2007年 05月 16日
「スーパーアグリ初入賞」で一句
<07 F1・第4戦 スペインGP>決勝、佐藤琢磨 8位入賞でチームに初ポイントをもたらす - スペイン
【モンメロー/スペイン 13日 AFP】F1・2007年シーズン第4戦・スペインGP(Spanish Grand Prix 2007)、決勝。13番グリッドからのスタートしたスーパーアグリ(Super Aguri)の佐藤琢磨(Takuma Sato)は、トップと1周差でフィニッシュして8位入賞を果たした。琢磨は1ポイントを獲得をし、参戦2年目のチームに初ポイントをもたらした。(c)AFP/BERTRAND GUAY
ああ見えて ストラテジストな 亜久里さん
[解説]
鈴木亜久里代表には、運を味方につける才能があるのか…と思います。
現役時代の日本人初表彰台獲得といい、
チーム参戦2年目のシーズン早々の初ポイント獲得。
多くの日本人ドライバーや個人チームオーナーたちが
夢見るだけに終わった事を次々と現実化させる
その能力には、空恐ろしいものをカンジさせます。
まさに「有言実行」男《鈴木亜久里》の面目躍如ではないでしょうか。
[雑感]
しかし、彼のレース人生を振り返るとあまり「ラッキー」とは言えません。
ドライバー《鈴木亜久里》の1年目、全戦予備予選落ち。
三流チームで目も当てられないほど屈辱的な時間を無駄に過ごしました。
こめかみに血管を浮き上がらせながら
「ギアを組み間違えてるんだよね…もう信じられない」と日焼けした顔に
ありありと怒りと落胆の色を浮かべながらコメントする姿を思い出します。
そうした劣悪な境遇からでもへこたれず挑戦し続け、
少しでも上位へはい上がろうと努力し続ける姿は多くの共感を呼びました。
そんな彼を影で支え続けてくれたサポーターやスポンサーたち。
その期待に応えた最上の結果。地元「日本」で空高く揚がった日の丸。
あの日、表彰台で輝いた笑顔とまったく変わらない笑顔が
バルセロナのスーパーアグリチームのピットで輝きました。
喜びを爆発させる佐藤琢磨とともに。
http://www.youtube.com/watch?v=BMBjrfVZyAI
↑うれしそうだな〜みんな(笑)琢磨の全力疾走、イイネ。
◆デビュー前夜
F1ドライバー《鈴木亜久里》のデビューは、1988年の鈴鹿スポット参戦。
時代はまさにバブルの絶頂期。
日本のあらゆる人々が我も我もと「F1」に殺到した時代でした。
翌1989年に向け、ホンダに続くエンジンサプライヤーはどこか?
中嶋悟に続く日本人ドライバーは誰か?と噂が引きも切らない状態。
そこにヤマハエンジンのF1参戦が正式にアナウンスされ、
ドライバーに鈴木亜久里の名前が挙がりました。
そんな矢先、急遽決まった「鈴鹿」でのスポット参戦。
耳の病気で休養する事になったヤニック・ダルマスの代理でした。
チームはラルース。2年後に亜久里を表彰台へと導いてくれるチームでした。
◆手荒い洗礼
そうして迎えた日本グランプリ。
予選では、ファーストドライバーのフィリップ・アリオーから0.4秒落ち。
F1初参戦ながら速さ的には十分合格点でした。
しかし、日曜日の決勝で亜久里は思いも寄らない洗礼を受けます。
リジェのルネ・アルヌーによる執拗なブロックと意地の悪いブレーキング。
そして、リアルのアンドレア・デ・チェザリスによる不必要な幅寄せ。
現在なら確実に審議の対象となるあからさまな危険な走路妨害行為でした。
それでも亜久里は3周遅れながらも16位で完走しました。
◆ビッグマウス?
「鈴鹿はオレの方がよく知ってるんだから、プロストの後ろにつく必要なんてないでしょ?」
「オレがもしマクラーレンに乗って、セナがローラの車に乗ったとしたら(略)セナよりオレが4秒速いんだ。」
(F1グランプリ特集Vol.6より)
日本GP後に行われたインタビューでの亜久里のコメントです。
これを読まれた方はどう受け取ったでしょうか?
◆亜久里の本意
きっと「生意気」な発言と受け取られた方がいるのではないでしょうか。
しかし、上記コメントで言いたかった本当の意図は
「自分が熟知した《鈴鹿》のコース取りについて今更プロストから学ぶ事はありません」だったり、「セナと自分とのタイム差はマシンによるものが大半で6秒差のウチ実力差は2秒ぐらいなんですよ」だったりするのです。
◆言い方の問題?
つまり、面白可笑しく誇張されがちな報道に対する訂正に過ぎないのですが、
結局そのコメントさえもが言葉尻だけを強調され
「プロストから学ぶ事なんてナニもない!」とか
「オレは絶対セナより4秒速い!」と言ったかのように曲解されてしまい
「亜久里はビッグマウス」と不必要な反感を買い
多くのアンチを生み出す事になります。
◆アンチ亜久里
まだ予備予選すら通過できない時期に
「F1ドライバーは通過点に過ぎない」と言ったり、
将来のチーム資金づくりのために独自ブランドを立ち上げたり、
コマーシャルに積極的に出演して自分の商品価値を高めるなど、
現在ならイチローや中田英寿らが普通にやっている事を先駆けて行っていました。
しかし、そうしたロジカルでビジネスライクな言動が
「ストイックさ=美徳」と信じて疑わない一部ファンから
「あざとい」「金に汚い」など誹謗される要因となります。
◆栄光の日々
ザクスピード・ヤマハで初フル参戦した89年。
全戦予備予選不通過という過去に例を見ない不名誉は
翌90年、ラルースへの移籍によって回復されます。
同僚にエリック・ベルナールを迎え、
クリス・マーフィー設計によるシャシーと
ランボルギーニV12エンジンの組み合わせは十分な戦闘力を備え、
レースでも入賞を重ね、迎えたクライマックスの日本GPで3位4ポイント獲得。
ラルースチームもコンストラクターランキングでも堂々6位を獲得します。
◆消された記録
ところがシーズン終了直前、ランボルギーニがエンジン供給の停止を一方的に通告。
ランボルギーニは同じフランス国籍の古株チーム・リジェとの契約を発表します。
そして、91年シーズン開幕直前。更なる試練がラルース・チームを襲います。
FISAによる「90年全獲得ポイント剥奪」です。
◆またジャン・マリーが…
本来「ローラ」であるべき名義が「不当に変更された」ゆえの処分なのですが、
あまりに唐突かつ理不尽で一方的な処分に関係者一同誰もが耳を疑いました。
この処分のウラには某フランス系チームによる予備予選シード権奪還工作や
マネーを抱えた亜久里を狙い仕掛けられたラルースチーム破壊工作と噂されました。
どちらにせよ亜久里の91年は開幕前に暗澹たるものでした。
http://www.youtube.com/watch?v=2DChNJfDsEE
↑コレも亜久里の実像ではありますが…こんなのしかないの?
◆準ジャパンチーム?
案の定、悲惨なシーズンを1年過ごした亜久里の前に新たな道が開けます。
フットワーク・アロウズからの誘いでした。
エンジンは無限・ホンダ。同僚はベテランのミケーレ・アルボレート。
テクニカル・ディレクターはアラン・ジェンキンスでした。
◆予想外の展開
しかし、これ以上ない万全の体制で挑んだはずのフットワークでの2年間は、
亜久里にとって決して受け入れられない現実を突きつけられたシーズンでした。
1年目のアルボレート、2年目のデレック・ワーウィックと
すでにピークを過ぎたおじさんドライバーに予選・決勝を通じて常に後塵を拝したのです。
亜久里のプライドがいたく傷つけられました。
◆92年シーズン後/亜久里のコメント
「ミケーレは(略)フットワークに来て3年経ってる(略)マシンの事はどんな小さな事でも知ってるし、性能も知り尽くしてる。(略)ミケーレのスタイルは独特でとても特別なものがあるよね。(略)だからマシンを知らない僕にとってはすごくドライブしづらいんだ。これも大きな問題だったんだ。言い訳はしたくないけど、今年の鈴木亜久里は本当の鈴木亜久里じゃない。」
(F1グランプリ特集Vol.42 フランコ・パナリッティー取材記事より)
◆93年シーズン後/ワーウィックのコメント
「もっと僕やフットワークにとって実りがあってもよかったと悔やまれるシーズンだった。(略)僕らは掴めるはずだった結果を逃してしまったんだよ。93年は不運がたくさん重なってね。これには僕をはじめ、《チームのスタッフ全員》が欲求不満に陥ったよ。(略)周囲のドライバーがしてくれたことは、まったくクレイジーな行為ばかりだった。モンツァではチームメイトの亜久里にぶつけられるし、(略)まったくやってられないよってな気持ちになってしまう。本当に滅入ってしまうね。それでも《僕ら》は結果を出さなければいけないんだから、まったく、F1とはタフなビジネスだよ」
(F1グランプリ特集Vol.55 デリック・オルソップ取材記事より)
まあ、この年に限らずワーウィックさんのレース人生そのものがタフでしたね。
http://www.youtube.com/watch?v=McaBLD0BhuM
↑まさにMr.アンラッキーってカンジです。
◆フットワークとともに去りぬ
バブル崩壊以後の景気の冷え込みで
フットワークもF1からの撤退が決定的になります。
その直後、鈴木亜久里も
安泰と思われていたフットワークのシートを失う事になります。
この事態に至って初めてフットワーク総裁の大橋会長も
亜久里もチーム内での自分たちの置かれた立場が
本人が思っているよりもいかに弱かったかという事実を思い知らされます。
ジャッキー・オリバーとアラン・ジェンキンスらアロウズ・スタッフたちが
一致団結して「金の切れ目は縁の切れ目」とジャパンカラーを一掃したのです。
以降、鈴木亜久里は誰はばかることなく
公然とアロウズ批判をくりかえすようになります。
◆F1浪人時代
F1浪人中の亜久里は、岡山のパシフィックGPで
エディ・アーバインの代役を務めた以外は、
日本のツーリングカー選手権でドライバー的に無為な時間を過ごします。
このJTCCへの参戦も自分を「客寄せパンダ」として使って貰う事で日本国内のモータースポーツ振興の一助になればという意図によるものでした。
すでに自分のドライバー人生が終焉を迎えつつある事を自覚していた亜久里。
有終を飾るため翌95年リジェからの復帰へ向けた準備へ全勢力を向けます。
やがて、リジェの来季の使用エンジンが無限-ホンダと決まり、
亜久里カウントダウンへの期待が高まりました。
◆砕かれたプライド
しかし、フラビオ・ブリアトーレとトム・ウォーキンショーの2人によって
乗っ取られリストラクチャされたリジェは、すっかり
ベネトンのサブチーム的な役割を担わされていました。
チーム運営は実にシステマティックでドライバー個人の
思い入れなど入り込む余地のないドライで事務的な契約条件を結ばされます。
ファーストドライバーは、オリビエ・パニス。
残り1つのシートを亜久里とマーティン・ブランドルが
シーズン中半分ずつ分け合うというものでした。
単なるペイドライバー。しかも半分。
それ以上でも以下でもないという屈辱的条件でした。
◆6戦1ポイント
それがF1ドライバー《鈴木亜久里》の最終シーズンのリザルトでした。
走れたのは約束の8戦どころかブラジル・アルゼンチン・サンマリノ・ドイツ・パシフィック・日本の6戦。
しかもテストも何も参加する事もできず、いきなり呼びつけられてシートに座らせるだけという穴埋め的な扱いでした。
久々に呼ばれたドイツ・ホッケンハイムリンク。降ったり止んだりの天候。不安定な路面コンディションに足をすくわれ、午前中のプラクティスで慣れないマシンのノーズを壊し、予選1回目でスピンし、マシンを大破させてしまいます。
それでも決勝は着実な走りでポジションアップし、終わってみれば6位入賞。
1ポイントを獲得していました。
しかし、チームはそんなポイントよりもマシンを壊される事を嫌い、
またブランドルへとハンドルを委ねます。
しかもブランドルがベルギーで3位表彰台に立ったために
いよいよ亜久里の出番は減り続けます。
パシフィックと日本もブランドルを走らせるつもりだったとも言われました。
そんなプレッシャーの中で焦りが出たのか、
パシフィックでは11周目にスピンリタイア。
鈴鹿では予選2回目のS字入口でスピン。コンクリートウォールに激突。
亜久里は肋骨を骨折して病院へ運ばれます。
ついに決勝レースを走る事なくラストシーズンを終えたのです。
◆チームオーナーの道へ
ドライバーとしてのキャリアに終止符を打った鈴木亜久里氏はその後、国内で将来のF1レーサー育成を目的とした活動に着手し始め、多くの賛同者を集める事に成功します。そして、1997年にカー用品流通業のオートバックスとの共同事業として《ARTA》を旗揚げ。
フォーミュラーニッポンやGT選手権で着実に実績を挙げ続けます。
そうした流れからついに去年、日本人プライベーターチームとして初のF1フル参戦を遂げます。
準備期間数ヶ月という強行スケジュールで奇跡的に開幕戦にこぎ着けます。
それからのめざましいまでの歩みは、ご存じの通り。
◆幻のチーム・イクザワF1計画
鈴木亜久里がこうして日本人プライベーターとして成功する以前にも同じようにレーサーからチームを立ち上げようされた例がいくつかあります。
そのひとつに60年代から70年代にかけて国内のみならずヨーロッパでもその名を知られた生沢徹が中心になって1994年終盤頃に密かに進められかけた「九州F-1招致委員会」と「チームイクザワ」の存在がありました。
当時のF1雑誌に掲載された記事にはモータースポーツジャーナリスト出身でウィリアムズ、ブラバム、フェラーリなどの広報関係に携わったピーター・ウィンザー(今年もFIA年間表彰式の司会を勤めた人)と名車フェラーリ641/2のデザイナーとして一躍有名になったエンリケ・スカラブローニなどの名前が挙がり、ノーズに日の丸をあしらったデザイン画らしきものまで掲載されていました。結局、この《おとぎ話》は結局、何一つ実現する事なく幻に終わりました。
◆スーパーアグリの道
こうした「幻」がいくつも浮かんでは消え浮かんでは消えするF1世界の中で、鈴木亜久里氏が引退後に進んだスーパーアグリへと続く道は他の誰よりも現実的で着実でした。まるで無駄がないかのような印象すら受けます。過去にこれ以上の「有言実行」を行った人物は本田宗一郎氏ぐらいしか他に思い当たらないと言ったら言い過ぎでしょうか?
それぐらいスーパーアグリが切り拓いた道には価値があると思うのです。
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登録日:2007年 05月 16日 17:59:42
- プロフィール
- 斎藤モ吉
- (男)
- 福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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