カテゴリー [F1・ミハエル・シューマッハ]
「フェアウェル ミハエル サンキュー」で一句
<F1 フェラーリ・ワールド・ファイナルズ>M・シューマッハがエキシビジョン走行を行う - イタリア
【モンツァ/イタリア 29日 AFP】フェラーリ(Ferrari)がシーズン終了後に毎年行っている展示会、フェラーリ・ワールド・ファイナルズ(Ferrari World Finals)が最終日を迎え、22日に行われたF1最終第18戦のブラジルGP(Brazilian Grand Prix)で16年に渡る現役生活にピリオドを打ったミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)がエキシビジョン走行を行った。(c)AFP/VINCENZO PINTO
面白く なくもなき代に ダンケ・シューミー
[解説]
本国ドイツでは、やはりミハエル引退を総括する番組とかあったのでしょうか?
ダークなイメージ抜きでミハエルの歴史は語れないし、かと言って、それでご破算にできるほど彼の残した記録は半端じゃない。でも、一生懸命思いだそうとしてもパッと記憶に浮かぶような伝説的な勝ちレースもない。
偉大さと凶悪さ、非凡さと面白みの無さ、優しさと冷徹さを併せ持つ、評価に困るアンビバレンツレーサー・ミハエル。
でも、あれこれ振り返って見ると、そんなに悪くない、なかなか面白い時代だったのかも?と思えなくもない。(微妙だ…)とりあえず、ミハエルには長い間ご苦労様。何よりフェラーリを強いチームにしてくれた事に対して、心からダンケ(ありがとう)と言いたい気分です。
[雑感]
えーっと、間が開きすぎてもう忘れられてるかもですが…まだ前回からの続き「ミハエルとインテルラゴス」です。常勝フェラーリ時代なので、読んでもあんまり面白くないかもしれませんが、とりあえずアップしときます。
◆2000年 グランプリ席捲の予感
予選3位。でも、少燃料&ローダウンフォース設定で序盤にマージンを稼ぐ戦略のミハエルは、1ストップの重いタンクを抱えたハッキネンを2周目早々、ストレート加速で楽々とパス。その後はグングン差を開いて開幕2連勝。
ハッキネンのリタイアという好運がなくとも、十分に勝てる速さがミハエル&フェラーリにはありました。一方、2位フィニッシュしたクルサードは、レース後車検でリアウィング高が規定違反とされ失格。すでに開幕2戦目でマクラーレン&ハッキネンの不調の兆しが現れ、逆にフェラーリ&ミハエルの圧勝ムードが漂い始めます。
シーズン中盤、ハッキネンに首位を一時奪われたりするものの最終的にはミハエルがダブルタイトルを決め、念願だったフェラーリ・ドライバーとしてのタイトル獲得を在籍5年目にやっと実現します。
◆2001年 転んでもタダで起きない
前年から続く連続ポールポジション記録を7に伸ばしたミハエル。しかし、好スタートもグリッド上でエンスト&リタイアしたハッキネンのMP4/16撤去のためにセーフティーカー導入による仕切り直しでフイとなります。
そして、再スタート直後の1コーナー。ウィリアムズ「驚異の新人」モントーヤが「CART仕込み」の腕前を披露してミハエルのインにノーズをねじ込み、続くエス・ド・セナの出口でホイールを接触させながら強引にパスしていきました。誰彼かまわずガチンコ勝負を挑むファイター型レーサーの登場でした。
そのまま初完走ウィンと思われたモントーヤ。しかし、レース中盤にアロウズ/フェルスタッペンに追突され、不運な3戦連続リタイアで終わります。
前年と同じ2ストップを選んだミハエルと1ストップ選択のクルサードによるピット対決は今年はクルサードに有利かと思われました。しかし、突然のインテルラゴス名物スコールが事態を一変。
いち早いタイミングでタイヤ交換したミハエルが1周遅れでピットインしたマクラーレン/クルサードからトップを奪います。しかし、その直後ミハエルがエス・ド・セナの下り白線に右リアをとられてハーフスピン。一気にクルサードが真後ろにつけ3周後の50周目、1コーナーで周回遅れに前を塞がれる形となり首位を奪われ、そのままゴール。前年から続くミハエルの連勝記録がストップします。
パルクフェルメでマスクを外しながら険しい表情でクルサードのタイヤ状態やウィング角をしっかりチェックするミハエル。負けてもタダでは終わらない。些細なミスやバグをひとつひとつ潰していく。そんな努力の積み重ねが、第13戦ハンガリーで早くもタイトル決定という無敵振りを確立させました。
◆2002年 負ける気がしないシーズン
ミハエル専用にニューマシンF2002を投入。バリチェロ用F2001と合わせて4台のマシンにスペアモノコックシャシー1台まで用意する物量戦で必勝に備えるフェラーリ。しかし、PPはコンマ1秒の差でウィリアムズ/モントーヤに奪われます。
決勝スタート。ロウンチ・コントロール・システムの威力を発揮して1コーナーを制するミハエル。それを抜き返そうとするモントーヤはもつれ合うようにエス・ド・セナ、クルバ・ド・ゾルの連続コーナーで接戦を演じます。そしてレタ・オポスタの直線で仕掛けたモントーヤの鼻先をミハエルがシャットアウト。F2002の左リアホイールがFW24のフロントウィング右翼端板にヒットして粉砕。モントーヤは緊急ピットインで後退します。
初めてブラジルで1ストップ作戦を取るミハエルは、2ストップ作戦のバリチェロを途中で先行させます。しかし、またもバリチェロはマシントラブルでリタイア。ウィリアムズのラルフが、追いついてくる終盤までミハエルは安全圏をクルージング走行。そのラルフも結局ミハエルの首位を脅かすまでには到りませんでした。
最終ラップ。チェッカーフラッグを任された「サッカーの神様」ペレは、肝心のミハエルがゴールする瞬間によそ見。3位のクルサードにやっと振る始末。しかも、両手でブ〜ラブ〜ラ。カッコ悪い事この上なし。ボール扱いは得意な神様も旗振りはとてつもなく下手だったのでした。
このシーズンは、第2戦マレーシアでラルフ、第7戦モナコでクルサードが勝った以外は全てミハエルとバリチェロのフェラーリ・コンビが席捲。しかもかつてのセナプロ時代のマクラーレンとは違って、第6戦オーストリアのチームオーダー事件でも明らかなように、バリチェロが優勝するにはチームの許可が必要でした。
◆2003年 若きライバルたちの台頭
この年に変更された「ウェットタイヤは1種類のみ」というレギュレーションがいかに現実的でないかをインテルラゴスに降る激しい雨が証明します。ブリヂストン、ミシュラン両陣営とも用意したタイヤは「小雨用タイヤ」しかし、天候は明らかに「ヘビーウェット(大雨用)タイヤ」が必要でした。
決勝は遅れに遅れ、セーフティーカー先導によるスタートという変則的な形で始まります。スロー走行しながら小降りになるか、路面が少しでも乾くのが目的でした。しかし、天候も路面も好転する兆しもないまま見切り発車」的に9周目にセーフティーカーがピットイン。やっと「本当のレース」がスタートしました。
PPのバリチェロがクルサード、ライコネン、ウェバーなど雨に強いミシュラン勢に追い抜かれる中、不利なブリヂストンで3位までポジションアップしていたミハエル。
18周目にラルフ・ファーマンとオリビエ・パニスが1コーナーでクラッシュ。破片がコース上に散らばり2度目のセーフティーカー導入。これで前を行くマクラーレン勢とミハエルの差が詰まります。
そして、レース再開。しかし、今はクルバ・ド・ゾル手前に出来ていたコース上の「川」でモントーヤとピッツォニアが相次いでスピン&クラッシュ。そして、その直後には同じ場所でミハエルも…。
結局、降り止まない雨と相次ぐクラッシュリタイアにより56周目に赤旗中断のままレース終了。ライコネンの2勝目が、フィジケラの初優勝へ変わるなどレース終了後も混乱が続きました。
このシーズンは、まさに群雄割拠の兆しが見え始めた年。マクラーレンのライコネン。ウィリアムズのモントーヤ。ルノーのアロンソ。BARのバトン。彼ら若手の台頭でフェラーリもなかなか楽勝とは言えないレースが続きます。ミハエルも表彰台に届かないレースがいくつもありました。そんな混沌と苦戦のシーズンを象徴していたのが、2001年ドイツGPからの連続完走記録が途絶えたこのブラジルGPでした。
◆2004年 衰退の兆し
この年からブラジルGPがシーズン序盤から最終戦へと変更されました。前年のに懲りて、なるべく雨の降りにくい時期を選んだのか?それともブラジルGP優勝者のタイトル獲得率が高い事にやっと気づいたブックメーカー(賭け屋)の差し金か?
集中力の欠如か?予選でミハエルが大クラッシュ。マシン交換で10グリッド降格、18番グリッドからのスタートとなります。一方の同僚バリチェロは前年に続きPP獲得、今年こそは優勝という本人の意気込みと彼のジンクスが破れる歴史的瞬間を見るためにブラジル国内から大観衆が集まります。
決勝はまたも雨。しかし、この年の雨は小降りで路面はどんどんドライへ。タイヤ交換のタイミングを誤ったバリチェロはモントーヤやライコネンにパスされ、どんどん順位を下げてしまいます。結局、前半のレース運びが最後まで影響し、3位フィニッシュ。「母国で勝てない」ジンクスをさらに更新してしまいます。
一方のミハエルもさえないレースに終始し、琢磨さえ抜けず7位でレースを終えます。
この年、フェラーリは2002年を上回る勝ちっぷり(ミハエルのポールトゥーウィン8回を含む年間13勝、バリチェロとの1-2フィニッシュ8回)でシーズンを圧倒しました。しかし、最終戦のブラジルGPで見せたこの不甲斐ないレースは、2005年の絶不調を予見させていたのかもしれません。
◆2005年 勝てないフェラーリの復活?
「勝って兜の緒を絞めよ」そんな諺がドイツにあるかどうか分かりませんが、ミハエルとフェラーリが2000年以降、5年もの間、常にトップの座を守り続けて来られた理由はチーム全体が常に勝利に慢心しないよう心掛けてきたからです。
しかし、トップ維持には必ず限界があるもの。徐々に溜まってきたマイナス要素が一気に噴出したように常勝フェラーリは、ルノーやマクラーレンにマシン性能でもレース戦略でも後れを取るチームとなっていました。残り3戦を残して、もうチャンピオン獲得の可能性は潰えていたインテルラゴスでのミハエルは、まるでイイとこ無しの4位フィニッシュに終わります。
このシーズン唯一の優勝は、「あの」ミシュラン勢撤収事件のインディアナポリスのみ。
そんな価値のない1勝しか上げられなくなっていた「へたれ」チームをたった1年で、また優勝争いできるチームにまで甦らせられたのは在る意味、奇跡に近いものだったのかもしれません。しかし、奮闘空しくタイトルは2年連続ルノーの手に奪われてしまいました。
◆2006年 今年の結果から来年を占う?
さて、2006年の最終戦ブラジル優勝者はフェラーリのマッサ。そして、フェラーリに移籍するライコネンはミハエルの後ろ7位フィニッシュ。
これは来季のフェラーリの行く末をどう象徴しているのでしょうか?
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登録日:2006年 11月 21日 19:39:47
「ミハエルの栄光の影にも歴史あり」で一句
<F1 フェラーリ・ワールド・ファイナルズ>M・シューマッハがエキシビジョン走行を行う - イタリア
【モンツァ/イタリア 29日 AFP】フェラーリ(Ferrari)がシーズン終了後に毎年行っている展示会、フェラーリ・ワールド・ファイナルズ(Ferrari World Finals)が最終日を迎え、22日に行われたF1最終第18戦のブラジルGP(Brazilian Grand Prix)で16年に渡る現役生活にピリオドを打ったミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)がエキシビジョン走行を行った。(c)AFP/VINCENZO PINTO
ミハエルも 石の上に 苦節4年
[雑感]
すでにシーズンも終了。さて、これから何を頼りにブログを上げればいいのやら?そんな事をぼんやり悩みながら、過去のビデオを見返してまた勝手な想像をふくらましてます。
でも、このフェラーリ移籍後4年間のミハエルって、「天中殺?(古っ!)」と思うほど挫折を味わい、人生一番ツライ時期を過します。F1ファンにとっても、見ていて実につまらない時期。特に97年なんて、録ったビデオを消しちゃうぐらい画面上は何も起きてない部分のレースがダラダラ流される(おそらくFOCAによる「国際映像88%ルール」のせい)悲惨な時代。
最終戦、必死のカミカゼアタックも空しく栄冠をジャックに明け渡したミハエルは、自らの掘った深〜〜〜〜い穴の中ハマってしまいます。
ミカ・ハッキネン全盛期には、完全に敵キャラ的存在。足ぐらい折らなきゃ、誰も同情してくれない。それでも、ミカがコース脇で「クスン」と泣いた方がずっと同情を集めてたりして…なんて、ミハエル暗黒時代の始まり、はじまり〜。
◆1996年 不振の予感
開幕戦オーストラリアで…、いや、それ以前にミハエルには分かっていたはず。かつて天才と謳われたジョン・バーナードの才能はもう「枯れちゃってる」事を。
ミハエルの乗るニューマシンF310は、見るからに失敗作っぽい車でした。
アドリアン・ニューウィーがフィン一枚でレギュレーションの穴をくぐり、空力バランスを追求したマシンを用意してきたのに対し、古株のイギリス人デザイナーが引いたデザインは、ドライバー保護を生真面目に受け止め過ぎ、コクピット周りをダムのように囲い込んでいました。そのためにドライバーのヘルメットが乱流を起こし、エンジン吸気の妨げとなったのです。ミハエルやアーバインは、少しでもインダクションポッドに空気を流すために首をかしげて走るという苦労まで強いられたのです。それでもトップスピードではウィリアムズどころか古巣ベネトンやジョーダンのマシンにすら劣る状況でした。
激しい雨に見舞われたインテルラゴス。3番グリッドスタートのミハエルは、序盤からウィリアムズのヒルにカンタンに置いていかれます。しかも、母国で意気上がるバリチェロや前年のフェラーリドライバー・ベネトンのアレジにまでパスされ、その戦いを後ろから指をくわえて見ているしかない状態。それでも不運なバリチェロのリタイアに救われる形で表彰台の隅をやっとゲットできました。それは、マシンポテンシャルからすれば上出来な結果でした。あとで判明するのですが、その空力の悪さゆえにダウンフォースが効き過ぎ気味なF310は、雨天レースだけは強かったのです。
このレースは、ミハエルのシーズンを象徴していました。
チャンピオンシップはヒルとヴィルヌーブ2人の間だけで争われ、ミハエルは蚊帳の外。公約通りに意地で勝ち取った3勝も運の良さに救われた部分が「大」。年間ランキングも3位どまりでした。
◆1997年 ままならない焦り
この年も、バーナードがデザインしたF310Bが投入。前年より多少向上した部分があるとはいえ、ウィリアムズのマシンに比べてメカニカルグリップが不足していました。
しかし、同じ轍は踏まないミハエル。ジャン・トッドと共謀して、シーズン早々バーナードをフェラーリから追い出し、代わりにベネトンで成功を共にして信頼関係を築いたローリー・バーンとロス・ブラウンを招き入れる事に成功します。
しかし、シーズン当初はまだマシンの素性の悪さに足を引っ張られます。
インテルラゴスでは、ウィリアムズのジャック・ヴィルヌーブについて行く事すらできませんでした。ピットストップの度に順位を落とし、ベネトンのベルガー、プロストのパニス、マクラーレンのハッキネンに続く5位がやっとでした。
このレースでフェラーリは、始めて電子制御式ブレーキバランスシステムを投入しています。しかし翌年には、より完成された類似システムを使うマクラーレンを「違反だ」と訴えます。…悔しかったのでしょう。
第7戦カナダ、第8戦フランスの2連戦でポールトゥーウィンを上げ、無敵ウィリアムズに必死に追いすがるミハエル。しかし、終盤のモンツァ、A1、ニュルブルクリンクで失速。
そして、最終戦・ヘレス…前代未聞の失望感を多くのF1ファンへ与え自爆。
◆1998年 届かない首位の座
開幕戦、たった5周でフェラーリエンジンがブロウ。悔しさと同時に、マクラーレンの驚異的な速さを思い知らされたミハエル。続くインテルラゴス。予選ではまたフロントロウをハッキネン&クルサードのマクラーレンコンビに奪われ、3位。シーズン終盤になるまで、ミハエルはほぼセカンドロウスタートが指定席となります。
決勝では、2回目のピットインでエンジンストールさせてしまうなど「らしくないミス」が見られるも3位表彰台。しかし、マクラーレンとの差は圧倒的に思えましたが、ミハエルはチャンピオン争いへの意欲十分でした。
100%信頼するローリー・バーンの手によるフェラーリマシンF300。自信満々で迎えた98年シーズン。しかし、シーズンが進むにつれてミハエルとフェラーリマシンとのちぐはぐさが如実となってきます。その主な原因は、グッドイヤーの用意したグルーブドタイヤ。マクラーレンが履くブリヂストンの方が明らかに優れていたのです。
ミハエルの次のターゲットが決まりました。「ブリヂストンが欲しい」でした。
雨のスパでのクルサードへの追突、最終戦、鈴鹿のスタートでのエンスト。この二つの「らしくないミス」でミハエルはチャンピオンをまた逃してしまいます。
◆1999年 勝負できない辛さ
無敵神話に影?開幕戦オーストラリアで2台ともメカニカルトラブルでレースを失ったマクラーレン。アルゼンチンGPのキャンセルで1ヶ月後に開催されたブラジルでも問題は未解決のままでした。予選でフロントロウを獲得したハッキネン&クルサードでしたが、決勝スタートでクルサードはグリッド上にスタック。ハッキネンも首位を快走中に突然スローダウンするトラブルに見舞われます。
クルサードは結局リタイアとなりますが、ハッキネンの方はなんとか持ち直し、ミハエルと2位争いを続けます。しかし、1回きりのピットインで首位をハッキネンに明け渡したミハエルは、ゴールまでタイム差は縮める事ができないまま2位フィニッシュ。
一見ハッキネンとレースをしたように見えましたが、実質的には、不安を抱えたMP4/14をハッキネンがセーブしながら走ったに過ぎません。速さでフェラーリはマクラーレンの敵ではありませんでした。
このGPでは、地元レースで頑張ったバリチェロがエンジンブロウで42周でリタイアするまでスチュアート・フォードで素晴らしい走りを見せました。彼は、翌年ミハエルの同僚として迎えられ、長いフェラーリ安定政権の地盤を支え続ける事になります。
このレースでは、もう1人のブラジル人ドライバーが不運に見舞われます。B.A.Rのジャック・ヴィルヌーブの同僚リカルド・ゾンタです。土曜日のフリー走行中に大クラッシュ。当初は軽い怪我と思われていましたが、左足を骨折し3戦欠場する事になります。
ミハエルの全治3ヶ月6戦欠場に比べれば、まだ軽かったと言えますが…。
しかし、この年の骨折による戦線離脱が、ミハエルにこれまでのレース人生を振り返る猶予を与え、そこで学んだ様々な事が後の常勝フェラーリの体制作りに役立ったのだから、まさに「怪我の功名」といえるでしょう。
(まだ続く?)
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登録日:2006年 11月 11日 19:59:32
「インテルラゴスで魅せたミハエルの残照」で一句
<F1・第18戦 ブラジルGP>M・シューマッハ 年間総合2位で現役生活に幕 - ブラジル
【サンパウロ/ブラジル 22日 AFP】F1・第18戦(最終戦)・ブラジルGP(Brazilian Grand Prix)決勝。
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(c)AFP/ORLANDO KISSNER
セナの業 封印し夢 新世代へ
[解説]
最終予選中の思わぬマシントラブルで10位スタート。そして、1コーナーの飛び込み(エス・ド・セナの1つ目)では、まるでマンガ《頭文字D》の「溝走り」のような裏技「壁際&縁石走り」を見せる。ミハエルがガムシャラだった若い頃を彷彿とさせるリスキーな走り。前を行くアロンソをとらえようとなりふりかまわない必死の力走。ところが突然のタイヤバーストで最下位転落…。
それでも最後まで勝利を諦めない意地をセナの聖地で見せたミハエル。
そんな奮闘も空しく結果は表彰台に届かず終いの4位でした。
しかし、優勝したマッサよりチャンピオンを獲得したアロンソより、週末、いや今シーズン中、最も観衆を魅了したのはレース人生最後に露わにして見せたミハエルのむき出しの熱いレーサー魂ではなかったでしょうか。
ミハエルはそのひたむきな走りで、セナ・プロ時代から受け継いできた黒歴史を、自らの引退とともに「封印」し、そして、アロンソ、ライコネン、バトン、マッサら新世代によるF1新時代の幕開けを「宣誓」している様な印象を受けました。
このミハエルからの最後のメッセージを彼ら新世代レーサーたちがしっかり受け止め、新たなエキサイティングな時代を築いてくれる事を望みます。
[雑感]
誰かも言っていたようにブラジル・インテルラゴスがミハエル最後のレースである事に《出来過ぎた》因縁を感じます。何故でしょう?その理由を考えるためにミハエルとインテルラゴス・サーキット(アウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェ)との歴史を振り返ってみます。
◆1992年 セナの走りを公然と批判
PP・マンセルの出遅れにひっかかる3番グリッドのセナ。その横をインサイドから一度は抜き去った5番グリッドのミハエル。しかし、エス・ド・セナ2つ目のインをセナがキープしてミハエルを抜き返します。セナは何度もミハエルにオーバーテイクされては絶妙なライン取りによって挽回しますが、これが過去に例を見ないほどの大渋滞を招きます。
やがて、13周目の最終コーナー。力尽きたようにセナが失速した横をミハエルがパス。それを皮切りに次々と後続車がセナを追い抜いていきます。そして、セナはピットイン・リタイア。しかし、ミハエルとウィリアムズ勢との間に開いたタイム差は決定的で、ミハエルは周回遅れでの3位という屈辱的な結果に甘んじなければなりませんでした。
余程それが腹に据えかねたのか、ミハエルはレース後のインタビューで「3度もチャンピオンを獲得した人間のする行為とは思えない」とセナを激しく批判します。
このレースでのセナの車載映像を見るとこのサーキットの路面の劣悪さがよく分かります。激しいバイブレーションが周回中続き、はっきり言って洗濯板の上を走っているような状態です。見ているだけで車酔いしそうです。逆にマンセルやパトレーゼたちウィリアムズマシンの映像は、そこまで揺れません。アクティブサスとパッシブサスペンションとの違い?(しかし、あまりにもヒドイ。MP4/7Aが熟成不足のためサス・セッティングが極端に固かったせいか、車載カメラの取り付けが緩かった疑いも…)バンプで背中を痛めるという話がナットクできる映像です。
◆1993年 天と運を味方につけたセナ
以前にも、紹介した「雨のセナ伝説」のひとつ。
強敵プロスト&ヒルのウィリアムズ勢にはマシンの差で勝てず、しかもイエローフラッグ無視によるペナルティストップでミハエルの後ろ4位にまで落ちたセナ。
しかし、突然降り出した雨に真っ先に反応し、レインタイヤへ交換。続いてヒルがレインタイヤへ交換しますが、これはプロスト先行を誤ったウィリアムズの苦肉の対応。
その頃、一段と激しさを増した雨のせいで片山右京と鈴木亜久里がホームストレートの真ん中で追突事故。無線の不調でピットイン仕損ねたプロストがその現場を通り過ぎた1コーナー入口。いきなりスピンした前走車クリスチャン・フィッティパルディの煽りを食ってプロストも貰いスピン&リタイアしてしまいます。
セーフティーカー初導入。
すかさずミハエルもレインタイヤに交換しますが、ジャッキトラブルでタイムロス。セナの先行を許してしまいます。
セナはヒルの背後2位へ浮上。セーフティーカーランの間にコースは乾き始め、レース再開数周後にドライタイヤへ交換するセナ。ミハエルも負けじと交換しますが、ピットクルーの対応が緩慢でまたタイムロス。次の周にタイヤ交換したヒルはセナの前でコース復帰。しかし、1周の差は大きく、暖まったタイヤのグリップ力を生かしたセナがヒルをフェヤ・ドラ手前のストレートエンドで難なくパス。その後は、2度と首位を譲る事なくセナは奇跡の逆転勝利を決めます。
必死に追い上げを図ったミハエルでしたが、今度は彼が黄旗無視でペナルティーストップ。順位を9位まで落とします。鬼神の追い上げを見せファーステストラップを連発。ラスト2周目、1コーナー飛び込みで3位のジョニー・ハーバートを捉えパス、なんとか表彰台を奪って見せます。
しかし、ミハエルはその後信じられない光景を目にします。
コース上のセナに向かって熱狂した群衆が押し寄せてきました。危うくその群衆を避け、セナの横を摺り抜けるミハエル。その後方では、みるみるセナと後のマシンが群衆の渦に巻き込まれ身動きできなくなってしまいます。そんな群衆の中心でマシンの上に乗り、高々と両腕を上げて歓喜の声に応えるセナ。やがて、駆けつけたオフィシャルカーに箱乗りしながら凱旋パレードを続けるセナ。周りを数台の護衛車に囲まれ、上空には撮影用のヘリが低空で追走する、まるで国家元首のような扱いでした。
その光景がミハエルにもたらしたものは何だったのでしょうか?
このレースでは、各ドライバーの心拍数が画面表示されていました。特に面白かったのはプロストがリタイア、セーフティーカー導入でセナがヒルの背後まで迫った時、フランク・ウィリアムズの心拍数までが表示されました。
脈拍125。百戦錬磨の闘将もやや緊張気味だったようです。
◆1994年 セナ恐るるに足らず
開幕戦。夢のウィリアムズのシートを手に入れたセナ。ブラジル国民は去年以上の期待を胸にインテルラゴスへ集まって来ました。そこに待ち受けるのは「失望」とも知らず…。
その失望感をいち早く悟っていたのはセナ自身でした。予選1位を獲得するも、それは雨に救われた薄氷のポールポジション。2位につけたミハエルとのアドバンテージはほぼゼロでした。ハイテク装備を剥がされたFW16は、挙動がナーバスな運転しづらだけのマシンだったのです。インタビューに答えるセナの焦燥しきった虚ろな目が、期待を語る言葉とはうらはらな失望の大きさを暗に物語っていました。
レースが始まった途端に、超満員の観衆もまた現実が夢を萎ませていく不安を感じ始めます。
スタートで先行した2位アレジを2周目の最終コーナーで早々とミハエルは仕留め、トップのセナをぐんぐん追い上げます。セナとミハエルとのタイム差は、21周目の最初の給油ストップまで常に1秒以下。ところが、ピットアウトでミハエルがセナを先行した途端、その差はみるみる4秒まで広がっていきます。
2回目の給油ピットストップを済ませた時の2人のタイム差は8秒にまで広がっていました。しかし、終盤セナは気難しいマシンへムチを当て、ミハエル追撃へ死力を振り絞ります。1周ごとに0.5秒ずつ刻む走りでミハエルを猛追。
しかし、そんな55周目。最終コーナー手前の上り坂途中で横を向いたセナのFW16が画面に映し出されます。前年の勇姿からは想像もできない無様な単独スピンでした。
その途端に満員のスタンドからゾロゾロと大観衆がサーキットを後にします。それはまるで葬列を思わせる陰鬱な光景でした。
ミハエルは、その後誰ひとり寄せ付ける事なく1位チェッカー。幸先の良い開幕戦優勝を果たします。レース前に風邪気味であると伝えられたミハエル。しかし、ヘルメットを脱いだ途端に見せたのは会心の笑顔でした。多くのドライバーがタフなコースと答えるインテルラゴスで疲れひとつ見せないミハエルに多くのレースファンが末恐ろしさを感じた瞬間でした。
レース後のインタビューにセナはこう答えています。
「ついてなかったけど、別にこれで地球が破滅するわけじゃない。チャンピオンシップはまだ始まったばかりだからね」…orz(号泣)
◆1995年 奪われた開幕戦勝利
前年のセナを思わせる憂鬱そうなミハエル。
その原因は、この年のマシンB195が抱えるシャシーバランスにありました。初日フリー走行からウィリアムズ勢をタイムで上回る事が出来ず、しかも公式予選中ステアリングトラブルによるクラッシュに見舞われます。2日目、夜に降った雨で悪化した路面状況にフリー走行中コースオフを喫しながらも午後の予選ではやっと1分20秒台でトップタイムを叩き出します。しかし、前日のヒルの記録には届かず2位確定。
そんなミハエルにとどめを刺す知らせがスタート前にもたらされます。
事前の燃料検査の結果「ベネトンとウィリアムズは燃料規定違反により失格」の通達がレース直前に発表されます。両チームは、裁定を不服とするアピールをし、処分保留という暫定的立場のままレースに参加します。
ミハエルは、3回ピットインによる軽めの燃料でスタート。いきなりヒルを1コーナーのインを刺し攻略します。その後はトップを快走。1回目のピットストップでは、ヒルの先行を許してしまいますが、その10周後の31周目。ヒルは、1コーナーでイン側の縁石に左タイヤを当てラインを外し、エス・ド・セナの出口でスピン。そのままコースオフしてリタイアします。
2度目のピットインでは、今度はウィリアムズのクルサードに先行を許します。
しかし、クルサードが2度目のピットインでコースに戻った時にはミハエルは3.5秒先を走っていました。それからはミハエルは1周につき0.5秒ずつマージンを稼ぐ形でクルサードとの差を広げます。そして、今年もまた幸先の良いミハエルのブラジル2連勝。しかし、表彰台に立つミハエルとクルサードの表情は微妙でした。
それから5時間後。予想通り休暇先のミハエルの元へ正式な失格裁定が言い渡されます。また去年から尾を引くミハエル&ベネトン(というよりフラビオ・ブリアトーレ)とFIAとの新たな抗争パート2か、と思われましたが、実はこれは、ミハエルとブリアトーレとの破局に向けた序章でした。
この時のエピソード。ミハエルとクルサードの失格で棚ぼた優勝が転がり込んだベルガーは、仲間とシャンパンファイト。その話をあるドイツ人ジャーナリストがミハエルへご注進。「1周遅れの立場でシャンパンファイトなんて、自分には理解できない」というミハエルのコメントを今度はイタリア人ジャーナリストがベルガーにご注進。そこでベルガーは「セナが死んだ表彰台でシャンパンファイトする方がよっぽど無神経」と事実誤認の反論。それにミハエルが「シャンパンファイトなんかしていないし、セナの死を知ったのはレース後」と再反論。そこへミハエルの体重偽装疑惑の話まで持ち込まれる始末。ドイツとイタリアのメディアにまんまと踊らされた2人は、サンマリノGPで直接会い、誤解を解いて握手。目出度く手打ちとなりました。ちゃんちゃん。
この年、不安を抱えたマシンで9勝を上げ、ベネトン念願のダブルタイトルを実現してみせたミハエル。しかし、商売気が多く強引なブリアトーレのやり口に不満を抱いていたミハエルは、より自分のキャリアを高めるチームへの移籍を決意。
万年Bチームをトップチームへと創り変えた自信は、ミハエルをプロストさえ叶えられなかった大事業《フェラーリ再生》という夢へと駆り立てます。
世界中にいるフェラーリファン&ティフォシたちの長年の夢を叶え、彼らの崇拝を一身に集めるという野望。
その「きっかけ」こそ、脳裏に焼き付いている93年のインテルラゴスで見たブラジル国民のセナへの熱狂だったのではないかと思います。
(後編に続く)
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登録日:2006年 10月 30日 04:03:09
「ミハエルついにラストラン」で一句
<F1・第18戦 ブラジルGP>マッサ 地元GPで今季3度目のポールポジションを獲得 - ブラジル
【サンパウロ/ブラジル 21日 AFP】F1・第18戦(最終戦)・ブラジルGP(Brazilian Grand Prix)、公式予選。フェラーリ(Ferrari)のフェリペ・マッサ(Felipe Massa)は、ベストラップ1分10秒680をマークし、鈴鹿に続いて2戦連続、今季3度目となるポールポジションを獲得した。(c)AFP/ANTONIO SCORZA
終わる夢 残る寂寞 滲む赤
[解説]
1991年スパ・フランコルシャンでミハエル・シューマッハが衝撃デビューをして、はや16年。思えば随分長い年月が経ったように思う。しかし、まだその走りには他の追随を許さないものがあり、鉄人リカルド・パトレーゼの記録を抜いて、まだF1界に君臨し続けられる余力を残しながらの引退。
フェラーリ上層部、特にルカ・ディ・モンテゼモーロとの確執があった、などというキナ臭い噂話も漏れ聞こえるが、「楽しいから走る」という彼のレーサーである原初的動機より守るべきものが多くなってきたというのが一番の理由ではないかと思う。
とにかく、今日は私たちがミハエルの走りをリアルタイムで目にできる最後の日。チャンピオンシップの結果はどうあれ、彼の走り様をじっくり楽しもうと思う。
[雑感]
チャンピオンになれるレーサーとは?
その問いに簡単に答えるなら、他のレーサーにないものを持っているレーサーと言える。ミハエルは、デビュー当初からその点ではくっきりと他との違いが際だった存在であった。そんな彼のデビュー間もない頃の状況を振り返る。
◆生意気発言
「3度も世界チャンピオンをとった人間の行動と思えない」
明らかにトラブルを抱えたマシンで後続を執拗にブロックし続けたアイルトン・セナを激しく批難したミハエル。まだ勝った経験のない新人レーサーによるこの発言は当然、まわりの反感を買い、「生意気な新人」というレッテルが貼られた。
◆マンセルの印象
「シューマッハのせいで110%の力を出してドライブしなければならない」
最強マシンのウィリアムズルノーを駆るナイジェル・マンセルの目から見ても、気がつけば表彰台の隣に必ず立っているこの若者は驚異と映っていた。
ところが当のミハエルはマンセルの走りを「バカ」呼ばわりしていた。
◆テスト好き
いろいろ類似点のあるミハエルとセナ。そんな彼らの一番違う点は、テストへの積極性。シーズンオフは、休養にしっかり充てるセナと違って、ミハエルはマシン開発チームに協力し、テストドライブにも精力的に参加する。それはデビュー当時から一環していた。ベネトン移籍後初のシーズンオフでも、新レースエンジニアとなったパット・シモンズ(現ルノー・エグゼクティブエンジニアリングディレクター)と協力して、データに基づいたマシンと走りの開発を進めた。それが1992年シーズン開幕からの大躍進となって現れた。このチームとの密接な関わり合いは、ベネトンからフェラーリへと移籍した後もミハエル独自のスタイルとして続けられている。
◆フィットネス好き
個人マネージャーであるウィリー・ウェバー。ミハエルのフィットネスメニューに1週間つきあってのコメント。
「あれは休日なんてもんじゃなかった。ほとんど死にそうだったよ」
◆ベネトンでの給料
契約金/30万ドイツマルク(当時約2500万円)
ポイントボーナス/1ポイントごとに5000ドル(当時約65万円)
表彰台ボーナス/2〜3位獲得時1万5000ドル(当時約200万円)
優勝ボーナス/5万ドル(当時約650万円)
ちなみにこの年のミハエルの成績は、
《優勝1回》+《2〜3位7回》+《獲得ポイント53ポイント》なので42万ドル(当時約5460万円)つまり、ボーナスだけで契約金の倍以上稼いだ計算になる。
ただし、この中から年間6万ドイツマルク(当時約480万円)の保険金と20%のマネージャー料が少なくとも差し引かれる。
それでもフェラーリとの契約金だけで50億とも言われる現在とは隔世の感がある。
◆同僚マーティン・ブランドルの感想
「ミハエルは、当時のステファン・ベロフ(伝説の84年雨のモナコでセナに肉迫していたドイツの有望新人。翌年スパのレース事故で死亡)と比較してもずっとプロフェッショナルだね。当時23歳だったセナと比べてもミハエルの方がより完成されているとさえ言える」
◆デビューレース裏話
デビュー初レースは、難コースとして有名なスパ。ジョーダンのチームミーティングでベテランのアンドレア・デ・チェザリスがバスストップシケインにあるバンプでマシンが「ナーバスな動き」をする事を問題視していた。そこでミハエルにも同じ箇所の印象を尋ねたら、
「僕は最初のバンプを5速で入り、途中で6速に上げて、それから左足でブレーキングした。マシンは次のコーナーへ落ち着いた挙動を見せたよ」と事も無げに言った。
チェザリスは、そんな方法があることすら知らなかった。バンプでマシンが挙動がナーバスになるのは自然な事であり、その解決策はドライバー自身の技量でカバーする事がミハエルにとっては至極当たり前な事だったのだ。
恐らくこの辺がチャンピオンになれるレーサーとそうでないレーサーとの違い?
<参考>
F1グランプリ特集 Vol.63 マイケル・シュミット取材記事
クリストファー・ヒルトン著 だれも知らなかったアイルトン・セナ 5年目の真実
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登録日:2006年 10月 22日 11:50:43
「エンジンブロウでミハエル赤信号」で平家物語
<F1・第17戦 日本GP>アロンソ 鈴鹿初優勝で総合首位の座を奪い返す - 鈴鹿
【鈴鹿 8日 AFP】F1・第17戦・日本GP(Japanese Grand Prix)、決勝。
≫続きを読む…
(c)AFP/Yoshikazu TSUNO
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ
[解説]
引退まであと残り2つ。絶対に落とせない一戦をエンジンブロウで失ったミハエル。これによりミハエルの圧倒的優位が一転、最終戦ほぼ“ミッション・インポシブル”状態。逆にアロンソは、8位内でフィニッシュしさえすればチャンピオン…っていうか、もう勝ったも同然。
シナリオ通りには進まないのがレース。
白い煙を噴き上げながらコース脇に止まるマシンの姿を見る度に、レースの世界を支配する無常観を感じずにはいられません。
だから、最終戦でアロンソに同じ事が起こらない可能性もゼロではないのです…あっ。もうアロンソはモンツァでエンジンブロウしてたっけ…。
[雑感]
がっくし…orz。
きっとシューミーファンは、テレビの前で脱力感に打ちのめされた事でしょう。
何で?よりによって、ここで?
ミハエルの鈴鹿ラストランはあまりに苦い結末を用意していました。実は、ミハエルのF1初エンジントラブル・リタイヤも鈴鹿だった事をご存じでしょうか?そんなミハエルのエンジントラブルリタイヤ歴を振り返ってみました。
◆1991年 第15戦 鈴鹿サーキット
「中嶋、鈴鹿ラストラン」として記憶されるこのレース。タイヤ交換を終えピットアウトしていく中嶋。さあ追い上げだ!と思っていたら、次に映像に映し出されたのは、S字コーナーのタイヤバリアにまっすぐ突っ込んだティレル020の無惨な姿。うつむき気味に手を振りながら痛めた足でコースを横切る姿に涙したオールドファンは多い事でしょう。
このレースでミハエルは、9番グリッドから5位までポジションアップ。中嶋と同一周回にタイヤ交換を終え、前を行くミナルディのピエル-ルイジ・マルティニを追い抜こうとメインストレートを加速中にフォードV8エンジンがブロウ。S字コーナーの手前の草地にマシンを止めリタイアします。予選中、高速130Rで大クラッシュして痛めた首をプロテクターでかばいながらの力走も報われませんでした。
ちなみにこのレース、セナの後ろにつき過ぎたマンセルが1コーナーでコースアウト。グラベルスタックによるリタイア。その瞬間にアイルトン・セナが人生最後のチャンピオンシップを手にしたレースでした。
◆1993年 第11戦 ハンガロリンク
3番グリッドからスタート失敗で5位に落ちたミハエル。そんな焦りからか4周目には、何でもないコーナーでスピン、コースアウト。順位を10位まで落としてしまいます。しかし、そこから一人また一人と着実に攻略し、ついにトップを行くヒルの後ろ2位までポジションアップしたのですが、突然のエンジンブロウでスローダウン。エスケープロードに車を止めてリタイア。
◆1993年 第13戦 アウトドロモ・ナツィオナーレ・ディ・モンツァ
第1シケインでセナとヒルが接触、そのチャンスを見逃さず5位から3位にポジションアップしたミハエル。ティフォシたちの声援を受け粘るアレジを4周目には難なくパスし、ついにプロストを射程圏に捉えながら2位を快走します。ところが、22周目。画面はパラボリカ脇の草地に止まったミハエルのB193Bを映します。モンツァの森の魔物がミハエルに襲いかかり、グランデカーブの出口でエンジンブロウ。なすすべもなくミハエルはリタイアしていました。
◆1993年 最終戦 アデレード市街地サーキット
ここは市街地コースが得意なセナの独壇場。プロストもヒルもミハエルも誰もそのハイペースについていけません。このレースでセナは生涯最後の優勝を飾りますが、ミハエルは4位を走行中20周目にエンジブロウ。気がつけばコース上から消えていました。このレースでは、前戦鈴鹿からラルースチームで日本のベテランドライバー鈴木利夫さん(当時38歳)がスポット参戦しています。予選トップのセナとは7.5秒差の最後尾スタートでしたが、ねばり強い走りで19位完走(前戦鈴鹿も12位完走)という結果を残しています。
◆1994年 第9戦 ホッケンハイムリンク
セナ亡き後、向かうところ敵無し状態で迎えた母国GP。しかし、必勝を誓った意気込みも空しく…。
オープニングラップで一気に11台のマシンがリタイアする波乱の幕開け。ミハエルは序盤からフェラーリのベルガーをテールツーノーズ状態で責め立てます。ところがベネトンの同僚フェルスタッペンが給油中にノズルが外れ、吹き出したガソリンに引火。一瞬にしてピットエリア全体が火に包まれました。シーズン当初から懸念されていた給油中の火災事故がついに発生したのです。そのドタバタが終わったと思った頃にミハエルがコース上でエンジンブロウ。ゆるゆるとピットインして、そのままリタイアしてしまいます。
母国優勝目前でのリタイア。スローダウンしたコクピット内で無念さに頭を抱え、ハンドルに拳を叩きつけながら悔しがるミハエル。その姿には、今ではあまり見られない素直な感情のほとばしりを感じられました。
◆1996年 第9戦 マニクール・サーキット
移籍直後のフェラーリがまだダメダメだった事を証明したレース。なんとフォーメーションラップ中にエンジンブロウ。0周リタイア。これには、さすがのミハエルも「頭にきた」らしいのですが、それでも「誰かを責めても何の意味もない」と冷静に対処します。このミハエルの建設的ポジティブ思考が、フェラーリの悪しき因習「お家騒動」を排除し、後の常勝チームとなる足がかりを築きます。
◆1998年 開幕戦 アルバートパーク・サーキット
シーズン第1戦。それもたった5周でブロウしたフェラーリエンジン。予選ですでにマクラーレンのMP4/13に力の差を見せつけられ嫌な予感がしているところへ、さらに決勝でも信頼性に疑問符。結局、この年のチャンピオンはミカ・ハッキネンにさらわれてしまいます。
◆2000年 第9戦 マニクール・サーキット
得意のマニクールで意外な苦戦。ブリヂストンとのマッチングの悪さが走りに響き、マクラーレンの2台にいいように追い回されます。ミハエルの執拗なブロックに対してデビッド・クルサードには侮蔑の中指立て「ファッ○オフ・サイン」で抗議され、40周にはアデレードヘアピンで接触を受けながら強引にパス。ハッキネンには、59周目ヘアピンの飛び込みでふらついたところを素早くインを突かれパス。その直後にエンジンブロウでリタイア。踏んだり蹴ったりのレースでした。
◆たった9回のエンジントラブル
以上8戦と今年の鈴鹿を加えた9戦がエンジントラブルによるリタイアです。249戦中でたったの9回。ちなみにアイルトン・セナは、生涯161戦中11回のエンジントラブルに泣かされています。マシンの性質もエンジンの耐久性もレギュレーションも違う環境において一概に比べられませんが、少なくともミハエルの優位性を語る際に参考になる数字ではあると思います。
ついでにアロンソは出走85戦ですでに5回のエンジントラブルを経験しています。まあ、これは2003年のルノーエンジンの信頼性が低過ぎた(年間4回のトラブル)せいもあるのですが…。
泣いても笑ってもあと一戦。セナの故郷で正々堂々としたレースを見たいです。特にミハエルには「発つ鳥あとを濁さず」キャリアの最後をクリーンに締めくくってみせてほしいものです。
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登録日:2006年 10月 15日 06:23:27
「ミハエルは『天使』じゃない」で引用文
<F1・第15戦 イタリアGP>M・シューマッハ 今季6勝目を飾りアロンソとの差を2ポイントまで詰める - イタリア
【モンツァ/イタリア 10日 AFP】F1・第15戦・イタリアGP(Italian Grand Prix)、決勝。2番グリッドからスタートしたフェラーリ(Ferrari)のミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)は、2位に8秒差以上つけての優勝、今季6勝目を飾りドライバーズポイント・ランキングでトップを走るルノー(Renault)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)との差を2ポイントまで詰めた。(c)AFP/PATRICK HERTZOG
わたしは知る
わたしをあがなう者は生きておられる
後の日に彼は必ず地の上に立たれる
わたしの皮がこのように滅ぼされたのち
わたしは肉を離れて神を見るであろう
しかもわたしの味方として見るであろう
わたしの見る者はこれ以外のものではない
わたしの心はこれを望んでこがれる
(日本聖書協会『口語訳 旧約聖書』ヨブ記 第19章/25節ー27節より)
[解説]
「不幸になれば人は神さえも呪う」
悪魔サタンの言葉を聞いた神様によって、謂われのない試練を受けるヨブ。
子供を失い、家財を失い、病を患い、不幸のどん底に叩き落とされ、
友人たちから「お前の信仰心が足りないせい」と責められる日々。
それでも神へ信仰を捨てないヨブが決意表明する場面が上記の部分。
たとえ理不尽で報われる事がなくても試練に耐えるのは
「たとえこの身が滅びても、いつか必ず自分を認めてくれる存在がいるはず」という確信のみ。
かつてのセナも、そしてミハエルも同じように幾多の試練や
謂われのない(?)誹謗中傷に耐えなければならない場面で、
同じような言葉を心の中で呟いていたのかもしれません。
しかし、時に神に見えたり、悪魔に見えたりしても
セナやミハエルの事を信じ続けた彼らの熱烈なファンたちの方が
よほど、ヨブの気持ちに近いのでは?…と思います。
[雑感]
雌雄を決する3連戦前の小休止。中国GPまでまだ1週間以上。
そこで前回、引用したミハエルのドキュメント本「シューマッハ」(ザビーネ・ケーム編著/東本貢司訳/PHP研究所発行)の内容を一部紹介しながらつれづれ思った事などを。
◆ミハエルの証言(抜粋)
ーー自分がやったことに気づくのにかなりの時間がかかった。
たぶん、それを認めたくなかったんだね
ーー折りに触れてドライバーたちは王様気取りで強引に追い抜こうとしたが、
それは公式には禁じられていた。でも誰も気にしなかった。やってよかったんだ
ーーファンジオが当時のフォーミュラワンで達成したことは
別格なんだから、比較にならない。
きょう日は何もかもが違うんだ。安全面ひとつ取ってもね。
今の変化がどんなに速いか考えてみたことないんだろ?
ーーぼくはさらなる成功に飢えている。できるだけ多くいいレースをしたい。
ただただ、ドライビングからぼくが得られるよろこびのために
ーーぼくはベッドルームに偉大なドライバーのポスターを飾ったことがない。
アイドルを崇めるタイプの子供じゃなかったんだ
ーーいつも思ってたよ。次のステップが巡ってきたら
それでよし、いいぞ、チャンスをものにするんだ、って。
同時にぼくの姿勢はどこまでも現実的だった。
現実に起こりそうにないことを望んだりはしなかった
ーー何かに興味を覚えたら、ぼくはそれにわき目もふらず関心を寄せて、
他をすべて押しのけてでも全力を傾ける。(中略)
何かにとらわれていると、完全に自分を遮断してしまう
この本には他にも彼や関係者たちの様々な証言が収録されていますが、どれも脚色のない本音に近い言葉のように思えます。虚栄や自尊心などからヘンに自分を飾ろうとしない、できるだけ等身大の自分を知ってほしいというミハエル側の意図がよく分かる内容です。
◆2002年 鈴鹿でのエピソード
歴史的な圧勝でシーズンを終えたフェラーリ陣営。夜どおし行われるパーティーへ向けて、最後の梱包作業に追われていたスタッフの一人がフォークリフトに足を踏まれて怪我をします。そこへたまたま顔を出したミハエルは、オロオロするスタッフたちへ素早くテキパキ指示を与えて、その場で考え得る最良の準備を整えて救急車へ怪我人を任せるまでのエピソードが紹介されています。
ミハエルがフェラーリをいかに成功へ導いたかの方法を知る「手がかり」として、また彼がいかにスタッフを大事に思い、親身に接したかを知る好例としても読めます。
◆ミハエルの「普通」
レーサーとして常に完璧さを求める事は、ミハエルにとってごく自然で当たり前な事。それを象徴する言葉をひとつ紹介しましょう。
「ラジエーターのダクトがテープで巻かれるとき、空気の泡がひとつあるのが目に止まったとしたら、ぼくは自分の親指でそれをならさなければいけない。それは、大衆が思い浮かべるところのマシンとの接触という意味とはまったく違って、ぼくに関する限り、これは単に技術的なポイントであり、ものごとに対する極めて普通の興味からきているだけさ」
かつてアイルトン・セナもよく現場でマシンに手が加えられるのをじっと見ていました。彼はそうする事でチームスタッフの、特にホンダのスタッフたちの心を掴んでいきました。ミハエルも同様にそうやってチームの意識をどんどんプロフェッショナルに相応しいものへ変革させました。「昔は、マシンは建築中といったところだったけど、最近はすべてがよりスムーズに機能している」というミハエルの言葉にも、成し遂げてきた事への自負心と満足感が垣間見えます。
◆ジャン・トッドのミハエル評
「彼はドライビングへの愛情に心を奪われている。レースをするために生き、コックピットの中の彼は自己を超越しているんだ。トラックは彼のドラッグであり、彼は決して満たされることはない。」
「Track」と「Drug」の語呂合わせを織り混ぜて、ミハエルをレース中毒者と語るトッド監督。それは批難ではなく、コース上で発揮されるミハエルの底知れない潜在能力や成功してもなお衰えない勝利への欲求などに対する手放しの讃辞です。
◆「シューマッハ」の読み応え
あえてここで紹介はしませんが、妻コリーナから見た夫であり、偉大なレーサーであるミハエルの実像を伝える章が一番好きです。いかに彼が家庭人として家族を大切に思っているかが分かる普段の生活風景が実にさりげなく微笑ましく描かれています。アメリカの片田舎で休日を過ごしながら掲載用スナップを撮影した時の裏話など、妻を愛するただの男ミハエルの実像もリアルに伝わってきます。
訳者もあとがきで「アンチ・シューミー」から「熱烈なシューミーファン」に転向したと述べられていますが、お世辞抜きで、さもありなんと思える内容です。この「仕事ぶり」が評価されジャーナリズム賞を受けたのみならず、著者自身がミハエルのメディアコンサルタントを勤めるようになったというのも頷けます。
◆想像できない状況
F1レーサーという人種は、平凡な人間とはまったく別の次元を生きている…などとお決まりの言葉で何となく分かった気になっています。でも、その実情は私たちの想像など足元にもおよばない、スピードと情報量の中で、瞬時に「判断と決断と行動」を同時に求められる、世界一過酷な職場です。しかも命すら落としかねません。そんな正気さえ保つ事の難しいギリギリの環境でつねに「勝利」を求められ続けるミハエル。彼が晒されているプレッシャーの巨大さなんて、常人には一生経験できず、できたとしても到底耐えられないでしょう。
◆想像できる事態
それでもミハエルも人間ですから一瞬の判断ミスはありえます。
一連の「決して褒められない過去」も、意識的というより、限りなく無意識に近い部分で、反射的に「それ」がもっとも合理的で確実な「勝利の近道」だと心と身体が(理性や倫理観の判断より)速く反応してしまった「誤作動」のようなものと考えられないでしょうか。
招いてしまった結果への罪は負うべきです。しかし、それが誰の目から見ても意図的な「悪意ある行動」に見えたからと言って、それを招いたのは「悪意」だと単純に言い切れるでしょうか?
あらゆる角度から考えてリスクが大きすぎる行為、それはミハエルの理想とするレース哲学に最もそぐわない、排除すべき要素だと思うのですが…。
◆読後感
この「シューマッハ」を読むと、なんとなくミハエルをそんな風に理解してあげたくなりました。まさに出版サイドの思うツボ。でも、ファンだけでなく、なるべくアンチ・シューミー派にも、この本は読んでほしいなと思いました。
あと、今更ですが、抜粋部分は本文内容とまったく違う印象を与ているおそれがあります。興味を持たれた方は是非、本書をきちんと読まれる事をオススメします。
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登録日:2006年 09月 21日 17:34:26
「ミハエル、モンツァ・ラストランも圧勝」で一句
<F1・第15戦 イタリアGP>M・シューマッハ 今季6勝目を飾りアロンソとの差を2ポイントまで詰める - イタリア
【モンツァ/イタリア 10日 AFP】F1・第15戦・イタリアGP(Italian Grand Prix)、決勝。2番グリッドからスタートしたフェラーリ(Ferrari)のミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)は、2位に8秒差以上つけての優勝、今季6勝目を飾りドライバーズポイント・ランキングでトップを走るルノー(Renault)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)との差を2ポイントまで詰めた。(c)AFP/PATRICK HERTZOG
ティフォシ沸く モンツァの玉座 夢の日々
[解説]
フェラーリ帝国の王城、モンツァ。
必勝の誓いを胸に秘め、威風堂々、
ティフォシたちの期待に応えてみせたミハエル・シューマッハ。
最終周、皇帝の駆る紅いマシンの切り裂く風が、
パラボリカを抜け、ホームストレートを吹き抜けた時、
グランドスタンドの紅き民たちは見ただろうか。
蜃気楼に揺れながら消えた、最後の凱旋の紙吹雪のきらめきを
ポディウムでいつもより名残惜しげな王の謁見が終わった後、
詰めかけた紅き民たちは気づいただろうか。
ドイツから来た専制君主による平和な統治時代が今日、終わった事を。
そして、皇帝退位の知らせを耳にした紅き民たちは嘆き悲しんだろうか。
夢のような日々が、もう思いして語るしかなくなった現実を。
[雑感]
ライコネンの勢いも、アロンソの粘りも何のその。
やはり、モンツァはミハエルが強かった。
フェラーリ在籍中のミハエルがこだわり続けた(と私が勝手に決めつけている)「モンツァ」での勝利。
その目的は…ティフォシたちの人気を維持するためのパフォーマンス?
フィアット上層部に対する発言権を確保するための示威行為?
フェラーリのNo.1たる自分へ自ら課した責務?…
いろいろ事情はあると思いますが、ミハエルがモンツァで勝利するたびに「やるべき時にやるべき仕事をやり、きっちり結果を出す」彼らしい律儀さと真面目さを特に感じます。
◆サーキット対抗ミハエル勝率ランキングTOP10
第1位/0.714(5勝/7戦)インディアナポリス(アメリカGP)
(※絶対去年のインディをレースと認めないとしても勝率0.667でやっぱり1位)
第2位/0.571(8勝/14戦)マニ・クール(フランスGP)
第3位/0.467(7勝/15戦)イモラ(サン・マリノGP)
第3位/0.467(7勝/15戦)モントリオール(カナダGP)
第5位/0.462(6勝/13戦)スパ・フランコルシャン(ベルギーGP)
第6位/0.454(5勝/11戦)ニュルブルクリンク(ヨーロッパGP)
第7位/0.375(6勝/16戦)鈴鹿(日本GP)
第7位/0.375(6勝/16戦)カタロニア(スペインGP)
第9位/0.364(4勝/11戦)メルボルン(オーストラリアGP)
第10位/0.3575勝/14戦)モンツァ(イタリアGP)
・・・・・・・・・
第11位/0.333(5/15戦)モンテカルロ(モナコGP)
(怪我による欠場、制裁による出場停止したレースは含みません)
コレが、全90勝中の64勝の内訳です。
その堂々たる戦績。今更のようにビックリします。
◆モンスターたちの記録
ここでプロストやセナが得意としたサーキットでの勝率と比べてみましょう。
アラン・プロスト(生涯優勝回数51回/歴代2位)
5勝/9戦(勝率0.556)シルバーストーン
5勝/9戦(勝率0.556)リオ・デ・ジャネイロ
4勝/9戦(勝率0.444)ポールリカール
4勝/13戦(勝率0.308)モンテカルロ
アイルトン・セナ(生涯優勝回数41回/歴代3位)
6勝/10戦(勝率0.600)モンテカルロ
3勝/5戦(勝率0.600)デトロイト
5勝/10戦(勝率0.500)スパ・フランコルシャン
どれも素晴らしい記録です。こうして見るとミハエルは、「モナコマイスター」としてのセナの記録に数でも勝率でも上回れませんでしたし、勝つ事が難しいシルバーストーンを5勝(ミハエルは3勝)したプロストにも敵いませんでした。
しかし、どんなに優れたドライバーでも同じサーキットでマルチ優勝をするのは至難の技。それを10箇所ものサーキットで軒並み5勝以上しているミハエル。
この圧倒的な数字の前には語るべき言葉を失います。
◆モンツァの勝率
さて、モンツァでのミハエルの勝率は0.357で10番目です。
あまり高い数字ではない(あくまでもミハエル基準で。一般的に見れば十分高い)ですね。しかし、フェラーリ時代だけに注目してみるとどうでしょう?
これがいきなり5勝/10戦となり勝率が5割まで跳ね上がります。
つまり、ベネトン時代に1勝もできなかった場所で2回に1回勝てるようになったワケで、何が何でも勝ちたいミハエルの気力が「魔物が住む」と言われるモンツァの森まで味方につけたのでしょうか。
それと好対照なのが、モナコGPのモンテカルロ。あのセナの記録は何としても破りたかったはずですが、フェラーリ時代は3勝/11戦(0.272)と逆に勝率を落としています。
◆歴史あるモンツァ
グランプリの起源はフランス。近代F1の歴史はシルバーストーンから。
しかし、F1が始まって57年間、1年も欠かさずレースが行われてきたサーキットはモンツァだけです。つまり、モンツァの歴史はF1の歴史と言えます。
しかも、フェラーリドライバーとしてモンツァ覇者に名を連ねる事は、あのアルベルト・アスカリやフィル・ヒル、ジョン・サーティースなどと肩を並べ、末代まで伝説として語られる名誉に浴する事でもあります。セナはもとより、プロストもアレジもついにその恩賜を受ける事はありませんでした。ミハエル以前にそれを成し遂げられたのはゲルハルト・ベルガーだけでした。
◆1988年 9月11日 モンツァの奇跡
セナとプロストの黄金タッグが無敵のホンダターボを搭載した名車MP4/4で全レースを制覇しつつあった年の夏。8月14日、フェラーリの総帥エンツォ・フェラーリは、その栄光と波乱に満ちた人生を静かに終えました。
その1ヶ月後に開催されたイタリアGP。一部熱狂的ティフォシからは亡きエンツォの弔い合戦を望む声も上がっていましたが、当事者であるベルガーを含め誰もそれが現実になるとは思っていませんでした。
34周目にプロストがリタイアしても、トップを快走するセナはもう誰にも止められない…そう思われた残り2周前、その奇跡は起こりました。
プロストとレース中盤まで競ったタイムトライアルでかなりシビアになっていた燃費。終盤になりペースを上げ、ぐんぐん差を縮めてきた2位ベルガー。その状況に焦ったセナは、自ら墓穴を掘ってしまいます。
前を行く周回遅れのウィリアムズのマシンを第1シケインで強引に抜こうとした時、セナのリアタイヤがウィリアムズのフロントタイヤにヒットし、弾かれたようにスピンします。縁石の上にひっかかる形でエンジンストール。万事休す、泣く泣くリタイアとなってしまいます。消えたマクラーレンホンダの全勝優勝。
突然の出来事に目を疑うティフォシたち。そして、夢が現実となった事を知るや喜びを通り越して狂乱の渦に沸き立つグランドスタンド。
それは79年のジョディ・シェクター&ジル・ヴィルヌーブ以来、見る事のかなわなかった跳ね馬のエンブレムを飾る赤いマシンによるワンツー・フィニッシュ。
誰もが天に召された「コメンダトーレ」からの贈り物と信じて疑いませんでした。
それから8年。ティフォシたちは夢のような2ラップ伝説を何度も何度も回想して長い「冬」を過ごします。
◆1996年 9月8日 皇帝ミケーレの戴冠
前戦ベルギーGP優勝で一気にティフォシたちの期待が高まった第14戦イタリアGP。
予選で好調だったデイモン・ヒルが序盤早々に消え、観衆の注目は、期待通りミハエルと彼と入れ替わりにベネトンへと移籍した元フェラーリのアイドル、ジャン・アレジの一騎打ちに集まります。
燃料を多めに搭載したミハエルは、いかなる事態にも対応できるよう万全の体制でアレジの背後につけ、虎視眈々とチャンスを伺います。やがて、31周目。アレジがピットインするやファーステストラップを更新し続け、3周後、アレジとの間に30秒近いマージンを稼いでピットイン。首位を明け渡す事なくコース復帰。あとはただひたすらチェッカーまで走り続けるだけでした。
ティフォシたちの熱狂を煽るようなファンタジーもピンチも起きぬまま優勝。メインスタンド前を埋め尽くす勝利を待ちわびたティフォシを慰撫するようにイタリア国歌が高らかに鳴り響きました。
ミハエルは移籍時の公約「年間3勝」を地元モツァで見事に達成し、これ以上何を望むかと睥睨するようにポディウムの頂点に立って見せました。
そんな彼をティフォシたちは熱狂的な歓声で讃えます。絶対君主「皇帝ミケーレ」の施政方針を受け入れ、終世の従属を誓うかのように…。
◆その3ヶ月前 悪夢の日々
しかし、そのたった3ヶ月前。フェラーリを取り巻く環境は最悪でした。
ミハエル移籍後7戦目のスペインGP。雨のカタロニアを圧倒的な走りで制し、1勝を上げたミハエル。
しかし、その後はリタイアの連続で成績は伸び悩み、ジャック・ヴィルヌーブとデイモン・ヒルによるウィリアムズ独走を許してしまいます。チャンピオン争いに早くもイエローランプが点滅し始めたフェラーリ。
イタリア国内でも不満が噴出。矢面に立たされたルカ・ディ・モンテゼモーロ社長は、全責任をF310を設計したジョン・バーナードへ向けようと、彼のコストパフォーマンスの悪さを公然と批難します。
しかし、世論はそれで満足せず、監督のジャン・トッドやミハエルへも批難の矛先は向けられます。一方のミハエルもフランスGPではフォーメーションラップ中に突然のエンジンブロウ。0周リタイアという惨憺たる結果に危機意識の薄いチーム体質への不信感を一層強めます。
そんな最悪の状態で迎えた第13戦ベルギーGP。幸いにもウィリアムズの拙い戦術ミスに助けられる形で貴重な勝ち星を拾います。そして、続くイタリアGP。
ミハエルは、何が何でも負けるワケにはいかなかったのです。
◆まだまだ続く幻滅
そんなこんなで何とかフェラーリ1年目の危機を何とか乗り切ったかに見えたミハエル。しかし、翌1997年シーズンは、彼にもっと過酷な試練を用意していました。
へレスで行われた最終戦スペインGP。事実上のチャンピオン決定戦でミハエルはあろう事か、公衆の面前で競争相手のジャック・ヴィルヌーブを押し出そうとハンドルを切ってしまいます。これによって元チャンピオンは、自ら看板にドロを塗ったばかりでなく「インチキ・シューミー」の仇名を決定的なものとしてしまいます。
1998年には宿敵ミカ・ハッキネンと名車MP4/13の前に敗れ、1999年には右足骨折による途中欠場でシーズンをまるまる棒に振ってしまいます。
いつしかフェラーリ新車発表会で毎年繰り返されるモンテゼモーロ社長の「今年こそチャンピオン」という宣言が会場に空しくこだまする度、押し殺した溜息と意味深な目配せが交わされるようになっていました。
◆スパの屈辱
そして、不退転の決意を胸に挑んだ2000年シーズン。
序盤こそミハエルの3連勝で好調を匂わせましたが、夏のヨーロッパラウンドに入るやフェラーリはまたも失速してしまいます。
フランス、オーストリア、地元ドイツと3連続リタイア。ハンガリーでも2位。
そして続くベルギーGP。大好きなスパ=フランコルシャンで巻き返しを図りましたが、思いがけない敗退。あの宿敵ハッキネンに、自分が得意とするケメルストレートエンドで周回遅れと一緒にオーバーテイク。意地もプライドも完膚無きまでに叩きのめされ屈辱の表彰台2段目。
◆モンツァの涙
「また、勝てないのか?チャンピオンになれないのか?」そんなプレッシャーの中、フェラーリの地元モンツァ。そこで得た値千金の1位10ポイント。
しかも、それはアイルトン・セナの記録に並ぶ41勝目でした。
優勝会見の席上でその感想を求められた瞬間、ミハエルの心の中で必死に支えていた何かが弾け飛んだのでしょう。いきなり、人目もはばからず「あの」ミハエルが激しく泣き出してしまいます。
その場にいた誰もが我が目を疑い、戸惑いました。「アイス・クール」「精密機械」「シューミネーター」と一部皮肉っぽく呼ばれてきた彼が衆人環視の中で人間らしい一面をさらけ出したからです。
「表彰台での大騒ぎ、尊敬するアイルトンへの思い、1994年の彼の死、それらがいっぺんにどっとやってきた。係員の負傷もあった。まだ彼が亡くなったことを知らされていなかった。そして何よりも、その同じ午後にぼくの旧友のひとりが心臓発作で倒れたんだ。こみ上げてくるものが奇妙に入り混じっていた。それがあんな形で出てしまったんだ」
(「シューマッハ」ザビーネ・ケーム:著/東本貢司:訳/PHP出版)
くちさがない人々は「ただの臭い芝居」と認めようとしませんが、その真意はともかくミハエルの中で明らかに何かが変わった事を示す興味深いエピソードです。
その後、アメリカ、日本と連勝してミハエルは、あのアラン・プロストさえ成し得なかった「フェラーリでのワールド・チャンピオン」を獲得します。
◆シャンパンとバラ色の日々
それからの5年間。フェラーリとティフォシたちには、シャンパンシャワーの金色の飛沫とバラ色に縁取られた夢のような日々を謳歌します。
かつてミハエルが「昔のゴーカート仲間みたいだ」と皮肉を言った、テストの集合時間にもミハエルより遅れて平気だったスタッフは一人もいなくなり、全員が勝利という目的に一丸となる体制が出来上がりました。
それはすべてジャン・トッド監督とミハエルの献身的な努力による賜物です。
はたして、ミハエル達が築いた勝利へ導く「規律と伝統」を来年のライコネンとマッサは守る事ができるでしょうか?一番興味を引く部分です。
◆モンツァの呪文
「ミハエル、引退!」のニュースを聞いた時、あなたは
「最後の年、ミハエルにチャンピオンになって欲しい」と考えませんでしたか?
世の中とは不思議なもので、大衆が思った方へ思った方へと事物もまた流れていくものです。みんなが気持ちいいと思う方向へ行きたがる…まるで、8時45分過ぎに水戸黄門の印籠が出るように。ロープに飛ばされたレスラーが自ら敵の待ちかまえる方向へ走って行くように。水が高いところから低いところへ流れるように。
そうなる事が望ましい、そうあれば喜ばしい、誰もが望む結末へ自然と向かって突き進んでいくものです。
この引退宣言もまた、そんな「みんなが望む結末」としてミハエルが最後に仕掛けたアラン・プロスト直伝の心理作戦なのかもしれません。
今やアロンソに求められるのは、恐ろしい自己暗示と集団無意識が働く「大団円アリ地獄」からはい出すためのより一層強力な集中力と冷静な判断力です。
アロンソがそれをあきらめた瞬間、ミハエルは「天上天下唯我独尊」8度目の栄冠を手にまさに「神(仏?)の領域」の彼方へと去っていくのです。
◆最後にもう一度、勝率比べ
残りあと3戦。
ちなみにフェラーリでのミハエルの勝率は
0勝3戦(0.000)上海
5勝10戦(0.500)鈴鹿
2勝10戦(0.200)インテルラゴス
一方、ルノーでのアロンソの勝率は
1勝3戦(0.333)上海
0勝3戦(0.000)鈴鹿
0勝3戦(0.000)インテルラゴス
orz………………アロンソ、頑張れ。
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登録日:2006年 09月 15日 19:31:25
「ミハエル、ついに引退?」で一句
<F1・第15戦 イタリアGP>フリー走行2回目、M・シューマッハ 2番手タイムをマークする - イタリア
【モンツァ/イタリア 8日 AFP】F1・第15戦・イタリアGP(Italian Grand Prix)、フリー走行2回目。フェラーリ(Ferrari)のミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)は11周を走行し、2番手となるタイム1分23秒138をマークした。(c)AFP/GIUSEPPE CACACE
フィナーレに モンツァ染まるは 紅き陽か
[解説]
いよいよ、発表されるミハエルの去就。
明日の決勝。チェッカーが振られた瞬間、ミハエルの最後のウィニングランを見送る泣きはらしたティフォシたちの真っ赤な顔のせいで、いつもよりモンツァのスタンドが紅く染まらぬ事を祈って…。
[雑感]
フェラーリ総本山のモンツァ・サーキットまで発表を引き延ばした事。フェラーリへのライコネン移籍決定。ロス・ブラウンの休養宣言などから「ほぼ間違いなし」とまで言われる「ミハエル引退」。ここに至って、アロンソやGPDAで敵対関係にあった連中からまでミハエルの留意を望む声が上がっています。はたしてミハエルが本当に、皆から惜しまれながら、美しい引き際を見せてしまうのでしょうか?
そんな彼の姿に1993年に引退したアラン・プロストの姿が重なります。
◆1993年のアラン・プロスト
アラン・プロストは、フェラーリ在籍2年目、デキの悪いマシンのせいで貶められたプライドといわれのない誹謗中傷から身を守るため、1年間の休養期間を置きます。そして、レーサーとしての実力がいまだ健在である事を世間に、何より自分自身に証明するためにチャンピオンチーム、ウィリアムズでF1復帰を果たします。
◆浦島太郎の戸惑い
ところがたった1年のブランクがとんでもない落とし穴を用意していました。F1の開発スピードの速さは、アランの予想をはるかに上回っていたのです。F1中継のコメンタリーボックスで見て分かっていたつもりのアクティブサスペンション、ABS、トラクションコントロールなどのハイテク装備のマシンをいざ自分の手で走らせるとなると、自分の長年培ってきた常識や経験がまるで役に立たない事を思い知らされたのです。
◆トラクションコントロール
特にレースの主導権を握るか否かを分ける最終兵器がトラクションコントロールでした。現代では、常識となった装備ですが、当時はまだ技術革新の黎明期。その最先端を行くのがウィリアムズが載せるルノーエンジンでした。しかし、アランはこのトラクションコントロールの扱いに手こずります。スタートで目一杯ふかしたところでクラッチをつなぐという稚拙な「新しい常識」がアランにはまったく理解できなかったのです。そのためにシーズン序盤、アランはことごとくスタートを失敗してしまいます。
◆潮時を知ったアラン
当時のインタビューにアランはこう答えています。「僕は運転するのが好きで、さらにマシンに改良を加えるのに生き甲斐を感じる方。(中略)僕のモチベーションはクルマが好きな事なんだ。だからクルマを嫌いになったらカンタンに引退できるんだ」と。
しかし、自分の手に余りがちな最速マシンを若き同僚デイモン・ヒルは適当に操り、自分と肩を並べるようなタイムを上げていました。アランは、すでに自分たちの時代が終わりに近づいている事を感じとったのです。
◆アランが認めたミハエル
そんなアラン・プロストが当時のF1ドライバーの中で実力と将来を認めた若手レーサー。それがミハエル・シューマッハでした。当時のミハエルはデビュー3年目。まだまだ荒削りで接触リタイヤもよく起こしていました。それでも初優勝を遂げ、貫禄をつけ始めた走りには誰もが注目していました。けれど、アランが注目していたのはもっと別の点でした。
周囲の騒音にまったく動じない事。純粋にドライビングを楽しんでいる事。2位や3位でもうれしそうにしている事。自分の成功をチームと共に喜び合う姿勢が見ていて気持ちがいいと褒めています。在る意味、アイルトン・セナへの当てつけと言えなくもないのですが…。
◆ミハエルのアラン評
そのミハエルもまたアラン・プロストに対しては、敬意を払っていました。アランの隠し事をしないオープンでフレンドリーな態度が好きだと。また、コース上でのアランをいつも余力をたくさん残して走っている姿が「ミステリアス」だとも言っています。
◆ミハエルのセナ評
ところが一転、アイルトン・セナに関しては、「すでにセナを抜く事を難しいとは思わない」などと敵意むき出しな言葉が返ってきます。しかも自分のマシンに不具合があるのに後続に対して意地の悪いブロックを続けるセナの態度を「とてもワールドチャンピオンを獲得した人間のする行動とは思えない」「彼は自分がものすごく成功した人間だから、周りとは別のルールを持っていると勘違いしている」とまで批難しています。…現在の彼が批難されている言葉と寸分違わないところが実に面白いですね。
◆受け継いだもの
セナとプロスト。ミハエルが良きにつけ悪しきにつけ、レース人生の手本として見習ってきたのは、この2人のレーススタイルです。トップレーサーとして走るために必要な長所も短所も彼が受け継ぎました。セナとプロストが編み出した人心掌握術をより洗練させた、チームを自分のために集中させるノウハウ。コース上で常に敵よりも優位にレースを進めるための駆け引きは、セナの優れた部分を昇華させたもの。観衆の好感を得るためのポディウム上でのパフォーマンスは、セナの行動を反面教師としたもの。いかにドライバーたちのボス的立ち位置に居続けるかの優等生的ふるまいはプロストの行動をより先鋭化させたものではないかと思っています。ただ、時にコース上でやらかす独善的行動は、セナの悪い部分そのままを受け継いでいるようです。
◆16年間で築いたもの
ミハエルは1991年のデビューから常に上を目指し、昇り続けてきたレーサーでした。エンジンもチーム体制も貧弱だったベネトンを常勝チームへと変え、勝つ事を忘れた名ばかりの名門フェラーリにかつての栄光とプライドを取り戻させたミハエル。その功績は、それまでのコースを速く走ればいいだけだったレーサーの価値観を180度転換させるものでした。それは、チャンピオン獲得7回。優勝回数89回。ポールポジション獲得68回。ファーステストラップ獲得75回。などという記録以上に、彼にしか成し得ない偉業なのかもしれません。
◆残したもの、残していないもの
ミハエルが残した偉大な記録の数々は、恐らくこれから10年以上破るものは現れないはずです。しかし、彼にも、唯一先人を越えられていない部分があります。それは伝説に残る名レースの記憶を残せていない事です。
◆追想
1993年。スパ・フランコルシャン。オー・ルージュを駆け上がるダウンフォースで激しい火花を散らしながら、続くケメル・ストレートで次々と前のクルマをオーバーテイクしていく黄色いベネトン・フォードB193。あの頃のミハエルには、野獣のような激しい闘争本能が満ちあふれ、走りにも危険な陶酔感がありました。今、アロンソやライコネンの背中を追う紅いフェラーリを駆るミハエルには、何が見えているのでしょう。
あと24時間後に、結論が出ます。
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登録日:2006年 09月 10日 02:58:25
ミハエルやっちゃった事件で一句
<F1 第7戦・モナコGP>アロンソ フリー走行1回目でトップに立つ - モナコ
【モナコ/モナコ 25日 AFP】F1第7戦・モナコ・グランプリ(Monaco Grand Prix)、フリー走行1回目。ルノー(Renault)のフェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso)は、コースを13周走り1分16秒712のトップタイムで1回目のフリー走行を終えた。(c)AFP/DAMIEN MEYER
走馬燈 駆けめぐる記憶 黒シューミー
[解説]
栄光のモナコGP。序盤の若手二人、アロンソとライコネンによる熾烈な激走は、見応えがあり実に素晴らしかった。しかし、何と言っても今回一番、盛り上がりを見せたのは予選最終周回での「ミハエル通せんぼ事件」でしょう。
パドックにいたほとんど全ての人間が、見た瞬間に「また、やった!」と思ったところがミハエルの凄い(?)ところ。歴代1位のチャンピオン獲得数を誇る現役トップレーサーなのに、この信用性の無さはなかなか笑える。
今回の事件の真相は、神様とミハエル本人とフェラーリの一部スタッフだけにしか分からない事だけど、誰もが分かっている事実がひとつある。それは、みんなミハエルの過去を忘れていないって事。
[雑感]
◆シューミーのぶつかり癖
チャンピオン獲得数1位、ポールポジション獲得数1位、GP優勝回数1位など記録だけを眺めれば文句なく歴代最高のドライバーであるはずのミハエル・シューマッハが、今ひとつ、絶大な評価を得られない理由。それは、彼がここ一番という場面で必ず、相手にぶつける事で勝利や栄冠を奪い取ってきたという過去があるからだ。
◆突撃シューミー
1990年、F3マカオGPでのミカ・ハッキネン。1994年、オーストラリアGPのデイモン・ヒル。特に最悪だったのが1997年のジャック・ヴィルヌーブ。明らかにジャックの横っ腹目がけてハンドルを切る姿が、バッチリ車載カメラに映されてしまった。自分はリタイアになるわ、チャンピオンはジャックにさらわれるわ、その年の全ポイント剥奪されるわ。しかし、何より痛かったのは、過去の分まで全て、「わざとやったに違いない」と人々の記憶に強く印象づけてしまった事。それが今回の「通せんぼ」も故意にやったと判断された理由だ。
◆なぜ、ぶつかるのか?
育った時期が悪かったのでは?と思う。彼がF1に旅立とうとしていた1990年前後は、アラン・プロストとアイルトン・セナが「憎悪」に近い感情をコース上でぶつけあっていた時代。前年、鈴鹿の最終シケインでアラン・プロストがインを刺したセナの鼻先でドアを閉じ接触。プロストがチャンピオンを勝ち取った。しかし、翌年、同じ鈴鹿でセナは、スタート直後の第1コーナーでプロストを背後からまっすぐ追突し、両者リタイアに引きずり込み、セナが強引にチャンピオンを決めた。
「勝つためなら仁義はいらない」
そんな殺伐とした空気を吸いながら、ミハエルは1991年デビューした。
◆アイドルから敵へ
ミハエルのデビュー前のアイドルは、セナだった。しかし、そのセナからいきなりキツイ洗礼を受ける。1992年、フランスGPのオープニングラップ。アデレードヘアピンでセナのインを突いて接触、セナをリタイヤさせてしまう。その後、天候悪化でレースが中断している間にセナによって衆人環視の中で厳しく行動を非難される。
モナコで思わぬ優勝が転がり込んだもののあまり思うようなレースが出来ないセナが、成長著しい新人叩きで鬱憤を晴らそうとした。ミハエル自身、そう受け取ったかどうかは分からないが、これを境にミハエルにとってセナはアイドルでなくなり、打ち倒すべき敵となったのではないだろうか。その年、3勝を上げたセナより3点多くポイントを稼いだミハエルは、アナザープラネット状態のウィリアムズに次ぐ、シーズン3位の成績を上げる。ミハエルにとって、セナは脅威の存在ですらなくなりつつあった。
◆デイモン・ヒルという存在
ところが1993年には、アラン・プロストの復帰によって、セナの眼中からミハエルの存在は消える。セナの闘争心に火がつき、おのずとGP全体もセナ・プロ対決へ焦点が絞られ、ミハエルは蚊帳の外へ。しかもあろうことかミハエルの対抗馬としてあてがわれたのは、デイモン・ヒルである。前年ブラバムで不遇なキャリアをスタートし、誰もその存在を気にかけたとのない男。恵まれているのは「ウィリアムズのシートを手に入れた幸運とヒルという姓だけ」で自分の敵ではない。ところが、そんな取るに足らない男が、シーズンが終わってみれば、自分よりも上位の成績を上げている。ミハエルのプライドは、いたく傷つけられたに違いない。
◆ライバルの消失
1994年、プロストがいなくなり、ウィリアムズへ移籍したセナ。いよいよ、自分がセナとの雌雄を決する時が来た。ところがフタを開けてみれば、セナは、ポールポジションを取るけれど、レースではリタイヤばかり。ミハエルにとっても、たとえ連続優勝しても十分満足のいく結果ではなかった。やがて、迎えたサンマリノGP。セナは、ミハエルの眼前から永遠に消えて去ってしまう。そして、残されたのはまたもやデイモン・ヒルであった。
◆不毛な争い
その年のミハエルの強さは、圧倒的だった。セナがいない今、誰もその勢いを止める事ができないと思われたが、なんとFIAが強権を発動し、無理矢理ミハエルの首根っこを押さえる行動に出る。些細な事まで執拗にいいがかりをつけ続け、結局、ミハエルへ2戦の出場停止処分を言い渡す。その努力が功を奏して、ミハエルとデイモンとのポイント差は1ポイントに肉薄。不条理なまでの理不尽さと傷つけられたプライドを抱えたままミハエルは、アデレードで最終戦を迎える羽目になった。
◆幕切れ
ミハエルは、首位を走りながらもハンドル操作をミスり、ウォールにヒット。すぐコースに復帰しようとするミハエル、挙動を乱したミハエルのインを性急にすり抜けようとするデイモン。二人は直角コーナーで激しく絡み、大きく弾かれたミハエルのB194はタイヤバリアへ突っ込んでリタイヤとなる。これでデイモンのチャンピオン獲得?と思われたが、彼のFW16Bも左フロントサスに酷いダメージを負っておりリタイヤとなる。デイモン棄権の報が届くまで、ミハエルは金網越しにジッとコースを見つめ続けた。
◆モンスター誕生
結局、1994年のチャンピオンはミハエル・シューマッハと決定した。それは順当の結果と言えた。あのまま自然の流れに任せていれば、ずっと早いうちに決まったはずだ。だから、最終戦の接触に疑惑の声が上がったものの、おおむね同情的な意見の方が多かった。
しかし、この時の王者決定劇とFIAによる強引な横槍がミハエルを後の怪物へと仕立て上げたとも言える。1989年の鈴鹿で、プロストとジャン-マリー・バレストルの結託により王座を不当に奪われたという思いに囚われすぎたあまり、90年、同じ鈴鹿で独善的な報復的行動を取らざるを得なくなるほど、精神的に追い込まれたセナのように。
「勝つためなら、手段を選ばない」
セナへの果たせなかった思いが、負の遺産を受け継ぐ事につながってしまったとすれば、こんな不幸な事はないと思う。
カテゴリー[ F1・ミハエル・シューマッハ ], コメント[4], トラックバック[636]
登録日:2006年 06月 11日 05:18:38
- プロフィール
- 斎藤モ吉
- (男)
- 福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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