2007年 04月 14日

「強豪マクラーレン復活!?」で一句

<07 F1・第2戦 マレーシアGP>決勝、コバライネン 8位でレースを終える - マレーシア

【クアラルンプール/マレーシア 8日 AFP】F1・2007年シーズン第2戦・マレーシアGP(Malaysian Grand Prix 2007)、決勝。11番手からスタートしたルノー(Renault)のヘイッキ・コバライネン(Heikki Kovalainen)は、優勝したマクラーレン・メルセデス(McLaren-Mercedes)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)に1分12秒015差をつけられ8位でフィニッシュした。(c)AFP/TEH ENG KOON

AFPBB News


久しぶり モエの飛沫に ロンの笑み

[解説]
久しぶりですね〜。
マクラーレンの2台が決勝リザルトのトップに並ぶのは。
マクラーレンの優勝は、2005年第18戦・鈴鹿のライコネン以来。
1-2フィニッシュも同年第17戦・ブラジル以来です。
マクラーレンの暗黒時代といえば94年から96年の3年間。
それに比べれば、ずっと短かった無勝期間ですが、
この1年ちょっとの間にロン・デニスの顔も随分フケ込んだ気がします。

アロンソは、ディフェンディングチャンピオンとして「勝って当然」の状況ですが、あのミハエルですら移籍後すぐに勝てず(7戦目)に散々批判を浴びたもんです。それが、移籍2戦目で勝利というのは上出来じゃないでしょう?

ルイスミルトンも開幕2連戦で連続表彰台ですでに常連化。
しかも今回はマッサ&ライコネンのフェラーリ軍団をはねのけての2位獲得。
あの堂々たるバトルを見れば、彼の度胸と才能を認めないワケにはいかないはず。
さぞ表彰台で2人が振りまくモエ・シャンドンの飛沫を浴びながら
ロン大将もさぞ心の中では笑いが止まらない事でしょう。

[雑感]
逆にこの2連戦でアタマが痛いのはフェリペ・マッサ。
アロンソにパスされたのは言い訳できても新人ハミルトンにしてやられたのは下手すると致命的。次戦バーレーンあたりで「イイとこ」見せないとさすがにヤバイです。フェラーリの「チーム・ライコネン化」は絶対避けたいトコロ。

◆熾烈なシーズンの予感?
しかし、これで「フェラーリVSマクラーレン」の2強対決構造ほぼ決定的になってきました。おそらく、過去何度もあった図式の再現が見られる事でしょう。
そこでかつて激戦を繰り返した「FM対決イヤー」を遡ってみます。

◆1998-2000年 ハッキネンVSミハエル時代
FM対決イヤーとして記憶に一番新しいのは、このハッキネン・シューマッハ時代。マクラーレンチーム自体が暗黒時代からいきなり優勝戦線へ返り咲いた1998年。まさに《ニューウィー効果》。
戦闘力の高いMP4/13のおかげで一気に開幕2連勝。
勢いづいたハッキネンがシーズンを圧勝するかと思われましたが、宿敵ミハエルの粘り強い走りでイタリアGPではポイント差で並ばれてしまいます。しかし、ハッキネンは根性を見せニュル&鈴鹿の2連戦で初チャンピオンを決めます。

翌99年はマクラーレンの出遅れもあり、ミハエルに先行を許します。
しかし、イギリスGPでのミハエル骨折により相手がアーバインに変わると
「勝って当然」というプレッシャーに押しつぶされそうになります。
そんな《モンツァの涙》の危機を乗り越え
ハッキネンが2年連続チャンピオンを獲得します。

そして、2000年。
フェラーリはスーパーマシン《F1-2000》を手に入れ、ついに反撃を開始。
開幕3連勝でミハエルは完全にマクラーレンを圧倒。
しかし、ハッキネンはそれでも必死に抗戦を試み、特にベルギーのスパ・フランコルシャンでは鮮烈な走りでミハエルに一矢報います。
レース終盤の41周目。ハッキネンが前を行くミハエルをケメルストーレートで周回遅れのリカルド・ゾンタ越しに一気にオーバーテイクしてみせ、宿敵ミハエルに一泡吹かせます。
http://www.youtube.com/watch?v=Pa0TXmgvs7g

◆1990年 セナVSプロスト時代
88年-89年のセナ対プロストによるマクラーレンチーム内での確執が
プロストのフェラーリ移籍によりチーム間対決へと発展します。

セナは同僚に気の合うベルガーを迎え、ホンダエンジンによる全面バックアップ。
一方のプロストは同僚が気まぐれなマンセル。乗るマシンは優れていてもチーム体制は、ゴタゴタ。唯一の望みだったジョン・バーナードもチーム移籍を準備中という有様。
そんなプロストの孤軍奮闘も空しく、チャンピオン争いは鈴鹿までずれ込みます。
一方のセナも今ひとつ調子の上がらないMP4/5Bの操作性に苦しみます。

そして、スペインでの不運なラジエーター破損によるリタイア。
1年前「不当失格」の悪夢を見せられた地、鈴鹿での決戦。
ポールポジション位置をめぐる抗議の却下。
セナは猜疑心と復讐心によって正当化された《特攻》をプロストに対して敢行。
http://www.youtube.com/watch?v=LuPmQKh954Q
セナ、生涯2度目のチャンピオンを獲得。
この年以降、フェラーリはまた低迷期へ逆戻り。
ミハエルが移籍してくるまでの5年間、長い冬を迎えます。

◆1976年 ハントVSラウダ時代
シーズン当初はフェラーリのニキ・ラウダが圧倒的で
イギリスまでに5勝を上げ、ほぼチャンピオン決定と思われました。

そんな矢先、ラウダは悲劇のニュルブルクリンクで事故に遭い、
全身に大やけどを負い、一時は絶望視されました。
http://www.youtube.com/watch?v=FDT2Wj9IImM
しかし、夫人の献身的な介護と奇跡的な回復力で生還を遂げ、
5週間後にはフィオラノでテストに、6週間後のモンツァでレースに復帰します。
http://www.youtube.com/watch?v=BG9zLkF9eVo
↓「イタリアGP」ダイジェスト
http://www.youtube.com/watch?v=DmnJ-_rbz_I

しかし、ラウダ不在の間に
マクラーレンのジェームズ・ハントは着実に勝利を重ね(6勝/65p)、
日本初開催となる最終戦までには勝利数でラウダ(5勝/68p)を上回っていました。ハントはあと3ポイント取れれば念願のチャンピオン獲得です。

豪雨の中、富士スピードウェイで開催された日本GP。
しかし、ラウダは2周しただけでピットへ戻り「死ぬのは一度で十分さ…」と言い残してリタイアを決めてしまいます。

スタート直後はほとんど視界ゼロだった天候も周回を重ねるにつれて回復。
そのためトップ周回中だったハントのレインタイヤはみるみる劣化し、
ロータスのマリオ・アドレッティに首位を譲り、タイヤ交換に入ります。

残り周回数4周で5位に復帰。
ハントは、あと1人抜けばチャンピオン決定でした。そして、アラン・ジョーンズとクレイ・レガッツォーニが残り2周でやはりタイヤに問題が発生しペースダウン。これをハントはパスして表彰台圏内へ。しかし、無線が故障していたハントは自分が何位なのかも分からず半狂乱状態でゴール。喜んでマシンに駆け寄るスタッフを見ても自分が3位でゴールし、チャンピオンシップを獲得した事すら理解できていませんでした。
http://www.youtube.com/watch?v=z29PIKyjn68

◆1974年-1975年 フィッティパルディVSラウダ&レガッツォーニ時代
70年にロータス・チームからデビューしたエマーソン・フィッティパルディは、
72年に最年少チャンピオン(25歳)に輝きますが、翌年、ロータスに加入してきた成長目覚ましいロニー・ピーターソンの存在によってチームが2分されるのを嫌い、ナンバー1待遇を確保できそうなマクラーレンへと移籍します。

クレイ・レガッツォーニは、斜陽の名門BRMで無駄な1年を過ごした後、フェラーリへ出戻りますが、その時にBRMで同僚だった若者をフェラーリへ誘います。
ニキ・ラウダという名のオーストリア人の才能を腐らせたくないという親切心でした。クレイの見識通り、ラウダはフェラーリでメキメキと頭角を現して行きます。

マーチ、BRMで全く芽の出なかったラウダは、
フェラーリ移籍第1戦目・アルゼンチンGPでいきなり2位表彰台。
4戦目・スペインGPで初優勝。第8戦・オランダGPで2勝目を上げます。
ポールポジション獲得も9回と抜群の速さをアピールしました。
しかし、リタイア数もまた8回と多く、まだ若さ故の未熟さを露呈します。

一方のレガッツォーニは、年間1勝ながら着実に入賞を重ね52ポイントを獲得します。しかし、年間3勝をげたマクラーレンのフィッティパルディにポイント差でわずかに3ポイント届かずランキグ2位終わります。
フィッティパルディにとって生涯2度目、マクラーレンチームにとっては初のワールドチャンピオン輩出でした。

明けた1975年は、まさにラウダ開眼の年。
前年の反省から完走率を高める走りに転換したフェラーリのニキ・ラウダは
ポールポジション9回、年間5勝、入賞回数12回、64.5ポイントを獲得。
年間2勝、45ポイントのフィッティパルディを退け、
ラウダは初のワールド・チャンピオンシップを獲得します。
その影には、レース中に黒旗覚悟のブロックによる援護射撃など
私利私欲を顧みないレガッツォーニの男らしい友情と献身的努力がありました。

後に総帥エンツォ・フェラーリの独断により盟友クレイ・レガッツォーニが
チームを追われるとラウダはフェラーリを許さず、
自分に課されたチャンピオン獲得のノルマを果たすとさっさとチームを離脱。
ブラバムへ移籍しますが、2年の低迷したシーズンにより引退を決意。

そのラウダを3年後にカムバックさせたのがマクラーレンのロン・デニスでした。

◆歴史に残るシーズンの予感
マクラーレンとフェラーリがしのぎを削ったシーズンは、
このようにF1史上意義あるシーズンである可能性が高いのです。
今年のF1は、きっと何かが起こる予感がします。

◆30年前マクラーレンからデビューした新人
今年、マクラーレンが慣例を破り、
いきなりルイス・ハミルトンという新人をデビューさせました。

しかし、実は30年前に1戦だけマクラーレンからデビューした新人がいました。
その名はジル・ヴィルヌーブ。あの伝説のレーサーが1977年第10戦のシルバーストーンでデビューしていました。
そのリザルトは予選9位、決勝11位。平凡な結果でした。
テスト中もコーナーごとにやたらスピンをしまくる新人を見て、
見る目のない人間は「なんて下手なドライバー」と判断しました。
実はジルは、コーナー毎の限界スピードをそうやって測っていたのですが…。

マクラーレンの首脳陣も見る目がなかったのでしょうか?
ヴィルヌーブとの年間契約の予定を反故にして、
代わりにパトリック・タンベイと契約を結びます。

しかし、そんなヴィルヌーブに総帥エンツォ・フェラーリが目をつけます。
その理由を聞かれた総帥は「ただピンときただけだ」と答えました。

もしも、マクラーレンがヴィルヌーブと契約を結んでいたなら…。
後の伝説はどんな形になっていたのでしょうか?

そして、今年フェラーリでなくマクラーレンからデビューした
ルイス・ハミルトンは、いったいどんな伝説をF1史に刻むのでしょうか?
これからの彼の動向に注目しましょう。

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登録日:2007年 04月 14日 02:22:15

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プロフィール
斎藤モ吉
(男)
福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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