プエルタよ、永遠に・・・

昨年8月25日に行われたヘタフェとのリーガ開幕戦の試合中に突然倒れたセビージャMFアントニオ・プエルタは3日後の28日に病院で亡くなりました。ちょうど今日は1回忌にあたります。

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近年のフットボール界に起こった悲劇。世界最高峰のリーガエスパニョーラの開幕戦という注目を集める時期、しかも強豪セビージャやスペイン代表での将来を嘱望された22歳の死は衝撃的でした。個人的にも、ブログを移転してきて更新に気合が入っていた時期だけに強く印象に残っています。

プエルタのように心臓疾患が原因でフットボーラーが亡くなったケースでは数年前のコンフェデ中に倒れたカメルーン代表のフォエ(Marc-Vivien Foé)、2004年、24歳で命を落としたベンフィカ所属のハンガリー代表FWミクロス・フェヘル(Miklós Fehér)とサンカエターノ所属のブラジル人DFセルジーニョ(Serginho)など。

プエルタと同じ昨年の12月にはマザウェル所属の元スコットランド代表MFフィル・オドネル(Phil O'Donnell)が亡くなりましたし、古くはペルージャのスタジアム名になっている、70年代に24歳で亡くなったレナト・クーリ(Renato Curi)が有名です。

ちなみにバルサとの契約が切れ、PSG入り目前だった元フランス代表DFチュランも心臓疾患が報告されたものの、再検査では症状が認められなかったのですが、家族に心配されたため引退することになったそうです。

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セビージャのカンテラ出身のプエルタは現アスレティック監督ホアキン・カパロスがセビージャを率いていた2004年のマラガ戦でプリメーラデビュー。その後、セビージャでインテリオールイスキエルド(Interior izquierdo=レフトハーフ)、ラテラルイスキエルド(Lateral izquierdo=レフトバック)としてリーガ55試合に出場し、5得点を記録しました。

2005-06シーズン、UEFAカップ準決勝のシャルケ戦でプエルタは得意の左足でゴールを決め、44年ぶりにクラブを欧州カップ戦の決勝に導く活躍をみせました。セビージャはこのあとの決勝でミドルズブラを降し、クラブ史上初の欧州カップを手にしています。

スペインU-21代表としても活躍し、2006年10月7日にはユーロ2008欧州予選のスウェーデン戦でA代表デビューをはたしました。キャップ数はこのときの1のみですが、不幸が起こらなければもっと伸びていたでしょうし、本大会でもプレーしていたかもしれません。

ダイヤモンドの左(La zurda de diamante)と評されたプエルタにはアーセナル、マンチェスター・ユナイテッド、レアル・マドリーといったビッグクラブが触手を伸ばしていると報じられていました。

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セビージャは、プエルタがつけていた16番を永久欠番にし、死後誕生した息子がセビージャのトップチームでプレーすることになった場合のみ、この番号を復活させることにしようとしましたが、リーガのレギュラーチームは1~25番をかならず着用することというルールのために認められず。結局はプエルタと同じカンテラ出身で友人でもあるダビ・プリエトが今季の16番をつけることになりました。

セビージャの下部組織出身で現在はレアル・マドリーでプレーするセルヒオ・ラモススペイン代表がユーロを制したときにプエルタの16番をつけて勝利を祝福。

セビージャは今月23日、本拠地サンチェス・ピスファンでの新シーズンのお目見え試合をアントニオ・プエルタ杯(Trofeo Antonio Puerta)とし、奥さんと息子を招待。プエルタのデビュー戦の相手であり、今季から1部で戦うマラガに2-0で勝利し、プエルタに捧げました。

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セビージャの公式サイトでプエルタの記事がたくさんとりあげられていたので、もう少し待てば日本語訳が載ると思います。

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登録日:2008年 08月 28日 21:16:34

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Sho
バルサファンで、好きな選手はロナルト・クーマン。ほかにひいきの選手はドラガン・ストイコビッチ、シュテフィ・グラフ(テニス)、パウ・ガソル(バスケ)、ガブリなど。

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