カテゴリー [アレックス・ザナルディ]
「ザナルディは変わらない」で一句
<F1>両足切断の元F1ドライバー ザナルディがBMWのテスト走行に参加 - スペイン
【チェステ/スペイン 25日 AFP】元F1ドライバーのアレッサンドロ・ザナルディ(Alessandro Zanardi)は、リカルド・トルモ(Ricardo Tormo)で行われたBMWのテスト走行に参加し、1999年シーズン以来7年振りにF1マシンを操縦した。
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(c)AFP/JOSE JORDAN
運命も 追い越す強気 不変なり
[解説]
CARTの世界で人生最良の日々を過ごしたザナルディでしたが、1999年にF1の世界に戻ってきた途端、まるで運を全て使い果たしたかのような不甲斐ないシーズンを送ります。評判は地に落ち、苦労して築き上げた栄冠も見る影もなく色褪せてしまいます。
天国から地獄への直滑降。なんとかドン底からはい上がろうとする彼をさらに不幸が襲います。時速300kmでの出会い頭の事故。誰もが再起不能を疑わない「両足切断」というレーサーとして致命的と思える重いハンディキャップを負います。
それでも彼は不屈の闘志をもってサーキットへ戻ってきました。過酷な運命さえも「レースがしたい」という彼の強い意志、生まれながらの闘争本能を変える事ができなかったのです。
そして、彼は今もレースを続けています。過去の真のレーサーたちが息絶えるその瞬間まで走る事を止めなかったように…。
[雑感]
こんなに長くザナルディについて語る気はなかったのですが…今回で最終回。
ウィリアムズからF1復帰、そして悲劇の事故を迎えるまでの軌跡です。
◆ガナッシへの感謝
実は、CART移籍1年後の97年にもF1復帰の可能性があったザナルディ。相手はジョーダン、交渉直前まで話が進んでいました。しかし、チャンスを与えてくれたCARTオーナー、ガナッシへの恩返しを済ませていないという思いからF1復帰の道を捨てCARTへとどまります。そして、その思いの強さを証明するかのようにCARTチャンピオン2連覇を遂げた後、F1復帰の決意をガナッシへ打ち明けます。ガナッシはこう答えます。
「私たちに何が出来るか言ってくれ。チムは君に精一杯の事をしてきた自負があるが、それ以上に君がチームにしてくれた事は計り知れない」と。
一文無しでガナッシのドアを叩き、まさにアメリカン・ドリームそのままに成功を掴んだザナルディ。その素晴らしさは、家族のように支えてくれたチームの暖かみにあると実感した言葉でした。
◆ピーター・コリンズの友情
F1復帰の交渉相手はフランク・ウィリアムズ。仲介したのは元ロータス在籍時代のチーム代表、ピーター・コリンズでした。そして、ウィリアムズとはこれが2度目の交渉でした。
1度目は、まだザナルディがロータス在籍時の事。テストドライバーに降格されたザナルディはチャンスを求めて「セナの悲劇」で空席ができたウィリアムズへ後ろめたさを感じつつ、アポイントを取りフランクと交渉しますが断られます。そんな経緯もあり、躊躇していた所をコリンズに「とにかく会ってみるべきだ…どんな話になるか分からないじゃないか」と諭されます。結果的にはこれが功を奏して、フランクの方からウィリアムズへの誘いがあり4年振りのF1シートを獲得したのです。
◆2面性?単なるリップサービス?
F1再デビューを前にザナルディはインタビューでこう答えています。
「F1に比べれば、インディCARTなんて幼稚な遊びみたいなもの。まあ時速240マイル(約384km/h)でオーバルを走るというのはちょっとした度胸がいるけどね。F1マシンは、コンピュータでつくられたテクノロジーの域だから、ドライバーにも高度な分析能力が求められる。こうした部分はうまくこなせるという自信がある。」
(F1グランプリ特集 VOL.113 デビッド・トレメイン取材記事より)
けれど、その1年前。ツインリンクもてぎで行われたCART選手権第2戦の直前に行われたインタビューでザナルディはこう答えています。
「F1はマシンパフォーマンスが勝負を決める部分が多く、ドライバーは二の次。(中略)オーバルは一見簡単そうだけど、実はすごく難しい。(中略)オーバルはのべつまくなしにリミットで走行しているんだよ。ギリギリを狙って、しかし限界を越えないように。それがすごく難しいんだ。」
(週刊プレイボーイ特別編集 ’98FedExチャンピオンシリーズ 第2戦バドワイザー500 公式ガイドブックより)
微妙にニュアンスが違っているような…良く言えば、TPOで言葉を使い分けるタイプ?
◆お金よりも重かったF1への復帰
ザナルディがウィリアムズと交わした契約金は年間500万ドル(当時約6億円)。しかし、CARTのチップ・ガナッシがザナルディ引き留めに提示した金額は1300万ドル(当時約15億6000万円)でした。それを蹴ってでも戻りたかったF1。4年前に着せられた汚名挽回はザナルディの悲願だったのでしょう。引き留めに成功しなかったチップ・ガナッシは、それでもザナルディのマネージャーとなりバックアップを続けます。ザナルディのF1での成功を信じて、しかし…。
◆不安なスタート
復帰後初めてF1マシンを走らせたバルセロナでの合同テスト。カンを取り戻す事が目的とは言うもののテストドライバーのマックス・ウィルソンのタイムを上回れずじまい。しかも、扁桃腺炎の手術後、ヘレスの合同テストに合流したラルフ・シューマッハには常に1秒遅れ。誰もが「おや?」と不安を感じました。
そして、迎えた開幕戦。ウィリアムズの2人は挙動が不安定な新車FW21のセッティングに手こずります。それでもラルフはシングルグリッドを確保、決勝では表彰台3位をゲットします。一方、ザナルディはスロットル制御システムの油圧系統にトラブルを抱えたまま予選15位。決勝では21周目に単独スピン、コースオフしてリタイアに終わります。
◆冷めていく周囲の目
ザナルディのマシンばかりにトラブルが集中…それが不振の主な原因でした。しかし、無駄なスピンやコースオフでマシンに余計な負担を掛けた事もリタイアを招く要因となっていました。シーズン中盤になって1ポイントも上げられないザナルディ。一方のラルフ・シューマッハは、着実にマシンをゴールまで導き、チームの獲得ポイントを1人で稼ぎ出していました。パドックの噂は、ザナルディが放出される如何より、それは「いつ頃か?」に移行し始めていました。
◆モントーヤの影
そんな頃、ウィリアムズの首脳陣が渡米します。目的はチップ・ガナッシの元へ預けたファン・パブロ・モントーヤが活躍するCARTレース観戦。1999年CARTチャンピオン最有力候補として活躍するモントーヤ。複数年契約を結んだはずのザナルディの代わりとして次期ウィリアムズ入りが本命視されていました。そんな微妙な時期にこのチームの動きは、まさに「火に油」。噂の信憑性をさらに高めます。当然、ウィリアムズ側はそれを打ち消すために「ザナルディ残留」を公式声明として発表します。誰も信用しない事を十分承知の上で…。
◆正念場のモンツァ
それはまるで5年前を思い出させます。ここモンツァでロータス復活の起爆剤となる勝利へ、最後の望みを託したジョニー・ハーバートがマシンを「4位」セカンドロウに並べたように、自分に着せられた汚名をそそぐレースを見せ、来期への希望を繋ぐ最後のチャンスを活かそうとザナルディは「4位」セカンドロウへFW21を並べます。
イタリアはザナルディの地元。当然、国際映像は完全にザナルディメイン。パレードラップをカバーするザナルディの車載映像が母国ドライバーへの期待を高めます。しかしザナルディが戦う相手は、前のマクラーレン2台でもなく、背後の若きタイガー、ラルフ・シューマッハでもありません。「元CARTチャンプ」というプライドを取り戻すため、自分自身の内に渦巻く「焦り」「衝動」「疑念」が敵でした。ザナルディの「生き残り」を賭けた決戦モンツァ。無情のシグナルは、オールレッドからブラックアウトへ…。
◆「すべて」が落ちていく…
レース序盤は、ザナルディが絶好の飛び出しを見せ3位へポジションアップ。しかし、前を行くマクラーレン/ハッキネンとジョーダン/フレンツェンには少しずつ引き離され、逆に後ろには長い渋滞の列が出来はじめます。18周目、ピットからの指示か、あっさりラルフに先行させた後は、バリチェロ、サロに次々とパスされずるずる後退していきます。ザナルデイ・メインの放送が逆にあだとなり、彼の不甲斐ない姿が白日の下に晒されてしまいます。モニターを凝視するフランク・ウィリアムズのげんなりした表情とパトリック・ヘッドの苦虫を噛みつぶしたような顔が「すべて」を物語っていました。
◆語り草となるレース
その直後「歴史」が動きます。トップを快走中のミカ・ハッキネンのマシンが第1シケインをクリアしようとした時、突然、MP4/14のリアが流れ1回転しながらコースアウト、エンスト&リタイアしてしまいます。
マシンが止まるやハンドルを投げ捨て、グローブを地面に叩きつけながら、ティフォシたちの大歓声を避けるようにコース脇の林の中へ逃げ込むハッキネン。その後、上空のヘリコプターから木陰でしゃがみこみ泣き崩れるディフェンディングチャンピオンの姿が全世界へと発信されます。フェラーリ/アーバインとのチャンピオン争いがかかったレースを自らのミスでむざむざ失った自分自身に対する激しい自己嫌悪の涙でした。
その後のレースも実に白熱したものとなります。
フェラーリへの移籍が広報されたスチュワート/バリチェロが、アグレッシブなレースとクルサードを最後まで押さえ込むテクニシャンぶりを発揮して4位。3位表彰台には、足を骨折したミハエルの代役フェラーリ/ミカ・サロ。ウィリアムズのラルフがファーステストラップを記録する激走を見せ2位。そして、1位には去年ウィリアムズでの不振ぶりを問われてジョーダンへ移籍したフレンツェンがシーズン2勝目、チャンピオン争いの末席に滑り込みます。そんな彼らの活躍振りの影で、本来「主役」となるはずだったザナルディは、7位ノーポイントという無念の結果に終わります。
◆とどめのニュルブルクリンク
次戦ドイツ・ニュルブルクリンクで行われたヨーロッパGP。今度はラルフが地元の注目と期待を集めます。ラスト・チャンピオン候補フレンツェンがプレッシャーに潰されリタイア。それを横目に見ながら、通り雨が何度も降る難しいレースを途中タイヤバーストという不運に見舞われながらも持ちこたえ、ラルフは見事2位を勝ち取ります。まさにフランクが望むレースをラルフはやってのけたのです。
では、フランクが一番嫌うレースとは…予選下位からスタートし、一度も画面に映ることなく、いつの間にかリタイアするような無様なレースです。そういうドライバーは、ウィリアムズにとって存在価値のないドライバーでした。
ウィリアムズがザナルディに求めたのは、もっと王者らしいレースでした。勝てなくとも他を圧倒するようなレースを見せつける事。その点でザナルディは、明らかに期待はずれだったのです。
◆悲しみのチャンピオン決定戦
ウィリアムズの次期有力候補、ファン-パブロ・モントーヤは、まさにチャンピオンを賭けた最後のツバ競り合いをしていました。
1999年10月31日。舞台はカリフォルニア・モータースピードウェイ、CART最終戦フォンタナ500。209ポイントでチャンピオンシップ1位のダリオ・フランキッティ。前戦でクラッシュノーポイントに終わったモントーヤは200ポイントで2位でした。
レースは序盤から激しいクラッシュが相次ぎ何度もフルコースコーション&セーフティーカーが出る展開。しかし、モントーヤは常に上位グループに留まり続け、ファイナルラップに4位滑り込み12ポイント獲得。10位2ポイントに終わったフランキッティと同率212ポイントで並びます。その瞬間に優勝回数で上回るモントーヤが1993年のナイジェル・マンセル以来となるルーキー&チャンピオンを見事獲得します。
しかし、その日モントーヤがチャンピオン決定を喜ぶ事はありませんでした。
レース序盤にモノコックごと回転しながらコンクリートウォールに叩きつけられたグレッグ・ムーアという名の若き才能が永遠に失われたからです。開幕ポールトゥーウィンを決め、翌年には名門ペンスキーへの移籍が決定。まさにこれから時代を築こうとした矢先の悲劇でした。レース終了後間もなく彼の訃報が場内アナウンスで伝えられたモータースピードウェイは深い悲しみの底に沈みます。泣きじゃくるエイドリアン・フェルナンデスの姿が親しかった人々の悲しみを代表していました。CARTでは、第17戦ラグナセカでもゴンザロ・ロドリゲスというウルグアイ人ドライバーが死亡する事故が起きたばかり。F1に比べて命のリスクが高いレース・カテゴリーと言えました。
◆1年の休養期間
シーズン終了後、来期セカンドシートの行方が二転三転するウィリアムズ。「ザナルディ本人のモチベーション次第で残留もありえた」が、F1継続の意志なしとの申し出がザナルディ側からあったため契約解除に応じた…そうですが、チーム関係者がすでに早い時期から他のドライバーを物色していた事は周知の事実でした。
そして、来期セカンドシート最有力候補と目されていたモントーヤがCARTへの残留を発表したため、代わりにF3の経験しかない弱冠20歳の新人ジェンソン・バトンの起用が発表されます。
一方、ザナルディは古巣であるチップ・ガナッシがホンダと袂を分かちトヨタユーザーとなったり、家族からは危険なオーバルコースへの復帰を反対された事もあり、1年間の休養生活に入ります。1年間で粉々に砕け散った自分のプライドを取り戻すには、それだけの時間が必要だったのでしょう。そして、2001年。ザナルディは明るい夢を抱いてCARTの世界へ復帰します。
◆運命の日
2001年9月15日・ドイツで開かれたCART第16戦「ジ・アメリカン・メモリアル」決勝。
名手トニー・カナーンを擁するモー・ナン・レーシング(ホンダエンジン)から参戦していたザナルディは143周目にピットインし、コース復帰直後にコースオフします。なんとかコースへ復帰しようと挙動が安定しないマシンを立て直そうとしますがトラックの内側へノーズを向ける形となってしまいます。そこへアレックス・タグリアーニの乗るマシンが時速300km/hオーバーの高速で衝突。コクピットサイドを直撃されたマシンはコクピットから前の部分を吹き飛ばされ大破。ザナルディは両足に酷い怪我を負います。迅速な救命措置がとられますが出血多量でかなり危険な状態でした。それでも奇跡的に快方へと向かい、一命を取り留めます。
↓事故映像(ショッキングな映像で気分が悪くなる怖れがあります。特に心臓が弱い人にはオススメしません。こんな事故に遭いながらレースへと戻ろうとするザナルディの気がしれません)
http://www.youtube.com/watch?v=xQBxROyh0dQ&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=Z_7RatoqABw
◆フランク・ウィリアムズの言葉
「チーム全員が、アレックスの深刻な事故の知らせを聞いて、とても動揺している。彼と彼の家族のことを考えると胸が痛い。彼は真のジェントルマンだ。彼には多くの友があり、世界中に多くのファンがいる。彼を知るすべての人間が、彼の一日も早い回復を願っている。」
(F1グランプリ特集 VOL.148 ニュース記事より)
◆帰ってきたザナルディ
↓そして、これが去年暮れのテスト映像。はっきり言って泣けます。感動します。
http://www.youtube.com/watch?v=N_wrBSS1DHs
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登録日:2007年 01月 30日 03:17:26
「ザナルディ GOES TO USA」で一句
<F1>両足切断の元F1ドライバー ザナルディがBMWのテスト走行に参加 - スペイン
【チェステ/スペイン 25日 AFP】元F1ドライバーのアレッサンドロ・ザナルディ(Alessandro Zanardi)は、リカルド・トルモ(Ricardo Tormo)で行われたBMWのテスト走行に参加し、1999年シーズン以来7年振りにF1マシンを操縦した。
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(c)AFP/JOSE JORDAN
ホンダ乗り 本領発揮 チャンプカー
[解説]
F1でまったく芽の出なかったザナルディ。1年の休養期間(?)を経た96年にアメリカへと渡ります。当時、アメリカのチャンプカーレース(CART)にはF1経験者も多く参戦(マーク・ブランデルもこの年CARTへ移籍。チームメイトはマウリシオ・グージェルミン)しており、顔見知りが多い環境もザナルディが参加しやすい要因のひとつと思われます。が、渡米の最大の理由はホンダの存在があったからと勝手に想像しています。F1時代に無限-ホンダのテストで培ったザナルディの開発能力をCARTで苦戦続きのホンダが頼りした…のではないでしょうか?それを証明するかのように、ザナルディがCART参戦以降、ホンダも着実に優勝戦線へ食い込めるようになり、ついにはザナルディも2年連続タイトル獲得という偉業まで達成します。
[雑感]
正直に言えば、この頃のCARTレースにはあまり詳しくありません。ザナルディのCARTでの活躍を見たのも2度目のチャンプを目指す98年ごろだったと記憶しています。ですから当時の模様に詳しい人のサイトなどを見る方が正しい情報が得られると思います。ただマンセルやジャック・ヴィルヌーブの影響でF1雑誌にもよくCART関連の情報が掲載されていましたので、そのあたりをツギハギしながら何とか当時の雰囲気だけでもお伝えしたいと思います。
◆ホンダのCART挑戦
F1でホンダターボと言えば、“無敵”の代名詞でした。しかし、90年代に入りルノーエンジンを乗せたウィリアムズによってその栄冠は奪われ、ホンダは92年シーズンを最後にF1から撤退します。その裏には、北米市場開拓という企業戦略に基づく大命題がありました。アメリカでの確固たる地位を築くためにF1よりもCARTでの成功が優先されたのです。しかし、そんなホンダを待ち受けていたのはより過酷なCARTの洗礼でした。
◆汚名
94年、チャンピオンチーム・チームレイホールとタッグを組み、必勝態勢で挑んだ一年目は1勝も上げる事ができませんでした。それどころか栄光の「インディー500マイルレース」ではスペシャルエンジンを用意したにもかかわらずホンダエンジンはメルセデスやイルモアどころかカスタマーエンジンのフォードよりも最高速度で劣る有様。ボビー・レイホールは危うく予選落ちしかけるほどでした。そこで業を煮やしたレイホールと共同オーナーのカール・ホーガンはホンダエンジンの使用をあきらめ、ライバルチームであるペンスキーチームから車を2台譲り受けてレースに参戦します。
決勝レースは、ペンスキーのアル・アンサーJrが優勝。2位にインディー初挑戦のジャック・ヴィルヌーブ。そして、3位にはホンダの代わりにイルモアエンジンを積んだペンスキーシャシーに乗るボビー・レイホールが入ります。
◆背水の陣
1年目は失望の0勝。2年目も年間1勝に終わったホンダ。参戦1年目から勝利を上げ続け、圧倒的なメルセデスを相手にこれ以上、負け続けるワケにはいきません。しかもトヨタまでもが参戦してくる噂が…。
レースによっては最高速を記録するほど目覚ましい発展を遂げたホンダ。3年目は、そのポテンシャルを確実に勝利へと結びつけられるドライバーとチーム力が必要でした。
◆失地回復へ必勝の布陣
前年のタスマンとコンプテックの2チームに加えて、チップ・ガナッシ・レーシングとジム・ホール・レーシングという有力チームと契約を結び、ドライバーラインナップもジミー・バッサー、ジル・ド・フェランという名実ともに保証済みの実力派レーサーが揃います。そこにもう1人。チップ・ガナッシから参戦する新人ドライバー、アレックス・ザナルディも名を連ねます。
◆ダブル?いや、トリプルタイトル獲得
そして、開幕した96年はまさにホンダ・イヤーと呼ぶにふさわしいシーズンでした。マイアミでの開幕戦では、ザナルディは84周目のクラッシュリタイアに終わりましたが、同僚のジミー・バッサーとジル・ド・フェランのホンダ勢が1-2フィニッシュ。ホンダ勢はその後も快進撃を続け、全16戦中、ポールポジション獲得回数12回、92年のシボレー以来の5連勝記録を含む優勝11回を遂げ、エンジンメーカーへ与えられる「マニュファクチャラーズ・チャンピオンシップ」タイトルを堂々獲得します。そして、苦労人ジミー・バッサーが4勝で初のドライバーズタイトルを獲得。ザナルディも3勝を上げて年間ランキング3位、最優秀新人賞である「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」タイトルを獲得します。
◆うなぎ昇りの評判
96年の台風の目、チームメイトのジミー・バッサーと熾烈な優勝争いをするザナルディ。その評判はどんどん上がる一方でした。その頃のジャーナリスト評です。
「ザナルディは速い。彼のテクニカルフィードバックの適切さ、レースにかける純粋なひたむきさに、(チームオーナーの)ガナッシは心を打たれている。また、彼は誰に対しても礼儀正しく、それでいて愉快で、洞察力が鋭く、人の意表を突くような考えの持ち主でみんなに好かれている。」(米モータージャーナリスト/ジェレミー・ショウ F1グランプリ特集Vol.88より)だそうです。かつてのミソッカス扱いとエライ違いです。
◆アメリカの人気者に
「たとえばサイン一つするにも胸が痛む場合がある。もう300枚近く書いたから移動しようとすると必ず『俺には書いてくれないの?』という悲しげな声がする。悪いんだけど、どうしようもない…。この優勝はそういうファンに捧げたいと思う」
「ある晩、友だちと食事に行って支払をしようとしたら、ウェイターが『ファンの方からいただいたから結構です』と言うんだ。どうやらその人は30分前に帰ったらしいんだけど…びっくりしたよ。そんな事って、アメリカ以外では考えられないからね」
(米モータージャーナリスト/ジェレミー・ショウ F1グランプリ特集Vol.96より)
◆ついに王座へ
翌97年は、ザナルディが年間5勝を上げドライバータイトルを獲得しますが、マニュファクチャラータイトルはメルセデスに奪われます。そして、ホンダは全勢力を傾けダブルタイトル奪還へ向け98年を迎えます。そして、ホンダエンジンは見事全19戦中13勝を上げ、マニュファクチャラータイトルを奪還。ザナルディも年間7勝獲得ポイント285点を上げ、2年連続ドライバータイトルを獲得します。
↓この当時の各レースの模様はこちらが詳しいので是非ご覧ください。
http://www.honda.co.jp/motorsports/infos/1998/sokuho/4_indy_index.html
↓こちらはファンが作ったトリビュートビデオ。レースでの活躍シーンやドーナツを描く姿などが見られます。
http://www.youtube.com/watch?v=9E_QR96WXKQ
◆「瀬戸物屋の暴れ牛」
しかし、そんなザナルディもCARTでは良い評判ばかりではありません。誰彼見境なくホイール・トゥー・ホイールの争いを仕掛ける行為を喜ぶファンもいれば「危険で馬鹿げている」と批難する人々もいました。ピットの評判も「彼はチャンピオンにふさわしくない」という意見が多く、もっと時と場所をわきまえた冷静な判断をすべきだと言う意見がよく聞かれました。ライバルたちの命を軽視しているとまで言われました。前述のジェレミー・ショウは「ある者たちにとって、ザナルディは瀬戸物屋の暴れ牛だ。細心の注意を払うべきところで暴れまわる。しかし、他の者にとってはホイールに隠れた天才児に見えるようだ。実際、彼はその中間と言っていい。」と分析しています。
そんな彼の真価を問うために、今一度、F1への門戸が開かれようとしていました。行き先は、CARTとF1でチャンプを獲ったジャック・ヴィルヌーブが去ったウィリアムズチームでした。
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登録日:2007年 01月 21日 13:14:25
「ザナルディはミハエルより危険?」で一句
<F1>両足切断の元F1ドライバー ザナルディがBMWのテスト走行に参加 - スペイン
【チェステ/スペイン 25日 AFP】元F1ドライバーのアレッサンドロ・ザナルディ(Alessandro Zanardi)は、リカルド・トルモ(Ricardo Tormo)で行われたBMWのテスト走行に参加し、1999年シーズン以来7年振りにF1マシンを操縦した。
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(c)AFP/JOSE JORDAN
古館アナ 「中華鍋」とは あんまりな
[解説]
プロレス実況で培った独特のネーミングセンスでセナを「音速の貴公子」と名付けては、その知名度を小学生からOLにまで広げ、止めどない1人語りを天衣無縫なボキャブラリーで展開しては、F1のイメージを異次元世界にまでワープさせた古館伊知郎アナ。
しかし、その独特の語り口が時に一部のF1ファンからは「不真面目」「意味不明」「ウザい」と激しく反感を買います。
今回、特にザナルディに注目しながら実況を見直していても「プッツン系」「札付きザナルディ」「イタリアの火薬庫」「走る二重人格」「要注意男」など…その悪意に満ちたネーミングの数々は、ファンならずとも「あまりにも《貶め》の度が過ぎるのでは?」と苦笑せずにいられませんでした。
特に94年マニクル。エンジンから炎を吹きながらリイアするザナルディをつかまえて「中華鍋のように火を噴いたザナルディ。おおっと〜まだ火を噴いている横浜中華街のようだぁ〜〜」は、ちょっと「あんまり」かと…同じGPで数周後、ミカ・ハッキネンのマクラーレンプジョーが同様に火を噴いた時、「中華鍋」とは言わず「活火山」と形容しました。その落差が意図したものは一体何だったのでしょうか?
そして、ザナルディをあくまで「アブナイ」と連呼し続けた根拠がどこにあったのか?全レースを振り返った今でも「よく分からない」のです…。
[雑感]
1994年、第3戦イモラ。ラッツェンバーガー、そしてセナ。取り返しのつかない悲劇がF1ワールドへ前代未聞の激震をもたらします。「安全」をめぐってレギュレーション、スポンサーシップ、ドライバーたちの意識に急激な異変や改革が沸き起こります。その混乱をあざ笑うかのように深刻な事故は続きます。94年シーズン、ザナルディに代わってロータスのレギュラーシートを獲得したペドロ・ラミーもそんな《不幸の連鎖》に巻き込まれた1人。一歩間違えば新たな惨劇となりえた大クラッシュ。命に別状はありませんでしたがラミーのレース続行は危ぶまれ、ロータスは再度、ザナルディへとステアリングを委ねます。
◆ラミーの大事故
スペインGP直前に行われたシルバーストーンでのテスト中、ペドロ・ラミーがアビーカーブへ時速270kmで進入した際に突然、ロータス107Cのリアウィングが支柱ごと吹き飛びます。
一気にダウンフォースを失ったマシンはスピンしながら空中に舞い上がり、インナーフェンスを跳び越えコンクリートウォールに激突。衝撃でエンジン&ギアボックスがもぎ取られたモノコックはラミーを乗せたままさらに2m飛び、防護フェンスを突き破って、コース下の歩行者用トンネルへ落下。タンクから漏れ出た燃料に引火し、モノコックが炎に包まれました。
「イモラの悲劇」以降、救護体制が整っていたため、いち早く駆けつけたコースマーシャルによって火は素早く消し止められ、意識を失っていたラミーも救護班により救命措置を受けた後、すみやかに病院へ移送されました。診断の結果、両膝の皿を粉砕骨折/右足首上部骨折/右手首骨折/両手親指脱臼/首ムチ打ち症など全身に重傷を負っている事が判明。緊急手術を受けて大事には至りませんでした。
◆復帰第一戦は無難に
ザナルディの復帰第1戦、スペインGPでは、またひと悶着が起こります。
「安全対策」の名の下にFIAによって強硬に進められるレギュレーション変更に対し、不信と不満を募らせた主要チームが金曜日午前の走行をボイコットしたのです。
FIAが折れる形で午後にはスケジュールも正常化しますが、ロータスの2台は低空飛行のまま決勝を迎えます。特に新車109を担当したハーバートはセッティングに悩み、古い107Cに乗るザナルディと大差ないタイムしか上げられません。
決勝は、大人しい走りに徹したザナルディはヒルやシューマッハにパスされる場面しか映らないまま9位でチェッカーを受けます。ハーバートは折り返しを過ぎた42周目にスピンオフしてリタイアでした。
◆続く悪戦苦闘
「イモラショック」によるレギュレーション変更の影響をモロに被ったロータスの94年型マシン109は、空力コンセプトの軌道修正もそこそこに投入された未完成品でした。新車を与えられたザナルディも低調。常に20位前後からスタートして、結果はリタイアかポイント圏外というレースが続きます。
第6戦カナダでは、黄旗無視による10秒ストップのペナルティで最下位転落。エンジントラブルで残り7周を残してリタイア。規定周回数により15位完走扱いでした。
第7戦フランスは、21周目にエンジントラブルでハデに炎を吹き、前年のサンマリノと同様そのままアデレードヘアピンまで走行を続けてリタイア。
第8戦イギリスは、ピットスタートから5周目にエンジンブロウでリタイア。
第9戦ドイツは、スタート直後の混乱でチェザリスと接触0周リタイア。
第10戦ハンガリーは、2度のピットインで5周遅れになりながら13位完走でした。
◆椅子取りゲームも金次第
ロータスチームは、苦悩していました。来期のチーム予算を温存すれば、今シーズンのテスト開発スケジュールを消化できず、テスト不足はマシンの熟成を妨げ、不完全なマシンは下位を低迷。望むリザルトが残せないチームはますます資金不足が深刻化…。差し当たり目先にぶら下がるお金には、手を出さざるを得ない状況でした。
チームは、ベルギー・ツーリングカー選手のフィリップ・アダムスを25万ドル(当時約2500万円)の持参金でベルギーGPとポルトガル、ヨーロッパGP(成績次第で日本、オーストラリアのオプション契約)に起用します。ザナルディは、アダムスの日程が合わないイタリアGPのみ出場が許されました。
ところが、アダムスにF1を走れるだけの力量がない事を母国スパのコースと気まぐれな天候がすぐ暴きます。雨にたたられた予選ではスピンばかりを繰り返し最後尾スタート。決勝ではトップ集団に道を譲ろうとして汚れた路面に乗りスピン&コースアウト。そのままリタイア。しかもレース中のベストラップがハーバートの6秒遅れ。これではお話になりません。
◆希望と絶望のモンツァ
ついにロータス待望の無限-ホンダ、ニューエンジンMF351Hが登場。そのパワーが高速サーキットのモンツァで遺憾なく発揮されます。たった1機の新型エンジンを託されたジョニー・ハーバートが期待に応え、なんとウィリアムズの間に割って入る4位セカンドロウを勝ち取ります。そんなハーバートの勢いが旧型エンジンを積むザナルディにも影響したのか、久々に中団13番グリッドをゲットします。
成績不振と資金不足でチーム存続すら危ぶまれるロータス。起死回生に希をつなぐ、何が何でも「絶に」落せないレース…しかし、意気上がるチームを絶望の淵へと叩き落とす瞬間はスタート数秒後訪れました。
絶妙のスタートダッシュでヒルを抜き、フェラーリ2台に続いて第1シケインへ飛び込むハーバート。そのテールを9位から飛び出してきたアーバインが止まりきれずにプッシュ。為す術もなくハーフスピンし、シケインを通せんぼする形で止まるハーバート。後続は大混乱となり7台のマシンがシケインをふさいだために赤旗再スタートとなります。しかし、マシンを壊してしまったハーバートの手元には旧型エンジンを載せたTカーしか残されていませんでした。
そして、再スタート。今度はザナルディに不幸が襲います。
1周を回りきらないうちにヨロヨロとピットインしてきたザナルディ。見ると左リアタイヤがバースト、サスペンションもダメージを負っていました。右リアタイヤを同じようにバーストさせたベネトン/フェルスタッペンとコース上で接触したものと思われました。
ピットスタートのハーバートは最後尾から14位まで追い上げますが、14周目にオルタネータの故障でヨロヨロとコースサイドに止まりリイアとなります。その直後、初ポール&初優勝の夢が無惨に砕け散ったジャン・アレジとティフォシの絶望の影に隠れがちですが、この週末にロータスが味わった絶望は、フェラーリのそれよりもずっと苦く深刻でした。
◆激変
モンツァ・ショックの影響か、第13戦ポルトガルGPでは下位グループへまた逆戻りしたロータスチーム。ここでも未熟なアダムスはポテンシャルの低さを露呈し、シムテックのグーノンにすら届かない最下位16位でレースを終えます。大金の持参金も見合った腕のないアダムスのクビをつなぐためにはいささか足りないようでした。
そして、ヨーロッパGP。ヘレスサーキットに立ったハーバートはロータスの緑ではなく、リジェの青いレーシングスーツを身にまといエントリーしていました。
移籍金120万ドルでリジェがハーバートを電撃的に買い取ったのです。
ザナルディはナンバー「12」番を受け継ぎます。そして「11」番シートにハーバートと入れ替わりにリジェからエリック・ベルナールが暫定的に座り、続く日本とオーストラリアには全日本F3000で活躍中だったミカ・サロが多額のスポンサーマネーを携えてナンバー「11」を手に入れます。
◆策士ブリアトーレの跳梁
ハーバートは、ヨーロッパGP後にベネトンのテストに参加して、そこでフェルスタッペンを上回るタイムを出します。それを見たブリアトーレは、来期ベネトンの『タイトル完全制覇構想』に欠けていた最後のパーツ「頼れるセカンド」にハーバートを抜擢する決断を下し、ラスト2戦の日本&オーストラリアから早速ミハエルのパートナーに据えます。
ブリアトーレ(ベネトンチーム代表兼リジェ・オーナー)のシナリオは、リジェへのハーバート引き抜きからすでに始まっていたのです。しかも彼の狙いはそれだけに留まらず、貪欲なその触手はロータスの心臓にまで伸びていました。その手がロータスの息の根を止めたとも言えました…。
◆ザナルディ、失意から栄光へ
雨の鈴鹿では、トップに2周遅れの最下位(13位)。そして最終戦アデレイドは、まだヒル&ミハエル疑惑の激突で騒然としている41周目にこっそりリタイア。原因はスロットルケーブルのトラブルでした。ザナルディの1994年シーズンは然したる結果もなく終わります。
そして、ロータスという名門がサーキットを去ると同時に行き場を無くしたザナルディは、失意のままアメリカへと渡ります。しかし、そこで彼を待ち受けていたのは、夢にまで見た栄光の日々でした。
(ロータスの末期&ザナやんアメリカへ行く編へ続く)
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登録日:2006年 12月 30日 18:39:47
「ザナルディはトラブルメーカー?」で一句
<F1>両足切断の元F1ドライバー ザナルディがBMWのテスト走行に参加 - スペイン
【チェステ/スペイン 25日 AFP】元F1ドライバーのアレッサンドロ・ザナルディ(Alessandro Zanardi)は、リカルド・トルモ(Ricardo Tormo)で行われたBMWのテスト走行に参加し、1999年シーズン以来7年振りにF1マシンを操縦した。
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(c)AFP/JOSE JORDAN
疫病神? オレがそんなに 悪いかよ!
[雑感]
1993年。初めてフルシーズン契約を名門ロータスと結んだザナルディ。彼の名前がやっとF1ファンの間でも認知されはじめます。あまりよくないイメージとともに…暴れん坊。壊し屋。トラブルメーカー。サーキット上でザナルディの名が上がる時、必ずレースに波瀾が起きました。優勝争いをするトップチームからトコトン嫌がられたザナルディ。
しかし、よくレース内容を見れば、そのほとんどが不可抗力で起きたトラブルなのです。そんな彼のロータス在籍前期(93年)を振り返ってみます。
◆ミラー見とけよ!デーモン
開幕戦・南アフリカGP。予選で同僚ハーバートに0.1秒差をつけ16位からのスタート。マクラーレン期待の大物新人マイケル・アンドレッティの不発スタートなども手伝オープニングラップには13位まで浮上。逆にトップチームへの電撃移籍、セカンドロウスタートで舞い上がったウィリアムズ/ヒルは、スピンしてザナルディの前まで下がってきます。
画面は延々とセナ、プロスト、シューマッハの接近戦を放送し続けます。息詰まるツバ迫り合いにそろそろ飽きてきた17周目。いきなり画面が切り替わり、サンドトラップ上でヒルと絡み合うようにコースオフしたザナルディのロータスが映し出されます。
ラルースのフィリップ・アリオーを1周目からずっと抜きあぐねていたヒル。その後ろで虎視眈々とチャンスをうかがっていたザナルディは、ついにヒルがウエスバンクコーナー入口で大きく開けたインへ飛び込みます。しかし、その行動をまったく予測していなかったヒルは無意識にドアを閉め、ザナルディはヒルの横っ腹へ激突。絡み合ったまま反対側のグラベルまでコースオフして、その場で両者ともリタイアとなってしまいます。
◆たった1ポイントかよ!されど1ポイントだよ!
続く第2戦ブラジルGP。奇跡の逆転劇でセナが勝利を上げたレース。同僚ハーバートはラスト2周でミハエルと大激戦を演じ、惜しくも4位。一方のザナルディは、まったく目立つ事なく、リタイア続出の荒れたレースを飛んできた石が首筋に当たろうとめげずに堅実に走り続け6位入賞。1ポイントを稼ぎます。しかし、まさかこの1ポイントがF1人生唯一の獲得ポイントになるとは、この時、ザナルディ本人も思わなかった事でしょう。
◆別にプロストに恨みなんかねえよ!
今は亡きダイアナ妃も観戦された英国ドニントンパークでの第3戦、ヨーロッパGP。セナがオープニングラップで見せたごぼう抜きと絶妙のタイヤ交換タイミングで制したレース。同僚ハーバートも同様のタイヤ戦略が図に当たり2戦連続の4位入賞。
しかし、ザナルディはチームから無意味な4回ピットストップを命じられます。しかもレース中には、プロストがザナルディにひっかかったためにセナとのタイム差を広げてしまったり、アクティブサスが不調になって挙動を乱し、プロストの前でスピンしかかったり…まるでわざとプロストの足をひっぱり続けた形となりました。最後には、アンダーパネルを引きずりながらトップから4周遅れの8位(完走11台)というナットクいかない結果でレースを終えます。
◆火ィ吹いてんじゃねえよ!
第4戦サンマリノGP。セナvsヒルの2位争いとバリチェロを周回遅れにしようとするザナルディがトサコーナー上で交錯。ザナルディに抜かれまいとオーバースピードで突っ込んだバリチェロがコーナー出口でスピン。危うくそれに巻き込まれかけたヒルは、八つ当たり気味にザナルディをオーバーテイクします。しかし、その直後、同じトサコーナーでヒルもコースアウト、リタイアしてしまいます。
レース終盤。4位を走るザウバーのJJレートをロータスの2台が編隊状態で果敢に責めます。しかし、53周目の最終コーナーでザナルディが突っ込みすぎJJレートのリアに接触。コースアウトしてマシン左後部をタイヤバリアにヒット。マシン後部を破損したザナルディは、エンジン付近からリアウィングを包み込むほどの炎を上げながらメインスタンド前をヨロヨロと駆け抜けます。しかし、リアタイヤまで外れ満身創痍状態、タンブレロ手前の直線上で無念のリタイアとなります。
◆よくできたジョーク…じゃねえよ!
火を吹き上げながらまで走行し続けた理由をザナルディは、ジャーナリストたちにこう語りました。
「物凄い火が出ていたから、何とかタンブレロまで行こうと思ったんだ。あそこのコースマーシャルは、ベルガー(89年フェラーリでの炎上事故)を救ったほど優秀だからね」
誰もがうまいジョークだと笑いました。ただ1人ザナルディ本人を除いて…。
◆今度はミハエルかよ!
第5戦スペインGP。ハーバートは、アクティブサス不調でフォーメーションラップも出来ずにリタイア。しかし、ザナルディは15位からザウバーのヴェンドリンガーと抜きつ抜かれつのバトルを演じたりしながら着実に順位を上げて行きます。マクラーレン/アンドレッティに次ぐ6位まで上り詰め、残り6周となった60周目。突然エンジンブロウ。後ろから来ていたセナたちは無難にパスして行きますが、3位のミハエルは最終コーナーの立ち上がりで追いついてしまったためにタイヤが滑り、大きくコースオフしてしまいます。幸いすぐにコースへ戻りますがファーステストラップを積み上げながら3秒差までセナに詰め寄っていたミハエルの努力は水の泡消えてしまいました。最終周の激戦を期待していた観もガッカリ。ザナルディは事実上リタイアしましたが規定周回数クリアで最後尾14位として記録されます。
◆悪いのはベルガーだよ!
第6戦モナコ。木曜日にクラッシュしたせいで予選は振るわず20位スタート。しかし、ザナルディは着実にポジションアップ。59周目には同僚ハーバートをパスして8位。62周目にはバリチェロを抜いて7位。ポイント圏内を走るミナルディ/クリスチャン・フィッティパルディとリジェ/マーティン・ブランドルまであとわずか。
そんな終盤71周目。ミラボーに差し掛かったザナルディのイン側をヒルとベルガーが強引にすり抜けていきます。熾烈な2位争い。そして、ロウズヘアピンで無謀に仕掛けたベルガーがヒルと接触。コースをふさいでしまいます。立ち往生するザナルディ。ヒルが復帰し、開いたアウト側からベルガーを追い抜きますが、段差のある縁石に乗り上げたベルガーはバックして、後ろからきたアンドレッティにオカマを掘られエンスト。リタイアしてしまいます。「アレさえなければ…」ザナルディはポイント圏まで30秒届かず7位フィニッシュ。
◆悪ィのはマシンだよ!
第7戦カナダGP。シーズン序盤には、目立たなかったグリップ不足が中盤にいよいよ深刻化。土曜日の予選中に大クラッシュしたザナルディ。決勝では21位スタートからコースアウトしつつもねばり強くレースを続け、ジョーダン/ティエリー・プーツェンを0.3秒差で抑えきり11位フィニッシュ。
続くフランスGP。久しぶりにハーバートの前17位からスタートしたザナルディ。しかし、スタート4周後に突然スローダウン。ピットまで必死に戻りますがそのままガレージへ。原因はアクティブサスの不具合でした。
第9戦ロータスの地元イギリスGP。集中テストでハンドリングが向上。期待に胸高鳴る中、ザナルディはまたも予選でクラッシュ。ハーバートのマシンを借りて14位。レースでは、序盤の出遅れから17位。そこからフィッティパルディ、アレジ、バリチェロとバトルを続け(テレビにはまったく映らず)ましたが、またもやアクティブサスの故障でスピン。リタイアとなります。
◆これがホントの「骨折り損のくたびれ儲け」だよ!
テストの忙しい合間を縫ってイタリアへ里帰りしていたザナルディ。街に自転で出け自動車と接触。倒れた彼をその車がわざわざバックしてきて足を踏み軽い骨折。
チームは代役にロベルト・モレノと連絡を取ります。しかし、ザナルディは怪我をおしてドイツGPへ登場。予選15位から決勝は12位までポジションアップしますが19周目にスピンリタイア。
ホッケンハイムでロータスの来季エンジンが無限-ホンダ決定。一方、せっかくここまで散々苦労して研究開発を進めてきたアクティブサスが来期から禁止決定。一喜一憂の夏となります。
◆結局、交代かよ!
第11戦、ハンガリーGP。またもマシントラブルで予選21位スタート。アリオーのスピンを避けようとしてコースオフするもすぐに復帰。46周目11位走行中にギアボックストラブルでリタイア。
続く第12戦、ベルギーGP。スパ名物オールージュ先のハイスピードコーナー、ラディオン。数々のドライバーが高速クラッシュを経験する難所。ここでザナルディは金曜日午前のフリー走行開始30分後餌食となります。オールージュのバンプで挙動を乱した事が原因でした。約240kmのスピードでノーズから直角にウォールに激突し、一瞬マシンから火が出るほどの大クラッシュでした。
http://www.youtube.com/watch?v=ibT08Qe4jtg&mode=related&search=
↑事故処理中の現場に予選スピードのまま危うくセナが突っ込みかけています。よくまああそこで止まれたもんだと感心。運が良かっただけ?
(当時の放送では『亜久里日本人初の6番グリッド獲得』ばかりで触れられず終いでした)ザナルディ本人に目立った外傷はないように思われました。しかし激突の衝撃で背骨の神経にダメージを負っていると主張するロータスチームは、彼を外し代わりにポルトガルの新鋭ペドロ・ラミー(92年ドイツF3チャンピオン、93年インターナショナルF3000ランキング2位。1位オリビエ・パニスとのポイント差1点)を起用する事を決定します。
◆何のかんの言って、リストラかよ!
その後のテスト走行でスピン、コースオフした事などを取り沙汰され、ザナルディはチームからしばらく休養が必要と判断されます。そして、94年度のジョニー・ハーバートのパートナーとしてペドロ・ラミーの名が発表されます。しかし、それはラミーの個人スポンサー、ポルトガルの石油企業ガルプのスポンサーマネー獲得が主目的の人選でした。当然、当時のメインスポンサーであるカストロールは機嫌を損ね、次シーズンの撤退を決めます。
マイルドセブンという大口スポンサーをベネトンに土壇場でさらわれたロータスは、来期の資金確保が必須条件。しかし、ザナルディの開発能力を失ったロータスはシーズン終盤、満を持して投入されたトラクション・コントロールの開発に失敗。ランキングもシーズン当初の期待を裏切る6位という結果に終わります。
◆ランパンテ、あんたもかよ!
そうしてザナルディが苦汁を味わっている頃、古巣のF3000チーム、イル・バローネ・ランパンテもまた終焉を迎えていました。メイン・スタッフを強豪ミトスに引き抜かれ、チーム運営自体が破綻。シャシー代金未納でメーカーのレイナードにマシンを差し押さえられ、レースに参加不可能となり、チーム消滅が決定的となります。
◆契約って…テストドライバーかよ!
しかし、現場からのザナルディコールに逆らう事ができず、ピーター・コリンズは、ザナルディと正式にテストドライバー契約を結びます。無限-ホンダエンジンを積んだロータスマシンの開発、熟成には、彼の開発能力が絶対不可欠だったのです。そして、この時の経験が彼に成功への道を開くのですが…。
(ロータス在籍後期(94年)へ続く)
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登録日:2006年 12月 26日 02:44:06
「おかえりザナやん」で一句
<F1>両足切断の元F1ドライバー ザナルディがBMWのテスト走行に参加 - スペイン
【チェステ/スペイン 25日 AFP】元F1ドライバーのアレッサンドロ・ザナルディ(Alessandro Zanardi)は、リカルド・トルモ(Ricardo Tormo)で行われたBMWのテスト走行に参加し、1999年シーズン以来7年振りにF1マシンを操縦した。
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(c)AFP/JOSE JORDAN
不運?はあ? どっこいザナやん ここに有り
[解説]
ホンダエンジンを駆っての2年連続チャンピオン。
後方集団から見事な追い抜きで優勝をさらい、優勝後にコース上に白煙を上げながらドーナツを描く。そんな豪快な走りに魅せられたCARTファンは今も親しみを込めて「ザナやん」と呼びます。
不幸な事故で再起すら危ぶまれた彼は、ハンデもナンのその。世界ツーリングカー選手権で元気にレースを続け、優勝しちゃったりしています。BMWの粋な計らいで久しぶりにF1マシンに、しかも「義足をつけたドライバーとして初めて」テスト走行にも参加。現役ドライバーにヒケをとらない走りを見せ「健在ぶり」を証明してみせるザナルディの姿に改めて畏敬の念を強くします。
[雑感]
よく「レーサー」と「ドライバー」は違うと言われます。ただ単にマシンを運転しているに過ぎない者は「ドライバー」、戦い競い合う事に意義を見いだす者を「レーサー」と。
F1の世界で「アレッサンドロ」ザナルディは「ドライバー」と見られ、アメリカへ渡りCARTの世界で「アレックス」と名乗った彼は「真のレーサー」と呼ばれました。
しかし、不幸な事に彼の勇姿をF1では、まったく知る事ができませんでした。
◆ジョーダンからデビュー
彼のF1デビューは1991年、第14戦スペイン。ミハエル・シューマッハのベネトン電撃移籍&ジョーダン離脱の余波から実現となります。抜け目のないエディー・ジョーダンは、ミハエルの抜けた穴をベネトンから放出されたロベルト・モレノ流用で急場をしのぎ、スペイン戦からはF3000で注目されていたザナルディを起用します。
◆え?ドコドコ?
しかし、そのデビューを日本で何人の人が意識していたでしょう?
この年限りで引退する中嶋悟、そして来季ラルースから参戦する片山右京のニュース。そして、セナ対マンセルのチャンピオン争い。ザナルディがスペイン戦で画面に映ったのは、スタートの1〜2秒。後は欧州ラストランの中嶋を捉えようとフジTVが持ち込んだカメラに写っていた数秒間だけでした。
◆幻のオーバーテイク
続く日本GP。注目はやはりセナ・マンセル対決と中嶋鈴鹿ラストランでした。
古館アナによるグリッド紹介もない(ロータスのハッキネンも同様)ままスタート。
シケイン後の最終コーナーでの多重クラッシュで同僚チェザリスが戦線離脱。波瀾の幕開けを匂わせた序盤、CM明けの8周目。あっけなくギアトラブルでコースサイドにマシンを止めたザナルディが初めて画面に大写しとなりました。
実はこのリタイア直前、ザナルディはシューマッハをオーバーテイクしていたらしいのですが…。
◆雨に流されたベストリザルト
そして、最終戦オーストラリア・大雨のアデレード。
中嶋もシューマッハもマンセルもベルガーも続々とスピンリタイアし、雨レースが得意のセナさえも続行不可能を訴える最悪のコンディション。そんな大荒れの中、着実にコース上にとどまり続けていたザナルディ。結果的にはレース中止、14周までの順位で終了とされ、記録上は9位となっていますが2位ベルガー、3位マンセルも赤旗中断された16周の時点ではリタイアしていましたから、もし、あのままレースが続行していたら入賞圏内フィニッシュもありえたレースでした。
◆消えた最有力候補
プロストとピケという大物2人の去就が騒がれた91-92年シーズンオフ。結局2人とも92年のF1シートを失いますが、その影でザナルディもいくつものチームの間で去就が揺れます。
当初、F3000を共に戦った新興チーム「イルバローネ・ランパンンテ」がティレルを買収しベネトンジュニアチームとしてF1参戦するという話があり、その契約ドライバー最有力候補としてザナルディの名が挙がっていました。しかし、ベネトン/トム・ウォーキンショーの暗躍で買収金額が不当なまでに吊り上がってしまい、結局「イルバローネ」の参戦自体がお流れとなってしまいます。
◆金とともに去りぬ
ジョーダン残留の線が濃厚となり、一度はテスト参加(クラッシュしてマシンを破損=テスト中止となってしまいますが…)していましたが、多額のスポンサーマネーとともにレイトンハウスからグージェルミンがやってくるとエディ・ジョーダンはザナルディをポイ。
次はティレル枠からエントリーリストに乗り、これで来季はほぼ確定と思われました。
しかし、いざ開幕戦を迎えたら、ティレルのシートに収まっていたのはマルボロマネーを抱えたアンドレア・デ・チェザリスでした。
中嶋引退とともにホンダエンジンを失ったティレル。持参金額でドライバーを選ばなければ生き残れない苦しい財政事情から下された「背にハラ」な決断でした。
こうしてザナルディは、92年シーズンの浪人生活が決定してしまいます。
◆ブリアトーレの手
しかし、そんな哀れなザナルディに救いの手が差し伸べられます。
ベネトンのテストドライバー採用でした。申し出たのはフラビオ・ブリアトーレ。この行動は、ヴェネチア財界のドンの娘婿が主催する「イル・バローネ・ランパンテ」F1進出計画がオジャンになった事に対する罪滅ぼし?とも受け取れますが、どちらかといえばマーティン・ブランドル追い出し工作的意味合いの方が濃厚でした。
実はこの頃のベネトンはトム・ウォーキンショウ率いるイギリス派とブリアトーレ側のイタリア派の間で主導権争いが続いており、少しでもイギリス派の勢いを削ぎたいブリアトーレがザナルディを利用していると噂されました。
◆ミナルディからスポット参戦
フランスGPの予選中にミナルディのクリスチャン・フィッティパルディが事故で首に重傷を負います。その代役にザナルディが抜擢されます。しかし、ミナルディのマシンは、ハンドリングが劣悪でした。
イギリスGPでは、予選2日目が雨にたたられ初日のタイムで予選順位が決定。ブラバムに乗るデーモン・ヒルに0.08秒およばず予選落ち。
ドイツGPでは、予選24位スタート。たった1周目にクラッチトラブルでリタイア。
代役最後のハンガリーGPでは、予選中にスピン。押しがけスタートでコース復帰したため、レギュレーション違反として2日目のタイムを抹消され、またも予選落ち。
わずかなチャンスが逆に仇となり、世間での彼の評価は失墜します。「SPORT AUTO」のマイケル・シュミット氏などは「ベルモンド・ナスペッティ・アマティ」らと同レベルとしてザナルディを「F1に必要ない者」と切り捨てます。ザナルディの92年シーズンは失意のまま終わり、またベネトンのテスト作業へ戻って行きました。
◆落日の名門ロータスからリスタート
TWRへの出資に伴い、ルチアーノ・ベネトンとともにTWR役員となったブリアトーレ。計画通りブランドルをチームから追い出し、ウィリアムズからパトレーゼを獲得。いよいよイタリア色を強め、ウォーキンショウ包囲網は着実に進んでいました。そんな政治色強まるベネトンから抜け出すチャンスがザナルディへ巡ってきます。
マクラーレンへの移籍が決まったミカ・ハッキネンの後釜として、名門ロータスがザナルディを指名したのです。おそらくベネトンでのアクティブサス開発に携わっていた点が高く評価されたと思われます。
◆いい人なのになあ〜
ハッキネンの契約不履行で賠償金をせしめるとか、せめて持参金ドライバーにシート争奪戦をさせスポンサーマネーを吊り上げるとか、某チーム代表みたいな錬金術的方策も取れたはずなのに…こういう誠実的で良心的過ぎるところがロータスチーム代表だったピーター・コリンズの長所であると同時に、結局はロータスF1撤退を避けられなかった点かも…。
しかし、ハッキネンやハーバートの才能を信じて使い続けるなどドライバーの資質を見抜く力には長けていたコリンズ。ザナルディの潜在能力もきっと見抜いていたはずだったのですが…。
(ロータス編・ウィリアムズ編に続く)
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登録日:2006年 12月 14日 10:08:01
- プロフィール
- 斎藤モ吉
- (男)
- 福岡の片田舎でデザイナー兼ライター営業中。F1にハマったきっかけは、仕事関係で見始めた1987年のドイツGP。プロストとピケの麗しい姿に感動。
好きなレーサーは、ジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。好きなF1マシンはフェラーリ312T4。好きなF1マンガは『赤いペガサス』。好きなF1映画は『グランプリ』。好きな言葉はジル・ヴィルヌーブの『来年がやってくるってどうして言えるんだい? 』
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