2007年 04月
「バーレーンで泣いた人たち」で一句
<07 F1・第3戦 バーレーンGP>決勝、佐藤琢磨 エンジントラブルでリタイアに終わる - バーレーン
【マナーマ/バーレーン 15日 AFP】F1・2007年シーズン第3戦・バーレーンGP(Bahrain Grand Prix 2007)、決勝。17番グリッドからスタートしスーパーアグリ(Super Aguri)の佐藤琢磨(Takuma Sato)は、34周を走行しエンジントラブルのためリタイアに終わった。(c)AFP/DAMIEN MEYER
蜃気楼 浮かんで消えた 笑みと月
[解説]
オープニングラップでしょうか?下位グループの激闘の様を伝えるイイ写真です。
3つの予選セッションでも脱落していく組の差はほぼ1秒以内という熾烈な争い。
まさにこのショットが象徴するように、各チーム団子状態。
近年稀に見る実力伯仲のシーズンなのです。
だからこそ、わずかなツキとチャンスを手にした者が勝者として
歓喜の笑みを我がモノとできるのです。
そして、敗者は砂を噛むような思いでサーキットを後にします。
この写真の中でフィニッシュまで生き残ったのは2人。
しかも彼らも限りなく敗者に近く、歓喜にはほど遠いゴールでした。
[雑感]
2強と呼ばれるフェラーリとマクラーレンの実力は接近しています。
彼らになんとかついて行けている唯一のチームがBMW。
レースで歓喜を味わえているのはこの3チームぐらい。
残りの8チームは、毎レース互いにしのぎを削りながら
なんとかおこぼれの1〜2ポイントを得ようとアクセクするばかり。
開幕前には明るく見えたはずのシーズンへの夢がどんどん現実味を帯びて、
小さくなり逆に課題が重くのしかかってきています。
特に「ホンダ」「ルノー」「ウィリアムズ」の3チームは、
「心底ガッカリ」するようなレースが続いています。
◆輝きの消えたバトン
去年のハンガリーで見せたバトンの輝きは何処へ。
新人ハミルトンの活躍で母国メディアからも「過去の人」扱い。
今シーズンはスタート失敗が目立ちます。バーレーンでも抜かれたクルサードにひっかかりスピン。
同僚バリチェロともにノーポイントですが、レースリザルトがあまりに悪いです。
◆やる気が見えないラルフ
どうなんでしょう?トヨタの環境に飽きてきたのか?
それとも「F1」自体に飽きてきているのでしょうか?レースしていて楽しそうに見えません。
同僚トゥルーリの活躍ばかりに周りの目が集中して、彼の存在すら忘れ去られそうなカンジです。
◆やる気カラ回り気味コバライネン
本来、新人ドライバーなんてのは大抵彼みたいなモンなんです。
ハミルトンが異常に完成され過ぎているだけ…なんですけどね。
つい比べてしまい、荒削りというよりトッ散らかった印象を受けてしまうコバライネン。
マシンとの相性もあったでしょうが、ここに来てやっと落ち着きを取り戻しつつあります。
しかし、バーレーンでは1回目のピットイン後に「ブルツ&ロズベルグ」のウィリアムズコンビに前を塞がれてしまったのが身の不運だった?
◆焦りが裏目ロズベルグ
なんだかコースアウトばかりの印象が強かったロズベルグ。同僚に突っ込みすぎてあわや同士討ちになりかけるは、コースアウトするは、おかげでクルサードにまんまとパスされるはと実に散々なレースでした。その後もコバライネンと接触してコースオフしたり、トゥルーリに突っ込みかけてオーバーランしたりとドタバタ続き。おそらくハミルトンの活躍を意識して、なんとか良いトコロを見せたいという焦りがあったのかも…しかし、それが裏目となり怖いフランクさんとパトリックさんの通信簿に減点が増えてしまいました。
◆ホンダ不調のあおり?スーパーアグリ
ここ最近見たことがないほど派手に白煙を巻き上げてエンジンがブローアップした佐藤琢磨のSA07。
そして、残りわずか6周で同僚アンソニー・デビッドソンも同じ症状でリタイア。
2レース目というならまだしも1レース目で…。ホンダ本店が絶不調だからカスタマーエンジン方面まで手が回らず、あおりを食っちゃったんでしょうか?アンソニーの調子が上り調子なのが救い?反対に琢磨の調子がいまひとつなのが気になるところ。
◆トンネルの出口が見えないホンダ
実は金曜プラクティス中にすでにエンジンを一基ブローさせていたバトン&ホンダ。
スーパーアグリを襲ったトラブルの予兆は出ていたのです。
あれこれモディファイは続けられているようですが、予選でQ2が精一杯という状況に変化なし。
決勝レースもポイント獲得の可能性は微塵も感じられません。
中本TDは「不振の原因究明は60%」と語っていますが、言い換えるなら半分近く「どこが悪いんだか分かんない」って意味ですよね…。ツライなあ〜。
あまりのマシンの出来の悪さにうんざりしたドライバーから「プロらしくない」なんて言うホンダ批判が上がってるらしいのですが…昔から誰もが「絶対不可能」という領域にムチャを承知で挑戦する「プロらしくない」デタラメさあってこそのホンダなんじゃないの?って私なんかは思うんですが。
誰かがやった後の安全圏をただサル真似して入賞狙いなんて、それこそ「ホンダ」じゃないと思います。だからガンバレ!ホンダ。
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登録日:2007年 04月 30日 23:33:45
「バーレーンで笑った人たち」で一句
<07 F1・第3戦 バーレーンGP>決勝、マッサ ハミルトンを抑えシーズン初優勝 - バーレーン
【マナーマ/バーレーン 15日 AFP】F1・2007年シーズン第3戦・バーレーンGP(Bahrain Grand Prix 2007)、決勝。
≫続きを読む…
(c)AFP/DAMIEN MEYER
快勝に 悪評立てた 奴マッサお
[解説]
よかったね〜マッサ。文句なしのポールトゥーウィン。
危なげないレース運びに「ほんとはダメレーサーなんじゃね〜か?」とか
「去年よかったのはシューマッハのおかげ」みたいに
ボロクソ言ってたヤツラに目にモノ見せる事ができました。
パルクフェルメで止めたマシンに立って、全身から沸き立つ
喜びを表すこのシーンはいろんなレース雑誌の表紙を飾りました。
[雑感]
このバーレーンまでの3戦でとりあえず一区切り。
次のヨーロッパラウンド開始「スペインGP」まで1ヶ月のインターバル。
まずは、バーレーンで笑った人たちを総まとめしてみます。
◆惜しかったハミルトン
実はハミトン、「ホントは優勝できたかも…」なので笑ったとは言えないかもしれません。1回目のピットインで交換したタイヤの内圧が低かったのとフロントウィングのアングル替えをスタッフが間違えたためにペースを落としてしまいます。このバーレーンではほとんどのチームが「ミディアム→ミディアム→ハード」を選択し、マクラーレンもそうしていたのですが結果論で言えば、彼らのマシンには「ハード」の方がマッチしていたようでした。それならアロンソもライコネンやハイドフェルドに負けなかったかも…なのです。
ナニはともあれ「デビュー後3連続表彰台」の記録は前人未踏なので「笑った」って事に…。
◆王者に勝ったハイドフェルド
上記のような理由で苦戦していたアロンソをキッチリ攻略したハイドフェルドは間違いなくバーレーンGPを盛り上げた1人。「地味」とか言ってゴメンなさい。
「次に表彰台に上れる候補ナンバー1」
◆敢闘賞だったクルサード
ドライブシャフト破損でリタイアしちゃったから結果的には「笑った」とは言えないかもですが、バーレーンで最高の走りを見せてくれたデビクル。
21番手スタートから15周目にブルツ、24周目にトゥルーリ、28周目にウェーバー、31周目にフィジケラとオーバーテイクショーを見せてくれました。
◆意地を見せたトゥルーリ
かつてルノーに在籍したトゥルーリ。こともあろうに地元フランスGPで無様に表彰台を逃してしまったばっかりにチームを追われた因縁がありました。
そんな因縁あるルノー期待の星・コバライネンを木っ端微塵に粉砕し、かつての盟友フィジケラも攻略します。2度目のタイヤ交換で履いたハードタイヤがマシンに合わずフィジケラに追いつかれ、何度も後ろから襲いかかられましたが、見事、コレを抑えこみ貴重な2ポイントをチームにもたらしました。
◆マールボロロゴ
最後にちょっと「バーレーンGP」でビックリした事。
フェラーリの車体に「Marlboro」のロゴが堂々と入ってましたね。
てっきり今年から「タバコスポンサー全面禁止」だと思っていたら…。
タバコ広告を禁止されていない国ではシラ〜っと出すみたいですね。
そーいえば3月1日の「バーレーンテスト」の写真を見るとすでに「マールボロロゴ」がガンガン出てました。(全然、気づいてなかった…orz)
って事は、モナコや上海、日本では例年のようにフツーに「マールボロ」フェラーリが見られるという事でしょうか?
◆去年のスペインで気になった事
それを調べていてちょっと気になったのは去年の「スペインGP」。
フェラーリもホンダも当然マールボロやラッキーストライクのロゴがバーコードやグルグルマークに変わっていたのに、ルノーのマシンにもドライバーのスーツにも何故か「マイルドセブン」のロゴが堂々とついていました。
EU加盟国のほとんどは「タバコ広告禁止」だったはず…謎です。
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登録日:2007年 04月 29日 23:26:51
「強豪マクラーレン復活!?」で一句
<07 F1・第2戦 マレーシアGP>決勝、コバライネン 8位でレースを終える - マレーシア
【クアラルンプール/マレーシア 8日 AFP】F1・2007年シーズン第2戦・マレーシアGP(Malaysian Grand Prix 2007)、決勝。11番手からスタートしたルノー(Renault)のヘイッキ・コバライネン(Heikki Kovalainen)は、優勝したマクラーレン・メルセデス(McLaren-Mercedes)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)に1分12秒015差をつけられ8位でフィニッシュした。(c)AFP/TEH ENG KOON
久しぶり モエの飛沫に ロンの笑み
[解説]
久しぶりですね〜。
マクラーレンの2台が決勝リザルトのトップに並ぶのは。
マクラーレンの優勝は、2005年第18戦・鈴鹿のライコネン以来。
1-2フィニッシュも同年第17戦・ブラジル以来です。
マクラーレンの暗黒時代といえば94年から96年の3年間。
それに比べれば、ずっと短かった無勝期間ですが、
この1年ちょっとの間にロン・デニスの顔も随分フケ込んだ気がします。
アロンソは、ディフェンディングチャンピオンとして「勝って当然」の状況ですが、あのミハエルですら移籍後すぐに勝てず(7戦目)に散々批判を浴びたもんです。それが、移籍2戦目で勝利というのは上出来じゃないでしょう?
ルイスミルトンも開幕2連戦で連続表彰台ですでに常連化。
しかも今回はマッサ&ライコネンのフェラーリ軍団をはねのけての2位獲得。
あの堂々たるバトルを見れば、彼の度胸と才能を認めないワケにはいかないはず。
さぞ表彰台で2人が振りまくモエ・シャンドンの飛沫を浴びながら
ロン大将もさぞ心の中では笑いが止まらない事でしょう。
[雑感]
逆にこの2連戦でアタマが痛いのはフェリペ・マッサ。
アロンソにパスされたのは言い訳できても新人ハミルトンにしてやられたのは下手すると致命的。次戦バーレーンあたりで「イイとこ」見せないとさすがにヤバイです。フェラーリの「チーム・ライコネン化」は絶対避けたいトコロ。
◆熾烈なシーズンの予感?
しかし、これで「フェラーリVSマクラーレン」の2強対決構造ほぼ決定的になってきました。おそらく、過去何度もあった図式の再現が見られる事でしょう。
そこでかつて激戦を繰り返した「FM対決イヤー」を遡ってみます。
◆1998-2000年 ハッキネンVSミハエル時代
FM対決イヤーとして記憶に一番新しいのは、このハッキネン・シューマッハ時代。マクラーレンチーム自体が暗黒時代からいきなり優勝戦線へ返り咲いた1998年。まさに《ニューウィー効果》。
戦闘力の高いMP4/13のおかげで一気に開幕2連勝。
勢いづいたハッキネンがシーズンを圧勝するかと思われましたが、宿敵ミハエルの粘り強い走りでイタリアGPではポイント差で並ばれてしまいます。しかし、ハッキネンは根性を見せニュル&鈴鹿の2連戦で初チャンピオンを決めます。
翌99年はマクラーレンの出遅れもあり、ミハエルに先行を許します。
しかし、イギリスGPでのミハエル骨折により相手がアーバインに変わると
「勝って当然」というプレッシャーに押しつぶされそうになります。
そんな《モンツァの涙》の危機を乗り越え
ハッキネンが2年連続チャンピオンを獲得します。
そして、2000年。
フェラーリはスーパーマシン《F1-2000》を手に入れ、ついに反撃を開始。
開幕3連勝でミハエルは完全にマクラーレンを圧倒。
しかし、ハッキネンはそれでも必死に抗戦を試み、特にベルギーのスパ・フランコルシャンでは鮮烈な走りでミハエルに一矢報います。
レース終盤の41周目。ハッキネンが前を行くミハエルをケメルストーレートで周回遅れのリカルド・ゾンタ越しに一気にオーバーテイクしてみせ、宿敵ミハエルに一泡吹かせます。
http://www.youtube.com/watch?v=Pa0TXmgvs7g
◆1990年 セナVSプロスト時代
88年-89年のセナ対プロストによるマクラーレンチーム内での確執が
プロストのフェラーリ移籍によりチーム間対決へと発展します。
セナは同僚に気の合うベルガーを迎え、ホンダエンジンによる全面バックアップ。
一方のプロストは同僚が気まぐれなマンセル。乗るマシンは優れていてもチーム体制は、ゴタゴタ。唯一の望みだったジョン・バーナードもチーム移籍を準備中という有様。
そんなプロストの孤軍奮闘も空しく、チャンピオン争いは鈴鹿までずれ込みます。
一方のセナも今ひとつ調子の上がらないMP4/5Bの操作性に苦しみます。
そして、スペインでの不運なラジエーター破損によるリタイア。
1年前「不当失格」の悪夢を見せられた地、鈴鹿での決戦。
ポールポジション位置をめぐる抗議の却下。
セナは猜疑心と復讐心によって正当化された《特攻》をプロストに対して敢行。
http://www.youtube.com/watch?v=LuPmQKh954Q
セナ、生涯2度目のチャンピオンを獲得。
この年以降、フェラーリはまた低迷期へ逆戻り。
ミハエルが移籍してくるまでの5年間、長い冬を迎えます。
◆1976年 ハントVSラウダ時代
シーズン当初はフェラーリのニキ・ラウダが圧倒的で
イギリスまでに5勝を上げ、ほぼチャンピオン決定と思われました。
そんな矢先、ラウダは悲劇のニュルブルクリンクで事故に遭い、
全身に大やけどを負い、一時は絶望視されました。
http://www.youtube.com/watch?v=FDT2Wj9IImM
しかし、夫人の献身的な介護と奇跡的な回復力で生還を遂げ、
5週間後にはフィオラノでテストに、6週間後のモンツァでレースに復帰します。
http://www.youtube.com/watch?v=BG9zLkF9eVo
↓「イタリアGP」ダイジェスト
http://www.youtube.com/watch?v=DmnJ-_rbz_I
しかし、ラウダ不在の間に
マクラーレンのジェームズ・ハントは着実に勝利を重ね(6勝/65p)、
日本初開催となる最終戦までには勝利数でラウダ(5勝/68p)を上回っていました。ハントはあと3ポイント取れれば念願のチャンピオン獲得です。
豪雨の中、富士スピードウェイで開催された日本GP。
しかし、ラウダは2周しただけでピットへ戻り「死ぬのは一度で十分さ…」と言い残してリタイアを決めてしまいます。
スタート直後はほとんど視界ゼロだった天候も周回を重ねるにつれて回復。
そのためトップ周回中だったハントのレインタイヤはみるみる劣化し、
ロータスのマリオ・アドレッティに首位を譲り、タイヤ交換に入ります。
残り周回数4周で5位に復帰。
ハントは、あと1人抜けばチャンピオン決定でした。そして、アラン・ジョーンズとクレイ・レガッツォーニが残り2周でやはりタイヤに問題が発生しペースダウン。これをハントはパスして表彰台圏内へ。しかし、無線が故障していたハントは自分が何位なのかも分からず半狂乱状態でゴール。喜んでマシンに駆け寄るスタッフを見ても自分が3位でゴールし、チャンピオンシップを獲得した事すら理解できていませんでした。
http://www.youtube.com/watch?v=z29PIKyjn68
◆1974年-1975年 フィッティパルディVSラウダ&レガッツォーニ時代
70年にロータス・チームからデビューしたエマーソン・フィッティパルディは、
72年に最年少チャンピオン(25歳)に輝きますが、翌年、ロータスに加入してきた成長目覚ましいロニー・ピーターソンの存在によってチームが2分されるのを嫌い、ナンバー1待遇を確保できそうなマクラーレンへと移籍します。
クレイ・レガッツォーニは、斜陽の名門BRMで無駄な1年を過ごした後、フェラーリへ出戻りますが、その時にBRMで同僚だった若者をフェラーリへ誘います。
ニキ・ラウダという名のオーストリア人の才能を腐らせたくないという親切心でした。クレイの見識通り、ラウダはフェラーリでメキメキと頭角を現して行きます。
マーチ、BRMで全く芽の出なかったラウダは、
フェラーリ移籍第1戦目・アルゼンチンGPでいきなり2位表彰台。
4戦目・スペインGPで初優勝。第8戦・オランダGPで2勝目を上げます。
ポールポジション獲得も9回と抜群の速さをアピールしました。
しかし、リタイア数もまた8回と多く、まだ若さ故の未熟さを露呈します。
一方のレガッツォーニは、年間1勝ながら着実に入賞を重ね52ポイントを獲得します。しかし、年間3勝をげたマクラーレンのフィッティパルディにポイント差でわずかに3ポイント届かずランキグ2位終わります。
フィッティパルディにとって生涯2度目、マクラーレンチームにとっては初のワールドチャンピオン輩出でした。
明けた1975年は、まさにラウダ開眼の年。
前年の反省から完走率を高める走りに転換したフェラーリのニキ・ラウダは
ポールポジション9回、年間5勝、入賞回数12回、64.5ポイントを獲得。
年間2勝、45ポイントのフィッティパルディを退け、
ラウダは初のワールド・チャンピオンシップを獲得します。
その影には、レース中に黒旗覚悟のブロックによる援護射撃など
私利私欲を顧みないレガッツォーニの男らしい友情と献身的努力がありました。
後に総帥エンツォ・フェラーリの独断により盟友クレイ・レガッツォーニが
チームを追われるとラウダはフェラーリを許さず、
自分に課されたチャンピオン獲得のノルマを果たすとさっさとチームを離脱。
ブラバムへ移籍しますが、2年の低迷したシーズンにより引退を決意。
そのラウダを3年後にカムバックさせたのがマクラーレンのロン・デニスでした。
◆歴史に残るシーズンの予感
マクラーレンとフェラーリがしのぎを削ったシーズンは、
このようにF1史上意義あるシーズンである可能性が高いのです。
今年のF1は、きっと何かが起こる予感がします。
◆30年前マクラーレンからデビューした新人
今年、マクラーレンが慣例を破り、
いきなりルイス・ハミルトンという新人をデビューさせました。
しかし、実は30年前に1戦だけマクラーレンからデビューした新人がいました。
その名はジル・ヴィルヌーブ。あの伝説のレーサーが1977年第10戦のシルバーストーンでデビューしていました。
そのリザルトは予選9位、決勝11位。平凡な結果でした。
テスト中もコーナーごとにやたらスピンをしまくる新人を見て、
見る目のない人間は「なんて下手なドライバー」と判断しました。
実はジルは、コーナー毎の限界スピードをそうやって測っていたのですが…。
マクラーレンの首脳陣も見る目がなかったのでしょうか?
ヴィルヌーブとの年間契約の予定を反故にして、
代わりにパトリック・タンベイと契約を結びます。
しかし、そんなヴィルヌーブに総帥エンツォ・フェラーリが目をつけます。
その理由を聞かれた総帥は「ただピンときただけだ」と答えました。
もしも、マクラーレンがヴィルヌーブと契約を結んでいたなら…。
後の伝説はどんな形になっていたのでしょうか?
そして、今年フェラーリでなくマクラーレンからデビューした
ルイス・ハミルトンは、いったいどんな伝説をF1史に刻むのでしょうか?
これからの彼の動向に注目しましょう。
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登録日:2007年 04月 14日 02:22:15
「新シーズン>新ヘルメット」で一句
<07 F1・第1戦 オーストラリアGP>決勝、アロンソ シーズン開幕戦は2位入賞 - オーストラリア
【メルボルン/オーストラリア 18日 AFP】F1・2007年シーズン開幕戦・オーストラリアGP(Australian Grand Prix 2007)・決勝。2番グリッドからスタートしたマクラーレン・メルセデス(McLaren-Mercedes)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)は、優勝したフェラーリ(Ferrari)のキミ・ライコネン(Kimi Raikkonen)に7秒2差をつけられ開幕戦を2位でフィニッシュした。(c)AFP/Paul CROCK
セナが好き カナリア色の ハミルトン
[解説]
「黄色はセナの色。彼は僕のアイドルだったから」(F1速報2007年シーズン展望号より)
優勝したライコネンにみずから握手&肩ポンポン。インタビューでも堂々とした受け答え。およそ新人らしからぬハミルトンの態度に「おいおい」と思っても、こういう初々しい発言を聞くだけで好感度が2割増しぐらいハネ上がります。(それも計算の内だったら末恐ろしい…)
アイドルだったレーサーと同じデザインのヘルメットをかぶりたい…そんな気持ちにプロもアマも変わらない…と言うより、プロも最初はアマチュアだったんだと言う「当たり前な事」で親近感を感じてしまいます。10年後にはハミルトンのヘルメットを真似た新人レーサーが現れたりするんでしょうか?そんな日が来るのが楽しみです。
[雑感]
それぞれの個性やこだわりがよく表れるヘルメットデザイン。
ドライバー人生を通じてずっと同じカラーリングやパターンを踏襲するというのが割と通例でした。ところが、去年引退したミハエル・シューマッハのヘルメットが黄色から真っ赤かに変わったように、ここ最近そんな伝統もやや薄れつつある気がします。特に今年、主要トップレーサーたちの移籍の影響もあり、ヘルメットの印象がガラッと変わった人もいます。そんなアレコレをピックアップしてみます。
◆フェルナンド・アロンソ
なんと言っても一番印象が変わったのがこの人。
最初、「移籍したライコネンがなんでマクラーレンに乗ってるの?」と見間違えたほど。
デビューから2005年までブルー地にスペイン国旗カラーだったアロンソ。それに去年《マイルドセブン&ルノー》カラー、あるいは故郷《アストゥリアス》カラーを強調したデザインに変えたばかりだと思ったら…。
験担ぎの「稲妻マーク」しか残ってないですね。「カート時代から僕のデザインは赤と白と黒だった」らしいのですが、ホントのところはどうなのでしょう?よっぽどこだわりがナイか、トータルコーディネートを重視するタイプ?
◆キミ・ライコネン
変わったといえばライコネン。オーソドックスな形の《アライ》から《シューベルト》に変えた途端、なんかSF映画に出てくる悪役兵士みたいに見えます。アゴのラインがずっとシャープになり黒より白の比率がアップしたのと、全体がなにげに《マールボロ》カラーになったせいでしょうか。でも、全体の雰囲気はグッと洗練され、格好良さはアップしたように思います。
◆フェリペ・マッサ
全体の色調は変わらないけど、サイドから見た時の《黄色クロス》がアゴに向けて流れるようなデザインに変わったのと頭頂部の四角格子パターンがグラデーションに変わりました。彼のデザインも洗練度がグッと上がりましたね。フェラーリ専属のヘルメットデザイナーでもいるのでしょうか?
◆ニック・ハイドフェルド
彼もまた、一番目立っていた黄色をザックリ外してしまったせいで「あんた誰?」と一瞬戸惑わせられたクチ。でも、白とブルーと銀色の落ち着いたカラーリングは「BMWらしく」なかなかイイ感じ。ちょっと地味過ぎるかなと思うけど、キャラには合っているかも…。
ヘルメットの中味も髪を伸ばしたり、無精ヒゲでワイルドさを強調したりとイメージアップを図ってるんですが…何度も表彰台に上がっているのにこの影の薄さ…かつてのフレンツェンを上回る勢いです。
◆ヴィタントニオ・リウッツィ
右半分/グリーン、左半分/赤の半立体風の矢印パターンが前後ろに行き交ってなんかものスゴイ事になってます。ただトロロッソのあの手書き風赤ウシイラストのコクピットに収まるとなんとなく絵になるようにデザインされてるみたいです。相方のスコット・スピードのヘルメットデザインも同様にマイナーチェンジされてます。
◆中嶋一貴
以前のデザインは父・悟氏のデザインを踏襲したイメージでしたが、トップとサイドに赤いストライプが入ってグッと現代的なアレンジに変わりました。これはこれでなかなかイイ感じだと思います。
◆アンソニー・デビッドソン
サイドの★マークの各頂点から放射状に三角形が伸びるデザインを見た時に「おおー懐かしい」と思いました。元ネタは80年代にF1で活躍したアメリカ人レーサー、エディー・チーバーですね。彼の場合は、単純に「デザインがカッコイイから」真似たらしいのですが、それでも往年のレーサーたちのヘルメットがサーキットに戻ってくるのはうれしいものです。
かつて、ロニー・ピーターソンやエリオ・デ・アンジェリスに憧れたミケーレ・アルボレートやジャン・アレジがデザインを真似したヘルメットで活躍したように、アンソニーもチーバーのヘルメットで活躍する事を期待します。
◆これか登場を期待したいヘルメット
父ネルソンとまったく同じデザインをかぶるネルソン・ピケJr.には、早くF1へ登場してもらいたいですね。あとブルーノ・セナは、もっと素直なデザインでいいんじゃないでしょうか?ニコ・ロズベルグも同じく。みんなデーモン・ヒルを見習って素直に《血脈》を主張してもらいたいものです。間違っても意固地になって奇妙な配色&デザインになっちゃったジャック・ヴィルヌーブの二の舞だけは避けてほしいものです。
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登録日:2007年 04月 05日 10:12:37
- プロフィール
- 斎藤モ吉
- (男)
- 福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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