2010年 02月 28日

「コララインとボタンの魔女」。 「シャネル/ストラヴィンスキー」より新世界へ踏み出す様子描写がうまい

いまや"ティム・バートンの"がつくようになった「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」だが、監督はストップ・モーション・アニメにこだわるヘンリー・セリックだ。バートンはロシア民話を基にした「コープスブライド」を作り、セリックはニール・ゲイマンの児童文学を映画化した(ゲイマンに関しては小説を何冊か読んだし、最近「サンドマン」や「デス」といったコミックも読んだのでなじみがあるが、「コラライン」が異色であるのは間違いない)。これらを比べて二人の資質を論じるほど詳しくはないが、「コラライン」では別のママが怖くなったときのカクカク感、映画オリジナル・キャラクターであるワイビーが登場するときのゴーストライダー感(つまりはガイコツ感)が印象に残る。しかしそれよりインパクトがあるのは二人の老女の舞台、最高にビザールでいい。

またストップ・モーション・アニメに関する苦労は素人が考えてもどれだけ大変かは分かる(でも後半にある世界が崩れる様子はCGを使っているのもしれない。ただし画としては悪くない)。とくにコララインの髪の毛にはどれだけ力が入っていることか!オープニングからコララインの人形を作るところからハートわしづかみ、あの人形を見ていると「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」のサリーを思い出す。またキャラクターとしてはあちらとこちらの世界を行き来する黒猫が気に入っている準主役といっていい。

別世界で色々な体験をして、元に戻るというと「アリス」や「千と千尋」を持ち出すまでもなく良くあるが、最近では「かいじゅうたちのいるところ」があった。ストーリー展開はこちらのほうがうまい。これは原作が絵本の「かいじゅう」と児童文学の「コラライン」の違いというより脚本の出来の差だ。「かいじゅう」のマックスは別世界でやるべきことが明確でないので見ていて不安を感じる。「コラライン」では別世界に一気に行くのではなく初めのうちは戻れるし、悪くない世界にも思える。次第に状況が悪くなるのは定石どおりだがそのもって行き方がうまい。"コラライン、キャロライン"、"ワイボーン、ワイビー"といった名前が持つ力の話は「千と千尋」で同じ。自分(コララインや別のママ)にとって都合の良い世界は誰かを犠牲にしてはじめて成り立つので、自分が支配者にならないと実現できないのだ。好奇心が高い少女がそれなりに責任感を持つようになるまでがうまく描かれ話に安定感がある。

声の出演はコララインにダコタ・ファニング、そろそろ大人になってきたダコタだが、ここでは自分より年下の子のわがままさを出して好演、妹エルだとこうはいかないだろう。日本語版は榮倉奈々、どちらかといえば下手ではあるが、それゆえに少女っぽさは出ているように思う(それがいいことなのか、吹替え製作者の狙いなのかは分からないが)。母親を演じるのはテリー・ハッチャー、家事もあまりしない母親というのはドラマ『テリー・ハッチャー』のイメージを引き摺っているようだ。日本語版は戸田恵子、こちらは別のママとなってからの怖い人格になってからが聞き物。劇団ひとりの黒ネコ皮肉屋っぽくて良かった。また音楽も予想以上に良い。ひまなときには立体メガネを外してみるのも面白いかも。

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登録日:2010年 02月 28日 19:54:33

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