような不甲斐ないシーズンを送ります。評判は地に落ち、苦労して築き上げた栄冠も見る影もなく色褪せてしまいます。
天国から地獄への直滑降。なんとかドン底からはい上がろうとする彼をさらに不幸が襲います。時速300kmでの出会い頭の事故。誰もが再起不能を疑わない「両足切断」というレーサーとして致命的と思える重いハンディキャップを負います。
それでも彼は不屈の闘志をもってサーキットへ戻ってきました。過酷な運命さえも「レースがしたい」という彼の強い意志、生まれながらの闘争本能を変える事ができなかったのです。
そして、彼は今もレースを続けています。過去の真のレーサーたちが息絶えるその瞬間まで走る事を止めなかったように…。
[雑感]
こんなに長くザナルディについて語る気はなかったのですが…今回で最終回。
ウィリアムズからF1復帰、そして悲劇の事故を迎えるまでの軌跡です。
◆ガナッシへの感謝
実は、CART移籍1年後の97年にもF1復帰の可能性があったザナルディ。相手はジョーダン、交渉直前まで話が進んでいました。しかし、チャンスを与えてくれたCARTオーナー、ガナッシへの恩返しを済ませていないという思いからF1復帰の道を捨てCARTへとどまります。そして、その思いの強さを証明するかのようにCARTチャンピオン2連覇を遂げた後、F1復帰の決意をガナッシへ打ち明けます。ガナッシはこう答えます。
「私たちに何が出来るか言ってくれ。チムは君に精一杯の事をしてきた自負があるが、それ以上に君がチームにしてくれた事は計り知れない」と。
一文無しでガナッシのドアを叩き、まさにアメリカン・ドリームそのままに成功を掴んだザナルディ。その素晴らしさは、家族のように支えてくれたチームの暖かみにあると実感した言葉でした。
◆ピーター・コリンズの友情
F1復帰の交渉相手はフランク・ウィリアムズ。仲介したのは元ロータス在籍時代のチーム代表、ピーター・コリンズでした。そして、ウィリアムズとはこれが2度目の交渉でした。
1度目は、まだザナルディがロータス在籍時の事。テストドライバーに降格されたザナルディはチャンスを求めて「セナの悲劇」で空席ができたウィリアムズへ後ろめたさを感じつつ、アポイントを取りフランクと交渉しますが断られます。そんな経緯もあり、躊躇していた所をコリンズに「とにかく会ってみるべきだ…どんな話になるか分からないじゃないか」と諭されます。結果的にはこれが功を奏して、フランクの方からウィリアムズへの誘いがあり4年振りのF1シートを獲得したのです。
◆2面性?単なるリップサービス?
F1再デビューを前にザナルディはインタビューでこう答えています。
「F1に比べれば、インディCARTなんて幼稚な遊びみたいなもの。まあ時速240マイル(約384km/h)でオーバルを走るというのはちょっとした度胸がいるけどね。F1マシンは、コンピュータでつくられたテクノロジーの域だから、ドライバーにも高度な分析能力が求められる。こうした部分はうまくこなせるという自信がある。」
(F1グランプリ特集 VOL.113 デビッド・トレメイン取材記事より)
けれど、その1年前。ツインリンクもてぎで行われたCART選手権第2戦の直前に行われたインタビューでザナルディはこう答えています。
「F1はマシンパフォーマンスが勝負を決める部分が多く、ドライバーは二の次。(中略)オーバルは一見簡単そうだけど、実はすごく難しい。(中略)オーバルはのべつまくなしにリミットで走行しているんだよ。ギリギリを狙って、しかし限界を越えないように。それがすごく難しいんだ。」
(週刊プレイボーイ特別編集 ’98FedExチャンピオンシリーズ 第2戦バドワイザー500 公式ガイドブックより)
微妙にニュアンスが違っているような…良く言えば、TPOで言葉を使い分けるタイプ?
◆お金よりも重かったF1への復帰
ザナルディがウィリアムズと交わした契約金は年間500万ドル(当時約6億円)。しかし、CARTのチップ・ガナッシがザナルディ引き留めに提示した金額は1300万ドル(当時約15億6000万円)でした。それを蹴ってでも戻りたかったF1。4年前に着せられた汚名挽回はザナルディの悲願だったのでしょう。引き留めに成功しなかったチップ・ガナッシは、それでもザナルディのマネージャーとなりバックアップを続けます。ザナルディのF1での成功を信じて、しかし…。
◆不安なスタート
復帰後初めてF1マシンを走らせたバルセロナでの合同テスト。カンを取り戻す事が目的とは言うもののテストドライバーのマックス・ウィルソンのタイムを上回れずじまい。しかも、扁桃腺炎の手術後、ヘレスの合同テストに合流したラルフ・シューマッハには常に1秒遅れ。誰もが「おや?」と不安を感じました。
そして、迎えた開幕戦。ウィリアムズの2人は挙動が不安定な新車FW21のセッティングに手こずります。それでもラルフはシングルグリッドを確保、決勝では表彰台3位をゲットします。一方、ザナルディはスロットル制御システムの油圧系統にトラブルを抱えたまま予選15位。決勝では21周目に単独スピン、コースオフしてリタイアに終わります。
◆冷めていく周囲の目
ザナルディのマシンばかりにトラブルが集中…それが不振の主な原因でした。しかし、無駄なスピンやコースオフでマシンに余計な負担を掛けた事もリタイアを招く要因となっていました。シーズン中盤になって1ポイントも上げられないザナルディ。一方のラルフ・シューマッハは、着実にマシンをゴールまで導き、チームの獲得ポイントを1人で稼ぎ出していました。パドックの噂は、ザナルディが放出される如何より、それは「いつ頃か?」に移行し始めていました。
◆モントーヤの影
そんな頃、ウィリアムズの首脳陣が渡米します。目的はチップ・ガナッシの元へ預けたファン・パブロ・モントーヤが活躍するCARTレース観戦。1999年CARTチャンピオン最有力候補として活躍するモントーヤ。複数年契約を結んだはずのザナルディの代わりとして次期ウィリアムズ入りが本命視されていました。そんな微妙な時期にこのチームの動きは、まさに「火に油」。噂の信憑性をさらに高めます。当然、ウィリアムズ側はそれを打ち消すために「ザナルディ残留」を公式声明として発表します。誰も信用しない事を十分承知の上で…。
◆正念場のモンツァ
それはまるで5年前を思い出させます。ここモンツァでロータス復活の起爆剤となる勝利へ、最後の望みを託したジョニー・ハーバートがマシンを「4位」セカンドロウに並べたように、自分に着せられた汚名をそそぐレースを見せ、来期への希望を繋ぐ最後のチャンスを活かそうとザナルディは「4位」セカンドロウへFW21を並べます。
イタリアはザナルディの地元。当然、国際映像は完全にザナルディメイン。パレードラップをカバーするザナルディの車載映像が母国ドライバーへの期待を高めます。しかしザナルディが戦う相手は、前のマクラーレン2台でもなく、背後の若きタイガー、ラルフ・シューマッハでもありません。「元CARTチャンプ」というプライドを取り戻すため、自分自身の内に渦巻く「焦り」「衝動」「疑念」が敵でした。ザナルディの「生き残り」を賭けた決戦モンツァ。無情のシグナルは、オールレッドからブラックアウトへ…。
◆「すべて」が落ちていく…
レース序盤は、ザナルディが絶好の飛び出しを見せ3位へポジションアップ。しかし、前を行くマクラーレン/ハッキネンとジョーダン/フレンツェンには少しずつ引き離され、逆に後ろには長い渋滞の列が出来はじめます。18周目、ピットからの指示か、あっさりラルフに先行させた後は、バリチェロ、サロに次々とパスされずるずる後退していきます。ザナルデイ・メインの放送が逆にあだとなり、彼の不甲斐ない姿が白日の下に晒されてしまいます。モニターを凝視するフランク・ウィリアムズのげんなりした表情とパトリック・ヘッドの苦虫を噛みつぶしたような顔が「すべて」を物語っていました。
◆語り草となるレース
その直後「歴史」が動きます。トップを快走中のミカ・ハッキネンのマシンが第1シケインをクリアしようとした時、突然、MP4/14のリアが流れ1回転しながらコースアウト、エンスト&リタイアしてしまいます。
マシンが止まるやハンドルを投げ捨て、グローブを地面に叩きつけながら、ティフォシたちの大歓声を避けるようにコース脇の林の中へ逃げ込むハッキネン。その後、上空のヘリコプターから木陰でしゃがみこみ泣き崩れるディフェンディングチャンピオンの姿が全世界へと発信されます。フェラーリ/アーバインとのチャンピオン争いがかかったレースを自らのミスでむざむざ失った自分自身に対する激しい自己嫌悪の涙でした。
その後のレースも実に白熱したものとなります。
フェラーリへの移籍が広報されたスチュワート/バリチェロが、アグレッシブなレースとクルサードを最後まで押さえ込むテクニシャンぶりを発揮して4位。3位表彰台には、足を骨折したミハエルの代役フェラーリ/ミカ・サロ。ウィリアムズのラルフがファーステストラップを記録する激走を見せ2位。そして、1位には去年ウィリアムズでの不振ぶりを問われてジョーダンへ移籍したフレンツェンがシーズン2勝目、チャンピオン争いの末席に滑り込みます。そんな彼らの活躍振りの影で、本来「主役」となるはずだったザナルディは、7位ノーポイントという無念の結果に終わります。
◆とどめのニュルブルクリンク
次戦ドイツ・ニュルブルクリンクで行われたヨーロッパGP。今度はラルフが地元の注目と期待を集めます。ラスト・チャンピオン候補フレンツェンがプレッシャーに潰されリタイア。それを横目に見ながら、通り雨が何度も降る難しいレースを途中タイヤバーストという不運に見舞われながらも持ちこたえ、ラルフは見事2位を勝ち取ります。まさにフランクが望むレースをラルフはやってのけたのです。
では、フランクが一番嫌うレースとは…予選下位からスタートし、一度も画面に映ることなく、いつの間にかリタイアするような無様なレースです。そういうドライバーは、ウィリアムズにとって存在価値のないドライバーでした。
ウィリアムズがザナルディに求めたのは、もっと王者らしいレースでした。勝てなくとも他を圧倒するようなレースを見せつける事。その点でザナルディは、明らかに期待はずれだったのです。
◆悲しみのチャンピオン決定戦
ウィリアムズの次期有力候補、ファン-パブロ・モントーヤは、まさにチャンピオンを賭けた最後のツバ競り合いをしていました。
1999年10月31日。舞台はカリフォルニア・モータースピードウェイ、CART最終戦フォンタナ500。209ポイントでチャンピオンシップ1位のダリオ・フランキッティ。前戦でクラッシュノーポイントに終わったモントーヤは200ポイントで2位でした。
レースは序盤から激しいクラッシュが相次ぎ何度もフルコースコーション&セーフティーカーが出る展開。しかし、モントーヤは常に上位グループに留まり続け、ファイナルラップに4位滑り込み12ポイント獲得。10位2ポイントに終わったフランキッティと同率212ポイントで並びます。その瞬間に優勝回数で上回るモントーヤが1993年のナイジェル・マンセル以来となるルーキー&チャンピオンを見事獲得します。
しかし、その日モントーヤがチャンピオン決定を喜ぶ事はありませんでした。
レース序盤にモノコックごと回転しながらコンクリートウォールに叩きつけられたグレッグ・ムーアという名の若き才能が永遠に失われたからです。開幕ポールトゥーウィンを決め、翌年には名門ペンスキーへの移籍が決定。まさにこれから時代を築こうとした矢先の悲劇でした。レース終了後間もなく彼の訃報が場内アナウンスで伝えられたモータースピードウェイは深い悲しみの底に沈みます。泣きじゃくるエイドリアン・フェルナンデスの姿が親しかった人々の悲しみを代表していました。CARTでは、第17戦ラグナセカでもゴンザロ・ロドリゲスというウルグアイ人ドライバーが死亡する事故が起きたばかり。F1に比べて命のリスクが高いレース・カテゴリーと言えました。
◆1年の休養期間
シーズン終了後、来期セカンドシートの行方が二転三転するウィリアムズ。「ザナルディ本人のモチベーション次第で残留もありえた」が、F1継続の意志なしとの申し出がザナルディ側からあったため契約解除に応じた…そうですが、チーム関係者がすでに早い時期から他のドライバーを物色していた事は周知の事実でした。
そして、来期セカンドシート最有力候補と目されていたモントーヤがCARTへの残留を発表したため、代わりにF3の経験しかない弱冠20歳の新人ジェンソン・バトンの起用が発表されます。
一方、ザナルディは古巣であるチップ・ガナッシがホンダと袂を分かちトヨタユーザーとなったり、家族からは危険なオーバルコースへの復帰を反対された事もあり、1年間の休養生活に入ります。1年間で粉々に砕け散った自分のプライドを取り戻すには、それだけの時間が必要だったのでしょう。そして、2001年。ザナルディは明るい夢を抱いてCARTの世界へ復帰します。
◆運命の日
2001年9月15日・ドイツで開かれたCART第16戦「ジ・アメリカン・メモリアル」決勝。
名手トニー・カナーンを擁するモー・ナン・レーシング(ホンダエンジン)から参戦していたザナルディは143周目にピットインし、コース復帰直後にコースオフします。なんとかコースへ復帰しようと挙動が安定しないマシンを立て直そうとしますがトラックの内側へノーズを向ける形となってしまいます。そこへアレックス・タグリアーニの乗るマシンが時速300km/hオーバーの高速で衝突。コクピットサイドを直撃されたマシンはコクピットから前の部分を吹き飛ばされ大破。ザナルディは両足に酷い怪我を負います。迅速な救命措置がとられますが出血多量でかなり危険な状態でした。それでも奇跡的に快方へと向かい、一命を取り留めます。
↓事故映像(ショッキングな映像で気分が悪くなる怖れがあります。特に心臓が弱い人にはオススメしません。こんな事故に遭いながらレースへと戻ろうとするザナルディの気がしれません)
http://www.youtube.com/watch?v=xQBxROyh0dQ&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=Z_7RatoqABw
◆フランク・ウィリアムズの言葉
「チーム全員が、アレックスの深刻な事故の知らせを聞いて、とても動揺している。彼と彼の家族のことを考えると胸が痛い。彼は真のジェントルマンだ。彼には多くの友があり、世界中に多くのファンがいる。彼を知るすべての人間が、彼の一日も早い回復を願っている。」
(F1グランプリ特集 VOL.148 ニュース記事より)
◆帰ってきたザナルディ
↓そして、これが去年暮れのテスト映像。はっきり言って泣けます。感動します。
http://www.youtube.com/watch?v=N_wrBSS1DHs
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登録日:2007年 01月 30日 03:17:26
- プロフィール
- 斎藤モ吉
- (男)
- 福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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