カテゴリー [F1・日本]
「父親と全然違うタイプの一貴の走り」で一句
【10月10日 AFP】F1世界選手権2007年シーズン最終戦のブラジルGP(Brazilian Grand Prix 2007)で初のF1参戦を果たす中嶋一貴(Kazuki Nakajima)は、同GPに全力を尽くすと意気込みを語った。
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(c)AFP
父・悟 息子の走りも 自虐ネタ
なんともはや、こんなに早く「その日」が訪れようとは…。
中嶋一貴がウィリアムズからついにデビュー。
F1で、どんな走りを見せてくれるか?実に楽しみです。
そんな一貴の走りっぷりを垣間見られるのが「GP2」なんだけど…
CSでつい最近あった放送はハンガリー戦。
ハンガロリンクと言えば、思い出します。
ハミルトンとアロンソが予選中のピットストップでモメましたね。
わがままアロンソとマクラーレン。完全決裂してしまった今となっては…
思わず遠い目になってしまいそなぐらい“昔話”に思えます。
この後のイスタンブール、モンツァ、スパ戦はまだ未放送。
一貴がポールポジションを獲った最終戦バレンシアもとっくに終わり、
GP2チャンピオンはティモ・グロックに決定したというのに…。
ちょっとタイムラグあり過ぎじゃないでしょうか?
CSフジさん、とっとと早く放送してください。
このハンガリ一戦には、父・中嶋悟も現地入り。
その時の様子が、日本GP前の特番で放送されてました。
一貴は、このハンガロリンクでの2位が年間ベストリザルト。
そんな一戦をちょっと振り返ってみましょう。
「GP2」の予備知識を知りたい人は↓まずコチラをどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/GP2
◆レース1
同僚のラピエールに予選で0.06秒差で勝ち、8番手スタートの一貴。
新人ブエミのエンストで仕切り直されたスタート2回目。
走り出し順調でそのままピット制限解除となる2周目直後にピットイン。
義務づけられたタイヤ交換を早めに済ませます。
早めのピットインで一端後方まで下がり、そこからクリアラップを重ね、
上位陣がピットインした頃にはトップ位置まで上がるという作戦。
この作戦がドンピシャで決まります。
トップを行くキャロルと一貴の差は、
ピットインで逆転できるほど縮まります。
ところが!「一貴優勝」が見えてきた12周目。
ホームストレート前で3台が絡む大クラッシュ。
セーフティーカー入り。全コース上での追い抜き禁止。
それでも普通に走っていれば、トップに立てていたはずでした…。
ところが一貴の前を行くインド人レーサーのチャンドックは、
何を勘違いしたのか異常なまでゆったりとスロー走行。
これが一貴に災いし、むざむざキャロルにアタマを抑えられる形に。
その後、タイヤのグリップ低下でキャロルに届かず2位フィニッシュ。
それでも難敵ツーバールを押さえ込んで勝ち取った価値ある2位でした。
◆レース2
リバースグリッド(レース1の1位から8位までが順位を逆転させる)により
レース1で2位だった一貴は、7番グリッドからのスタートになります。
しかし、スタートダッシュで、後ろのアダム・キャロルにパスされます。
さらに2周目。前のツーバールに気を取られ過ぎたのか?
ターン13で一瞬のスキをつかれ、グロック、パンターノ2台にもパス。
順位を10番手にまで落としてしまいます。
7周目のターン1。前を押さえられたパンターノを果敢に攻める一貴。
サイドバイサイドの競り合いのままガルシアをパスして9位にアップ。
12周目のターン1。パンターノをアウト側から攻めようとしますが、
コーナー出口でエスケープゾーンへと押し出されてしまいます。
13周目のターン1。今度はインから攻める一貴。
仕返しとばかりにパンターノを接触しながらアウトへ押し出します。
これでパンターノを攻め落とし8位にアップ。
15周目ç。首位から転落してきたザウグを得意なアウトから仕掛けます。
しかし、無情にも扉を閉められ右フロントホイールが接触。
16周目のターン1。今度はクロスラインで攻めようとします。
コーナーの入口ではアウト側から、立ち上がりではイン側から。
しかし、しぶといザウグはスキを見せません。
焦った一貴は、ターン3手前でイン側の芝生に乗り上げながら特攻。
しかし、これはさすがにやり過ぎでした。
止まれずにザウグと激しくぶつかった一貴は、順位を9位まで落としてしまいます。
ザウグは、ピットまで戻るもののリタイア。
当然、一貴の走行が「危険行為」として審議の対象となります。
明らかにハンドリングがおかしくなった一貴。
18周目には因縁のパンターノにもあっさりパスされ10位に。
20周目にはピットスルーペナルティーで最下位まで転落してしまいます。
21周目。ピットイン。右フロント、タイロッド破損を発見しリタイア。
一貴の後ろからスタートしたアダム・キャロルは、
クレバーな走りを展開し、2位表彰台を獲得しています。
◆父のひとこと
実は、前述の中嶋悟特番の中でこんなシーンが紹介されています。
どこかのモーターホームで息子・一貴の走りをテレビ観戦する父・悟。
2位が決定した瞬間に「よっしゃ!」と喜ぶ父。
表彰台下でも嬉しそうな顔で息子の姿を見上げている。
その後、パドック裏で待ちかまえていた父。やって来た息子にかけた言葉は
「もう一歩だったね」だった。そして、こう続ける。
「まあ、“もう一歩”ってのは、中嶋家の家系みたいなもんだな」と。
それを聞いた一貴、ややムッとした感じで
「家系じゃしょうがないよね。俺のせいじゃないし…」と言い返す。
なんだかなあ(笑)父・悟も正直「よく頑張った」って言ってやればいいのに。
おそらく「家系うんぬん」は、彼一流の自虐発言なんだろうけど。
息子・一貴は、父親のそんな態度にやや反感アリなのかも。
「俺は、《納豆走法》なんて言われたくない!」とかね。
レース2で見せた一貴の異様な「ツッコミ加減」。
きっとアレは、父の《ひとこと》に対する反発なんじゃないの?…って気がした。
まあ、少なくとも一貴の走りならテレビの前で
「ほら早く抜けよ〜ナカジマ〜」なんてジリジリする事はなさそうです。
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登録日:2007年 10月 20日 03:09:22
「富士SW《来年までに》変われる?」で一句
【9月30日 AFP】F1第15戦・日本GP(Japan Grand Prix 2007)、決勝。
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(c)AFP
富士の恥 すぐには癒えぬ 夜と霧
久しぶりのブログ更新。さて、何から書き始めるべきか…。
・グダグダの展開で最終戦までもつれ込んだチャンピオンシップ?
・自爆男アロンソ孤立無援なマクラーレンの内情?
・トッドVSモンテゼモーロ・静かなる内戦の内幕?
・中嶋一貴、F1デビュー決定!
いろいろあり過ぎて、困ってしまいます。
でも、やはりここは日本のF1ファンにとって大問題だった
《富士スピードウェイ》での一件から。
私は、今年も日本GPはテレビで観戦しました。
ですから、あの件に関して
富士スピードウェイや親会社たるトヨタの非を責めたり、
無為無策に対して、モノ申す立場にないかもしれません。
ただ同じ「F1」を楽しむ者として、
あの悲惨な一日を過ごされた方々に同情せずにはいられません。
「あの日」以来、ネット上にあふれた多くの実情報告を
富士スピードウェイやトヨタの関係者の方々が謙虚に受け止め、
自分たちが犯した「間違い」「思い至らなさ」「傲慢さ」について
真摯に反省している事を心から望みます。
そして、「来年」以降、
ごく普通のF1ファンが、ごく普通にサーキットを訪れ、
ごく普通にレースを楽しんで、ごく普通に家路に帰れるための
早急な解決へ向け、取り組んでいる事を望みます。
ホンダには「当たり前」にできた事。
トヨタにできないワケがない…のではないでしょうか?
もし「できない」のであれば
サーキットが「グレード1」だろうと関係なく、
F1開催権を諦める事を勧めます。
その理由は、まず第1に訪れる観客の不幸を減らすためであり、
第2に未来の「F1ファン」を失わないためであり、
トヨタ自身がこれ以上、多くの「アンチ」を作らないためでもあります。
それでもあえて「F1開催」に固執したいのなら
トヨタにはいま一度、自問してみてほしいのです。
トヨタが、モータースポーツを通じて、世界に《アピールしたい理念》とは何か?
トヨタが、モータースポーツを通じて、世界に《求めたい評価》とは何か?
トヨタは、モータースポーツを愛する人々を愛しているのか?
トヨタは、モータースポーツを愛しているのか?
「F1」は、ワールドワイドに開かれた広告活動の場ではあります。
しかし、観客は企業ロゴを見るためにわざわざレースに足を運びません。
ナマの歌声や神業的プレイに触れるために音楽フェスティバルに足を運ぶように
純粋にマシンの速さを、ドライバーのテクニックを競い合う姿を見るために
みんな、はるばる遠くからでもやって来るのです。
その《祭典の場》は、誰もが安心して楽しめる場であるべきです。
問答無用の《強制収容所》みたいな扱いを受けるなど言語道断です。
誇らしげに「入場者数」を掲げても
その内実が単に「敵」を増やしているだけだとしたら
それは宣伝活動ではなく、愚かな「自滅行為」です。
今回、大チョンボしてしまったトヨタには、
ぜひとも来年「汚名返上」してもらうためにも
謹んでこの言葉を贈りたいと思います。
君主にとっての最大の悪徳は、
憎しみを買うことと軽蔑されることである
─ニコロ・マキアヴェッリ─
http://www.youtube.com/watch?v=mDJhtlu2QDo
↑イギリスの個人所有の牧場で開催される
有名なグラストンベリーフェスティバルの様子。
2007年「グレース・ケリー」で大ブレイクしたMIKA。足元は泥だらけ。
でも思い思いの旗を自由勝手に振って、子供も楽しそうに大合唱。これぞ祭典。
http://www.youtube.com/watch?v=tmAbcdxmFCo
↑今年のWTCCモンツァでの様子。見てほしいのは、女の子のオシリ…ではなく、
ビデオ終盤、4分頃の観客たち。見るも無惨なネットフェンスの姿。
レース終了するやいなや柵を越えて、勝手にサーキットウォークしてます。
ココに映ってはないけど、みんな勝手にあちこちからコースの備品を失敬。
誰もが自律的にレースを楽しんでいる点では、これも“あるべき姿”なのかも。
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登録日:2007年 10月 17日 18:34:58
「佐藤琢磨、電光石火の走りカナダで復活」で一句
【6月11日 AFP】F1第6戦・カナダGP(Canada Grand Prix 2007)、決勝。
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(c)AFP/Getty Images
ハミルトン 霞ませる走り タクマジック
[解説]
ルイス・ハミルトンついに優勝!!
待ちに待った感があったのに、いざ実現するとあっけないもんです。
アレだけ荒れまくったレースでただ1人。
慌てず騒がす沈着なレース運びで無傷のポールトゥーウィン。
全盛期のミハエルを思わせる「アンタッチャブル」状態。
まあ、見所満載でお腹一杯なカナダGPでしたが、
本当のメインディッシュが最後の最後に登場。
ナンと終盤、スーパーアグリの佐藤琢磨が最高の走りを魅せてくれたのです。
久々のタクマジック。目も覚めるようなオーバーテイク!
しかも相手はトヨタのラルフ。そして、マクラーレン&王者アロンソ!?
前戦モナコでの鬱憤を一気に晴らす大活躍で望外の3ポイントまでゲット!
もう、おいしいトコ総取り。スーパーアグリ万々歳。
さぞ亜久里オーナーも笑いが止まらない事でしょう。
残された課題は、アンソニーの入賞ぐらい…ですか?
[雑感]
将来、F1史を振り返る際、2007年カナダGPが開催された6月10日は、
「若き天才ルイス・ハミルトンが初優勝を記録した日」として語られるでしょう。
しかし、1979年フランスGPがルノーターボ初優勝としてより
ジルvsアルヌーの激戦の日と記憶されるように
私たち日本人はおそらくこの日を
「琢磨がアロンソをブチ抜いた日」と永く記憶に止める事でしょう。
そんな「F1版:日本人が忘れちゃいけないあの日」をあれこれピックアップ。
◆1974年4月7日
デイリーエクスプレス・インターナショナルカップ(非選手権)
「日本人が初めてF1でレースをした日」
1973年の富士GCチャンピオン、高原敬武(22歳)が
ワークスマーチ741でレンタル参戦しました。
シルバーストーンを舞台に11台のF5000マシンも混走する全26台中、
予選14位>決勝11位というリザルトもしっかり残しています。
(「F1全史」からの受け売り情報)
彼は2年後の富士にも参戦し、3人の日本人(高原・星野・長谷見昌弘)中
最高の「9位」完走を果たします。
タイヤの摩耗をきちんと見越した走りを地道に続けた結果でした。
◆1976年10月24日 F1イン・ジャパン
F1初上陸。豪雨の決勝。ラウダのたった2周リタイア。
そしてジェームズ・ハントチャンピオン決定。
いろいろあるでしょうが、何と言ってもこの日は
「星野一義が並み居るF1レーサーたちをブチ抜いた日」
として記憶されるべき日。
「おい、お前ら。オレが後ろについたら抜かれたい方の手を上げろよ。
安全に抜いてやっからよ(笑)」(by ジョディー・シェクター)
生意気盛りな26歳の若造の一言にカチンときた29歳の星野は、
古いティレル007で最新6輪ティレルに乗るシェクターに
コース上で目にモノ見せてやります。
予選21番スタートの星野はスタートで
ガードレール際を突き抜け、一気に7位までポジションアップ。
その後もドゥパイエ、レガッツォーニ、ブランビッラ、
そして件のシェクターまで抜き去りついに3位を走ります。
この時の星野の激烈な走りに当時日本の走り屋たちはシビレまくったそうです。
(ニッポン最速男伝説!)
しかし、その後、天候回復で乾いてきた路面に交換タイヤが底をつき、
泣く泣くリタイアとなってしまいます。
◆1987年4月12日 ブラジルGP
言わずと知れた「中嶋悟デビューの日」
現代F1ならとうに引退してもおかしくない当時34歳の中嶋悟が
初めてフルエントリードライバーとして、
F1のスターティンググリッドについた日。
「本当にF1レーサーになったんだなあと思ったら涙が出てきた」と
当時の心境を語る中嶋の気持ちに多くの日本人ファンたちが思いを重ねました。
その姿はまるで
「負け戦をカクゴの上で敵陣に切り込んでいく老(←失礼)兵士」そのもの。
そんな日本人好みな悲壮感が、ふがいないレース内容でリタイアしても
「次こそは…」と多くの日本人ファンたちは希望を託し続けたのです。
◆1989年11月5日 オーストラリアGP
「初めて日本人が表彰台をリアルに感じた日」
ホンダエンジンを失い、ティレル移籍も決まった中嶋のロータスラン。
豪雨のアデレード。
上位陣が次々脱落していく中、「レイニー・ナカジマ」が本領を発揮。
前を行く3位パトレーゼ(ウィリアムズ)のすぐ背後まで近づきます。
日本中のテレビの前で「ガンバレ!あと1人。抜けー中嶋ァ!!」と
叫んだ人が何人(いや。何千…ん万?)いた事でしょう。
水しぶきがインダクションに入り、
エンジンがミスファイアしかけたために中嶋は3位取りを断念します。
◆1990年10月21日 日本GP
「日本人が初めて表彰台に立った日」
現スーパーアグリ代表鈴木亜久里が
実質的なデビュー年に母国で表彰台を獲得します。
セナ・プロスト対決のあまりにも想定外な結末に呆然とする鈴鹿の大観衆。
彼らを救ったのは、ポディウム上から振りまかれた亜久里スマイルと
苦労人ロベルト・モレノの感動の涙でした。
「ああ、先に行かれちゃったな。でも、来年はオレの方が行けると思う」
6位中嶋のコメントに涙と期待で胸を熱くしたファンも少なくなかったはずです。
◆1994年7月31日 ドイツGP
「日本人が表彰台どころか本当に優勝できるかも…
と一瞬(0.3秒ぐらい)思えた日」
この年のティレルヤマハ&片山右京には「可能性の燦めき」がありました。
予選5位の片山右京はスタートでデーモン、ミハエルをごぼう抜き。
いきなり3位へポジションアップします。
アレジのスローダウンもあり、後方のマルチクラッシュを尻目に
「2位/右京」の姿が一瞬映ります。
すぐにミハエルに抜き返されますが、
ホッケンハイムの森を単独3位でひた走る姿が5周ほど続きます。
「まあ、少なくとも表彰台は固いか…」
ちょっとガッカリしつつもまだ甘い夢を見ていた6周目。
突然、アイルトン・セナカーブでスピンしている右京の姿が飛び込んできます。
そのままピットイン、そしてリタイア。原因はスロットルトラブルでした。
2週後のハンガロリンクでも右京は5位を獲得しますが、
こちらの夢はオープニング早々の2コーナーまで。
スタートで出遅れた右京はジョーダン勢に挟まれたまま
巻き添え接触でリタイアします。
◆2004年6月20日 アメリカGP
ご存じ「日本人が実力で表彰台に上がった日」
この年の佐藤琢磨は、予選から2〜3位を取り、
決勝でもミハエルをモノともしない攻撃的な走りで可能性を感じさせました。
ただ同僚バトンのソツのない走り&確実に結果を残すスタイルと比べると
ついつい「粗雑」と捉えられがち。
ここ2年ほどの琢磨への評価は「もう終わったレーサー」
が大半だったように思われます。
それでも彼のファイティングスピリッツ溢れる走りを
忘れられないファンは世界中にいます。
今年のカナダの走りは、まさにそんなファンたちへの「プレゼント」でした。
とりあえず、日本人ドライバーに特化してのピックアップ。
ですから「ホンダ」や「ブリヂストン」などの
企業的「忘れられない日」は外しています。
しかし、「メイド・イン・ジャパン」チーム、
スーパーアグリの躍進はどこまで行っちゃうんでしょうか?
なーんて考えているうちにもう目の前の週末は、
琢磨思い出の「インディアナポリス」。
「オイオイ、またまた新しい「タクマジック」見れちゃう?」
なーんて事ワクワク期待しながら、愉しい眠れない夜を過ごしましょう。
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登録日:2007年 06月 14日 11:01:31
「一貴もGP2で奮闘中」で一句
<07 F1・第5戦 モナコGP>フリー走行3回目、佐藤琢磨 13番手タイムを記録
【5月26日 AFP】F1第5戦・モナコGP(Monaco Grand Prix 2007)、フリー走行3回目。スーパーアグリ(Super Aguri)の佐藤琢磨(Takuma Sato)は、14周を走行し13番手となるベストラップ1分38秒121を記録した。(c)AFP
ここ一番 魅せる走りは 親譲り?
[解説]
アレ〜???
なんでブログに出来る写真とそうでない写真があるの?
一貴の写真でアップしたかったのに…。
しょうがないからコチラの記事で勝手にアップ。
今更ですが、ちょっと書きそびれてたので、
忘れないうちに1ヶ月以上前にバーレーンで行われた
GP2開幕戦について書いておきます。
正直、なかなか面白かったです。特に中嶋一貴の走り。
去年のハミルトンほど派手ではないけれど、
レース2ではオーバーテイクショーを魅せてくれました。
1レースを組み立てる冷静さ。「ここぞ」で見せる強気な走り。
ひょっとして《父・悟》をもう越えちゃった?…かも。
[雑感]
GP2の放送を見ていて一貴の映る回数が妙に多い。
「もしかしてフジテレビ、カメラ持ち込んだ?」
と思ったんですが…ちゃんと国際映像でした。
↓こちらがその「中嶋」ダイジェスト。
http://www.youtube.com/watch?v=ZW6rYCkyt9E
中嶋一貴はDAMSチーム。「白・赤」の車です。
同僚のランピエールとヘルメットの色が似てるので、
サイドポンツーンに入ったスポンサーロゴで見分けます。
「TDP」が中嶋。「Plus」がランピエール。
◆レース1ダイジェスト
「GP2って何?」って人は、↓コチラを参考に。
http://ja.wikipedia.org/wiki/GP2
フォーメーションラップ後、整列中に
6位の平手、パンターノら4台がエンジンストール。
1周減算でフォーメーションのやり直し。
2度目のスタート。ここで中嶋一貴がただ1人エンスト。
ピットスタートの4人の後ろ。最後尾から追い上げます。
入賞はすでに絶望的。
そこで一貴はファステストタイム「1pt」獲得を狙います。
そのためにタイヤ交換をギリギリまで遅らせます。
12〜14周目あたりに交換を済ませた他車は、すでにタイヤがボロボロ。
みんなペースダウンし始める25周(残り9周)にピットイン。
ラバーが十分乗った路面を新品タイヤでラップを重ねます。
そして、29周目。目論み通り、ファステストを記録します。
元ウィリアムズのピッツォニアがそれを見て真似をしますが、
こちらは上手くいきませんでした。
その後、周回遅れにされかけた10位アマミュラーと接触したり、
ファイナルラップ直前の最終コーナーで自分は周回遅れなのに
9位のチャンドックをパスしようとしてコースアウトしたり、
過剰なアグレッシブさを披露します。
◆20/23-レース2
一貴は17番スタート。
スタート直後の1コーナーでディグラッシとツーバールが絡み
多重クラッシュ発生、すぐにセーフティーカー導入。
コースクリアとなり4周目からレース再開。
その直後に中国人レーサー、ホーピン・タンとラインが交錯し接触。
タンの車が派手にフェンスに激突。再度、セーフティーカー導入されます。
(この場面が上記動画の初っぱなのシーン)
◆17/23-レース2
6周目にレース再開。9位までポジションアップしていた一貴。
前を行くマイク・コンウェイと競り合いますが、
逆にチャンドックに責められ、そのスキにパンターノにパスされます。
◆16/23-レース2
しかし、次の周には、チャンドックをすぐパスし返します。
サイドカウルを壊し順位を落としてきたザウグをパスする一貴。
続いて4コーナーで抜こうとしたチャンドックは
バックがよく見えてなかったザウグと接触してスピン。
◆12/23-レース2
12周目にはソチェックをパスして8位へポジションアップ。
その同じ頃、平手晃平はチームメイトにコーナーで当てられリタイア。
ピットへ帰ってグローブを叩きつけ激怒します。
◆9/23-レース2
7位パンターノとの差を詰めようとしますが、
レイトブレーキングのタイミングを誤り、追突しかけます。
(外人アナも「オオ〜ホホウ(笑)ナッカジィーマ」とヒヤリ)
その次の周には、ギヤトラブルでパンターノが失速。
これをパスして、労せず7位へポジションアップします。
◆6/23-レース2
一貴は一気にペースを上げ、入賞ライン集団へ追いつきます。
ガルシア、コンウェイ、アマミュラーの4-5-6位が団子状態。
それぞれの思惑が交錯し膠着状態が5周続きます。
◆1/23-レース2
前を行くのはレース1で接触したアマミュラー。
しかもマシンは2年連続チャンピオンを輩出したART。
なかなかスキを見せません。「ダメか…」そう思った最終周。
一貴は、1コーナーのツッコミでイン側から仕掛けます。
しかし、ここはアマミュラーがラインを死守します。
それでも一貴は攻撃の手を緩めず、3コーナー過ぎの直線で
テールツーノーズ状態、4コーナーの手前でマシンを大きくアウトへ振ります。
思わずブレーキングが遅れたアマミュラーは汚れたアウト側へはらみます。
すかさず立ち上がり加速の鈍ったアマミュラーのインを刺し、6位攻略です。
こうして関係者(特にフランク・ウィリアムズ)が見守る開幕戦。
クレバーさとアグレッシブさを発揮して、
(次戦で予選10ポジションダウンのペナルティ受けちゃいますが)
2連戦で着実に2ポイントをゲットした一貴。
ぐぐっと評価は上がったのではないでしょうか?
少なくとも優勝した同僚のランピエールより目立ってましたから。
追記:GP2関係の写真&記事って上げなくなったのかな?
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登録日:2007年 05月 27日 18:10:15
「ウィリアムズが一貴を気に入った?」で一句
<07 F1>バレンシアテスト・2日目、ブルツ トップタイムをマーク - スペイン
【バレンシア/スペイン 20日 AFP】F1、バレンシアテスト・2日目。ウィリアムズ(Williams)のアレキサンダー・ブルツ(Alexander Wurz)は、新車「FW29」で85周を走行し、トップとなるベストラップ1分11秒614をマークした。(c)AFP/JOSE JORDAN
飼い殺し だけは止めてネ フランクさん
[解説]
トヨタの木下TMG副社長の話(「F1GPニュース」より)によれば、中嶋一貴クンかなりウィリアムズに気に入られているらしいです。
「彼は素晴らしい。このままちゃんと育てたいから、今年トヨタから下手にスポット参戦とかさせるなよ」とクギを刺されたというお話。開幕戦までにその旨の申し合わせ事項を正式に書面にして交わすと言うから、単なるリップサービスではないようです。
中嶋選手のロングランテストを重ねてもラップタイムにブレがなく、タフで正確無比なドライビングスタイルがテストチームから絶賛されているとか。速く、しかもマシンを壊さない冷静さ。後はもっと他人を押しのけるぐらいの「性格の悪さがあれば完璧」とおっしゃるフランクさん。
でも彼に流れてるのは『中嶋悟』の血だから…そのヘンはどうでしょう?
[雑感]
しかし、中嶋一貴、平手晃平、小林可夢偉とも、なかなかいい感じで育ってきています。それもすべてトヨタのおかげ。若手ドライバー育成プログラムTDPの撒いたタネがここにきて一気に花開いた感があります。そこでトヨタも今年あたりはぜひひと花咲かせてほしいところですが…そのヘンはどうでしょう?
◆2年越しの実現
ウィリアムズがトヨタにラブコールを送ってきたのは2年前。BMWとの関係に亀裂が生じ始めた頃です。勝てないシーズンを重ねていながら、今季も安定したスポンサーを複数年確保できているのもたぶん「トヨタ」ブランドのおかげです。だから、ウィリアムズはこのトヨタとの協力関係は大切にしたいはずです。
◆難しいシーズン
しかし、今年のウィリアムズとトヨタに勝ち目はあるのでしょうか?
その目安となる合同テストが年明けからこちら「バレンシア」「ヘレス」「バルセロナ」「バーレーン」で開かれました。しかし、その結果は《フェラーリの独走-そしてマクラーレンとルノー-その後ろにBMW》という感じで残りのチームはドングリの背比べ状態というのが一般的な観測。
トヨタもバレンシアでは絶好調を思わせたものの後半は尻すぼみ状態。特にラルフの不調ぶりは深刻。すでに来季へのチーム移籍の方に気が行ってるのかも…。
◆最終調整終了?
先週8-9日の2日間、トヨタはヘレスでプライベートテストを敢行します。
ここでヤーノ・トゥルーリが1日目に112周をこなして1'19''710のタイムを記録します。これは1ヶ月前のヘレス合同テストでフェリペ・マッサ(フェラーリ)が記録したトップタイム1'19''746を上回るもの。しかし、ラルフのタイムは83周で1'20''389止まり。これは前回2月の合同テストタイムで彼自身の記録をコンマ2秒上回ったに過ぎませんでした。↓
http://www.autosport.com/news/report.php/id/57111
2日目には、ラルフが60周を走り1'19''519と前日のトゥルーリのタイムを上回りますが、トゥルーリはなんと123周をこなし、1'18''589というスーパーベストラップを叩き出します。これは12月にマクラーレンのルイス・ハミルトンがMP4/21と2007年版ブリジストンタイヤで出したコースレコード1'18''689を(木下さんの談によれば《軽く》走って)上回っています。↓
http://www.autosport.com/news/report.php/id/57143
トゥルーリもマシンの仕上がりに満足しているとの事。この結果を受けて、トヨタ陣営には安心ムードが漂っていますが…はたしてメルボルンではどんな結果が待ち受けているのでしょう?
それより気になるのはラルフ。来季のチーム移籍(噂では《赤ウシ》主力チームとか…)もチラホラ。ウィリアムズでの最後のシーズンを思わせる雰囲気を感じます。それがトヨタチームの足を引っ張らなければ良いのですが…。
◆タイヤ・ワンメイクの影響
各チームともにかなり苦心しているのが2007年度版ブリジストンタイヤ。
フロントタイヤに比べてリアタイヤのトラクションが弱く、しかもタレやすい性格のために曲がりにくいアンダーステア傾向が強く出るとの事。そこはブリジストンに関しては最も関わりの深かったフェラーリ&マッサが一番早くその性質に適応し、それがシーズン・オフテストでの好結果につながっているようです。
アンダー傾向のタイヤと上手くつきあえるマシン&ドライバーだけが今シーズンを生き残れるようです。
◆エンジン&タイヤ制限で変わる金曜・土曜
去年までのワンエンジン2レース使用がやや緩和され、金曜日のプラクティス(フリー走行)1-2では新しいエンジンが自由に使えます。土曜日のP3からは去年同様に2レース使用エンジンに戻りますが、タイヤ本数から使用コース、走行距離数など何かとテスト制限が厳しいためにテストメニューがこなせないチームにとって金曜日は貴重なテストデーに充てる事が出来ます。どうせ金曜日に使える4セット(本命タイヤ2セット&オプションタイヤ2セット)は当日のみ使い切り。たとえ未使用でもブリジストンに返還しないといけないので、金曜日はタイヤとエンジンが擦り切れるまで走ろうとするチームが増えそうです。
土曜日は午前中に10セット(本命・オプション各5セットずつ)が配られ、プラクティス3が終了後に本命・オプション各1セットを返還。残った8セットで土曜日午後の予選&日曜日の決勝を戦う事になります。
しかも、決勝中に必ず本命・オプション両方のセットを使わないといけない規定があるためにレース中のタイヤ交換の組み合わせにチームは頭を悩ます事でしょう。
(ただし、昔セナがよくやっていたソフト&ハードタイヤを左右組み合わせる使い方はできません。交換するタイヤは全て同じスペックで揃えないといけません)
◆とにかくコースを走れ!
何故こんな面倒くさいレギュレーションを導入したかといえば、走り惜しみを防止するためです。金曜・土曜のフリー走行に活気を取り戻し、もっとサーキットに来るお客を増やしたいからでしょう。これはこれでなかなかいいアイデアだと思います。ただし、サードドライバーたちが活躍する金曜日の熱い走り(特に中嶋一貴とネルシーニョ)がテレビでも見られたらいいのですが…。
◆テーマソングが変わる!
すぽるとでも紹介されていましたが、今年からまたオープニングテーマソングが変わります。長親しまれた「トゥルース」に取って代わるのは、英国の人気ロックグループ、クィーンのブライアン・メイによるFLASH's Theme 2007 High-octane MIX」(邦題:フラッシュ〜伝説のヒーロー〜ハイオク・ミックス)だそうです。「フラッシュ!アアア〜〜」ってヤツですね。どうでしょうか?格好良くなるんでしょうか?これも週末のお楽しみです。
(今回の内容はほとんどフジ721「F1GPニュース」開幕直前スペシャルから頂きました)http://www.fujitvcs.jp/index.html
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登録日:2007年 03月 13日 03:31:29
「山本左近&スーパーアグリ苦闘中」で一篇
<F1・第13戦 ハンガリーGP>バトン GP参戦7年目にして初優勝を果たす - ハンガリー
【ブダペスト/ハンガリー 6日 AFP】F1第13戦・ハンガリーGP(Hungarian Grand Prix)、決勝。14番グリッドからスタートしたホンダ(Honda)のジェンソン・バトン(Jenson Button)は、1時間52分20秒941をマークし、GP参戦7年目にして初優勝を果たした。表彰台に登ったバトンは、優勝トロフィーを手に持ちガッツポーズを決めた。(c)AFP/ATTILA KISBENEDEK
苦闘を無駄と呼んではならぬ
(作:1849年)
君 言うなかれ
この悪戦苦闘に 意味などなく
ただ 骨折り損の くたびれ儲けだと…
敵はひるみすら見せず
後退する気配もなく
すべては元の木阿弥、鹿の角刺すハチだと…
希望が よく人を欺くように
怖れも 時に 嘘をつく
あの煙に 隠された彼方で
まさに今 君の僚友が 敵を追い払い
戦場を占領しつつあるやもしれぬ
君さえ そうでなかったなら…
疲れ切った波が
徒に砕け散る 波打ち際では
1インチほども
痛みに見合った戦果は見えぬ
されど入り江を あるいは川を
遡り 遠い海原を見渡すなら
静かに 溢れんばかりのうねりが
そこまで来ているのが見える
君よ 日が射したるを
知るは 東向きの窓のみにあらず
やがて 来たる 夜明けの時
されど 眼前に見えんとする太陽は
遅々として昇らず
されば 君よ西を見よ
朝焼けに照り映える 西方の土地を
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[解説]
これはヴィクトリア時代の英国詩人、アーサー・ヒュー・クラフの詩です。
第2次世界戦中、ドイツ軍の攻撃に晒され、打ちひしがれた国民の気持ちを鼓舞するためチャーチル首相が引用した事で有名です。特に後半部分の「波」や「日射し」に吉兆を例えた表現が素敵だと思います。
奮闘すれど成果が上がらず、苦労が実を結ばないスーパーアグリチーム。新車SA06導入も「いまだ未完成」という状態で、さすがの佐藤琢磨選手も本領を発揮できず、目覚ましい活躍に至っていません。特にデビュー後2戦連続1周リタイアというかなりシビアな洗礼を受けている山本左近選手は、内心忸怩たる思いで、その身が引き裂かれそうなのではと心配です。そんな悪戦苦闘する彼らへこの詩を送りたいと思います。
[雑感]
トルコGPでは、SA06のフロント周りがやっとヴァージョンアップされる予定。これで2006年式ブリジストンタイヤがやっと履ける!(←びっくり)
次のトルコこそ本当の「SA06完成形」の誕生。
まず目標は、予選2回目への進出。そして、トロロッソ&ミッドランドより上位での決勝フィニッシュ。この2つが夏休みの宿題。それと、左近選手の完走…。
鈴鹿・本土決戦まであと3戦。
スーパーアグリチームには、ひとつひとつ着実に上を目指してほしいと思います。
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登録日:2006年 08月 16日 20:22:27
「第3期ホンダ初優勝!」で一句
<F1・第13戦 ハンガリーGP>バトン GP参戦7年目にして初優勝を果たす - ハンガリー
【ブダペスト/ハンガリー 6日 AFP】F1第13戦・ハンガリーGP(Hungarian Grand Prix)、決勝。14番グリッドからスタートしたホンダ(Honda)のジェンソン・バトン(Jenson Button)は、1時間52分20秒941をマークし、GP参戦7年目にして初優勝を果たした。表彰台に登ったバトンは、優勝トロフィーを手に持ちガッツポーズを決めた。(c)AFP/ATTILA KISBENEDEK
胸熱く 君が代響く ハンガロリンク
[解説]
ついに来た!この瞬間をどれだけ待ち焦がれた事か。
第3期ホンダ復活から7年目、やっと届いた表彰台の頂点。その実力を認められながらフェラーリ&シューマッハに幾度も勝利を奪われ、アロンソやライコネンにも遅れをとり続けていたバトンにとっても初の栄冠。ゲンを担いだ(?)無精髭で破顔一笑、喜びを爆発させたバトンが立つハンガロリンクの表彰台。そのバックに「君が代」が流れた。壇上を見上げ涙する中本修平ホンダSTDの姿に思わずもらい泣き。本当におめでとうホンダ&バトン。そして、この日を待ち続けていた日本F1ファンに乾杯!
[雑感]
焦点はすっかり、アロンソ/ルノー対ミハエル/フェラーリの2強対決に絞られた感のあった2006年シーズン。そこへ降って湧いたようなホンダの勝利。表彰台初めて聞く「君が代」は、ニッポンのF1ファンにとって念願の、そしてとびきりのサプライズでした。あまり突然過ぎて、あるいは待たされ過ぎて、訳も分からず涙する人、喜ぶ事も忘れただ呆然と画面を見つめる人、「遅っせ〜んだよバカ」と怒っちゃう人など喜び方も人それぞれ。胸に去来する感慨もまた人それぞれだったのではないでしょうか。そんな第3期ホンダ初優勝にちなんで、過去の第1期、第2期のホンダ初優勝の様子を振り返ってみます。
◆ホンダの初優勝
いまや伝説のように語り継がれる1965年メキシコでのホンダ初優勝。海抜2000メートル以上、高地メキシコシティならではの空気の薄さを逆手にとって掴んだ勝利。そこで生かされたのは、かつて太平洋戦争中に戦闘機のエンジンを作っていた中村良夫監督の持つ燃料混合気の「薄さ」のノウハウでした。
日本のホンダ本社へ勝利を伝えるために送られた電報文が、ローマ皇帝シーザーの名言にあやかった「VENI VIDI VICI(来た、見た、勝った)」というエピソードは特に有名です。ところがその電報を受け取った本田社長をはじめ本社スタッフは、誰もその意味が分からなかったそうです。格好良すぎる逸話のウラに、実は「懲りすぎもホドホドに…」というオチがあったのでした。
◆ジム・クラーク全盛時代
本田社長がにわかに「優勝」を信じられなかったのもムリのない話です。当時は稀代の名レーサー、ジム・クラークと天才コーリン・チャップマン率いるロータスチームの黄金期。1965年シーズンもジム・クラークが全10戦中開幕から6連勝(第2戦モナコのみ欠場。理由は日程の重なったインディ500マイルを優先したためでそっちもガッツリ優勝しちゃいます)を成し遂げ、ワールドチャンピオンシップもあっさり獲得します。そんな後のいわば消化試合。翌年からはレギュレーション変更でエンジンの総排気量が3リッターへ移行するため、1.5リッターエンジンも年内限り。どのチームも関心はすでに翌年へと向けられていたのです。
◆中村良夫監督の執念
これが最後のチャンス!居ても立ってもいられなくなった中村良夫氏(性急に勝利を求める本田社長から前年度の成績不振を理由に量産部門へ更迭中でした)は、本田社長へ直談判してチーム監督への復帰を願い出ます。前戦アメリカGPを自分自身の目で見て、やっと現場の悪戦苦闘ぶりを理解した(?)本田社長は、中村氏の現場復帰を認めます。条件は「必ず勝つ」事でした。
◆リッチー・ギンサー
何もかも経験不足だったホンダ・チームは、1965年のNo.1ドライバーにリッチー・ギンサーを迎えていました。フェラーリ、BRMという名門チームに在籍した経験を買われての起用でした。すでにベテランの域に達していたギンサーにとって、新興チーム・ホンダへの移籍はギャンブルでした。フェラーリではフィル・ヒル、BRMではグラハム・ヒルという花形レーサーたちの影に埋もれた万年No.2だった彼は、残り少ないレース人生を東洋から来た血気盛んな弱小チームに賭け、表彰台の頂点へ立つ「夢の実現」を目指したのです。
◆1965年 10月24日 快晴 メキシコシティ・サーキット
予選3位からスタートしたギンサーは、驚異的ロケットスタートを決め、直線で一気にジム・クラークのロータスを抜き去り、堂々トップに立ちます。いつもホンダチームの足を引っ張り続けてきたトラブルもなく、快調にトップ走り続けるギンサー。やがてスタートから2時間8分32秒後。ギンサーとホンダRA272は、ついに夢にまで見たトップチェッカーを受けます。ジム・クラークのポールタイムを上回るファステストラップで追い上げてきた2位ダン・ガーニーを2秒差で振り切っての優勝でした。
◆走らないはずだったメキシコGP
実はこのメキシコGPをホンダは欠場する予定でした。理由は、翌年の3リッター移行へ備えた準備を少しでも早く進めるためでした。それでも本社の意向により出場が決定され、エントリーを済ませた後、今度はギンサーが予選前に風邪を引いてしまいます。そこでまた止めようかという話が持ち上がります。しかし、それも予選グリッが3位と好位置だったため、そのまま決勝進出となったのです。
もし、このメキシコへの参戦がなかったなら…ホンダの現在の活躍は、また違ったものになっていたかもしれません。
◆第2期ホンダ復帰の舞台
古き良き騎士道精神に満ちたグランプリ時代は終わりを告げ、サーキットには、エキゾーストからパンパンとけたたましいバックファイアが鳴り響くターボ全盛時代を迎えていました。ベテランレーサーの豊かな経験より、速さに飢えた若いレーサーたちの野獣のようなどん欲さが、800馬力に達しようとするターボパワーを武器に荒々しくサーキットを席捲していました。その中心は、若き日のアラン・プロストとネルソン・ピケ。ルノーターボとBMWターボを駆るこの2人が、サーキット上で激しく火花を散らしながらチャンピオン争いを繰り広げていました。
◆パートナー決定
1983年、スピリットチームへのエンジンサプライヤーという名目(実質は1年のテスト期間)でエントリーしてきたホンダ。彼らは、現場の空気から即座に強力で経験豊かなチームパートナーの必要性を悟ります。その第1候補に上がったのは、ウィリアムズ・チームでした。彼らは前年度ワールドチャンプであるケケ・ロズベルグを擁しながら、ワークス体制で挑むエンジンサプライヤーに恵まれずターボ時代に乗り遅れかけていました。ウィリアムズにとって、エンジンを提供してくれるホンダはまさに救世主。ホンダにとって、ランキングの下がったチームの方がリスクが少なくリターンが大きいというメリットがありました。当初は、お互いにとって理想的なパートナーと思われました。
◆ちぐはぐ
ところがいざ1984年の開幕を迎えたホンダとウィリアムズはお互いに相手を見誤っていた事に気づかされます。ウィリアムズはホンダエンジンのパワーを過小評価し過ぎ、ホンダはウィリアムズのチーム力を過大評価し過ぎていした。カーボンコンポジット製モノコックが常識になりつつある時代にウィリアムズのチーフデザイナー/パトリック・ヘッドが用意してきたのは、明らかに時代遅れなアルミハニカム製モノコックのFW09でした。その無骨なスタイルに似合わぬ貧弱なシャシーはホンダパワーとエンジン重量を支えきれず、ハンドルを切っても全く曲がろうとしない超アンダーステア車だったのです。またホンダエンジン自体も頻繁に壊れました。
◆傷だらけの勲章
FW09に乗るロズベルグとジャック・ラフィーは延々とリタイアの山(全16戦中/ロズベルグ10回、ラフィー11回)を築き上げます。そんな惨憺たる有様の中、運の良さだけで拾ったのがダラスの勝利でした。
◆1984年 7月8日 快晴 フェアパーク・グランプリ・サーキット
ポールポジションはロータス・ルノーのナイジェル・マンセル。荒れたアスファルトに足を取られたか、トップ走行に不慣れなためか、ヨタヨタと走るマンセルはコーナー毎に壁にヒットしてはタイヤを痛めます。予選8位から一気に2位につけ、マンセルの背後から虎視眈々とチャンスを窺っていたロズベグは36周目にマンセルのミスを見逃さずパスしてトップへ立ちます。しかし、その12周後、予選7位から地力に勝るTAGポルシェターボエンジンでロズベルグの背後を脅かしていたマクラーレン/アラン・プロストに首位を奪われ、アッという間に差を広げられてしまいます。このまま2位かと思われた終盤57周目、トップのプロストがタイヤトラブルでリタイア。さらにマクラーレン/ニキ・ラウダまでもが60周目にリタイア。さらに運の良い事にレース時間が2時間を超えてしまい、2時間ルールに則り、本来の周回数より10周少ない67周でレース終了。ロズベルグの手元にラッキーな優勝が転がり込んできます。
◆悲劇を演じたマンセル
ポールスタートからズルズル順位を下げたマンセルは、ギアトラブルで止まったマシンを手で押して(本当は危険行為でペナルティの対象)6位入賞。ゴール後、まるで失神したかのように倒れ込み、ゴールシーンをさらに感動的に演出しました。しかし、治療に駆けつけたシド・ワトキンス博士は「アレはマンセル一流の“カワイソぶりっこ”芝居」とウンザリしたように語っています。マンセルがああした行動を取ったのは、予選トップから転げ落ちた自分の不甲斐なさをチームから批難されるのを恐れたためでした。「ライオン」の異名を持つ彼の「意外と小心者」というもうひとつの側面が垣間見える、いかにもマンセルらしいエピソードです。
◆ライバルたちの脱落
今回のハンガリーGPを見て気づいたのは、ホンダの第1期、第2期、第3期全ての初優勝に「優勝候補者たちの脱落」がからんでいたという事実です。
1965年/メキシコGP[/color][/strong]
○ジム・クラーク(優勝6回/年間ランク1位)8周・エンジントラブル
○グラハム・ヒル(優勝2回/年間ランク2位)56周・エンジントラブル
○ジャッキー・スチュアート(優勝1回/年間ランク3位)35周・クラッチトラブル
○その他のリタイア/ヨッヘン・リント/ブルース・マクラーレン/ジャック・ブラバム
1984年/ダラスGP
○ニキ・ラウダ(優勝5回/年間ランク1位)60周・マシントラブル
○アラン・プロスト(優勝7回/年間ランク2位)56周・タイヤトラブル
○ミケーレ・アルボレート(優勝1回/年間ランク4位)54周・タイヤトラブル
○ネルソン・ピケ(優勝2回/年間ランク5位)45周・コースオフリタイヤ
○その他のリタイア/デレック・ワーウィック/アイルトン・セナ/パトリック・タンベイ
2006年/ハンガリーGP
○フェルナンド・アロンソ(優勝6回/現在ランク1位)51周・ホイールナット脱落
○ミハエル・シューマッハ(優勝5回/現在ランク2位)67周・トラックロッド破損
○フェリペ・マッサ(優勝なし/現在ランク3位)7位・1周遅れ
○ジャンカルロ・フィジケラ(優勝1回/現在ランク4位)18周・コースオフリタイア
○キミ・ライコネン(優勝なし/現在ランク5位)25周・レースアクシデント
◆運の良さも実力のうち
ご覧のように、今回のハンガリーGP「だけ」運が良かったのではない事が分かります。史上最強の強運チャンピオンレーサー/ケケ・ロズベルグのダラスGP勝利はもちろん、圧倒的だった1965年のメキシコでの勝利にも「ラッキー」な要素ヌキには語れない部分があります。
決して「ラッキーだっただけ」などと言うつもりはありません。「ホンダ優勝」という歴史的事実、その価値に一点の曇りもありません。ただ言いたい事は「初めて勝つ」ためには多分に運の力が必要だという事です。運を引き寄せる事もまた実力のうちだと思うのです。この「1勝」をはずみにして、また一つ、そしてまた一つと勝利を重ね、かつての常勝ホンダの再来を願うものです。
また、そう遠くない未来にトヨタ、そしてスーパーアグリチームにもそんな「運」が巡ってくる事を望みます。
◆光と影
今回のハンガリーでのホンダ優勝が、ジャック・ヴィルヌーブ降板と入れ違いだった事に運命の皮肉を感じ、複雑な心境になります。2000年のホンダ復帰、その早期優勝の実現こそがジャックの使命と誰もが思たBARホンダ時代。かつてのセナがそうであったようにジャックとホンダのタッグがグランプリを支配する…そんな未来を夢想した時期もありました。過去の彼らに一体、何が足りなかったのでしょうか。…技術?…戦略?…運?…分かりません。
ただ、せめてジャックには、あのハンガロリンクの空の下でホンダの晴れ姿を見て、そして「君が代」が流れるのを聞いてほしかったなあと、思わずにはいられません。
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登録日:2006年 08月 12日 03:36:35
「井出有治ライセンス剥奪」で一句
<F1 第5戦・ヨーロッパGP>鈴木亜久里 フリー走行を見守る - ドイツ
【ニュルブルク/ドイツ 5日 AFP】F1、第5戦・ヨーロッパGP(Europe Grand Prix)、1日目。スーパーアグリ(Super Aguri)の鈴木亜久里(Aguri Suzuki)代表は、ピットからこの日行われたフリー走行を見守った。(c)AFP/DAMIEN MEYER
アルバース 転がし井出は 明日なくす
[解説]
異例とも言える厳しい処分を受けた井出選手の明日はいずこへ。
なくした明日が見つかる事を祈って…。
[雑感]
話題の井出選手。クリスチャン・アルバースとのイモラでの接触事故に端を発した批判がついにライセンス剥奪という形にまで発展してしまいました。
「ヒドイ!厳し過ぎる!日本人苛めだ!」と反感を持つ人もいれば、「琢磨より3秒以上も遅いから当然」という冷めた意見も少なくないようですが、実際のところはどうなんでしょう?その辺りをちょっと状況などを勝手にまとめてみました。
◆井出選手のレース・スキル
「井出の後ろを走りたくない」とあからさまな嫌悪感を示すライコネンから、下位を走るレーサーとして似たような境遇に同情しつつ「彼のラインは独特」と冗談まじりに語るクリエンまで、とにかくパドック内で彼のスキルに対して擁護する人物は少なく、日本人を除けばごく限られるようです。
◆井出選手の走りが嫌がられる理由
それは彼の走りが「雑で危ない」という事ではなく、「彼はミラーを見過ぎていてアブナイ」というジャック・ヴィルヌーブの言葉が示すように、他のドライバーに気を使い過ぎる「優しさ」が災いしているようです。
◆カルチャーショック
彼がF1に参戦して一番驚いた事が、ガンガン縁石にタイヤを乗せて走るドライビング・スタイルと語っているように、繊細な走りが求められるフォーミュラーニッポンでの常識とF1との違いに激しいカルチャーショックを受けた様子。
◆過剰反応
しかもそんな中で自分に与えられたのは極端に戦闘力の劣るマシン。ブルーフラッグへの過剰な反応が逆に挙動不審な走りを招いていたのかもしれません。
◆危機感
彼自身パドックでの自分の評判をどれだけ耳にしていたかは定かではありませんが、同僚の佐藤琢磨とのタイム差は明確に自覚していた事でしょう。フォーミュラーニッポンでのチャンピオン経験のある本山哲や期待の新人として注目が集まる山本左近との交代などの噂がささやかれ始めていた時期。「なんとか走りで結果を見せないと…」募る焦り。それがイモラの不運を呼び込んだのかもしれません。
◆クラッシュ
アルバース本人に怪我がなかったものの、アスファルトのコース上で横転し、縁石をかすめながら数回転、裏返った状態で止まる大事故でした。
◆既視感
あの事故を見て、おそらく多くの人が1999年のニュルブルクリンクで開かれたヨーロッパGPでザウバーに乗ったペドロ・ディニスがスタート直後の多重クラッシュに巻き込まれて横転したシーンを思い浮かべた事でしょう。
当時に比べればクラッシュテストも強化され、ロールバーの強度も向上しているでしょうが、万が一、今回の事故があの時のように、ロールバーが砕け、頭部のセーフティー空間がないまま縁石をかすめたなら…。最悪の結末を招きかねない事故だったとして、レーススチュアードやFIAが事態を深刻に受け止めたとしても仕方のない事故でした。
◆イモラという場所
イモラといえば94年のアイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーの悲劇の記憶も癒えない場所。ましてや現場はラッツェンバーガーの事故死で改修を受けたヴィルヌーブ・シケイン。レース関係者のトラウマを呼び覚ますには、あまりに刺激的な場所だったかもしれません。
◆招集された面々
しかも今回の事態を重くみたバーニー・エクレストンが協議のために緊急招集をかけた面子は、フランク・ウィリアムズ、ロン・デニスとジャン・トッド。よりによって「イモラでの事故」に一番、神経質になりそうなメンバーです。
◆井出選手の一言
そんな関係者の耳へ井出選手のサンマリノGP終了後のインタビュー「レースだから仕方ない」というあまり反省の色が見られない発言が届いていたとしたら…。ライセンス剥奪の急先鋒と言われるニキ・ラウダでなくとも「ヤツのライセンスを取り上げてしまえ!」という気分が高まったかもしれません。
◆後悔先に立たず
ヨーロッパGP前には、謝罪の意志を表明した井出選手ですが、時すでに遅し。もし、レース直後にアルバース自身の元を訪れて、そうしていたなら事態はもう少し好転していたかもしれません。それ以前にすでに「剥奪」の結論が出ていなかったという仮定の上での話ですが…。
◆アルバース選手の反応
事故直後こそ井出選手に対して厳しいコメントを発していた当のアルバースも、ライセンス剥奪という予想以上の厳しい処分に対しては「彼は今回の行為について反省すべきだけど、ルーキーなのだからミスだってある。もう一度チャンスを与えられるべき」と実に大人らしい対応を見せています。
◆鈴木亜久里代表の対応の拙さ
事故以来、一貫して井出選手の擁護に終始した事が、かえって事態を悪化させたと自分でも語るように、今回の件では、鈴木代表の対応の拙さがかなり目立ちました。フォーミュラーニッポンやGT選手権での監督経験があるとはいえ、生き馬の目を抜くと言われるF1の世界では、まだまだ初心者マーク。もっとしたたかに、時には冷徹な判断を躊躇無く下す処世術を身につけないと魑魅魍魎うごめくグランプリ世界で生き残る事は難しいでしょう。
◆大きな疑問符
井出選手の起用に関して各方面から疑問符が投げかけられていたにもかかわらず、師弟愛的な美談で押し通した亜久里代表。それがかえってお互いにとって不幸な結末を招いたとも言えなくはないでしょうか。
疑問と言えば、美談とはうらはらに急遽参戦が決まったモンテニューでさえ作ってもらえた専用シートを最後まで用意してもらえなかった井出選手。ドライバー出身の亜久里代表が専用シートの重要性を軽んじるはずがありません。にもかかわらず井出選手へのこの待遇の悪さは、何故か?単なる身内意識から出た「甘え」なのでしょうか?それとも最初から井出選手は捨て駒扱いだったのでしょうか?
◆もやもや
今回の騒動で一番感じたのはやはり「F1はヨーロッパ人たちのモノ」という排他主義です。たしかに井出選手のドライビングは、お世辞にもトップレベルと言えるものではなかったかもしれません。しかし、過去にはもっとレベルの低いドライバーがいました。が、彼らにライセンス剥奪と言う強権が発動される事がなかったのはなぜでしょう?
◆彼らの本音
結局、彼らが言いたかったのは「ジャップを二人も走らせるな」という事だけだったのかもしれません。その結論を導くためのダシに使われたのが今回の接触事故だった…ただ、それだけの事に過ぎないのかもしれません。
◆井出選手の明日
とにかく今回の一件だけで井出有治というドライバーが過小評価されない事だけを切に願います。マイケル・アンドレッティやアレッサンドロ・ザナルディだってF1で夢破れてもCARTで新たに開花しました。日本のレース界にもそんな懐の深さみたいなものが生まれてきてもいい頃ではないでしょうか。
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登録日:2006年 05月 14日 01:15:47
- プロフィール
- 斎藤モ吉
- (男)
- 福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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