「アロンソとハミルトンのビミョーな関係」で一句

<07 F1・第5戦 モナコGP>フリー走行1回目、アロンソ トップタイムをマーク

【5月24日 AFP】F1第5戦・モナコGP(Monaco Grand Prix 2007)、フリー走行1回目。
≫続きを読む…
(c)AFP

AFPBB News


この道は プロストの道? ラウダ道?

[解説]
2007年。F1シーズン開幕当初は、
もっぱら《フェラーリvsマクラーレン》、
おおむね《ライコネンvsアロンソ》という
単純な2極対決図式が予想されていました。

ところが、いざフタを開けてみれば、
前述の2人にフェラーリのフェリペ・マッサ、
マクラーレンの新人ルイス・ハミルトンまでが絡んで、
ポイント差もほぼ横一線、四つ巴の戦いとなり、
各チーム内でも、すでに主導権を巡る
シーソーゲームがひそかに熱を帯び始めています。

アロンソはハミルトンを「気にしていない」とは言うものの、
スペインGP表彰台上のいかにも不機嫌そうな表情を見る限り
混戦状態がシーズン中盤まで続いたら
果たして「平静」でいられかどーか…大いにギモンです。

もしも、そんな事態となった場合、
2連覇チャンピオンのフェルナンドがたどる道は、
若きプロストに覇者たるべき規範を示した「ニキ・ラウダ」の道か?
勝利に貪欲なセナに対し容赦なくキバをむいた「アラン・プロスト」の道か?
チームも同じマクラーレン。もう「平静」でいられません。

[雑感]
「両雄並び立たず」とは、よく言われます。
それはセナプロに限った事でなく、だまし合い、憎み合い、
チーム分裂にまで発展する例も珍しくありません。

ただし、そうなるのは大抵、同世代レーサー同士によるものです。
デビューしたての新人がベテランレーサーと組む場合、
コテンコテンにやられるか、慕われ可愛がられるかのいずれか。
そんな世代格差パートナーシップの実例をいくつかご紹介しましょう。

◆ファンジオとモス
このふたりがタッグを組んだのは、1955年。
F1創世期以前から活躍し、F1でも2度ワールドチャンピオンに輝いていた
アルゼンチンの英雄、ファン・マヌエル・ファンジオ(43歳)と
F1デビューして4年目、英国の誇りスターリング・モス(26歳)。
無敵を誇るメルセデス・ベンツ・ワークス自慢の名車W196を駆り、
全7戦中3回の1-2フィニッシュを上げ、チャンピオンシップでも1-2位。
他チームに圧倒的な力の差を見せつけシーズンを制覇します。

ル・マン耐久レースでの大惨事のあおりを受け、メルセデスが55年を最後にF1から撤退。
56年には、モスはマセラッティへ、ファンジオはフェラーリへと移籍します。
この年もファンジオがチャンピオンとなり、モスはランキング2位。
57年、今度はファンジオがマセラッティに移籍。
モスは地元英国のバンウォールから参戦し、
ファンジオは、ニュルブルクリンクで伝説の走りを見せチャンピオン獲得。
モスは、英国車初優勝という偉業を達成しながらランキング2位に終わります。

http://www.youtube.com/watch?v=3ghBtK2tvdQ
↑当時モスが乗っていたマセラッティのマシン紹介。試走させているのは、ジョン・ワトソン。
止めたマシンのコクピットに座ってコメントしているのがモス本人です。
50年代マシンの《開放的》なコクピットに注目。シートベルトも当然ありません。
当時の記録映像も盛りだくさん。50年代F1の雰囲気がよく分かります。
ベンツ、フェラーリ、マセラッティ、ランチアとF1黎明期を彩るワークスチーム。
マシンを駆るのはファンジオ、ホーソン、サーティース…いずれも名だたるレーサーたち。

1957年を最後にファンジオは引退しますが、この2人の関係は終生
騎士道精神に満ちたライバルであり、戦友でもありました。
結局、チャンピオンになれなかったモスですが、
ファンジオに対する尊敬の念は、生涯失われる事がありませんでした。

メルセデスへ移籍した55年の初戦・炎天下のアルゼンチンGP。
3時間にも渡るレースをたった1人で走りきったファンジオ。
一方、モスは熱中症にかかりリタイアしますが、休憩後、
別のレーサーの車でフィニッシュ、計3人で4位3ポイントを獲得します。
(この頃のF1は、1台を数人で交代して走らせる事が許されていました)
あの時にモスは「このオヤジにだけは勝てる気がしねえ」なーんて
自己暗示にかかってしまったのでは…と勝手に推測します。

◆ヒルとスチュワート(とクラーク)
ヴィンテージなF1ファンの目には、
今年のルイス・ハミルトンの活躍が若き日の
ジャッキー・スチュワートの勇姿に重なるのではないでしょうか?

名監督ケン・ティレルのもとで連戦連勝して英国F3でチャンピオン。
65年、35歳となった名手グラハム・ヒルのチームメイトとして
名門BRMから鮮烈デビューを果たした25歳のスチュワート。

デビュー戦・開幕南アフリカGPで
ジム・クラーク、ジョン・サーティース、ブルース・マクラーレンなど
並み居る強豪を相手にいきなり6位入賞を果たすと
続く第2戦モナコでは、早くも3位表彰台を獲得します。

http://www.youtube.com/watch?v=HIHP1HoQppw
↑ちょっと画質が悪すぎ?
白地にタータンチェックの鉢巻きヘルメットがスチュワート。
ヒル3年連続のモナコ優勝。元祖「モナコマイスター」誕生の瞬間です。

さすがに絶対的な速さではロータス&天才ジム・クラークにおよびませんが
第3戦ベルギー/スパ・フランコルシャン、
第4戦フランス/クレルモン−フェラン、
第6戦オランダ/ザンドフールトと
続け様に2位表彰台を獲得します。

そして、第8戦モンツァでは、天才クラーク、名手ヒルを相手に
周ごとに目まぐるしく入れ替わる激しいトップ争いを演じてついに初優勝。
デビュー8戦目での初勝利。誰もが「神童」と騒ぎたてたのです。

本来クラークの対抗馬であるはずのグラハム・ヒルは
最終的にランニング2位に滑り込み、なんとかナンバー1の面目を保ちます。
それでもスチュワートの輝きに対して、ヒルの印象が薄く感じられました。
そして、誰もがスチュワートの時代がもうすぐ来ると感じたのです。

あまり本文と関係ありませんが、
↓ニュルブルクリンク旧コースのオンボード映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=n6aNnZ4q80s
ニキ・ラウダが「燃えちゃった」危険なコースなんて言われてますが、
はっきり言ってコレ、そのへんの2車線林道と大差ありませんよ。
こんなところでレースやろうとする方が間違ってます。キ○ガイ沙汰です。

これまた本文と関係ないレースですが
↓1969年イタリアGPでのスチュワート優勝の映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=cQURylYN13w

1位/ジャッキー・スチュワート(マトラ)
2位/ヨッヘン・リント(ロータス)
3位/ジャン・ピエール・ベルトワーズ(マトラ)
4位/ブルース・マクラーレン(マクラーレン)
1〜4位のタイム差が0.2秒以内のデッドヒートレース。
みんなこういうフィニッシュシーンが見たいんですよね〜。

◆スチュワートとセベール
恩師ケン・ティレルの率いるマトラチームで69年にチャンピオン初獲得。
70年マーチを経て、71年には《ティレル》チームとして2度目の栄冠に輝き、
すっかり王者としての貫禄さえ身につけたジャッキー・スチュワート。

彼がマーチ時代から可愛がった愛弟子とも言える存在が
フランス人の“イケメン”レーサー、フランソワ・セベールでした。
女優ブリジッド・バルドーと浮き名を流すほどのプレイボーイでしたが、
彼の走りには、誰もが可能性を認めるものがありました。

デビュー2年目の71年シーズン中盤から
フランス、ドイツ、イタリアと表彰台の常連となり、
最終戦アメリカGPで初優勝を遂げます。
ランキングでも同期のロニー・ピーターソンに続く3位でした。

http://www.youtube.com/watch?v=CvCHv-_Ce6s
モナコを快走するスチュワートとティレル001。

http://www.youtube.com/watch?v=-8SwaLKVfJo
フランスGPクレルモンフェランを快走するスチュワートとティレル001。
セベールも2位でバンザイフィニッシュ。

http://www.youtube.com/watch?v=eNXMmRR0FNc
ベルギーGPスパ。スタート前のドライバーズミーティングではティレルの2人が中心。
セベールが背が高過ぎるのか?ジャッキーが…。

http://www.youtube.com/watch?v=20jJdKTpLPw
ドイツGPニュルブルクリンク。追いすがるフェラーリを圧倒して、1-2勝利。

http://www.youtube.com/watch?v=d3q5h3xg9TI
アメリカGPワトキンズ・グレン。
トラブルで後退したスチュワートに代わって首位を走り、初優勝を飾るセベール。
同期のロニー・ピーターソンが3位でした。
ロニーの初優勝は、その2年後、73年のフランスGP。
その時の2位は、セベールでした。

名車ロータス72Dとエマーソン・フィッティパルディが活躍した
72年はリタイアが多くパッとしませんでしたが、
翌73年には、このシーズンいっぱいの100戦目を区切りに
引退を決めていた師ジャッキーのバックアップに努めます。
抜こうと思えば抜けたレースでも、すすんで2位キープに甘んじるセベールに
誰もが来期ティレルでのナンバー1としての活躍に期待していました。

そんな明るい未来予想図が、最終戦で突然、地獄絵と化してしまいます。
セベールにとって初優勝の地、ワトキンズ・グレンのガードレールに無惨に散った夢。
愛弟子のあまりに凄惨な最期にショックを受けたスチュワートは、
100戦目となるレースを辞退し、そのまま引退してしまいます。

ありゃ〜、肝心のニキ・ラウダとアラン・プロストの話までたどり着かない(困)

カテゴリー[ F1・マクラーレン ], コメント[0], トラックバック[0]
登録日:2007年 05月 25日 00:53:53

コメントを追加

Trackback

この記事に対するトラックバックURL:

カレンダー
< 2007年 05月 >


1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

プロフィール
斎藤モ吉
(男)
福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
最近のトラックバック
お気に入りリンク
検索